戸塚区の地神塔など

 戸塚区は横浜市の中でも地神塔の沢山残されている地域です。この地区では双体道祖神も分布しており、名瀬町の経王山妙法寺前には、双体道祖神と賢牢地神供養塔が隣り合って祀られていました。
【主な経路】(下永谷駅)-日限地蔵尊-舞岡八幡宮-街山八幡社-上矢部-経王山妙法寺-(東戸塚)
 三浦半島の道祖神と地神 (堅牢)地神塔マップ (作成中) 地神(地天)
緑区、旭区、保土ケ谷区(2022-12-29) 瀬谷区、大和市(2023-01-02) 神奈川区、西区、保土ケ谷区(2023-01-09) 逗子市(2023-01-15)


日限地蔵尊:八木山福徳院(港南区日限山1丁目67-30)


道祖神(?):港南区日限山1丁目67-8


道祖神(天保十二丑(1841)年正月吉日)、庚申塔:戸塚区舞岡町3113


堅牢地神(明治十一戊寅(1878)九月吉祥日)、庚申塔:戸塚区舞岡町2613


庚申塔:舞岡町1417


庚申塔:舞岡町1221


双体道祖神:舞岡町970


庚申塔・出羽三山供養塔:舞岡町


堅牢地神(元治第二星宿乙丑(1865)三月造建):舞岡八幡宮(舞岡町946)
蔵王社、山王社、白山社、第六天社(舞岡八幡宮境内)


双体道祖神:天龍山圓福寺(舞岡町336)


しゃもじ神社:戸塚区上矢部町2701


街山八幡社(つじやまはちまんしゃ):矢部町1003
石塔群:街山八幡社
堅牢地祇(嘉永二己酉(1849)年二月):街山八幡社境内
堅牢地祇:街山八幡社境内
本覚院不動尊:街山八幡社境内


道祖神:戸塚区上矢部町2342
石塔群:戸塚区上矢部町2342
篠塚農道寛政記念碑:戸塚区上矢部町2342


松尾神社:戸塚区上矢部町421
 地神社(左)、疫神社(中)、疱瘡神(右):松尾神社内相殿
 蚕霊神碑:松尾神社境内
 横浜市指定名木古木:松尾神社(戸塚区上矢部町421)
  イチョウ Ginkgo biloba No.202018, No.202019, No.202020
  ケヤキ Zelkova serrata No.202021


経王山妙法寺:戸塚区名瀬町772-4
双体道祖神と堅牢地神塔:経王山妙法寺


  道祖神(どうそじん)堅牢地神(けんろうちじん)
 このたび、東戸塚名瀬下土地区画整理事業にともない名瀬町旧一〇八三番地から当時境内へ遷祀いたしました。
 道祖神(左)は、村の境や道の辻に坐して悪霊の入るのを威力をもって防ぎ、病苦や不幸に悩む人びとを守ってくれる神様です。
 堅牢地神(右)は、仏様の教えが弘められるところにおられ、信仰する人、正しい行いをすすめる人を守り、よこしまを戒める大地の神様です。
 これらの神様は、私たちの祖先のときからこの土地に奉祀され尊崇をあつめて、地域の安泰と、掌を合わす浄心の人びとを守護してきたのです。
 願くば、この町と、ここに住む人びとの上に冥加あらせたまえ
南無妙法蓮華経
     昭和五十七年六月吉日
          妙法寺四十六世兼是日諦 識す


「ひまわり」
 港南区の花「ひまわり」をテーマとしました。「ひまわり」は港南区制10周年の昭和54年に区民によって区の花として選ばれました。
 真夏の太陽に向かってたくましく伸びる「ひまわり」のように明るいまちと人と人とのあたたかい交流を表現しています。


日限地蔵尊由来
慶應元年七月二十四日當時鎌倉郡永谷字八木現横濱市南區下永谷町ノ丘陵ニ建立サレン日本三體ノ一日限地蔵ノ御尊像ハ現戸主房太郎ノ祖父飯島勘次郎翁ノ創建ニ係ル由緒深キ地蔵尊デアル
勘次郎翁ハ至極健康ニシテ農ニ生計ヲ樹テシモ晩年ニ至リ持病ノシャクガ起リ病床ニ呻吟スル事数年ニ及ベリ或年伊豆三島長岡寺隠ニ荘誉ニ人代別當棲心庵ノ和尚ガ勘次郎宅ニ杖ヲ引キ伊豆三島ニ祠ラル日限地蔵尊ヲ信
仰セヨ然ラパ病魔立處ニ退散シ難疾モ快癒セシト巖カナル御告ゲガアリタリ日頃信仰深キ翁ハ直チニ清紙ニ日限地蔵尊トシタヽメ三島ノ方向ニ安置シ日夜禊斉ノ信仰ニ心魂ヲ打込ミシガコノ甲斐アルニ不思議ヤ霊現モアラタカニ硫石難澁ヲ極メシ病モ薄紙ヲ剥グカノ様ニ快方ニ向ヒ忽チニシテ全快セリコレコソ御佛ノ篤キ加護ト翁ハ感泣スルトコロヲ知ラズ事後病ニ悩ム人々ヲ救済セント發心シ旅装モモドカシク永谷ノ地ヲ出立戸塚宿ヲ經テ老杉古松ニ假寝ノ夢ヲ結ビケリ東海道ヲ西ニ下リ名所古蹟ニ或ハ天下ノ岒トシテ名髙キ翠巒渓谷ノ難所箱根八里モ一気ニ越ヘ数日ニシテ三島ノ宿ニ到着斉民ノ志ヲ延ベ御地蔵尊分與方ヲ懇願遂ニ御分霊十體ヲ押戴キ翁ハ再ビ陸路デ御尊像ハ伊豆三島船ニ途中恙ガナク相模灘ヲ乗切リ歌ニ名髙キ屏風ヶ浦ノ森町ニ御寄着更ニ馬ニテ日野路ヲ越ヘ八木ノ地ニ御迎ヘ申セシモノナリ當地境ヒハ遠く富嶽ノ悠久ナルヲ眺メ杉松森々トシテ四囲ヲカコミ梅櫻楓樹頗ル多ク風色四時ニ愛デタリ佛護ニ接セントスル老若男女マタクヒスヲ接シテ参詣絶エル事ナク商家軒ヲツラネテ客ヲ呼ビ大イニ殷賑ヲ極メリ
翁ハ村内カラ五人ノ世話人飯島興石衛門飯島鹿造西木嘉平並木鉄五郎秋元文左右衛門ヲ選ビ堂宇ノ建立ヲ図ルト共ニ自ラ堂主トナリテ御守リニ當タレリ
其後一時荒廢ニ期センガ現戸主房太郎翁ガ夢枕ノ御告ゲニテ夫妻共ニ協力再ビ復活ヲ図リ堂宇ヲ修復シ日本三體ノ一トシテ名聲ヲ傳スルエ至レリ房太郎翁ハ齢旣ニ八十ヲ越ヘシモイマナホ健全ニシテ壮者ヲシノギ日夜信仰ニ余リ全霊ヲ捧ゲ苦界ニ難澁スル人々ノ爲或ヒハ護國ノ英霊ノ冥福ヲ祈リツヾケ精進ヲシツヽアリマタ諸国カラ効験アラタカナ護符ヲ受ケントス善男善女数知レズカクテ霊験ノ加護ハイマヤ全國ニ及ベリ


江戸方見付跡
 江戸時代に、戸塚の宿で町並みを形成し、二十町十九間を宿内とし、その両端に道を挟んで見付を築き、これを宿場の入口の標識とした。貴賓の送迎はこれから行はれ、大名行列もこれより隊伍を整えたものである。


旧東海道
 見付とは、宿場の出入り口のことです。ここは戸塚宿の江戸側の出入り口です。旧東海道の宿場に設けられた見付は、宿場を見渡しやすいような施設となっていることが多いようでする参勤交代の大名らを、宿役人がここで出迎えました。


篠塚農道寛政記念碑:戸塚区上矢部町2342
爾来此ノ地面積約三十丁歩ニシテ古ユリ此レニ居ヲ構エシ土
着ノ人者数ウルニ足ル村落ナルニ時・推移今日ニ及ビテ村道ノ紆余
曲折狭隘ナルハ人車ノ交通困難ノミナラズ大都市近郊地域トシテ発
展著シク阻害サル地元有志次代ヲ先見道路現況ヲ憂ウ地元民此処ニ
起チテ農道ノ拡巾整備ヲ決シ未來ヲ画ス此処ニ横浜市ノ指導助成ヲ
得全長千三百米巾員四・五乃至八米ノ道路ハ昭和参拾七年以來五年
ノ才月ヲ要シ昭和四拾弐年完工ス此ノ間関係官民ノ物心両面ニ亘ル
援助功績ニ敬意ヲ表シ此レガ将來利用者及ビ土地発展ニ便セバ計画
者ノ趣意ヲ得ン
              昭和四拾弐年十月
           上矢部町農道事業施工組合建之


日蓮宗宗門史跡
  名瀬妙法寺由来
当山は、「名瀬妙法寺」と通称し。開山は弁阿闍梨日昭上人、開基檀家は。風間信濃守信昭公です。
日昭上人は宋祖日蓮上人の最初の弟子としてつとに知られています。師、日蓮上人が、法華経弘道のため数々の法難に遭う中で、蔭で支え後顧の憂いなくつとめられました。そして、日蓮上人御入滅後四十余年長生きされ、教団を見守り続けた功績は、今日の日蓮宗信仰の礎となっています。元享三年(西暦一三二三)百三歳で亡くなられました。徳治元年(西暦一三〇六)日蓮上人御入滅後二十五年、かねて帰依していた日昭上人を請じ、信昭公屋敷地に一宇を建立したのが妙法寺の始まりです。
 信昭公は、越後国(新潟県)の有力な豪族で鎌倉勤番の折、鎌倉街道『中の道』が通じた名瀬に屋敷を構え幕府に出仕していたのです。信昭公の屋敷跡は『殿畑』とよび伝え、寺より南方五十メートル先の道路沿いに碑が建っております。信昭公は、日昭上人の遺命により領国へも教えを広め、後に日昭門流として大きく発展してゆきました。
右のように由緒により、平成九年十月、日蓮宗宗門史跡に指定されました。
寺宝
一、宗祖日蓮上人像(室町時代造・横浜市指定文化財)
一、板曼荼羅ご本尊(宗祖開山上人授与伝法本尊謹刻)



【参考】
 ひまわり:下永谷駅構内
 ニホンスイセン Narcissus tazetta
 ひまわり薬局:戸塚区吉田町894-1
 江戸方見付跡碑
 新製作家協会々員 髙𣘺 米
 第8回日展出品菊華賞 道
 しゃもじ神社:戸塚区上矢部町2701
 ロウバイ Chimonanthus praecox
 寒咲花菜(かんざきはなな) Brassica sp.
 エリカ・ウィンターファイアー Erica oatesii cv. Winter Fire
 マンリョウ Ardisia crenata
 ウメ Armenica mume
 紙垂(不明の神):戸塚区上矢部町2168
 松尾神社(戸塚区上矢部町421)
 横浜市指定名木古木:松尾神社(戸塚区上矢部町421)
  イチョウ Ginkgo biloba No.202018, No.202019, No.202020
  ケヤキ Zelkova serrata No.202021
 地神社(左)、疫神社(中)、疱瘡神(右):松尾神社内相殿
 蚕霊神碑:松尾神社境内

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