月別アーカイブ: 2019年5月

武相国境を歩く-サバ神社巡り part2

 一昨日は廻り切れなかった地域南部のサバ神社4社を廻りました。
part1 北部8社  サバ神社マップ
【左馬大明神】藤沢市西俣野821


 12社の内で最も簡素ですが、手入れは行き届いていました。


   左馬大明神
 祭神は源義朝。「風土記」には「左馬頭義朝の祠なり、神禮寺持」と記されている。元は小栗塚の台地にあり、明治の初めに現在地に移されたという。“サバ神社”と呼ばれる神社が、現在境川と引地川の流域に12社散財し、左馬、佐波、鯖、左婆などの文字が当てられている。
  六会地区郷土づくり推進会議


【(鍛冶山)佐波神社】藤沢市石川141


  佐波神社サバジンジャ
 祭神は源義朝公で例祭日は九月十七日です。一説によると戦国時代末期石川で勢力のあった石川六人衆によって勧請されたと伝えられています。
 社名については、初め左馬頭神社、次に鯖神社と称しましたが、水害のあった時、再度、佐波神社と改めました。
     藤沢市


【(今田)鯖神社】藤沢市湘南台7丁目201
 湘南台駅近くの鯖神社。境内には稲荷社がありました。


鯖神社由来
祭神源義朝公、創立元禄十五年(一七〇二)、例祭日一〇月一日。当地就任井上瀬兵衛により造立される。祭神源義朝が左馬頭であったことから鯖神社と稱する。文政九年(一八二六)に再建し、昭和八年氏子により本殿・拝殿が改築される。例祭日には子供神輿や山車が出てにぎやかである。
  (藤沢わがまちのあゆみより)


 鯖神社再建之碑
  二度の再建への努力を讃え
   鯖神社及び氏子の繁栄を祈り
    ここに記念碑を建立する
 今田鯖神社は氏子中の尽力により元禄十五年の創建から数度の社殿の再建を経て今日に至っている。
 平成七年八月十一日の放火により、昭和八年建立の社殿は失われたが、氏子中は再建委員会を組織し復興工事を完成させ、平成九年三月には遷宮奉祝祭を執り行った。
 同十三年三月一日、再度不審火により新築の社殿は御神体と共に灰燼と帰したが、氏子中の再建への強い志は途切れることなく、同十四年六月には新社殿に新たな御神体を納め、再び遷宮奉祝祭を執り行ないに至った。
 その成果を讃えると共に二度とこのような災難がないよう末永い神社及び氏子各位の安寧を願い、氏子一同決意を碑に刻し、その記録を残す物である。
  平成十八年(二〇〇六)十月吉日
                    氏子中


【(鍋屋)鯖神社】泉区和泉町709
 12社の最後は和泉町の鯖神社です。棟札から、鯖大明神と呼ばれていたことがわかります。ここも境内に稲荷社がありました。


【文献】
 小寺 篤 (1994) 境川流域の開発とサバの神祭祀、in 鶴見川・境川流域考、113-158、230クラブ新聞社、横浜.
 サバ神社マップ

武相国境を歩く-名木古木巡り(本郷台~下飯田)

 今日は、JR根岸線本郷台からブルーライン下飯田まで歩いてみました。市民グラフヨコハマNo.115(2001)に載っていた上俣野神社のイロハイロハモミジは滅失したものと思われます。
【三嶋神社のスダジイ】栄区飯島町2146、横浜市指定名木古木 No.49521
 訪ねたことのあるスダジイです。


【諏訪神社のクスノキ】戸塚区影取町88、横浜市指定名木古木 No.200509
 旧東海道、国道一号線沿いの(影取)諏訪神社境内のクスノキです。


【龍長院のイチョウとタイサンボク】東俣野町1666、指定番号不明。
 天王山龍長院、境内には説明板などはありませんが、この2本で間違いなさそうです。


【東泉寺のイチョウ】下飯田町743、横浜市指定名木古木 No.48221
 巨木山東泉寺のイチョウです。指定番号不明。山号の巨木山はこのイチョウから来ているのかもしれません。二本対の一本は枯死していますが、後継木が元気に育っていました。


【密蔵院のイチョウ】泉区和泉町727、指定番号不明。
 南竺山正覚寺密蔵院。イチョウは、境内ではなく県道を隔てた駐車場にありました。県道が通るまでは参道沿いだったのだと思われます。


【参考】
 スダジイ Castanopsis sieboldii
 クスノキ Cinnamomum camphora
 イチョウ Ginkgo biloba
 タイサンボク Magnolia grandiflora
【文献】
 横浜市市民局市民情報室広報センター(2001)横浜市「名木古木」リスト、市民グラフヨコハマ、No.115、p.36-41.

武相国境を歩く-サバ神社巡り part1

 かつての武蔵国と相模国の境あたりを集水域とする境川水系中流域には、サバ神社の名前に縁のある神社が12社あります。今日は、そのうち北部8社を廻ってみました。
 注:サバ神社については、小寺(1994)に詳しいほか、 七ツ木神社の説明文に要約されています。
 part2 南部4社  サバ神社マップ


【(橋戸)左馬社】瀬谷区橋戸3丁目20-1

 橋戸の左馬社です。境内社として古峰社と天満宮3社の相殿があります。


左馬社(さばしゃ)と梵鐘
 その昔、境川流域の村々では、疫病が流行すると境川の東西に点在する神社をまわり、厄除けをする民間信仰が盛んでした。(七サバ参り)
 当左馬社は、「七サバ神社」と呼ばれるうちの一つであり、祭神は佐馬頭(さまのかみ)源義朝です。
 隣接の真言宗西福寺(さいふくじ)が、この左馬社の別当職であったので、当時の神仏混淆の姿が残り、神社の境内にある吊鐘は区内唯一のもので、厄除け、虫除けに鐘をついて祈願したとのことです。
 梵鐘は江戸時代の文久元年(1861年)に鋳造されましたが、太平洋戦争の際供出したため、昭和32年(1957年)氏子の協力によって新たに現在の鐘がつくられました。
  平成10年3月         瀬谷区役所


左馬神社と梵鐘(小寺(1994)の写真より転記)
(瀬谷町一七八五番地)
 その昔、境川流域の村々では、疫病が流行すると七サバ参りをして厄除けをする民間信仰が盛んであった。
 左馬神社(瀬谷町一七八五番地)
 佐婆神社(戸塚区和泉町四八一一番地)
 左馬神社(戸塚区和泉町三二五二番地)
 左馬神社(戸塚区和泉町七〇五番地)
 飯田神社(戸塚区下飯田町二五一九番地)
 左馬神社(戸塚区下飯田町一三八五番地)
 鯖神社(大和市上和田字久田)
 当左馬神社は、これら七サバ神社の一つであって祭神は左馬頭源義朝公である。
 隣接の西福寺が、この左馬神社と相沢の諏訪神社の別当職であったので、当時の神仏混淆の姿が今日に残り神社の境内にある吊鐘は区内ではこゝだけである。厄除け、虫除け鐘をついて祈願したとのことである。
 梵鐘は文久元年(一八六一年)に鋳造されたが、太平洋戦争の際供出したため、昭和三十二年(一九五七年)氏子の協力によって新たに現在の鐘がつくられた。
  昭和五十四年三月     瀬谷区役所


【(久田)左馬神社】大和市上和田1168
 久田の左馬神社。久田は公田に通じるとのことです。境内社は八坂神社、この社にも梵鐘がありました。


   左馬神社
一、御祭神 左馬頭義朝
一、鎮座地 大和市上和田一一六八番地
一、例祭日 九月二十四日
    由緒
宝暦十四年三月桃園天皇徳川九代将軍家重の代、名主渡辺平左衛門・小川清右衛門この地に宮を建立、左馬頭義朝の霊を勧請し村民の精神道場となるや漸次庶民崇敬の的となり。文化三年四月三日上和田信法寺十四世住職憧与上人、氏子の賛同を得て五穀豊饒の祈願をなしたるや、其の御神徳の偉大さに武家・一般庶民に深き感銘を与う。
以来五穀豊饒はもとより家内安全の守護神として広く世に伝わり崇敬者多し。
尚、境内社として天照皇大神、神武天皇、須佐之男命、三神を奉斎し国土安穏氏子崇敬者の安泰(疫病・痘癒・厄除)守護を念ずる参詣者今尚多し。
   境内三社殿
 御祭神 天照皇大神(中央)
     神武天皇 (向って右側)
     須佐之男命(向って左側)


【(上の原)左馬神社】大和市下和田1110
 大和市下和田の左馬神社です。拝殿のように見えるのは、実は神楽殿なのかも知れません。梵鐘があることが左馬神社の特徴とも言えそうです。


【飯田神社】泉区上飯田町2517
 新編相模風土記稿の記述により『鯖大明神』と呼ばれていたことがわかっている泉区の飯田神社です。


  飯田神社
由緒 勧請年代は定かではないが、往古から当地に鎮座している古社であると伝えられている。
社伝に「延應元年(一二三九)飯田三郎能信 当郷の地頭ニ復スルヤ厚キ奉幣ノ儀アリ 猶知行平山源太郎ノ崇敬持ニ深カリシ社ナリ」
と伝え 寛政十二年二月 式部権大輔菅原長量が「飯田大明神」の神号額を奉納 のた文化十三年二月には神祇管領卜部<(うらべ)良長が京都から参向して奉幣祝詞を奏上しているから 有数の古社であった事が知られる。新編相模風土記稿に「飯田明神社 鯖明神とも唱ふ村の鎮守なり 稲荷 山王を合祀す 村持」とある如く境川添いに祀られている往古からの相模七鯖の一社で境の神としての生田の伝承も残されている。
昭和三十年に現社殿を、また五十五年には参道並びに境内地の玉垣設置等氏子の赤誠の浄財により各々完成社頭の面目を一新した。
                    宮司 宮本忠直記


【(神田)佐婆神社】泉区和泉町4811
 相鉄線からも見える神田の佐婆神社です。由緒書きなどは見当たりませんでした。


【中ノ宮左馬神社】泉区和泉町3253
 泉区和泉町の左馬神社です。境内には、稲荷社のほか、由緒不明の社もあります。


【七ツ木神社】藤沢市高倉1128

 当社は明治初期に集落名から現在の名前になりましたが、かつては鯖大明神であったそうです。境内には、石塔が多く、清瀧不動明王、三笠山天皇、御嶽山座皇大神、八海山上皇などがありました。


    七ツ木(ななつぎ)神社
 以前は鯖明神社と称し、明治初年に七ツ木神社と改名されました。境川・引地川・和泉川流域に点在する「サバ神社」十二社中の一社であり、旧七ツ木村の鎮守です。江戸中期から明治初期に流行した「七サバ参り」(七ヵ所のサバ社を巡礼することにより無病息災を祈る風習)の一社でもありました。サバ社の社名の由来は祭神の源義朝(頼朝の父)の官職が「左馬頭(さまのかみ)」であったからと言われています。(ただし、サバ神社十二社の内和泉川流域に点在する三社の祭神は摂津多田源氏の祖・源満仲です。)
 安土桃山時代の文禄年間(一五九二年~一五九六年)に創建されたと言われています。一説には、当時信仰の厚かった渋谷義重(渋谷庄司重国の子孫とも言われる。)による創建とも言われていますが、定かではありません。
 江戸時代後期の文政九年(一八二六年)に再建され、昭和四年(一九二九年)に拝殿が改築されています。
 なお、この社の鳥居は「両部型鳥居」と言われるもので、両部とは真言密教の「金剛界」・「胎蔵界」の両部を具現したものです。境内には江戸期から明治期にかけての山岳信仰や養蚕関係の碑、庚申塔等の石碑、石仏類が点在し、鎮守の森の荘厳な雰囲気を今なお伝えています。
  平成三十年(二〇一八年) 三月吉日
           長後地区郷土づくり推進会議
           歴史散策の会


  源氏の棟梁を祀る サバ神社めぐり
①左馬社  横浜市瀬谷区橋戸3-20-1
②左馬神社 大和市上和田1168
③左馬神社 大和市下和田1110
④飯田神社 横浜市泉区上飯田2517
⑤佐婆神社 横浜市泉区和泉町4811
⑥中之宮左馬神社 横浜市泉区和泉町
⑦七ツ木神社 藤沢市高倉1182
⑧鯖社   横浜市泉区下飯田1389
⑨鯖神社  藤沢市湘南台7-20
⑩鯖神社  横浜市泉区和泉町709
⑪左馬大明神 藤沢市西俣野字御所ヶ谷
⑫佐波神社 藤沢市石川139


【(宮の脇)左馬神社】泉区下飯田町1389
 下飯田の左馬神社、境内には稲荷社があります。


【文献】
 小寺 篤 (1994) 境川流域の開発とサバの神祭祀、in 鶴見川・境川流域考、113-158、230クラブ新聞社、横浜.
 サバ神社マップ


【主な経路】
 相鉄線瀬谷駅-西福寺-(橋戸)左馬社-宗川寺-全通院-(久田)左馬神社-(上の原)左馬神社-飯田神社-渡井家-無量寺-(神田)佐婆神社-長福寺-中ノ宮左馬神社-七ツ木神社-(宮の脇)左馬神社-プルーライン下飯田駅


 以下、本日撮影した植物などです。旧武蔵国に相当する境川の東側でも双体道祖神をみかけました。


【参考】
 ブタナ Hypochaeris radicata
 双体道祖神(瀬谷区下瀬谷3-16)旧武蔵国
 瀬谷キリスト教会(瀬谷区北新29-16)
 カジイチゴ Rubus trifidus
 ウメ Prunus mume
 ハゴロモジャスミン Jasminum polyanthum
 ナガミヒナゲシ Papaver dubium
 双体道祖神(大和市上和田2713-1)旧相模国
 ヤグルマギク Centaurea cyanus
 ウグイスカグラ Lonicera gracilipes
 ネメシア Nemesia caerulea sp.
 サクラ Cerasus sp.
 ミズキ Cornus controversa
 ノダフジ Wisteria floribunda
 キムネクマバチ Xylocopa appendiculata
 蚕御霊神塔


横浜市地域有形民俗文化財
 蚕御霊神塔(かいこごりょうしんとう)
          平成五年十一月一日 登録
          所有者 神明社
 現在、泉区和泉町三六九六番地に所在する本塔は、明治一一年(一九七八年)に建立された角柱塔で、その規格は、高さ七十・五センチメートル、幅三三センチメートル、厚さ三一センチメートルを測ります。
 塔の背面には、慶応二年(一八六六年)三月に、霜害のため桑が枯れてしまい蚕を育てることができなくなり、蚕を地中に埋めてしまったことが記されているとともに、台石には、六十余名の連名が見られることから、一村あげて、その時の蚕の慰霊を行ったことを知る貴重な資料です。
   平成六年三月
                    横浜市教育委員会

武相国境を歩く-名木古木巡り(瀬谷~下飯田)

 今日は、相鉄線瀬谷からブルーライン下飯田まで歩いてみました。

【西福寺のスダジイ】横浜市指定名木古木 No.60021
 猿王山西福寺境内のスダジイです。案内板によると樹齢千年以上とのことですが、それが本当なら同時開山の500年以上前から当地に生育していたことになります。


【宗川寺のイチョウ】横浜市指定名木古木 No.48233、48234
 白東山宗川寺の梵鐘近くの2本のイチョウです。樹勢は旺盛で均整の取れた2本が参道の両脇に聳えるさまは壮観です。


【全通院のフジ】横浜市指定名木古木 No.49578
 全通院勢至堂のノダフジです。たまたまお会いした古老の言によりますと、同院の開山より前から生育していたとそうで樹齢400年以上とのことです。


下瀬谷文教場跡(勢至堂)と大藤
 明治22年(1889年)の市町村制の実施により瀬谷村、二ツ橋村、宮沢村が合併、一村となりました。この合併により瀬谷小学校の通学区が広くなったため、低学年児童の通学の便を考慮して、明治23年(1890年)11月に分教場をこの全通院勢至堂境内に設けました。この分教場は昭和18年(1943年)の学区改正によって廃校になるまで、50年にわたり数多くの児童が通学しました。
 また、この境内には「横浜市の名木古木」に指定されている藤の大樹があり、その花の咲く頃は誠にみごとなものです。
 全通院勢至堂は曹洞宗瀬谷山徳善寺別院として、勢至菩薩を本尊として祀っています。
 相模国深見村の中丸佐源太が、一夜霊夢に導かれ鹿島神社の旧跡から勢至菩薩の像を発掘し、全国を巡礼し喜捨を受け、徳善寺に納めました。その後、この全通院阿弥陀堂に遷座したと伝えられます。屋根の改修時に発見された棟札には江戸時代の寛政9年(1797年)に現在のお堂が建立されたと書かれていました。
 地元では、「お勢至様(おせっさま)」「勢至堂(せしどう)」とも呼ばれ親しまれています。12年に1回、午年の8月23日に開帳されます。
   平成10年3月          瀬谷区役所


【飯田神社のヤブツバキ】横浜市指定名木古木 No.52044
 泉区上飯田、飯田神社のヤブツバキです。花の時期に再訪したいものです。


【渡井家の生け垣】横浜市指定名木古木 No.49554
 個人宅のイヌツゲの生け垣です。


【無量寺のイチョウ】横浜市指定名木古木 No.49553
 歸命山長壽院無量寺のイチョウです。遠くからもよく目立つ大きな樹です。


【佐婆神社のタブノキ】横浜市指定名木古木 No.48213
 佐婆神社のタブノキです。大きく成長する事で知られるタブノキの中でも巨木というそうです。


【長福寺のイチョウ】横浜市指定名木古木(指定番号不明)
 長福寺のイチョウで2本ある筈ですが、案内板が朽ち落ちているので指定番号などの詳細は不明です。剪定に失敗しているのか、樹勢には不安があるようです。


【左馬神社のシラカシ】横浜市指定名木古木 No.48212
 中ノ宮左馬神社のシラカシです。本殿の後ろになっており、林の中なのであまり目立ちません。


【左馬神社のイチョウ】横浜市指定名木古木(指定番号不明)
 宮の脇左馬神社のイチョウです。見るからに立派な大木ですが、指定番号は不明です


【参考】
 スダジイ Castanopsis sieboldii
 イチョウ Ginkgo biloba
 ノダフジ Wisteria floribunda
 ヤブツバキ amellia japonica
 イヌツゲ Ilex crenata
 タブノキ Machilus thunbergii
 シラカシ Quercus myrsinifolia