今日は、幕末の浮世絵に残された「臺町十五景」の地を訪ねてみました。いわゆる八景とは少々趣が異なっててはいますので、瀟湘八景型に準えることは困難ですが、世に知らしめたい景色を撰しているという点では共通するものがあります。横浜開港資料館(2019)によれば、初代歌川広重作の「神奈川台石崎楼上十五景一望之圖」に基づき、下記の15景とされています。
1,2,3,4,8,9,12,15の八つが現在の台町周辺、他は遠景となっていましたので、今日訪ねたのはこの八か所と6の平沼です。なお、4の芝生は現在は西区ですが、かつては神奈川区なので周辺としているものと推定されます。
「臺町十五景」
01.清水山清水
02.将軍山櫻花
03.本覺寺宿鴉
04.芝生の秋
05.鹿野山(望)月
06.平沼塩煙
07.芙峯遥望
08.港千鳥
09.宮洲汐干
10.野毛海苔舟
11.橫濱漁火
12.権現山夕陽
13.洲乾雪
14.本牧舶風
15.洲嵜神社
09.宮洲汐干
一望圖によれば、滝の川に架かる滝の橋よりやや西側の地点ですので、現在の神奈川公園当りの干潟と思われます。神奈川公園ではイチョウの黄葉が終りに近づいており、第一京浜を隔てた幸ヶ谷小学校では、壁画の改修作業中でした。
15.洲嵜神社
洲嵜神社は、12世紀に源頼朝が安房国から勧請したと伝えられる古社です。かつては神奈川湊がすぐ前だったようです。
◎洲崎大神
洲崎大神は、建久二年(一一九一)、源頼朝が安房国(現、千葉県)一宮の安房神社の霊を移して祀ったことに始まると伝えられている。
「江戸名所図会」の様子は、今も石鳥居や周囲の地形に偲ぶことができる。神社前から海に向かって延びる参道が、第一京浜に突き当たるあたり。そこが、かつての船着場である。横浜が開港されると、この船着場は開港場と神奈川宿とを結ぶ渡船場となり、付近には宮ノ下河岸渡船場と呼ばれる海陸の警護に当たる陣屋も造られた。
【経年劣化に伴う掠れが激しいため誤判読の可能性あり】
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洲﨑大神由緒畧記
祭神 天太玉命
天比理刀賣命
相殿 素盞男命
大山咋命
例祭 六月六七八日
創立 建久二年六月二十六日
祭神天太玉命は神祇政治の祖神、天比理刀賣命はその御妃の神にまします。源頼朝公石橋山の合戦に敗れ相州真鶴より海路安房に渡り安房洲崎の安房神社に参籠再起を祈り後に天下を平定して鎌倉幕府を開くや神恩を忘れず安房神社に幣帛を奉ると共にこの地を按定して御分霊を勧請して一祠を創建し鎌倉幕府直轄の神社として祭典を厳修せる。頼朝公奉献の神境今に伝承す。
昭和十五年に御鎮座七百五十年祭を執行す。大正十二年九月一日の震災、昭和二十年五月十日戦災等、氏子と共に度々火災に戦災に炎上せるも氏子民の協力奉仕により共に再建復興され昭和三十一年六月竣工奉告祝賀祭を執行す。
昭和三十一年六月 宮司 吉田〇〇(読み取れず)
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参考文献
洲崎大神(武蔵国橘樹郡神奈川宿青木町御鎮守・洲崎神社)情報、
神奈川区誌編纂刊行実行委員会(1977)神奈川区誌、628+59p.
12.権現山夕陽
権現山は戦国時代の古戦場でしたが、幕末の埋め立て事業で平削され、現在の山頂附近は幸ヶ谷公園となっています。桜の名所としても知られていますが、近年は手入れが行き届いておらず、委託業者に刈り込まれた姿を、年輩の男性が嘆いていらっしゃいました
◎権現山
かつてこのあたりは権現山と呼ばれ、本覚寺のある高島台と尾根伝いに繋がる急峻な山であった。戦国時代、当時の関東の支配者上杉氏の家臣上田蔵人は、北條早雲に味方して謀反を起こし、この山上に砦を築いてたてこもった。合戦は上杉氏の勝利に終わったが、その後、上杉氏の力が弱まり北條氏による関東支配が始まった。
幕末から、明治にかけて、お台場や鉄道用地に埋め立て、開削などのために山は削られ、現在のように低くなった。
08.港千鳥
現在の青木橋の辺りと思われますが、今では当時を偲ぶものはなにもありません。当時は尾根続きだった権現山と高島台の間には、JR線と京急線が引き切りなしに行きかっています。
03.本覺寺宿鴉
青木山本覺寺は、江戸時代にアメリカ領事館として利用されたことで知られており、当時山門近くに聳えていた玉楠(タブノキ)に星条旗が掲げられていたと伝えられています。現在でも境内に6本の名木古木が残っています。
◎本覺寺は、臨済宗の開祖栄西によって、鎌倉時代に草創されたと伝えられる。もとは臨済宗に属していたが、戦国期の権現山の合戦で荒廃し、天文元年(一五三二)に陽廣和尚が再興し、曹洞宗に改めた。
開港当時。ハリスは自ら見分け。渡船場に近く、丘陵上にあり、横浜を眼下に望み、さらには湾内を見通すことができる本覺寺をアメリカ領事館に決めたという。
領事館時代は白ペンキを塗られた山門は、この地域に残る唯一の江戸時代に遡る建築である。
02.将軍山櫻花
神奈川区誌(1977)によれば、現在の大網神社は、創建時は将軍飯縄大権現と称し、鎮座地も現在の裏山上だったそうです。この山の桜を愛でた一景と思われます。天狗が高尾山から安房に渡る際に立寄るという言い伝えがあるそうで、境内には稲荷社、龍神社、弁天社もありました。
◎大網金刀比羅神社と一里塚
この神社は、社殿によると平安末期の創立で、もと飯縄社といわれ、今の境内後方の山上にあった。その後、現在の地へ移り、さらに琴平社を合祀して、大網金刀比羅神社となった。かつて眼下に広がっていた神奈川湊に出入りする船乗り達から崇められ、大天狗の伝説でも知られている。
また、江戸時代には、神社前の街道両脇に一里塚が置かれていた。この塚は、日本橋より七つ目にあたり、土盛の上に樹が植えられた大きなものであった。
01.清水山清水
斉藤(2019)によれば『①清水山は台町の坂の頂上にある大日堂の山号』とのヒントがあったのですが、この大日堂がどこにあったのか探し当てることは出来ていませんでした。一方、神奈川臺関門跡の碑の裏山に『東海道清水山』という立札がありましたので、このあたりのことの様です。当該地近くの私有地に井戸が残されていました。
◎神奈川台の関門跡
ここよりやや西寄りに神奈川台の関門があった。開港後外国人が何人も殺傷され、イギリス総領事オールコックを始めとする各国の領事たちは幕府を激しく非難した。幕府は、安政六年(一八五九)横浜周辺の主要地点に関門や番所を設け、警備体制を強化した。この時、神奈川宿の東西にも関門が造られた。そのうちの西側の関門が神奈川台の関門である。明治四年(一八七一)に他の関門・番所とともに廃止された。
以上の七か所が台町エリアの景で、後は台町から見渡すことの出来る景になります。
04.芝生の秋
芝生は現在の浅間町の旧名で、昭和の初期までは神奈川区でした。建造物の少なかった時代には台町から浅間神社がよく見えたに違いありません。浅間下歩道橋からはランドマークタワーがよく見えました。
◎浅間神社と富士の人穴
創建は承暦4(1080)年、富士浅間社の分霊を祭ったものと伝えられています。旧芝生村(しぼうむら)鎮守。本殿のある丘は袖すり山と呼ばれ、昔は山の下がすぐ波打ち際であったといいます。境内西側の崖に富士山に通じていると伝えられる「富士の人穴(ひとあな)」と呼ばれる古代の橫穴墓があり、東海道を往還する人々が見物する名所となっていました。しかし今は、周辺の開発によって見ることもできなくなってしまいました。
06.平沼塩煙
平沼も地名こそ残っていますが、今はすべて埋め立てられ、当時の塩焼きを偲ぶことが出来るのは水天宮くらいでしょうか。広大な土地にガスタンク、住宅展示場、横浜イングリッシュガーデンがあるのがこの地区です。
以下は、以前に撮影した関連地の映像です。
05.鹿野山(望)月-東京湾観音
07.芙峯遥望-野毛のつり橋から見た富士山
10.野毛海苔舟-野毛福満弁財天
11.橫濱漁火-氷川丸
13.洲乾雪-象の鼻パーク
14.本牧舶風-本牧八聖殿
【参考文献】
斉藤司(2019)、神奈川宿台町からの眺望と横浜、Accessed 2020-12-13.
神奈川区誌編纂刊行実行委員会(1977)神奈川区誌、628+59p.
以下はその他本日撮影の写真です。
【参考】
街角のアート
仮想境界面/物体-1(2008年):矢萩喜従郎(Imaginary Boundary Planes / Object -1 2008 : Kijuro Yahagi)
仮想境界面/物体-2(2008年):矢萩喜従郎(Imaginary Boundary Planes / Object -2 2008 : Kijuro Yahagi)
仮想境界面/物体-3(2008年):矢萩喜従郎(Imaginary Boundary Planes / Object -3 2008 : Kijuro Yahagi)
仮想境界面/物体-4(2008年):矢萩喜従郎(Imaginary Boundary Planes / Object -4 2008 : Kijuro Yahagi)
金港公園
イチョウ Ginkgo biloba
タラヨウ Ilex latifolia
滝の川
キンクロハジロ Aythya fuligula
タブノキ Machilus thunbergii
神奈川台関門跡
亀のデザインの車止め
沢渡中央公園
メタセコイア Metasequoia glyptostroboides
ツワブキ Farfugium japonicum
亀型ブロックと通常ブロックの境界
アオサギ Ardea cinerea
ウミウ Phalacrocorax capillatus
常盤山査子(ピラカンサ) Pyracantha spp.
ビワ Eriobotrya japonica