雪の残る追浜 part1 植物

 都心では45年ぶりとまで報道された大雪が残る追浜の街を巡ってみました。今年は昨年に比べて開花の早かった観音寺のスイセンは雪ですっかの倒れていましたが、冬の花々はそれぞれに咲いていました。能永寺の枝垂れ梅は今が盛りです。

雪景色

低気圧が通過中の関東平野は風雪・大雪注意報発令となっています。追浜も一年ぶりの雪景色です。

春の気配

 立春まであと3日となった今日、パソコンのリブートが必要だったので、休日出勤。ついでにあたりの写真を撮ってみました。金沢漁港からみた野島のノリ養殖場はどことなく春の気配が……。いつも施設見学の際に研究棟の屋上にあると説明しながら実物の写真がなかった衛星追尾型アンテナを撮影。さらに横浜・八景島シーパラダイスにカメラを向けるとジェットコースターの整備中でした。海の公園では梅が咲きだしていましたが、一方では枯れ残ったアカザもみかけました。

柳町の母子像

 同じ職場のKさんから、『金澤八景の近くの住宅地のど真ん中に謎の母子像があるらしい』と伺いました。どうやらそれほど歴史のあるものではなさそうなので、最近埋め立てられた柳町だろうと予測をして、訪ねてみました。
 柳町は、昭和41年(1966年)に完了した平潟湾埋立事業によって誕生した新しい街で、六浦川、侍従川、平潟湾に囲まれた地区ですが、件の母子像は整然とした区画のほぼ中央にすぐ見つかりました。


 母子像の由来は下記のウェブサイトに詳しく記載されており、作者の清水多嘉示は、三笠公園東郷平八郎像八聖殿のキリスト像などの作成者でもあり、母子像は4体存在するそうです。

【参考】
 柳町の母子像物語①
 柳町の母子像物語②

【碑文より】
母子像
 この像は、昭和41年(1966年)史跡豊かな景勝の地、金澤八景に誕生した柳町のシンボルとして建てられました。
 作者は、絵画・彫刻に多くの優れた作品を残した日本芸術院会員・文化功労者の清水多嘉示先生(1987年~1981年)です。近代彫刻の巨匠フランスのブールデルに師事した先生は、師の卓越した技を受け継ぎ、その作風は格調高く温かさと慈愛に満ちています。
 この母子像も、平和を願う住民の気持ちを見事に表現しており、末永く柳町の発展を見守り続けることでしょう。
 平成20年(2008年)全面的に修復が行われ、正式に宅地造成業者から横浜市に寄贈されました。
  平成22年1月  柳町町内会

魚介慰霊碑

 金沢区小柴といえば、『蒼穹の下魚鱗耀きし地』の碑が良く知られていますが、熊野神社脇の水神宮には、『魚介慰霊碑』があります。


由来
 此処柴町は、昔から漁業で生きて来た町です。金沢地先の海が埋め立てられてからは、ノリ養殖漁業から全面的に漁船漁業となり、シャコ、マコガレイ、アナゴ、エビ、トリガイ等魚介類を漁獲して生活の糧としております。
 この海の幸に感謝し、未来にわたるこの資源の持続を願い、こゝに魚介の霊を慰めるため、この碑を建てるものであります。
 併せて海上安全と豊漁を祈願する水神祭がより盛大になることを願い建立の地を水神の境内とした。
昭和六十三年三月吉日
魚介慰霊碑建立委員

称名寺の青葉楓-金澤八名木

 『かねさわ物語』などに記載のある金澤八名木のうち6木までが称名寺にあったとのことで、検証のため称名寺を訪ねてみました。
 8木のうち黒梅は江戸末期には既に枯れていたようですが、鎌倉攬勝考(1829年)に『青葉楓、西湖梅、櫻梅、文殊櫻、普賢櫻、是は称名寺境内にあり』とあり、新篇鎌倉志(1685年)に『櫻梅八重なり、堂の前、東方、西湖梅の北にあり。』とあるのを参考にして探してみましたが、今は全て絶えてしまったようです。今回は、最近植えられた青葉楓だけみることが出来ました。
 恐らく、瀬戸神社境内の蛇混柏の枯れ木が、唯一、金澤八木の名残の様です。なお、8木の一つ普賢象桜は現在ではそれほど珍しくはないサトザクラ系の八重咲き品種で、関内桜通り中央水研で見ることが出来ます。

上行寺から悠心窯へ

 午前中は在宅勤務。午後遅くから上行寺東側の遺跡(浄願寺比定地)を訪ねました。眺めが良さそうだったので北側の尾根道を辿るうち、権現山を経て金沢八景駅西側の悠心窯に出ました。
 尾根筋から振り向いて見た北側からの鷹取山は、東側になる追浜東町からでは判然と区別できない『前浅間』、『後浅間』、『鷹取山山頂』が、はっきりと区別できました。