今日は高校時代の友人たちと新年会。約束の時間まで時間があったので、動物園と博物館にも立ち寄りました。
【本日加筆更新】双翅目(Diptera)の写真整理
維管束植物の分類【概要、小葉植物と大葉シダ植物、裸子植物、被子植物(APG-IV体系)】【生物系統樹】
武蔵一之宮氷川神社
大宮公園小動物園
埼玉県立歴史と民俗の博物館
【参考】○:本日初撮影種
稲荷社:大宮区大門町1丁目17
すずらん通り
大宮駅東口入口交差点
大宮門街
VECTOR:S.Mitsuyoashi(大宮商工会議所50周年記念)
武蔵一之宮氷川神社
氷川参道
二の鳥居
宗象神社
稲荷神社
松尾神社
六社(住吉、神明、山祇、愛宕、雷神、石神)
神池
楼門
門客人神社
御嶽神社
ふくろ絵馬
島池
大宮公園小動物園
クビワペッカリー Tayassu tajacui (Collared Peccary)
ブチハイエナ Crocuta crocuta (Laughing Hyena)
○ツキノワグマ Ursus thibetanus (Asian Black Bear)
○メンフクロウ Tyto alba (Western Barn Owl)
○ホロホロチョウ Numida meleagris (Guinea Fowl)
○ジュズカケバト Streptopelia risoria (Ringneck Dove)
埼玉県立歴史と民俗の博物館(旧埼玉県立博物館)
女神の像:サンクガーデン
コバトン
登龍の不ニ:富嶽百景二編より
板碑
ケヤキ Zelkova serrata
巳
蛇
犬張子
犬
竹林
さいたま市立大宮北中学校
JR土呂駅
女神の像
この像は、大正15年(1926)11月、浦和市の旧埼玉会館の時計塔上に設置されましたが、当時の風潮として、開館にふさわしくないとの理由で取り払われました。それを時の県会議員、加藤睦之介氏が譲り受け、のちに大宮市の清水園に移され、保存されてきました。
昭和52年1月。同園の清水恒夫氏の好意により埼玉県に寄贈されましたので、当時の歴史的資料としてここに移設したものです。
フォーラム まち・みち・たてものを、愛でる・いじる・生かす
女神像が見た浦和のまち【埼玉会館HP】
単なる宿場町だった浦和は、明治になって県庁が置かれ、歴史の表舞台に顔を出します。そこから今日「文教都市」と呼ばれるようになるまで、どのような要因が関係しているのでしょうか。
大正末に隅田信一郎設計による今日埼玉会館が建てられ、その塔の先端には「女神の像」がありました。彼女は初めて空の高みから、このイラストにあるように、浦和のまちを俯瞰していたのです。
彼女がいた期間は短かったのですが、その視点を借りて、今日にいたる浦和のアート・マップを眺めてみましょう。
2023年3月18日
富嶽百景
葛飾北斎 作
江戸時代後期(十九世紀)
北斎の富士山を主題とした作品としては『富嶽三十六景』が有名ですが、北斎はその完成後も富士山をテーマとした作品を制作しています。『富嶽百景』は単色刷りで刊行された版本です。全三篇で、大胆な構図と奇抜なアングルによって富士山の様々なアングルによって富士山の景色が描かれています。
当館藏
武士の心-板碑
鎌倉から室町時代にかけて盛んにつくられた板碑には、武蔵武士の名を刻むものねみられます。死者の菩提を弔う追善供養や、自己の死後の供養を生前に行う逆修
臼-餅を搗く-
餅は、もち米を蒸して搗いたものです。もともとはハレの日(特別な日)の食べ物でした。特に正月には欠くことのできないものであり、鏡餅として神前に供え、雑煮などにして家族皆で食べ、祝いました。
餅を搗くには臼と杵が必要です。展示資料は、臼が完成するまでの製作工程品で、さいたま市の職人が作ったものです。 (当館藏)
餅つき臼(もちつきうす)
臼は餅つきや穀物の脱穀・精白・製粉などに用いる道具です。これは棒屋職人が作った物を使います。はじめに臼の中心を決めて外側を削ります。ついで鉞
(さいたま市岩槻区)
盆栽村
所在地 さいたま市盆栽村二五一
観る人の心に大きな感動とやすらぎを与える盆栽は、永い歳月をかけて私たちの祖先が自然の中から生みだした「生きている芸術品」といわれている。
大宮の「盆栽村」が発祥をみるのは大正十四年(一九二五)のことである。当時、東京に住む盆栽業者が、環境の悪化と関東大震災により、盆栽造りに適した新天地として、広くて空気のよいこの地を選んで移住してきたのが始まりである。
武蔵野の一角の草深い地で狐狸が住み、まだ電灯もない時代であったが、開拓は百年の大計によるユニークな「自治村」の建設を目指して進められ、苦節の末、今日にみられる整然たる環境の「盆栽村を作りだした。
十万坪におよぶこの「盆栽村」には、気品と格調をそなえた十数万本の盆栽が育成され、国内はもとより、世界各国からここを訪れる人々があとをたたず、今や四季を通じて静かなブームを呼んでいる。
昭和六十年三月 さいたま市