多摩川台公園水生植物園を尋ねて

 植物写真を整理するうちに水生植物が少ないことに気づきましたので、今日は多摩川台公園の水生植物園を尋ねました。花期は過ぎていましたが、ショウブを撮影する事が出来、帰りは六郷用水路を辿って、蒲田まで散策してみました。


【参考】
 ミンミンゼミ Hyalessa maculaticollis
 展(谷村敬八郎:2000.9)
 多摩川台公園水生植物園
 ショウブ Acorus calamus
 コバギボウシ Hosta sieboldii var. sieboldii f. spathulata
 ミソハギ Lythrum anceps
 クサレダマ Lysimachia vulgaris
 スイレン Nymphaea sp.
 ニホカハッカ Mentha canadensis
 ハンゲショウ Saururus chinensis
 ウシガエル Lithobates catesbeianus
 亀甲山(かめのこやま)古墳
 アオハダトンボ Calopteryx virgo japonica
 旧六郷用水流路
 コイ Cyprinus carpio
 旧六郷用水脇:東京の名湧水57選
 アカミミガメ Trachemys scripta
 クサガメ Mauremys reevesii
 ジャバラ:六郷用水流路
 庚申塔:明楽山森立寺密蔵院(大田区田園調布南24-18)
 アブラハヤ Phoximus lagowdkii Syn. Rhynchocypris lagowskii
 エンジュ Styphnolobium japonicum
 サルスベリ Lagerstroemia indica
 モヤイ像:HR蒲田駅前
 パブひまわり(蒲田5-19)
 アブラゼミ Graptopsaltria nigrofuscata
 カヤ Torreya nucifera
 ブラジルヤシ Butia capitata
 ニオイシュロラン Cordyline australis
 野島
 シーサイドライン
 トウジュロ Trachycarpus fortunei ‘Wagnerianus’
 キョウチクトウ Nerium oleander var. indicum
 クロダイ Acanthopagrus schlegelii


  調布浄水場跡 (多摩川台公園水生植物園)
 この区域は、その昔、多摩川の水をくみあげて、地域の飲み水を供給していた「調布浄水場」の跡地を利用して整備したものです。
 昔使用されていた浄水場の姿がよくわかるように、その形をできるだけ残すようにしました。沈でん池だった所には、池をつくり湿生植物を植え。ろ過池だった所には、四季の野草と地被植物を植えました。また地下の配水池だった所には、雨水を貯めて、池の補給水として利用しています。
  大田区地域基盤整備第三課


  六郷用水流路図
 六郷用水は、多摩川の水を和泉村(現在の狛江市和泉)で取り入れて、世田谷をへて大田区に流れております。この間の大蔵村で用水の水量を調整し、余分な水を野川を通して多摩川に落とすために、洗堰という施設が設けられていました。本流は光明寺下の矢口(やぐち)村の南北引分けで、南堀(蒲田・六郷・羽田方面)と、北堀(池上・大森方面)とに分かれ、六郷領のそれぞれの村に分水され、灌漑用水として利用されました。
 この流路図は、元治元年(1864)の用水絵図と、明治14年の地形図の流れを表したものです。六郷用水が現在どのあたりを流れていたかを知る参考として、現在の主な道路、鉄道、河川、橋を破線で示し、また現在の地名などをひらがなで書いています。
   全長30キロメートル 灌漑面積約1500ヘクタール


  ジャバラ
 この水車は、ジャバラ(足踏み水車、踏車ともいう)と呼ばれる揚水用水車の模型です。かつては、六郷用水流路の水田においても、早春や干ばつ時の水が少なくなった時に、羽根を足で踏んで回転させ、田に水を揚げていました。
(実際に使われていた水車とは若干異なります。)
 六郷用水とは、六郷領(現在の大田区の平地地域)の灌漑を目的として江戸時代初期に駿河代官小泉次大夫により開削された灌漑用水です。


大田区文化財
  庚申供養塔
 寛文元年(一一六一)に建立された本区最古の庚申供養塔。当時の沼部村村民の有志八名が造立したもの。舟形の石に地蔵菩薩を彫った形態は、初期の庚申供養塔の様式を示している。
 銘文中の「庚申待」の文字は、本区所在の庚申塔中最初の記載で、庚申待の習俗を知る資料としても貴重である。
 庚申待は、道教の思想に基づく民間信仰で、庚申の日に人びとが宿に集まって、徹夜で談笑し、除厄息災を祈念する風習である。
 昭和四十九年二月二日指定
        大田区教育委員会


  新島の「モヤイ像」の由来
 旅にはいつも”想い出”が残る。新しい風景や見知らぬ人に会いたくて旅に出る。しかしそこで待っているのは、”自分自身の内側”にほかならないことを発見する。新島のモヤイ像は心の片すみに放ってある”透明な旅の日々”と同じなのではないでしょう。
 身をひるがえして牙をむく自然を相手に私たちの祖先は、流人ともども漁に濃に力を合わせてその生を生きた。流人もその要請によくこたえたという。古くから新島では「共同して仕事に当る」ことを「モヤイ」と呼ぶ。
 私たちにしって「モヤイ」とはそういう歴史とロマンを秘めた言葉である。いま大田区蒲田駅東口商店街と新島本村の友好の絆を記念し、私たちの島が誇る「モヤイのこころ」を本当特産の「コーガ石」に刻む。
 モヤイ合う力がそれぞれの地の平和と繁栄の担い手になることを約して母であり師である東京都のこの都に贈る。
 ここに集う人々よ、ものいわぬモヤイ像は、あなた方に何を語りかけるりであろうか。
 願わくば私たちと共にその、遥かなる祖先の声をきかれむことを。
     昭和五十九年六月二十四日
          贈 東京都新島本村
            東京都新島観光協会
            企画 大後友市
            彫刻 植松 茂
 昭和四十年にならんとする今日、我が蒲田東口商店街も近隣の発展にともない大田区の顔としての再開発、再整備が叫ばれて居ります。
 この大目標達成に不可欠なものは地主、地権者をはじめ地元全住民の協力即ち「モヤイ合う力」である。
 ここに新島本村及新島観光協会の御好意と、大田区当局のご理解により新しい街造りに対する地元住民の心のシンボルとして統治にモヤイ像を設置した次第である。
          蒲田東口商店街商業協同組合
             理事長 秋元宏之

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