先週の侍従川に続いて、今日(10/9)は宮川を河口から上流へと辿ってみました。手子神社を過ぎると流れはやがて暗渠となり、その上には『釜利谷小川アメニティ』の小川が造られていましたが、釜利谷柿の木公園辺りで流れを辿ることが出来なくなりました。近くには釜利谷西雨水調整池もあるのですが、あたりを見渡せば、雨水専用のマンホールがあり、それを辿ると西金沢学園(釜利谷西4丁目19-1)の裏手へと流路が続いていました。宮川の支流はいくつかありますが、関ヶ谷市民の森、白山道奥公園あたりで流れを辿れなくなりますので、宮川の源流域は横浜市の最高峰である大丸山周辺と言ってよさそうです。
なお、宮川(本流)のうち瀬戸橋から侍橋までが神奈川県が管理する2級河川です。侍橋から沢木橋までが横浜市が管理する準用河川、沢木橋から上流は河川法適用外の普通河川の扱いになります。金沢文庫駅南側の大川橋付近で合流する支流には谷津川の名があるのですが、金沢文庫駅周辺は暗渠化されています。谷津川の集水域は能見堂跡、称名寺西側などを含むと思われます。(支流部分は10/15の追加撮影です。)
宮川水系図 六浦川 谷津川 横浜市河川図 横浜市公共下水道台帳
侍従川の源流域を訪ねて 鷹取川の源流を訪ねて 鷹取川天神橋上流
【瀬戸橋~金中橋】
瀬戸神社
瀬戸橋
荒川屋
弁天屋
新瀬戸橋(国道16号線)
姫小島水門跡
秋月橋
おもかげ橋
京浜急行専用橋
大川人道橋
京急本線
【谷津川】
大川上橋
暗渠流出口
金沢文庫駅第二自転車駐車場A棟
【大川橋~中洲橋】
大川橋
金中橋
小泉橋
中洲橋
【宮川左支流】
中井橋
新中州橋
水道管(?)
御中井橋
暗渠流出口(釜利谷公園東側)
(リバーサイド金沢文庫前)
(柳沼眼科駐車場前)
暗渠流出口
【桜橋~侍橋】
桜橋
宮川橋
宮川橋定点カメラ
宮川橋定点(現在水位は0.6m)
手子神社
小宿橋
宮下橋
宮川右支流(左暗渠)合流地点
【宮川右支流】(10/15加筆)
宮川右支流は白山道奥が源流域となっていて、白山妙理大権現のすぐ下で暗渠へと消えていました。
宮川右支流合流地点(左側が支流)
六郎橋
暗渠流入口(六郎橋上)
釜利谷地域ケアプラザ:釜利谷南2丁目8-1
東光禅寺:釜利谷南2丁目40-8
観音堂:釜利谷南2丁目43
二臂如意輪観音像(観音堂)
暗渠流出口
白山妙理大権現:釜利谷南2丁目44
マンホール(雨水用):白山道奥磨崖仏前
【宮川(準用河川部分)】
侍橋
侍橋人道橋
釜利谷小川アメニティ
坂本橋
福松橋
針山橋
沢木橋
『こゝから下流河川法による準用河川区域』碑
【宮川(普通河川部分)】
(無名の)橋
暗渠流出口
釜利谷柿の木公園
マンホール(雨水用)
西金沢学園:釜利谷西4丁目19-1
金沢市民の森からの流入
【宮川支流(坂本子どもの遊び場)】(10/15加筆)
針山橋
暗渠流出口:釜利谷東7丁目18-22
坂本子どもの遊び場
【宮川支流(関ヶ谷市民の森)】(10/15加筆)
支流の分岐地点
坂本町内会館バス停
ホタルの里入口(関ヶ谷市民の森)
【六浦川に架かる橋、等】
釜利谷南辺りが源流となっている六浦川は、国道16号線に架かる六浦橋から上流は暗渠化されており、すぐ西側の六浦ポンプ場がいわば源流です。現在の橋は上流から、六浦橋、旭橋、八景橋の3ヶ所だけとなっていて河川としての総延長は600mほどです。六浦橋の欄干に橋名は残されていませんが『大正拾五年拾月竣○』の銘が残っていますので、1926年にかけられたことが分かります。六浦を「むつら」、小泉を「こずみ」と呼んでいた時代があったそうで、橋の名はそのように呼ぶのが正しいようです。ただし、夕照橋だけは『ゆうしょうはし』なのだそうです。
八景橋
旭橋
六浦橋
六浦川暗渠流出口
六浦橋石柱
大正拾五年拾月竣○
泥牛庵
泥牛庵前石塔群
本日、撮影の植物です。ホシアサガオと思って撮影した花は、大きさや形はそうなのですが、典型的なホシアサガオと比べると色が違うようです。Ipomea属の他種かもしれません。
ヨモギ Artemisia indica
セイタカアワダチソウ Solidago altissima
ムクゲ Hibiscus syriacus
カラムシ Boehmeria nivea
キヅタ Hedera rhombea
ムラサキゴテン Tradescantia pallida
イノコヅチ Achyranthes bidentata var. japonica
ヒメヨモギ Artemisia lancea
コノテガシワ Platycladus orientalis
ホシアサガオ(?) Ipomoea triloba (Ipomoea sp.)
マメツゲ Ilex crenata var. crenata f. bullata
金沢キリスト教会:柳町35-15
ボケ Chaenomeles speciosa
ビロウ Livistona chinensis
シロタエギク Jacobaea maritima
ハマオモト Crinum asiaticum
ジュズサンゴ Rivina humilis
常盤山査子(ピラカンサ) Pyracantha sp.
ローズマリー Rosmarinus officinalis
センダン Melia azedarach
アカミミガメ Trachemys scripta
ニシキゴイ Cyprinus carpio
オランダガラシ Nasturtium officinale
ハナカンナ Canna spp.
チャバネセセリ Pelopidas mathias
アフリカンマリーゴールド Tagetes erecta
オトコエシ Patrinia villosa
コバノセンナ Senna coluteoides
シンテッポウユリ Lilium x formolongi
福祉施設周辺の史跡案内
現在の金沢区の南部地域は、鎌倉に武家政権が置かれた当初から鎌倉文化圏の一角を構成し、経済的にも軍事的にも重要な場所でした。この福祉施設の一帯も。北条実時の父、実泰が文暦元年(1234)に六浦莊釜利谷に隠居し釜利谷殿と呼ばれていたことから、その重要性が解ります。その後金沢氏は、現在の称名寺がある場所周辺を本拠地としますが、仁治2年(1241)朝夷奈切通を開削し国際港六浦津へつながる六浦道がつくられ、さらに嘉元3年(1305)に瀬戸橋が開通するまで、釜利谷の白山道は山越えをして、鎌倉と金沢市の本拠である称名寺を結ぶ要路となっていました。
こうした経過から畠山重忠をはじめとして、鎌倉時代の武将にまつわる逸話もいくつか見ることができます。畠山重忠は、武蔵国男衾郡畠山莊(現・埼玉県大里郡川本町)を本拠とする武将で、源頼朝に従い活躍した鎌倉幕府の有力御家人でした。しかし、頼朝の死後、北条氏と対立し、元久2年(1205)武蔵国二俣川で僅か百三十四騎で幕府の大軍と戦い、誅殺されたことが、「吾妻鏡」に記載されています。豪勇・廉直の坂東武者の典型として、昔から親しまれ各地に伝承を残しています。この地に伝わるものとしては、「新編武蔵風土記稿」に、畠山重忠戰死奮蹟が記されているほか、福祉施設が建てられている敷地にあった畠山重忠の法号、生年月日を記す廟塔等の石塔や東光寺(現東光禅寺)には位牌が伝わっています。また、鎌倉由比ヶ浜で戦死した重忠の嫡子重保についても、坂本村と宿村の境(六郎ヶ谷)に五輪石塔の墓があるとの記載があります。
設置者 横浜市健康福祉局障害支援課
【文献】
横浜市道路局河川企画課(2022)宮川(金沢地区の新田開発と河川改修)、川のはなし、第十一稿、URL: https://www.city.yokohama.lg.jp/kurashi/machizukuri-kankyo/kasen-gesuido/kasen/kouhou/kawa-hanashi/, Acceseed: 2022-10-15
横浜市、だいちゃんマップ、URL: https://wwwm.city.yokohama.lg.jp/yokohama/, Accessed: 2022-10-15.
下野喜子(2014)ヨモギ(Artemisia indica Willd. ver. maximowiczii (Nakai) H.Hara))~緑化植物の観点から~、草と緑、6, 23-31. URL: https://www.jstage.jst.go.jp/article/iuws/6/0/6_23/_pdf/-char/ja, Accessed: 2022-10-12.