帷子川水系を訪ねて ~part.4 菅田川、くぬぎ台川、市沢川(陣ヶ下渓流公園)

 今日は、帷子川中流に合流する支流を尋ねました。陣ヶ下渓流公園でみかけた赤い実は、タンキリマメではなくトキリマメの方でした。水の橋は、水道道が通っていることから名付けられたようです。
帷子川水系を訪ねて part1.西区  part2.帷子川から今井川へ  part3.今井川合流地点から帷子川分水路分流堰
【水系マップ】帷子川  大岡川  入江川・滝野川  宮川・六浦川  侍従川  鷹取川


菅田川

菅田川合流地点
暗渠上
第二第六天橋
橋戸橋
むさご橋
相鉄本線
第六天橋
(八王子街道)
池田橋
(東海道新幹線)
上菅田橋
上菅田人道橋
私用橋x4
ふれあい橋
私用橋x3
富士見橋
名称不明の橋
旭橋
暗渠
寺下橋跡


くぬぎ台川

耕地橋(くぬぎ台川合流地点)
谷戸橋
逆田用水取水入口跡碑
私用橋
(協和工業の)橋
支流流入地点
無名の橋
原下橋
無名の橋
滝(高山橋の下)
高山橋
水道道


市沢川(いちざわがわ)陣ヶ下(じんがした)渓谷)

陣ヶ下渓流公園
無名の橋
水の橋
水道道



 馬頭観音:保土ケ谷区川島町
 ボケ Chaenomeles speciosa
 五輪塔・庚申塔・道祖神:菅田町344
 二十六夜塔・・歳ノ神、堅牢地上塔:上菅田町285-9
 チャノキ Camellia sinensis
 ひまわり整骨院西谷院
 庚申塔・堅牢地神塔:西谷町3丁目21
 マンデビラ Mandevilla sp.
 キク Chrysanthemum x morifolium
 ヨウシュヤマゴボウ Phytolacca americana
 カナムグラ Humulus japonicus
 モウソウチク Phyllostachys heterocycla
 ヒイラギ Osmanthus heterophyllus
 ブロッコリー Brassica oleracea var. italica
 コマユミ Euonymus alatus form. striatus
 道祖神:川島町73-1
 庚申塔(2基):川島町73-1
 オオイヌホウズキ Solanum nigrescens
 トキリマメ Rhynchosia acuminatifolia
 サザンカ Camellia sasanqua
 水道局西谷浄水場
 水道記念館跡
 みなとみらい方面(水道坂より)
 水道坂碑:川島町579
 蔵王高根神社
 センリョウ Sarcandra glabra
 光栄橋
 上星川駅
 コウテイダリア Dahlia imperialis
 ヤマザクラ Cerasus jamasakura


   庚申さまの由来(菅田町344の説明版より)
■庚申
庚申(かのえさる)の日に。仏教では帝釈天と青面金剛を、神道では猿田彦をまつる行事です。平安時代に中国から伝わり、江戸時代に盛んになりました。町では流行病をなくすために祈ったり、村では豊作を願う風習があります。
■道祖神
村里の入り口や分かれ道で、悪霊の侵入を防ぎ、通行人を守る道路の神で、塞の神といいます。旅行安全、縁結び、安産、子供を守る神として、信仰する風習が東日本に広まりました。
■さいと焼き
どんど焼き、左義長などともいいます。この町では【せいと焼き】と呼び、門松やしめ飾りを燃やして、その勢いで書き初めが高くあがるのを喜ぶ光景もありました。餅や団子を焼いて食べ健康を祈り、燃えさしの松を戸口にさしこんで家内安全を願う風習も続いています。
 現在では以上の三つが結びつき、その火祭りが正月十四日におこなわれています。
  平成八年一月吉日 上菅田町下地区庚申講


【文献】
横浜市公共下水道台帳

帷子川水系を訪ねて ~part.3 今井川合流地点から帷子川分水路分流堰

 帷子川水系を訪ねて part1.西区  part.2 帷子川から今井川へ part4.菅田川、くぬぎ台川、市沢川
【水系マップ】帷子川  大岡川  入江川・滝野川  宮川・六浦川  侍従川  鷹取川


今井川流入地点から光栄橋

今井川流入地点
天王橋(てんのうはし)
帷子橋(旧東海道)
古町橋(ふるまちはし)(古東海道)
愛染橋
常盤橋(ときわはし)
水道管(常盤橋)
(河童)
川辺公園
柳橋人道橋(やなぎはしじんどうきょう)(下)
柳橋(やなぎはし)
柳橋人道橋(やなぎはしじんどうきょう)(上)
星川下橋(ほしかわしもばし)
星川駅
星川橋人道橋(ほしかわはしじんどうきょう)
星川橋(ほしかわはし)
宮川橋(みやかわはし)(水道道)
すみれウォーク
川田橋(かわだはし)
星和橋(せいわはし)
保土ケ谷陸橋
平和橋(へいわはし)
和田橋(わだはし)
和田町駅
製缶橋
宮崎跨線橋
水道管(宮崎橋)
宮崎橋
(相鉄本線)
光栄橋(こうえいはし)


相鉄・JR直通線からふれあい橋

(相鉄・JR直通線)
両郡橋
人道橋(両郡橋)
稲荷橋
川島橋
(環状2号線)
かるがも橋
新橋(しんばし)
鷲山橋(わしやまはし)
菅田川流入地点
学校橋(がっこうはし)
くぬぎ台川合流地点(耕地橋)
(無名の橋)
(東海道新幹線)
逆田橋(さかたはし)
上逆田橋(かみさかたはし)
田原橋(たわらばし)
公園
(相鉄本線)
中田橋(なかたはし)
新井川流入地点
下中田橋(したなかだばし)
ふれあい橋
帷子川分水路分流堰
愛宕橋



天王町駅
帷子橋復刻(天王町駅前公園)
古町橋(ふるまちはし)


横浜市地域史蹟
 旧帷子橋(かたびらばし)
         登録年月日 平成十年十一月九日
         所在地   保土ケ谷区岩間町一丁目五番地
         所有者   横浜市
         登録区域  保土ケ谷区岩間町一丁目五番地の一部
 江戸時代、東海道が帷子川を渡る地点に架けられていた帷子橋は、絵画に描かれていたり、歌や俳句に詠まれるなど、保土ケ谷宿を代表する風景として知られていました。中でも初代広重の「東海道五十三次之内 保土ケ谷」は特に有名です。
 大橋や新町橋とも呼ばれていた帷子橋について、『新編武蔵風土記稿』の帷子町(保土ケ谷宿のうち)の項には、「帷子橋 帷子川ニ架ス板橋ニテ髙欄ツキナリ、長十五間、幅三間、御普請所ナリ」という記載がみられます。昭和四十九年(一九六四)七月に、帷子川の流れがそれまでの相鉄線天王寺駅南側から北側に付け替えられたのに伴い、帷子橋の位置も変わりました。かつての帷子橋跡地は、現在の天王町駅前公園の一部にあたります。


歴史の道
古町橋(ふるまちばし)
江戸時代初期の東海道
 現在知られている「旧東海道」は、慶長6年(1601年)に保土ケ谷宿が成立した当時のものではなく、慶安元年(1648年)に竣工されてものでねそりまで追分(宮田町1丁目)から上方(かみがた)方面の東海道はここを通っていました。現在、追分から神明社あたりまでの道筋は判明していますが、そこから境木までの道筋には諸説があります。
古町通(ふるまちどおり)
 このあたりには江戸初期まで屋敷や寺が多くありましたが、新道の造成に伴い屋敷は街道沿いに移され、新しい街並みを形成しました。ここから追分へ至る道は「新町」(現:岩間町、帷子町)に対比して「古町通」と呼ばれ、元禄年間の書物には「古町通屋敷跡」の字が見られます。
旧古町橋
 この場所には江戸時代初期の東海道が帷子川をわたる「古町橋」がありました。慶安年間の新道の開通にともなって架けられた旧帷子橋は、これに対応して、「新町橋」と呼ばれていました。また、かねてから暴れ川として氾濫を繰り返していた帷子川の改修が昭和38年(1963年)に決定され、帷子川の流路は北側に変更されました。それにともない、現在の古町橋は昭和41年(1966年)に、ここから葯120メートル北に架設されています。
     平成16年3月 保土ケ谷区役所


市沢川(陣ヶ下渓谷)

(私用橋)
くぬぎ橋
神社下橋
(嬬恋神社より)


帷子川分水路

分流地点の水門
下白根橋(しもしらねばし)
帷子川分水路通水記念碑(帷子川ふれあい広場)
帷子川分水路


平成2年度 都市河川緊急整備工事
 (帷子川分水路 分流堰ゲート)
 純径間   6.5m
 扉高    5.2m
 門数    3門
 開閉速度  開時 0.3m/min
       閉時 1.0m/min
 扉体重量  9.7t (1門分)
 製作年月  平成3年3月
 製作    IHI 石川島播磨重工業株式会社


 その他の写真です。帷子川流域は、杉山神社が多く分布することでも知られており、以前にもこの地域を訪ねたことがありました。

金沢文庫駅で
南太田駅前
霞橋(かすみばし)
初代霞橋
藤方豆腐店跡
クチナシ Gardinia jasminoides
イソギク Chrysanthemum pacificum
キダチチョウセンアサガオ Brugmansia suaveolens
県営藤棚団地8号棟
ばらの幼稚園
願成寺坂(がんじょうじざか)
ヤマハギ Lespedeza bicolor
シネマノヴェチェント:中央2丁目1-8
東京ガス平沼整圧所
カワウ Phalacrocorax carbo
カワラバト Columba livia
アカミミガメ Trachemys scripta
コイ Cyprinus carpio(川田橋)
クロガネモチ Ilex rotunda
(和田)杉山神社:和田1丁目10-4
和田町商店街
和田地蔵尊:和田1丁目17-5
ホトトギス Tricyrtis hirta
ハシボソガラス Corvus corone
(川島)杉山神社:川島町896
嬬恋稲荷:川島町901-1
センダングサ Bidens biternata
ラッコ:西谷町公園
ウサギ:西谷町公園
ブラシノキ Callistemon speciosus


横浜市認定歴史的建造物
 霞橋
  建造年 1928(昭和3)年
  レンガ壁・門柱 1913(大正2)年
  設計者 内務省復興局
 2004 横浜市


かながわの橋100選 霞橋


霞橋 Kasumi Bridge
 初代の霞橋は大正2(1913)年に架けられましたが、関東大震災により損壊しました。現在の霞橋は、レンガ壁や門柱に初代の橋のものを再使用し、昭和3(1928)年に竣工した2代目です。この橋は、「かながわの橋100選」と「横浜市認定歴史的建造物」に指定されています。城壁を思わせる重厚な構造(鉄筋コンクリートアーチ橋)は、地域のランドマークになっています。
 明治末期から大正期にかけて横浜電気鉄道の路線網は拡大し、大正10(1920)年に横浜市営電気鉄道(横浜市電)となりました。東側から橋下の道路へ下りる階段が、休憩所と一体的にレンガで築造されているところに当時の面影を見ることができます。初代霞橋の下の道は、電車が通る専用軌道でしたが、市電久保山線は、モータリゼーションの発展に伴い、マイカーの普及で街中に自動車が氾濫したため、昭和44(1969)年に廃止されました。
 この付近は古くは霞耕地と呼ばれ、大正期に入ってから別荘などが建てられるようになっていましたが、震災を機に、被災がひどかった市中心部からの避難地となり、住宅地となりました。「霞ヶ丘」は、昭和10(1935)年に町会町名整理により字名に因んで町名となりました。霞は雲霞のカスミの他に、カ(処)スミ(住み)、即ちスミ(住)カ(処)のこととも言われています。


霞橋 Kasumi Bridge
The original Kasumi bridge was built in 1913 (Taisho 2), but was destroyed in the Great Kanto Earthquake. The current Kasumi bridge is the Second version of the bridge, and was built in 1928 (Showa 3), reusing the brick walls and pillars of the original bridge. This bridge has been selected as one of “Kanagawa’s Top 100 Bridges” and has been designated as one of “Yokohama’s Recognized Historic Architectures.” The sturdy structure (an arched bridge made of reinforced concrete) which reminds one of a rampart is a landmark of the region.
From the end of the Meiji period to the Taisho period, Yokohama Electric Railway’s network expanded until it become Yokohama Electric Tramway (Yokohama Tramway) in 1920 (Taisho 10). A trench in a hill was made when Yokohama Tramway’s Kuboyama Line was being constructed, and Kasumi Bridge was built to bridge the two crests of the hill. under the east side of the bridge, one can still see the vestiges of the old brick rest stop and stairs leading down to the road. Although the road under the original bridge was initially used exclusively by tramcars, the city become flooded with automobiles as private cars become popular with the development of motorization, and Yokohama Tramway`s Kuboyama Line was forced to discontinued service in 1969 (Showa 44).
This area used to be known as Kasumi fields, and in the Taisho period, vacation homes and the like started to be built in the area. however, with the Great Kanto Earthquake it become an evacuation site for people from the heavily damaged city center, and later become a residential area. Kasumigaoka gained its town name during the organization of town borders and names in 1935 (Showa 10). Other than the character kasumi of the word “cloud and haze” in Japanese, it is also said that kasumi id reordering of the word sumika which means dwelling place.


初代霞橋。橋と橋詰の階段は一体のレンガ造。橋の下の道は電車が通るため。小さなアーチ橋であった。
The original Kasumi Bridge. The bridge and its stairway were made of bricks and build as a single structure. Since only tramvars passed under the bridge, the arch was relatively low.
横浜開港資料館所蔵


【文献】
横浜市、だいちゃんマップ、横浜市行政地図情報提供システム、Accessed:2022-11-12.
ROIS-DS、帷子川分水路 [1400010007] 帷子川水系 地図 | 国土数値情報河川データセット、Accessed:2022-11-12.
神奈川県(2014)帷子川水系河川整備計画, 、Accessed:2022-11-12.

今日は近場で ~ 秋色を尋ねて


【参考】
 ヤクシソウ Youngia denticulata
 ツワブキ Farfugium japonicum
 ラセイタソウ Boehmeria biloba
 スイカズラ Lonicera japonica
 ツタバウンラン Cymbalaria muralis
 ボタンクサギ Clerodendrum bungei
 ノブドウ Ampelopsis glandulosa var. heterophylla
 ヒメツルソバ Persicaria capitata
 トマト Solanum lycopersicum
 チャノキ Camellia sinensis
 イヌタデ Persicaria longiseta
 トネアザミ Cirsium comosum ver. incomptum
 ヒヨドリバナ Eupatorium makinoi
 ヒイラギ Osmanthus heterophyllus
 ビワ Eriobotrya japonica

晩秋の等々力渓谷

 等々力渓谷は、23区内で唯一の渓谷とのことです。


【参考】
 ゴルフ橋
 チャノキ Camellia sinensis
 クマザザ Sasa veitchii var. veitchii
 シラキ Sapium japonicum
 ヤツデ Fatsia japonica
 サザンカ Camellia sasanqua


東京都指定名勝
  等々力(とどろき)渓谷
     所在地 世田谷区等々力二丁目外
     指定  平成十一年三月三日
 等々力渓谷は、国分寺崖線(ハケ)の最南端に位置する約一キロメートルの都区内唯一の渓谷である。谷沢川(やさわがわ)が国分寺崖線に切れ込んで浸食したもので、台地との標高差は約10メートルある。渓谷の斜面には、武蔵野の代表的な樹木であるケヤキをはじめ。シラカシ、コナラ、ヤマザクラ、イロハカエデなどとともに。常緑シダ類のような湿性植物が繁茂しており、渓谷内には至るところから湧水の出現が認められる。
 玉川全円耕地整理組合が、昭和五年から十三年にかれて谷沢川の流路を整備し、小径を設けるまでは、不動の滝からゴルフ橋にいたる渓谷内は殆ど人の立ち入ることも稀で、雉などの鳥類や、イタチ、キツネなどの小獣類、各種昆虫類の宝庫であった。
 都区内とは思えないほどの鬱蒼とした樹林と渓谷美は、幽邃な景観を呈し、武蔵野の面影をよく残している。東京を代表する自然地理的名勝として貴重であり、植生学、地質学及び地形学上重要である。
     平成十一年九月
     東京都教育委員会

帷子川水系を訪ねて ~part.2 帷子川から今井川へ

 今日は横浜駅を起点にして、西区の帷子川から保土ヶ谷区へ、さらに今井川を遡ってみました。
 帷子川水系を訪ねて part1.西区 part.3 分水路分流堰まで part4.菅田川、くぬぎ台川、市沢川

【水系マップ】帷子川  大岡川  入江川・滝野川  宮川・六浦川  侍従川  鷹取川


【幸川~帷子川】

 横浜駅相鉄口
 幸川橋
 南幸橋
 幸橋
 JOINUS駐車場人道橋
 幸川合流地点
 (相鉄本線)
 元平沼橋
 元平沼水道管専用橋(平沼橋)
 平岡橋
 帷子川ガス専用橋
 沼野橋
 新田間川分流地点
 尾張屋橋
 水道橋(すいどうばし)


【今井川】河口橋~元町橋

 今井川流入地点
 河口橋
 (相鉄本線)
 南北橋(なんほくはし)
 逗子橋(づしはし)
 【元絵】東海道53次(隷書東海道)程か谷:新町橋
  注:新町橋は現在の相鉄線天王町駅辺りにあったとされる。
 大門橋(だいもんはし)
 田町橋(たまちはし)
 今井橋(いまいばし)
 中野橋(なかのはし)
 岩井橋(いわいはし)
 神戸橋(ごうどはし)
 JR(湘南新宿ライン、上野東京ライン)
 保土ケ谷橋
 八幡橋(はちまんはし)
 八幡橋水位計(現在1.429m)
 瀬戸ヶ谷中橋(せとがやなかはし)
  注:東海道分間絵図に描かれている茶屋町土橋は、現在の瀬戸ヶ谷中橋あたりに架かっていたと思われる。
 一里塚跡
 仙人橋(せんにんはし)
 瀬戸ヶ谷橋(せとがやはし)
 東伸橋(とうしんはし)
 新大橋(しんおおはし)(国道1号線)
 道明橋(どうめいはし)
 新道明橋(しんどうめいはし)
 今井川地下調節池管理棟
 欅橋(けやきはし)
 宿場橋(しゅくばはし)
 元町橋(もとまちはし)


【今井川】元町橋~

 (無名の橋)
 (横浜横須賀道路)
 権現橋
 (無名の橋)
 法泉橋
 今井橋
 今井川橋(横浜新道)
 たに谷戸橋
 (無名の橋)
 稲荷橋
 入の谷橋
 支流流入地点
 鎌倉橋
 今井高架橋(環状2号線)


【今井川】いこいの水辺
 暗渠上に作られた散歩道がありました。

 大美橋跡
 大美橋欄干
 いこいの水辺
 いこいの水辺標示
 無名の橋
【文献】
環境省水・大気環境局水環境課(2007)今井川いこいの水辺, in 「環境用水の導入」事例集~魅力ある身近な水環境づくりにむけて~, URL:https://www.env.go.jp/water/junkan/case2/pdf/20.pdf, Accessed:2022-11-10.


【今井川支流】

 暗渠からの流入地点
 (無名の橋)
 (無名の橋)
 藤橋
 (無名の橋)
 流入地点(最上流)


【今井川支流】

 流入地点
 暗渠上の小径
 暗渠最上部


  東海道保土ケ谷宿の松並木と復元事業
保土ケ谷宿の松並木
 我が国に於ける街道並木の歴史は古く奈良時代まで遡のますが、全国的な規模で取り組まれるよいになったのは、江戸時代に入ってからです。全国的な規模で取り組まれるようになったのは、江戸時代に入ってからです。慶長9年(1604)、幕府は諸国の街道に並木を植えるよう命じました。以来、夏は木陰を作り、冬は風雪を防ぎ、植樹帯は旅人の休息場所になることから、官民挙げて大切に保護されました。
 保土ケ谷宿の松並木は、この付近から境木(さかいき)まで3kmあまり続き、広重や北斎などの浮世絵師にも度々描かれていました。その後、昭和初期までは比較的良好な状態で残されてきましたが、時代とともに減り続け、旧東海道の権太坂付近を最後に、現在では見られなくなりました。
松並木、一里塚、上方見附の復元事業
 区民が主体となって結成した「東海道保土ケ谷宿松並木プロムナード実行委員会」に採択され、平成19年2月に、国道1号線拡幅工事と今井川の河川改修工事により創出される公共空間において、旧東海道を象徴する松並木や一里塚の復元を行いました。
 「上方の松原」と呼ばれていた今井川に沿った約300mの区間に松などを植樹しました。
 明治時代のはじめ、宿場制度の廃止に伴って姿を失った一里塚は、この付近(現在の車道上)にありました。場所の制約から文献にあるような「五間約9m)四方」に相当する大きさを気づきことができませんでしたが、塚の上には昔のように榎を植えました。
 平成21年3月には上方見附を復元し、松並木や一里塚と併せて宿場時代の再現に努めています。
 「東海道保土ケ谷宿並木プロムナード委員会」は平成19年4月より「東海道保土ケ谷宿プロムナード水辺愛護会」と名を改めね立派な松並木となるよう活動を行っています。
ぜひ東海道の並木づくりにご協力ください。
 令和元年12月 東海道保土ケ谷宿並木プロムナード水辺愛護会 横浜市保土ケ谷区役所


  歴史の道
一里塚跡
 街道の距離の目安として、一理ごとに設置されたのが一里塚です。一里塚は、街道の両側に土盛りした小山を作り、その上に遠くからでも目立つよう榎など木々が植えられていました。この付近にあった一里塚は、江戸から八番目のものず。
上方見附跡
 保土ケ谷宿の京都(上方)側の出入口となる上方見附は、保土ケ谷郷土史によれば外川神社の前にあったとされています。見附は、土盛をした土塁の上に竹木で矢来を組んだ構造をしており、「土居」とも呼ばれています。この上方見附かせ江戸方見附までは、家屋敷が街道に沿って立ち並び、「宿内(しゅくうち)」と呼ばれています。


『今井川地下調節池』てなーんだ?
 この広場の地下約60mの深さのところには、直径10.8mのトンネルが掘られています。また、この広場のまわりには、この大きなトンネルに大雨の時に、この水を落とし込むための『取水施設』があります。トンネルや排水施設、取水施設などをあわせて『今井川地下調節池』と呼んでいます。
今井川地下調節池って、なんのための施設ですか?
 昭和30年代から急激に進んだね都市化のためにおこった浸水被害を防止するための施設です。
 今井川流域に降った大雨がそのまま下流に流れてゆくと、下流の方で川の水が溢れ出て水害になります。そこで、地下に掘ったトンネルの中に川の水の一部を落として貯めね下流に流れていく水を少なくして水害を防ぎます。
 トンネルに貯められた水は、雨が小降りににり川の水が少なくなり始めたら、地下にあるポンプで今井川に汲み上げます。
どんな大きさの施設ですか?
60m下の地下トンネルの
  直径(内径)          10.8m
  延長            2,000m
  貯留量(貯められる水の量) 178,000㎥
取水施設の堰の長さ        80m
工事はいつからいつまでかかったの?
 平成5年から平成16年までの10年以上の年月をかけて工事しました。
ここの施設はなんですか?
 ここの施設は、今井川の水が増えたときに地下のトンネルへ水を取り込むための『取水施設』です。
 増えた川の水は、右側の壁を乗り越えて下の落ち、『沈砂池』をとおり、含まれている砂などを取り除かれて、地下のトンネルに貯められます。


 以下、本日、その他の撮影です。

【参考】
 ゲジ Thereuonema tuberculata
 サンゴジュ Viburnum odoratissimum
 コイ Cyprinus carpio(南北橋)
 アオサギ Ardea cinerea
 ヒヨドリジョウゴ Solanum lyratum
 アレチウリ Sicyos angulatus
 ケヤキ Zelkova serrata (横浜市指定名木古木 No.48075)
 湯殿山供養塔(外川神社)
 サルスベリ Lagerstroemia indica
 コサギ Egretta garzetta
 道祖神:保土ケ谷区今井町533
 馬頭観音:法泉境木自治会館
 庚申塔/堅牢地神塔:保土ケ谷区権太坂1丁目2-4
 狩場第一トンネル
 夕景

晩秋の鷹取山

 先週撮影した写真の整理に時間を取られてしまい、出かけるのが遅くなってしまったので、今日は近場の鷹取山を歩いてみました。


【参考】
 ツワブキ Farfugium japonicum
 ムラサキシキブ Callicarpa japonica
 アオツヅラフジ Cocculus trilobus
 センニンソウ Clematis terniflora
 ホウチャクソウ Disporum sessile
 マユミ Euonymus hamiltonianus
 サラシナショウマ Cimicifuga simplex
 ノダケ Angelica decursiva
 スイカズラ Lonicera japonica
 ガマズミ Viburnum dilatatum
 ヤマハッカ Isodon inflexus
 カントウヨメナ Aster yomena var. dentatus
 トネアザミ Cirsium incomptum
 ジョロウグモ Nephila clavata
 ナワシログミ Elaeagnus pungens
 シロヨメナ Aster ageratoides
 アカネ Rubia argyi
 サルトリイバラ Smilax china
 キンミズヒキ Agrimonia pilosa
 ウツギ Deutzia crenata
 子不知の峰
 ニシキギ Euonymus alatus
 コウヤボウキ Pertya scandens
 ホトトギス Tricyrtis hirta
 キバナコスモス Cosmos sulphureus
 ハナタデ Persicaria posumbu
 ネズミモチ Ligustrum japonicum
 ハロウィン飾り
 ビワ Eriobotrya japonica
 カラミンサ Calamintha nepeta
 モウソウチク Phyllostachys heterocycla
 コマツナギ Indigofera pseudotinctoria
 キバラヘリカメムシ Plinachtus bicoloripes
 鷹取夕景

秋のフラワーセンター

 今日は大船フラワーセンターへ。秋薔薇は見頃を迎えていましたが、そろそろか花期が近いと予想していたヒマラヤザクラは一向に花芽形成の気配すらなく、今年は開花しないのかも知れません。帰りは、鶴岡八幡宮から朝比奈切通し経由。朝比奈では季節はずれのタマアジサイの蕾をみかけました。
【主な経路】
(大船駅)-大船フラワーセンター-岡本-台-北鎌倉-鶴岡八幡宮-十二所-朝比奈切通し-大道-六浦-(自宅)


フジイバラ Rosa fujisanensis
バラ Rosa sp.
 はまみらい Hamamirai
 フレンド・ソニア Friend Sonia
 ブライダル・ファンタジー Bridal Fantasy
 クイーン・エリザベス Queen Elizabeth
 アプリコット・キャンディ Apricot Candy
 ブラック・バカラ Black Baccara
 アライブ Alive
 かぐや姫 Kaguyahime
 感謝 Kansha
 ノヴァーリス Novalis
 ジュリア Julia’s Rose
 女神 Megami
 光彩 Kohsai
 カリフォルニア・ドリーミング California Dreaming
 ベルサイユのばら La Rose de Versailles
 デンティー・ベス Dainty Bess
 月光 Gekko
 ブラック・ティー Black Tea
 アンドレ・グランディエ André Grnadier
 オスカル・フランソワ Oscar François
 花山吹 Hanayamabuki
 ピース Peace
 プリンセス・ミチコ Princess Michiko
 ラベンダー・ドリーム Lavender Dream
 しのぶれど Shinburedo
 ローゼンドルフ・シュパリースホップ Rosendorf Sparrieshoop
 コティヨン Cotillion
 ジャルダン・ドゥ・フランス Jardins de France
 金蓮歩 Kinrenpo
 緑光 Ryokko
 イブ・ピアッチェ Yves Piaget
 マイナーフェアー Mainaufeuer
 フラウ・ホレ Frau Holle
 ピンク・サクリーナ Pink Sakurina
 ロイヤル・ボニカ Royal Bonica
 るる Ruru
 ミセス・オークリィ・フィッシャー Mrs. Oakley Fisher
 エンチャンティッド・イブニング Enchanted Evening
 ニコール Nicole
 薫乃 Kaoruno
 マスケラード Masquerade
 ラブリー・メイアン Lovely Meilland
 ローズうらら Roseurara
 ケアフリー・ワンダー Carefree Wonder
 ファースト・プライズ First Prize
 新星 Shinsei
 マヌウ・メイアン Manou Meilland
 ヨハネ・パウロ2世 Pope John Paul II
 ムーン・シャドウ Moon Shadow
 シャコック Chacok
 芳醇 Hojun
 ラブ Love
 アカペラ Acapella
 夢 Yume
 ウィンダミア Windemere
 王朝 Ohchoh
 マリア・カラス Maria Callas
 ローラ Laura
 ホワイト・マスターピース White Mastepiece
 ピンク・パンサー Pink Panther
 ゴスペル Gospel
 バレリーナ Ballerina
 鎌倉 Kamakura



ハイビスカス Hibiscus hybridus
 ウォーターフォールピンク Waterfall Pink
 アニリー Anily
 チェリー Cherie
 ピンクアイス Pink Ice
 花恋
 アドニスイエロー Adonis Yellow
 アドニス Adonis
 ジュノ Juno
 タイタン系 Hibiscus taitanbicus (H. moscheutos x H. coccineus)
 グレイス3 Grace3



 スイレン Nymphaea Spp.
  ピンク・プラッター Pink Platter
  エル・ドラド El Dorado
  クリント・ブライアント Clint Bryant
  ドーベン Dauben
  グリーン・スモーク Green Smoke
  スター・オブ・サイアム Star of Siam



 ヤクシソウ Youngia denticulata
 大船フラワーセンター
 トウカエデ Acer buergerianum
 セイヨウカボチャ Cucurbita maxima ‘アトランティック・ジャイアント’
 ブラジルヤシ Butia capiatata
 シンノウヤシ Phoenix roebelenii
 イヌタヌキモ(?)
Utricularia tenuicaulis

 シュウメイギク Anemone hupehensis
 ヒマラヤザクラ Cerasus cerasoides
 アフリカンマリーゴールド Tagetes erecta
 プラタナス Platanus sp.
 玉縄桜(たまなわざくら) Cerasus × yedoensis ‘Tamanawa-zakura’
 トチュウ Eucommia ulmoides
 オオモクゲンジ Koelreuteria bipinnata
 ケヤキ Zelkova serrata
 ポケ 越の黒雲錦 Chaenomeles speciosa
 スイフヨウ Hibiscus mutabilis cv. Versicolor
 ハンカチノキ Davidia involucrata
 ヒマラヤヤマボウシ Cornus capitata
 コスモス Cosmos bipinnatus
 ワタ Gossypium hirsutum
 リキュウバイ Exochorda racemosa
 シカクマメ Psophocarpus tetragonolobus
 チユウキンレン(地湧金蓮) Musella lasiocarpa
 イランイランノキ Cananga odorata
 エバーフレッシュ Cojoba arborea var. angustifolia
 ベニツツバナ Odontonema strictum
 デュランタ Duranta erecta
 プルメリア Plumeria obtusa
 ルエリア グラエキザンス Ruellia graecizns
 バナナ Musa cv.
 キダチチョウセンアサガオ Brugmansia suaveolens
 コプシア・フラヴィダ Kopsia flavida
 ストレリチア・アルバ Strelizia alba
 ミラクルフルーツ Synsepalum dulcificum
 ユーカリプタス・マニフェラ Eucalyptus mannifera
 マルバデイゴ Erythrina crista-galli ‘Maruba-Deigo’



 円覚寺前踏切
 巨福呂坂送水管路ずい道
 二十五坊舊蹟碑
 丸山稲荷神社
 鶴岡八幡宮
 イチョウ Gikgo biloba (大銀杏の蘖)
 茅の輪
 畠山重忠邸址碑
 ツタ Parthenocissus tricuspidata
 テイカカズラ Trachelospermum asiaticum
 太刀洗水
 朝夷奈切通碑
 タマアジサイ Hydrangea involucrata
 ホトトギス Tricyrtis hirta
 地蔵尊(朝比奈切通し)
 大切通し
 磨崖仏(大切通し)
 ヤブミョウガ Pollia japonica
 ハナタデ Persicaria posumbu
 熊野神社道標
 石塔群
 道禄神
 カヤ Torreya nucifera 横浜市名木古木No.49290:朝比奈町21


 二十五坊舊蹟

此ノ地ハ頼朝時代以來八幡宮供僧ノ僧舎二十五坊
及ビ別當坊ノ置カレシ處ナリ彼の別當公暁ガ實朝
ノ首ヲ手ニシテ潛ミタル後見備中阿闍梨ノ宅モ亦
此ノ地ニ在リタルナリ應永中院宣ニヨリ坊ノ稱ヲ
院ト改ム戰國ノ世ニ至リ鎌倉官領ノ衰微ト共ニ各
院次第ニ廢絶シ天正ノ末ニ於テハ僅ニ七院ヲ存セ
ルノミ文禄中徳川家康五院ヲ再興シテ十二院トナ
セルガ明治維新後遂ニ全ク廢墟トナレリ
 大正七年三月建   鎌倉町青年會

 畠山重忠邸址

正治元年五月頼朝ノ女三幡姫疾ミ之ヲ治
センガ為當世ノ名醫丹波時長京都ヨリ來
レル事アリ東鏡ニ曰ク七日時長掃部頭親
能ガ龜ヶ谷ノ家ヨリ畠山次郎重忠ガ南御
門ノ宅ニ移住ス是近ゝニ候ゼシメ姫君ノ
御病悩ヲ療治シ奉ランガ為ナリト此の地
卽チ其ノ南御門ノ宅ノ蹟ナリ
 大正十二年三月   鎌倉町青年團建

 朝夷奈切通

鎌倉七口ノ一ニシテ鎌倉ヨリ六浦ヘ通ズル要
衝ニ當リ大切通小切通ノ二ツアリ土俗ニ朝夷
奈三郎義秀一夜ノ内ニ切抜タルヲ以テ其名ア
リト傳エラリルモ東鑑ニ仁治元年(皇紀一九
〇〇)十一月鎌倉六浦間道路開鑿ノ議定アリ
翌二年四月經榮の事始アリテ執権北條泰時其
時ニ監臨シ諸人群集シ各圡石ヲ運ビシコト見
ユルニ徴シ此切通ハ即チ其當時ニ於テ開通セ
シモノト思料せラル
 大正十六年三月建   鎌倉町青年團

帷子川水系を訪ねて ~part1.西区

 今日は帷子川水系を尋ねました。帷子川水系は大岡川水系とともに横浜港のみなとみらい地区に流入する2級水系ですが、マップを作ってみると予想以上に流域が広範囲で、一日ではとても廻りきれませんので、今日は、西区を中心にみてきました。
帷子川水系を訪ねて part.2 帷子川から今井川へ part.3 分水路分流堰まで part4.菅田川、くぬぎ台川、市沢川
【水系マップ】帷子川  大岡川  入江川・滝野川  宮川・六浦川  侍従川  鷹取川


【帷子川本流】

 河口付近
 みなとみらい橋
 JR高島線
 みなとみらい大橋
 はまみらいウォーク
 築地橋
 万里橋
 京急本線
 京浜東北線
 元平沼橋


【帷子川分水路】

 横浜駅ポートサイド人道橋(ヨコハマベイウォーターウォーク)
 金港橋
 月見橋
 内海川跨線人道橋
 はまレールウォーク
 鶴屋橋
 西鶴屋橋
 北幸橋
 二の橋
 水門
 楠ポンプ場
 楠橋跡


 西鶴屋橋(ささやきのきこえる橋)
この西鶴屋橋は自然の「林」をイメージしてつくられました。高欄からは、樹々のささやきのような音が聞こえてきます。これは、橋の振動と周囲の音に微妙に反応して音を奏でる独自のシステムによるもので、喧騒の中で耳を澄ませたときに初めて、すずやかな響きが聞こえてきます。
この橋を通じて、日々の生活の中で忘れかけていた心がよびさまされることを根買っています。
               横浜市
               横浜駅西口周囲地区整備懇談会
               横浜駅西口振興協議会


【石崎川】

 京急本線
 浅山橋
 ふれあい歩道橋
 高島橋
 敷島橋
 石崎橋
 梅香崎橋人道橋
 梅香崎橋
 京急本線
 平戸橋
 西平沼橋
 扇田橋
 要橋
 浜松橋
 JR(東海道本線、上野東京ライン、湘南新宿ライン、横須賀線)、相鉄本線
 石崎川分流地点


平沼新田
 帷子川下流地帯の新田のうち、江戸時代末期に開かれたのが平沼新田です。新田開発に尽力した平沼家は常陸(茨城県)の出身で、明暦年間(1655~1658)に保土ケ谷宿に移って代々造酒業を行っていたので、この新田を麹屋新田ともいます。明治9(1876)年には、五代目平沼久兵衛らの手により埋立てが竣工します。七代目久兵衛は弘化元(1844)年に保土ケ谷宿で生まれ、文久3(1863)年、20歳のときに平沼新田に移住し、新田開発のかたわら製塩業も営みました。明治中期頃からは、発電所や貯油所などの工場が進出し、新田一帯は、日本の近代化の一端を担いました。


The Hiranuma Shinden
 Of the shinden (land newly cultivated in the late Edo period) downstream of the Katabira River, the Hiranuma Shinden was developed at the very end of the Edo period. The Hiranuma family that worked to develop this shinden was from Hitahi, Ibaraki Prefecture, moved to Hodogaya-jiku between 1655-1658 (the Maeireki period) and ran a sake brewery over several generations, so this shinden was also called Kojiya Shinden (koji mold being integral to sake brewing). The landfill was completed in 1876 (Meiji 9) at the hands of fifth-generation kyube Hiranuma and others Seventh-generation Kyube was born in 1884(Koka 1) in Hodogawa-juku, moved to the Hiranuma Shinden in the salt industry alongside the family`s shinden development. The shinden area played a definite role in Japan’s modernization, as from around the middle of the Meiji period, power plants, oil depots and other factories began to population the area.


【新田間川】

 烏帽子田橋
 藤江橋
 藤江人道橋
 霜下橋
 霜下人道橋
 浅岡橋
 岡野橋
 新田間橋
 一之橋


【幸川】

 内海橋(うつみはし)
 内海人道橋
 幸川橋
 南幸橋
 幸橋
 相鉄ジョイナス荷捌所出入口
 相鉄ジョイナス駐車場出入口
 帷子川合流点


横浜市河川図, Accessed:2022-10-22横浜市、西区の橋, Accessed:2022-10-23.
横浜市環境創造局環境科学研究所(2009)横浜の源流域環境、p.80, URL: https://www.city.yokohama.lg.jp/kurashi/machizukuri-kankyo/kankyohozen/kansoku/science/shiryo/, Accessed:2022-10-22.
横浜市、だいちゃんマップ(横浜市行政地図情報提供システム), URL: https://wwwm.city.yokohama.lg.jp/yokohama/Portal, Accessed:2022-10-22.
横浜市(1996)横浜橋めぐり坂あるき、市民グラフヨコハマ No.95、64p.


【神奈川宿歴史の道】など
 本日、帷子川の河口付近を起点とするにあたって神奈川駅で下車。駅を利用することは滅多にないものの、いつも歩きなれているこのエリアですが、これまで通り過ぎるだけだつた普門寺で、ちょっと気になる墓碑をみかけました。神奈川区誌にも特段の記載はないようですが、修験者姿の線刻が刻まれており、この寺の住職だった方なのかも知れません。


 イチョウ Ginkgo biloba 横浜市指定名木古木 No.48049(眞色山清浄之院甚行寺:青木町-10)
 クスノキ Cinnamomum camphora(洲崎山功徳院普門寺:青木町3-18)
 福嶋藤四郎の碑
 洲崎大神:青木町5-29
 金光教神奈川教会:青木町6-25
 宮前商店街
 ウミガメをデザインした街灯
 滝の橋(国道16号線)
 アケビバナナ Musa velutina
 綿花橋北詰:神奈川区神奈川1丁目1番地
 ウチワサボテン Opuntia vulgaris
 滝の川から見たJR高島線鉄橋
 ホソバウンラン Linaria vulgaris
 クロガネモチ Ilex rotunda
 コイ Cyprinus carpio(浅山橋)
 キイロヒメノウゼンカズラ Tecomaria capensis ‘Aurea’
 ネリネ Nerine sp.
 カリガネソウ Tripora divaricata
 Pigrone:平沼1丁目36
 キダチチョウセンアサガオ Brugmansia suaveolens
 ウスカワマイマイ Acusta sieboldtiana


◎神奈川宿歴史の道
 東海道五十三次の日本橋よりかぞえて三番目が神奈川宿である。この地名が県名や区名の由来であり、またここが近代都市横浜の母体でもあった。上図は、江戸幕府の道中奉行が作った『東海道分間延絵図とうかいどうぶんけんのべえず』である。図の中央に滝ノ橋、この橋の右側に神奈川本陣、左側に青木本陣が描かれている。折れ曲がったあたりが台町だいまちである。ここ神奈川駅は、折れ曲がった道のすぐ右にあたる。明治五年の鉄道開通の際に設けられた神奈川停車場はすぐこの南側に位置していた。そのため神奈川駅は宿名前を今でも残している。平成四年の改築にともない、京浜急行の協力のもと、神奈川宿歴史の道にふさわしい和風で瀟洒なデザインの駅舎に生まれ変わった。
 ここ神奈川が一躍有名になったのは安政元年(一八五四)の神奈川条約からである。開港当時、この図にみられる多くの寺が諸外国の領事館などに充てられた。神奈川宿歴史の道はほぼこの図の範囲を対象に東は神奈川通東公園から西は上台かみだい橋に至るまでおよぞ四キロの道のりとなっている。


甚行寺じんぎょうじ
 甚行寺は、眞色山しんしきざんと号し、浄土真宗の高田派に属す。明暦二年(一六五六)第一世意圓いえん上人が本山専修寺
の第一四世堯秀ぎょうしゅう上人を招いて、この寺を草創したと伝えられる。
 開港当時、本堂は土蔵造であったが、フランス公使館に充てられたといわれている。
 大正十二年の関東大震災にはすべての建物を倒壊焼失し、さらには昭和二十年の横浜大空襲にも再度全焼した。その後、昭和四六年本堂・客殿を鉄筋コンクリート造で再建し、現在に至っている。


◎普門寺
 普門寺は、洲崎山と号し、真言宗智山派に属す。山号の洲崎は洲崎大神の別当寺であったことより起こった。また、寺号の普門は洲崎大神の本地仏である観世音菩薩を安置したことにより、観世音菩薩が多くの人々に救いの門を開いているとの意味である普門とされたと伝えられている。
 江戸時代後期には、本堂。客殿・不動堂などの建物を持ち、開港時にはイギリス士官の宿舎に充てられた。


福嶋藤四郎の碑

福嶋藤四郎者長野縣上
伊那郡伊那富村字宮木
産也生而温厚以奉神佛
入念不淺矣年自十二信
仰馰ヶ嶽摩利支天十六
歳而圀于神扽号松徳行
者焉二十四歳而重圀于
神扽賜荒瀧不動之名稱
爾来年辛酸修行非平凢
之此焉明治十五年七月
専卜居於横濱設立開闢
講遂行年七十四永眠矣

【注】伊那富村:現上伊那郡辰野町
   馰ヶ嶽:甲斐駒ケ岳(2967m)
   摩利支天:甲斐駒ヶ岳の南東に位置する摩利支天(2820m)。神仏としての摩利支天(Mārīcī)は、陽炎を神格化したヒンドゥー教の女神で、眷属であるイノシシに乗った像形が多い。


◎洲崎大神
 洲崎大神は、建久二年(一一九一)、源頼朝が安房国(現、千葉県)一宮の安房神社の霊を移して祀ったことに始まると伝えられている。
 「江戸名所図会」の様子は、今も石鳥居や周囲の地形に偲ぶことができる。神社前から海に向かって延びる参道が、第一京浜に突き当たるあたり。そこが、かつての船着場である。横浜が開港されると、この船着場は開港場と神奈川宿とを結ぶ渡船場となり、付近には宮ノ下河岸渡船場と呼ばれる海陸の警護に当たる陣屋も造られた。

谷津川を遡って

 宮川水系でまだ未調査だった谷津川を遡ってみました。京急線の脇を北上して能見台駅の手前で暗渠に消えていった谷津川の流れは、全域が河川法適用外の普通河川です。
 宮川・六浦川の源流域を訪ねて  宮川水系図  横浜市河川図  横浜市公共下水道台帳


 谷津川合流地点
 大川上橋
 暗渠流出口:金沢文庫駅第二自転車駐車道A棟
 A棟とB棟の間
 金沢文庫駅第二自転車駐車道B棟
 B棟北側
 金沢文庫駅西口ロータリー
 金沢文庫駅西口
 雨水用マンホール
 暗渠流入口
 ボラ Mugil cephalus
 京急本線
 谷津二の橋やつにのはし
 谷津二人道橋やづにじんどうきょう
 橋名不明(国道16号線)
 暗渠流入口
 ノブドウ Ampelopsis glandulosa var. heterophylla
 (ハイテラス金沢文庫)
 コサギ Egretta garzetta
 西柴橋
 無名の橋
 上西柴橋
 無名の橋
 無名の橋(西柴中西側)
 境ビル東側
 暗渠流出口
 暗渠流入口
 暗渠流出口周辺(京急線西側)


【谷津川支流】


 榎戸橋
 暗渠流出口