今日は大船地区からさらに南下して逗子まで歩いてみました。今泉では、今まで見たうちで最も色の濃いハルジオンをみかけました。土地の方によれば、このあたりでは色の濃い個体も珍しいものではないようです。
【主な経路】
(大船駅)-今泉-山ノ内-雪ノ下-小町-小坪-逗子-(逗子葉山駅)
ハルジオン Erigeron philadelphicus
ハルジオンというと、Rhodanthe*の「さつきいろハルジオン」を思い出すのですが、歌詞に出てくる『白い花』『5月』というキーワードから、ゴールデンウィークの頃にハルジオンに交代していくヒメジョオンと取り違えている可能性に思い当たりました。
さつきいろハルジオン/Rhodanthe*
作詞:RUCCA(溝口貴紀)
誰でも知ってるはずさ ちいさな白い花を
名も知られないまま まっすぐ咲く花
すれ違うだけの景色 どれだけあったんだろう
幼い頃きっと出逢ってたもの
ナミダ、流す
視界の空 彩らせて ぼくに 微笑む
青空まで届きそう 5月のハルジオン
泣いた分 また笑おう 進化してくよ
どんなディスタンスだって”いっせーのっ!” で 越えれる
GLORY!? グラマラスな夢を抱いて
雨の日も風の日もグチひとつ
上をただ向いて咲いているキミ
まるで あの空の向こうに誰かを
想うように白やピンク 今日も揺れてる
こころのなか
何度でも たちあがる キミが好きだよ
あまり派手じゃないけれど 世界で1人の
“キミ”と“ボク”でいよう
TO MY DEAR… いつだってここにいるよ
青空まで届きそう 5月のハルジオン
泣いた分また笑おう 進化してくよ
どんなディスタンスだって”いっせーのっ!” で 越えれる
GLORY!? グラマラスな夢を抱いて
離山地蔵尊:大船3丁目11-21
石造離山地蔵菩薩像
昔、この山の頂には古い塚が十三ヶ所ありました。一七〇〇年(元禄期)頃からか?山上に地蔵が建ちました。それからはこの山を地蔵山と呼ぶようになりました。本来六道の衆生を化導する他に地蔵は徐々に旅行安全、疫病防止、子育て、縁結びなど変容し、この地蔵は「目のお医者」という話が伝わっています。
昭和十三年(一九三八年)山上がくずされ地蔵は今より少し上に移りました。
昭和五十八年四月(一九八三年)現在地に鎮座しました。
に横たわっていた。鎌倉道に接して古くから史話伝説に富み、最南端
を地蔵山と呼び、山上の十三塚に石の地蔵尊が安置され富士山を仰い
でいた。太平洋戦争中に、ふもとの田を埋めるために地蔵山が崩され
地蔵尊は山裾におろされた。以来地元又供養をつづけて来たが、昭和
五十八年四月道路拡張で地蔵尊はこの場に移された。茲に有志がその
事由を刻み記念碑を建立した。 木村彦三郎 記
庚申塔群:天衛山多門院(鎌倉市大船2035)
地神塔(
鎌倉市今泉1丁目9番地
今泉1丁目9番地には神社が2于あります。子神社(今泉1-2)前の階段を上った社はGoogleMapでは稲荷社となっていますが、この石祠が道祖神である可能性があります。この社のすぐ下には半分以上埋まっている庚申塔があります。庚申塔と道祖神を兼ねた石碑もあるそうですが、この2基は道祖神ではなさそうです。
また、子神社前の交差点から北に入った奥にも稲荷社があり、その先の民家にも石碑がありました。こちらも住所は今泉1-9で、この石碑の存在を教えて戴きました周辺にお住まいの御婦人によれば『山の神』とのことで、道祖神は聞いたことがないそうです。上述のどちらかが、昭和後期の調査(大藤,1981)で記録された道祖神かも知れません。
稲荷社(子神社前の階段上、墓地の下)
庚申塔
稲荷社(北奥)
山の神
鎌倉市今泉3丁目1番地
(左)道祖神(石祠)
(中)馬頭観音(
(右)馬頭観音(
石塔群:今泉3丁目13
中央が堅牢地神:
石塔群:八雲神社(山ノ内585)
石塔が集められていて、左から三番目が地神塔(堅牢地祇)です。右隣の庚申塔は鎌倉市では最大かつ最古の塔として有形民俗文化資料に登録されています。ウェブでは庚申塔が11基となっていることが多い様ですが、庚申塔は現在10基です。
石塔群の一番左には「明嶽大光尊」と読める碑があるのですが由来等は分かりませんでした。『大光』という名の宗教関係者としては「晦厳大光」という禅僧がいる(佐藤,2015)のですが、碑文はどうみても『晦厳』とは読めません。近隣の円覚寺開山である無学祖元の諡号が『仏光国師』なので、なにか関係があるのかも知れません。
堅牢地祇(
庚申塔:市指定有形民俗文化資料 庚申塔(
山ノ内八雲神社
明嶽大光尊碑(?) 由来等不詳
稲荷社(八雲神社境内)
清瀧不動尊(八雲神社境内)
國常立尊御嶽大神/少名彦大神/大己貴大神碑(八雲神社境内)
安部清明神君碑(八雲神社境内)
【文献】
佐藤秀孝(2015)笑庵了吾と晦厳大光、駒澤大学佛教部研究紀要、73、29-95.
烏森稲荷神社:山ノ内1473
(左)庚申塔:
(右)庚申塔:
庚申塔:第六天社(山ノ内1523)
巨福呂坂洞門碑
この落石防護施設は、鎌倉七切通しの一つである国指定史跡「巨福呂坂」の近くにあることにちんなんで巨福呂坂洞門と名付けられました。
切通しを歩いている実感が損なわれないようアーチ状の梁、大きな六角形の天井開口部、石積み壁などの工夫をしました。 平成五年六月竣工 神奈川県
道祖神ほか、石塔群:巨大福路坂(雪ノ下2-6)
青梅聖天社(雪ノ下2丁目7-8)
大銀杏跡前の茅の輪:鶴岡八幡宮(雪ノ下2丁目1)
稲荷社:ハト小路(小町2丁目11-19)
道祖神:
道祖神(?):妙厳山本覚寺境内(小町1丁目12)
説明掲示等はないため、由緒不明。大藤(1981)に該当の記載はないようで、要文献調査の石塔です。
八雲神社(大町1丁目11-20)
庚申塔:市指定有形民俗文化財 庚申塔(
猿田彦大神碑
一夜菜稲荷社:大町1丁目11-3
古来稻荷明神は、永く時宗別願寺境内に鎮座ましまして今日に至れり。故に三號を稻荷山と呼ぶ。當寺と稻荷明神との由縁浅からざるもの有るを思はしむるなり。
口碑に曰く、往時當所一帯に惡疫流行し、停止する所を知らず。庶民
又何時の頃よりか子女の養育に當稻荷明神の加護功験大なりとて子育稻荷の尊稱を得、當地一帯の信仰を得られるに至りて今日に及ほせり。
鎌倉大町 時宗稻荷山別願寺
庚申塔など石塔群:大黒堂(大町1丁目4-17)
(中央)北斗尊星/猿田彦大神/天鈿女命碑
北斗尊星は妙見菩薩、猿田彦は天孫降臨の際に道案内をしたとされる国津神、
馬頭観音/戦死者供養塔(久木9丁目2-17)
庚申塔群(久木5丁目11)
石塔群:亀岡八幡宮(逗子市逗子5丁目2)
左から、堅牢地神塔、庚申塔、庚申塔、堅牢地神塔、五輪塔
堅牢地神塔
【参考】
ハルジオン Erigeron philadelphicus
クサイチゴハケフシ(?)
クロホシオオアマナ Ornithogalum arabicum
ウツギ Deutzia crenata
エゴノキ Styrax japonica
コバンソウ Briza maxima
クサノオウ Chelidonium majus
ヒメウツギ Deutzia gracilis
【文献】
池田健一(2021) 奈良県と東京都におけるクサイチゴハケフシの初記録, Ecological Notes Web, URL: https://ecological-information.com/archives/77, Accessed: 2023-05-12.
大藤時彦(1981)鎌倉市の道祖神、in 神奈川県の道祖神調査報告書(神奈川県教育庁文化財保護課編)、p.85-95