横須賀から葉山へ

今日は横須賀中央に用事があったので、そのまま足を延ばして葉山、逗子を廻ってきました。
【田浦神明社】横須賀市田浦町2-1

神明社
一、鎮座地 神奈川県横須賀市田浦町二丁目一番地
二、御食津神(みけつのかみ)
  (くらおかみのかみ)
  吉備霊(きびのみたま)
三、神明社は花園天皇の御代足利義教将軍時代正長元年(西暦一、四二八年)六月十六日に勧請した。
神明社は元田浦五丁目四十二番地にあって明治六年六月村社に列格した。後大正二年十二月十五日田浦大作一五一番地にあった貴布祢社(祭神闇神)と田浦二丁目一番地にあった御霊社(祭神吉備霊)を神明社に合祀した。大正八年六月十八日田浦長二丁目一番地に移し社殿の改築と境内の拡張完成大正九年五月二十一日神奈川県告示二〇四号を以って指定社となった。大東亜戦争終結後昭和二十八年十月五日神奈川県指令第三二三四号により新しい宗教法人の名のもとに氏子が維持し田浦の氏神として推計され今日に及んでいる。
四、御祭神について
御食津神(みけつのかみ)
御食津神は豊受比賈神(とようけひめのかみ)と同じ神で食物を司どる祖神で伊勢神宮の外宮の大神と同じで天照大神の食物を司る神様である。
(くらおかみのかみ)
神は伊邪那岐命(いざなぎのみこと)火具土神(かぐつちのかみ)を剣で(くび)を斬り給う時に剣から(したた)る血の手の俣から漏れ出た神とされている。闇は谷を意味しは龍神で雨を司る神で奈良県吉野にある丹生川上(にぶのかわかみ)神社、京都の鞍馬にある貴船(きふね)神社と同じ祭神である。
吉備霊(きびのみたま)
吉備霊は吉備津彦神(きびつひこのかみ)と同じで孝霊天皇の第三皇子で崇神天皇の御代に四道将軍が置かれ西道将軍として中国地方に派遣せられ吉備国(今の岡山県)を平定し永くこの地にとどまり仁政を敷かれ偉大な功業偉徳のあった方で崇められている。岡山県の吉備神社の御祭神である。
平成三年七月吉日    鈴木三夫謹書

注:この由緒書きには誤字(茶色の部分)がある。
花園天皇:正しくは、後花園天皇(在位1428-1464)
(ろう):恐らく異字体(あるいは誤った略字)で、本来は(おかみ)
【穴守不動】


【諏訪大神社】横須賀市緑が丘29
緑ヶ丘の諏訪大神社です。本殿に向かって右側の相殿に鎮座するのは、左から大鳥神社、稲荷社、天王宮、伊勢皇大神宮、東照宮、天満宮の六社です。この相殿の狛犬は、杉田八幡宮の狛犬にどこかしら似ています。

市制施行七十周年記念 横須賀風物百選
諏訪大神社(すわおおかみしゃ)
神社の伝説によると、康暦二年(一三八〇)にこの地の領主であった三浦貞宗(横須賀貞宗とも言う)が、信濃国(しなののくに)(現在の長野県)諏訪から上下諏訪明神を迎えて建てたとあります。また、徳川家康が、江戸に幕府を開いた三年後の慶長十一年二月二十七日、代官長谷川三郎兵衛の発起で境内地の大改修が行われたことも伝えられています。
祭神は、建御名方命(たてみなかたのみこと)事代主命(ことしろぬしのみこと)の二柱です。建御名方命は、武勇に優れた神で、東国の守り神と言われています。事代主命は、えびすさまとも言われ、開運の神として広く信仰されています。
神社前の坂道は、横須賀村と言われた頃まで、浦賀道に通じる主要道路でした。八幡山の名で親しまれている裏山は、小谷山がもとの名称です。明治初期。大津にあった佐倉藩の陣屋を解体して横須賀製鉄所(後の海軍工廠(こうしょう))に移したとき、陣屋内にあった八幡宮を横須賀製鉄所の鎮守として古谷山に祭ったところから八幡山と呼ばれるようになりました。
頂上近くから神社の裏手に接する区域は、諏訪公園になっています。明治三十三年、当時皇太子であった大正天皇の御成婚を祝って公園化事業が進められ、明治四十五年に完成しました。かつては、熊や猿などの小動物が飼われていたほか、小栗上野介忠順とレオンス・ヴェルニーの胸像や海軍工廠殉職工の招魂塔が建っていました。
明治四十年の市制施行直後には、山頂に八幡山小学校が、聖ヨゼフ病院のところに諏訪小学校と市役所があり、まさな文教地区の観がありました。

【(坂本の)馬頭観音】横須賀市坂本町1丁目

この坂は、とても急な坂でしたので。上り下りの馬力(荷馬車)が大変難儀をしました。ここでたおれた馬の霊を慰めるため。有志の手で馬頭観音が建てられました。
横須賀中央地域文化振興懇話会 平成二年三月

【池上神社】横須賀市池上5-4-5

沿革
池上神社の沿革は。次の通りです。
鎮座地 横須賀市池上五丁目四番地の五号
祭神  天照皇大神(あまてらすすめおおかみ)八幡大神(はちまんおおかみ)闇龗神(くらおかみのかみ)素戔嗚尊(すさのおのみこと)、猿田彦神、淤母陀琉(おもだる)
例祭日 七月三十日(現在は同月の最終日曜日)
社殿  本殿、幣殿(神明造り六坪)拝殿(神明造り十坪)以上鉄筋コンクリート、亜鉛葺き二棟一宇
境内  三八〇坪
由緒沿革 往古、当地には白髭社、貴船社、第六天の三社があった。
この三社の創建年代は不詳であるが。白髭社の寛永十六年(一六三九)の棟札が現存し、また「相模風土記」に「貴船社に元禄十年(一六九七)の棟札があり」と記されており、少なくとも江戸初期までに遡り得る。
第六天社については不明であるが、三社共村中のものと記録されている。ひれら三社は、明治四十年、一村一社の令により、衣笠神社に合併されたが、村民氏子は氏神様としての信仰の念を断ちきれず、旧跡に一宇を建て崇敬してきた。
昭和二十一年宗教信仰の自由が認められ、当時の氏子代表が、御神体を衣笠神社より持ちかえり、現在の地に前記六神を合祀して「池上神社」と改称した。昭和四十四年社殿を造替して今日にいたる。
氏子 一、五〇〇戸
宮司 小池千頴
昭和六十一年十二月吉日 建立
池上神社
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御大典記念
この碑は平成即位の礼を記念して、池上の位置を示す標識を境内に建立し、後世に伝う。
測量には陸上自衛隊第一教育団の協力を得る。
北緯 三五度一五分四一秒二六二
東経 一三九度三八分五二秒〇五三
標高 四三、三八米
測量 平成二年七月五日
陸上自衛隊第一特科連帯
平成二年十一月
池上神社

【阿部倉温泉】湯の沢旅館


相州三浦郡 阿部倉村七不思議
一.明神の相生松
一.向山の南面の月
一.湯本の朝けむり
一.湯の沢の蛍
一.萩野の勝手水
一.湯本の陰陽石
一.平山の片葉の蘆

【不動滝】

【木古庭神明社】
明治四十一年(1908年)に一度は杉山神社に合祀されたものの昭和四十三年(1968年)に現在地に勧請された神明社です。

神明社略歴
当地旧家にして元名主、伊東家(当主敏三郎氏)所蔵の地誌明細記及び社寺明細書に依れば、神明社は、古来、木木庭の氏神として、藪の里一三〇三番地に在って、天照皇大神と、向津比賈命(むかつひめのみこと)を奉斎して来ましたが、明治四十二年十一月十八日、政治権力の干渉により、廃祀となり、祭神は、上山口、杉山神社に合祀され、境内地は、仝神社の所有に帰し、社殿は取払われて、滅亡しました。

【上山口熊?神社】
グーグルマップでは間違って『熊堅神社』と記載されている上山口の熊?神社です。

【日月神社】

【上山口杉山神社】
先月にも一度訪ねた上山口の杉山神社です。

その他、本日撮影の写真です。

【主な経路】
田浦神明社-穴守不動尊-ヴェルニー公園-諏訪大神社-艦マニア横須賀-(坂本の)馬頭観音-池上隧道-池上神社-阿部倉の庚申塔-三界萬霊塔-不動滝/不動堂-神明社-熊?神社-不動堂-おもての湧水-上山口杉山神社-一色-長柄-池子-六浦-追浜

【参考】
ノックアウト
はまみらい
ウミネコ Larus crassirostris
出合い(雨宮敬子(あめのみやけいこ)作)
ホルトノキ Elaeocarpus sylvestris
ツワブキ Farfugium japonicum
コスミレ Viola japonica
センニンソウ Clematis terniflora
ノブドウ Ampelopsis glandulosa var. heterophylla
チャノキ Camellia sinensis

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