合羽橋道具街へ

 中学校は秋休みという事で、広島へ出かける双子を新横浜で見送った後は、合羽橋へ。帰りは、入谷の鬼子母神を経由して、アメ横にも寄りました。


かっぱ河太郎像の碑

 古来合羽橋は商売とは深い縁で結ばれていた。今から二百年前、商人として財を成した合羽屋喜八は、このあたりの水はけが悪く、僅かな雨で度重なる洪水に人々が難儀をしていることを見かね、私財を投げ出し、治水のための掘削工事を始めた。ところが工事は困難を極めなかなか捗らない。その様を見ていた隅田川の河童達が喜八の狭義に感じ、夜な夜な現れては人知れず工事を進め、さしもの難工事もついに完成した。
そして、その河童をみた人は、なぜかそれから運が開け、商売が繁盛したという。
この故事に鑑み、合羽橋道具街の誕生九十年を迎えるにあたり、ご来街のお客様ともども幾久しい商売繁盛を祈念し、台東区の協力を戴き、この地に「かっば太郎像」を建立する。
  平成十三年十月吉日
         東京合羽橋昇天学振興組合

正岡子規の歌碑(入谷鬼子母仏立山眞源寺)

 漱石来る
(あさがお)や 君いかめしき 文學士
入谷から 出る朝顔の 車哉
朝顔も 入谷へ三日 里帰り

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