杉山神社を巡る-Part11 溝の口~新羽~鶴見

今日は、杉山神社巡りの締めくくりとして川崎市から都筑区のかけての6社を廻って来ました。この地域は杉山神社の分布の中心でもあり、延喜式神名帳に記載された式内社の可能性のある社が多くありました。
これまでに旧武蔵国周辺の杉山神社縁の社は一通り廻ったので、次は文献調査ですが、それは退職後になりそうです。

【本日巡検した杉山神社】
括弧内の数字は、戸倉(1956)の付図『杉山神社考関係地図』の番号
諏訪神社      :川崎市高津区諏訪3-16
有馬神明社     :川崎市宮前区有馬5-13-24
(19)大棚杉山神社  :横浜市都筑区中川6-1-1
(18)茅ヶ崎杉山神社 :横浜市都筑区茅ヶ崎中央57
(17)勝田杉山神社  :横浜市都筑区勝田町1231
(23)吉田杉山神社  :横浜市港北区新吉田町4509


【諏訪神社】川崎市高津区諏訪3-16
旧橘樹郡諏訪河原村にあった杉山神社が合祀されています。

諏訪神社の御由緒
一.御祭神
建御名方神(たけみなかたのかみ)
五十猛命(いそたけるのみこと)  日本武尊(やまとたけるのみこと) 大日孁命(おおひるめのみこと)  保食神(うけもちのかみ)
一.御神德
主祭神建御名方神は大国主命の御子にて千引石をもささげ持つ程の武勇に秀でた神といわれ古来より庶民の信仰が厚く病魔に勝ち困苦に克ってあまねく人生の開運を招き繁栄をもたらすと深く崇められ御祭神の御神德は誠にあらたかである
一.御由緒
信濃国の豪族諏訪安藝守源賴忠の末孫諏訪左近賴久が天正十八年(一五九〇年)主家北条左京大夫氏直の許を離れ此の地に来り慶長年中深く崇拝する信州諏訪大社の大神の分靈を受け守護神としてここに勧請せり
爾来近郷の鎮守として崇敬され明治三十二年省令に依り諏訪社に杉山社、大陸天社、神明社、稲荷社を合祀し諏訪神社と総稱現在の御社殿は大正初期の造営に成り大正四年四月遷宮祭を執行す
昭和五十二年十二月吉日 諏訪神社


【有馬神明社】川崎市宮前区有馬5-13-24
旧橘樹郡有馬村にあった杉山神社が合祀されています。

有馬神明神社
鎮座地
御祭神 大日霎貴命(おおひるめのむちのみこと)天照皇大神(あまてらすおおみかみ)のこと)
配祀神(はいしみかみ)=主神に副えて同じ社にまつること) 五十猛命(いそたけるのみこと)
祭典日 一月一日 元旦祭
十月第一日曜日 例大祭
十一月 十五日が日曜日でない時は第二日曜日  七五三祈願祭  大祓祭(おおはらいさい)
社殿  神明(しんめい)権現(ごんげん)造り 銅板平葺十二・七坪
由緒沿革 創立年歴は不詳ですが、現在残されている記筆から文政六年(一八二三年)以前と推察されます。明治三年の「神社明細帳」には、弘化二年(一八四五年)に再建とあり、また「新編武藏風土記稿」には、当時の有馬村に神明神社二社と杉山神社の三社がありましたが、明治四十三年現在の神名神社に合祀されたとあります。その後、幾多の改修が行われ、平成十三年五月老朽化により取りこわし、十四年九月新社殿が竣功いたしました。
〇ご祈願・ご寄進の受付け
初宮詣り、七五三祈願、地鎮祭などの諸祈願及びご寄進をご希望の方は社務所にお申込み下さるようお願いいたします。
有馬神名神社 氏子会


【(19)大棚杉山神社】横浜市都筑区中川6-1-1
式内社の可能性があるとされるなかでも最も可能性が高いとされる有力論社4社のうちの一つです。

檆山神祠埜?

杉山祠碑銘
武藏國都筑郡大棚郷杉山祠祭日本武尊延喜式所謂四十四座之
一而是為杉山明神本祠蓋大棚之為郷和名抄載都筑七郷内綴喜
店屋郷後為大店又稱大棚郷實為式兵部省所謂武藏國四驛之一
郷中有古道跡今尚寂然可尋有地稱宿根入者武藏演路以為驛址
又荒原往往出有文古瓦郷人以為古驛之徴續以日本記曰承和三
年二月授武藏國無位杉山明神從五位下蓋謂此祠也又聞昔者祠
在後山一旦罹災因徒之於山下天正十九年町制郷籍載祭田四百
五拾六歩至文禄三年為 官町收遂失祭田町万今因循伝訛以郷
為村祠亦殆廢天保五年別當龍福寺住僧長傳深慨其祠之衰替乃
具其町傳之神壐以請白川神祇官總司乃賜以杉山神社四字題額
實係神祇伯雅壽王所書掲之於祠前焉間者村民恵吉等相謀將立
碑書其顛末以傳無窮而請文於余乃記其所説又係以銘曰
白烏之神英武之質西伐東討偉功無匹杉山古祠久就埋没貞砥載
文神威斯述
嘉永五年(1852年)歳次壬子嘉平月  林司威家塾都講河田興撰并書


宗教法人 杉山神社移築記念碑
横浜市は昭和四十年二月、六大事業の一つとして「横浜国際港都建設事業・横浜北部新都市土地区画整理事業」を発表、同四十九年建設大臣の事業認可。横浜市高髙三号線の免許取得、着工に至る。
杉山神社は中川町一〇八四番地から同町七五七番の元吾妻社の跡地へ五十八年十一月三十日仮社殿を設けここに遷座し、元旦祭・大祭は此処で執行された。換地も間近く建設委員会の結成に着手、資金計画に入る。
移設補償金と寄付金を念頭においたが、神社地の一部八〇坪を売却し基金とすることに決し、その承認を神社本庁に申請し、同時に社殿・社務所・鳥居等の新築・改築・移築をも承認された。
平成四年四月、中川町一一九四番地に仮換地指定された社殿は木造とし長野県諏訪市大字四賀、株式会社石田組と、同五年三月工事契約を結び六年九月竣工し、同十月十三日祭神勧請と配神遷座式を行い社務所・鳥居・付属建物・植栽等の完成を待ち平成七年十月十五日遷宮式典と落慶祝賀に及ぶ。
御霊璽については杉山神社と最も由緒深いとされている和歌山県の伊太邪曽神社へ赴き親しく御分霊を受け五十猛命の霊璽を拝受し御主神日本武尊と並び崇め祭る。


【(18)茅ヶ崎杉山神社】横浜市都筑区茅ヶ崎中央57
この社も有力論社のひとつです。境内社稲荷社の側に御神木の切り株が残されていました。

由緒
勅願所式内武蔵國都筑郡之一座當國三ノ宮杦山神社祭神由布津命
傅記云由布津主命ハ天日鷲命之孫也天武天皇白鳳三年九月堅田主
命二十代ノ孫忌部勝麻呂依御神霊而奏天朝武蔵國杦山乃國ニ立神
籬右大神ヲ奉リ杦山社ト號シ奉ル勝麻呂ノ弟義麻呂祭主トシテ奉
仕麻ノ貢ヲ奉リキ仁明天皇承和五年預宮幣ニ嘉祥九年五月授従五
位下封田ヲ寄玉フ遥後元暦二年正月廿一日依御○願而従鎌倉殿御
奉幣有之タリ鎮座記元一千二百十余年也
合祀由来明治四十三年十月八日神奈川縣指令之第二九三四號ヲ以
テ御認可 神奈川縣都筑郡中川村茅ヶ崎字境田二〇九八番地村社
杦山神社祭神五十猛命被合併神社仝村仝字東前八〇八番地無格社
神明社祭神天照皇大神仝字八二五番地天王社祭神素盞鳴命仝字六
二七番地稲荷社祭神稲倉魂命右三社ハ村社杦山神社ニ合祀空社地
立木ハ村社基本財産ニ編入本社ノ経營成大正九年九月十月指定村
社ニ昇格仝年十月十三日中川村長供進使トシテ奉告祭ノ式ヲ挙ゲ
タリ碑ヲ建テ以後世ニ傅フ
大正九年十月十三日 氏子中    二子石工小俣刻


【(17)勝田杉山神社】横浜市都筑区勝田町1231
旧橘樹郡勝田村の杉山神社です。式社であった可能性があるとされています。
静寂な境内にはサクラとカヤの大木があり、稲荷社と御嶽社それに塞神も祀られていました。

社殿改築之碑
塞神

杉山神社 五十猛命
日本武尊
日枝神社 大己貴命
稲荷明神 倉稲魂命
八幡太神
稲荷明神
應神天皇
倉稲魂命
神明太神 大日孁貴尊
稲荷明神 倉稲魂命

歴代宮司
白八幡太神神主
小島政廣   斉藤清治   斉藤一磨

當社は新武藏風土記稿に、村の乾(北西)の方にあり、本社一間半に二間、拝殿三間に二間、本社に作りそえて東方に向かへり、神躰は不動、木の立像にて、長八寸なるを安置す。又八幡稲荷を合殿に置り、例祭は年々八月二十一日、村の鎮守にて、村民の持なり。當社の勧請は傳へざれど應永の鰐口を社前に掛く。・・・かかるものあれば古社なるよし。・・・山王稲荷合社、村の中央にて、乾の方に向ふ、村民の持。 太神宮稲荷合社、村の東にあり、村民の持。
天保九戌年八月十七日社殿を造営弘化三年丙午年九月鳥居建立明治六年十二月村社に列せられる。明治廿四年九月狛犬明治廿七年九月石板を新築、明治四十四年一月二日無格社日枝神社(山王権現)神明社(神明太神)を合祀、大正十五年丙寅年十月十日、本殿幣殿拝殿を改築、同年十月十九日神饌幣帛料供進神社に列せられる。昭和二年二月石坂五段を新築、昭和二十七年十月十九日神楽殿を改築、昭和二十八年八月十三日登記宗教法人杉山神社と改む。昭和四十六年十二月社殿屋根葺替、昭和五十五年十月裏参道完成、今日に至る。氏子七拾弐戸なり。當地区は横浜市六大事業の一環として港北ニュータウン造成開発が進み、町内三箇所の灌漑用水池も姿を消す事となり、その内谷池を市より払下げを得、水利組合の所有地として仮換地指定を受ける。昭和六十三年勝田会館建設のため所有地を処分し建設資金に充当、相当額の残余有神社護持と将来地域の発展をあまえ最良再建の期と考え、水利組合、氏子中、満場一致の賛同を得、平成二年三月建設委員会発足、社殿の造営、稲荷神の建立、社務所の新築、境内の諸整備を進め竣成なる。誠に慶賀の至り茲に謹んで御遷宮祭を奉祝す。             敬白
平成四壬申年十月吉日
杉山神社 総代 建設委員長 関 恒三郎


【(23)吉田杉山神社】横浜市港北区新吉田町4509
この社も有力論社のひとつです。天神社と稲荷社、それにカヤの大木(横浜市名木古木49380)が境内にありました。

武蔵国都筑郡郷社 杉山神社の由緒
祭神 主座 五十猛命
合祀 鎌倉権現五郎景政・比野聖廟・素戔嗚尊
例祭日 十月九日
当社の創建は不明であるが式内社(平成(平安の誤記)時代に制定された延喜式神明帳にある神社)として既にその名を記された「武蔵国六之宮杉山神社」に比定される神社の一つである。
そもそも杉山神社は安房の忌部氏によって武蔵国南部、都筑郡に祭祀され、同郷の鶴見川とその支流の早淵川流域の開拓によって広く分祀されていったとされる。
当宮は明治に至り、近在の御霊神社他を合祀し、権五郎景政・比野聖廟・素戔嗚尊を合祀し現在も本殿内に祀る。
社殿は権現造りであるが、本殿は三座あり、主座は五十猛命・次座は御霊大神五郎景政である。三座目は比野聖廟・素戔嗚尊と思われるがその由緒などは不明である。
神社南側は旧字名を杉山と称した事、武蔵国総社大國魂神社の社家猿渡氏の出自がこの吉田村界隈と推測される事、地勢上などから式内社と有力視されて明治六年に都筑郡の郷社に定められ広く崇敬された。
現在の氏子区域は当地の北川(早渕)・御霊・稲坂・中里となっている。
当宮に関する連絡先
高田天満宮 〇四五-五九一-六二九一まで


その他、本日撮影の写真です。
【久本神社】川崎市高津区久本1丁目16-13
本日の振出は、昨年12月3日に訪ねた久本神社でした。この社の前身は八幡社、杉山社2社、神明社で、現在の祭神は天照皇大神となっていますが、なぜか素戔嗚由来の茅の輪が置かれていました。


【高津馬頭観音堂】川崎市高津区坂戸1丁目6-25

高津馬頭観音(説明版より)
馬頭観音は六観音の一つで仏教における信仰対象である菩薩の一つです。頭上に馬頭をいただいていることから、馬の守護神として古くから広く信仰されています。
畜生道救済(畜生界におちた霊の成仏、ペット・家畜の冥福)魔障除去・魔障による病気平癒と、苦悩除去の功徳があるといわれております。
この地にいつ石造りの馬頭観音が建立されたかは、さだかではありませんが皆様のご協力により、新たに御社を建立させていただきました。


【大陸天公園】川崎市高津区二子4丁目18-1
現在は溝口神社に合祀されている大陸天(だいろくてん)社の旧蹟地です。


【溝口神社】川崎市高津区溝口2丁目25-1
主祭神は天照大神、久本神社と新城神社の神職も兼務していらっしゃる溝口神社(みぞのくちじんじゃ)です。久本神社は杉山社2社、新城神社は杉山社1社を合祀しているので、ここも杉山神社に縁があると申せましょう。ここに茅の輪が設置されている由来も不明ですが、神仏分離令への対応の際に主神を変更した歴史に鑑みますと、由緒とは関係なしにコマーシャル的に成功した神社なのかも知れません。


【勝田山最乗寺】横浜市都筑区勝田町1277
イチョウは横浜市名木古木48171、ジュウガツザクラは古木ではなさそうですが、花付きの良い樹です。


【稲荷大明神】横浜市港北区新吉田町


【若雷神社】横浜市港北区新吉田町3490
たまたま通りかかった若雷(わからい)神社、境内社は伏見稲荷です。


【安塚弁財天】横浜市港北区新吉田東7丁目2-3
石碑には「さいかち戸弁才天」とありました。「さいかち」はマメ科の「皁莢」ではなく、「歳勝」のようです。


【稲荷大神】横浜市港北区樽町3丁目12-25


その他、冬の花など

【参考】
ローズマリー Rosmarinus officinalis
ジャノメエリカ Erica canaliculata
マユミ Euonymus sieboldianus
早渕川
ロウバイ Chimonanthus praecox
ジュウガツザクラ Cerasus x subhirtella cv. Autumnalis
ヒイラギナンテン Mahonia japonica
鶴見川
本年最大といわれるスーパームーン

【文献】
新編武蔵風土記稿 横浜・川崎編、千秋社、1982.
戸倉英太郎(1956)杉山神社考(復刻版,1978)、232p.
式内社研究会(1976)式内社調査報告、第11巻東海道6、皇學館大学出版、588p.

【本日の主な経路】
溝の口駅-久本神社-高津馬頭観音-諏訪神社-大陸天公園-溝口神社-有馬神明社-(19)大棚杉山神社-(18)茅ヶ崎杉山神社-(17)勝田杉山神社-勝田山最乗寺-(23)吉田杉山神社-稲荷大明神-若雷神社-安塚弁財天-稲荷大神-京急鶴見駅

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です