ミンミンゼミ初鳴

 本日(7/23)18:40頃、蒔田公園でミンミンゼミが鳴いているのを確認しました。長かった今年の梅雨ですが、もうすぐ梅雨明けの予感です。
–> 関東甲信地方の梅雨明けは7月29日でした。

ミンミンゼミ Hyalessa maculaticollis (2018年7月24日撮影)


 同種の学名は、かつてOncotympana maculaticollisでしたが、最近Hyalessa属に移されて、Hyalessa maculaticollisになったようです。
【文献】
Wang et al.(2014) On cicadas of Hyalessa maculaticollis complex (Hemiptera, Cicadidae) of China. ZooKeys 369: 25–41. doi: 10.3897/zookeys.369.6506, URL: https://www.ncbi.nlm.nih.gov/pmc/articles/PMC3904117/pdf/ZooKeys-369-025.pdf, Accessed: 2019-07-23.

今日は南下浦へ

 雨はまだ降り続きますが、かえって歩きやすいと思い、今日は三浦市東部の南下浦を訪ねました。
 三浦の社  三浦の石塔


 三浦の社


【水間神社】三浦市南下浦町菊名
 山間の長閑な風景に佇むお社です。側を流れる小川の周辺にはホタルも生息しているとのことです。


【山神神社】三浦市南下浦町金田


【稲荷神社】三浦市南下浦町金田467

 畑の斜面にあった小さなお社です。このあたりでは、シロバナツユクサがツユクサと混在しています。


【走湯神社】三浦市南下浦町金田373
 『三浦市指定保存樹』の指定樹となっているイヌマキなどがある走湯(そうとう)神社です。祭神は瓊瓊杵尊(ににぎのみこと)の父神である天忍穂耳命(あめのおしほみみのみこと)、三峯神社をはじめ境内社多数です。


【丸山神明社】三浦市南下浦町金田


【稲荷社】三浦市南下浦町金田1037

 私有地内にあるらしくアクセスが困難でしたので、塀の外から撮影しました。境内には若くして他界したという菱沼延蔵のことを記した石碑がありました。


  菱沼延蔵君碑
君名延藏氏菱沼相模國三浦郡金田村人父曰三郎兵衛君其第二子
也母福元氏以元治元(1864)年九月二日生幼精敏嗜學在郷校時嶄然
已露頭角明治十三(1880)年五月入吾同人社學英書業駸々追教師期以
大成十五年病肺歴就名醫求治不救十七年五月三十一日遂没于
家嗚呼哀哉年僅二十有一葬于其鄕圓福寺其父悲哀不已欲得余
銘立碑于其所有地爽壇之處其精甚勸余惜君之死甚切于儴其何
已呼言於是爲之辭々曰
礫川同人社設立育英才如農於田畝日夜繁我思嗟君年尚少總明
高天寶學業之日進千里風帆馳身體肥且健過鋤不知疲謂神益邦
國他日在所期何料羅二堅風雨折霊芝海深尚可測孰測雙親悲相
山聳蒼翠矗立一片碑銘辭把筆寫宇々沸涙垂
明治二十年十月 元老院議員従四位中村正直撰并書


【文献】
 中村正直(1903)、敬宇文集第6、吉川弘文堂、東京、URL:http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/893604/4、accessed:2019-07-22.


【稲荷社】三浦市南下浦町金田1910
 海岸近くの小祠です。


【不明の社】三浦市南下浦町金田
 八坂神社近くの小祠です。祭神等は不詳ですが、赤い鳥居がなんとなく稲荷社の雰囲気です。


【八坂神社】三浦市南下浦町金田
 境内に三浦義村の墓や由緒不明の境内社が多数あります。


  三浦義村公の墓
 三浦義村公は三浦一族六代の当主で大介義明の孫にあたり、七百年の昔北条氏とともに鎌倉幕府を二分して活躍した武将として知られています。
 平安の末期から戦国動乱の世まで四百五十年にわたり関東に勢威をふるった三浦一族の中でも義村公はもっとも隆盛をきわめた人であったといわれています。
 義村公自らの数ヶ国の守護を兼ね一門の中には、各地に進出し名を成したものも数多かったといいます。
 また義村公は領内の開拓をいつくしみ領民に慕われその治世には見るべきものがありました。生前、義村公は祖父伝来の地であるここ岩浦の里の要害をたのんで福寿寺を開基、善提寺となし、没後菩提寺に近いこの台地に祀られました。
              三浦市


【山王社】三浦市南下浦町金田


【稲荷社】三浦市南下浦町金田2039


(とがり)神社】三浦市南下浦町金田


【不明の社】三浦市南下浦町松輪


【(松輪)神明社】三浦市南下浦町松輪553


【竜宮祠(稲荷神社)】三浦市南下浦町松輪44
剱埼灯台の南側の海岸に面した社です。グーグルマップでは竜宮祠となっていますが、キツネの置物がありました。


【八ツ堀稲荷神社】三浦市南下浦町松輪344


【房作稲荷神社】三浦市南下浦町松輪1890


【白浜毘沙門堂】三浦市南下浦町毘沙門

     白浜毘沙門天(しらはまびしゃもんてん)
 白浜毘沙門天は、三浦七福神の一つです。ここは持陽山慈雲寺毘沙門堂と称し、本寺は応安元年(1368年)妙謙和尚によって開かれたもので、毘沙門天は行基の作と伝えられ、古来より正月三日酉の刻(午後6時)には必ずありがたい神示があると信じられ、近郷近在から多数の参詣、参籠があり、知恵と武勇の守り神としてあがめられております。特に北方を守る武神とされ、厄除け、恵方の毘沙門天であります。三浦七福神とは、あと金光恵比寿(きんこうえびす)(円福寺)・鶴園福禄寿(かくおんふくろくじゅ)(妙音寺)・筌龍弁財天(せんりゅうべんざいてん)(海南神社)・桃林布袋尊(とうりんほていそん)(見桃寺)・長安寿老人(ちようあんじゅろうじん)(白髭神社)・寿福大黒天(じゅふくだいこくてん)(延寿寺)です。
          環境省・神奈川県


 三浦七福神
   白浜毘沙門天(しらはまびしゃもんてん)     (慈雲寺)
 ここ持陽山慈雲寺の毘沙門堂は、応安元年(一三六八年)妙謙和尚によって開かれたといわれ、本尊の毘沙門天は、行基の作と伝えられています。
 この毘沙門天は、海中出現の像といわれることから漁業者の信仰が厚く、ことに正月一日の酉(十八時)の刻には必ずありがたい示現があると信じられており、近郷近在から多数の参詣、参籠があってあかりの祭典といわれていました。そして、知恵と勇武の守り神としてあがめられています。厄除け、恵方(えほう)(その年の「えと」にもとづいて良いときめた吉祥の方角)の神とされ、また佛の道場を守る毘沙門天は四天王の一の多聞天ともいわれています。
           三浦市


【毘沙門神明社】三浦市南下浦町毘沙門53


【庚申塔、等】
 三浦の石塔
庚申塔:三浦市南下浦町金田
 山上神社の近くの庚申塔です。斬新な三猿なので新しいものかと思いましたが、銘文によれば延宝八(1680)年となっていますので、340年もたっている碑の様です。


庚申塔:三浦市南下浦町金田1037


石塔群群:山王社(三浦市南下浦町金田)


庚申塔群:南下浦町松輪


庚申塔群:三浦市南下浦町松輪745(鈴木豆腐店)


庚申塔群:三浦市南下浦町松輪


庚申塔群:三浦市南下浦町松輪


庚申塔群:三浦市南下浦町松輪


庚申塔群:三浦市南下浦町松輪


庚申塔群:三浦市南下浦町松輪1912-18



馬頭観音:三浦市南下浦町毘沙門


石塔群:三浦市南下浦町毘沙門694


石塔群:慈雲寺


石塔群と地蔵尊:毘沙門神明社


【参考】
 シロバナツユクサ Commelina communis f. albiflora
 ツユクサ Commelina communis
 ハキダメギク Galinsoga quadriradiata
 クサノオウ Chelidonium majus
 キンレンカ Tropaeolum majus
 カタバミ Oxalis corniculata
 ナツズイセン Lycoris squamigera
 グラジオラス Gladiorus ‘hybridus’
 ダリア Dahlia‘hybridus’
 ノボロギク Senecio vulgaris
 スイカ Citrullus lanatus
 トウモロコシ Zea mays
 ナンキンマメ Arachis hypogaea
 マルバアサガオ Ipomoea purpurea
 ボイソンベリー Rubus ursinus × Rubus idaeus
 ノウゼンカズラ ‛マダムガレン’Campsis × tagliabuana ‘Madame Galen’
 ラセイタソウ Boehmeria biloba
 ツルナ Tetragonia tetragonioides
 モミジバヒルガオ Ipomoea cairica
 ノアサガオ Ipomoea indica
 剱埼灯台
 トウオオバコ Plantago japonica
 スカシユリ Lilium maculatum
 ビロードモウズイカ Verbascum thapsus
 ヤナギハナガサ Verbena bonariensis
 アシ Phragmites australis
 メダケ Pleioblastus simonii
 伊豆大島

夏の土用を前に蒲を訪ねて

 同僚のHさんが(がま)の自生地を探しているとのことで、思い起こせば大岡川でも見かけたことを思い出し、帰りに遡ってみました。その結果、辺りが暗くなる頃に辿りついた観音橋の周辺でヒメガマ Typha domingensisの群落を確認できました。


 帰宅後にこのブログを検索すると、以前にも同じ場所で撮影していました。

御霊神社と稲荷社

 雨は一向に止む気配はありません。そんな今日、これまで訪ね当てることが出来なかった社を中心に歩いてみました。これで、横須賀市の主な神社は廻り終えたので、次回からは三浦市です。


【御霊神社】佐原1丁目16-1

 御霊神社は全国に分布するのですが、湘南地域では鎌倉権五郎景政を祭神とする神社が多い様で、この御霊神社もその系統です。境内には天保十二辛丑(1841)年の銘がある庚申塔があります。


【御霊神社】衣笠町29-1

 前回はこの神社の跡地にしか辿りつけなかったのですが、今回は現在地にしか辿りつけませんでした。


【稲荷社】衣笠町29
 衣笠城跡で最も小高い丘に坐しました。今回は社の横からのアプローチでしたが、結構険しい参道(?)もありました。


【法道寺稲荷】須軽谷1145

 すぐ裏手に庚申塔群があるのですが、密な林に囲まれているのでこれまで気づきませんでした。法道寺境内の階段が正式な参道なのですが、この法道寺もみつけにくい寺院でしたのたので、今回3回目の訪問でやっと発見できました。


【稲荷社】初声町高円坊

 畑の中のお社で、畑を通らないと辿りつけないようになっています。朱塗りの鳥居は新しいものですが、最近人が訪ねた様子はなく、ご神体も失われているようで、あるいは影詣り用のお社なのかも知れません。


 以下は、本日撮影した写真です。こうしてみると、この地域は三浦半島の中でも庚申塔等の石塔ががたくさん残されている地域であることがわかります。


【主な経路】
(北久里浜駅)-(佐原)御霊神社-(衣笠)御霊神社-(衣笠)稲荷社-法道寺稲荷-(高円坊)稲荷社-(京急長沢駅)

【参考】
 庚申塔(佐原御霊神社境内)
 庚申塔:衣笠町1-7
 地蔵尊:衣笠町32-32
 不明の社:衣笠町32-32
 ヒメキンセンカ Calendula arvensis
 ヒメヒオウギズイセン Crocosmia x crocosmiiflora
 庚申塔群(大善寺境内)
 ヤマユリ Lilium auratum
 ドクツルタケ Amanita virosa
 メダケ Pleioblastus simonii
 クコ Lycium chinense
 トクサ Equisetum hyemale
 庚申塔:須軽谷113
 石塔群(初声町高円坊1667)
 庚申塔群(11基):初声町高円坊
 ミスジマイマイ Euhadra peliomphala
 石塔群:津久井5丁目12-1
 庚申塔群:津久井3丁目27
 庚申塔群:津久井3丁目26-10
 地蔵尊:津久井5丁目5

天神島の浜木綿、など

 そろそろハマオモトが見頃と思い、天神島を訪ねました。


【主な経路】
(自宅)-(六浦駅~新逗子駅)-長柄-一色-長者ヶ崎-子産石-秋谷-佐島-長坂-林の交差点-武-須軽谷-高円坊-(三浦海岸駅)


【子産石】秋谷5290
 子産石が沢山奉納されていますが、元々は稲荷社だそうです。

横須賀市指定市民文化資産
 子産石
 子を産み出す石ということから、生殖の神、安産の神が宿る石として崇敬されてきた。ここに据えられた子産石を全体の象徴として指定した。


【稲荷社】円乗寺境内社:秋谷4387


【十二所神社】芦名1丁目21-26
 今日が丁度八雲祭の日で賑わっていました。


【龍宮社】


【淡島神社】芦名1丁目18-29

昭和五十二年市制施行七十周年記念
 横須賀風物百選
 淡島神社の祭礼
「あわせてください淡島様よ。御礼参りは二人づれ。」と、底抜け柄杓の柄に麻を結んで奉納する祭礼は、桃の節句の三月三日に行われます。この地方の祭りの始まりです。現在、市内で行われている祭りのうちでも、最も古くからの民間信仰をよく伝えている行事の一つで、民俗資料としても貴重な存在です。
 この神社の創建年代は不明ですが、恐らく隣接する十二所神社と同じころの平安後期ではないかといわれています。
 祭神は、少彦名命で、体は小さく敏しょうで、忍耐力に優れ、大国主命と協力して国土の経営にあたり、人々や家畜のためら医療やまじないを行った神としてあがめられています。
 当社の淡島明神はね和歌山市のみ魂をここに迎えて祭ったものです。淡島明神は天照大神の妹でね住吉明神のきさきとなった神でしたが、「こしけ」の病気があるために離縁となり、綾の巻物と神楽の太鼓を天の岩船に積み込んで紀州の淡島(粟島)に流されました。その地で、女であるがために腰の痛みの苦悩から人々を救うことを誓って神になりました。
 底抜け柄杓に麻を結んで奉納するしきたりは、病の救済信仰によるもので、それが、安産、縁結び信仰に結びついたものといえます。


【天満宮】天神島:佐島3丁目7-5


【神明社】佐島3丁目9-16


【熊野神社】佐島2丁目14-17
 境内社多数の熊野神社です。


【稲荷社】武1丁目34
 先週はみつけることができなかった稲荷社です。御神木はイヌツゲの古木です。


【稲荷社】初声町高円坊
 最近、人が訪ねることはなかった様子でした。



【参考】
 ハマオモト Crinum asiaticum
 ヒトモトススキ Cladium chinense
 ハマボッス Lysimachia mauritiana
 ハマゴウ Vitex rotundifolia
 ミヤコグサ Lotus japonicus
 コメツブウマゴヤシ Medicago lupulina
 ツルナ Tetragonia tetragonioides
 スカシユリ Lilium maculatum
 ハマグルマ Wedelia prostrata
 イヌツゲ Ilex crenata
 ボタンクサギClerodendrum bungei
 六浦神明社
 長者ヶ崎より
 ノブドウ Ampelopsis glandulosa var. heterophylla
 タブノキ Machilus thunbergii
 アカメガシワ(雌花)Mallotus japonicus
 ハナカンナ Canna spp.
 ヒメヒオウギズイセン Crocosmia x crocosmiiflora
 ハゼラン Talinum crassifolium
 アメリカノウゼンカズラ Campsis radicans‘Flava’
 シチヘンゲ Lantana camara
 ビャクシン Juniperus chinensis (オーシャンズクラブ)
 タイトゴメ Sedum oryzifolium
 ヘラオオバコ Plantago lanceolata
 ワイヤープランツ Muehlenbeckia axillaris
 ヤブカラシ Cayratia japonica
 立石(秋谷)
 キヌバリ Pterogobius elapoides
 コヒルガオ Calystegia hederacea
 ノアサガオ Ipomoea indica
 地蔵尊:佐島1丁目3
 庚申塔群(武1丁目14)
 サイトウ Phaseolus vulgaris
 石塔群:佐島2丁目7
 ニイニイゼミ Platypleura kaempferi
 庚申塔群(須軽谷1145)
 ヒマワリ Helianthus annuus
 庚申塔群(11基):初声町高円坊
 石塔群:初声町高円坊
 畑のスイカ Citrullus lanatus

浦賀から津久井浜へ

雨が降り続き、今日は風も強い一日でした。
【主な経路】
(浦賀駅)-西叶神社-吉岡稲荷-太刀花稲荷-尻こすり坂-大作-四ッ田稲荷-稲荷社-三嶋神社-一騎塚-須軽谷八幡神社-初声町高円坊-上宮田諏訪神社-(津久井浜駅)
【浦賀】
 今日の起点は浦賀。西叶神社では夏詣での飾りつけの最中でした。


  浦賀道
 浦賀道は、江戸時代に幕府と浦賀奉行所を結ぶ重要な連絡路でした。波戸幕府寛政十二年(一八〇〇)に五街道の測量図を作成し、その中に「浦賀道見取絵図」が含まれています。
 絵図では東海道戸塚宿から鎌倉・葉山・池上を通り、大津矢の津坂越えて浦賀に至ります。東岸のルートは、保土ケ谷宿から金沢町屋を経て武蔵と相模の国境(追浜)を過ぎると峠越えや尾根道が続き一三峠など相当な難路でした。金沢からは陸路より早くて楽な船便がよく利用されたといいます。
 幕末期、ペリーの黒船来航の際は大勢の武士や見物人がこの浦賀道を通ったといわれています。
浦賀行政センター市民協議事業・浦賀探報くらぶ


  浦賀の蔵
 浦賀は干鰯を始め多くの品物を全国に売りさばく町として賑わい、今でも東西の浦賀に残っている十五棟前後ま倉に昔の名残を見ることができます。倉は大切なものを盗難や火災から守るもので、壁の厚みが一尺ほどあり、耐火建物として様々な工夫がされています。
 浦賀には江戸後期に造られた漆喰塗り土蔵と幕末・明治期に造られた石蔵が混在しています。
 土蔵は漆喰の外壁が関東大震災で被害を受けたため周囲にトタンを巻いており、外からでし分りにくくなっています、
 石蔵は比較的そのままの形が現在も残されております。
浦賀行政センター市民協議事業・浦賀探報くらぶ


【三島社】武1丁目33-13


  三島社由緒書
創立年月は火災等のため不詳、明治六年六月村社(祭神大山祇命(おおやまつみのみこと))に列せられ昭和八年無格社神明社(祭神大日孁貴命(おおひるめむちのみこと))を合併本殿に合祀、昭和十八年三月無格社走湯神社(祭神天忍穂耳命(あめのおしほみみのみこと))及び同吾妻社(祭神弟橘比賣命(おとたちばなひめのみこと))を合併し本殿に合祀する。創立は古文書によれば相当古く昭和十三年一月二十二日火災のため焼失、昭和十六年三月二十五日新築現在に及ぶ。なお、境内の森は三浦半島でも珍しくホソバカナワラビ-スダジイ群集の林分として重要である。
 平成元年十一月吉日
    武氏子会
【注】原文では「ホンバカナワラビ」と誤記されている。


神奈川県指定天然記念物
     三島社の社叢林
          平成四年(一九九二年)二月十四日指定
 三島神社参道の左側には、アカガシ、スダジイ、モチノキが混生した常緑広葉樹林が発達しています。この林の高木層は二十メートルを越え、中には胸高直径四十八センチのアカガシの老木や、神奈川県では比較的珍しいツクバネガシも混生しています。しかし、高木層の植被率は六十%とやや疎開しています。亜高木層にはカクレミノ、ヤブツバキ、モチノキ、スダジイ、タブノキ、ヤブニッケイは混生し、高木層の空間を被い、植被率も七十%を占めています。低木宗には高木層、亜高木層の種群に加え、シロタモ、ヒサカキ、アオキ、クロガネモチ、トベラなどの常緑樹や、イヌビワ、ムラサキシキブなどの落葉樹が混生しています。また、林床には上層の常緑樹の芽生えも見られます。
 神社北側にもスダジイをはじめモチノキ、クロガネモチ、アカガシが混生した常緑広葉樹林が見られます。ここには胸高直径七十五センチのスダジイの大木もあり、高木層が二十五メートルを越える樹林を形成しています。林床にはホソバカナワラビ、コバノカナワラビなどのシダ植物が見られます。今日では、これらシダ植物の生育する多様性に富んだ常緑広葉樹林は、三浦半島でも貴重な存在となっています。
 三島社の社叢林は、三浦半島に残された限られた郷土林として学術的にも貴重です。
 平成二七年八月三一日 横須賀市教育委員会


【須軽谷八幡神社】


   須軽谷八幡神社(すがるやはちまんじんじゃ)由緒
御祭神
 主祭神 誉田別尊(ほんだわけのみこと)応神天皇(おうじんてんのう)
 合祀神 天照皇大神(あまてらすおおかみ)【神明社】 大山咋尊(おおやまくいのみこと)【日枝神社】
     須佐之男尊(すさのおのみこと)【八坂神社】
御由緒
 当社は正保三年(一六四六)に京都の石清水八幡宮を勧請したと伝えられています。
明治四十二年(一九〇九)に須軽谷字寉郷(あざつるごう)の神明社、須軽谷字天王ケ谷(あざてんのうがや)の八坂神社、須軽谷字大谷(あざおおたに)の日枝神社を合祀し、須軽谷の氏神様として氏子の皆様に崇敬されています。
年中行事
 祈年祭 三月十五日 八雲祭 七月二十八日 例祭・新嘗祭 十月二十六日
現在は、三月十五日、七月二十八日、十月二十六日に近い土日のいずれかで行われています。
御神徳 主御祭神である誉田別尊は古くから「厄除開運」、また源氏一族から篤い崇敬があることから「勝運」の御利益があるといわれています。
合祀神である須佐之男尊は、「厄病退散」の神として古くから崇敬されており、江戸時代に須軽谷村で疫病が流行り多くの人々の命が失われた際に、須佐之男尊の像を彫刻し祈願したところ疫病が治まったと伝えられています。
このことから須佐之男尊は、「疫病退散」「病気平癒」「無病息災」「身体健全」の御利益があるといわれています。
          須軽谷 八幡神社 宮司 菊池



【参考】
 西叶神社(西浦賀1丁目1-13)
 浦賀の石蔵(西浦賀2丁目13)
 吉岡稲荷(西浦賀2丁目13)
 太刀花稲荷(久比里1丁目2-7)
 (しっ)こすり坂開鑿記念碑
 武山不動道標(野比1丁目39-17)
 四ッ田稲荷(長沢6丁目2589)
 (武)稲荷社(武1丁目13)
 ブルーベリー Cyanococcus spp.
 庚申塔群(武1丁目14)
 庚申塔群(武1丁目29-19)
 石塔群(林3丁目434-44)
 庚申塔群(須軽谷)
 庚申塔群(初声町高円坊1667)
 庚申塔群(初声町高円坊)
 上宮田諏訪神社
 庚申塔群(南下浦町上宮田463-3)
 ヤブカンゾウ Hemerocallis fulva var. kwanso(船越)
 ハマオモト Crinum asiaticum(浜見台)

半夏生の季節

 今日も朝から雨模様。如何にも梅雨らしい季節には、半夏生の開花状況が気にかかりましたので、白山道の東光禅寺を訪ねました。通りがかりにみかけた植物はすっかり夏の装いです。
【主な経路】
(自宅)-六浦-東光禅寺-草薙台公園-金沢動物園夏山口-ののはな館-氷取沢-上中里-坪呑-(杉田駅)


【参考】
 ハンゲショウ Saururus chinensis
 モッコク Ternstroemia gymnanthera
 マテバシイ Lithocarpus edulis
 ヒマラヤスギ Cedrus deodara
 ネムノキ Albizia julibrissin
 ガマズミ Viburnum dilatatum
 トケイソウ Passiflora caerulea
 塞戸神(磯子区上中里町622)
 ホウセンカ Impatiens balsamina
 アラカシ Quercus glauca
 庚申塔群(磯子区杉田坪呑)
 ヤブカラシ Cayratia japonica
 コンロンカ Mussaenda parviflora
 馬頭観音(磯子区杉田5丁目9)
 妙心寺のビャクシン Juniperus chinensis

不明種判明-水蓮木

 一月に洲崎でみかけた不明種、丁度見頃の時期となり、種名が判明しました。スイレンの花に印象が似ていることから名付けられたそうです。


スイレンボク(水蓮木) Grewia occidentalis
【文献】
 Grewia occidentalis, Useful Tropical Plants, URL: http://tropical.theferns.info/viewtropical.php?id=Grewia+occidentalis, Accessed:2019-07-02.
 Grewia occidentalis, Planz African, URL: http://pza.sanbi.org/grewia-occidentalis, Accessed:2019-07-02.

水無月の大祓-茅の輪くぐり

 今年も半部過ぎ、今日は大祓の日でした。茅の輪を設置している近隣の神社を廻ってみました。この地区の茅の輪には人型を吊るさないことが多い様ですが、神戸ごうど神明社には人型があり、(人型がないと穢れをうつせませんから)なんとなくほっとしました。
 茅の輪くぐり-2017.6.30 2013.6.30


【雷神社】追浜本町1-9


【瀬戸神社】金沢区瀬戸18-14


【伊勢山皇大神宮】西区宮崎町64


【神戸神明社】保土ケ谷区神戸町107


【横浜市の名木古木】
No.48075 ケヤキ Zelkova serrata:外川神社(保土ケ谷区瀬戸ヶ谷町196-1)


No.49196 カヤ Torreya nucifera:乗蓮寺(南区井土ヶ谷上町33-1)

妙音寺のヤマユリ

 毎年この頃になるとヤマユリの開花が気になって訪ねる三浦市の妙音寺なのですが、今年も少し早すぎました。一方で、もうすぐ見頃の終わりそうなアジサイとヤマユリの両方を、今年も見ることが出来ました。
【主な経路】
(三崎口駅)-飯盛山妙音寺-飯盛神社-白山神社(上宮田)稲荷神社-(上宮田)三峯神社-(上宮田)諏訪神社-浅間神社-秋葉神社-稲荷社-稲荷大明神-熊野神社:長沢1-16
マカセ稲荷-八大竜王社-天照大神-浅間神社若宮-浅間神社奥宮(三浦富士山頂)-(京急長沢駅)
【飯盛山妙音寺】初声町下宮田119


【飯盛神社】初声町下宮田282


【白山神社】南下浦149

相州三浦菊名鎮座白山神社はくさんじんじゃ
御祭神
 伊邪那岐尊いざなぎのみこと
 伊邪那美尊いざなみのみこと
合祀神
 天照皇大神あまてらすおおかみ(伊邪那岐尊・伊邪那美尊の御子神)
 水歯別尊みずはわけのみこと
 国常立命くにとこたちのみこと
御由緒

鎌倉幕府を開いた源頼朝に仕えた三浦一族の武将、菊名左衛門重氏により加賀国(石川県)一宮白山比咩神社を勧請したと云われています。
当初は菊名の山林中(現社殿より見える小高い丘付近)に鎮座していましたが、鎌倉幕府の滅亡と同時に三浦一族また菊名左衛門重氏も滅びて、以来久しく社頭も荒廃に任せていました。江戸時代の貞享元年(一六八四年)に村民相謀り現在の地に社殿を造営し、菊名の氏神様として祀られました。
社殿は幾度も改築され、明治四十一年(1908年)に本殿の敷地を掘り下げ、幣殿を新造し拝殿を増築しました。なお石段並びに石垣も同時に新造されました。
現在の社殿は昭和四十五年(一九七〇年)の建造であります。

御神徳

白山神社の御祭神、伊邪那岐尊・伊邪那美尊の二柱の大神は神代の昔に初めて夫婦となられ、日本の国土や天照皇大神をはじめとする八百万の神々をお産みになられた神様であります。
その御神徳は多岐にわたり、「家内安全」「夫婦円満」「子授け」「子宝」「安産」「五穀豊穣」「海上安全」など実に広大無辺なものであります。
また近年では、日本で初めて夫婦になられた神さまを祀っていることから「縁結び」に御利益があるといわれ、男女の良縁をはじめ、家族、友人、仕事などさまざまな良縁を願う人たちのご参拝も多くなっています。

【(上宮田)稲荷神社】南下浦町上宮田3444-2


【(上宮田)三峯神社】南下浦町上宮田3231


当神社は埼玉県秩父市の三峯神社の分院です。
三峯の名は、神社の東方にそびえる雲取山、白岩山、妙法嶽の三つの峰が美しく連なることから呼ばれます。
当社の由緒は古く、景行天皇が、国を平和になさろうと、皇子日本武尊を東国に遣わされた折、尊は甲斐国(山梨)から上野国(群馬)を経て、碓氷峠に向われる途中当山に登られました。
尊は当地の山川が清く美しい様子をご覧になり、その昔伊弉諾尊(いざなぎのみこと)・伊弉冉尊(いざなみのみこと)が我が国をお生みになられたことをおしのびになって、当山にお宮を造営し二神をお祀りになり、この国が永遠に平和であることを祈られました。
これが当社の創まりであります。
其の後、天皇は日本武尊が巡られた東国を巡幸された時、上総国(千葉)で、当山が山高く美しく連なることをお聴き遊ばされて「三峯山」と名付けられ、お社には「三峯宮」の称号をたまわれました。
降って聖武天皇の時、国中に悪病が良好しました。天皇は諸国の神社に病気の平癒を祈られ、三峰宮には勅使として葛城連好久公が遣わされ「大明神」の神号を奉られました。又、文武天皇の時、修験の祖役の小角(おづね)が伊豆から三峯山に従来して修業したと伝えられています。
この頃から当山に修験道が始まったものと思われます。
天平十七年(七四五)には、国司の奏上により月桂僧都が山主に任じられました。更に淳和天皇の時には、勅使により弘法大師が十一面観音の像を刻み、三峯宮の脇に本堂を建て、天下泰平。国家安穏を祈ってお宮の本地堂としました。
こうして徐々に佛教色を増し、神佛習合のや社となり、神前奉仕も神佛分離により寺院を廃して、三峯神社と号し現在に至っています。
            平成二十三年十二月


【(上宮田)諏訪神社】上宮田655


【浅間神社】本院:横須賀市津久井4丁目18-1


 境内社は、稲荷社が3社と金毘羅神社です。

浅間神社由来
 御祭神 木花開耶姫命このはなさくやひめのみこと
     縁結び・安産・子育ての守護神
 社伝によると聖武天皇の天平年中(七二九~七四八)に僧行基(奈良大仏建立勧請の高僧)が当郷に来り、駿河国の浅間神社を勧請し祀ったとある。そこは津久井と長沢の奥にあった高くそびえる浅間山の山頂である。この山は海上からよい目標となり漁場の位置や東京湾に出入りする船のよい目印とすると共に信仰の対象になっている。後に富士山と呼ばれ人々から崇められるようになってきた。当社の奥宮は今も山頂に鎮座している。毎年七月八日山頂にて「お焚き上げ」の神事が盛大に行われ、家内安全・大漁・海上安全・五穀豊穣・病気平癒・交通安全等を祈願する人で賑わう。当社殿は当初「富士入」にあったが、昭和三年十一月現在地に移転鎮座され、毎年七月七日例祭が行われている。
 夏祭り(八雲祭)は昭和四十年代以前は七月七日、八日に行われていたが、現在は八月下旬の土、日曜に行なわれている。当社の境内社として金比羅神社と稲荷神社が祀られている。
 明治四十一年十二月神奈川県令で神社が合祀され、御祭神は相殿に祀られた。
  八坂神社 祭神 素戔嗚尊 横手
  日枝神社 祭神 猿田彦命 川尻
  御霊神社 祭神 稲荷神  安戸
宮司 菊池 恵   高木角次書
 平成十七年八月吉日建立 施工石平石材店


【秋葉神社】津久井4-8


【稲荷神社】津久井2丁目1


【稲荷大明神】長沢1-16-11


【熊野神社】長沢1-56


  熊野神社の由来
 以前は不詳でありますが、文化八歳冬拾壱月?日に建立され、其の後明治弐拾六年貮月?日に改築されましたが、大正拾貮年九月壱日の関東大震災の際に崩壊いたしまして、其の直後切り詰めて再建されたのでございますが、何分にも風雪にさらされし事数拾年、部分的に改修されたものゝ、如何にしとも老朽化し、再建と言う声が叫ばれ、町内の皆様方の御寄進によって、造営する事になり、よって茲に御遷宮を記念して、永く後世に残すため記すものである。
   昭和五十七年三月吂日


【マカセ稲荷】長沢1-12


【八大竜王社】長沢1-56


【天照大神】長沢27-33


     碑文
 当社は、天照大神(あまてらすおおみかみ)を主祭神とし、当地の口承によれば、江戸時代のお伊勢参り盛んな頃、里人の三家(げんぜむ、きゅうぜむ、さんぜむ)が、長沢小字峯の通称お伊勢山のこの地に伊勢の神宮より御分霊を勧請し、長沢の鎮守さまとして、奉斎したのがその始まりと伝えられています。
以来、祖孫、村人、相承け、朝に夕に、広大な御神徳を仰いで、心の安まる神域として、人々の生活の中心として、共に歩んできた長い歴史を有しております。
しかし、最近に至って、本殿、拝殿の老朽化甚だしく、氏子総代並びに関係者一同恐懼して、之が改築の議を決し、天照大神大修理及び境内整備事業奉賛会を結成し、責任役員奉賛会会長山田邦雄氏を始め、関係者各位、日夜魂を傾けて、この推進に力を尽くしました。幸いに、氏子はもとより、崇敬者八百名のご協賛を戴き浄財を奉献せられ。総額伍千四百六十六萬九千円に及びました。
斯くして、拝殿の屋根を銅板に葺き替え、正面を唐破風つくりに改築し、幣殿を新築し、本殿と繋ぎました。更に、裏参道を造成し、玉垣の新設、境内の整備、記念碑の建立等々その諸事業がことごとく、神明の御加護によって、完成致しました。
 平成十一年風薫る五月二十三日、竣工奉祝大祭を関係者多数の御参列の下に盛大に斎行し、稚児五十名をはじめ保護者等三百名の稚児社参を致しました事は、氏子総代役員関係者一同誠に感慨に堪えません。
今、ここに縁深き境内に空高く神殿をアオイで、愈々、神威の弥高を拝し、只管国の隆盛と世界の共存共栄と氏子並びに崇敬者の弥栄を記念して、事業の概要を刻し記念と致します。
   平成十一年五月吉日
      天照大神宮司 早川智好




【参考】
 ヤマユリ Lilium auratum
 アジサイ Hydrangea spp.
 ノウゼンカズラ Campsis grandiflora
 ヤブミョウガ Pollia japonica
 セリ Oenanthe javanica
 ツワブキ Farfugium japonicum (?)
 ノアサガオ Ipomoea indica
 チコリ Cichorium intybus
 ミソハギ Lythrum anceps
 ビヨウヤナギ Hypericum monogynum
 マスクメロン Cucumis melo
 スイカ Citrullus lanatus
 ヒマワリ Helianthus annuus
 セイヨウカボチャ Cucurbita maxima
 ヤマモモ Morella rubra
 ハマオモト Crinum asiaticum
 ピンクノウゼンカズラ Podranea ricasoliana
 ホルトノキ Elaeocarpus sylvestris
 ナギ Nageia nagi
 ダンドク Canna indica
 ブーゲンビレア Bougainvillea spp.
 クロガネモチ Ilex rotunda
 サルスベリ Lagerstroemia indica
 カラスビシャク Pinellia ternata
 ツルナ Tetragonia tetragonioides
 ヒメマツバボタン Portulaca pilosa
 ヤブカンゾウ Hemerocallis fulva var. kwanso
 タイサンボク Magnolia grandiflora
 ハルシャギク Coreopsis tinctoria
 トビ Milvus migrans
 鶴園福禄寿(飯盛山妙音寺)
 都市王像(飯盛山妙音寺)
 飛天像(飯盛山妙音寺)
 月天像(飯盛山妙音寺)
 大日如来坐像(飯盛山妙音寺)
 稲荷社(飯盛神社境内社)
 浅間神社(本宮):津久井4-18-1
 浅間神社若宮:(35.21681, 139.66991)
 浅間神社奥宮:三浦富士山頂(35.21567, 139.66858)
 稲荷大明神:長沢1-16-11
 庚申塔群:南下浦町上宮田
 石塔群:三樹院寂光堂(南下浦町601)
 庚申塔群:南下浦町上宮田463-3
 庚申塔群:津久井浜駅前(津久井2丁目18-23)
 石塔群:岩船地蔵尊:津久井1丁目25-2