戸塚区の名木古木-part1

 今日は、戸塚を起点に横浜市の名木古木を訪ねました。


横浜市指定名木古木
原宿浅間社:戸塚区原宿3丁目17-8

 No.49542 スダジイ Castanopsis sieboldii
 No.49543 スダジイ Castanopsis sieboldii
 No.49544 スダジイ Castanopsis sieboldii
 No.49545 スダジイ Castanopsis sieboldii
 No.49546 スダジイ Castanopsis sieboldii
 No.49547 スダジイ Castanopsis sieboldii


三嶋神社:戸塚区深谷町1026
 No.50152 スダジイ Castanopsis sieboldii
 No.49539 モミノキ Abies firma
 No.49540 ヒノキ Chamaecyparis obtusa


 【滅失】イロハモミジ Acer palmatum 俣㙒神社:戸塚区俣野町763
 【滅失】イチョウ Ginkgo biloba 深谷山青陽院専念寺:戸塚区深谷町1021

 市民グラフヨコハマ115号(2001)によれば、俣㙒神社にはイロハモミジ、専念寺にはイチョウがあった筈ですが確認できませんでした。この2本は滅失と思われます。俣㙒神社にはイロハモミジの若木が3本ほどありました。


 No.200412 モチノキ Ilex integra 戸塚区汲沢町398-2


 No.56021 ケヤキ Zelkova serrata 戸塚区汲沢町251


汲澤山宝寿院:戸塚区汲沢4丁目32-6
 No.48218 イチョウ Ginkgo biloba
 No.48219 シダレザクラ Cerasus itosakura


五霊神社:戸塚区汲沢町1273
 No.54034 モミノキ Abies firma
 No.54035 スダジイ Castanopsis sieboldii


熊野山松樹院西立寺:戸塚区戸塚町2226
 番号不明 イチョウ Ginkgo biloba


富塚山親縁寺:戸塚区戸塚町464
 番号不明 イチョウ Ginkgo biloba


【俣㙒神社】戸塚区俣野町763


【原宿浅間神社】戸塚区原宿3丁目17-8

 村社浅間神社
一、御祭神
 木ノ花之佐久夜姫ノ命
火難消除安産航海農漁業の守護神
總本社 富士山本宮官幣大社浅間大社 横浜市戸塚区原宿四三一番地
一、御由緒
 永碌年中中村安全を祈願し当社を勸請す玉縄城主北條左衛門太夫の崇敬厚く社殿を建立せり安永間ねん造営安政五年再建明治九年改築浅間社として村社列格大正初期本殿改築昭和七年九月浅間神社と改稱昭和五十一年九月本殿拝殿社屋を中心に改修参道境内整備築造される
一、境内地 五百八十四坪
一、社殿 本殿 拝殿


【稲荷社】戸塚区深谷町515-2


【三嶋神社】戸塚区深谷町1026


【深谷山青陽院専念寺】戸塚区深谷町1021

  鎌倉権五郎影政と専念寺の深谷目薬師
 前九年の役の鎮定功労者陸奥守源頼義の嫡男八幡太郎義家は陸奥守となり赴任したが、奥州の覇者清原武則家の家督争いにまきこまれ、まれに見る大乱となった。戦場は沼柵からさらに要害の地金沢柵に移るが義家軍の苦戦の報が都に届くと義家の弟新羅三郎義光(甲斐源氏武田祖)が京から来援、これに力を得た義家が総攻撃し非常な苦戦の末、寛治元年十一月(一〇八七)、金沢柵を陥落させ、家衡を討つことに成功し、後三年の役はようやく終幕となった。
 この戦いに弱冠十六歳の鎌倉権五郎は金沢柵の戦いで敵の矢に左目を射抜かれると戦友三浦為次が駆け寄り、影政の顔に足を掛け、その矢を抜こうとするや影政は「武士の顔に足を掛けるとは」と怒り刀を抜いて切りかかったと言う。
 凱旋後影政は守り本尊の深谷薬師に治療の願をかけ、寺の前の清流で目を洗ったところ、たちまち目の傷が癒えたと言われる。
 深谷薬師は霊験あらたかな目薬師如来として信仰厚く、今も十二年毎に開扉している。鎌倉時代には活躍した大庭、俣野、梶原一族も戦国大名上杉謙信も鎌倉権五郎影政の子孫である。
  平成十五年三月 吉日
          大正地区歴史散歩の会


【五霊神社】戸塚区汲沢町1273

   五霊神社由緒沿革
 祭神五柱
村岡五郎平良文公(桓武天皇曾孫髙望王第五子で村岡郷の初代城主となる)
村岡公致(義家)公 村岡致成公
鎌倉影成公    鎌倉権五郎影政公
正親町天皇元亀二年(一五七一年)九月十九日創建
當時此の地は村岡郷に属しており森織部義秀が村岡郷宮前村(現藤沢市宮前)御霊社を勧請し守神とした。後に鎌倉権五郎影政公を合祀して祭神が五柱となるにつき社名を五霊と改ためたと云う。村岡五郎良文公は皇族より始めて平姓を賜わった髙望王の子で全国 平姓の祖とも云うべき方を祭神として奉斎する神社は珍しい。
 慶長二年(一五九七年)社殿を再興して五靈大権現と称した。其の後社殿の改築二回、更に大正十二年関東大震災に倒壊して翌年復興し数度の修復を行ったが近年雨漏りを憂いて森今?氏が多額の浄財を奉納されこれを基に氏子一同これに賛同奉納し流造りの社殿を改め權現造りの様式にて御造営を成し昭和五十七年十一月六日に竣功した。
茲にこれを祈念して建設委員一同由緒碑を建設する。
     御神徳 家運隆盛 厄除 安産 学業成就 交通安全
     大祭日 例年十月一日(現在は直近の日曜日)
          宮司 本多正義記


 山ノ神社(五霊神社境内社)


【下郷熊野神社】戸塚区戸塚町2225-1

   下郷熊野神社の由来
一、鎮座地 横浜市戸塚区戸塚町二二二五番地
一、御祭神 家津美御子大神(けつみみこのおおかみ)素戔嗚尊(すさのおのみこと)
一、由緒沿革
 新編相模風土記には享禄年中に村民信心の右衛門と申す者が藤澤の遊行上人に帰依し剃髪して僧侶となり信阿と號す。
 後に紀州熊野本宮に詣で熊野大権現を当地に勧請して傍に草案を結び常念佛修業したのが始めで善男善女の信迎する者が多かった。昭和五十三年一月神社創建四百五拾周年に当り氏子總代世話人等の良き理解を得て浄戝を廣く氏子崇敬者の浄信に募り内外共に力を合せて昭和五十四年二月?日無事完成する。二月十三日改めて氏子代表十二名熊野本宮へ参詣し御分霊を奉還勧請し四月十五日御遷座の神事を執行せり。
一、祭事
 元旦祭 一月一日
 奉還祭 二月十三日
 節分祭 二月上旬
 例大祭 古くは九月十三日
        九月二十日
     現在は九月上旬
  昭和六十一年九月吉日 伊藤氏寄贈


【冨塚八幡宮】戸塚区戸塚町3827

冨塚八幡宮 戸塚の鎮守様 勝負海運 厄除けの神社
御祭神 誉田別命(応神天皇)
    富属彦命(相模国造二世孫)
例大祭 八月第一日曜日(前日宵宮)
   御由緒
 平安時代、前九年の役平定のため源頼義。義家が奥州に下る途中、この地にて応神天皇と富属彦命の御神託を蒙り、其の加護により戦功を立てることが出来たのに感謝して、延久四年(西暦一〇七二年)社殿を造り両祭神をお祀りしました。
 社殿後方の地は富属彦命の古墳であり、これを富塚と称した事により戸塚の地名が発祥したと伝えられています。
 戸塚(富塚)一族は昔この地に住み、当神社を氏神として崇敬しておりました。現在全国に散らばる戸塚姓富塚姓の方々の守護神でもあります。
 現在の本殿は天保十四年、拝殿は昭和九年の造営になります。
 明治六年には其の由緒を以って戸塚・泉・瀬谷・栄区唯一の郷社(近郷を鎮守する神社)に列せられました。
宮御神輿 宮御神輿は江戸時代天保十四年の作で、平成元年から二年かけて大修理を行いました。
   境内社
玉守稲荷 豊作 商売繁盛の神様
冨塚天神 学問成就 合格祈願の神様


鎌倉を 生きて出でけむ 初松魚(かつお)
     芭蕉翁
 当時鎌倉で水揚げされた初鰹は戸塚を通り江戸に運ばれました。
 嘉永二年、当地の俳人達によって戸塚にちなんだこの句の碑が建てられました。


冨塚八幡宮(天神様)
     御祭神 菅原道真公
  学問成就 合格祈願の神様
 江戸時代末、当宮神主が開いていた私塾の門弟達が、学問の成就を願い、明治元年に建立しました。
 ながらく境内奥まった所に在りましたが、その霊験あらたかなるを以って平成十一年、この処に遷しました。


【八坂神社】戸塚区戸塚町4189

     由来
 元龜參年六月郷の庄司内田兵庫源正親が牛頭天王社を草創勧請したものであるがいつしか社殿敗壊眞躰の神器は草もうの中に散在し止むなく地中深く埋め祭祀を缺くこと貳佰年に及んだ内田氏の末葉内田左衛門尉源政利これを憂い元禄元年矢部村庄司河原氏の霊夢により土壌を起し眞躰を得てその再興をはかり祭祀を行った。
 明治初年八坂社を改め更に昭和七年九月十九日八坂神社と改称した祭典は七月七日拾四日まで行事は七月十四日無病息災を祈願して行われるお札まきは町内男子拾名が女装し渋団扇を打ち原始的踊りをしつゝ五色のお札を中天に撒く


 通称「お天王さま」として親しまれている戸塚宿の鎮守です。元亀三(五七二)年に、牛頭天王を勧請したのが始まりと言われています。毎年七月十四日に行われる。「お札まき」は、無病息災を祈願して市の指定無形文化財になっています。神社脇の東海道と鎌倉道が交差するあたりに高札場がありました。


横浜市無形文化財 お札まき
 平成三年十一月一日指定
 保存団体 お札まき連中
 行われる時期及び場所
  毎年七月十四日
  戸塚区戸塚町四一八九番地八坂神社他町内各所
 お札まきは、七月十四日ま八坂神社の夏祭りに行う踊りで、同社の元禄再興とともに始まったと伝えられています。ひの踊りは、江戸時代中期、江戸や大阪で盛んに行われていましたが、やがて消滅し、現在は東海道の戸塚宿だけ伝えられています。
 男子十数人が姉さんかぶりに(たすき)がけの女装をして(すそ)をからげ、渋うちわを持ち、うち音頭取り一人はボテカズラをかぶります。音頭取りの風流歌に合わせて踊り手が唱和しながら輪になって右回りに踊ります。踊り終わると音頭取りが左手に持った「正一位八坂神社御守護」と刷られた五色の神札を渋うちわで撒き散らします。人々は争ってこれを拾って帰り、家の戸口や神棚に貼ります。神社境内で踊り終わると、町内各所で踊り、神社に戻ります。
 風流歌の歌詞に「ありがたいお札、さずかったものは、病をよける、コロリも逃げる」という文句があることから、祇園祭と同様な御霊信仰に基づく厄霊除(やくりょうよ)けの行事であることがわかります。
 神札を路上に撒き散らして人々に拾わせる護符配りは、現在では極めて珍しく、民間信仰資料として貴重です。
 平成四年三月   横浜市教育委員会


本日撮影その他の写真


【参考】
 メキシコハナヤナギ Cuphea hyssopifolia
 ホトケノザ Lamium amplexicaule
 地蔵堂:戸塚区俣野町769
 ロウバイ Chimonanthus praecox
 庚申塔5基:戸塚区俣野町593
 バーバーひまわり:戸塚区深谷町15-17
 タイワンリス Callosciurus erythraeus thaiwanensis
 庚申塔(3基):原宿浅間神社
 ウメ Prunus mume
 双体道祖神:戸塚区汲沢4丁目36-3

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