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臺町十五景を訪ねて

 今日は、幕末の浮世絵に残された「臺町十五景」の地を訪ねてみました。いわゆる八景とは少々趣が異なっててはいますので、瀟湘八景型に準えることは困難ですが、世に知らしめたい景色を撰しているという点では共通するものがあります。横浜開港資料館(2019)によれば、初代歌川広重作の「神奈川台石崎楼上十五景一望之圖」に基づき、下記の15景とされています。
 1,2,3,4,8,9,12,15の八つが現在の台町周辺、他は遠景となっていましたので、今日訪ねたのはこの八か所と6の平沼です。なお、4の芝生は現在は西区ですが、かつては神奈川区なので周辺としているものと推定されます。
「臺町十五景」
 01.清水山清水
 02.将軍山櫻花
 03.本覺寺宿鴉
 04.芝生の秋
 05.鹿野山(望)月
 06.平沼塩煙
 07.芙峯遥望
 08.港千鳥
 09.宮洲汐干
 10.野毛海苔舟
 11.橫濱漁火
 12.権現山夕陽
 13.洲乾雪
 14.本牧舶風
 15.洲嵜神社


09.宮洲汐干
 一望圖によれば、滝の川に架かる滝の橋よりやや西側の地点ですので、現在の神奈川公園当りの干潟と思われます。神奈川公園ではイチョウの黄葉が終りに近づいており、第一京浜を隔てた幸ヶ谷小学校では、壁画の改修作業中でした。


15.洲嵜神社
 洲嵜神社は、12世紀に源頼朝が安房国から勧請したと伝えられる古社です。かつては神奈川湊がすぐ前だったようです。

◎洲崎大神
 洲崎大神は、建久二年(一一九一)、源頼朝が安房国(現、千葉県)一宮の安房神社の霊を移して祀ったことに始まると伝えられている。
 「江戸名所図会」の様子は、今も石鳥居や周囲の地形に偲ぶことができる。神社前から海に向かって延びる参道が、第一京浜に突き当たるあたり。そこが、かつての船着場である。横浜が開港されると、この船着場は開港場と神奈川宿とを結ぶ渡船場となり、付近には宮ノ下河岸渡船場と呼ばれる海陸の警護に当たる陣屋も造られた。


【経年劣化に伴う掠れが激しいため誤判読の可能性あり】
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洲﨑大神由緒畧記
祭神 天太玉命
   天比理刀賣命
相殿 素盞男命
   大山咋命
例祭 六月六七八日
創立 建久二年六月二十六日
祭神天太玉命は神祇政治の祖神、天比理刀賣命はその御妃の神にまします。源頼朝公石橋山の合戦に敗れ相州真鶴より海路安房に渡り安房洲崎の安房神社に参籠再起を祈り後に天下を平定して鎌倉幕府を開くや神恩を忘れず安房神社に幣帛を奉ると共にこの地を按定して御分霊を勧請して一祠を創建し鎌倉幕府直轄の神社として祭典を厳修せる。頼朝公奉献の神境今に伝承す。
昭和十五年に御鎮座七百五十年祭を執行す。大正十二年九月一日の震災、昭和二十年五月十日戦災等、氏子と共に度々火災に戦災に炎上せるも氏子民の協力奉仕により共に再建復興され昭和三十一年六月竣工奉告祝賀祭を執行す。
  昭和三十一年六月     宮司 吉田〇〇(読み取れず)
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参考文献
 洲崎大神(武蔵国橘樹郡神奈川宿青木町御鎮守・洲崎神社)情報, Accessed:2020/12/21.
 神奈川区誌編纂刊行実行委員会(1977)神奈川区誌、628+59p.


12.権現山夕陽
 権現山は戦国時代の古戦場でしたが、幕末の埋め立て事業で平削され、現在の山頂附近は幸ヶ谷公園となっています。桜の名所としても知られていますが、近年は手入れが行き届いておらず、委託業者に刈り込まれた姿を、年輩の男性が嘆いていらっしゃいました


◎権現山
 かつてこのあたりは権現山と呼ばれ、本覚寺のある高島台と尾根伝いに繋がる急峻な山であった。戦国時代、当時の関東の支配者上杉氏の家臣上田蔵人は、北條早雲に味方して謀反を起こし、この山上に砦を築いてたてこもった。合戦は上杉氏の勝利に終わったが、その後、上杉氏の力が弱まり北條氏による関東支配が始まった。
 幕末から、明治にかけて、お台場や鉄道用地に埋め立て、開削などのために山は削られ、現在のように低くなった。


08.港千鳥
 現在の青木橋の辺りと思われますが、今では当時を偲ぶものはなにもありません。当時は尾根続きだった権現山と高島台の間には、JR線と京急線が引き切りなしに行きかっています。


03.本覺寺宿鴉
 青木山本覺寺は、江戸時代にアメリカ領事館として利用されたことで知られており、当時山門近くに聳えていた玉楠(タブノキ)に星条旗が掲げられていたと伝えられています。現在でも境内に6本の名木古木が残っています。


◎本覺寺は、臨済宗の開祖栄西によって、鎌倉時代に草創されたと伝えられる。もとは臨済宗に属していたが、戦国期の権現山の合戦で荒廃し、天文元年(一五三二)に陽廣和尚が再興し、曹洞宗に改めた。
 開港当時。ハリスは自ら見分け。渡船場に近く、丘陵上にあり、横浜を眼下に望み、さらには湾内を見通すことができる本覺寺をアメリカ領事館に決めたという。
 領事館時代は白ペンキを塗られた山門は、この地域に残る唯一の江戸時代に遡る建築である。


02.将軍山櫻花
 神奈川区誌(1977)によれば、現在の大網神社は、創建時は将軍飯縄大権現と称し、鎮座地も現在の裏山上だったそうです。この山の桜を愛でた一景と思われます。天狗が高尾山から安房に渡る際に立寄るという言い伝えがあるそうで、境内には稲荷社、龍神社、弁天社もありました。


◎大網金刀比羅神社と一里塚
 この神社は、社殿によると平安末期の創立で、もと飯縄社といわれ、今の境内後方の山上にあった。その後、現在の地へ移り、さらに琴平社を合祀して、大網金刀比羅神社となった。かつて眼下に広がっていた神奈川湊に出入りする船乗り達から崇められ、大天狗の伝説でも知られている。
 また、江戸時代には、神社前の街道両脇に一里塚が置かれていた。この塚は、日本橋より七つ目にあたり、土盛の上に樹が植えられた大きなものであった。


01.清水山清水
 斉藤(2019)によれば『①清水山は台町の坂の頂上にある大日堂の山号』とのヒントがあったのですが、この大日堂がどこにあったのか探し当てることは出来ていませんでした。一方、神奈川臺関門跡の碑の裏山に『東海道清水山』という立札がありましたので、このあたりのことの様です。当該地近くの私有地に井戸が残されていました。


◎神奈川台の関門跡
 ここよりやや西寄りに神奈川台の関門があった。開港後外国人が何人も殺傷され、イギリス総領事オールコックを始めとする各国の領事たちは幕府を激しく非難した。幕府は、安政六年(一八五九)横浜周辺の主要地点に関門や番所を設け、警備体制を強化した。この時、神奈川宿の東西にも関門が造られた。そのうちの西側の関門が神奈川台の関門である。明治四年(一八七一)に他の関門・番所とともに廃止された。


 以上の七か所が台町エリアの景で、後は台町から見渡すことの出来る景になります。


04.芝生の秋
 芝生は現在の浅間町の旧名で、昭和の初期までは神奈川区でした。建造物の少なかった時代には台町から浅間神社がよく見えたに違いありません。浅間下歩道橋からはランドマークタワーがよく見えました。


◎浅間神社と富士の人穴
 創建は承暦4(1080)年、富士浅間社の分霊を祭ったものと伝えられています。旧芝生村(しぼうむら)鎮守。本殿のある丘は袖すり山と呼ばれ、昔は山の下がすぐ波打ち際であったといいます。境内西側の崖に富士山に通じていると伝えられる「富士の人穴(ひとあな)」と呼ばれる古代の橫穴墓があり、東海道を往還する人々が見物する名所となっていました。しかし今は、周辺の開発によって見ることもできなくなってしまいました。


06.平沼塩煙
 平沼も地名こそ残っていますが、今はすべて埋め立てられ、当時の塩焼きを偲ぶことが出来るのは水天宮くらいでしょうか。広大な土地にガスタンク、住宅展示場、横浜イングリッシュガーデンがあるのがこの地区です。


以下は、以前に撮影した関連地の映像です。
05.鹿野山(望)月-東京湾観音


07.芙峯遥望-野毛のつり橋から見た富士山


 10.野毛海苔舟-野毛福満弁財天


11.橫濱漁火-氷川丸


13.洲乾雪-象の鼻パーク


 14.本牧舶風-本牧八聖殿


【参考文献】
 斉藤司(2019)、神奈川宿台町からの眺望と横浜、Accessed 2020-12-13.
 神奈川区誌編纂刊行実行委員会(1977)神奈川区誌、628+59p.


 以下はその他本日撮影の写真です。


【参考】
 街角のアート
  仮想境界面/物体-1(2008年):矢萩喜従郎(Imaginary Boundary Planes / Object -1 2008 : Kijuro Yahagi)
  仮想境界面/物体-2(2008年):矢萩喜従郎(Imaginary Boundary Planes / Object -2 2008 : Kijuro Yahagi)
  仮想境界面/物体-3(2008年):矢萩喜従郎(Imaginary Boundary Planes / Object -3 2008 : Kijuro Yahagi)
  仮想境界面/物体-4(2008年):矢萩喜従郎(Imaginary Boundary Planes / Object -4 2008 : Kijuro Yahagi)
 金港公園
 イチョウ Ginkgo biloba
 タラヨウ Ilex latifolia
 滝の川
 キンクロハジロ Aythya fuligula
 タブノキ Machilus thunbergii
 神奈川台関門跡
 亀のデザインの車止め
 沢渡中央公園
 メタセコイア Metasequoia glyptostroboides
 ツワブキ Farfugium japonicum
 亀型ブロックと通常ブロックの境界
 アオサギ Ardea cinerea
 ウミウ Phalacrocorax capillatus
 常盤山査子(ピラカンサ) Pyracantha spp.
 ビワ Eriobotrya japonica

入江川を遡る~河口から西園橋まで

 現在神奈川区に流入する河川は、滝の川と入江川の2川です。滝の川は片倉町辺りが源流域ですが暗渠化が進み、表面流下しているのは国道1号線から南東側の1km程の短い河川です。一方、東寺尾辺りの支流を集める入江川は、第一京浜まではごく普通の小川ですが、明治時代の埋め立て地に流入するや、複雑な派川(運河)にわかれています。主要な2派川の他に少なくとも7つの小派川に分かれているようです。今日はこの入江川を遡ってみました。途中、いくつかの神社、カナガワの地名の元になったとも言われる上無川の旧地も立ち寄りました。
 神奈川区河川マップ  名木古木  神社  石塔  ひまわり


 星野橋ほしのはし
 星野橋人道橋ほしのはしじんどうきょう
 龍宮橋りゅうぐうはし
◎龍宮橋と周辺-わが町かながわ50選
 明治以降、埋立が進んだ土地をぬうように通る運河には、龍宮橋をはじめ、星野橋(現在地)・村雨橋など、いくつもの橋が架かり、船運が減った今は、静かな水辺に水鳥が暮らしています。この先、海側にある龍宮橋からは、ポートサイド周辺の景色を臨むことが出来ます。
 (旧貨物線橋梁)
 浦島第4号橋梁



 村雨橋むらさめはし
 千鳥橋ちどりはし
 瑞穂橋みずほばし
 瑞穂大橋みずほおおはし
◎瑞穂橋付近-わが町かながわ50選
 橋のたもとから、みなとみらいやハマウィングを一望できます。夜には手前の水面にライトアップの光が映り、横浜港の夜景が昼とは違った雰囲気をつくりだします。
 首都高1号横羽線



 荒木橋あらきはし
 新浦島橋しんうらしまはし
   新浦島橋の今昔
 入江川第二派川に架かる新浦島橋は。浦島町と新浦島町1丁目を結ぶ橋として、明治41年(西暦1908年)頃に築造されました。
 現在の新浦島町は、明治40年(西暦1907年)に開始された埋立工事により造成され、新浦島橋は長い間、民間企業(日本カーボン株式会社等)の専用橋として使用されていましたが、昭和62年(西暦1987年)に横浜市に移管されました。
 新浦島橋の旧橋は、特徴的なレンガ造りの橋脚で支えられ、地域から愛されていましたが、橋脚・床版の劣化が激しくなり、また地震対策も必要とされていただめ、平成25年(西暦2013年)に架替工事を開始し、平成30年(西暦2018年)に新しい新浦島橋が開通しました。
 ここに展示されているのは、旧橋のレンガ造りの橋脚の一部です。この橋脚のようにもレンガの小口で構成される段と長手のみで構成される段が交互に積層するレンガの積み方は、「イギリス積み」と呼ばれます。
 また、新しい新浦島橋の桁の色はレンガをイメージした色とし、橋の四隅の親柱には、レンガ積みのデザインを採用し、レンガ造りの橋脚のイメージを残すように工夫しています。



 常盤大橋ときわはし
 富士見大橋ふじみはし
 入江川河口方面/首都高1号横羽線・貨物線



 入江橋いりえばし
 京急本線・JR線(子安川カード)
 私用の橋(現在不使用)
 宮前橋みやさきはし
 下大入橋しもおおいりはし



 入江橋
 大門橋だいもんはし
 大入橋おおいりはし
 はぜ橋
 神滝橋かみたきはし



 神之木橋かみのきはし
 神入橋かみいりはし
 こぶな橋
 神尾橋かみおはし
 学校下橋がっこうしたはし


 


 久保下橋くぼしたはし
 (橋名不明)
 西園下橋さいえんはし



 神奈川駅中図絵に見える『荒宿?橋』というのは、現在滝の川に架かっている幸ケ谷の土橋どはしとは別で、金川砂子の図会から見ると、神奈川小学校の場所にあった慈雲寺と神明宮の間を流れる上無川に架かっていた橋のようです。
【上無川】
上無川かみなしがわ
 「神奈川」は、鎌倉幕府の執権、北条時宗の発した文書の中にも記されている古い地名であるが、その由来にしさまざまな言い伝えがある。
 その一つとして「江戸名所図会」の上無川に項には「神奈川本宿の中の町と西の町の道を横切って流れる小溝で、水が少ししか流れておらず、水源が定かでないたる上無川という。カミナシガワのミとシを略してカナガワというようになった」という説が記してある。
 上無川は、現在の神奈川小学校東脇にあったとされているが、関東大震災後の復興計画により埋め立てられ、今では、川の姿を見ることはできない。


【神社】


洲崎大神:神奈川区青木町5-29
井戸守稲荷社/元町稲荷社(洲崎大神境内社)
【経年劣化に伴う掠れが激しいため誤判読の可能性あり】
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洲﨑大神由緒畧記
祭神 天太玉命
   天比理刀賣命
相殿 素盞男命
   大山咋命
例祭 六月六七八日
創立 建久二年六月二十六日
祭神天太玉命は神祇政治の祖神、天比理刀賣命はその御妃の神にまします。源頼朝公石橋山の合戦に敗れ相州真鶴より海路安房に渡り安房洲崎の安房神社に参籠再起を祈り後に天下を平定して鎌倉幕府を開くや神恩を忘れず安房神社に幣帛を奉ると共にこの地を按定して御分霊を勧請して一祠を創建し鎌倉幕府直轄の神社として祭典を厳修せる。頼朝公奉献の神境今に伝承す。
昭和十五年に御鎮座七百五十年祭を執行す。大正十二年九月一日の震災、昭和二十年五月十日戦災等、氏子と共に度々火災に戦災に炎上せるも氏子民の協力奉仕により共に再建復興され昭和三十一年六月竣工奉告祝賀祭を執行す。
  昭和三十一年六月     宮司 吉田〇〇(読み取れず)
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参考文献
 洲崎大神(武蔵国橘樹郡神奈川宿青木町御鎮守・洲崎神社)情報、, Accessed:2020/12/21.
 神奈川区誌編纂刊行実行委員会(1977)神奈川区誌、628+59p.


和田森稲荷神社:神奈川区神奈川2丁目10-22


顕彰碑
 このたび榎本金右衛門殿と佐藤眞弘殿より敬神の発露と町内発展のご意志から和田森稲荷神社および浜町二丁目町内会館の敷地の寄贈を受けました。ついては両氏の町内発展に尽くされた顕著な功績に感謝しここに碑文として末永く顕彰します。
 寄贈された土地
横浜市神奈川区神奈川二丁目拾番二十一の土地
 二十二、四六坪
昭和五十九年四月吉日



神明宮:神奈川区東神奈川2丁目34-6
◎神明宮
神明宮の草創についてはいくつかの伝説があるが定かではない。「新編武蔵風土記稿」は別当能満寺の草創と同じ正安元年(一二九九)の勧請としており、この神社に能満寺が草創当時より極めて密接な関係にあったことを伺わせる。
 かつて境内を流れていた上無川に牛頭天王の御神体が現れ、洲崎神社およびこの神社に牛頭天王を祠ったとの伝承もある。また、境内にある梅の森稲荷には、若い女旅人にまつわる哀れな話も伝わる。


村社碑
 神明社在神奈川邊明治十八年七月
 更為村社蓋其創立雖不詳係文治年
 前云社前一川當時水滿今日流涸神
 奈川邑昔者人少今則家多而神明歸
 信者二百五十餘戸古來其尊崇可知
 也今也有志者相謀茲建村社碑亦紀
 念之意〇
 明治十八年九月 櫻門撰併書
          石井新五郎刻


◎能満寺:神奈川区東神奈川2丁目32-1
 能満寺は、海運山と号し、古義真言宗に属す。正安元年(一二九九)内海新四郎光善というこの地の漁師が、海中より霊像を拾い上げ、光善の娘に託していう霊像のことばにしたがって建てたものがこの寺であるとの伝承がある。本尊は高さ五寸(十五センチ)木造坐像の虚空蔵菩薩で、海中より出現したと伝えられる。
 かつては、神明宮の別当寺で同一境内地に同社もあったが、神仏分離令で分かれ今日に至っている。


銀太郎稲荷:神奈川区新町5-2


白山神社:神奈川区浦島町373


青木稲荷大明神/白頭山竜神(白山神社境内社)
飯縄権現社(白山神社境内社)



祠:神奈川区子安通1丁目
中外神社:神奈川区守屋町1丁目1-4


福本稲荷神社:神奈川区子安通1丁目


稲荷社:神奈川区大口通68-2


白幡身代り地蔵尊:神奈川区白幡町3-16


  身代り地蔵の由来  奉賛会
昔尾張の國から幼い兄妹が武蔵の國に住む叔父を尋ねて旅を続けこの地蔵尊前まできた処辻強盗が現れ太刀を振りかざして襲ってきました。兄妹はとっさに地蔵尊の蔭にかくれたため、太刀の手元が狂い地蔵尊の首を切り落としました。そのはずみで刀は折れ切先は辻強盗につきささり、返り血で地蔵尊は朱に染まってしまったが、兄妹は危うく難を免れたと伝えられています。以来、土地の人はこれを身代り地蔵尊または血染めの地蔵尊と呼び益々信仰するようになりました。
幼い兄妹の命を救った地蔵尊のご利益により現在に至るも参詣者の後を絶たないのもむべなるかなと思われます。 合掌
  昭和五十二年十月 寄贈 赤澤房美
              坂本新一 (刻)


 その他、本日撮影の写真です。


【参考】
 ナギ Nageia nagi
 金港橋きんこうはし
 イチョウ Ginkgo biloba
 神奈川水再生センター
 神奈川通公園
 災害用井戸(神奈川区浦島町)
 庚申塔:神奈川区子安通2丁目206
 入江川公園
 大口子育地蔵:神奈川区大口通66
 みなとみらい方面(神之木台より)
 スナックひまわり:神奈川区白幡町1-10

臺町十五景

 本日、雨天。雨宿りのつもりで立ち寄った横浜駅地下二階の南北通路で「神奈川臺石﨑樓上十五景一望之圖」と称する初代歌川広重の複製図をみかけました。制作年が正しければ最晩年の作で、ここに示されていた15景を名称を頼りにプロットしてみると(ありえない配置になっているので)『広重は必ずしも現場で取材していないことがある』という説に納得がいきます。
 画面右に描かれている櫻屋はいまでも営業を続ける田中屋の前身、左下の橋は滝の川に今でも架かっている滝の橋です。神奈川台場の構築が始まるのは翌年(1859年)のことですし、この風光明媚な入江(袖ヶ浦)のほぼ中央でランドマークタワーが開業するのは135年後になります


神奈川臺石﨑樓上十五景一望之圖
 安政五年(1858年):初代安藤広重画(横浜開港資料館所蔵)
「臺町十五景」
 01.清水山清水
 02.将軍山櫻花
 03.本覚寺宿鴉
 04.芝生の秋
 05.鹿野山(望)月
 06.平沼塩煙
 07.芙峯遥望
 08.港千鳥
 09.宮洲汐干
 10.野毛海苔舟
 11.橫濱漁火
 12.権現山夕陽
 13.洲乾雪
 14.本牧舶風
 15.洲嵜神社

滝の川を遡って

 当初入江川水系を巡るつもりでしたが、雨脚が一向に弱まらず、今日は滝の川のみにしました。準用河川滝の川は、水量はそこそこある河川ですが、国道1号線を潜ると暗渠化していて、地表を流下するのは僅か1kmほどの短い河川となっています。


 万代橋ばんだいばし 幸橋さいわいはし 綿花橋めんかはし 滝の橋たきのはし 土橋どはし (京浜急行本線鉄橋) 慶運橋けいうんはし (私用)橋 (私用)橋 (JR線鉄橋) 境橋 暗渠出口


◎神奈川台場跡
 安政六年(一八五九)五月、幕府は伊豫松山藩に命じ、勝海舟の設計で海防砲台を構築した。
 当時の台場は総面積二万六千余平方メートル(約八千坪)の海に突き出た扇形で、約七万両の費用と工期約一年を要し、萬延元年(一八六〇)六月竣工した。
 明治三十二年二月廃止されるまで礼砲用として使われたが、大正十年頃から埋め立てられ、現在では石垣の一部を残すのみとなった。


◎滝ノ橋と本陣跡
 上の図は「金川砂子」に描かれた、江戸後期の神奈川宿の風景である。現在と同じ場所にあった滝ノ橋を中心に、江戸側には神奈川本陣、反対側に青木本陣が置かれていた。本陣とは、大名や公家などが宿泊したり、休息するための幕府公認の宿である。
 滝ノ橋のすぐ脇には高札場が見える。高札場は幕府の法度や掟を庶民に徹底させるための重要な施設である。この高札場は、現在の地区センターに復元されている。


 孤峯突兀
 聳天涯
 萬里滄濵
 一片霞
 拂檻徐風
 吹不尽
 四時薺發
 滿山花
  釋 玄瑞


【参考】
 街角のアート  滝の川  神社等
 THE・FAMILY:Ettoreエットレ Sottsassソットサス
 蔦金商店
 伏見市場稲荷大神:神奈川区山内町(横浜市中央卸売市場本場内)
 ガトーよこはま(株式会社つま正)
 笠間稲荷大明神:神奈川区神奈川1丁目3-14
 神奈川台場跡
 伏見大漁稲荷神社:神奈川区神奈川1丁目5-21
 滝之橋権現山
 キダチロカイ Aloe arborescens

神奈川区東南部の名木古木、など

 今日は振替休日。今週から職場の移転した神奈川区の名木古木を廻ってみました。
名木古木マップ  神奈川区西部の名木古木  石塔  神社  杉山神社


 青木山本覚寺:神奈川区高島台1−2


 医光山薬王寺:神奈川区七島町6


 遍照院密厳山不動寺:神奈川区子安通3丁目382


 (松見町)八幡神社:神奈川区松見町2丁目12-2


   八幡神社御由緒
(注応神天皇の神名の読み方は明らかに誤記ですが、原文のままとしました)
鎮座地 横浜市神奈川区松見町二丁目十二-二
    (旧神奈川区西寺尾六四六番地)
御祭神 応神天皇(譽田別命ほるたわけのみこと
社殿  本殿(流造)拝殿(入母屋造)瓦葺二棟一宇十二坪
例祭日 八月吉日
境内社 天王社(八坂大神-素戔嗚尊すさのおのみこと
    天満社(菅原道真公)
    水神社(水波乃売神)
    招魂社(戦没者英霊奉祀)
境内地 六七三坪(二、二二一平方メートル)
氏子  松見町。西寺尾六ヶ町 約五、〇〇〇戸余り
神耺  照本 史 宮司
御由緒沿革
 勧請の年代は不詳であるが『新編武蔵風土記稿』に「按ニ今東寺尾ノ松蔭寺ニ藏スル建武年中其寺ノ地形ヲ図セシモノニ八幡社ノ社アルヨシヲ載ス今モ此寺当社ノ別当ナレバ其所ハ古トモ違ヒヌレド何ノ頃ニカ此所ニ移センモノニラン」とあって建武年代は一、三三四年から一、三三八年で、それ以前に勧請された古い神社であると思われる。明治六年村社となり八幡大神を八幡神社と改称した。昭和三十六年社殿を再建、社務所、招魂社を新築、又天王社を遷し祀る。
 昭和六十年、参道敷石を改修、社号標を建立し階段など境内の整備をする。又平成二十四年十二月には鳥居を再建する。尚境内には神楽殿、松見連合会館、消防器材倉庫もある。
名木古木指定 イチョウ 樹令 一九〇年 一本
       イチョウ 樹令 二二〇年 一本
       ツバキ  樹令 二四〇年 一本
                   平成二十七年四月


 (白幡仲町)八幡神社:神奈川区白幡仲町13-25


 宿遠山善龍寺:神奈川区斎藤分町33


 (六角橋)杉山大神:神奈川区六角橋2丁目31-23


 久應山攝取院宝秀寺:神奈川区六角橋5-10-27


 ガーデン山団地6号棟:神奈川区三ツ沢下町21-66


横浜市指定名木古木
 No.49019 イチョウ:青木山本覚寺
 No.49020 イチョウ:青木山本覚寺
 No.49021 スダジイ:青木山本覚寺
 No.49022 ケヤキ:青木山本覚寺
 No.49023 エノキ:青木山本覚寺
 No.49024 タブノキ:青木山本覚寺
 No.49034 イチョウ:医光山薬王寺
 No.49027 イチョウ:遍照院密厳山不動寺
 No.49028 タブノキ:遍照院密厳山不動寺
 No.49029 イチョウ:(松見町)八幡神社
 No.49030 イチョウ:(松見町)八幡神社
 No.49031 ツバキ:(松見町)八幡神社
 No.49036 ケヤキ:(白幡仲町)八幡神社
 No.49037 クスノキ:(白幡仲町)八幡神社
 No.48036 ケヤキ:宿遠山善龍寺
 No.48037 ケヤキ:宿遠山善龍寺
 No.48038 ケヤキ【滅失】:宿遠山善龍寺
 No.48039 エノキ:宿遠山善龍寺
 No.48040 エノキ:宿遠山善龍寺
 No.49038 ケヤキ:(六角橋)杉山大神
 No.49039 ケヤキ:(六角橋)杉山大神
 No.201056 イチョウ:(六角橋)杉山大神
 No.201057 ケヤキ:(六角橋)杉山大神
 No.201058 ケヤキ:(六角橋)杉山大神
 No.49041 イヌツゲ:久應山攝取院宝秀寺
 No.51007 ヌマスギ:ガーデン山団地6号棟



 ヤマボウシ Cornus kousa
 稲荷社(青木山本覚寺境内社):神奈川区高島台1-2
 二ツ谷稲荷神社:神奈川区西神奈川1丁目2-1
 セイロンベンケイ Kalanchoe pinnata
 新子安カトリック教会:神奈川区入江1丁目19-30
 オリーブ Olea europaea
 稲荷社(正光山日蓮院本慶寺境内社):神奈川区子安通3-336-2
 テクノウェイブ100 (神之木台より)
 稲荷社:神奈川区六角橋二丁目25
 愛染地蔵尊:神奈川区三ツ沢下町15


 愛染地蔵尊縁起 由来
戦後(一九四五年)復興の兆しが見え始めた頃滝の川に漂着していた石仏を地元の染物工場で救い上げお祀りしていたが大衆の加護をと念じ商店会で譲り受け鑑定の結果江戸時代の愛染地蔵尊と命名された。
御所山妙照寺御住職によって開眼供養が行われました御縁日は毎月一日と十六日と定められました。
現在は近郊近在より参詣者が多く地蔵尊に真心をころてご祈願したことが大きなご利益に恵まれたとの実話が数多く残されている。
 だれしも寿命を全うし開運招福を願い苦悩の生じた時は路傍に佇む石仏の出合いに心の安らぎを求めこのたびここに五月十六日落慶式を迎えた。
   平成十年戌寅歳五月吉日
      ガーデン下商店会

錦秋の三渓園で

 季節外れの暖かい日々も今日までの様です。今年の紅葉はそろそろ最後になりそうだしたので、本牧三渓園を訪ねました。


【参考】
 旧燈明寺三重塔
 サザンカ Camellia sasanqua
 ツワブキ Farfugium japonicum
 モミジ Acer spp.
 ヤツデ Fatsia japonica
 センナリホオズキ Physalis angulata
 イソギク Chrysanthemum pacificum
 イチョウ Ginkgo biloba
 月華殿
 アカミミガメ Trachemys scripta
 風の塔

まだ秋の気配の鷹取山へ

 天気が回復したようなので、昼前から出かけて、鷹取山でランチ・ピクニックでした。


【参考】
 親不知
 ヤクシソウ Youngia denticulata
 ヤマトリカブト Aconitium japonicum
 ニシキギ Euonymus alatus

立冬の日に神奈川区を訪ねて

 今月、職場が移転することになる神奈川区を歩いてみました。神奈川区は、旧東海道沿いに寺社が点在していて名木古木が残されている地区で、浦島伝説縁の地でもあります。
  名木古木  神社  坂道  アート作品


◎甚行寺
 甚行寺は、真色山と号し、浄土宗高田派に属す。明暦二年(一六五六)第一世意圓上人が本山修善寺の第十四世堯秀上人を招いて、この寺を草創したと伝えられる。
 開港当時、本堂は土蔵造りであったが、改造を加えてフランス公使館に充てられたといわれている。
 大正十二年の関東大震災には全ての建物を倒壊焼失し、さらに昭和二十年の横浜大空襲にも再度全焼した。その後、昭和四十六年に本堂・客殿を鉄筋コンクリート造で再建し、現在に至っている。


権現山合戦の跡
 永正7年(1510)北條早雲が当時の関東の支配者上杉氏の家臣上田蔵人くらんどを味方にしてここにとりでをきづかせた。上杉朝良あさよしら二万の大軍がとりでを囲み合戦が十日間も行われたと言う。
 その結果上田勢が敗れた古戦場である。また安政年間のお台場づくりなどの埋め立て用土に山がけづられて低くなった。
昭和54年3月 神奈川区役所


宋興寺そうこうじ
 曹洞宗宋興寺は、上の『神奈川駅中図会かながわえきちゅうずえ』では、権現山ごんげんやまの麓に描かれている。
 開港当時、アメリカ人宣教師で医師であったヘボン博士がここら施療所せりょうじょを開いた。これを記念する石碑が境内にある。
 このヘボン博士は、「ヘボン式ローマ字」でよく知られ、日本で最初の和英辞典を完成し、聖書の翻訳なども行った。後に、明治学院を創設するなど、わが国の教育にも尽力した人である。


(熊野神社)御神木 公孫樹
  樹令四百年 昭和四十八年 横浜市名木古木指定
 慶応四年(一八六八年)神奈川県大火昭和二十年(一九四五年)戦災に焼失したが見事に再生し、毎年秋にはギンナンがみのり、俗に「火防のイチョウ」として広く親しまれている。
            社務所


  心:岡 弘 作
ニューステージ横浜の竣工を記念して、日本カーボン株式会社の発祥の地に世界唯一のカーボン彫刻を創作した。本作品の考案者は工学博士石川敏功で、人造黒鉛材にニカロン(炭化けい素繊維)の原料を含侵、台座にはレスボン(不浸透黒鉛)を使用している。
          平成6年3月
     東京建物株式会社
     日本カーボン株式会社
     ㈶石川カーボン科学技術振興財団


横浜市地域有形民俗文化財
 浦島太郎伝説関係資料
        平成七年十一月一日登録

  所有者 宗教法人蓮法寺れんぽうじ 宗教法人慶運寺けいうんじ
  所在地 神奈川区七島町二一番地 神奈川区神奈川本町一八番地二
  登録資料 伝供養塔 三基
顕彰歌碑 太田唯助作 一基
本尊浦島観音(旧観福寿寺かんぷくじゅじ) 一躯
浦島父子塔(旧観福寿寺旧在) 一基
浦島寺碑(旧観福寿寺旧在) 一基
 横浜市神奈川区にも伝わる浦島太郎伝説は、観福寿寺に伝えられていた縁起書に由来すると考えられますが、同寺は慶応四年(一八六八)に焼失したため、縁起の詳細については確認できません。しかし、『江戸名所図会えどめいしょずえ』『金川砂子かながわすなご』などの文献には縁起に関する記述がみられます。
 それらによると、相州三浦の住人浦島太夫が丹後国(現在の京都府北部)に移住した後、太郎が生まれた。太郎が二〇歳余りの頃、澄の江の浦から龍宮にいたり、そこで暮らすこととなった。三年の後、澄の江の浦へ帰ってみると、里人に知る人もなく、やむなく本国の相州へ下り、父母のことを訪ねたところ、三百余年前に死去しており、武蔵国白幡の峯に葬られたことを知る。これに落胆した太郎は、神奈川の浜辺より亀に乗って龍宮へ戻り、再び帰ることはなかった。そこで人々は神体をつくり浦島大明神として祀った、という内容です。
 この浦島太郎伝説が伝わっていた観福寿寺の資料は、同寺とゆかりの深い慶運寺(神奈川区神奈川本町一八番地二)と、大正末期に観福寿寺が所在した地に移転してきた蓮法寺(本寺)に残されています。
 蓮法寺の供養塔三基は、若干の欠損と近年にいたって手の入った形跡が認められますが、浦島伝説を今日に伝えるものです。
          横浜市教育委員会


  八幡神社御由緒
鎮座地 横浜市神奈川区白幡仲町十三ノ二五
         (旧白幡仲町一三八番地)
御祭神 応神天皇(譽田別尊ほんだわけのみこと
境内地 七六五坪
旧社格 村社(明治六年指定)
例祭日 八月吉日
沿革 御創建については詳でないが句碑によれば、源義家公奥州征討の途次この地に立寄られ戦勝を祈られた。その後社祠やしろが建立されたと伝えられる。鎌倉時代、神奈川領は鶴岡八幡宮領であり白幡村の鎮守として奉斎されたものであります。旧社殿は嘉永四年(一八五二年)八月に再建せられ、また文久二年(一八六二年)の棟札が残されています。明治以後、神佛分離により神奈川町熊野神社にて兼務す。明治六年村社に列せられ、大正十二年九月一日の大震災により大破し、昭和四年九月現社殿を再建し、神饌幣帛料供進社に指定せられました。戦後は、氏子崇敬者の協賛を得て奉賛会を結成し、社殿、神楽殿の修復、社務所の新築、境内の諸整備をなし、白幡町一円の総鎮守として元旦祭、春秋の祭事、八月の例大祭などを齊行し御神徳の昂揚に努めています。
          宮司 照本力誌
氏子戸数 約四千戸
名木古木 欅(けやき) 樹齢約三五〇年(横浜市指定)
     楠(くすのき)樹齢約一六〇年(横浜市指定)
附記 一、建武元年(一三三四年)松蔭寺吉図
   二、安永八年(一七八〇年)岡山県興津郡
       金川町七曲神社勧請本記に所載
   三、文化十三年(一八一七年)
       新編武藏風土記稿に所載
     「八幡社村ノ中央丘上ニアリ九尺二間南向ナリ神体ハ木ノ立像ニテ長八寸バカリ作シラズ社前二石ノ鳥居ヲタツ例祭年々九月五日ナリ昔ハ神奈川町能満寺ノ持ナリシガ近キ頃ヨリ村持トナレリ」とある。
   四、天保三年(一八三三年)江戸名所図会に所載

【参考】
 モッコク Ternstroemia gymnanthera
 田中家:台の坂
 センリョウ Sarcandra glabra
 イチョウ Ginkgo biloba:横浜市指定名木古木 No.48049(真色山清浄光院甚行寺)
 表忠碑:権現山合戦の跡(幸ヶ谷こうがや公園)
 ヘボン博士施療所跡碑
 イチョウ Ginkgo biloba:横浜市指定名木古木 No.49025(開塔山日輪院宋興寺)
 ケヤキ Zelkova serrata:横浜市指定名木古木 No.49026(開塔山日輪院宋興寺)
 イチョウ :横浜市指定名木古木 No.48050(熊野神社)
 心:岡 弘 作
 宇宙からの手紙Letter from the cosmos 1990 新宮shingu susumu
 テクノウェイブ100
 浦島伝説供養塔
 紋章(蓮法寺山門の扉)
 サザンカ Camellia sasanqua
 みなとみらい方面(大阪坂より)
 大阪坂
 (白幡仲町)八幡神社
 ケヤキ Zelkova serrata:横浜市指定名木古木 No.49036(八幡神社)
 クスノキ Cinnamomum camphora:横浜市指定名木古木 No.49037(八幡神社)
 ダンドク Canna indica
 権兵衛坂
 セイヨウヒイラギ Ilex aquifolium
 ヒマワリ Helianthus annuus

中区、磯子区の坂を巡って

 今日も坂道巡りです。途中で立ち寄った根岸森林公園では秋咲のバラが綺麗でした。
 坂道  トンネル  神社等  名木古木



ワシン坂の湧水
  湧水を利用される方へ
 この湧水は、古くから市民の生活用水として広く利用されてきた由緒あるものであります。
 水温は夏は冷たく、冬は暖かく、一年を通じてほぼ安定しております。近年では、周辺環境の都市化が進んだ影響もあり、清浄な水質が保てなくなってきましたが、災害時等には飲用以外の生活用水としての活用が可能です。
 市民のみなさんに愛されているこの湧水を、いつまでもきれいに絶やさぬよう、次のことを守って大切にしましょう。
  ●水質が不安定ですので、飲用は避けてください。
  ●水取口や周辺はいつもきれいにしておきましょう。
  ●ゴミや汚れに気づいたらすぐにきれいにしましょう。
                小港町1丁目町内会
                中区地域振興課
   水質に関する問合せ:中福祉保健センター生活衛生課
                (224-8339)


  潮汲坂
古の人々は、この台地に居住し縄文時代よりこの坂道を通り海水を運び食塩としたと云ふ



【参考】
 山手隧道
 第六天稲荷社:中区大和町1丁目2-3
 福徳稲荷神社:中区本郷町3丁目72
 横浜上野町教会:中区本郷町1丁目2
 見晴隧道
 聖坂
 ワシン坂
 山手ヘレン記念教会:中区山手町150番地
 No.200939 タブノキ:山手町159-1
 ワシン坂の湧水
 ハロー坂
 アメリカ坂
 七曲り
 ふぞく坂
 馬坂
 不動坂
 子育て地蔵尊(根岸山大聖院覺王山)
 八幡橋
 No.49256 ナギ:海向山岩松寺金蔵院
 鮭塚:海向山岩松寺金蔵院
 間坂まさか
 プリンス阪
 南向坂
 森浅間神社
 潮汲坂
 清水坂
 バラ Rosa spp.
  ビバリー Bevaerly
  ボレロ Bolero
  プリンセス ドゥ モナコ Princess de Monaco
  ジュビレ デュ プリンス ドゥ モナコ Jubilé du Princess de Monaco
  岳の夢 Gaku no Yume
  ハンス ゲーネパイン Hans Gönewein
  パシュミナ Pashhmina
  アプリコット キャンディ Apricot Candy
  レッド レオナルド ダ ヴィンチ Red Loenardo da Vinci
  ほのか Honoka
  結愛ゆあ Yua
  春乃はるの Haruno
  快挙かいきょ Kaikyo
  ファースト インプレッション First Impression
  ラベンター メイディランド Lavender Meidiland
 キダチチョウセンアサガオ Brugmansia suaveolens

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