白山神社を巡って

 今日は、金沢区、磯子区でまだ撮影していなかった社を訪ねました。気づくと白山社が3社ありましたので、当サイト内の白山社へのリンクを整理してみました。


【横浜市指定名木古木】
 ケヤキ No.95015(六浦白山神社:金沢区六浦東2丁目13-20)


 タブノキ No.49287(磯子区洋光台6丁目16)


【(六浦)白山神社】金沢区六浦東2丁目13-20
 新編かなざわの歴史事典によれば、瀬戸神社に合祀されたため今では影宮ですが、綺麗に整備されたお社です。境内では横浜市指定の名木古木のケヤキが元気です。


【白山妙理大権現(白山社)】金沢区釜利谷南2丁目44
 白山信仰の主神は通常は菊理媛(くくりひめ)ですが、ここでは毘沙門天が主神格の様です。


【不明の社】金沢区釜利谷東7丁目20
 以前から気づいていた参道の分かりにくいお社です。鳥居が稲荷社を思わせますが、由緒は不明です。


【金比羅宮】金沢区釜利谷東6丁目40
 竹嵓山禅林寺に隣接する社です。


【宇賀山王社】金沢区釜利谷東7丁目11-2
 福松山自性院慈眼寺の境内社で、名称は山王社ですが、本尊は薬師如来のようです。


【熊野権現社】金沢区釜利谷東4丁目47
 隣には稲荷社が鎮座しています。


【峯白山神社】磯子区峰町623
 辿りついた時にはすっかり暗くなっていました。本殿の左右に境内社、西側の眺めが良いようです。

    峯白山神社略記
御祭神 伊邪那美命
 峰という地名は新編武蔵風土記稿(久良岐郡之七本牧領峰村)によれば、このあたりは久良岐郡の西南に位置し、山は多いけれども、特に高く突き出ているので峰と言う地名が出来たと書いてあります。風光、景色の良いことについて次の様に記してあります。「村の西北の方に小塚三つあり、三ぞう坊塚と呼ぶ、由来詳ならず、塚の辺り、最も高くして眺望殊に勝れたり、北は本牧の方を見下ろし東は一円海面にして、西南の方に富士箱根の高嶺連り、好景いはん方なし」とあります。
 又長野山(現円海山)については「村内南方にあり、土俗に円海山と呼ぶ郡中第一の高山にて眺望殊に類なし。相州鎌倉山眼前にあたり、四方の村々を足下に見下し、東は海面渺茫として房總の諸山を望み、遠くは、伊豆、箱根、富士、大山、筑波、日光、浅間等を始めとして都て、十ヶ國の山々を一望す、故に土人十國見と偁し、或は八州見とも呼ぶ。関八州一望の内に見るの義なるべし。眺望する所の十ヶ國は、駿河、甲斐、伊豆、相模、安房、上總、常陸、上野、下野、信濃等なり。」とありますように峰町は昔から風光明媚な景勝の地として知られておりました。当、嶺町の鎮守様、峰白山神社は明治以前の神仏習合の時代には、白山権現社というご社名で祀られておりました。
 創立の年代ははっきりして居りませんが、天保十五年(一八四四年)の社殿鎮座の棟札によりますと、「当社ハ鎌倉繁栄ノ頃ヨリ宇手四面ト言ウ地ニ鎮座シテ今権現ト呼」とありますので、鎌倉時代から鎮座して現在まで七百余年経て居る古社であることは確かです。
 ちなみに宇手四面とは、旧鎌倉道の道場坂の上で小名権現と言う地で現在の地番表示では洋光台六ノ二十七辺りと言う事で宅地造成前はこの辺りは樹木が生い茂った三〇〇坪程の社地があったと言う事です。現在社殿のあるところは、阿弥陀寺二十四世孝譽上人が社参の都合上、寺の近くの寺地の一部をさいて社地として天保十五年に移し祀ったものと言われて居ります。その後明治初めに神仏分離でお寺さんの管理を離れ、村民持ちの鎮守となって名を自由神社と改称し、中原、杉原健雄が神主となりました。
 明治二十五年に社殿の造営が行れ本殿、拝殿、二棟の荘厳な神明造りの社殿が完成しましたが、明治四十五年の神社合併によって栗木の日枝神社に合祀され、この時社殿も移されました。終戦の後、宗教法人法が改正され、合祀されていた神様を元の土地にもどすことになり、昭和二十二年に仮社殿を建ててご神体をお迎えして神主杉原敏夫によって還御祭を奉仕して社名を峰白山神社としました。
 その後、洋光台団地造成のため、小名権現の旧社地が売却され、これを基金として氏子の寄付を募り、鉄筋コンクリート神明造りの社殿を奉建し、昭和四十四年八月神主杉原敏之により還宮奉祝祭を執り行い現在に至って居ります。
 ところで、白山権現という神様ですが、ご本社は石川県石川郡鶴来町に鎮座される、旧、国幣中社白山比咩神社です。この神社は由緒によりますと、「霊峰白山を御神体として白山姫の大神(伊邪那美大神)を奉斎する。崇神天皇のときに白山のまつりにわ(祭りの場(?))として創建されたと伝える延喜式内社で古来白山本宮加賀一の宮として尊崇され、北陸鎮護の社名である。養老元年僧泰澄がはじめて白山登拝後は、修験道場として隆盛をきわめた。白山山頂の奥宮は養老二年の創建と伝え全国に三千有余を数える白山神社の相根源社である」という事でありましたが分かりやすく言うと養老元年に僧泰澄が白山にこもって一心に祈願をしていたら、美しい女神が白馬に乗って出現し「われは伊邪那美、天照大神の生母である。我を拝まんと望むならば白山の山頂に登って拝せよ。」と言うお告げがあったので、泰澄は、早速山頂に登って伊邪那美大神を祀ったと言う事です。
 平安末期から室町期にかけて白山には僧房三千が棟を並べ僧兵数万を擁して、熊野、比叡と肩を並べる程の大勢力となり、この山法師たちが全国を回国修行して各地に白山権現社を建てたのであります。
 北陸の景勝地白山の山頂に祀られた大神様が関東の十国を見渡す、風光明媚の地、「峰」の山頂に祀られたと言う事はまことにご神慮に叶った事だと存じます。
 神道大辞典伊邪那美命の項に「伊邪那岐ノ命ト共ニ国土ヲ修理固成シ大八州国及ビ山川、諸神ヲ生ミ給フ」とありますように、国土創建の神であり諸神を産み給うた親神様であります。
 子等の幸福を願わない親はありません。吾々氏子が己の行を正し、心を祓い清めて、大神様の御前に額ずく時、必ずや大神様の御神徳を戴く事ができましょう。
          宮司 杉原敏之 記


【注】原文には明らかなミスタイプが多数あるため、類推できる部分は修正しています。なお、白山比咩(しらやまひめ)(=菊理媛(くくりひめ))を伊邪那美(いざなみ)と同一視することは、珍しい解釈と思われます。白山神社の総本社である白山比咩神社の見解とも異なっておりますので、単なる間違いなのかどうか、これも要調査事項の様です。
–> 上記の鳥居前に掲示されていた由緒書きの祭神に関する部分は『磯子の史話』からの引用と思われます。
渋谷(2015)によれば、白山神社の総本社である加賀白山比咩神社の創始者である泰澄が白山山頂で出会った本地仏十一面観音は、自らを伊弉冉尊である名乗ったと伝えられているものの、同社の主祭神は菊理媛尊であるとされています。菊理媛と伊弉冉を同一視する解釈は、恐らくは『磯子の史話』からの引用の際に誤った(あるいは分かりやすく改変された)ものと推測されます。(2019/12/27)


 以下、その他の写真です。


【参考】
 ケヤキ Zelkova serrata
 タブノキ Machilus thunbergii
 寒念佛供養塔:釜利谷南2丁目41
 石塔群(観音、地蔵):釜利谷南2丁目43
 白山古道磨崖仏
 二ホンスイセン Narcissus tazetta var. chinensis
 地蔵尊:福松山自性院慈眼寺境内
 地蔵堂:磯子区栗木3丁目35


【三浦半島周辺の白山社】
 これまで訪ねたことのある社を中心にして、境内社や合祀社を含む白山神社を整理してみました。かつて全国に3000社あったと言われる白山神社ですが、こうしてみると、三浦半島あるいは旧相模国では寧ろ珍しい神社と言えそうです。
三浦市
 白山神社:三浦市南下浦149(旧相模国三浦郡菊名村)
横須賀市
 平作神社:横須賀市平作6丁目7(旧相模国三浦郡上平作村)
 祖母神社:横須賀市長坂3-12-15(旧相模国三浦郡長坂村)
 【白山神社跡:横須賀市浦賀1丁目9-10(旧相模国三浦郡大津村)】
藤沢市
 白山神社:藤沢市下土棚1065(旧相模国高座郡下土棚村)
鎌倉市
 白山神社:鎌倉市今泉3丁目13-20(旧相模国鎌倉郡今泉村)
 甘縄明神宮:鎌倉市長谷1丁目12-1(旧相模国鎌倉郡長谷村)
 白山社:鎌倉市稲村ガ崎1丁目6(旧相模国鎌倉郡極楽寺村)
 五社稲荷神社:鎌倉市岩瀬1399(旧相模国鎌倉郡岩瀬村)
横浜市
 白山社:横浜市泉区岡津町1552(旧相模国鎌倉郡岡津村)
 白山神社:横浜市栄区東上郷町44-9(旧相模国鎌倉郡上之村)【白山社跡:横浜市栄区長倉町1-29】
 白山社(舞岡八幡宮境内):横浜市戸塚区舞岡町946(旧相模国鎌倉郡舞岡村)
 白山神社:金沢区六浦東2丁目13-20(旧武蔵国久良岐郡三分村)【合祀先:瀬戸神社
 白山妙理大権現:横浜市金沢区釜利谷南2丁目44(旧武蔵国久良岐郡宿村)
 峰白山神社:横浜市磯子区峰町623(旧武蔵国久良岐郡峰村)
 白山神社:横浜市磯子区上町12(旧武蔵国久良岐郡根岸村)
 白山社:横浜市南区別所2丁目30-29(旧武蔵国久良岐郡別所村)
 春日神社:横浜市港南区日野中央2丁目9-3(旧武蔵国久良岐郡宮下村)
 住吉神社:横浜市港北区小机町110(旧武蔵国橘樹郡小机村)
 潮田神社:横浜市鶴見区潮田町3-131-1(旧武蔵国橘樹郡潮田村)
 (新羽北)杉山神社:港北区新羽町3918(旧武蔵国都築郡新羽村)
 若雷神社:横浜市港北区新吉田町3490(旧武蔵国都築郡吉田村)
東京・埼玉
 白山神社:東京都文京区白山5丁目31-26(旧武蔵国武蔵国豊島郡小石川村)
 大麻止乃豆乃天神社:東京都稲城市大丸847(旧武蔵国都築郡多磨郡大丸村)
 白山神社:さいたま市大宮区堀の内町2丁目(旧武蔵国都築郡足立郡大宮村)


【参考文献】
 蘆田伊人編(1985)新編相模国風土記稿第三巻、大日本地誌大系㉑、385p.、雄山閣
 蘆田伊人編(1985)新編相模国風土記稿第四巻、大日本地誌大系㉒、393p.、雄山閣
 蘆田伊人編(1985)新編相模国風土記稿第五巻、大日本地誌大系㉓、443p.、雄山閣
 蘆田伊人編(1985)新編相模国風土記稿第六巻、大日本地誌大系㉔、390p.、雄山閣
 林述斎・間宮士信編(1982)新編武蔵風土記稿横浜・川崎編第一巻、480p.、千秋社.
 林述斎・間宮士信編(1982)新編武蔵風土記稿横浜・川崎編第二巻、520p.、千秋社.
 横須賀市社会科研究会編(1978)横須賀皇国地誌残稿、134p.
 白井永二・土岐昌訓(1979)神社辞典、360+31p.、東京堂出版.
 金沢区生涯学習”わ”の会(2010)新編かねざわ歴史事典、142+31p.
 磯子区制50周年記念事業委員会「磯子の史話」出版部会 編(1978)磯子の史話、762p .
 南区の歴史発刊実行委員会編(1976)南区の歴史、650p.
 港南の歴史発刊実行委員会編(1979)港南の歴史、781p.
 「古老を囲んで港北を語る」委員会(1976)港北百話=古老の話から=、319p.
 渋谷申博(2015)、諸国神社一宮・二宮・三宮、380p.、山川出版社.

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