戸塚区の地神塔など-Part2

 横浜市の泉区、戸塚区などの旧相模国鎌倉郡エリアには、地神を祀る石塔、堅牢地神塔が数多く残されています。今日は戸塚駅を起点に石塔などを尋ねました。
【主な経路】
(戸塚駅)-吉田町-上倉田-下倉田-飯島町-金井町-深谷町-汲沢町-戸塚町-(戸塚駅)
(堅牢)地神塔マップ (作成中)  地神(地天)  三浦半島での分布(まとめ)
戸塚区-Part1(2023-01-21) 緑区、旭区、保土ケ谷区(2022-12-29) 瀬谷区、大和市(2023-01-02) 神奈川区、西区、保土ケ谷区(2023-01-09)


東峯八幡大神(吉田町1263)
 以前にも椎の古木を尋ねたことのある八幡社です。社前に集められた石碑のうち、左から2番目は、醮儀型(五角柱型)の地神塔でした。醮儀型地神塔は、横浜市内ではここの他、旭区にも残されています。
横浜市指定名木古木 No.49566 スダジイ Castanopsis sieboldii
          No.201927 ヒマラヤスギ Cedrus deodara
          No.49567 イチョウ Ginkgo biloba


五角柱地神塔:東峯八幡大神(吉田町1263)、文化十三(1816)年秋社
 春秋社稷塚、天下泰平國土安■、五穀成就百穀豊饒、農業繁盛萬民安■、稽首再拜尊祈祷■、維持文化十三年秋社
  天照大神、倉稲魂命、大己貴神、少名彦命、埴安媛命


旧本殿遺跡之碑

  八幡大神 由緒
祭神 第十五代應神天皇 例祭九月十五日
鎮座地 戸塚区吉田町字東ノ峯一、二六三番地
當地累代の名主・渡邉三左衛門の祖先が永久二年十
一月十五日(紀元一七七四、西暦一一一四)當町字中打越
に勧請したのが始めであって其の凡そ六百五十年後
の昭和二年九月六日現在地に遷座した。爾来東ノ峯
八幡と俗稱し當地一帯を八幡山と呼ぶ。明治までは
東峯山金剛寺寳藏院持 現在は神社本廳所管
本殿は安政五年四月に改築し昭和三十七年にし再建
百年記念祭を行った。拝殿は昭和四十一年四月十六
日の改築である。社前の椎の大木は源義家が東征の
折休息したとの傳承に因み「白旗の椎」と呼び
横浜市指定の名木である。
     昭和四十六年四月十六日

戸塚一里塚跡
 旧東海道の一里塚は江戸日本橋から10里で、慶長9(1604)年街道の付属施設として1里ごとに造られたが、国道拡幅により遺跡保存となった。
     戸塚観光協会


 吉田大橋

歌川広重の「東海道五十三次之内戸塚」に描かれている戸塚宿を代表する場所のひとつです。当時は長さ10軒(18.2m)、幅2間半(4.6m)の板橋でした。現在の橋は昭和61(1986)年に架け替えられたもので、両側に大名行列が持つ馬簾(ばれん)を模した街灯が建っています。


子之八幡社:上倉田町978

 堅牢地神:子之八幡社(子供の遊び場)入口、明治8年3月
 双体道祖神



 堅牢地神:子之八幡社傍らの辻、文久三癸亥(1863)九月吉日
 道祖神:嘉永六癸丑(1853)年正月日


 道祖神(明治三十一(1898)年戊戌十月):戸塚区戸塚町730


南谷戸の大わらじ(戸塚区下倉田町675-1)

 道祖神:昭和三十五(1960)年五月吉日
 馬頭観音
 堅牢地神:明治四十五(1912)年三月立之


横浜市地域有形民俗文化財
 南谷戸(みなみやと)のおおわらじ
     平成五年十一月一日 登録
     所有者 南谷戸(みなみやと) 和楽路会(わらじかい)
「南谷戸のおおわらじ」は、大正初期に土地の青年達が農業に従事する傍ら、副業に藁加工を推奨したのがきっかけとなり、南谷戸の象徴としておおわらじを製作し、松の木に吊るしたのが初めだといいます。
 昭和三十年頃には、松の木が枯れてしまったため、傍らの白檀の古木に替え、さらに、現在は鉄の枠形に編み込んで吊るしています。
 そのおおわらじの規格は、全長三・五メートル、幅一・五メートル、重量二〇〇キログラムを測ります。
 家内安全、五穀豊穣を願って作られたおおわらじも、戦時中は武運長久、戦後は交通安全を祈願するなど時代を反映しながら伝えられ、市内でも大変珍しい行事の一つです。
 なお、現在のおおわらじは、南谷戸和楽路会の手により三年毎に作り替えられ、大切に保存されています。
  平成六年三月
          横浜市教育委員会


下倉田延命地蔵尊:下倉田町615

下倉田延命地蔵菩薩について
一、地蔵のお姿
 お地蔵さんは、御存じのとおり正式には地蔵菩薩と言い、又の名を地蔵尊とも呼ばれています。
 お地蔵さんは、菩薩でありながら御体に首飾りやイヤリングなどを付けることなく、頭も丸く剃ったお坊さんの姿です。
 そして大昔は、左手に宝珠を頂き右手は下に垂れた形でしたが、藤原時代の終わり頃から右手に錫杖を握る像も作られるようになり、二本立てとなりました。特に、右手に錫杖を握る像は鎌倉時代から非常に多く作られました。
 ここに居られるお地蔵さんも錫杖を握るお姿で、造立は江戸時代、正徳三年(今から約二八〇年前)です。ここ、旧鎌倉みちの辻に立たれ、通行する人々はこのお地蔵さんに親しみを持ち、拝んで行かれたことでしょう。
ニ、地蔵という名の起こりと心
 地蔵という名の起こりは、「地」は万物を生じせしめるものであり、種を蒔けば成長して葉、花、実を作り出すように、地は偉大な功力を「蔵」している。これと同じく、この地蔵菩薩は全ての衆生を救えみとを大地のようであることから「地蔵」と言う名が起こったと、仏典に記されています。
 そして、地獄、餓鬼、畜生、修羅、人、天の六道(りくどう)に姿を現し、永久に苦しむこれら六道の衆生を救おうと言う願いを発せられました。私達人間とすれば、色々の煩悩、悪が常に生ずるが、その時にお地蔵さんの名を呼び一心に拝めば、それらの苦から解脱する事ができるといいます。
 お地蔵さんは観音様と同様、現世利益を説いておられますが、さらに過去に亡くなった人々の罪悪を救う菩薩として信仰されるようになりました。今はなき愛児の未来を救ってもらえる仏として、母親から無限の信仰を得たものもそのためであります。
 一心に拝めば何でも叶えて下さる仏、長寿、延命、子供の幸せ、あの世に行ったものまで救って下さいます。  南無地蔵菩薩
地蔵菩薩の御真言「をん かかかび さんまえい そわか」
                            合掌
          平成四年五月 吉原 勉 記
注:地蔵の真言
オン(Om)カカカ(ha ha ha)ビサンマエイ(vismaye)ソワカ(svāhā)
「ha = ह」は地蔵菩薩(クシティガルバ)の種子(しゅじ)、「vismaye」はヒンディー語で驚愕の意、「Om」と「svāhā」は真言であることを示すタグなので、「驚くべき地蔵よ」の様な意味であるらしい。とすれば、真言に続けて願い、誓いなどを念じない限り、御利益ななさそうである。


堅牢地神:明治八乙亥(1875)歳第九月望日(下倉田町520)


歳来寺(閻魔堂):栄区飯島町1656-1

  歳来寺(閻魔堂)由緒
創建は延宝3年1675年4月25日僧最岸により開基した。


堅牢地神:明治六癸酉仲秋建立(三嶋神社:飯島町2146)

  宗教法人 三嶋神社
鎮座地 横浜市戸塚区飯島町宮前二一四六
御祭神 大山祇命 天照大神 大國主命
例祭日 九月十五日
当社は、元和元年十二月十二日創建と稱せられ飯島村の鎮守として崇敬されて来た。
  明治四十一年七月十四日附神奈川県指令㐧二一三〇号を以て許可を得無格社神明社及び同子之神社の両者を合併せり。
社格の沿革 明治六年十二月村社に列せられ大正十五年九月十四日神奈川県告示㐧三八三号を以て神饌幣帛料共進神社に指定せらる。
社殿工作物 拝殿幣殿大正元年建造昭和四十年
鐘楼 明和七年鋳造であったが大東亜戦争の爲徴発を受け昭和十九年供出す。
石灯籠 元治初午建造大正十二年関東大地震には一基は倒壊し傘及び火袋は大損す昭和二年修理復元す。
鳥居 大正七年建造昭和二十五年修理し昭和五十三年同形で鉄材により改造し現在に至る。
幟枠幟竿 昭和十二年新調す。
太鼓橋 参道右左水田の埋め立てが進み昭和四十四年盛土工事の際撤去す。
樹木明治十二年記録に社地中冠松一本有蓋し四百年餘のものなりと有りこの松も台風で倒れ害虫の被害を受け昭和四十六年には姿を消した。
銀杏 大正四年昭和四年境内に植える(御大典記念)
 昭和五十六年九月吉日  氏子中


 三嶋神社弁財天由来記
弁財天はもとはインドの女神の名で音楽弁舌稽古知恵などを与えるとされる。わが国では琵琶を弾ずる財福の天女とされる。七福神の一神である。なお七福神は福徳の神として信仰される七神を言い、大黒天・恵比須・毘沙門天・弁財天・福禄寿・寿老人・布袋の七神である。
  平成五年九月吉日


長谷久保地蔵尊:飯島町564

道祖神(神像):宝暦五乙亥(1755)正月十四日(栄区飯島町564)
 道祖神碑としては珍しい神像碑です。しかもこの碑は神奈川県による昭和時代の報告書には記載されておらず、年号が正しければ多数の道祖神碑が確認されている旧戸塚区で最も古い道祖神碑です。


道祖神:昭和十六(1941)年一月十四日健之(金井町1622-1)


(金井)八幡神社:金井町1431

 堅牢地神碑:八幡神社(金井町1431)、明治十一年寅(1878)四月吉日


 庚申塔:寶暦九己卯(1759)十一月十四日(金井町1648)


西国秩父坂東百番供養塔:天明ニ壬寅(1782)歳(深谷245)


(深谷)三嶋神社:戸塚区深谷町1026

 地神塔:三嶋神社、文久元酉(1861)年十一月吉日
 (左)富士仙元大菩薩碑
 (右)石尊/御岳大権現、大天狗、子天狗碑
 横浜市指定名木古木
  ヒノキ No.49540
  モミ No.49539
  スダジイ No.50152


 惟我童子/顕夢童子碑:汲沢町348-4

この供養塔は、深谷町565番地に住む山田実さんの墓地にあったものを移したもので、まさかりが淵の民話に登場する主人公「彦八」の供養塔ではないかと語り伝えられてきたものです。


横浜市指定名木古木

No.56021 ケヤキ:汲沢町251
No.48218 イチョウ:宝寿院(汲沢4丁目32-6)
No.48219 シダレザクラ:宝寿院(汲沢4丁目32-6)


五霊神社(汲沢町1273)

 堅牢地神碑(左):明治八■■歳八月吉辰建之
 堅牢地神碑(右):慶応ニ丙年寅八月吉辰
 横浜市指定名木古木 No.54034 モミノキ


双体道祖神:戸塚町4855

 庚申塔の後ろにある社に道祖神が祀られていました。向かって右は双体神像、左側は石祠ですが、道祖神であるかは定かではありません。ここも昭和時代の調査では記録されていません。


庚申塔、地蔵尊:戸塚町4811-1

 左から、道祖神、庚申塔、地蔵尊だったようですが、道祖神は木簡だけを残して消失していました。


 柏尾川の河畔では、モモイロヒルザキツキミソウとその基本変種であるヒルザキツキミソウとが混在していました。

【参考】
 ブタナ Hypochaeris radicata
 ヒルザキツキミソウ Oenothera speciosa var. speciosa
 モモイロヒルザキツキミソウ Oenothera speciosa var. childsii
 ヒメジョオン Erigeron annuus
 ヤセウツボ Orobanche minor
 ヘラオオバコ Plantago lanceolata
 ムラサキツメクサ Trifolium pratense
 ニワゼキショウ Sisyrinchium rosulatum
 ヒメウツギ Deutzia gracilis
 アカシデ Carpinus laxiflora
 ヤグルマギク Centaurea cyanus
 ヘメロカリス Hemerocallis sp.
 キンセンカ Calendula officinalis
 ウスベニアオイ Malva sylvestris
 ヒノキ Chamaecyparis obtusa
 モミノキ Abies firma
 スダジイ Castanopsis sieboldii
 ケヤキ Zelkova serrata
 イチョウ Ginkgo biloba
 枝垂桜(しだれざくら)Cerasus spachiana

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