鶴見区の名木古木を巡って- part1

 今日は鶴見区の名木古木を尋ねました。確認できたのは16本でした。
横浜市の名木古木  石塔  神社等  ひまわり


 スダジイ No.201868 (鶴見区市場上町3-15)
 イチョウ No.48026 日枝神社:鶴見区矢向4-16-8
 イチョウ No.48027 明王山不動院真福寺:鶴見区上末吉1-15-10
 スダジイ No.49018 駒岡八幡神社:鶴見区駒岡3-40-1
 イチョウ No.48028 宝元山無量院正行寺:鶴見区駒岡3-31-18
 イチョウ No.49015 駒岡神明社:鶴見区駒岡3-9-1
 イチョウ No.49013 照光山常倫寺:鶴見区駒岡3-5-1
 ツバキ No.49014 照光山常倫寺:鶴見区駒岡3-5-1
 イチョウ No.50001 駒岡不動堂:鶴見区駒岡3-4-37
 ケヤキ No.201030 (北寺尾)熊野神社
 イチョウ No.201031 (北寺尾)熊野神社
 ケヤキ No.201032 (北寺尾)熊野神社
 イチョウ No.201033 (北寺尾)熊野神社
 スダジイ No.201034 (北寺尾)熊野神社
 イチョウ No.201123 (北寺尾)熊野神社
 ツバキ No.201124 (北寺尾)熊野神社



 東海道分間延絵図(東京国立博物館所蔵)
 地蔵尊(無縁塚)
 無縁塚慰霊塔


  八丁畷の由来と無縁塚
 東海道は、川崎宿の京都側の出入り口(京口土居・現在の小川町付近)から八丁(約870メートル)にわたり、畷といって街道が田畑の中をまっすぐに伸びており、市場町(現在の横浜市)との境界に至ります。この付近を八丁畷と呼ぶようになりました。
 このあたりでは、江戸時代から多くの人骨が発見され、戦後になっても道路工事などでたびたび掘り出され、その数は十数体にも及びました。これらの人骨は、鑑定により江戸時代ごめの特徴を備えていることがわかりました。
 江戸時代の記録によると、川崎宿は震災や大火・洪水・飢饉・疫病などの災害にたびたび襲われ、多くの人々が命を落としています。おそらく、災害で亡くなった身元不明の人々を、川崎宿のはずれの松や欅の並木の下にまとめて埋葬したのではないでしょうか。
 不幸にして亡くなった人々の霊を供養するため、地元の方々と川崎市は昭和九年、ここに慰霊塔を建てました。この場所は無縁塚と呼ばれ、地元の方々により供養が続けられています。
   平成二十八年三月
            川崎市教育委員会



 横浜熊野神社:鶴見区市場東中町9-21


  熊野神社略記
弘仁年中紀州熊野宮御神霊を勧請す
旧市場村の熊野耕地通称八本松の所に鎮座、其後天保年中道上耕地に遷座(現在元宮)す。明治五年東海道線敷設の為現在地に遷座。
  御祭神略記
国常立尊くにのとこたちのみこと
 天神七代の中第一代に座して天地別れし時成りませる神にて国の底都知そこつちとして大地を司り給ふ神也。
伊邪奈岐命いざなぎのみこと伊邪奈美命いざなみのみこと
 天神七代の中の神にして二柱の神は天津神の神勅に依り国土を修理固成し給いて夫婦和合商工繁盛家内安全の基を立て給い人々を守り給ふ神也。
境内神社 八幡神社 稲荷神社 神明社
     五社大神 大鳥神社
大祭日 毎年八月第一土旺、日旺
神事と行事 市場神代神楽 市場囃子
     熊野神社氏子会


(矢向)日枝神社:鶴見区矢向4丁目16-8


 (矢向)日枝神社
 十二天大神/天照皇大神
 稲荷社
 稲荷社
 大黒天
 不動堂
 浅間大神碑
 やるき稲荷社


 記主山然阿院良忠寺
 山本煉瓦工場供養碑(記主山然阿院良忠寺)


  記主山然阿院良忠寺由緒沿革
鎌倉時代仁治元年(一二四〇)浄土宗第三代然阿良忠が霊夢により古川(現鶴見川)の岸より薬師如来の尊像を得て、これを安置するために起立したのが良忠寺の草創である。
良忠上人は鎌倉大本山光明寺を開き、多数の書物を著わし、為に正応六年(一二九三)良忠上人七回忌にあたり伏見天皇より記主禅師の号を賜り、以来寺の山号を記主山と称す。
正徳二年(一七一二)五月、祐天上人により京都総本山知恩院の直末寺院に配せられ。良忠寺四十一世讃誉徹玄上人代に、祐天上人の助縁により本堂等を改築、明和六年四月(一七六九)には梵鐘、山門等が再建された。
第二次大戦において、明和六年鋳造の梵鐘は他の仏具共々供出されるが昭和二十五年十一月に。時の内閣総理大臣吉田茂氏揮毫による梵鐘如雷震八音暢妙響の八文字を梵鐘に鋳込み再建された。
現住六十世代において、墓地整理改修・本堂改築。記主会館建築等の事業を行う。


  山本煉瓦工場供養碑
明治から昭和十五年頃まで、矢向一丁目の鶴見川沿い、今の矢向中学校南側に煉瓦(レンガ)工場が有りました。川沿いの土を掘って大量の赤煉瓦が焼かれ帆掛け船を利用して東京(品川)横浜方面(高島、元町)へ積み出されました。工場では男性と共に女性や未成年の子供達も働きました。横浜や東京の赤煉瓦で造られた建物も、ここ矢向の地で焼かれた煉瓦が多く使われ、その陰にはこうした多くの人々の努力が有ったのです。大正九年に建立されたこの慰霊碑には明治四十年から大正九年の間に亡くなった男性十一名、女性三名、男児四名、女児八名、胎児一名の戒名が刻まれています。今回、慰霊碑の移築に伴い、当時焼かれた煉瓦を一部用いて再建し、亡くなられた人々の慰霊と致します。
  平成十五年七月吉日
 見えた見えたよ 生麦沖な丸に七の字 帆が見えた
   あれが山本煉瓦船
 丸に七の字 帆掛け船 船頭 石井七五郎
 丸に七の字 帆掛け船 天にとどけと 碑を建てる
   昭和七年頃 親子三人 煉瓦船で暮らしました
            移築再建 願主 石井元吉


 照光山常倫寺:鶴見区駒岡3-5-1


常倫寺の歴跡と伝説(駒岡町294)
 久志本氏歴代の墓碑 久志本氏は、今の三重県度合郡久志本の出身で、元は神主でのちに徳川家康の侍医として召し抱えられました。
 宝永三年(1706)久志本常勝は、五代将軍綱吉の病気を治療し、武蔵国橘樹郡、都築郡のうち八百石の采地(領地)を賜り、総知行高二千石となりました。
 久志本氏歴代の墓所は、本堂左手の急な照光坂を昇った所にあります。
 墓域に立って、大きな常倫<つねもと(常勝の父)の墓を中央一列に立ち並ぶ墓碑を見ますと、江戸時代中期からこの地を治めてきた殿様のお墓ということが感じられます。
 梵鐘 本堂の回廊に吊り下げられている梵鐘は、元禄6年(1693)2月、時の地頭小田切土佐守直利が、父美作守須猶<もちなおの追善供養のために寄進したものです。
 乳母銀杏 境内の乳母銀杏には次のような伝説があります。
 江戸時代に久志本左京亮常倫<つねもとの妻が身ごもって。一子常勝を産みましたが、お乳が一滴も出ませんでした。
 思い余った夫婦は、この寺に詣で、乳の出るように一心に祈願しました。すると、銀杏の木の乳房のように垂れ下がった先端から、真っ白な乳がしたたり落ち、この乳を飲んで常勝はたくましく成長しました。
 それ以来、この銀杏は乳母銀杏と呼ばれ、乳の出ない母親は、この銀杏に祈るようになったということです。なお、現在この銀杏は横浜市の名木古木に指定されています。
  昭和63年3月  鶴見区役所



【参考】
 ヤブツバキ Camellia japonica
 キルタンサス・マッケニー Cyrtanthus mackenii (ハイツ東鶴見)
 地蔵尊:鶴見区矢向1丁目1
 ボケ Chaenomeles speciosa
 獅子咲ツバキ Camellia japonica
 庚申堂:鶴見区上末吉1丁目18-27
 トキワガマズミ Viburnum tinus
 駒岡八幡神社:鶴見区駒岡3丁目40-1
 稲荷社:鶴見区駒岡3丁目34
 地蔵尊:鶴見区駒岡3丁目31-18
 駒岡神明社:鶴見区駒岡3-9-1
 道陸神(駒岡神明社境内):鶴見区駒岡3-9-1
 照光山常倫寺:鶴見区駒岡3-5-1
 稲荷社:鶴見区駒岡3-4
 駒岡不動堂:鶴見区駒岡3-4-37
 神使像(駒岡不動堂境内)
 ぱぶすなっく ひまわり:鶴見区駒岡1-12-22
 白梅 Armenica mume
 寒桜(かんざくら)Cerasus x kanzakura ‘Praecox’
 庚申塔:熊野神社 (鶴見区北寺尾2-3-30)

杉田から富岡へ

 運動不足解消のため少しだけ歩いてみました。
【主な経路】杉田~中原~栗木~坪呑~釜利谷~富岡


横浜市指定名木・古木 Machilus thunbergii:(中原)熊野神社
 No.201806、No.201803



1金沢道と向坂庚申塔 【磯子の史話より転記】
 栗木の根岸線下の新道四つ角の杉田よりに、旧道の四つ角があります。旧金沢街道は、この付近が住宅造成され、根岸線ができて様替りしましたが、四つ角のすぐ南側、高梨家右側に南東にはいる道があります。約五〇mで左折し、次に右カーブして人家の間をぬって行くと、浜中グランドの南辺の道に出ます。小坂を登ると草地の中でT字路に突当り右折すると山路にかかります。切通しにかかるといかにも古道らしい風情です。下りかかった時に左手を見ると、左の支尾根にはいる山道がみえます。杉田台のうら山尾根を伝って坪呑に下り杉田へ行く古道で、鎌倉五山の僧たちが東漸寺へ往来した道です。
 切通しの金沢道を下ると、そまはずれの右側に庚申塔と道標など三基の石塔があります。
 ひとつは、浮彫の青面金剛像で、日・月・六臂の青面金剛・鬼・とり・三猿などがそろっています。享保元年(一七一六)一一月四日下に寄進者八名の名があります。碑の両面に道案内として、左側にこれより左新町道、右側にこれより右杉田道とあります。
 二つめは、青面金剛と文字で書かれ、寛政一三辛酉天二月彼岸、中里念仏講中と刻まれています。もう一つは道標で、正面に、左新まち道、右に杉田道とあり、これも中里念仏講中とあります。後者の二碑は、石といい古さといい全く同じものです。同時に造立されたものでしょう。
 左の新町道は、今は廃道になっていて、やぶにおおわれています。はいってみると古道の面影があり、崩れた所の先に切通しがあります。山腹をぬって新川まで五〇〇mぐらいです。
 金沢道は山腹をぬって南に続いています。樹林の中を歩く風情はいいものです。下の低地に新道が出来るまでは、この道が中里・氷取沢への大切な街道で国道四五号線でした。大正初年に国道一六号線ができてから、この道は村道に転落し、下に市道ができてからは人通りも少なくなって、今では歴史の道、よい散策の道となっています。
 古道の面影をなつかしみながら行くと、やがて人家が現われて、ここは字向坂となります。左へ杉田の小名台への道をわけています。
【参考文献】
磯子区制50周年記念事業委員会「磯子の史話」出版部会 編(1978)磯子の史話、762p .


【参考】
杉田教会
向坂庚申塔・道標(磯子区上中里)
一杯水(いっぺい水):磯子区杉田9丁目1
ヒメオドリコソウ Lamium purpureum
岩船地蔵尊:磯子区上中里町
京急富岡駅下人道トンネル
曲っ坂
円海山(京急富岡駅ホームより)
白梅 Armenica mume
スイカズラ Lonicera japonica

鷹取山、朝比奈、釜利谷を経由して杉田へ

 緊急事態宣言を受けてテレワーク率が増えた結果、慢性的な運動不足です。今日は買い置きが切れてしまった乾燥豆腐を買い足しに杉田まで、人混みを避けた経路で歩いてみました。帰りは京急本線利用です。
【主な経路】
(自宅)~浜見台~鷹取山~六浦~朝比奈~常林寺跡~朝比奈北市民の森~釜利谷~能見台~氷取沢~上中里~中原~(杉田駅)


 (中原)熊野神社
 カヤ Cephalotaxus hamingtonia:横浜市指定名木古木 No.201801
 イチョウ Ginkgo biloba:横浜市指定名木古木 No.201802
 イチョウ Ginkgo biloba:横浜市指定名木古木 No.201805
   熊野神社縁起
 当社の由来は建久二年(西暦一一九二年)征夷大将軍になった源頼朝が、鎌倉の山崎にあった泉蔵院の僧 真諦知覚法印に治国安民の祈祷を命じたことに遡る。頼朝の命を受けた知覚法印は、我が国第一の霊場とされて居た紀州熊野に参詣して幣帛を捧げ、三所権現の御分霊を樟の船に乗せ、祈りを込めて海に流した。樟舟は御神意のままに中原の海岸に流れ着き、この事が将軍に伝わり、頼朝は御神慮の有難さを感じて、近くの地に神殿を建てるよう知覚法印に命じた。
 知覚法印は、東に海を望む景勝の当地を選び山上に熊野三所権現社を祀り、山裾に紀州山桐谷寺を建立すべく同年五月六日に着工し、十一月十五日に完成させた。
 後に桐谷寺は山号を大霊山泉蔵院と改め、、熊野三所権現社の別当として当社に奉仕し、国家安泰・万民和楽の祈願を続けて来た。その間文禄三年九月(一五九四年)社殿再建、正徳五年(一七一五年)、社殿は改築され規模は九尺に二間であった。その後安政四年(一八五七年)にも再度改築が施された。
 明治初年の神仏分離令により社名を熊野神社と改め、法印は神職となり約七百ねん続いた泉蔵院は廃寺となった。明治四十二年神社統合令により村内の中原明神・諏訪神社の二社が合祀された。大正四年社殿の改築が行われ本殿は二間に一間半の神明造り、幣殿は二間に一間半、拝殿は二間半に二間半向拝付き銅葺きの建物となった。
 昭和六十一年三十五代宮司杉原章夫の折、氏子・崇敬者より社殿新築の議が起こり、氏子総代寺田勝彦氏が建築委員長となり、大同建設株式会社岡田文雄氏・大工棟梁両角賢治氏にて施行され、昭和六十二年(一九八七年)十二月に現社殿が完成した。本殿は二間に一間二五の神明造り、幣殿は二間に一間七五、拝殿は三間半に二間唐破風付き銅葺きである。
 平成四年(一九九二年)には創建八百年の奉祝祭が執り行われた。
          三十六代宮司 杉原博昭
【御祭神】家津美御子大神・伊邪那美大神・事解之男神・伊邪那岐大神
     速玉之大神・天照皇大神・建御名方神・日本武尊命
【境内社】金比羅社・摩利支天社・稲荷社
【祭事】一月一日元旦祭 二月十一日祈年祭 三月初旬泉蔵社祭
    五月下旬摩利支天祭 八月中旬大祭 十一月二十三日新嘗祭


    泉蔵社縁起
 建久二年(西暦一九九二年)征夷大将軍となった源頼朝は、鎌倉の山崎にあった泉蔵院の僧 真諦知覚法印に治国安民の祈祷をさせ、紀州熊野三所権現の御分霊が流れ着いた中原のこの山上に熊野権現社を祀り、山裾に寺を開創するように命じた。
 知覚法印は同年五月六日に着工し、十一月十五日に完成させた。権現社落慶の日、頼朝は梶原を奉幣使として当社に派遣し、山裾の寺に「紀州山桐谷寺」の次号を与え、知覚法印を別当に命じた。
 ニ世栄源法院の折、梵鐘を造立、三世浄奉法印の頃(推定)鎌倉の兵火を避けて山崎泉蔵院を引き払い当地に移り山号を「大霊山泉蔵院」に改めた。五世祐賢法印が正応二年(一二八九年)に社記を書き、二十六世善祐法印がこの社記を書写した。二十八世祐仙法印の折、二間に二間半の観音堂が創建されたが、当時本堂の規模は五間半に五間であった。
 泉蔵院は約七百年らわたり熊野三所権現社の別当として国家安泰・万民和楽の祈願を続けて来たが、明治初年の神仏分離令により、熊野三社権現社は社名を熊野神社と改め、泉蔵院は廃寺となった。
 昭和六十三年(一九八八年)熊野神社御社殿新築落成の嘉き年に当たり、かつて熊野三所権現社に祀られていた大神宮・貴布祢・八幡・牛頭天王・船玉の諸神と泉蔵院に祀られていた不動様・衿迦羅童子・制多迦童子・観音様・お釈迦様・地蔵様・大黒天様・神変菩薩・四天王の諸神をお祀りし社名を「泉蔵社」とした。毎年三月初旬に泉蔵社祭を斎行している。
          三六代宮司 杉原博昭



【参考】
 マルバウツギ Deutzia scabra
 カワラタケ Trametes versicolor
 コウヤボウキ Pertya scandens
 スイカズラ Lonicera japonica
 ヤブヅバキ Camellia japonica
 沼間のスダジイ Castanopsis sieboldii
 シロヨメナ Aster ageratoides
 マンリョウ Ardisia crenata
 アオキ Aucuba japonica
 ヤブコウジ Ardisia japonica
 ヤマコウバシ Lindera glauca
 カラマツソウ Thalictrum aquilegiifolium
 ヘクソカズラ Paederia scandens
 親不知
 子不知
 アセビ Pieris japonica
 釈迦如来像
 アブラゼミ Graptopsaltria nigrofuscata
 ルリシジミ Celastrina argiolus ladonidea
 ヒメユズリハ Daphniphyllum teijsmannii
 コカマキリ Statilia maculataの卵巣
 ナワシログミ Elaeagnus pungens
 ツルグミ Elaeagnus glabra
 紫月(ルビーネックレス) Senecio Othonna capensis Syn. Crassothonna capensis
 ジンチョウゲ Daphne odora
 ヒメツルソバ Persicaria capitata
 イヌガヤ Cephalotaxus harringtonia:横浜市指定名木古木 No.48140
 二ホンスイセン Narcissus tazetta var. chinensis
 オニシバリ Daphne pseudomezereum
 ゴモジュ Viburnum suspensum
 カワニナ Semisulcospira libertina
 シマアメンボ Metrocoris histrio (無翅型)
 コサギ Egretta garzetta
 カントウタンポポ Taraxacum platycarpum
 サネカズラ Kadsura japonica の花托
 岩船地蔵尊
 ヤドリギ Viscum album
 水神

神奈川区西部の名木古木、など

 今日は昨年から引き続きで神奈川区の名木古木を巡ってみました。
名木古木マップ  神奈川区東南部の名木古木  石塔  神社
【主な経路】
 (横浜駅)-三ツ沢-羽沢-菅田-鳥山-(新横浜)


イチョウ No.48047:法照山豊顕寺(神奈川区三ツ沢西町16-1)
イチョウ No.48046:神奈川区羽沢町907
イチョウ No.48045:照光山平本院青蓮寺(神奈川区羽沢町762)


豊顕寺ぶげんじ市民の森
 三ッ沢公園に続く市民の森です。花と木が多いお寺の石段は、静かな古都の風情を漂わせ、桜の名所としても有名です。樹齢600年を超える、市指定名木・古木のイチョウの木があります。


  豊顕寺ぶげんじ
 当寺は、法照山と号す法華宗陣門龍総本山本成寺末の寺院です。
 三河国多米ため村(現愛知県豊橋市多米町)の郷士多米元興は、先祖菩提のたるに永正えいしょう12年(1515)多米村に本顕寺を建立しました。元興の父元益は、伊勢七騎の一人でした。(伊勢はのちに北条氏と称す)元興は天文てんぶん年間(1532~1555)北条氏が関八州を領有した頃、青木の地に城砦を構えていましたが、のちに連信斉と名乗り三ッ沢のこの地に隠棲して本顕寺を移し、豊顕寺と改称しましたル元興の没後、その子長宗は青木城を領し、元興の隠棲の地を当寺に寄進し、堂宇を造営したので地方には稀な巨刹となりました。
 享保きょほう5年’1720)本宗の檀林として学舎5棟、学寮25棟を建設し開講式を挙行しました。学徒は300人を下らぬ盛況を極めたといいます。その後も再建・増築をし宏大な規模になりましたが、明治期になり火災による焼失、大正期の地震による倒壊によって檀林は廃絶いたしました。
 境内には、鷲津(静岡県)の本興寺から根分けした藤を記念しての碑が藤棚の下にあり、また、江戸から保土ケ谷宿に来宿し、宿内の人々に歌学を教授した山平伴鹿の歌碑があります。多米家歴代の墓は、境内左側にあります。
     横浜市教育委員会文化財課
     財団法人横浜国際観光協会
            平成5年3月



タブノキ No.51001:(羽沢)神明社
タブノキ No.51002:(羽沢)神明社
イチョウ No.48032(左), 48033(右):正寿山長導寺
ヤマモミジ(確認できず):八幡宮



アカガシ No.48034:(菅田)神明社
シラカシ No.53005:(菅田)神明社
モチノキ No.53006:(菅田)神明社
ヒイラギ(確認できず):(菅田)神明社
イトヒバ No.49045:熊野山最勝寺
タブノキ No.48035:熊野山最勝寺
最勝寺さいしょうじ
 静かなたたずまいのお寺には、市指定名木・古木のタブノキ・イトヒバがあります。お寺の横には、区内にある三つの富士塚の中で最も大きい、熊野堂の富士塚があり、頂上から周辺の景色を眺めることができます。



イチョウ No.48153:鳥山八幡宮
シラカシ No.48154:鳥山八幡宮
シラカシ No.49357(左)、49358(右):鳥山八幡宮
サワラ No.49359:鳥山八幡宮
イチョウ No.49363:瑞雲山三念寺
サルスベリ No.201418:瑞雲山三念寺
ケヤキ No.49366:瑞雲山三念寺



   よこはま道
安政5年(1858)6月の日米通商条約調印によって開国にふみきった幕府は、神奈川(横浜)の開港を翌年6月と定めた。
 しかし、ミナト横浜の町づくりは開港3ヶ月前の3月になって、やっと工事が始まった。当時は、東海道筋から、横浜への交通はまことに不便を極めたことから、幕府は、東海道筋の芝生しぼう村(現:浅間町のこの地点)から横浜(関内)に至る「よこはま道」と呼ばれる道路を開いた。
 これは、芝生しぼうから湿地帯であった岡野・平沼の各新田を経て戸部村まで1直線に通ずる道路を築くと共に新田間あらたま、平沼・石崎の三つの橋を架け、併せて戸部坂・野毛の切通を開き、野毛橋(現:都橋)、大田橋(吉田橋)を架けたものである。
 記録によると、当時の橋の幅は3間(約6m弱)で道路もおそらくこれと同程度であったものと考えられる。
 なにしろ、工期3ヶ月の突貫工事であったことと、橋材が過ぎと松を使用した仮普請であったことから「3年ももつまい…」と噂されたが、それでも戸部村までの経費で、4470両かかった。


土地改良記念碑(神奈川区菅田町2408)
  事業の状況
 設置認可 昭和四十二年十一月一日
 解散認可 昭和五十三年三月九日
 改良面積 五ヘクタール
 橋梁   新菅田橋外六基
 道路工  一二二六米
 水路工  一二七〇米
 総工費  二八二〇万圓



【参考】
 イチョウ Ginkgo biloba
 タブノキ Machilus thunbergii
 アカガシ Quercus acuta
 シラカシ Quercus myrsinifolia
 モチノキ Ilex integra
 ヒイラギ Osmanthus heterophyllus
 イトヒバ Chamaecyparis obtusa ‘Pendula’
 サワラ Chamaecyparis pisifera
 サルスベリ Lagerstroemia indica
 ケヤキ Zelkova serrata
 アツバキミガヨラン Yucca gloriosa
 マサキ Euonymus japonicus
 マンリョウ Ardisia crenata
 ハクサイ Brassica rapa subsp. pekinensis
 キャベツ Brassica oleracea var. capitata
 キカラスウリ Trichosanthes kirilowii var. japonica
 ブロッコリー Brassica oleracea var. italica
 枝垂桜(しだれざくら)Cerasus spachiana (菅田史跡富士浅間)
 キンカン Fortunella spp.
 ダイオウショウ Pinus palustris
 オナガ Cyanopica cyanus
 ソヨゴ Ilex pedunculosa


【参考】
 横浜道分岐点
 日本ホーリネス教団横浜教会
 横浜市戦没者慰霊碑(三ッ沢公園)
 石塔群(庚申、地蔵):神奈川区羽沢町907
 双体道祖神:神奈川区羽沢町907
 不明の社:神奈川区羽沢町776
 堅牢地神塔:
 史蹟硯松:神奈川区羽沢町993
 羽沢富士塚:神奈川区羽沢町917
 馬頭観音(羽沢富士塚)
 庚申祠:神奈川区菅田町2000
 道祖神:神奈川区菅田町2000
 稲荷社:神奈川区菅田町1944
 稲荷社:神奈川区菅田町2311
 土地改良記念碑(神奈川区菅田町2408)
 新菅田橋跡:神奈川区菅田町2250
 八幡橋跡:神奈川区菅田町2249
 八幡宮:神奈川区菅田町2535
 道祖神:港北区鳥山町371
 庚申塔群:港北区鳥山町281
 双体道祖神:港北区篠原町1262
 TPHO
 鷹取山夕照

令和三年、賀新春!

 新年あけましておめでとうございます。本年もよろしくお願い申し上げます。
 早々のお年賀を頂戴しました皆さま、ありがとうございます。新年のご挨拶は、当サイトに代えさせて戴いておりますこと、ご容赦ください。


過去の年賀状ギャラリー

歳の瀬の鷹取山

 昨日の金沢八景権現山に続いて、今日は鷹取山を歩いてみました。ヤブツバキの花の時期には少し早いので少々淋しい季節なのですが、木本植物の葉など今の季節でないと気づくことの出来なかった彩に気づきます。遠目に白い花のように見えたのは、シロヨメナの総苞片でした。


C-252 シロダモハコブフシ【湯川(1996)を転記】
 シロダモタマバエ Pseudosphondylia neolitseae Yukawa(1974) によって葉に形成される虫えいである。展開直後の葉表には直径2~3mmの赤い斑点が現れ、その後急速に生長し、初夏には成熟する。虫えいの葉表部には黒褐色で先端の丸くなった円錐形、葉裏部は茶褐色で半球形を呈する。九州南部では、高さは2.8~5.0mm、直径は2.1~3.5mmで、葉表部の突出の方が葉裏部のそれよりも大きい。暖かい地方ではこの傾向がさらに強くなるが、九州北部などでは、逆に、葉裏の半球形の部分が大きくなり、葉表の円錐形の部分が小さくなる。内部はほぼ球形の幼虫室があり、淡黄褐色の幼虫が1匹入っている。成虫は虫えいの葉裏部から羽化する。多いときには、葉当たりの虫えい数が100個にも達することがあり、葉が折れ曲がったり、捻じれたりする。
 生態 基本的には年1世代であるが、まれに2年1世代のものもある(図II-17)。成虫は4月上~中旬に羽化し、20~40mmに伸びた新芽の中に産卵する。羽化した幼虫は新葉に潜入し、その部分が赤斑点になり、初夏には顕著な虫えいとなる。1齢で越夏し、秋には2齢から3齢に進み、翌春、虫えい内で蛹化する。2年1世代のものは2年目の秋まで1齢のままで、その後、年1世代のものと同じような経過をたどる。これまで内部寄生蜂としてコガネコバチ科のGastrancistrus sp.、外部寄生蜂としてシロダモタマバエコマユバチ Bracon tamabae Maetô(1991) (=Ibobracon scurra Fischer)が知られている(436ページ参照)。
 分布 本州、佐渡、伊豆諸島、四国、九州、種子島、屋久島、南西諸島。
(参考文献) 井手(1928)、Maetô(1991)、Sunose(1982)、巣瀬(1986d)、鈴木(1980)、Takasu & Yukawa(1984)、薄葉(1977)、山内ら(1982)、矢野(1964)、Yukawa(1974, 1976b, 1983a)、湯川(1979a, 1984a, 1988d)、Yukawa et al.(1976)、湯川・松岡(1992)、湯川・巣瀬(1988)。
虫癭ちゅうえい = 虫こぶ。

【参考】
 イソギク Chrysanthemum pacificum
 シロヨメナ Aster ageratoides
 ツルマサキ Euonymus fortunei
 コゴメウツギ Stephanandra incisa
 ナンテン Nandina domestica
 カニクサ Lygodium japonicum
 イタビカズラ Ficus nipponica
 オオバウマノスズグサ Aristolochia kaempferi var. kaempferi
 エビヅル Vitis ficifolia
 マルバウツギ Deutzia scabra
 シロダモ Neolitsea sericea
 マンリョウ Ardisia crenata
 オニシバリ Daphne pseudomezereum
 前浅間
 コウヤボウキ Pertya scandens
 キヅタ Hedera rhombea
 マユミ Euonymus hamiltonianus
 ハゼノキ Rhus succedanea
 ウグイスカグラ Lonicera gracilipes
 トネアザミ Cirsium comosum ver. incomptum
 ヤマブキ Kerria japonica
 ヤマコウバシ Lindera glauca
 親不知
 子不知
 ビワ Eriobotrya japonica
 ヤブツバキ Camellia japonica
 アセビ Pieris japonica
 壁画群
 リュウノヒゲ Ophiopogon japonicus
 ハリギリ Kalopanax septemlobus
 シロダモハコブフシ
 ヤツデ Fatsia japonica
 コセンダングサ Bidens pilosa var. pilosa
 サルトリイバラ Smilax china
 アオキ Aucuba japonica
 アケビ Akebia quinata
 釈迦如来像
 ミツバアケビ Akebia trifoliata
 ナワシログミ Elaeagnus pungens
 サザンカ Camellia sasanqua
 セイヨウヒイラギ Ilex aquifolium
 ギョリュウバイ Leptospermum scoparium
 夕照橋よりみた富嶽


参考文献
渡邉-東間加奈・大井-東間哲雄(2016)日本産オオバウマノスズクサ群の分類学史およびオオバウマノスズクサとアリマウマノスズクサの混同について、Bunrui, 16(2):131-151、URL: https://www.jstage.jst.go.jp/article/bunrui/16/2/16_01602-06/_pdf/-char/ja、accesed: 2020-12-29.
湯川淳一(1996)日本原色虫えい図鑑、p.201.

歳の瀬の金沢八景権現山

 計画から5年以上経ってしまった金沢八景西公園(仮称)は八景権現山公園に名称が決まって、円通寺客殿再建築工事を伴う整備事業が行われています。実際に工事をしている所はあまり見かけませんが、完成予定は2020年3月31日とのことです。
 権現山の金沢八景側の上り口は石敢當が守っていたのですが、今日はみつけることが出来ませんでした。ヤブツバキはまだ咲始めといったところです。


 八景権現山公園
 イヌマキ Podocarpus macrophyllus
 ハリギリ Kalopanax septemlobus
 ヤマモミジ Acer amoenum var. matsumurae
 スエヒロタケ Schizophyllum commune
 シロヨメナ Aster ageratoides
 ノダフジ Wisteria floribunda
 イタビカズラ Ficus nipponica
 イヌガヤ Cephalotaxus hamingtonia
 ツルマサキEuonymus fortunei var. fortunei
 紅葉
 サルトリイバラ Smilax china
 ヤブツバキ Camellia japonica
 シーパラダイス、富津方面
 笠森稲荷神社
 ヤツデ Fatsia japonica
 不動祠(上行寺)
 イヌガヤ Cephalotaxus hamingtonia (横浜市名木古木 No.49292):上行寺
 11月で廃業したそよ風食堂

大宮を訪ねて-2020年12月

 今日は、大宮の母を訪ねました。いつもにも増して元気そうで、孫たちの作った昼食も喜んでくれました。


【参考】
 本日のメニュー
  オムライス、ジャーマンポテト、サーモン生春巻き付きサラダ、デザート(ガナッシュケーキ、アップルトルテ、焼きプリン)
 武蔵一之宮氷川神社で時差初詣
 帰りに寄ったアニメイト池袋本店【ベツレヘムの星の代わりにごちうさのティッピー
 池袋のクリスマスイルミネーション