月別アーカイブ: 2020年2月

今年の河津桜は…(2020年)

 暖冬とはいえ、そろそろ河津桜の季節。今日は開花状況を確認してきました。早い樹では3分咲きを過ぎているようですが、見頃は次の土日くらいと思われます。よい天気でしたので、塚山公園からは、遠く房総までよく見えました。


【主な経路】
(自宅)-浦郷公園-十三峠-塚山公園-山中-池上十字路-衣笠十字路-小矢部-一騎塚-須軽谷-小松ヶ池-三崎口駅
【参考】
 第二海堡(左)、第一海堡(右)
 河津桜(かわづざくら)Cerasus x kanzakura ‘Kawazu-zakura’(浦郷公園)
 大田坂(おったざか)の道六神
 リュウノヒゲ Ophiopogon japonicus
 ヒメオドリコソウ Lamium purpureum
 二ホンスイセン Narcissus tazetta
 三浦按針墓
 馬頭観音(山中町)
 河津桜(かわづざくら)Cerasus x kanzakura ‘Kawazu-zakura’(衣笠栄町)
 衣笠厄除地蔵菩薩
 はらどけい:衣笠栄町1丁目1
 小矢部橋:小矢部2丁目1-3
 道祖神:小矢部2丁目
 馬頭観音:小矢部3丁目
 金子十郎家忠陣屋跡:衣笠町43-12
 キダチロカイ(アロエ) Aloe arborescens
 ウメ Prunus mume
 ハナツルクサ Aptenia cordifolia
 オオイヌノフグリ Veronica persica
 ニューひまわり
 不動明王像:一騎塚
 石塔群:一騎塚
 トビ Milvus migrans
 河津桜(かわづざくら)Cerasus x kanzakura ‘Kawazu-zakura’(須軽谷)
 石塔群(初声町高円坊1667)
 河津桜(かわづざくら)Cerasus x kanzakura ‘Kawazu-zakura’(高円坊バス停前)
 カラクサナズナ Lepidium didymum
 青首大根 Raphanus sativus var. longipinnatus
 富山(とみさん)(房総)遠望
 ツルソバ Persicaria chinensis
 河津桜(かわづざくら)Cerasus x kanzakura ‘Kawazu-zakura’(三浦海岸駅前)
 寒咲花菜(かんざきはなな)Brassica sp.
 染井吉野(そめいよしの)Prunus x yedoensis
 河津桜(かわづざくら)Cerasus x kanzakura ‘Kawazu-zakura’(小松ヶ池)
 セイロンベンケイ Kalanchoe pinnata

戸塚区の名木古木-part2

 先週に続いて、戸塚区の名木古木を訪ねました。
横浜市指定名木古木


 福聚山養當院盛徳寺:戸塚区上倉田町560
No.49516、49517 イチョウ Ginkgo biloba


 大島山宝林院善了寺:戸塚区矢部町125

No.49222 イチョウ Ginkgo biloba
No.49223 イチョウ Ginkgo biloba
No.49224 カヤ Torreya nucifera
No.49225 ヤマザクラ Cerasus jamasakura


 東峯八幡宮:戸塚区吉田町1263
No.49566 スダジイ Castanopsis sieboldii
No.49567 イチョウ Ginkgo biloba


 天龍山圓福寺:戸塚区舞岡町336

No.49525 ヒムロ Chamaecyparis pisifera cv. Squarrosa
 時既に遅く、滅失です。折れた後はまだ真新しく、昨年の台風被害でしょうか。この寺の門前にある石塔群には、双体道祖神がありました。


 舞岡八幡宮:戸塚区舞岡町946
番号不明 イチョウ Ginkgo biloba
No.49528 スギ Cryptomeria japonica


 桜岡山長福寺:戸塚区舞岡町2589
番号不明 イトヒバ Chamaecyparis obtusa ‘Pendula’


 天神山貞昌院:港南区上永谷5丁目1-3
No.49243 イチョウ Ginkgo biloba
No.49244 イチョウ Ginkgo biloba


 永谷天満宮:上永谷5丁目1-5
No.49242 イチョウ Ginkgo biloba
No.200403 アカガシ Quercus acuta

かながわの名木100選 昭和59年12月選定
上永谷の天神社のカシ 和名:アカガシ(ブナ科)
 幹が根元近くで3本に分かれ、それぞれ上部で枝が多数分岐し、大きな樹冠を形成している巨樹である。横浜市の名木古木に指定されている。
樹高 25メートル  胸高周囲 6.0メートル
樹齢 約350年(推定)
 アカガシは、東北南部から九州の山地に生える常緑高木である。樹高25メートル、胸高周囲5メートル、樹齢約600年に達するものもあると言われている。


【(矢部町)稲荷神社】戸塚区矢部町67


【木之間稲荷社】戸塚区吉田町644

  木之間稲荷社縁起
 當木之間稲荷社は伏見稲荷大社の御分霊を祭祀した社です。相州戸塚宿吉田元町字宿下の住民が五穀豊穣をを祈願する素朴な敬神の心を以て江戸時代中期(約二〇〇年以前)に創建されました。以来人々の厚い信仰を得て今に至る由緒深い稲荷社です。
 昭和六十一年柏尾川の拡張工事に伴い現在の地を基として遷座記念として石碑を建て後日の基と致します。
          氏子一同


【東峯八幡大神】戸塚区吉田町1263

旧本殿遺蹟之碑
   八幡大神由緒
祭神 第十五代應神天皇  例祭 九月十五日
鎮座地 戸塚区吉田町字東ノ峯一二六三番地
當地累代の名主・渡邉三左衛門の祖先が永久二年十一月十五日(紀元一七七四、西暦一一一四)當町字中打越に勧請したのが始めであって其の凡そ六百五十年後の明治二年九月六日現在地に遷座した。爾來東ノ峯八幡と俗偁し當地一帯を八幡山と呼ぶ。明治までは東嶺山金剛寺寶藏院持、現在は神社本廳所管。
本殿は安政五年四月に改築し昭和三十七年には再建百年記念祭を行った。拝殿は昭和四十一年四月十六日の改築である。社前の椎の大木は源義家が東征の折休息したとの傳承に因み「白旗の椎」と呼び横浜市指定の名木である。
    昭和四十六年四月十六日


【舞岡八幡宮】戸塚区舞岡町946

   舞岡八幡宮 戸塚区舞岡町九四六番地
祭神
 譽田別命(主祭神) 息長足姫命 比咩大神(以上相殿)
 考安天皇 仁徳天皇 国常立命(以上明治六年合祀)
特殊行事 湯花(湯立)神楽 四月十五日 例祭日
年鑑恒例祭
 一月一日   歳旦祭   八月二十日   風祭
 二月当日   節分祭   九月一日    二百二十日祭
 二月十一日  紀元祭   九月秋分    秋祭・英霊顕彰祭
 三月十四日  祈年祭   十月十七日   神嘗祭神楽遥拝
 三月当日   春分祭   十一月三日   明治祭
 四月十五日  例祭    十二月一日   新嘗祭・七五三祝祭
 四月二十九日 昭和祭   十二月冬至   星祭
 六月三十日  夏越祓   十二月二十三日 天長祭
 七月二十日  蟲送り   十二月三十一日 除夜祭・年越祭
由緒
 昔、当地一帯を腰(越)村と呼んで居た頃、白幡が空に舞ったので村の名を舞岡と改めたと云ふ。その幡は当地の西方三十キロの落幡村(現秦野市)に落ちたと傳へるが、この奇瑞に因んで石清水八幡宮を勧請したのが当神社の始めであって、特に乾元元年(紀元一、九六三・西暦一、三〇二)三月であった。爾来、村の鎮守として崇敬せられ明治六年村社、大正六年幣帛供進指定村社(例祭の折、市区町村長が装束を着けて幣帛を奉る)と成り、昭和二十八年宗教法人と成って現在に至る。
相模国鎌倉郡舞岡町はやがて神奈川県鎌倉郡川上村舞岡と成り、昭和十四年には横浜市域の拡大に伴って横浜市戸塚区舞岡町と成った。昭和三十年代末の住宅地造成に伴って南舞岡町が生まれたが、当神社の氏子区域であることは變らない。


舞岡八幡宮と湯花神楽
 この社には湯花神楽が伝えられる。忌竹をめぐらし中央の大釜に熱湯をわかし巫祝が呪言して笹葉に浸した湯を神前と参詣人にまく。
     戸塚観光協会


舞岡八幡宮境内社相殿(左より)
 日枝社、稲荷社、愛染社、疱瘡社、疫神社
白山社(中央):舞岡八幡宮境内社


【永谷天満宮】上永谷5丁目1-5

  永谷天満宮
 「新編相模国風土記稿」鎌倉郡山之内庄永谷上村の項に「天神社 村の鎮守なり、身躰は長一寸八尺、縁起に據るに延喜二年菅公筑紫に在て寶鏡に向ひ、躬づから摸刻して令子敦茂に與へられし眞像なりとぞ、(後略)」とあります。
 天満神社として信仰されている菅原道真が、延喜2年(902)筑紫(現福岡県)大宰府において鏡に写した姿を彫刻した自身像三躰のうちの一躰を子供の敦茂に授けました。敦茂はこの像を奉帯し関東に下向永谷郷に居住しました。その後菅原文時・藤原道長・上杉金吾を経て、明応2年(1543)宅間伊織之介が修造、天正10年(1582)宅間規富が新たに社殿を造営したと伝えられています。
 江戸時代になり、学問を奨励したので学問の神様として江戸近郊にまで知られ、境内は、入試合格祈願の絵馬などが数多く見られます。
 裏山にある筆塚は、敦茂の遺髪と筆を埋めたと伝えられ菅秀筆と呼ばれています。
 なお、尊体三体のうち一体は福岡県太宰府市の安楽寺に、一体は大宰府藤井寺市の道明寺に安置されました。


   天神さまと牛
 當神社の御祭神 菅原道眞公 即ち天神さまの、牛に因むお話の中から先づ記します。㈠天神さまは、おとなしい白い牛を飼ってをられたが、左遷の發令と共に不意に行方が分から貳くなった。天神さまは其の牛を案じつつ大宰府にお下りの途中、道明寺の門前で暗殺されようとなさった。此の時どこから現れたか刺客を蹴散らしてお救いしたものこそ他ならぬ其の牛だったといふお話
㈡天神さまの御遺書に「お墓の事は牛が知ってゐるから其の赴く所に葬る様に」とあったところ葬儀の牛車は安楽寺で止まったのでそこに葬り申上げたといふお話-太宰府天満宮の始まりに因むお話
 さて牛は農耕に不可欠缺として大事にされて來ましたが、慌てることなく、黙々と、一歩々々を踏みしめつつ、働くことこそ、天神さまの思召しに叶ってゐるのではないでせうか。私共もあやかりたいと思ひ、茲に一筆致します。
 當神社では、筑紫の安楽寺、河内の道明寺、相模の天照寺(古來當神社と一體の天神山貞昌院)を日本三躰天神と言い傳へてゐることを追記します。
   昭和五十七年九月二十五日
    -道真公薨後一、〇七九年の例祭日-
 日本三躰 永谷天満宮
        宮司 關正臣 (花押)

春の訪れ-横須賀で

 暖冬の今年も、今週はやっと冬らしい寒さになりました。でも、辺りはすでに春の気配であふれています。鷹取山ハイキングコースでは、オニシバリの開花が始まっていました。
   春動:歌詞


追浜から逸見へ(田浦梅林など)


久里浜から横須賀中央へ(花の国など)


花の国の椿類
 2018.12.1


ヤブツバキ Camellia japonica
 白侘助
 赤侘助
 紅侘助
 胡蝶侘助
 太郎冠者
 数寄屋侘助
 日月
 乗蓮の春
 白露錦
 春日野
 初瀬山
 遠房
 白牡丹咲錦魚葉椿
 藪椿
 白玉
 九曲(Jutre)
 春曙光
 綾錦
 黒龍
 白八朔
 フラワーガール(Flower Girl)
 義司
 太郎庵
 御代の栄
 白雪
 加茂本阿弥
 聚楽
 曙
 百路
 紅妙蓮寺
 さかさ富士
寒椿 Camellia x hiemalis
立寒椿 Camellia x hiemalis cv. Tachikantsubaki


春動(あしおと)  作詞:山県すみ子
 暗かった日々がこわれ 通り過ぎる冬を見たら
 いつの間にか私 笑いだしているの
 長かった冬が終わり 待ち侘びてた光の中
 飛び込んで私 風になったみたい
 軽くなった心が 高く高く高く
 白い雲が遊ぶ 空へ空へ空へ

 (かじか)んだ木々もやがて (おもむろ)に目を覚まして
 嬉しそうに花を 咲かせ始めました
 長かった冬が溶けて 待っていた春の便り
 知らない間に私 風になったみたい
 軽くなった心が 高く高く高く
 白い雲が遊ぶ 空へ空へ空へ


【参考】
 オニシバリ Daphne pseudomezereum
 田浦梅林
 ウメ Prunus mume
 二ホンスイセン Narcissus tazetta var. chinensis
 クルメツツジ Rhododendron x obtusum
 フヨウカタバミ Oxalis variabilis
 セイヨウタンポポ Taraxacum officinale
 タチツボスミレ Viola grypoceras
 オオイヌノフグリ Veronica persica
 ノゲシ Sonchus oleraceus
 キダチロカイ(アロエ) Aloe arborescens
 ミドリハコベ Stellaria neglecta
 ミツマタ Edgeworthia chrysantha
 寒咲花菜(カンザキハナナ) Brassica sp.
 第二海堡(左)、第一海堡(右)
 マメヅタ Lemmaphyllum microphyllum
 香取屋倉庫(西逸見)
 ツタバウンラン Cymbalaria muralis


 夫婦橋(横須賀風物百選)
 スミレ Viola mandshurica
 ローズマリー Rosmarinus officinalis
 ガザニア Gazania rigens
 東京湾フェリー「かなや丸」
 ペリー上陸記念碑(横須賀風物百選)
 石塔群(観音):久里浜8丁目29
 ジャノメエリカ Erica canaliculata
 東京湾観音像
 フラワートレイン:よこすか花の国
 愛の鐘:よこすか花の国
 ゴジラ像:よこすか花の国
 河津桜(かわづざくら)Cerasus x kanzakura ‘Kawazu-zakura’
 ウサギアオイ Malva parviflora
 キュウリグサ Trigonotis peduncularis
 砂坂六地蔵
 ジンチョウゲ Daphne odora
 平和モニュメント:横須賀中央公園
 満月(15.43):2020年2月8日17:37、35.276232, 139.673015、標高31m

武蔵一之宮氷川神社の境内社

 実家を訪ねた帰りに武蔵一之宮氷川神社に立ち寄りました。身近過ぎて、これまで撮影したことがあまりなかったのですが、摂社末社の社殿がいつの間にか新しくなっていました。50年くらい前には御嶽神社の前あたりに秋葉権現の碑があった筈ですが、今はどこにあるのか確認できませんでした。(注:秋葉 = 大己貴とする説があるようです)
  茅の輪(ちのわ)くぐり  氷川神社の分布(GoogleMap)


門客人(もんきゃくじん)神社(摂社)】
祭神:足摩乳命(あしなづちのみこと)
   手摩乳命(てなづちのみこと)

 門客人神社は荒脛巾神が祭神で、出雲系の氏族が侵入する前からの古い神社だと思っていたのですが、最近設置されたに違いない説明版では、足摩乳命、足摩乳命が祭神となっていました。この二柱は、氷川神社の主祭神である素戔嗚尊の義理の両親です。伺った見方をすると、末社を摂社に格上げするための方便だったのかも知れません。いずれ文献に当ってみたいと思います。


攝社門客人社(新編武蔵風土記稿より転記)
 男體社ノ東ニアリ祭神ハ豊磐窻命櫛聲窻命ノ二座ニテ古ハ荒脛巾神社ト號セシヲ氷川内記神職タリシ神祇伯吉田家ヘ告シテ門客人社ト改號シ手摩乳脚摩乳二座ヲ配祀スト伝按ニ出雲國杵築ノ攝社ニ門客人社ト云モノ二宇アリテ東ハ櫛磐間戸命西ハ豊磐間戸命ヲ祀ル由ナレハ門客人號ハ全クコレニモトツキシナラン又脚摩乳手摩乳ノ二神ハ同所夭前社ノ祭神ナレハ爰ヘ配祀セシナルヘシコレ等ニ據テモ當所氷川社ノ簸川上杵築社ヲ移シ祀リシコト證スヘシ


御嶽(みたけ)神社】
祭神:大己貴命(おおなむちのみこと)
   少彦名命(すくなひこなのみこと)


松尾(まつお)神社】
祭神:大山咋命(おおやまくいのみこと)


宗像(むなかた)神社】(摂社)
祭神:多起理比米売命(たぎりひめのみこと)
   市寸島比売命(いちきしまひめのみこと)
   田寸津比売命(たぎつひめのみこと)


【猿田彦大神祠】


【金比羅大権現祠】
祭神:大物主神(おおものぬしのかみ)

注:金比羅大権現の祭神は大物主神とも言われており、大物主神は大貴己の和魂(にきみたま)とされるため、氷川神社と縁があるとも解釈できる。


【氷川稲荷神社】
祭神:倉稲魂命(うかのみたまのみこと)



【住吉神社:六社】
祭神:底筒男命(そこつつのおのみこと)
   中筒男命(なかつつのおのみこと)
   上筒男命(うわつつのおのみこと)
【神明神社:六社】
祭神:天照大御神(あまてらすおおみかみ)
【山祇神社:六社】
祭神:大山祇命(おおやまづみのみこと)
【愛宕神社:六社】
祭神:迦具土命(かぐつちのみこと)
【雷神社:六社】
祭神:大雷命(おおいかづちのみこと)
【石上神社:六社】
祭神:布都御魂命(ふつのみたまのみこと)


【天津神社】(摂社)
祭神:少彦名命(すくなひこなのみこと)


【天満神社】
祭神:菅原道真公(すがわらみちざねこう)



神橋
包仙碑:氷川神社境内
夫婦楠:氷川神社境内
稲荷社:大宮区高鼻町2丁目266
白梅:大宮区高鼻町2丁目128
二の鳥居
庚申神社:大宮区浅間町2丁目4-1
シロヤマブキ Rhodotypos scandens


【浅間神社】大宮区浅間町2丁目21-5

   浅間山由来(千間山思考)
 日光門跡輪王寺宮四代公寛親王が上野寛永寺と日光間を三往復されていた折に街道筋の幕府から請地している者たちが、沼地の干拓を熱望していることを聞き徳川八代将軍吉宗に用水路の普請と沼地の干拓を進言したことから見沼代用水工事が幕府直轄で始まることとなった。
 徳川吉宗の命により享保十年八月から普請役安田太左衛門はこの工事を行うための測量、設計に必要な三角点の一つが現在の浅間山の地点にもとめられた。
 付近の荒れ地から土を運び、山を築き、櫓を組み水平版を設置して用水路の通貨地点の高低を測る工事を施工した。この三角点との距離が大体千間あったので、当時の住民はこの山を千間山と呼んでいた。江戸中期には山岳信仰が盛んとなり、当地でも富士山の浅間神社をこの山に祭ることになり、浅間山と呼ぶようになったものと思われる。
  浅間神社
 浅間山の祠には山岡鉄舟が揮毫した「浅間祠」の碑があります。鉄舟は政治家で勝海舟、高橋泥舟と共に「幕末の三舟」と称された傑物です。鉄舟が片柳染谷村の常泉寺に逗留していた頃浅間様の有力な氏子の依頼にて鉄舟が揮毫したもので、富士山の方角に向けられてあり浅間祠の碑は明治十八年にたてられたものであります。
  浅間神社 例祭
 富士山山開きの毎年七月一日の初山の行事が行われます。この日に前一年に生まれた子供たちが親に抱かれてお詣りし、お祓いを受け、子供の額に『初山』の朱印を押してもらい団扇をうけ親戚や知人に配って子供の健康を祈るものです。
  浅間稲荷
東松山箭弓稲荷のお札をお祀りしています。
五穀豊穣 商売繁盛 交通安全等の祈願社として信仰されています。
御祭日
 初午祭(三月初午)
  平成二十七年三月吉日   浅間町自治会館管理委員会


D5190号㐧3動輪

     記
 我が日本国有鉄道が開業してから、97年有余経過し、文化及び産業経済の発展に寄与し、蒸気機関車の型式も幾度となく移り変り、日本国有鉄道の代表的蒸気機関車として、昭和11年D51型式が登場し、国鉄の花形として輸送に活躍してきたが、時勢の進展と共に、昭和44年10月に大宮機関区から親しみ深かった蒸気機関車が姿を消すこととなり、その置換えに新鋭のDL機関車が投入され、新たに輸送の任についた。
 昔日の面影を偲び、長らく働いてくれた労苦をねぎらうと共に、将来もこの偉業をたたえ、記憶の想い出として、当区の最後の機関車D5190号の㐧3動輪を大宮工場より譲りうけ、永く記念として区員一同協力して、昭和44年8月にここに鎮めたものです。
     昭和44年8月   大宮機関区区長 岡田 穣

戸塚区の名木古木-part1

 今日は、戸塚を起点に横浜市の名木古木を訪ねました。


横浜市指定名木古木
原宿浅間社:戸塚区原宿3丁目17-8

 No.49542 スダジイ Castanopsis sieboldii
 No.49543 スダジイ Castanopsis sieboldii
 No.49544 スダジイ Castanopsis sieboldii
 No.49545 スダジイ Castanopsis sieboldii
 No.49546 スダジイ Castanopsis sieboldii
 No.49547 スダジイ Castanopsis sieboldii


三嶋神社:戸塚区深谷町1026
 No.50152 スダジイ Castanopsis sieboldii
 No.49539 モミノキ Abies firma
 No.49540 ヒノキ Chamaecyparis obtusa


 【滅失】イロハモミジ Acer palmatum 俣㙒神社:戸塚区俣野町763
 【滅失】イチョウ Ginkgo biloba 深谷山青陽院専念寺:戸塚区深谷町1021

 市民グラフヨコハマ115号(2001)によれば、俣㙒神社にはイロハモミジ、専念寺にはイチョウがあった筈ですが確認できませんでした。この2本は滅失と思われます。俣㙒神社にはイロハモミジの若木が3本ほどありました。


 No.200412 モチノキ Ilex integra 戸塚区汲沢町398-2


 No.56021 ケヤキ Zelkova serrata 戸塚区汲沢町251


汲澤山宝寿院:戸塚区汲沢4丁目32-6
 No.48218 イチョウ Ginkgo biloba
 No.48219 シダレザクラ Cerasus itosakura


五霊神社:戸塚区汲沢町1273
 No.54034 モミノキ Abies firma
 No.54035 スダジイ Castanopsis sieboldii


熊野山松樹院西立寺:戸塚区戸塚町2226
 番号不明 イチョウ Ginkgo biloba


富塚山親縁寺:戸塚区戸塚町464
 番号不明 イチョウ Ginkgo biloba


【俣㙒神社】戸塚区俣野町763


【原宿浅間神社】戸塚区原宿3丁目17-8

 村社浅間神社
一、御祭神
 木ノ花之佐久夜姫ノ命
火難消除安産航海農漁業の守護神
總本社 富士山本宮官幣大社浅間大社 横浜市戸塚区原宿四三一番地
一、御由緒
 永碌年中中村安全を祈願し当社を勸請す玉縄城主北條左衛門太夫の崇敬厚く社殿を建立せり安永間ねん造営安政五年再建明治九年改築浅間社として村社列格大正初期本殿改築昭和七年九月浅間神社と改稱昭和五十一年九月本殿拝殿社屋を中心に改修参道境内整備築造される
一、境内地 五百八十四坪
一、社殿 本殿 拝殿


【稲荷社】戸塚区深谷町515-2


【三嶋神社】戸塚区深谷町1026


【深谷山青陽院専念寺】戸塚区深谷町1021

  鎌倉権五郎影政と専念寺の深谷目薬師
 前九年の役の鎮定功労者陸奥守源頼義の嫡男八幡太郎義家は陸奥守となり赴任したが、奥州の覇者清原武則家の家督争いにまきこまれ、まれに見る大乱となった。戦場は沼柵からさらに要害の地金沢柵に移るが義家軍の苦戦の報が都に届くと義家の弟新羅三郎義光(甲斐源氏武田祖)が京から来援、これに力を得た義家が総攻撃し非常な苦戦の末、寛治元年十一月(一〇八七)、金沢柵を陥落させ、家衡を討つことに成功し、後三年の役はようやく終幕となった。
 この戦いに弱冠十六歳の鎌倉権五郎は金沢柵の戦いで敵の矢に左目を射抜かれると戦友三浦為次が駆け寄り、影政の顔に足を掛け、その矢を抜こうとするや影政は「武士の顔に足を掛けるとは」と怒り刀を抜いて切りかかったと言う。
 凱旋後影政は守り本尊の深谷薬師に治療の願をかけ、寺の前の清流で目を洗ったところ、たちまち目の傷が癒えたと言われる。
 深谷薬師は霊験あらたかな目薬師如来として信仰厚く、今も十二年毎に開扉している。鎌倉時代には活躍した大庭、俣野、梶原一族も戦国大名上杉謙信も鎌倉権五郎影政の子孫である。
  平成十五年三月 吉日
          大正地区歴史散歩の会


【五霊神社】戸塚区汲沢町1273

   五霊神社由緒沿革
 祭神五柱
村岡五郎平良文公(桓武天皇曾孫髙望王第五子で村岡郷の初代城主となる)
村岡公致(義家)公 村岡致成公
鎌倉影成公    鎌倉権五郎影政公
正親町天皇元亀二年(一五七一年)九月十九日創建
當時此の地は村岡郷に属しており森織部義秀が村岡郷宮前村(現藤沢市宮前)御霊社を勧請し守神とした。後に鎌倉権五郎影政公を合祀して祭神が五柱となるにつき社名を五霊と改ためたと云う。村岡五郎良文公は皇族より始めて平姓を賜わった髙望王の子で全国 平姓の祖とも云うべき方を祭神として奉斎する神社は珍しい。
 慶長二年(一五九七年)社殿を再興して五靈大権現と称した。其の後社殿の改築二回、更に大正十二年関東大震災に倒壊して翌年復興し数度の修復を行ったが近年雨漏りを憂いて森今?氏が多額の浄財を奉納されこれを基に氏子一同これに賛同奉納し流造りの社殿を改め權現造りの様式にて御造営を成し昭和五十七年十一月六日に竣功した。
茲にこれを祈念して建設委員一同由緒碑を建設する。
     御神徳 家運隆盛 厄除 安産 学業成就 交通安全
     大祭日 例年十月一日(現在は直近の日曜日)
          宮司 本多正義記


 山ノ神社(五霊神社境内社)


【下郷熊野神社】戸塚区戸塚町2225-1

   下郷熊野神社の由来
一、鎮座地 横浜市戸塚区戸塚町二二二五番地
一、御祭神 家津美御子大神(けつみみこのおおかみ)素戔嗚尊(すさのおのみこと)
一、由緒沿革
 新編相模風土記には享禄年中に村民信心の右衛門と申す者が藤澤の遊行上人に帰依し剃髪して僧侶となり信阿と號す。
 後に紀州熊野本宮に詣で熊野大権現を当地に勧請して傍に草案を結び常念佛修業したのが始めで善男善女の信迎する者が多かった。昭和五十三年一月神社創建四百五拾周年に当り氏子總代世話人等の良き理解を得て浄戝を廣く氏子崇敬者の浄信に募り内外共に力を合せて昭和五十四年二月?日無事完成する。二月十三日改めて氏子代表十二名熊野本宮へ参詣し御分霊を奉還勧請し四月十五日御遷座の神事を執行せり。
一、祭事
 元旦祭 一月一日
 奉還祭 二月十三日
 節分祭 二月上旬
 例大祭 古くは九月十三日
        九月二十日
     現在は九月上旬
  昭和六十一年九月吉日 伊藤氏寄贈


【冨塚八幡宮】戸塚区戸塚町3827

冨塚八幡宮 戸塚の鎮守様 勝負海運 厄除けの神社
御祭神 誉田別命(応神天皇)
    富属彦命(相模国造二世孫)
例大祭 八月第一日曜日(前日宵宮)
   御由緒
 平安時代、前九年の役平定のため源頼義。義家が奥州に下る途中、この地にて応神天皇と富属彦命の御神託を蒙り、其の加護により戦功を立てることが出来たのに感謝して、延久四年(西暦一〇七二年)社殿を造り両祭神をお祀りしました。
 社殿後方の地は富属彦命の古墳であり、これを富塚と称した事により戸塚の地名が発祥したと伝えられています。
 戸塚(富塚)一族は昔この地に住み、当神社を氏神として崇敬しておりました。現在全国に散らばる戸塚姓富塚姓の方々の守護神でもあります。
 現在の本殿は天保十四年、拝殿は昭和九年の造営になります。
 明治六年には其の由緒を以って戸塚・泉・瀬谷・栄区唯一の郷社(近郷を鎮守する神社)に列せられました。
宮御神輿 宮御神輿は江戸時代天保十四年の作で、平成元年から二年かけて大修理を行いました。
   境内社
玉守稲荷 豊作 商売繁盛の神様
冨塚天神 学問成就 合格祈願の神様


鎌倉を 生きて出でけむ 初松魚(かつお)
     芭蕉翁
 当時鎌倉で水揚げされた初鰹は戸塚を通り江戸に運ばれました。
 嘉永二年、当地の俳人達によって戸塚にちなんだこの句の碑が建てられました。


冨塚八幡宮(天神様)
     御祭神 菅原道真公
  学問成就 合格祈願の神様
 江戸時代末、当宮神主が開いていた私塾の門弟達が、学問の成就を願い、明治元年に建立しました。
 ながらく境内奥まった所に在りましたが、その霊験あらたかなるを以って平成十一年、この処に遷しました。


【八坂神社】戸塚区戸塚町4189

     由来
 元龜參年六月郷の庄司内田兵庫源正親が牛頭天王社を草創勧請したものであるがいつしか社殿敗壊眞躰の神器は草もうの中に散在し止むなく地中深く埋め祭祀を缺くこと貳佰年に及んだ内田氏の末葉内田左衛門尉源政利これを憂い元禄元年矢部村庄司河原氏の霊夢により土壌を起し眞躰を得てその再興をはかり祭祀を行った。
 明治初年八坂社を改め更に昭和七年九月十九日八坂神社と改称した祭典は七月七日拾四日まで行事は七月十四日無病息災を祈願して行われるお札まきは町内男子拾名が女装し渋団扇を打ち原始的踊りをしつゝ五色のお札を中天に撒く


 通称「お天王さま」として親しまれている戸塚宿の鎮守です。元亀三(五七二)年に、牛頭天王を勧請したのが始まりと言われています。毎年七月十四日に行われる。「お札まき」は、無病息災を祈願して市の指定無形文化財になっています。神社脇の東海道と鎌倉道が交差するあたりに高札場がありました。


横浜市無形文化財 お札まき
 平成三年十一月一日指定
 保存団体 お札まき連中
 行われる時期及び場所
  毎年七月十四日
  戸塚区戸塚町四一八九番地八坂神社他町内各所
 お札まきは、七月十四日ま八坂神社の夏祭りに行う踊りで、同社の元禄再興とともに始まったと伝えられています。ひの踊りは、江戸時代中期、江戸や大阪で盛んに行われていましたが、やがて消滅し、現在は東海道の戸塚宿だけ伝えられています。
 男子十数人が姉さんかぶりに(たすき)がけの女装をして(すそ)をからげ、渋うちわを持ち、うち音頭取り一人はボテカズラをかぶります。音頭取りの風流歌に合わせて踊り手が唱和しながら輪になって右回りに踊ります。踊り終わると音頭取りが左手に持った「正一位八坂神社御守護」と刷られた五色の神札を渋うちわで撒き散らします。人々は争ってこれを拾って帰り、家の戸口や神棚に貼ります。神社境内で踊り終わると、町内各所で踊り、神社に戻ります。
 風流歌の歌詞に「ありがたいお札、さずかったものは、病をよける、コロリも逃げる」という文句があることから、祇園祭と同様な御霊信仰に基づく厄霊除(やくりょうよ)けの行事であることがわかります。
 神札を路上に撒き散らして人々に拾わせる護符配りは、現在では極めて珍しく、民間信仰資料として貴重です。
 平成四年三月   横浜市教育委員会


本日撮影その他の写真


【参考】
 メキシコハナヤナギ Cuphea hyssopifolia
 ホトケノザ Lamium amplexicaule
 地蔵堂:戸塚区俣野町769
 ロウバイ Chimonanthus praecox
 庚申塔5基:戸塚区俣野町593
 バーバーひまわり:戸塚区深谷町15-17
 タイワンリス Callosciurus erythraeus thaiwanensis
 庚申塔(3基):原宿浅間神社
 ウメ Prunus mume
 双体道祖神:戸塚区汲沢4丁目36-3