杉山神社を巡る-Part6 西部7社

 今日は、旧武蔵國南多摩郡と都筑郡に位置する杉山神社を中心に廻ってみました。これらは、境川、恩田川、谷本川の上流域に当たります。

【本日巡検した杉山神社】
  括弧内の数字は、戸倉(1956)の付図『杉山神社考関係地図』の番号
 (43)(小川)杉山神社: 町田市つくし野2-8-3
 (45)西田杉山神社:  町田市金森6-46
 (46)金森杉山神社:  町田市金森7-1
 (44)成瀬杉山神社:  町田市成瀬4-13-16
 (12)上恩田杉山神社: 横浜市青葉区あかね台1-1-6
 住吉神社:      横浜市青葉区奈良町833
 (07)(上谷本)杉山神社:横浜市青葉区みたけ台26-1


【(43)(小川)杉山神社】町田市つくし野2-8-3
 杉山神社考に小川の社として記載されている杉山神社です。境内神社として稲荷社と山神社がそれぞれ二座ありました。

 つくし野杉山神社の由緒・経歴
鎮座地 東京都町田市つくし野二ノ八ノ三
祭神  日本武尊[ヤマトタケルノミコト]
〃   大山祇命[オオヤマギミノミコト]
〃   木花開耶姫命[コノハナサクヤヒメノミコト]
合祀神 事代主命[コトシロヌシノミコト](三島大明神)
〃   大山昨命[オオヤマクイノミコト]山王大権現
 [杉山神社]は神奈川県都筑郡に二十四社、橘郡に三十七社、久良岐郡に五社、南多摩郡に六社と記録があって、当神社は南多摩郡六社の一社である。創建は不詳であるが、光格天皇の文化四年《一八〇七年》十一月に再建され、天保十一年《一八四〇年》六月に地頭・大久保勘三郎藤原忠寿及び家臣・下沢喜多録藤原寿利により再建された。
 更に文久三年《一八六三年》九月に再建(棟札)明治三十六年《一九〇三年》十月二十六日拝殿を新築し、明治三十八年九月三島大明神と山王大権現が合祀された。昭和五年十二月には奥の殿、拝殿を新・改築し、昭和十一年九月に神明造の鳥居一基が氏子により寄進され遷宮式を行った。
 昭和四十年より神社周辺に於いて、小川第一土地区画整備事業が始まり四十三年に完成したが、それを機に氏子の総意に基づき新土地に相応しい社殿を造営することになり、境外地の一部を売却して建築資金に充て更に氏子各位から多額の浄財と奉納金を拝領し社殿、社務所(神楽殿)水屋等を総事業費五千万円を以って造営した。そして昭和四十九年九月二十七日遷宮式を執行して新しく地域の鎮守様として生まれ変わった。
 平成二十八年には、社務所(神楽殿)の建替えと境内の整備を自己資金に氏子及び崇敬者からの寄進を加えて実施、同年八月七日落慶式を行った。
               (平成二十九年五月改訂)


【(45)西田杉山神社】町田市金森6-46
 杉山神社考には金森の杉山神社が2座載っているのですが、そのうちの一社です。扁額では『山宮』となっていました。御神木のイチョウは、町田市指定保護樹木No.1に指定されています。


【(46)金森杉山神社】町田市金森7-1
 もうひとつの金森村の杉山神社です。タブノキが神木で、境内社に八坂神社がありました。天和3年の棟札では杦山大明神となっており、当時は『』の字体が使われていたようです。

  金森杉山神社
鎮座地 東京都町田市金森三二六番地
御祭神 日本武尊
御祭事 元旦祭  一月一日
    節分祭  二月節分の日
    風祭   九月一日
    例大祭  十月第一土曜日
    七五三祝 十一月吉日
境内社
 八坂神社 例祭 七月十五日
境外社
 渋池神社 例祭 四月第一巳の日
 当社は天和三年(一六八三年)十二月、旗本 高木伊勢守の一族が下屋敷に奉斎し、朝夕武運長久を祈願された。
 慶応二年九月と大正六年現在の拝殿を新造立し、昭和十一年十月十七日現在の拝殿を新築した。
 昭和六十一年十月氏子及崇敬者の協力により、本殿、玉垣、屋根替修復並びに敷地の外柵改修工事を行い杉山宮の発展に努めた。
 尚、境内社は八坂神社、祭神素戔嗚尊を奉斎し、境外地に渋池神社を祭り地域の守護神 渋池弁財天として崇敬されている。
 昭和六十二年金森地区神社繁栄のため奉賛会を結成し昭和六十三年より平成二年り三ヵ年に亘奉賛会員及崇敬者六百余名の賛同により、社務所、神楽殿、管理人室及収納庫、のぼり竿の新設、境外社渋池神社の社殿の建替を行い、平成二年九月神社整備事業が完結し今日に至っている。
  平成二年九月


   金森杉山神社の「棟札」(その1)
                       2010・11・27
○金森杉山神社
 市域内の古社を考えるのに忘れてはならないものに杉山神社がある。市域内の分布をみると、金森の2社・三輪・成瀬・小川の各1社の計5社がある。いずれも市内の南部に属するのが特徴である。
 だいたい、いまの横浜市・川崎市にふくまれ、これに町田市域の南の一部が加わる。境川・多摩川・鶴見川とその支流早淵川・恩田川・帷子川・大岡川の流域の村々に固定され、多摩川より北には杉山神社を祀る村がまったくない。
 さて、金森村の2社の杉山社のうち、字西田の杉山社は鎌倉古道にさっていて古社の面影があり、境内に大銀杏がある。金森の杉山社には天和3年(1683)12月の再興の棟札がある。それによると領主高木伊勢守が関係している。
 この両者の祭日は同日で、御神木の木の立像と神鏡は一年交代に安置されて祭りを執行する。神体のある社が本祭で、不在のほうは影祭といっている。
                   (以上 『町田町史』上巻より抜粋)


【(44)成瀬杉山神社】町田市成瀬4-13-16
 旧南多摩郡に分布する杉山神社6社の最後に廻ったのは旧成瀬村の杉山社です。御神木のスギは平成4年に植樹された新しい樹ですので、これからの育成が楽しみです。

  神社由緒
杉山神社
 杉山神社のある地域は武蔵国軟腐、鶴見川流域の一部に限られていて、全国的なもので無く地方民によって崇敬奉祈されたものらしい。昭和五十三年調査(戸倉英太郎書「杉山神社考」)によると鶴見川流域に四十九社存在する。
 成瀬杉山神社の創建は不詳であるが、棟札によると寛文八年(一六六八)十一月代官福井清兵衛と地頭井戸忠兵衛勝吉により社殿が創建され、その後何度かにわたって修造。再建があり、恩田川沿いの水田地帯の中央に位置し、数多くの樹木に囲まれてあって、「田中の明神」として長い間村人に親しまれて崇敬されてきた。
 現在の社殿は昭和五十七年四月二十三日竣工、同年九月二十三日御遷宮祭が執り行われ、平成四年杉山神社の本社とされる、和歌山県に在る伊太祁曾神社から杉苗を譲り受け、ご神木として階段横に植樹された。ご祭神を五十猛命としているが、日本武尊の説もある。
御祭神
 天照大神(アマテラスオオミカミ)
  慈愛の神
 五十猛命(イソタケルノミコト)
  木の神・五穀豊穣の神・商売繁盛
 熊野大神(クマノオオカミ)
  水の神・五穀の神・商売繁盛
祭典
 例大祭 九月吉日
 元旦祭 一月一日  節分祭 節分の日
末社 八坂神社
 創建は安永三年(一七七四)六月十五日で。弘化三年(一八四六)に原の牛頭天王及び、文久元年(一八六一)に谷戸上合の牛頭天王が合祀されたもので、吹上の横浜市境に在ったが、杉山神社の末社として合祀された。
御祭神
 素戔嗚尊(スサノウノミコト)
  疫病除け・厄除けの神
祭典 天王祭 七月吉日

市橋注:戸倉(1956)の文献は1978年に復刻され、その際地図が附された。この地図で49番とされた杉山神社は、葉山町上山口の杉山神社であり、武蔵国に分布する杉山神社とは別系統である。従って、昭和53年に49社とするのは引用間違いである。


   新築造営記念碑
 成瀬は古くから平和で豊かな純農村であったが、昭和四十年代の高度経済成長にしもなって。急激に都市化の波が押し寄せてきた。大きな変革の時を迎え、大規模で計画的な街づくりの必要から、住民の協力による区画整理事業が実施され、近代的都市として生まれ変わった。成瀬一三四一番地にあって、長い間「田中の明神」として親しまれてきた杉山神社も都市計画道路と都営住宅建設のために移転を余儀なくされた。ここに氏子一同相計り、成瀬四五〇七番地に氏子崇敬者の浄財と基本財産の充当による、鉄筋コンクリート神明造の社殿新築を決議した。総工費は約三億七十万円、株式会社大林組の設計施工により昭和五十六年五月着工、翌年四月竣工、同年九月十一日恙なく遷宮式を執り行った。これを記念してこの碑を建立した。
 昭和五十八年九月吉日
               杉山神社
               建築造営員会


  詩碑
 わかば
あざやかな みどりよ
あかるい みどりよ
とりいを つつみ
おやねを かくし
かおる かおる
  わかばが かおる
さわやかな みどりよ
ゆたかな みどりよ
たはたを うずめ
のやまを おおい
かおる かおる
  わかばがそよぐ
   文部省唱歌 作詞松永みやお 作曲平岡均之


【(12)上恩田杉山神社】横浜市青葉区あかね台1-1-6
 恩田の杉山社。御祭神等に関する由緒書きはない一方で、社殿建設寄贈者に関する立派な碑があり、その裏側に箱物建設の経緯が示されていました。御神木に相当する樹木はクスノキですが、境内に古木は見当たりません。

  新築造営記念碑
 この社は、上恩田の鎮守であり幕末のころ落雷のため焼失しましたが、嘉永年間(一八五〇ころ)に再建されました。この再建には、江戸から大工をつれてきて三年がかりで建築されたと伝えられています。
 近郷に見ないほどの彫刻の多い建て物であり、ことに内宮はそののち昭和二十八年(一九五三年)の火災の際、運びだされ今でも当時の立派な様子を見ることが出来ます。
 右のように由緒深い神社でありますが、時の流れと老朽化に加えて、この地の地権者による上恩田土地区画整理組合事業が昭和五十八年(一九八三年)より施行され杉山神社も移転することになりました。ここに氏子一同、一意結束して社殿新築と境内地整備を決議し、平成元年五月着工、翌年七月竣工、そして同年九月十四日(一九七〇年)遷座祭、翌十五日奉祝祭を斎行、ここにめでたく上恩田土地区画整備事業により整備された「あかね台」の一角に偉容を誇る御神殿と境内の整備が竣工するに至り、これを記念してこの碑を建立しました。
 平成二年九月吉日       杉山神社建設委員会


【住吉神社】横浜市青葉区奈良町833
 文献調査が出来ていないのですが、旧奈良村の杉山神社はこに合祀されているようです。

 住吉神社は吾等が郷土奈良の永代に亘る鎮守であって御神体は銅鏡である。
 安永九年時の地頭石元氏の寄進によって新社殿が建立されたが。その後氏子の土志田義辰氏に依って改築された。用材はすべて﨔を用い四周にわたり多くの彫刻が施され近隣にその荘厳さを誇った。しかるに昭和四十七年九月一不逞の輩の放火によって社殿悉く烏有に帰した。氏子一同悲嘆にくれた。たまたま昭和四十八年新年祭に際し氏子三沢重元氏等を中心とし社殿再建の議があり一同の合意するところとなり再建委員会の結成されるに至った。予算五阡萬円余、すべて氏子崇敬者の浄財寄進に依ることとし、鉄筋コンクリー造に銅葺にして建坪四一二五平方米往時の姿をそのまゝ再建し、それに近代仕様を加味し、設計は株式会社農協建設設計センター担当、施工は株式会社松井建設によって請負はれ更に附帯工事等も総て完成し、氏子一同の念願も見事に達成して、昭和五十年秋を期して御遷座の儀が執り行なわれる運びとなった。茲に氏子崇敬者一同の㐂びを深く刻して記念とするものである。
    昭和五十年九月二十三日
                   住吉神社再建委員会


【(07)(上谷本)杉山神社】横浜市青葉区みたけ台26-1
 子ノ神社との合併を阻止することが出来たと伝えられる上谷本の杉山神社です。

      杉山神社ご案内
祭神  五十猛命(いそたけるのみこと)    誉田別命(ほんだわけのみこと)
例祭日 九月十九日
祈願内容 初宮詣 七五三厄 除交通安全 家内安全
     地鎮祭 交通安全 新居祓 清め祓 家祓
     その他先までご連絡下さい。
     川崎市麻生区王禅寺東五ノ四六-十五
     琴平神社宮司 志村幸男
      電話〇四四-九八八-〇〇四五


本日訪ねたその他の神社などです。
【八坂神社/金刀比羅神社】横浜市緑区長津田町


【秋葉神社】町田市南町田1丁目5
 原公民館の隣の秋葉大権現です。小祠ですが、道祖神碑もありました。


【町谷八坂神社】


【鶴間熊野神社】


 熊野神社
祭神 伊邪那岐尊
   伊邪那美尊
由緒
 当熊野神社は和歌山県熊野にある本宮(熊野坐神社)、新宮(熊野速玉神社)及び那智(熊野那智神社)の熊野三山神社を勧請したものである。
 家都御子神(別名素戔嗚尊)を祭神とする本宮大社と熊野速玉神を主祭神とし熊野夫須美神家都御子神を祭る熊野速玉大社、及び熊野夫須美神を主祭神とし、家都御子神、熊野速玉神を祭る熊野那智大社は、平安時代末期にはこの三所を合せて。熊野(三所)権現と称するようになった。
 この熊野三山信仰は九〇七年(延喜七年)には宇多法皇の御幸があったように神霊の霊力により無病息災家内安全が祈願され全国的に一世を風びするに至った。従って当社の創立はつまびらかでないが、数百年前に勧請され社殿の内陣に不須美神の御神像が安置され奉斎されている事に依り知ることが出来る。
 当社の本殿墨書など現存する記録によれば、大飢饉大火疫病等の天変災害に御祭礼を行ない安全祈祷の数々が記されているが、当社の歴史を銘するものとして次のように残されている。
享保十一年四月吉日   本殿造立する
明和九年九月廿一日   社殿再建する
安永六年八月吉日    社殿再建する
嘉永三年三月十五日   社殿再建する
安政五年十一月廿一日  社殿再建する
明治六年十二月吉日   村社に列せら
昭和十年十一月十九日  社殿再建する
昭和二十五年六月廿一日 国有境内地譲与せらる
昭和四十六年四月三日  コンクリート権現造御社殿新築する


【公所浅間神社】大和市鶴間391
 鶴間の総鎮守、浅間神社です。相殿に子之神社と住吉神社、境内社に弁財天社が祭られていました。


  公所浅間神社(くぞせんげんじんじゃ)
当神社は木花開耶姫命(このはなさくやひめのみこと)を主祭神とし、大己貴命(おおあなむちのみこと)表筒男命(うわつつおのみこと)を併せて奉斎されている。創立年代は(つまびらか)でないが源頼朝が創建したと伝えられる文亀神明録に鶴間神社と登載され相模国八十一社の巡拝所の一つとしてまた鶴間郷(大和市下鶴間、相模原市鶴間、町田市鶴間)の総鎮守として古くから崇敬されて来た。
 主祭神木花開耶姫命(このはなさくやひめのみこと)は天孫瓊瓊杵尊(ににぎのみこと)の皇妃で木花は桜にして開耶は咲映の意を含んでいる。性質素直にして容姿艶麗(えんれい)国色およぶものがない故にたたえまつった御名で国土の象徴富士に似て気高く其の貞節は日本女性の亀鑑として国民の敬仰するところで、あまねき御神徳のうち火難消除・安産・生業の守護神として尊崇されている。
 併祭神大己貴命(おおあなむちのみこと)は大国主神の別名にて御神徳が広く大きいので幾つもの神名をもっとおられる縁結びの神として親しまれているが単に男女の仲を結ぶだけでなくお互いのよりよき繁栄発展のためのつながりを結んで下さる神、幸福・開運・商売繁盛・防災除けの神として深く信仰され、子之神社として祀られ古来より村の鎮守であった。
 併祭神表筒男命(うわつつおのみこと)は天照大神ご出産のために大事な役割をなされた祓の神で人生の新生と更生・生命の守り神・水の神・海の神・豊漁祈願の神さらには歌の神として厚く信仰され住吉神社として祀られ古来より村の鎮守であった。
 昭和十九年浅間神社が指定村社に昇格の際両社を合祀した。
 昭和二十八年神道指令により宗教法人浅間神社となる。
 昭和四十八年国道十六号線大和バイパス新設のため境内地の大幅な削減により諸般の情勢をかんがみ神社百年の大計を確立のため移転造営を発願する。
 昭和五十九年九月十四日つきみ八丁目十四番(元下鶴間一四三七番)より現在地に遷宮となる。
  鎮座地 大和市鶴間三九一番地
  御社殿 神明造 床面積二七.二坪
  境内地 面積一三二六坪
  祭典
 例大祭  九月第二日曜日
 元旦祭  一月一日
 成人祭  一月第二日曜日
 節分祭  節分の日
 鎮風祭  九月一日
 七五三祭 十一月吉日
 月次祭  毎月第二日曜日


【天満宮】


  天満宮の由来
 祭神は菅原道真公(すがわらみちざねこう)(菅公(かんこう))で平安時代初期に学問の名家に生まれ、文章、詩歌に優れた才能を示し、政治家としては右大臣(うだいじん)にまでなりました。
 大変に教養があり、立身出世(りっしんしゅっせ)をした人で学問、文化の神様として仰がれています。(受験生が学業成就(がくぎょうじょうじゅ)を祈願し目的達成を祈ります。)
 縁日は毎月二十五日とされていますが、菅公の誕生と他界の日がその日にあたるためです。
 神紋(しんもん)は梅で菅公が好み愛された花です。境内にはよく牛の像がありますが菅公が丑年(うしどし)生まれで牛を大切にしたと伝えられています。
 亦筆塚(ふでづか)に使い古した筆を納める風習のあることは菅公が書道の神としてあがめられているためです。このように伝統のある天満宮は昭和六十二年三月金森・西田の氏子と金森三丁目崇敬者の協力のもとに修復造営が行われ斎主の願意を遠く後世まで伝承するものであります。
               拝詞
  昭和六十二年三月大吉
       学業成就祈願成就 天満宮総代


こち吹かば
  匂ひおこせよ
      梅の花
 あるじなしとて
    春をわするな
      菅原道真


【高ヶ坂子育地蔵尊】
高ヶ坂(こがさか)子育地蔵尊
 高ヶ坂の地蔵尊ですが、3体の双体道祖神、十三夜塔など石塔が沢山集められています。


【成瀬弁天社】
 成瀬弁天橋公園内にある小祠です。


【子ノ神社】横浜市青葉区たちばな台2-22-1
 上谷本の杉山神社が合祀される可能性があったといわれる子ノ神社です。

   子ノ神社について
 祭神は大国主命、木花開耶姫の二神である。ご神体は鏡であったが、明治中期盗難にあい、その後は木製の鏡型となった。神社の創設の由緒、時代は共に不詳である。新編武蔵風土記稿には、子ノ神社[見捨地二段計]村の鎮守なり。浅間神社より谷を隔てゝ西にあり。社は一丈に一丈五尺、東に向ふ。社前に鳥居を立つ。之も村民の持なり。と記されるのみである。境内地は明治六年地租改正の折、官有地㐧一種として召し上げられた。
 明治三十九年八月勅令㐧二二〇号による一村一社を基準とする方針の強制に屈し明治四十一年三月四日、無格社浅間神社を当社に合祀した。尚境内に神武天皇の小祠と他に一祠があったがいつか潰滅してしまった。
 神社合併の方針は更に強化され、翌四十二年ごろ、当社を上谷本(現みたけ台)の杉山神社に合併する案も出たが、氏子の猛反対にあい、取り止めとなった然しこの時に神楽殿まで持ち去られることを恐れて、これを他の場所に移設改造し部落の集会所とし、昭和四十五年区画整理のため取潰すまで使用した。
 昭和三十三年三月、先に官有地として召上げられた境内地は氏子総代三名の連署を以て無償譲与申請し認可された。
 境内に安置される、庚申堂。地神塔、辨財天などは部落内に散財していたものを区画整理の結果移設したのである。参道の階段は昭和四十九年区画整理事業完了記念として篤志家より寄進されたものである。
 神殿の改築は昭和五十年部落民の共有地たちばな台一丁目十一番地七外二筆り土地を賈却した代金を以て改築した。
 總工費 壱千四百六十九万七千円
 起工  昭和五十一年四月十五日
 竣工  昭和五十二年四月十七日
 施工者 川崎市多广区襌寺 斎藤義治
昭和五十二年四月吉日 健之
   宮司 志村文雄 謹書


【八雲神社】横浜市青葉区市ケ尾町1725


  諏訪神社建設記念碑
   神社由緒沿革
 祭神  建御名方命
     言代主命
 例祭日 十月十日
 創建は棟札によると宝暦六年十月(一七五六年)当時の領主筧内膳及び忽氏子により大場村鎮地涌産土神諏訪大明神として建立された、とあり。新編武蔵風土記稿にも記されている。
 又、他の棟札によると安政六年三月(一八五九年)、領主筧三郎左ヱ門及び惣氏子らより覆殿、拝殿を建築したとの記録があり、明治元年(一九六七年)諏訪大明神より諏訪神社と改称する。その後、昭和三六年六月社殿拡充、境内地の整備更に昭和四十九年四月社殿修理、石段の改修を行った。
 当神社は丘陵地にあったが平成の時代になり大場町一帯の都市化が進み、神社を含む地域を大場第三土地区画整備組合と称し土地区画整理事業を施行、これを機に惣氏子相計り境内地の整備、社殿社務所の建築、諸設備の拡充を成せるもの也。
  平成五年三月吉日         宮司 志村幸男


【大場諏訪神社】横浜市青葉区大場町921


 その他、本日撮影の写真です。


【参考】
 長津田(ながつた)
 イチョウ Ginkgo biloba
 つくし野駅前
 サザンカ Camellia sasanqua
 サンショウ Zanthoxylum piperitum
 カラスウリ Trichosanthes cucumeroides
 コブシ Magnolia Kobus
 ロウヤガキ Diospyros rhombifolia
 イソギク Chrysanthemum pacificum
 キク Chrysanthemum × morifolium
 ツマグロヒョウモン Argynnis hyperbius
 恩田川
 ヤマナラシ Populus tremula
 タブノキ Machilus thunbergii
 スギ Cryptomeria japonica
 クスノキ Cinnamomum camphora
 ケヤキ Zelkova serrata
 ツタ Parthenocissus tricuspidata
 ローズヒップ (Rosa spp.)
 トウカエデ Acer buergerianum
 皇帝ダリア Dahlia imperialis
 トキワサンザシ Pyracantha coccinea


【主な経路】
横浜線長津田駅-つくし野駅-(43)(小川)杉山神社-秋葉神社-町谷八坂神社-鶴間熊野神社-公所浅間神社-定方寺公園-(45)西田杉山神社-天満宮-(46)金森杉山神社-高ヶ坂子育地蔵尊-成瀬弁天社-(44)成瀬杉山神社-(12)上恩田杉山神社-住吉神社-子ノ神社-(07)(上谷本)杉山神社-八雲神社-大場諏訪神社-ブルーラインあざみ野駅

【文献】
 新編武蔵風土記稿 横浜・川崎編、千秋社、1982.
 戸倉英太郎(1956)杉山神社考(復刻版,1978)、232p.

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