柿展および果樹園の柿以外は別ファイルとしました。
サルスベリ Lagerstroemia indica 横浜市指定名木古木No.49201(引越山福壽院定光寺)
アキノエノコログサ Setaria faberi
ワイヤープランツ Muehlenbeckia axillaris
ナミアゲハ Papilio xuthus
セイタカアワダチソウ Solidago altissima
ユーフォルビア・ダイヤモンドフロスト Euphorbia hypericifolia ‘Diamond frost’
シンテッポウユリ Lilium X formolongi
勘九郎地蔵尊跡:南区六ツ川2丁目146
武刕相刕境道碑:百万遍念仏講中(港南区芹が谷2丁目15)
マルバルコウ Ipomoea coccinea
カナムグラ Humulus japonicus
フウセンカズラ Cardiospermum halicacabum
ハナセンナ Cassia corymbosa
マルバアサガオ Ipomoea purpurea
ムラサキルエリア Ruellia tuberosa
アスパラガス Asparagus officinalis
ジプソフィラ・ムラリス Gypsophila muralis
アキノノゲシ Lactuca indica
コシロノセンダングサ Bidens pilosa var. minor
ツバメシジミ Everes argiades
オオブタクサ Ambrosia trifida
ヒマラヤタマアジサイ Platycrater aspera subsp. aspera Villosa Group (Syn, Hydrangea villosa, Hydrangea aspera
ムサシアブミ Arisaema ringens
カリガネソウ Tripora divaricata
ヒオウギ Iris domestica
イヌタデ Persicaria longiseta
ソバ Fagopyrum esculentum
ミズヒキ Persicaria filiformis
シラヤマギク Aster scaber
マツモ Ceratophyllum demersum
ハナタデ Persicaria posumbu
マツカゼソウ Boenninghausenia albiflora var. japonica
ノガリヤス Calamagrostis brachytricha
タイワンホトトギス Tricyrtis formosana
コリウス Coleus sp.
ヨツモンカメノコハムシ Laccoptera quadrimaculata
タヌキモの一種 Utricularia sp.
ネッタイスイレンNymphaea cv.
’プラム・クレイジー’ ‘Plum Crazy’
’ドーベン’ Nymphaea X daubenyana
’アルトラ・ヴィアオレット’ ‘Ultra Violet’
’タンザナイト’ ‘Tanzamite’
’ブラックビューティー’ ‘Black Beauty’
オオタチカラクサ Dichorisandra thyrsiflora
カルダモン(
Elettaria cardamomum
サクララン ‘コンパクタ’ Hoya carnosa ‘Compacta’
オオバキリン Phodocactus grandifolius
シキザキベゴニア Begonia cacullata
Opuntia sulphurea
Opuntia monoacanrha
ハッサク ‘紅八朔’ Citrus X hassaku ‘Benihassaku’
ウンシュウミカン ‘興津早生’ Citrus unshiu ‘Okitsu Wase’
(ヴィニフェラ系)ブドウ ‘キャンベルアーリー’ Vitis cv. ‘Campbell Early’
オニグルミ Juglans ailantifolia var. sachalinensis
シオン Aster tataricus
ホップ(セイヨウカラハナソウ) Humulus lupulus
アイ Persicaria tinctoria
サトウキビ Saccharum officinarum
モロヘイヤ(シマツナソ) Corchorus olitorius
メボウキ(スイートバジル) Ocimum basilicum
エゴマ Perilla frutescens var. frutescens
キクイモ Helianthus tuberosus
ゲンノショウコ Geranium thunbergii
カワラケツメイ Chamaecrista nomame
ニオイヒバ Thuja occidentalis
勘九郎地蔵尊跡
現在ここに在るお地蔵さまの右正面には「為二世安楽也」左正面に「明和九辰十一月」(1772年11月)と彫られているのが読めます。右側側面には「くめうじ」(弘明寺)左側には「とつか」と刻まれ、ここが武蔵の国と相模の国国境(くにざかい)で、戸塚・金沢方面へ旅する人の道標(みちしるべ)となっていたのがわかります。
当時の引越村の村民有志が道標をかねた地蔵を造り、村人の二世(現在と死後)の安楽を願い、ここにまつりました。
勘九郎地蔵は椿の木があったことから「椿地蔵」とも言い伝えられ、元はここに在りましたが、享和四(1687)年に久保村(現在の港南区大久保)の自性院(じしょういん)というお寺に移されました。万治三(1660)年と書かれた古いお地蔵さんです。この辺りは、昔は自性院の寺領(所有地)でした。
平成十六年四月吉日
六ッ川大池地区青年指導員協議会 記
「お地蔵さまのいわれ」
このお地蔵様の前の道は武蔵の国と相模の国に国境の道で万治三年以前より塩を運んだ塩街道とも呼ばれた古い道でした。
注(初代時像尊の建立年号は万治三年=西暦一六六〇年)
何時の頃からか、昔、勘九郎と云う歌舞伎役者が夜ともなればさびしいこの道で身ぐるみはがされて息絶えたのを、村人があわれんで手厚く葬り、石の地蔵さまをつまり此処に立てて供養したそうです。
昔は病気や流行り病は治すことが出来ませんでした。また、こうした悪い病は殺された人々の悪霊のたたりだと信じられていました。
ただ、一生けんめい神仏にいのるしかありませんでした。村人たちは立てた勘九郎にお参りしてから、ふしぎなことに悪い病はぴたりとおさまり、村人たちは勘九郎地蔵のおかげだと大変よろこびました。
しかもそのうわさはすぐにひろまり、近くの村々はもちろんのこと、行商する人や旅人たちを守るお地蔵さんき先代の久八翁が建立して、たいせつに守り伝えて今日なりました。
これを後に続けるよう、当代の幸作氏が新しく子育て地蔵尊を開眼し勧請建立しました。
近くにこども医療センターという多くの苦しみに悩む子供を救う現在のお地蔵さんと言える病院があることにちなんで、子供を想う心から建立した次第であります。
白銀も 黄金の玉も なにせむに 子にまされる 宝しかめや (万葉集)
平成乙丑五月吉日 世話人 記
由緒書
万延三年※建立の椿地蔵は、当時の久保村七里塚の部落民がなにかの供養かまたは、さびしい尾根道の道標としてこの場所に建てたものか。以来、時代も変わり世も変わり、粗末なお姿を見て田澤園によりお堂と二代目の椿地蔵を建てたのが昭和五十年頃、さらに年月すぎてお堂建て替え話が起こり、併せてもう一体の地蔵尊として建立した子育て地蔵尊が三代目として今日に至った。椿地蔵さんは右にこども医療センター、左に老人ホームの間に立っていて心の癒しを与えているようである。
※ 万延は2年(グレゴリオ歴)3月29日に文久に改元されているので、