鷹取山から六浦、小泉へ


がらめき切通し
ヤブラン Liriope muscar
アブラゼミ Graptopsaltria nigrofuscata
ホウチャクソウ Disporum sessile
コナラの樹液に集まった昆虫
沼間のスダジイ Castanopsis sieboldii
ウバユリ Cardiocrinum cordatum
タイワンリス Callosciurus erythraeus thaiwanensis
前浅間の峰
マユミ Euonymus hamiltonianus
マルバウツギ Deutzia scabra
ヒヨドリバナ Eupatorium makinoi
センニンソウ Clematis terniflora
親不知の峰
ヤブミョウガ Pollia japonica
鷹取山頂上より
磨崖仏と前浅間
カラスウリ Trichosanthes cucumeroides
釈迦如来像
ザ・パークハウス追浜
シンテッポウユリ Lilium x formolongi
ジョロウグモ Nephila clavata
オーストラリアン・ローズマリー Westringia fruticosa
ミンミンゼミ Hyalessa maculaticollis
手小神社
ヒメイワダレソウ(英名:リッピア) Phyla canescens var. repens

盛夏のイングリッシュガーデン

 今日は、久し振りに横浜イングリッシュガーデンを訪ねました。四季咲のバラや夏の花々、それに春に咲き競った花が残してくれた実を見る事が出来ました。


夏のランタン飾り
クルクマ Curcuma alismatifolia
淡雪 Rosa ‘Awayuki’
クラブアップル Malus spp.
ミソハギ Lythrum anceps
ミンミンゼミ Hyalessa maculaticollis
クスノキ Cinnamomum camphora
オオバギボウシ Hosta sieboldiana
コモンセージ Salvia officinalis
ローズヒップ Rosa spp.
ハナモモ Prunus Persica
ハマナス Rosa rugosa
ヘメロカリス Hemerocallis sp.
薔薇 ‘サー・セドリック・モリス’ Rosa ‘Sir Cedric Morris’
アブラゼミ Graptopsaltria nigrofuscata
クレマチス Clematis spp.
ルドベキア Rudbeckia spp.
オオケタデ Persicaria orientalis
ヒャクニチソウ Zinnia spp.
バーベナ Verbena peruviana
ブルーウイング Clerodendrum ugandense
エンジェル・フェイス Rosa ‘Angel Face’
アサガオ(立田葉五曜白薄柿渋茶覆輪:たぶん) Ipomoea nil
ピンクアナベル(アメリカノリノキ) Hydrangea arborescens‘NCHA 1′ (Pink Annabelle)
ジャワサンタンカ Ixora javanica
マンデビラ Mandevilla spp.
グレビリア Grevillea spp.
サルスベリ Lagerstroemia indica
サンゴジュ Viburnum odoratissimum


 その他、本日撮影の写真です。


南太田駅
清水ヶ丘教会
庚の七曲り
稲荷社(元久保町5)
地蔵尊(田中茶屋)
庚申塔(元久保町5)
トキワ坂
さわやか歩道橋
馬頭観音(西区浅間町3丁目174)
浅間神社(西区浅間町1丁目19)
稲荷社(浅間神社境内社)
小嶽社(浅間神社境内社)
招魂社(浅間神社境内社)
ノウゼンカズラ Campsis grandiflora


  浅間神社由緒沿革
祭神   木花開耶姫命
相殿   天照皇大神・武甕槌命
境内末社 小嶽社・稲荷社・招魂社
神殿 本殿二階建浅間造にして社殿丹塗総金具付にて元官幣大社浅間大社(静岡県富士宮市)と同様国宝建造物類似楼閣にて近隣に比類なき構造なり
御神徳 坂業振興・家内安全・安全子育・学業成就
 由緒沿革
元神奈川区浅間町に鎮座し浅間町一円の氏神なり、創祀は承歴四年(一〇八〇)といわれ、源頼朝公元治元年平家討滅に依るべきを思い且つは戦勝奉賽のため関東一円の社寺修築神馬神田の寄進に及べり、然る処武蔵国橘樹郡神奈川在芝生村に富士山の形状の山地あるを卜とし社殿の修築をなし奉賽の至誠を致せる由といふ。爾来九百余年神威嚇灼として遠近を光被し万民均しく渇仰崇敬せり。
 社殿・境内整備について
浅間神社は承歴四年の創祀より歴史ある古い社であります。明治の大火、関東大震災により焼失復興と度重なりしが昭和二十年五月の戦災のために烏有に帰しましたが社殿復興再建の議が起り昭和三十三年起工式同三十四年に社殿落成亦拡張整備工事に着手従来の三倍に造成し現在に至りましたが昭和五十七年社殿前崖も急傾斜面崩壊危険区域に指定され工事着手完成を見るに至り昭和五十八年に社殿及び境内整備の奉賛会が結成され社殿塗装、神輿庫新築、神輿修理、社殿前玉垣裏表参道玉垣工事をなし県下でも類を見ぬ社殿となりました。
 浅間神社境内横穴古墳群
古墳(今から千七百年前頃から千年前頃まで、六、七百年の前につくられた古いおはか)には盛り土をした高塚と自然の丘に横に穴をうがった横穴とが有ります。
この横穴式古墳は宮谷や軽井沢にわたって群生しているもので神社の境内だけでも十幾つかがありましたので標記の名をつけました。その内部は羨門(せんもん)羨道(せんどう)中のへやを玄室(げんしつ)といいますがこのたび神社境内の拡張・聖地にあたり玄室から須恵器(すえき)の瓶、平瓶(ひらか)、などが出ました。
横穴やそこから出たそれらの物でこの地は少なくとも千年あまり前、こりあたりを開いた有力者が葬られた古いゆかりの地であることを知ることができます。
昭和三十三年六月一日
              神奈川県文化財専門委員 石野 暎

海の公園など

 今日は、午後からオーケー金沢文庫店へ。途中、野島、海の公園などに立寄りました。


【参考】
 アブラゼミ Graptopsaltria nigrofuscata
 野島
 野島の船宿
 夕照橋
 マテバシイ Lithocarpus edulis
 八景島
 八景島を望む
 ヒメユズリハ Daphniphyllum teijsmannii
 サルスベリ Lagerstroemia indica
 アスパラガス・スプレンゲリ Asparagus densiflorus cv. Sprengeri

鷹取川の源流を訪ねて

【鷹取川概要】
 鷹取川は鷹取山東側の集水域に流れる支流を合し、平潟湾に注ぐ水系です。本流部分は神奈川県が管理する二級河川に指定されており、主な支流は、追浜小の西から東に流下する関ノ入川、鷹取中の付近から北東へ流下する鳶ヶ入川、追浜東町から北流する川(名称不明)の三川です。
鷹取川水系マップ 名称など


鷹取川本川


鷹取川支流


鳶ヶ入川


関ノ入川


【名称】
明治8年の太政官公達に基づき編纂された皇国地誌(未公刊)の残稿には、川として鷹取川、溝として鳶ヶ入が記されており、現在の関ノ入川を鷹取川と称しています。このことから明治初期には既に鷹取川の名称が使われていたようですが、同時代の明治16年に浦郷村戸長から神奈川縣令に宛てられた報告書「字地書上」に記されているのは、関ノ入川、鳶ヶ入川の2川のみで、鷹取川についての記述はありません。さらに、もうひとつの支流の名称もこの資料に記されていません。他の二川の名称が源流域の当時の字名から付けられていることに准えると「神応谷川」とでも呼ぶべきこの支流は、水量が3つの支流の中で特に少ないことから考えれば、元々名称はなかったのかも知れません。
 追浜行政センター南館に接する神応橋の袂には、「二級河川鷹取川水系鷹取川-河口から0.6km」の看板があり、すぐ隣には「是より下流河川法準用区域」の碑も設置されています。恐らくはかつて河川法準用河川であったものが二級河川に格上げされた歴史があるものと推定されます。神奈川県のウェブサイトによれば、鷹取川の総延長距離は570メートルとなっていますので、河川法上の鷹取川は、感応橋から追浜橋までと思われます。 第三の支流の最上流である「追浜東町自然の広場」には『鷹取川源流』と書かれた碑があり、源流域が確認できるのは、現在はここだけです。他の二川およびその支流はすべて暗渠から流入していることを確認しています。

【鷹取川バイパス】
 関ノ入、鳶ヶ入の二川は、昭和期の集水域人口増加に伴って、降雨時の排水能力限界を超えることが問題となりました。このため、2009年から4年半に渡る工期でバイパス管渠を掘削し、2014年3月に完成しました。追浜小学校前と良心寺前の二ヶ所と天神橋下を繋ぐサイフォン構造を造ることにより、毎時50mmの降雨に耐える設計とのことです。
 1工区追浜排水区雨水第1幹線ほか築造工事
 雨水バイパス管見学

【鷹取川流域の再開発】
 前述のバイパス水路の完成を受けて、横須賀市は鷹取川流域の再開発を令和3年度を目途に進めています。この中で天神橋上流の構築物(0.1ha)の水面利用が解消される予定となっていますので、水の都を思わせる裏路地の光景はもうすぐ失われる見込みです。
鷹取川利用計画検討


【名称が明らかな橋など】
鷹取川本流
 追浜橋
 鷹取川人道橋
 神応橋
 追浜排水区雨水第1幹線流出口
 天神橋
鷹取川支流
 追浜東町三丁目橋
 追浜栄橋
 鷹取川源流碑(追浜東町自然の広場)
関ノ入川
 夫婦橋
 向坂橋
 鷹取橋
鳶ヶ入川
 湯屋の下橋

【文献】
 横須賀市社会科研究会(1978)相模國三浦郡浦郷村、in 横須賀皇国地誌残稿、p.1-9.
 追浜地域文化振興懇話会(1992)字地書上、46p.


横須賀皇国地誌残稿より転記

 鷹取(タカトリ)川ト稱ス 水源ヲ本村酉ノ方村内鷹取(タカトリ)山間ニ湧出シ徑流スルコト拾壱町ニシテ子ノ方内海ニ注ク巾廣キ所拾四間狭キ處八尺最モ深キ處弐尺浅キ所壱尺水勢緩ニシテ清シ船筏通セス



 本村西ノ方字(トビ)(イリ)二起リ北ノ方字本浦(モトウラ)ニテ鷹取川ニ入ル長拾町弐拾七間巾九尺深サ弐尺田八町歩ノ用水トナル



 三ケ所アリ 一ハ本浦(モトウラ)橋ト稱ス村往來ニ属シ本村子ノ方鷹取(タカトリ)川二架ス長三間三尺巾九尺橋下ノ水深サ弐尺 一ハ苗割(ナイワリ)橋ト稱シ村往來ニ属ス同方溝ニ架ス長三間三尺巾九尺橋下ノ水深サ弐尺 一ハ(マヘ)(ハシ)ト稱ス横須賀(ヨコスカ)往還ニ属シ本村亥の方鷹取(タカトリ)川ニ架ス長三間巾九尺橋下ノ水深サ弐尺共ニ木製ニシテ修繕民費ヲ以テス


日野川の源流を訪ねて

 上大岡の南、関の下あたりで笹下川に注ぐ、大岡川の支流日野川の源流を訪ねてみました。参考にした「はまれぽ」の関連記事にはピンボケのコメントが投稿されているようですが、現在の日野川源流地は清水川南側の暗渠流出口という事になりそうです。
大岡川水系構造物マップ(暫定版)
大岡川に架かる橋(構造物)を訪ねて


日野川支流1:吉原橋と新吉原橋の間(35.396172, 139.585905)で流入


日野川分水路日野川トンネル入口(35.393923, 139.584470)


日野川支流2(未調査):日吉橋と日野橋の間(35.392732, 139.582336)で流入


日野川支流2(未調査):日野橋と光明橋の間で流入


日野川支流4:御所が谷橋と日野インター入口の間(35.386675, 139.580423)で流入


日野川支流5:金井橋とはなすみ橋の間(35.382921, 139.579147)で流入


日野川に架かる橋など
 笹野橋
 松影橋
 港南橋
 大谷橋
 下根橋
 吉原橋
 支流流入点b:緯度経度(35.396172, 139.585905)
 名称等不明:現地未確認
 新吉原橋
 送水管
 清根橋
 環状二号線(東行)
 環状二号線(西行)
 寺北橋
 (日野川分水路:日野川トンネル入り口)c
 日野川水門
 日吉橋
 支流流入点d:緯度経度(35.392732, 139.582336)
 日野橋
 支流流入点e:未調査
 光明橋
 御所が谷橋
 支流流入点f:緯度経度(35.386675, 139.580423)
  高橋、宮ノ前橋、兎橋、道友橋、兎谷第二橋、春南橋、宮下橋
 (名称不明)
 新橋
 金井橋
 支流流入点g:緯度経度(35.382921, 139.579147)
 はなすみ橋
 暗渠流出口(清水橋南側)


大岡川分水路の概要
 日野川は、その源を港南台付近に発して、上大岡付近で本川の大岡川と合流し、南区及び中区など市の中心部を貫流して、横浜港に流入している、重要な河川であります。
 かつて上流地域は、山林や田畑の多い、のどかな郊外の地でありましたが、昭和三十年代後半からの高度経済成長による都市への人口集中と国鉄根岸線の開通によって洋光台及び港南台をはじめとして多くの宅地開発が活発に行われました。
 そのため日野川への流出量を著しく増大させ中下流の地域に、しばしば溢水氾濫をおこし、多大の被害を与えてきました。
 そこで神奈川県と横浜市は日野川と大岡川の合流点の上流約一キロメートルの地点で、日野川と大岡川の水を直接根岸湾に放流する、大岡川分水路計画を樹立し、昭和四十四年に着工しました。
 以来十二年の歳月と百六十六億余円の事業費のもとに昭和五十六年に完成したものであります。


  定礎
          平成18年10月吉日
現地前に架かる「はなすみ橋」の名前は「すみもとはなこ」という女性に由来しています。
パークフロンテージ港南台の建設前にこの地で創業した㈱住本科学研究所が提唱する「借水思考(しゃくすいしこう)」に影響を与えた女性です。
その思想は「水は、天からの借りもの」であり、元通り以上にして返さない限り「借りた」とは言えず、貸し主は、人間を含めた未来の全ての生物であるという考えです。
その思想に共感して計画されたパークフロンテージ港南台は、住戸からの二酸化炭素排出量を抑えるオール電化や敷地内の緑地化に努めるなど、建設にあたっては「水」を「空気」に置き換えて思想の具現化に努めました。


【参考】
 川邉絢一郎(2011)日野川の源流はどこにある?、はまれぽ、accessed: 2019-07-30.


横浜市市指定名木古木


 No.48063 タブノキ (福聚院:港南区港南1丁目3−2)
 No.20089,20090 日野のシイ (個人宅)
 No.49237 カキノキ (光明寺:港南区日野7丁目19-19)
 No.49238 イチョウ (光明寺:港南区日野7丁目19-19)



 タブノキ Machilus thunbergii
 スダジイ Castanopsis sieboldii
 カキノキ Diospyros kaki
 イチョウ Ginkgo biloba
 ニホントカゲ Plestiodon japonicus
 Good Luck 吉水 浩(よしみず ひろし)
 シンテッポウユリ Lilium x formolongi
 ポーチュラカ Portulaca oleracea × P. grandiflora
 稲荷社(福壽山慈眼院光明寺境内社)
 ヒメガマ Typha domingensis
 カルガモ Anas poecilorhyncha
 上中里方面
 雷神社
 ヤドリフカノキ(カポック) Schefflera arboricola

盛夏の舞岡公園

 今日は舞岡公園を起点に自宅まで歩いてみました。


【参考】
 舞岡公園マップ
 オミナエシ Patrinia scabiosifolia
 シオカラトンボ(雄) Orthetrum albistylum
 キツネノボタン Ranunculus quelpaertensis
 ヒヨドリバナ Eupatorium makinoi
 オニドコロ Dioscorea tokoro
 ヤマユリ Lilium auratum
 カラマツソウ Thalictrum aquilegiifolium
 リュウノヒゲ Ophiopogon japonicus
 ワルナスビ Solanum carolinense
 アキノタムラソウ Salvia japonica
 キンミズヒキ Agrimonia pilosa
 ヌスビトハギ Desmodium podocarpum subsp. oxyphyllum
 ヤマコウバシ Lindera glauca
 木曽の石仏(栄区本郷台4丁目25)
 (稲荷森)稲荷社(栄区上郷町177-1)
 タマアジサイ Hydrangea involucrata
 オシロイバナ Mirabilis jalapa


  鎌倉古道木曽の石仏
 この石仏は旧鎌倉街道の木曽と赤坂の境の辻に行路の安全を願って安置されたもので風化が著しいが地蔵菩薩一体と如意輪観音又は聖観音一体であり、造像年代は江戸元禄頃と推定される。又土地の性質から道祖神の役割も果していた。なお、稱蓮社然誉願主大徳の碑は浄土宗の供養塔である。

在来種ヌマガメを発見

 通勤経路を毎日少しづつ変えていくと、日々いろいろと発見があります。今日は成田山新勝寺横浜別院のすぐ隣の神池にヌマガメが多数生息しているのをみつけました。


 小さな池ですが、ざっとかぞえても100体以上、どうせアカミミガメだろうと思ったのですが、さにあらず。これほど多数のヌマガメをみたのは8年前に関東に戻ってきてから初めてです。柵があるので近づけませんでしたが、アカミミガメは1~2割で多くはクサガメの様でした。
【参考】
 クサガメ Mauremys reevesii
 アカミミガメ Trachemys scripta
 亀の子の塚碑
 魚族發菩提心碑
 魚の碑


【福満弁財天】


 池の中央には福満弁財天が祀られていて、境内には「亀の子の塚」、「魚族發菩提心」の2碑もありました。(edva)でありながら、鳥居のある社に祀られていて神仏習合時代の名残を感じます。


【出世開運稲荷大明神】など


 さほど広くない神域ですが、境内社多数。殆どは稲荷社と思われ、そのうち名前が読み取れたのは、出世稲荷大明神、新栄稲荷大明神の二社です。幟には「出世開運稲荷大明神」となっていました。出世稲荷大明神の社には、吒枳尼(Ḍākinī)天の名もみられます。
訪問済みの神社

野毛子之大神社跡地

 勤め帰りに通りかかった野毛の路地で子之(ねの)神社跡地をみつけました。今まで何度か通っていながらプレートがあるのに気づいていませんでした。


野毛子之大神社跡地
 この地は奮くより野毛地域の守護神「子之神様」として親しまれたお宮の跡であります。お宮は昭和20年5月29日の横浜大空襲の際炎上し、現在は伊勢山皇大神宮境内にお祀りしてあります。
       昭和60年8月20日

氏子
町内会
花咲町1丁目町内会・花咲町2丁目町内会
花咲町3丁目町内会・野毛1丁目町内会
野毛2丁目町内会・野毛3・4丁目町内会
宮川町町内会・桜木町1・2丁目町内会
桜木町3丁目町内会

 それにしても横浜市のこのあたりは子の神=(大黒天・大国主命)を祭った社が多くあります。分布密度の高さは、周辺の市町と比べると明らかです。

【参考】子の神を主祭神とする社(三浦半島周辺)
野毛子之大神社跡地 横浜市中区野毛町3丁目160
子神社 横浜市中区日ノ出町2丁目132
戸部杉山神社 横浜市西区中央1丁目13-1
子之神社 横浜市南区堀ノ内町2丁目134
子神社 横浜市保土ケ谷区今井町167
子ノ神日枝神社 栄区若竹町31-34
子ノ神社 横浜市青葉区たちばな台2丁目22−1
子聖大権現(参考) 横浜市金沢区寺前1丁目16
子之神社 川崎市多摩区菅北浦5丁目4-1
大国主社 横須賀市浦郷町3丁目41
子之神社 横須賀市汐入町4丁目55
子之神社 逗子市小坪5丁目6

浦郷から横須賀中央へ

 今日は横須賀中央に用事があり、往路は国道16号線、復路は浦賀道を歩いてみました。塚山公園ではウバユリが見頃を迎えています。


【主な経路】
(自宅)-浜見台-田浦-長浦-汀橋-稲岡町-若松町-汐入町-逸見子育て地蔵尊-塚山公園-十三峠-月見台-船越-(自宅)
【参考】
 横須賀学院
 アキノタムラソウ Salvia japonica
 ウバユリ Cardiocrinum cordatum
 ヤマユリ Lilium auratum
 カラマツソウ Thalictrum aquilegiifolium
 アジサイ Hydrangea spp.
 キバナコスモス Cosmos sulphureus
 エノキ Celtis sinensis
 ハマオモト Crinum asiaticum
【文献】
Pacific Bulb Society (2014) Cardiocrinum, accessed: 2019-07-27.
Ohara M et al. (2006) 7: Cardiocrinum cordatum (Thunb.) Makino (Liliaceae), Plant Species Biology, 21:3, 201-207, accessed: 2019-07-27.


【稲荷山子育地蔵尊】横須賀市東逸見町1丁目17

   稲荷山.子育て地蔵尊
 旧浦賀道が逸見より汐入にぬけるあたりの一帯を稲荷山という。もと逸見と汐入との町境にお稲荷さんがまつられていたが、当時よりあまり訪れる者もなく朽ちはてるのにまかせていたが、逸見の有志がこれを憂い、横須賀駅裏国道、ホンダモーター脇の防空壕跡に(せん)した。年代も古く由緒のあるものといわれているが、この稲荷があることから稲荷山とよばれるようになったのである。
 その稲荷山の逸見より山腹道路脇に地蔵尊がまつられている。土地の人は子育て地蔵尊とよんでいるが、往時浦賀往還道路として往来の(しげ)しかった頃よりあったもので、子供に恵まれない人や子供の病気平癒(へいゆ)等に霊験ありと伝えられている。
 本尊には元禄十一年丑七月日と刻まれ、右に南無阿弥陀仏同行十六人の刻があり、他に昔の地蔵尊、新しく寄進したものなど数体がある。地蔵尊には庚申塔(こうしんとう)とともに街道筋にたてられたもので、その建立年月日によりその街道の歴史を知るひとつの手かがりになるものである。従って浦賀道もすでに元禄年間には相当往来の繁しかつたことをこの地蔵尊は物語っているわけである。
 しかし、この地蔵尊も明治、大正と年を経るにしたがってかえりみる者もなく、荒れ放題になっていたものを、昭和八年二月に東襄氏(現在伊豆大島に在住)が現在のようにコンクリート建ての(ほこら)にしたものである。現在でも供物線香の絶えた事がない。
 毎年10月頃に子育て地蔵尊祭を当地で行っております。
         東逸見第一町内会
         子育て地蔵保存会


【安針塚への道標】
 他にもふたつあるそうです。


横須賀市指定 市民文化資産
安針塚への道標
 ここの他、JR横須賀駅と国道16号線沿いの(なぎさ)橋にもある。この三基の道標は、明治三十八年から大正十年にかけて行われた、安針塚修理事業の一環として建てられたものである。


 台風6号の影響で風が強まっていましたが、塚山公園からは房総半島が望めましした。

十三峠から塚山公園へ 第1海堡 第2海堡 横須賀港東北防波堤東灯台(35.319208, 139.675221) 塚山公園