【主な経路】
(津久井浜駅)-発声町-須軽谷-長井-発声町-下宮田-下浦町-(三浦海岸駅)
三浦半島の道祖神と地神 地神・道祖神マップ (作成中)
(子産石型)道祖神:横須賀市須軽谷331
焼け跡が残っている5体の子産石あるいは奥の石祠が道祖神の様です。焼け跡は、おんべ焼の跡と思われ、中央の一体は割れたのを針金で修復されていました。
(子産石型)道祖神:三王山安楽院不断寺(長井5丁目1-1)
藤井(1981)によれば、井尻に自然石道祖神があることになっているので、過去の記録から、旧井尻に相当する長井3丁目の第六天社の石塔群にあると予測していたのですが、3丁目に位置する社などにはどこにも見当たらず、この長井5丁目の不断寺にある子産石がこの自然石道祖神だったのでしょうか。この子産石にはおんべ焼に供された形跡はありませんし、昭和時代に確認された道祖神は既に失われているのかも知れません。
現在、三浦半島で残されている道切り3か所を巡ってみました。
岩神社:三浦市初声町下宮田1293
藤井(1981)には記載のない子産石を祀った社ですので、道祖神とはみなされていなかったようです。三浦古尋録には記載がありませんが、新編相模國風土記稿には下記の記述が見えることから、少なくとも
○石尊社 例祭九月二十七日△神主松原浪江 吉田家配下、祖父源右衛門安永三年神職となる。古文書三通を蔵すれど、もと宗家新右衛門の家に傳へし物なれば、彼條に辨ず。
庚申塔群:津久井浜駅前(津久井2丁目18-23)
石塔群(岩船地蔵尊):津久井1丁目25-2
(津久井)浅間神社
ノボロギク Senecio vulgaris
ナズナ Capsella bursa-pastoris
オランダミミナグサ Cerastium glomeratum
ウラジロチチコグサ(アメリカチチコグサ) Gamochaeta coarctata
ホトケノザ Lamium amplexicaule
ウメ Armenica mume
ニホンスイセン Narcissus tazetta
庚申塔群:津久井4丁目16
キャベツ Brassica oleracea var. capitata
西洋赤大根(品種不明) Raphanus sativus
ウサギアオイ Malva parviflora
ブロッコリー Brassica oleracea var. italica
庚申塔群:須軽谷68-1
庚申塔群:須軽谷113
稲荷社:須軽谷331
道祖神:須軽谷331
石塔群:三浦市初声町高円坊1667
石塔群:須軽谷(下ノ里バス停近く)
地蔵尊:須軽谷(下ノ里バス停前)
カラクサナズナ Lepidium didymum
カワウ Phalacrocorax carbo:轡堰
ノゲシ Sonchus oleraceus
前田夕暮の文学碑
江の島(&佐島)遠望
(井尻)龍神社:長井3丁目14
庚申塔群:長井第六天神社(長井3丁目10)
ひまわり歯科:長井3丁目26-11
イチョウ Ginkgo biloba, かまくらと三浦半島の古木・名木50選
オオキバナカタバミ Oxalis pes-caprae
おこり石:長井6丁目5-9
(漆山)龍神社:長井6丁目8-1
道標
干若芽と干大根
道切り:長井6丁目17-13
地蔵尊:長井6丁目17-12
道切り:長井6丁目16-31
道切り:長井6丁目23
観音像の庚申塔:長井6丁目22-12
セイロンベンケイ Kalanchoe pinnata
長井庚申塔群:長井2丁目13-11
サイロ給水塔の丘
石祠:三浦市初声町和田3012
和田城址碑:三浦市初声町3083-10
三浦市初声町和田の庚申塔:三浦市初声町和田3247
ワシントンヤシモドキ Washingtonia robusta:発声シーサイドタウン
『寿』に見えた雲
猫石
猫石園碑:三浦市初声町下宮田1321-3
岩神社:三浦市初声町下宮田1293
コサギ Egretta garzetta
カワウ Phalacrocorax carbo
キンクロハジロ Aythya fuligula
水神碑:小松ヶ池
青首大根 Raphanus sativus var. longipinnatus
石塔群:三浦海岸駅前
三浦海岸駅
前田夕暮の文学碑
大正十二年二月一日、前田夕暮は、東海道線の車中で偶然北原白秋と出会い、そのまま連れ立って三崎へ行き、城ヶ島に遊んだ。帰途この地長井に立ち寄り、「藤屋」に宿泊している。
その間二人は即詠競作して、この時の歌を「詩と音楽」三月号に発表するとともに、夕暮は昭和三年刊行の第六歌集「虹」に収録している。碑の歌は、この歌集の「長井村に泊る」から一首を選んだものである。
宵あさき 長井往還 行につつ
村湯の明り なつかしみけり
夕暮は、明治十六年七月二十七日神奈川県大住郡大根村(現秦野市)に父久治、母イセの長男として生まれ、本名は洋造という。
筆名の「夕暮」は、青年時代を過ごした大磯町の
夕暮は、その作歌生涯において数度にわたる作風の転換をしている。それは「明星」浪漫主義から出発し若山牧水と並び称された自然主義歌風、画壇における後期印象派の影響ともいわれる外光派的世界への転換、更に自由律運動への突入、そして定型への復帰である。
近代短歌の開拓者としての夕暮は、鮮かな詩性を短歌に盛り上げるとともに、優れた私的散文の創始者としても、革新と実験の文学行路を歩んだ。
歌集に『収穫』『生くる日に』『原生林』『夕暮遺歌集』、文集に『緑草心理』『烟れる田園』『雪と野菜』等がある。
昭和二十六年四月二十日、東京・荻窪の自宅「
おこり石
風の強い日にし唸りをあげたことからこの名があると伝えられる。往古は、なんらかの神の宿る石であったと思われる。
【文献】
藤井慶治(1981)横須賀市の道祖神、in 神奈川県の道祖神調査報告書(神奈川県教育庁文化財保護課編)、p.73-84.