侍従川の源流域を訪ねて

 平潟湾の流入河川は、宮川、六浦川、侍従川、鷹取川の4河川ですが、今日はそのうち侍従川の源流に向かって歩いてみました。新編かねざわ歴史事典(2010)によると浦賀道と鎌倉道との分岐点は諏訪之橋あたりだとのことです。
侍従川マップ  侍従川六浦二号橋ライブカメラ  横浜市河川図
 鷹取川の源流を訪ねて  鷹取川天神橋上流  雨水バイパス管
【河口から汐見橋】


【侍従川支流】

【高橋から加倉橋】

【大道橋から源流域】


侍従川と照手姫の伝説
 六浦方面から平潟湾に流れ込む侍従川。この川は照手姫(照天姫ともいう)にまつわる不思議な伝説が残されています。昔、常陸国での戦いに敗れた小栗判官には、照手姫という侍女がいました。照手姫は藤沢から朝比奈峠を越え、六浦港に出ようとする所で追手に捕らえられ、侍従川二投げ込まれるなど、何度か危機を迎えますが、その度に日頃信仰している観音の功徳によって奇蹟的に助かり、その後無事に小栗判官と再会できたという話です。また、川の名前も、「侍従」という名の照手姫の乳母にちなんでつけられたといわれています。


    庚申塚
此処に有る庚申塚は裏面に享保九辰年(一七二四年)や寛文十年(一六七〇年)の文字が刻まれて居ます。この頃、建てられたものですが庚申信仰は中国の道教が日本に伝わり日本の仏教や神教と混合して独特の信仰形態になったと云われます。本体で一般的なのは青面金剛菩薩ですが帝釈天・猿田彦命や三猿等形態はさまざまです。疫病や不幸を防ぐ力が有ると信じられ他村からそれ等悪いものが村へ入らないようにと昔は村の入口や四辻等に祀られて居ました。明治十年頃迄は三艘の民家三十六軒中三十軒が三艘橋から現在の六浦南一-三六-二一(早川邸)まで集落を形成して村の中心でした。そして侍従川-三艘橋-象ヶ谷に通ずる川の中心が字三艘と字川の村境でした。従って三艘橋が字三艘の入口であったと思われています。

庚申塚:三艘町内会館前


【常福寺】(新編かねざわ歴史事典より)
大道に二丁目の宝珠院下の鎌倉街道沿いにあった寺。山号は大道山。久安3年(1147)阿弥陀堂として創建。開山は審覚。開基は内蔵武直(くらのたけなお)。本尊は阿弥陀如来、観音菩薩、勢至菩薩の三尊(県重文)。称名寺創建に伴いその末寺となる。鎌倉公方足利持氏の祈願所で、門前関所を設けその関銭を称名寺造営の費用に充てた。大道一帯が常福寺の領地(寺分)であったが、中世末期以降衰微し寺領を失い、明治初期廃寺。本尊は宝珠院に移された。本尊の体内文書から六浦の歴史の一端が明らかとなった。


【鼻缺地藏】(新編鎌倉志より)
 鼻缺(ハナカケ)地藏は、海道の北の岩尾に、大なる地藏を切付てあり。此より西は相州、東は武州なり。相・武の界にあるを以て、界地藏と名く。像の鼻缺てあり。故に里俗、鼻缺地藏と伝なり。北の方へ行道あり。釜利谷(カマリヤ)へ出て、能見堂(ノケンダウ)へ登る路なり。

鼻缼地蔵


【侍従川】(新編鎌倉志より)
 侍従川(シジウカハ)は、光傳寺の前を流るゝ川の下なり。俗に傳ふ。照天姫が乳母侍従と云女、身を投げたる川なりと。


【油堤】(新編鎌倉志より)
 油堤(アブラツツミ)は、六浦橋の南、専光寺の前にある堤なり。侍従照天姫が粧具を持、此堤まで來り、其行方不知事をかなしみ、此所に捨置て、身を投げたるとなり。


 上總介広常は、平氏でありながら頼朝側で戦ってきたにも関わらず、頼朝の命により誅殺された武将の様で、その評価は必ずしも定まっていないようです。上總介塔は、17世紀には朝比奈切通しの大切通しと小切通しの間にあったものが、現在地に移設されたと思われます。
【上總介石塔】(新編鎌倉志より)
 大切通と小切通との間、田中にあり。上總介未考。平廣常が事歟。廣常は、高望王九代孫にて、上總介常隆が子なり。武勇の名譽關東に振へり。坂東平八氏、武林八介の其一人也。頼朝卿に屬して、義兵を助け、良策戰功多し。後に讒言に因て、頼朝に疑はれ、壽永二年十二月に殺されたり。【愚管抄】に、介八郎廣常を、梶原景時をして討たせたり。景時、雙六打て、さりげなしにて、局を越て、(やが)て頸をかいきりて、もてきたりけるとあり。後に廣常。謀叛にてあらざる事、支證明白にて、頼朝これを殺したるを後悔し給いたる事、【東鑑】に見たり。鎌倉より切通の坂へ登りたる左方に、岩間より湧出る清水あり。梶原(カジハラ)太刀洗水(タチアラヒミヅ)と名く。或は、平三景時、廣常を討し時、太刀を洗たる水と云事歟。是も鎌倉五水の一つなり。或は此邊に上總介廣常が宅がありつるか。【東鑑】に、頼朝卿、治承四年十二月十二日に、上總介廣常が宅より、大倉の新造の御亭に御移徒とあり。此邊よりの事歟。

上總介塔:金沢区朝比奈町513-ロ1


【文献】
 金沢区生涯学習”わ”の会(2010)新編かねざわ歴史事典、142+31p.
 河井恒久ら(1685)新編鎌倉志巻之八、In 蘆田伊人編、大日本地誌大系㉔新編相模国風土記稿第六巻(1985)


【参考】
居酒屋ぽんぽこ
平潟湾
野島と夕照橋
平潟橋
雪見人道橋
雪見橋
内川橋
京急本線
新川橋
京急逗子線
庚申塚:三艘町内会館前
稲荷社:六浦5丁目16-13
汐見橋
【侍従川支流】
 侍従川支流流入部
 三艘橋
 象ヶ谷橋
 (ジェイシティ六浦前の橋)
 私用橋(8か所)
 支流暗渠からの流入部
高橋
侍従橋(県道205号線金沢逗子線)
諏訪之橋
諏訪大明神:六浦5丁目29-1
六浦2号橋(県道23号線原宿六浦線・横浜環状4号線)
加寿美橋
泥牛橋
大道東橋
長島橋
明戸橋
山王橋
二の橋
第二山王橋
中野橋
加倉橋
大道橋(県道23号線原宿六浦線・横浜環状4号線)
河川名表示板
(名称不明1)
(名称不明2)
里野橋
地蔵前橋
鼻缼地蔵
(ブックオフ前の)橋
朝比奈橋
私用橋1
私用橋2
耕地橋
上總介塔:金沢区朝比奈町513-ロ1
暗渠流出口
暗渠流入口
金之橋
イヌガヤ(浄林寺跡)横浜市指定名木古木 No.48140 Cephalotaxus harringtonia:朝比奈町267
暗渠流入口
源流付近(?)


 その他、今日撮影。生物は少なめでした。


 カルガモ Anas poecilorhyncha
 イヌガヤ(浄林寺跡)横浜市指定名木古木 No.48140 Cephalotaxus harringtonia:朝比奈町267
 チョウマメ Clitoria ternatea
 大道山常福寺跡:大道2丁目
 マダケ Phyllostachys bambusoides
 キンモクセイ Osmanthus fragrans
 ペンタス Pentas lanceolata
 メキシコハナヤナギ Cuphea hyssopifolia
 アキニレ Ulmus parvifolia

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