戸塚の社を巡って

 大晦日の今日は、戸塚まで足を延ばしてみました。
【主な経路】
(戸塚駅)-戸塚町-矢部町-上矢部町-泉区岡津町-中田北-(中田駅)


【笠間稲荷社】戸塚区戸塚町4754


【稲荷社】戸塚区戸塚町4744


街山八幡社(つじやまはちまんしゃ)】戸塚区矢部町1003

 本覚院不動尊
 庚申塔群(街山八幡社)


【梅園稲荷社】戸塚区矢部町
 街山八幡社の境内社と思われ、他にも石の社が2宇あります。

一、贈正一位梅園稲荷社御由緒
一、祭神 鳥烏帽子直垂御霊体
一、創建不詳
 伝ふ古は字峰に鎮座せられしと年号不詳蔵坪山六二八番地七坪の地に遷座せらる。此の蔵坪の地名は徳川時代に穀倉ありしより出でしものならん。享保年間~八代将軍吉宗公頃九二郎なる人此の地に住すとあり。氏子柴田竹次郎の口ひによれば文化の頃ウメ女なる寡婦住す。婦は常に稲荷を崇敬し深く祈願し霊験を授けられる。ウメ女大いに喜びしも其儘に過ごせしに或夜祭神現われ其の不法を怒る。此の時の姿は鳥帽子直垂の御霊体なりしとゆう。婦は大いに驚き此の旨を名主河原四郎左衛門に告ぐ。名主は有力者成宮茂平治と計り一同を集め協議の上中組の祭神と崇め奉る。按ずるに当地に深き御縁の武家を祭神と仰ぎしものならん。殊に勝負事には霊験著しと今に伝ふ。
 余は幼少の頃翁に肩を叩かれつつ常に其の霊験につきて聞く所あり。以降明治十七年頃迄はのぼり両側に建ち並び誠に荘厳なりしとゆう。之れ氏子が如何に敬神の念深かりしかを立証するものなり。その後社は数回御遷宮あり、之の由緒深き蔵坪山ね時世の進運に伴い土地発展して何時しか山形改まるに至る。
遷宮 明治十七年旧知山林字峰五六八番地 同三十三年矢部三四番地
   同四十年矢部二九番地 大正九年四月街山
氏子 (略)
昭和十二年四月 史跡保存主唱者 寺村清吉 誌


【稲荷社】戸塚区矢部町551-5


【第六社】戸塚区上矢部町2969

横浜市名木古木指定 No.200411 ヤブツバキ Camellia japonica


   第六社改修記念碑
 鎮守第六社の祭神は面足尊惶根尊の二柱であり神代七代の内国常立尊より第六代目の神に当たるので第六社と偁されています。大正六年一月十五日神明社の祭神天照皇大神を合祀された居ります。神社の創建は天正二年と言はれ小田原北條氏の一族甘縄左衛門太夫氏繁の請に依り讃誉牛秀上人が大善寺を創建するに当り護法の守護神として建立されたと言はれています。再建は文化四年六月十九日松尾神社及び篠塚八幡社と共に同一職方に依り三社同時に再建されたのであります。
 この度の神社改修工事は社殿屋根を銅板一文字葺本殿屋根に千木勝男木の新設社殿の改修工事拝殿正面に御影石の石貼工事鳥居の再建社合標の新設神明社屋根の銅板葺替神樂殿の屋根葺替神輿舎の新築其の他神社の当面為すべき工事は概ね完了致しました。是は偏に氏竝に崇敬者の絶大なる奉賛に依り完成した次第であります。
 仍て茲に記念碑を建て氏子一同の慶びを後世に伝えるものであります。
   昭和五十九年九月十五日
            第六社 氏子中


【伏見稲荷社】戸塚区上矢部町3025


【篠塚八幡社】戸塚区上矢部町1949

 蠶神社保食神碑(篠塚八幡社)


【丹後山神明社】戸塚区上矢部町1919

  丹後山神明社
御祭神天照大御神
 当社は古来大神宮祠また伊勢宮と称され御祭神は伊勢神宮の御分霊であったので「お伊勢さま」と親しまれてきた。御創建の年代は不詳であるが源頼朝公の愛人丹後局が当社の境内で出産されたとの伝承があり八百年前にし既にご鎮座になっていたものと思われる。
例大祭 十一月二十三日 [新嘗祭 勤労感謝の日]
 平成十四年九月六日 宮司職


丹後局供養塔
 源頼朝ノ愛妾丹後局ノ事跡ヨリ起リシモノナリ。丹後局ハ頼朝ノ寵愛厚ク妊娠ノ身ト成リ夫人政子ノ嫉妬ヲ碎ケテ当地ニ至リ伊勢宮ノ瑞籠に隠レテ憩フ處ニシテ男子出生ス。丹後局安産ノ古蹟ヨリ丹後山ト称セリ。又丹後局ノ墓ト言云エラルル塚有リテ局終焉ノ地ト思ハルル処ナリ。爾來幾星霜ヲ経テ当地ハ急激ナ発展ヲ來シ団地造成開発サルルニ当リ塚ヲ改葬シ永ク古蹟ヲ残スト共ニ局ノ霊ヲ慰ムル爲共有者一同供養塔を建立スル者成。


【松尾神社】戸塚区上矢部町421

 稲荷社(松尾神社境内)
 蚕霊神碑(松尾神社境内)


【丸山稲荷大明神】戸塚区上矢部町1624-102


【天神社】泉区岡津町53-3

 庚申塔
 双体道祖神
 ほほえみ観音


【三嶋神社】泉区岡津町2352


【(岡津町)稲荷社】泉区岡津町


【八幡宮】泉区岡津町2074-17

 富士塚
 不動堂


【稲荷社】泉区岡津町1529-2


【白山社】泉区岡津町1552
 向って右は御嶽社です。


【御霊神社】泉区中田北3丁目42-1

   御霊神社
 戸塚区・栄区・鎌倉市域の御霊神社と同じく鎌倉五郎影政を祀った神社で、昔から中田のごりょう様と呼ばれていました。明治の廃仏毀釈前は宮司家の東端に実相院の不動堂や護摩堂がありました。保安林に囲まれた石段下の弁天池は村岡川(宇田川)の源流にもなっています。池の前の庚申塔は、区域最古のもので、地域文化財に登録されています。鳥居横には、中田の子弟の教育に尽力された宮本(いたる)先生の頌德碑があります。
          泉区役所


【道祖神】戸塚区上矢部町1158

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です