今日は概ね近場(追浜東)で撮影。相模の国と武蔵の国との『境ノ地蔵』として知られる磨崖仏は、朝比奈のブックオフへ行ったついでに撮影しました。
新編武蔵風土記稿は、昌平坂学問所地理局により1830年に刊行を終えた地誌資料で、活字版も何回か刊行されているが、このたび1981年に千秋社から発行された版の神奈川編を入手した。
収録範囲は、旧名の久良岐郡と橘樹郡とで、現在の横浜市の西区、中区、南区、保土ヶ谷区、磯子区、金沢区、港北区、港南区、旭区、緑区、都筑区と川崎市とが相当する。
簡単な地図もついており、本日実物をみて来た鼻欠地蔵も『境ノ地蔵』として記載されている。
鼻欠地蔵
崖に彫り込まれた像の高さが4m余りのお地蔵様の磨崖仏で、風化して鼻が欠け落ちているため、このように呼ばれました。いつごろ、だれが彫ったかはわかりません。
江戸時代に出版された「江戸名所図会」には、この地蔵の挿絵があり、やさしそうな顔立ちや膝元で組んだ手などが描かれていますが、今はその輪郭を見ることができます。また、江戸時代の地歴が書かれている「新編鎌倉誌」には、この地蔵について、武蔵国と相模国の境界にあることから「境地蔵」と言われたこと、この場所から北へ向かう道は釜利谷や能見堂へ通じたことが書かれています。
また、地蔵の前の道は、六浦道と呼ばれてた金沢と鎌倉を結ぶ、中世からの大切な道であることから、この地蔵が交通の要所に祭られ、広く人の信仰の対象となっていたことがわかります。
平成10年3月31日 横浜市教育委員会
【新編鎌倉志巻之八】
(界地藏)
○鼻缺地蔵 鼻缺





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