大船から江の島へ-鎌倉西部の石塔など

 現在の鎌倉市でも観光化されている中心部を除けば、それなりに石碑が残されています。今日は特に道祖神碑の密度が高いことで知られる腰越を目指して歩いてみました。
 三浦半島の道祖神と地神 (堅牢)地神塔・道祖神マップ
【主な経路】
(大船駅)-植木-上町屋-深沢-津-腰越-七里ヶ浜-稲村ヶ崎-由比ヶ浜ー材木座-小坪-久木-(逗子葉山駅)
 途中の鎌倉山でみかけたシャクナゲは「’マダムマッソン’」のようで、画像検索するうちに、2016年に出版された国際栽培植物命名規約第9版(International Code of Nomenclature for Cultivated Plants, Ninth Edition)では、『cv.』による栽培種名の表記は有効名ではなくなっていたことに気づきました。


【参考】
 大藤時彦(1981)鎌倉市の道祖神、in 神奈川県の道祖神調査報告書(神奈川県教育庁文化財保護課編)、p.85-95


道祖神:鎌倉市上町屋682-3

 石祠
 双体神像:■■八未(1811)三月吉日
 文字碑


上町屋天満宮:上町屋616

 浅間碑の隣の石祠は道祖神かもしれません。庚申塔の隣の神像は、天満宮ですから道真公だとは思われますが、何も説明はありませんでした。
浅間大菩薩碑、石祠:境内
庚申塔:寛文十庚戌(1670)暦九月吉日
神像:正徳ニ■(1712)七月十五日


道祖神:笛田3丁目6-5


経六稲荷社:腰越1543-6

(左から)
 庚申供養塔各願成就正徳三癸巳(1713)年齋月吉日
 庚申供養塔文政十三(1830)年九月吉日 庚申供養塔:弘化五戊寅(1848)
 青面金剛像:
 石祠:明治十(1877)年十月吉日
 山王大権現


道祖神:津1082



地蔵尊:加持山宝善院霊山寺(腰越5丁目14-9)


 腰越地区の道祖神は現在3か所に集約されていました。
 腰越の道祖神:腰越まちづくり市民懇談会


石塔群:腰越5丁目11

道祖神:昭和六辛未(1931)歳一月吉日


庚申供養塔・道祖神塔・堅牢地神塔
 石塔①は庚申供養塔です。弘化三年(一八四六年)、講中(信者の集まり)による建立です。自然石の真ん中に「庚申」、上部に日月(太陽と月)が掘られています。
 石塔②は道祖神です。道祖神は道路の悪霊を防いで道行く人を守ってくれる神様です。この道祖神は昭和六年(一九三一年)、坂本定吉など七名による建立で、大きく「道祖神」と彫られています。
 石塔③は堅牢地神塔です。堅牢地神は大地をつかさどる神様で、大地を堅牢(かたくて丈夫)にします。天保七年(一八三六年)の建立です。正面に「堅牢地神」、左右に「五穀豊穣」、「天下泰平」と彫られています。
 石塔④は庚申供養塔です。寛政五年(一七九三年)、井上傳兵衛など八名による建立です。正面に六本の腕を持つ青面金剛立像、上部に日月(太陽と月)、下部に三猿(見ざる、聞かざる、言わざる)、左に「天下泰平」、「五穀豊穣」と彫られています。
     (詳しくは「腰越まちづくり市民懇談会」のホームページ)
         腰越まちづくり市民懇話会
         腰越地区町内組組織連絡会


霊光無尽碑
 この塔は、戦没者慰霊のため地区の有志や遺家族が相談し、多くの住民の協力を得て
腰越小学校の一隅に放置されていた忠魂碑を昭和二十五年八月ここに移し霊光無盡塔として再建したものです。
 日清・日露の戦役、第一次世界大戦、太平洋戦争などで戦没された當地出身者並びに当地にゆかりのある者を合祀し、霊光の無盡であることをを祈念し、その使命を銅板に刻み台座下の石室に奉安してあります。


石塔群:腰越3丁目32-9

 道祖神は道路の悪霊を防いで道行く人を守ってくれる神様です。
 石塔①神官姿と考えられる像を浮き彫りにした道祖神です。文化十三年(一八一六年)に氏子(氏神様を信じる人達)らより建立されたものです。腰越にある年号の記載されてある道祖神の中で最も古い道祖神です。
 石塔②も神官姿と考えられる像を浮き彫りにした道祖神です。像の右に「天下泰平」と彫られています。
 石塔③は、「道祖神」と文字を彫った道祖神です。安政七年(一八六〇年)に岡田兵左衛門により建立されたものです。
 石塔④も「道祖神」と文字を彫った道祖神です。慶応四年(一八六八年)の建立です。下の台には「三ケ街」とあり、中原町、下町及び土橋の世話人の名前が刻まれています。
 石塔⑤は上部を欠く、文字を彫った道祖神です。
 小型の道祖神、石塔⑥と⑦があります。毎年一月の左義長(どんと、サイト)の時にはそのうちの一つが海岸に移されお祀りされます。
平成二十九年十二月
     (詳しくは「腰越まちづくり市民懇談会」のホームページ)
         腰越まちづくり市民懇話会
         腰越地区町内組組織連絡会


腰越2丁目25-13

道祖神供養塔・庚申供養塔
 道祖神は道路の悪霊を防いで道行く人を守ってくれる神様です。
 石塔①は冠をつけ、迹(威厳を整えるために手に持つ板)を持つ神官姿の道祖神です。文政五年(一八二二年)、諏訪神社・神戸(ごうど)の氏子(氏神様を信じる人達)らより建立されたものです。
 石塔②は二体並んだ神官と考えられる姿の道祖神です。右側面に「神戸」とあります。毎年一月の左義長(どんと、サイト)の時に、この道祖神の石塔が海岸に移されお祀りされます。
 石塔③は神官姿と考えられる道祖神です。明治九年(一八七六年)に山崎氏が建立したものです。
 石塔④は二体並んだ神官と考えられる道祖神。大正十二年(一九二三年)に井上氏が建立したものです。
 石塔⑤は庚申供養塔です。本尊の青面金剛は病魔・病鬼を払い除いてくれる神様です。 邪鬼(邪悪な鬼)の上に青面金剛立像、上部に日月(太陽と月)、邪鬼の下に三猿を浮き彫りにしています。左側面に「右へかまくらみち」と刻まれています。(みちしるべ)
     (詳しくは「腰越まちづくり市民懇談会」のホームページ)
         腰越まちづくり市民懇話会
         腰越地区町内組組織連絡会


小動(こゆるぎ)道祖神(4基):腰越2丁目6-24

4基ありますが、両脇の双体神像は、平成になって設置されたものの様です。


 道祖神
道路の悪霊を防いで行人を守子護する神
  平成元年八月吉日
   龍護山満福寺
    第十九世住職岡沢嘉春建之


 石碑(道祖神?):七里ガ浜1丁目4


   鎌倉山
 大正十四年、余が二十九才の頃、大船と江の島間を結ぶ世界最初の貸取り自動車専用道を思い立った。明治三年の太政官令によるものでその中間の鎌倉山に日本で初めて丘陵式住宅地をドイツ人マイスナー君の示唆によって計画した。
 鎌倉山住宅地株式会社は昭和三年七月二十五日分譲を開始し、日本自動車道は八月二十四日開通した。深沢村の村長沼上権太郎君の配慮と人情大臣といわれた望月圭介、法曹界の泰斗松本烝治両先生の後援の賜物である。戦道峰の地名によって明らかな如く血なまぐさき古戦場であったが、鎌倉が壊滅して、いばらの地になってより六百年後。車上涼風を満喫したる若き男女の笑語を開く夢の世の中ではある。
  建国記念日の日二月十一日
 今回故あって堤義明氏の好意に甘え、鎌倉鶴ヶ岡八幡宮の華表の一に「鎌倉山」と望月圭介墨書「建国記念の日二月十一日」佐藤大寛墨書いずれも石に刻み千年も万年も子々孫々に伝え得ることは、こよなき喜びである。後世の語り草となす所以である。
  昭和四十四年二月十一日 建国記念の日
               菅原道濟 記

【参考】
 アレチモウズイカ Verbascum virgatum
 トキワヤマボウシ Cornus hongkongensis
 スイカズラ Lonicera japonica
 サラサウツギ Deutzia crenata f. plena
 アカメガシワ Mallotus japonicus
 湘南モノレール
 ギボウシ ‘ゴールデンティアラ’ Hosta ‘Golden Tiara’
 タツタナデシコ Dianthus plumarius
 チリアヤメ Herbertia lahue
 キンレンカ Tropaeolum majus
 夫婦池
 鎌倉山ロータリー
 (紅茶と焼菓子)ユスラウメ
 ノビル Allium macrostemon
 セイヨウシャクナゲ ‘マダムマッソン’ Rhododendron ‘Madame Masson’
 コボウズオトギリ(ヒペリカム) Hypericum androsaemum
 江の島
 ハマダイコン Raphanus sativus f. raphanistroides
 ニオイシュロラン Cordyline australis
 和賀江島
 白鬚社:小坪5丁目13
 逗子マリーナ
 道祖神:子之神社(小坪5丁目6)
 石塔群:小坪3丁目7-5

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