植物」カテゴリーアーカイブ

沼間から朝比奈へ

 大蛇伝説て知られる七諏訪社、七つあったと言われる社の内3社の位置がグーグルマップに掲載されたので、早速訪ねてみました。本社はマイキャッスルトンネル入り口付近、三の社は私有地内でしたが、一の社は見つけることが出来ませんでした。一の社があるとされる地点ではシラユキゲシが咲き始めていましたし、山路はすっかり春の装いでしたが、今年のアリドオシの実はどうも色が今一さえないようでした。
【主な経路】(自宅)~鷹取山~沼間~名越~朝比奈~六浦~(自宅)


【神武寺梵鐘の銘文より】
    鐘銘文
奉冶鋳大日本國東相三浦郡
醫王山神武寺本堂薬師如来
御寶前鐘臺口
右大綱之㫖趣者天長地久
御願圓滿之處
大檀那諸縁吉利天下?平
國?安稳而己
 予雖催無二之大願有志無力
故䝉貴賎上下之芳助
奉法鐘鋳驚生死長夜盲夢
今諸行無常之一聲聞不隔遠
近推之人者現世安楽後生善處
戸戸康寧栄繁人家男女以楽
久長門門楽静養愛六畜飛走
彌㕝安寧時夫風静晋代只今多
雨露万歳々々
  元和九癸亥年霜月吉辰
   當山六十㔺願主法印尊雄 敬白
右古鐘名文記之
  明和八辛卯年八月吉辰
   當山六十七㔺再興願主法印玄道 敬白
奉再鋳梵鐘者欲誘怨親平等離苦得脱域發願
今善男善女仰協力再鋳念願滿足合掌畢矣
  昭和二十五庚寅年十月吉辰
   當山七十四㔺再興願主法印滋順 敬白


 京都寺町高橋鐘聲堂謹鋳


C-311.キイチゴハケフシ(改称)【湯川淳一(1996)日本原色虫えい図鑑、p.223.を転記】
 キイチゴハモグリダニ Phyllocoptes carilubi (Keifer, 1938)によって作られるフシダニえいで、葉が裏または表の方に不規則に隆起し縮み曲がる(図Ⅰ-44)。隆起したところには灰黄色の長毛が毛せん状に密生して赤褐~黄褐色を呈する。毛は長さ0.4~0.5mmで剛毛状、先端は尖る。枝の表皮にも赤褐色の不規則に広がった毛せん状えいを作ることがある。ダニはこれらの毛の間に生息するが、数は少ない。
 生態 不明。
 分布 本州;韓国、アメリカ。
 異名 キイチゴケフシ
【参考文献】江原(1980)、Huang(1971)、菊池(1940)、門前(1929)。


【参考】
 サンシュユ Cornus officinalis
 アオキ Aucuba japonica
 ツルマサキ Euonymus fortunei
 コゴメウツギ Stephanandra incisa
 ヤブラン Liriope muscar
 モミジイチゴ Rubus palmatus var. coptophyllus
 ヒメカンスゲ Carex conica
 山桜(やまざくら)Cerasus jamasakura
 ウグイスカグラ Lonicera gracilipes
 オニシバリ Daphne pseudomezereum
 キブシStachyurus praecox
 ヒノキ Chamaecyparis obtusa
 (沼間の)スダジイ Castanopsis sieboldii
 エゴノキ Styrax japonica
 ニリンソウ Anemone flaccida
 ヒメユズリハ Daphniphyllum teijsmannii
 親不知の展望台
 イヌシデ Carpinus tschonoskii
 イヌツゲメタマフシ
 トベラ Pittosporum tobira
 ヒサカキ Eurya japonica
 ガマズミ(?) Viburnum spp.
 ヤブツバキ Camellia japonica
 カヤ Torreya nucifera
 イヌガヤ Cephalotaxus harringtonia
 アリドオシ Damnacanthus indicus
 ホルトノキ Elaeocarpus sylvestris (神武時のなんじゃもんじゃ)
 神武寺の晩鐘
 鐘撞堂
 ツルグミ Elaeagnus glabra
 ヤマネコノメソウ Chrysosplenium japonicum
 マメヅタ Lemmaphyllum microphyllum
 オオイタビ Ficus pumila
 レンテンローズ(?) Helleborus orientalis
 クサイチゴ Rubus hirsutus
 キイチゴハケフシ(?)
 リュウノヒゲ Ophiopogon japonicus
 ウラシマソウ Arisaema urashima
 七諏訪社 三の祠
 蕗の薹(フキ) Petasites japonicus
 ヤマモモ Morella rubra
 モモ Amygdalus persica
 マイキャッスル湘南逗子
 七諏訪社 本社
 ムスカリ Muscari neglectum
 ユキノシタ Saxifraga stolonifera
 タチツボスミレ Viola grypoceras
 シラユキゲシ Eomecon chionantha
 ローズマリー Rosmarinus officinalis
 レンギョウ Forsythia suspensa
 福徳稲荷:池子3丁目16
 ハナツルクサ Aptenia cordifolia
 ツゲ Buxus microphylla var. japonica
 ナギ Nageia nagi
 山王権現同:逗子市久木9丁目1
 キランソウ Ajuga decumbens
 シャガ Iris japonica
 石廟:逗子市久木4丁目1783
 大切岸
 稲荷社
 ヒュウガミズキ Corylopsis pauciflora
 ハクモクレン Magnolia denudata

川崎から横浜へ

 今月はTsutaya川崎駅前店がDVDレンタルのセールを実施中。帰りには、旧東海道を辿りながら横浜まで歩いてみました。


          
  多與利爾 徒可牟
麦の穂を
         可禮
 

注:変体仮名で書かれているので分かり難いのですが、
 (右から1行)           翁
 (右から2行)   たよりに(多與利爾) つかむ(徒可牟)
 (右から3行) 麦の穂を
 (右から4行)        別かれ(可禮)
と書かれており、切れ字の「かな」は省略されているようです。『翁』は蕉翁の略と思われます。この地区での松尾芭蕉は、「The Okina」なのでしょう。


  芭蕉の句碑
 俳聖松尾芭蕉は、元禄七年(一六九四)五月、江戸深川の庵をたち、郷里、伊賀(現在の三重県)への帰途、川崎宿に立ち寄り、門弟たちとの惜別の思いをこの句碑にある。
 麦の穂を たよりにつかむ 別れかな
の句にたくしました。
 芭蕉は「さび」「しおり」「ほそみ」「かろみ」の句風、すなわち「蕉風」を確立し、同じ年の十月、大阪で、
 旅に病んで 夢は枯野を かけめぐる
という辞世の句をのこし、五十一歳の生涯をとじました。
 それから百三十年後の文政十三年(一八三〇)八月、俳人一種(いっしゅ)は、俳聖の道跡をしのび、天保の三大俳人のひとりに数えられた師の桜井梅室(さくらいばいしつ)に筆を染めてもらい、この句碑を建てました。
 昭和五十九年十月
          川崎市教育委員会


  芭蕉の句碑と川崎宿絵図
 川崎宿は全長約1.5kmで、そのほぼ中央に宿駅業務をとりしきる問屋場があり、その上手に佐藤、下地に田中の二つの本陣がありました。旅籠には奈良茶めしで有名であった「万年屋」など72軒がありました。そのほかに、教安寺・一行寺・宗三寺などの寺院、川崎宿の鎮守である山王社(現在の稲毛神社)があり、これらの寺社は現在も同じ位置にありますので、往時の宿場の様子を推察する手がかりとなりましょう。この芭蕉の句碑は上手の棒鼻(ぼうはな)(宿場入口)附近に文政13年(1830)、俳人一種(いっしゅ)によって建立されたもので、そののち現在の位置に移されました。この棒鼻を出るといわゆる八丁畷の並木道になります。旅人は、富士の雄姿をながめながら次の宿へと足をはやめたことでしょう。


  日進町町内会館「麦の郷」
 京急八丁畷駅前に松尾芭蕉の句碑があります。
 元禄7年(1694年)5月11日、芭蕉は江戸深川の芭蕉庵をあとに故郷伊賀上野へ向いました。芭蕉を見送りに来た弟子たちは、名残を惜しんで六郷川(多摩川)を渡って川崎宿へ入り、このあたりまで来ました。そして別れを惜しんで弟子たちと句を詠みあいます。
 弟子たちに対して、芭蕉が詠んだ句が
     「麦の穂を たよりにつかむ 別れかな」です。
 芭蕉はこの年10月大阪で不帰の客となりました。享年51才。弟子たちにとって、この場所での別れが、本当の別れになりました。
 弟子たちが詠んだ句は、旧東海道沿い川崎警察署のすぐ近く、ピバース日進町1階「芭蕉ポケットパーク」で見ることができます。
 平成16年(2004年)、日進町町内会館は新しく立て替えられ、その機に、松尾芭蕉の句碑にちなみ会館名を「麦の郷」と名付けました。



明日へ走る:垣内治雄 作 1997
  鶴見区制70周年記念
 横浜市鶴見区は、昭和2年10月1日の区制実施により誕生し、平成9年10月1日に70周年を迎えました。
 そこで、鶴見区制70周年を記念して、広く鶴見区民に親しまれている東京箱根往復大学駅伝競走の記念像をここ鶴見中継所に設けるものであります。
 平成9年11月吉日
     鶴見区制70周年記念事業実行委員会
             横浜市鶴見区役所
  記念像設置協力団体 鶴見区商店街連合会


   鶴見区制70周年記念
 横浜市鶴見区は、昭和2年10月1日の区制実施により誕生し、平成9年11月1日に70周年を迎えました。
 そこで、鶴見区制70周年を記念して、広く鶴見区民に親しまれている東京箱根往復大学駅伝競走の記念像をここ鶴見中継所に設けるものであります。
  平成9年11月吉日
     鶴見区制70周年記念事業実行委員会
             横浜市鶴見区役所
  記念像設置協力団体 鶴見区商店街連合会


     御由緒
 神社名 大山祇神社
 御祭神 大山祇命
 境内社 稲荷社、天神社の相社
 例祭日 六月上旬(土、日)
創立は住吉伊予国の一宮(三島大明神)を勧請す。古代から山の守護神、海の守護神、農工商の守護神として、霊験の高い神として信仰が篤い神社である。
当社には、昔此の地に里人を害する大蛇があり土地の里正(名主)ず数年来の暴虐を諭し山神として奉祀することを約して、退散せしむとの故事あり。
     (新編武蔵風土記稿に記載)
   定
一、構造物を損なうこと
一、危険な遊びをしないこと
一、境内を汚さないこと
     平成二十六年十二月吉日
        大山祇神社氏子会


【稲荷社(大山祇神社境内)の碑】
朝夜被仁物喰布毎尓
  豐宇氣濃神能命具美袁
      意茂獘譽廼賓徒


庚申に参りて
 四方を眺れば
道は四筋に
  わかれても
願ひの途は
 ひと筋よ



寄進 樿「ツゲ」之樹四本
     昭和六十三年六月吉日納ム
      綱島萩生田壽子
【注】樹種はイヌツゲで3本残っていました。


 道念稲荷神社
蛇も蚊も発祥の地
   蛇も蚊も 出たけ
    日よりの雨け
   昭和四十八年六月三日
        東部本宮町
        西部本宮町


横浜市指定無形民俗文化財
  (じゃ)()
         平成四年十一月一日 指定
     行事の日 六月第一日曜日
     保存団体 本宮蛇も蚊も保存会
 蛇も蚊もは、約三〇〇年前に悪疫が流行したとき、萱で作った蛇体に悪霊を封じ込めて海に流したことに始まると伝えられています。この行事は、旧暦の端午の節句の行事とされていましたが、明治の半ば頃から太陽暦の六月六日となり、近年は六月の第一日曜日に行われるようになっています。
 萱でつくった長大な蛇体を若者・子どもがかついで「蛇も蚊も出たけ、日和の雨け、出たけ、出たけ」と大声で唱えながら町内をかついで回ります。もとは、原地区(神明社)が雌蛇、本宮地区(稲荷神社)が雄蛇を作り、境界で絡み合いをさせた後、夕刻には海に流していましたが、現在は、両社別々の行事となっています。
 平成二十四年二月
               横浜市教育委員会



横浜市地域史跡
  生麦事件碑
     昭和六十三年十一月一日登録
 文久二年八月二十一日(西暦一九六二年九月十四日)、勅使大原重徳(しげとみ)を奉じて幕政改革の目的を達し、江戸を出発した薩摩藩士島津久光の一行は、東海道沿いの生麦村で騎乗のイギリス人四名と遭遇、行列の通行を妨害したとして護衛の薩摩藩士がイギリス人一名を殺害、二人に深手を負わせました(生麦事件)。この事件は、翌年に薩英戦争を引き起こしました。
 明治十六年(一八八三)、鶴見の黒川荘三(しょうぞう)は、イギリス商人リチャードソンが落命した場所に、教育学者中村敬宇に撰文を依頼し遭遇碑を建てました。
(表)
 舊蹟
文久二年壬戌八月二十一日英国人力査遜
殞命于此處乃鶴見人黒川荘三所有之地也
荘三乞余誌其事因為之歌歌曰
君流血此海壖我邦変進亦其源強藩起兮
王室振耳目新兮唱民権擾々生死疇知聞萬
国有史君名傳我今作歌勒貞珉君其含笑于
九原
露異字十六年十二月 敬宇中村正直撰
(裏)
彫刻師 飯島吉六


文久二年壬戌(みずのえいぬ)八月二十一日英国人力査遜(リチャードソン)此処に殞命(いんめい)
(すなわ)ち鶴見の人黒川荘三(しょうぞう)所有の地なり
荘三余に其事を誌さんことを乞う
因って之が為に歌う、歌いて曰く
君此の海壖(かいぜん)に流血す
我邦の変進も亦其れを源とす
強藩起こって王室振るう
耳目新たに民権を唱う
擾々(じょうじょう)たる生死(たれ)か聞いて知る
万国に(ふみと)有り君が名を伝う
我れ今歌を作って貞珉(ていびん)(きざ)
君其れ九原に含笑せよ
明治十六年十二月    敬宇(けいう)中村正直撰


   ’NAMAMUGI INCIDENT’
 Approximately 10 foreigners unfortunately were slain in Yokohama in the last years of th Tokugawa Shogunate, or the mid-19th century. One was an Englishman named Charles Lenox Richardson. He was cut down by samurai of the Shimazu clan at the village of Namamugi on the Tokaido Highway in September 1982. The so-called Namamugi Incident led to the bombardment of Kagoshima, a Shimazu stronghold, by a British fleet.
 In 1883 Shozo Kurokawa of Tsurumi, Yokohama, erected a monument at the side of Richardson’s slaying. The inscription was composed by Keiu Nakamura.


平成二十二年十二月   横浜市教育委員会



トマトケチャップ発祥地碑(裏面:武蔵國橘樹郡字海道通子安村)


 石種はケチャップを思わせる赤系の大理石で恐らくベンガロール産の「ニューインペリアルレッド」です。


     西洋野菜栽培とトマトケチャップのふるさと
トマト、セロリ、レタス、…。今ではおなじみの西洋野菜。
子安は最初に西洋野菜を栽培しトマトケチャップ製造をはじめた農村のひとつで、当時の人々の努力による実りが、今の食卓を彩っています。
 1859年(安政6年)の横浜開港によって、日本へ一気に西洋のもの、人、文化が流れ込んできました。今では私たちが当たり前のように目にしているキャベツやトマト、セロリ、カリフラワー、ビート、ラディッシュ、アスパラガス等といった西洋野菜が日本へ入ってきたのも、この頃のようです。1862年(文久2年)、居留外国人ローレイロが菜園を作ったのを皮切りに、多くの居留外国人が山手に農園を開設。やがて、根岸、磯子、子安など近隣農村へと西洋野菜栽培が急速に広がっていきます。
 子安で西洋野菜栽培が始まったのは、1866年(慶応2年)頃。子安村の堤春吉が外国船に食材を納めていた倉田政吉からセロリ、カリフラワー、ビート、ラデッィッシュ、玉ネギなどの種を譲り受け、子安村の人々とともに西洋野菜栽培を始めたそうです。
 子安は東海道に面しており、開港に伴う新しい人、もの、情報が行き交う場所。東京と横浜の中間地点で二大消費地への出荷が容易だったことに加え、西洋野菜栽培に適した土壌と人々の栽培研究努力から、子安村での西洋野菜栽培はどんどん盛んになっていきます。明治時代半ばには子安村の栽培農家は80戸程まで増加し、1894年(明治27年)には地元の清水與助がトマトケチャップ製造会社清水屋を始めました。1911年(明治44年)頃には鶴見境から神奈川境までの「子安西洋野菜」作付面積は50ha近くになりました。しかし、大正初期から子安付近の埋め立てが進み、残念ながら西洋野菜栽培で栄えた村も京浜工業地帯として発展することになりました。
 しはいえ、横浜開港から明治にかけての子安村の人々の努力はね西洋野菜栽培が横浜市近郊から全国へと広がる基礎となり、私たちの食卓で生きているのです。
【参考資料】
・横浜市史稿(産業編)横浜市役所編 1932(昭和7)年
・横浜社会辞彙(じい)日比谷重郎編 横浜通信社 1917年刊
・横浜開港資料館「開港のひろば」第104号 2009(平成21)年4月22日発行
・横浜市環境創造局農業振興課 市民と農との地産地消連携事業HP
 http://www.city.yokohama.jp/me/kankyou/nousan/tisantisyo/kaikousai/ (現在リンク先は存在せず)


【注】清水屋のケチャップは金沢区の南部市場に本社のある横濱屋本舗により復刻生産されており、高島屋横浜店7F、ランドマークプラザ5F、ワールドポーターズ1Fで販売されているそうです。



  八重地蔵の来歴について
 此のお地蔵さまは今を去る二十年前即ち昭和三十九年の盛夏当時小学校で夏休行事として早朝ラジオ体操が行われていました。当時5才の岡沢八重子ちゃんは兄さんと姉さんの後について体操に行く途中、たま〱停車中の大型トラックの前を走り抜こうとした時、そのトラックが発車し下敷となって死亡されて了ったのです。其の現場のすさまじさは悲愴と言うか、凄惨と申すべきか、家族は申すまでもなく、居あわせた町民は皆狂乱状態となりました。直ちに其の足で我々町民は警察へ、市当局へと怒りをこめて雪崩こみました。市当局は慌て出し、其の日の中に土木局次長殿が見えて、道路の約半分を子供の遊び場として今日に及んで居ります。
 我々町民は八重子ちゃんの犠牲により公園が出来、子供の遊び場として又憩いの場として親しまれていることを永遠に忘れることなく、又、八重子ちゃんのご冥福を祈らなければならないと思います。
   昭和五十九年八月
          東浜町内会


【参考】
 大寒桜(おおかんざくら)Cerasus x kanzakura cv. ‘Oh-kanzakura’
 アシブトハナアブ Tubifera virgatus
 ツゲ Buxus microphylla var. japonica
 ひまわり(川崎市自立支援センター)
 芭蕉句碑:川崎区日進町9-11
 地蔵尊:川崎区日進町34-10
 オオキバナカタバミ Oxalis pes-caprae
 (8弁の)ハナニラ Ipheion uniflorum
 ひまわり皮膚科形成外科
 明日へ走る:垣内治雄 作 1997 (鶴見区市場富士見町6-5)
 大山祇神社:鶴見区菅沢町13-10
 稲荷社(大山祇神社境内社)
 稲荷社の石碑(大山祇神社境内社)
 天神社(大山祇神社境内社)
 庚申堂:鶴見区菅沢町10-17
 鶴見川(鶴見橋より)
 神明神社:鶴見区鶴見中央5丁目1-10
 高松稲荷神社:鶴見区生麦5丁目18-16
 冬木森稲荷神社:鶴見区生麦5丁目13
 道念稲荷神社:鶴見区生麦4丁目27-18
 イヌツゲ奉納碑(道念稲荷)
 イヌツゲ Ilex crenata var. crenata
 蛇も蚊も
 生麦水神宮:鶴見区生麦4丁目31-27
 富士浅間大神(生麦水神宮境内)
 御社母子稲荷神社:鶴見区生麦4丁目15
 生麦事件碑:鶴見区生麦1丁目16
 生麦事件ゆかりの井戸跡
 キリンビール横浜工場
 アメリカフウロ Geranium carolinianum
 サツキ Rhododendron indicum
 トマトケチャップ発祥地碑:神奈川区子安通3丁目343
 稲荷社:神奈川区子安通2丁目271
 八重地蔵尊:子安通り一丁目児童遊園地
 烏巣之森稲荷大明神:神奈川区子安通1丁目73

ツゲとイヌツゲ

 犬の名の付く植物を整理した際にツゲの写真が一枚もなかったことが気に懸かり、比べることの出来る写真を撮ろうと探していたら、家の近くにもありました。本日、テレワークの昼休憩に撮影したものです。
 この界隈でツゲは稀というほどではない様ですが、100本のうち99本位はイヌツゲであることには変わりありません。ただし、イヌツゲは山道で見かけることがあるのに対して、ツゲの自生は全くないと言ってよさそうです。『イヌ』といえば、イヌザンショウも三浦半島ではみかけておらず、今後とも気に留めて、探してみたいと思います。

左:ツゲ Buxus microphylla var. japonica
 葉は対生、全縁で鋸歯はなく、先端は丸くて少しだけ窪んでいることが多い。今は丁度花期で写真中央の雌花には緑色の3花柱がはっきりと見える。
右:イヌツゲ Ilex crenata var. crenata
 葉は互生で良く見れば、浅い鋸歯がある。先端は尖っている葉がほとんど。

ツゲの花

 このブログにツゲの写真が一枚もないことに気づき、探しながら歩いていたら、意外にも職場から徒歩ほぼ一分の生垣に使われていました。夕暮れ時でしたし、いつものカメラは持っていませんでしたので、いずれ撮り直したいと思います。


ツゲ Buxus microphylla var. japonica
ツゲとイヌツゲ

虫こぶを探して

 シデ類の虫癭(虫こぶ)は冬が探しやすいとの記述をみかけたので、今日はイヌシデメフクレフシを探しに出かけたのですが、出会ったシデ類はどれも背が高くてよく分かりませんでした。その代わり、イヌツゲメタマフシを見つけることが出来ました。
【主な経路】
 (自宅)-浜見台-鷹取山-朝比奈-六浦-(金沢八景駅)


【参考】
 犬柘植芽玉五倍子(イヌツゲメタマフシ)
 イヌツゲ Ilex crenata var. crenata
 ナギ Nageia nagi
 ヤブツバキ Camellia japonica
 ウグイスカグラ Lonicera gracilipes
 オニシバリ Daphne pseudomezereum
 キブシ Stachyurus praecox
 マユミ Euonymus hamiltonianus
 (沼間の)スダジイ Castanopsis sieboldii
 カラスザンショウ Fagara ailanthoides
 キヅタ Hedera rhombea
 スギ Cryptomeria japonica
 前浅間遠望
 ショカッサイ Orychophragmus violaceus
 カヤ Torreya nucifera
 イヌガヤ ephalotaxus harringtonia
 二ホンスイセン Narcissus tazetta var. chinensis
 マンサク Hamamelis japonica
 蕗の薹(フキ) Petasites japonicus
 フラサバソウ Veronica hederifolia
 タネツケバナ Cardamine scutata
 ヒメオドリコソウ Lamium purpureum
 ジンチョウゲ Daphne odora
 ユキヤナギ Spiraea thunbergii
 アンズ Prunus armeniaca
 河津桜(かわづざくら)Cerasus x kanzakura ‘Kawazu-zakura’
 ケイワタバコConandron ramondioides var. pilosus
 タチツボスミレViola grypoceras


C-373 イヌツゲメタマフシ【湯川(1996)を転記】
 イヌツゲタバエ(=イヌツゲハリオタマバエ)Asteralobia sasaki (Monzen, 1937)によって、葉腋の芽に形成される虫えいで、形状はソヨゴメタマフシ(C-375)の場合と基本的には同様である。虫えいの直径はソヨゴやナナミノキに形成されるものよりやや小さく。虫えい内の幼虫室数もやや少ない。
 生態 生活史はソヨゴタマバエ(C-375)の場合とほぼ同じ
 分布 北海道(ハイイヌツゲのみ)、本州、佐渡、四国、九州、沖縄本島(オオシイバモチのみ)。
 関連寄主植物 後述のソヨゴを含め、ナナミノキ、ハイイヌツゲ、モチノキ、オオシイバモチ、ヒメモチなどモチノキ属(モチノキ科)の腋芽に類似の虫えいが形成される。これらから羽化するタマバエの形状がきわめてよく似ているので、これらの虫えいはすべて同一種による可能性もあり、ソヨゴとの寄生交換実験などで確かめる必要がある。
 異名 イヌツゲタマフシ、モチノキメフシ
C375 ソヨゴメタマフシ
 ソヨゴタバエ Asteralobia soyogo (Kikuti,1939b)によって、葉腋の芽が肥大してほぼ球形または不整形のこぶ状になる虫えいで、最大直径は6.0~20mmと変異幅が大きい。表面は平滑で最初は緑色、やがて部分的に暗紫色を帯びる。成虫の羽化後は褐変して木質化するが、落下しないので、樹上に古い虫えいが残存しているのをよく見かける。内部は漿質で、円筒形またはU字型の幼虫室が1~10個あり、それぞれに1匹ずつ幼虫が入っている。幼虫室の壁は白色で、比較的薄いが固い。
 生態 年1世代。成虫は1月下旬から6月にかけて羽化し、長い針状の産卵管で腋芽に産卵する。虫えいは秋までに成熟し、幼虫も10月には3齢に達する。越冬した3齢幼虫は3月頃から虫えい内で蛹化を始める。コバチ類やコマユバチの寄生が見られるが、まだ同定されていない。
 分布 本州、四国、九州、屋久島。
 異名 ソヨゴメフシ、モチノキメフクレフシ。
虫癭ちゅうえい = 虫こぶ。
参考文献
湯川淳一(1996)日本原色虫えい図鑑、p.246-247.

早春の三浦半島

 祝日となった本日、三浦半島1DAYきっぷを家族で利用してみました。お土産は、もちろん葉付の三浦大根です。


【参考】
 河津桜(かわづざくら)Cerasus x kanzakura ‘Kawazu-zakura’
 京急本線
 小松ヶ池
 三崎港
 あまおうのソフトクリーム
 にじいろさかな号

南区、港南区の名木古木拾遺

 今日は、以前に尋ねたものの、見つけることが出来なかった名木古木を中心に訪ねてみました。
 名木古木  神社等  石塔  ひまわり


スダジイ、タブノキ、ヤマザクラ
 西岸山千手院蓮華寺:港南区最戸2丁目21-1


 市民グラフヨコハマに載っている木々ですが、以前から現地での確認はできておりません。本堂前の桜は結構立派なのですが、幹の様子を見るとソメイヨシノかも知れません。境内の立ち入り禁止区域にそれなりのスダジイはあるようですが、タブノキはそもそもなさそうですので、滅失かも知れません。
–> 本堂前の桜はソメイヨシノでした。境内の桜はサクラは満開でしたが、すべてソメイヨシノのようですので、残念ながらヤマザクラは滅失と思われます。(2021.3.27)


ケヤキ2本、イヌシデ1本、クマシデ2本
 下永谷神明社:港南区下永谷2丁目32-1


 こちらは、2019年版の横浜市のウェブサイトに掲載されているのですが、現地に銘板は設置されていません。大きなケヤキが少なくとも3本ありますし、シデ類は3本以上現存しています。シデ類の種名は、樹皮の状態からもなんとなくわかるのですが、葉や花のある時期に種を同定したいと思います。


イチョウ2本
 無量山般若寺:港南区下永谷1丁目32-11


 近くの私有地内に別の大木があり、そちらに気を取られていつも行き過ぎていた路地にひっそりと有りました。現在、横浜市のウェブサイトには載っていませんが、港南の歴史(1979)に樹齢70年とありますので、今年樹齢110年ほどの樹です。


ケヤキ No.49534
 平戸白旗神社(戸塚区平戸町302)


クスノキ(No.201601)
 位置不明:南区六ッ川4丁目1123-2
 2016年に新たに登録された樹なのですが、今日も発見できませんでした。なお、周辺に位置する山谷天神(南区六ツ川4丁目1184)の神木はイチョウの様です。


クスノキ:No.59001、No.59002
 横浜市立子ども植物園:南区六ツ川3丁目122
 ここのクスノキは何度も撮影しているので省略です。


タブノキ(No.200206)、カキノキ(No.200207)
 永田東1丁目31-12


 当該番地は私有地で未確認ですが、銘板もないようです。滅失していなければ、この写真の樹と思われます。


 以下、本日撮影のその他の写真です。


【参考】
 山桜(やまざくら)Cerasus jamasakura
 イヌシデ Carpinus tschonoskii
 アカシデ Carpinus laxiflora
 クマシデ Carpinus japonica
 ケヤキ Zelkova serrata
 イチョウ Ginkgo biloba
 クスノキ Cinnamomum camphora
 タブノキ Machilus thunbergii
 カキノキ Diospyros kaki
 ヤブツバキ Camellia japonica
 河津桜(かわづざくら)Cerasus x kanzakura ‘Kawazu-zakura’
 稲荷社:港南区最戸2丁目20
 庚申塔:港南区最戸2丁目20
 平戸永谷川
 横浜永谷キリスト教会:港南区下永谷6丁目7-54
 フクジュソウ Adonis ramosa
 オオミスミソウ Hepatica nobilis var. japonica
 寒咲花菜(かんざきはなな) Brassica sp.
 スノードロップ Galanthus nivalis
 コエロギネ ‘インテルメディア’ Coelogyne ‘Inremedia’
 ブーゲンビリア Bougainvillea sp.
 カルダモン(小荳蔲(しょうずく)) Elettaria cardamomum
 金花茶きんかちゃ Camellia petelotii (syn. C. chrysantha)
 クサイチゴ Rubus hirsutus
 アセビ Pieris japonica
 ソレイユ・アベニュー標識:南区永田南1丁目7-8
 庚申塔:南区永田東1丁目19-20
 タイワンツバキ Gordonia axillaris


【参考文献】
 名木古木に指定された樹木一覧(平成31年3月13日現在)、URL: https://www.city.yokohama.lg.jp/kurashi/machizukuri-kankyo/midori-koen/midori_up/3ryokuka/meiboku_koboku/meiboku_ichiran.html、Accessed:2021-02-22.
 港南の歴史発刊実行委員会編(1979)港南の歴史、490-492p.

金沢区と栄区の名木古木

 栄区にまだ3か所未確認木のあることに気づき、確認してきました。


横浜市指定名木古木
 イヌガヤ No.48140:浄林寺跡(金沢区朝比奈町267)
 カヤ No.49290:朝比奈町21
 カヤ No.50145, 200210, 200211:個人宅(栄区上郷町956)
 オオシマザクラ No.201609:上郷市民の森(栄区上郷町1761)
 マキ No.2014112:個人宅(栄区中之町48)
【参考】
 マキとイヌマキ、カヤとイヌガヤ
【主な経路】
(自宅)-六浦-朝比奈-上郷-公田-港南台-洋光台-杉田-小田-富岡-(京急富岡駅)


その他、本日撮影の写真です。


   鼻欠地蔵はなかけじぞう
 崖に彫り込まれた像の高さが4m余りのお地蔵様の磨崖仏で、風化して鼻が欠け落ちているため、このように呼ばれました。いつごろ、だれが彫ったかはわかりません。
 江戸時代に出版された「江戸名所図会」には、この地蔵の挿絵があり、やさしそうな顔立ちや膝元で組んだ手などが描かれていますが、今はその輪郭を見ることができます。また、江戸時代の地歴が書かれている「新編鎌倉誌」には、この地蔵について、武蔵国と相模国の境界にあることから「境地蔵」と言われたこと、この場所から北へ向かう道は釜利谷や能見堂へ通じたことが書かれています。
 また、地蔵の前の道は、六浦道と呼ばれてた金沢と鎌倉を結ぶ、中世からの大切な道であることから、この地蔵が交通の要所に祭られ、広く人の信仰の対象となっていたことがわかります。
 平成10年3月31日   横浜市教育委員会


 イヌガヤ Cephalotaxus harringtonia
 カヤ Torreya nucifera
 イヌマキ Podocarpus macrophyllus
 大島桜(オオシマザクラ) Cerasus speciosa
 厄神祠:六浦南1丁目32-5
 ヒサカキ Eurya japonica
 メジロ Zosterops japonicus
 鼻欠地蔵(境の地蔵尊)
 ブタナ Hypochaeris radicata
 キヅタ Hedera rhombea
 テイカカズラ Trachelospermum asiaticum
 ツワブキ Farfugium japonicum
 サザンカ Camellia sasanqua
 リュウノヒゲ Ophiopogon japonicus
 アケビ Akebia quinata
 スイカズラ Lonicera japonica
 ボケ Chaenomeles speciosa
 昇龍橋:栄区長倉町1-29
 上郷大芝原道路改修記念碑 (昭和参拾弐年完工):栄区上郷町977-3
 ヤブツバキ Camellia japonica
 マゴイ Cyprinus carpio
 誕生 BIRTH 楢原Narahara 北悠Hokuyuw:第4回横浜彫刻展 (YOKOHAMA BIENNALE ’86)
 (稲荷森)稲荷社:栄区上郷町177
 向坂庚申塔・道標:磯子区上中里町299
 ジンチョウゲ Daphne odora
 スミレ Viola mandshurica

名前にイヌ(犬)のつく植物たち

 「イヌ」がつく植物の名前は、「本家に似ているけど役に立たない」というニュアンスで付けられいることが多い様です。ただし、「イヌ」がついていると必ず別物である訳ではありませんし、横浜市指定名木古木の呼称は(恐らく)地元での通り名を採用しているため、統一性に欠けている様です。備忘のため、名称を以下に整理しておきます。


【マキとイヌマキ】


イヌマキ:No.48068 浄念寺

ラカンマキ No.201029:赤井山正法院

イヌマキ(犬槇)、ラカンマキ(羅漢槇)、マキ(槇)
 学名:Podocarpus macrophyllus
 英名:Largeleaf podocarp

 イヌマキはマキ科イヌマキ属の常緑高木で樹高20mに達します。マキ科は南半球起源と思われ、我が国に自生するのは、イヌマキ属のイヌマキとナギ属ナギの二種のみであり、標準和名がマキという名の植物は存在しません。釜利谷の赤井山正法院のラカンマキ(var. maki)はイヌマキの変種です。
 「イヌマキ」に対する『マキ』がなんであるかは諸説あるようですが、「本槇」と呼ばれるのはコウヤマキ科のコウヤマキ(高野槇)であり、葉の形状は似ていて、イヌマキが赤色の偽果に対して、コウヤマキは毬果を付けます。コウヤマキは更新世以降、他の地域では絶滅したため、現在では我が国の固有種となっています。


イヌマキの実

コウヤマキの実

 なお、横浜市が名木古木に指定している「マキ」は、これまでのところすべてイヌマキでした。


【カヤとイヌガヤ】


カヤ No.48137:瀬戸神社

イヌガヤ:浄林寺跡

カヤ(榧)
 学名:Torreya nucifera
 英名:Japanese torreya
イヌガヤ(犬榧)
 学名:Cephalotaxus harringtonia
 英名:Japanese plum yew

 カヤとイヌガヤはどちらもイチイ科の常緑高木で、葉の形状はよく似ていますが、イヌガヤの方が一回り大きく柔らかいため、先端の尖っている部分を握っても痛くないとの判別法をよく見かけます。しかしながら、個人的感想としては、イヌガヤの葉でも多少痛みを感じます。カヤはイヌガヤより樹脂臭が強いので、近くに行くことが出来れば匂いでなんとなく判断できます。
 カヤの実(榧実(ひじつ))の核果は食用になりますが、イヌガヤの核果は苦くて食用には適さないとされます。ただし、イヌガヤの仮種皮は黒紫色で外観は良くありませんが、食せば甘くて美味しいそうです。核果はいずれもアーモンド形ですが、カヤの核果の表面は皺が多く、イヌガヤの核果はつるっとしているので、果実が落ちていればこれで判別できます。
 カヤの材は碁盤材として他の樹種の追随を許さないため、イヌガヤの方が「イヌ」となっていると思われます。我が国北部に分布するハイイヌガヤ(var. nana)はイヌガヤの変種で、果実酒など食用にされることが多いようで、雪国では生け垣などにも使われる有用樹です。一方、カヤの北方系の変種チャポガヤ(var. radicans)は、触るとチクチクするためか、あまり利用されていないようで、雪国対応の変種では『イヌ』の関係が逆転しています。


【ツゲとイヌツゲ】


イヌツゲ No.49041:久應山攝取院宝秀寺

ツゲ(柘植、黄楊)
 学名 : Buxus microphylla var. japonica
 英名:Japanese Box
イヌツゲ(犬柘植)、マメツゲ(豆柘植)
 学名:Ilex crenata var. crenata
 英名:Japanese holly

 ツゲはツゲ科ツゲ属、イヌツゲはモチノキ科モチノキ属です。いずれも通常は灌木で庭木や垣根などに利用されていますが、刈り込みされているため、樹形の特徴がなくなっているのが普通であり、遠目で区別することは容易ではありません。
 確実な識別法としては、ツゲは対生、イヌツゲは互生と樹木学の講義で学んだことを今でも記憶しています。葉の先端は、イヌツゲでは尖りますが、ツゲでは先が少しだけ窪んで(微凹頭)います。またイヌツゲの葉をよく見ると丸い鋸歯があります。  葉の比較
 イヌツゲはモチノキ属なので、花は、同属のソヨゴ、クロガネモチ、タラヨウ等によく似ているのに対して、ツゲの花には花弁がありません。
 ツゲの材は緻密で均一であることから、櫛、将棋の駒をはじめとする加工品への用途があったため、「ホンツゲ」の座を獲得したと思われますが、生育はイヌツゲの方が早いため、庭園木、生け垣などではイヌツゲの方がむしろ多用されています。現在公表されている横浜市指定の名木古木はすべてイヌツゲです。
 マメツゲ(f. bullata or var.convexa)はイヌツゲの品種で、実生で繁殖するとイヌツゲになってしまうため、接ぎ木で増やす必要があります。
 なお、「黄楊」は中国名ですが、日本のツゲとは別変種を指しており、日本のツゲは「小葉黄楊」と表記して区別されるそうです。


【イヌシデとアカシデ】


イヌシデ 品川区保存樹第55号(品川区荏原7-5-14)

アカシデ:大宮公園(さいたま市大宮区高鼻町4)

イヌシデ(犬四手)
 学名:Carpinus tschonoskii
 英名:Korean hornbeam

 イヌシデはカバノキ科クマシデ属の落葉高木で、本邦産の近縁種としてアカシデ(赤四手 C. laxiflora)、クマシデ(熊四手 C. japonica)、サワシバ(沢柴 C. cordata)、イワシデ(岩四手 C. Turzaninovii)の4種があり、特によく似ているのはアカシデです。樹全体に赤みが強く、赤く紅葉するのがアカシデですが、両種を区別しない時には併せてソロノキと称します。ソロノキは優良な榾木ほだぎとなるだけでなく、盆栽にも欠かせない樹種です。
 シデ(四手、椣)という名は、クマシデ属(Carpinus)の総称であり、雄花が注連縄しめなわに飾る紙垂しでに似ているからとされています。一方、単に「シデ」あるいは「ホンシデ」という種に関する記述はみつけられず、クマシデ、サワシバをソロノキと呼ぶ場合もあり、いずれも雑木林では普通種なので、本種が何故「イヌ」なのかは不明です。
 2021年2月の段階では、横浜市の名木古木は一本も確認できていません。(今後、訪問予定)
———————————————————————————
【その他】これまでに撮影した「イヌ」の付く名前の植物たち
 こうしてみると結構あるのに驚きます。イヌ自体に由来する犬殖栗いぬふぐりを除くと、どれも(手抜き感があって)あまり相応しい名称とは思えません。


 イヌビワ Ficus erecta
 イヌビユ Amaranthus blitum
 ホナガイヌビユ Amaranthus viridis
 イヌホウズキ Solanum nigrum
 テリミノイヌホウズキ Solanum americanum
 アメリカイヌホウズキ Solanum ptychanthum
 オオイヌノフグリ Veronica persica
 タチイヌノフグリ Veronica arvensis
 イヌカキネガラシ Sisymbrium orientalis
 イヌバラ Rosa canina
 イヌタデ Persicaria longiseta
 イヌゴマ Stachys japonica
 イヌドクサ Equisetum ramosissimum
 イヌナズナ Draba nemorosa
 イヌトウバナ Clinopodium micranthum
 イヌグス(タブノキ) Machilus thunbergii

鶴見区の名木古木を巡って- part2

 先週の続きで、横浜市指定の名木古木を訪ねて鶴見区を歩いてみました。


スダジイ2本 No.48024,48025(指定番号現地確認できず):熊野神社(鶴見区寺谷1丁目21-7)
ケヤキ No.49001::徳雄山建功寺(鶴見区馬場1丁目2-1)
ヤマザクラ No,49003(滅失):徳雄山建功寺(鶴見区馬場1丁目2-1)
クスノキ No.49004:徳雄山建功寺(鶴見区馬場1丁目2-1)
イチョウ No.49005:徳雄山建功寺(鶴見区馬場1丁目2-1)
ヒイラギ No.49006:徳雄山建功寺(鶴見区馬場1丁目2-1)
エノキ No.200201:徳雄山建功寺(鶴見区馬場1丁目2-1)
クスノキ No.49011:神明社(馬場6丁目17-20)
ツバキ No.49007(指定番号現地確認できず):愛宕山寳藏院延命寺(鶴見区馬場4丁目7-5)
アカガシ No.49009:愛宕山寳藏院延命寺(鶴見区馬場4丁目7-5)
イヌツゲ(指定番号現地確認できず):愛宕山寳藏院延命寺(鶴見区馬場4丁目7-5)
グミ No.48020:仙鶴山松蔭寺(鶴見区東寺尾1丁目18-2)
タラヨウ No.48021:仙鶴山松蔭寺(鶴見区東寺尾1丁目18-2)
サルスベリ No.48022:仙鶴山松蔭寺(鶴見区東寺尾1丁目18-2)
イヌツゲ(指定番号現地確認できず):仙鶴山松蔭寺(鶴見区東寺尾1丁目18-2)
イチョウ No.48008:一到山安養寺(鶴見区岸谷1丁目22-12)
タブノキ No.48009:生麦山聖無動院龍泉寺(鶴見区岸谷4丁目3-2)
イチョウ No.48003:聖王山文殊院大聖寺(鶴見区仲通1丁目2-3)
イチョウ No.48004:聖王山文殊院大聖寺(鶴見区仲通1丁目2-3)
イチョウ No.48005:聖王山文殊院大聖寺(鶴見区仲通1丁目2-3)


かながわの名木100選  昭和59年12月選定
宝蔵院の源平五色のツバキ
 和名:ツバキ(ツバキ科)
 赤、白。ピンク、しぼり、ぼかしの5色の花をつける珍しいツバキとして知られ、3月下旬から4月上旬の開花期には多くの人が観賞に訪れる。
 横浜市の名木古木に指定されている。
 樹高 6メートル 胸高周囲0.9~1.0メートル
 樹齢 約600年(伝承)
 ツバキは、本州から九州に分布する常緑高木で観賞用として庭などに植えられ、園芸品種も多い。実からは油がとれる。


  史蹟
源平五色椿 げんぺいごしきのつばき
   横浜市の名木古木に指定 (昭和四十九年度第七号)
このツバキは赤と白の他に、赤白混合のピンク、しぼり(赤白が点散)、ぼかし(色がにじむ)、等の五色の花が一本の幹に咲くのが特徴で、もちろん接ぎ木ではない。
品種としては「五色椿」だが、純粋な赤白がとりわけ美しく咲き、樹齢六百年以上(高さ六メートル、枝張り六メートル、幹回り一・五メートル、の幹から三本の枝に分かれる)の長老木であることから「源平」の二字を冠した。
三月中旬より五月中旬まで(特に四月上旬が見頃)五色に咲き分けるが、年間を通して雨上がりの時、緑青をふいたような幹は雨露を含んで美しく光り輝き、最高の芸術品である。
全国唯一の誠に美しい銘木のため、本や新聞・テレビ等にも紹介されている。椿の種類では全国で一番古いものである。


宝蔵院の源平五色の椿
昭和50年3月 横浜市の名木古木に指定
昭和59年12月 かながわの名木100選に選定
樹高6m、枝張り6m、根回り1.6mで地上1mのところで、幹が三本に分岐し、胸高直径は、それぞれ0.9~1mに及ぶ。樹齢は推定600年と伝えられている。
樹の種類は五色椿(ごしきつばき)で、接ぎ木ではなく、一本の幹から[赤・白・ピンク・しぼり(赤白が点散)・ぼかし(にじんだ色)]の五色(ごしき)の花が咲き分けます。赤と白の花の色が混じりを生じない長老木であるところから「源平」の名が付けられ、花はカーネーションの様に復輪で、蕊(しべ)が花ビラの間から出ている誠に珍しい樹のため、希少価値で選定されている。開花時期は3月下旬より5月中旬ごろまで毎日咲き替わり、特に4月上旬が見ごろです。


【主な経路】
(京急鶴見駅)-寺谷-馬場-東寺尾-岸谷-潮田-(京急鶴見駅)



  心願地蔵(鶴見区東寺尾6丁目33)
江戸の昔、安永八年(一七七九年)に東寺尾村二本木に住んでいた松沢源右衛門という人が建てたという。子宝に恵まれなかった源右衛門は、お地蔵様を建て、道行く人にお参りをしてもらえば、その功徳によって願いが叶えられるのではないかと思い立ち、お地蔵様を建てた。
     ふるさと再発見 寺尾奉行
※「天明五乙巳」の文字が読めるので正しくは1785年の建立と思われます。


  馬頭観音(馬場1丁目3-13)
その昔武士を背に乗せて走り、時には兵隊さんと戦地に赴き、家族同様田畑を耕し働いてくれた愛馬に感謝の「馬頭観音」之碑をこの地に何時、誰が建てたのかは定かでないが、祈る心と感謝の気持ちは時代が移るとも今は変わらない。
     ふるさと再発見 寺尾奉行
※碑の裏面に「大正七年四月 横尾□□建」と読めます。立札の文は詩的ではありますが、史実を確認してはいないようです。


  青面金剛合掌立像(馬場7丁目4)
右側の塔は青面金剛合掌立像を浮き彫りとしたものです。(一七六四年)
左側の尖頂角塔文字碑「庚申青面金剛合」は庚申(干支の一つでかのえ猿で)本尊は青面金剛合であります。街道沿いに置かれ塔に道標を彫りつけられたものもみかけられます。更に賽神として建立されることもあり、村の境目に建立されることもあったようです。(一八〇五年)
     ふるさと再発見 寺尾奉行


  寶藏院沿革碑
 真言宗智山派の愛宕山寶藏院は、橘樹郡神奈川宿新義真言宗金藏院末寺である。
 創建は、平安期の白山しらやま信仰(江戸時代には白山はくさんさまと称し歯の神様)・仏像、鎌倉期の愛宕社・山門等の建立および製作のほか、慶安二年(一九四九)の古文書により、鎌倉時代以前に草庵されたものと推定される名刹である。
 惣鎮守愛宕社は源頼朝公時代(建久三年より正治元年)に建立され、天正十八年(一五九〇)戦火で焼失し江戸時代に再建されたが、昭和二十年に堂宇老朽のため解体した。
 昭和二十年、本堂真後ろの墓地裏より板碑が数基出土したが、そりうち一枚は鎌倉時代の承元四年(一二一〇)と彫られている。
 山門は一部補修されているが、鎌倉時代のもので、板戸(樅の木の一枚板)獅子の彫刻(真向きの獅子・爪の彫り方)等は


同時代の風格をよく表現していることで知られている。
 左側の石段は鎌倉時代に建造されたものと伝えられている。
 本堂裏山には寺尾城(戦国時代に築城)址の砦として使用された愛宕社への虎口を守るための土塁があったことが発見されている。又、境内にあった溜池は、寺尾城の「水の手」として使用されたことが昭和五十四年判明された。
 過去帳による歴代住職中、最古と認められるのは、永享に二年朔日「寂」として傳燈大阿闍梨でんどうだいあじゃり耶法印弁栄と記録されて居り、江戸時代中ごろ元禄二年法印秀賢を中興として、爾来法燈連綿として現在に至っている。
 本堂には本尊大日如来・弘法大師尊像など仏像三十八躰が安置されて居り、寺尾地区にある最古の寺であるため、相武不動尊霊場の二十一番札所「寺尾不動尊」と称し、この他玉川八十八ヶ所霊場の十二番札所にもなっている。
 寺宝としては、聖観世音菩薩・薬師如来(伝鎌倉期以前)、十王尊像・十王尊掛軸・須弥壇(伝鎌倉期)、人生一生を守る十二支一大本尊、白蛇(弁才天の化身)などがある。
 境内には咲き分けの椿の名木で樹齢六百年以上と伝え、市の名木古木に指定されている。
 その他、足びき地藏・水子地藏・白山さま(歯の神様)・霊泉(延命水)などがあり、墓地には珍しい左文字の墓(鏡文字)がある。
         國田隆稔撰文並謹書


  庚申供養塔
 二本木と二反田の交差路馬場境にあった庚申さまは、江戸時代中期のもので(一、六八八年)に建てられ、寺尾地区に現存する最も古い庚申供養塔である。
 寺尾の水田深田で土質が悪く稲作不良から米作祈願として、青面金剛の庚申像が水田に添った辻に祭られていた。
  巡拝成就供養塔
 宝蔵院山門前にあったもので江戸時代中期の享保六年(一、七二一)に建てられ。寺尾地区に現存する最も古い供養塔である。
 大峯山・立山・浅間山・湯殿山・月山、及び西国・坂東・秩父、等の諸国巡拝成就の供養塔


  宝蔵院の板碑
 宝蔵院の本堂真後ろ墓地裏台地に樹令数百年の老松あり。老朽により危険のため昭和二十年伐採し、根を掘ったところ本堂に向い地中に人骨あり。その囲りから板碑が数基出土された。この中の一枚には鎌倉時代の承元四年(一、二一〇)と彫られてある。その人骨はおそらく宝蔵院先師のものと思われ、追福供養の為板碑を添え松を植えたものと考えられる。板碑は石塔婆の一種で青石塔婆とも言われ、秩父を原産とする扁平な緑泥片岩そのまゝを使用し、上部を三角形に作り、その下に二・三条の横線を入れ、仏像または梵字、ときには花瓶を彫刻し、その下に年月日及び人名、ときには建碑の由来などを刻む一定の形式がある。


  白山さま
 水子地蔵尊のあたりに、霊泉より流れる天然の清水を利用して戦国時代の頃から馬が水を飲むために造られた長さ三間のため池が昭和四十一年まであって、源平五色の椿との間に、水の流れに架かる太鼓橋を渡ったところに、小高い築山あり。その頂上に當山鎮守の「白山大権現」が祀られていた。
 「白山さま」と称し、江戸時代の頃から通称「歯の神様」として敬われ、多くの祈願崇敬者が訪れた。明治十九年二月、堂宇老朽化の為、宝蔵院中興第二十二世住職國田観誉代に石造りに再建された。
 「白山さま」が祀られていることは、平安期の「白山しろやま信仰」に由来するもので、宝蔵院が鎌倉時代以前に草庵されたものと推定される創建にかかる史料の一つとなっている。


  足びき地蔵尊
 馬場の貯水池脇の坂で、足を怪我するもの続発し、昭和五十年、山上の草むらの中から横たわるの仏二躰が発見され、このうち一躰には、江戸時代中期の、明和四年(一七六七)と彫られており、宝蔵院過去帳に記載されておりしご縁によって宝蔵院住職はこれを「足びき地蔵尊」と命名し、当寺に移転したもので、この地蔵尊を祈願する者より、足腰の痛みが取れしという。誠に霊験(ごりやく)あらたかな地蔵尊である。
 足腰を患う者、地蔵尊のご真言
 おん か か かび さんまえい そわか
とお唱え下さい。


  宝篋印塔
 この塔は、寶藏院の本堂並びに客殿庫裡の新築再建記念と、真言宗の宗祖弘法大師さまご誕生千二百年記念として、全国の宝篋印塔を訪ね、鎌倉時代の前期・中期・後期の中で中期のものが一番洗練されており、笠の部分が優麗で非常に美しいので、広島・尾道の浄土寺にある重要文化財を元に復元して製作されたものである。
 細かい丸みを帯びた部分は、すべて割り箸の先に砥石をくくり付けて、錬磨の特殊な技法によって、手作業で丹念に磨き上げ、精魂込めて造られたもので、これほどの完璧な作品は、現代我が国於ける石材技術の最高作である。
 塔身には密教の金剛界四佛をあらわす梵字が蓮座上の月輪内にある。笠の四隅にある隅飾の八つの面には、八方天の梵字が配されているのは八方護持の意味である。
 この塔の中には宝篋印陀羅尼の経文が銅筒の中に納められている。
  昭和四十三年(一九六八)八月吉祥日 建立


  霊泉(延命水)
 この水は、横井戸から清水が流れ出ていて一年中涸れることがうりません。仙國時代には水の手でもあり、昔から霊泉と称されて居り、延命水とも言われていますが龍王は水の神として仏法の守護神であります。日常努力されておまいりされると、必ずやお願いごとが成就されると言われます。合掌して「南無大師遍照金剛」とお唱え下さい。
  ご利益
この水を飲み、龍の頭に水をかけて祈願すれば、
   ◎健康で長寿
   ◎頭が良くなる
   ◎家運長久
この霊泉で水を汲んで、指定の場所でお金に水をかけて洗うと、
   ◎財宝が増す
   ◎商売繁盛
この水を指先に取り、病気の箇所に当てると、
   ◎霊験がある
この霊泉の水を顔につけると、
   ◎心身ともに美男美女になる。
   (美しさとは心から湧き出るものである)
この水を持ち帰って顔につれると、
   ◎火災を防ぐ
 ◎お願い事はお墓にお供えするものですから奇麗に使いましょう。
     愛宕山 寶藏院


【参考】
 スダジイ Castanopsis sieboldii
 ケヤキ Zelkova serrata
 ヤマザクラ Cerasus jamasakura
 クスノキ Cinnamomum camphora
 イチョウ Ginkgo biloba
 ヒイラギ Osmanthus heterophyllus
 エノキ Celtis sinensis
 ヤブツバキ Camellia japonica
 アカガシ Quercus acuta
 イヌツゲ Ilex crenata
 グミ Elaeagnus sp.
 タラヨウ Ilex latifolia
 サルスベリ Lagerstroemia indica
 タブノキ Machilus thunbergii
 大阪:鶴見区寺谷てらや
 ホトケノザ Lamium amplexicaule
 ノゲシ Sonchus oleraceus
 (響橋)庚申塔:鶴見区東寺尾6丁目36
 心願地蔵:鶴見区東寺尾6丁目33
 鶴見配水池配水塔:鶴見区馬場3丁目29
 ひまわり畑:鶴見区馬場3丁目18-22
 白山神社(建功寺境内社)
 不動尊/不動尊/日龍大神(建功寺境内)
 天満宮碑(建功寺境内)
 梵鐘(徳雄山建功寺)
 蕗の薹(フキ) Petasites japonicus
 馬頭観音:鶴見区馬場1丁目3-13
 庚申堂:鶴見区馬場7丁目4
 モチツツジ Rhododendron macrosepalum
 (上の宮)八幡神社:鶴見区上の宮1丁目32-2
 伊勢社(八幡神社境内社):右
 聖徳太子廟/稲荷大明神(八幡神社境内社)
 力石(八幡神社境内)
 河津桜(かわづざくら)Cerasus x kanzakura ‘Kawazu-zakura’
 神明社:馬場6丁目17-20
 愛宕山寳藏院延命寺(鶴見区馬場4丁目7-5)
 巡拝成就供養塔/庚申供養塔(愛宕山寳藏院延命寺)
 板碑(愛宕山寳藏院延命寺)
 白山はくさんさま(愛宕山寳藏院延命寺)
 おびんずるさん(愛宕山寳藏院延命寺)
 足びき地蔵尊(愛宕山寳藏院延命寺)
 宝篋印塔(愛宕山寳藏院延命寺)
 延命水(愛宕山寳藏院延命寺)
 観音像(仙鶴山松蔭寺)
 クスノキ Cinnamomum camphora(岸谷稲荷社)
 稲荷社(岸谷1丁目19)
 フチベニベンケイ Crassula portulacea
 岸谷庚申塔(生麦山聖無動院龍泉寺)
 潮田庚申塔(聖王山文殊院大聖寺)
 三界萬霊塔(聖王山文殊院大聖寺)
 鶴見川夕照
 循環源象-鉄-NO.16CIRCULATION POINT-IRON-NO.16 藤井FUJII 浩一郎KOUICHIROU(YOKOHAMA BIENNALE ’93)
 億万年の骨の詩 寺田TERADA 武弘TAKEHIRO(YOKOHAMA BIENNALE ’93)
 何をしているの? 矢作YAHAGI 隆一RYUICHI(YOKOHAMA BIENNALE ’93)