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保土ケ谷区、南区の坂道を巡って

 本日はハロウィーン。でもそれとは全く関係なく、先週に続いて坂道巡りです。少し早く戻れたので、久しぶりに鷹取山を廻って帰りました。ハイキングコースではシロヨメナが花盛り、ヤクシソウも咲き始めていました。
 坂道  石塔


横浜市地域有形民俗文化財
 北向地蔵きたむきじぞう
       平成元年十二月二十五日登録
   所在地 保土ヶ谷区岩井町四〇五番地
   時代  享保二年(一七一七)
   寸法  地蔵坐像 総高七十三センチ
       蓮華座  総高三十一センチ
            径 九十四センチ
            厚 五十二センチ
       角柱   総高一五〇センチ
            幅 五五.五センチ
 北向地蔵は、僧三譽伝入さんよでんにゅうが享保二年(一七一七)に、天下泰平・国土安全を祈念するとともに旅人の道中安全を祈願して建立したものです。この場所は東海道の保土ヶ谷宿の通称金沢横町から分岐した金沢・浦賀往還への途中に所在するため、角柱には「是より左の方かなさわ道」「是より右の方くめう寺道」と刻まれ、金澤方面と弘明寺方面への道案内も兼ねています。
 平成六年十一月  横浜市教育委員会


  御所台の井戸(政子の井戸)
 この道は、旧金沢道(金沢・浦賀往還)、俗称金沢横町と呼ばれる道で古くより鎌倉へ到る道として知られていました。この坂は、石難坂いわなざか(石名坂)といい、坂の上の辻に北向地蔵があります。
 鎌倉時代、源頼朝の妻政子がここを通りかかった時、この井戸の水を汲んで化粧に使用したと伝えられ、「御所台の井戸」と呼ばれています。
 また、保土ケ谷の宿の苅部本陣(保土ケ谷谷町一丁目68番地)に江戸時代、将軍が休息した時、御前水としてこの井戸の水を使用したと伝えられています。
     ㈳横浜国際観光協会
     横浜市教育委員会文化財課
            平成4年3月


天神阪碑
          吉田愛吾棲 篆額
          大森 寒泉 撰書
萬治弐年初代吉田勘兵衛諱良信再請幕府得許
可開拓武陽久良岐郡吉田新田也掘鑿太田村字
天神山及石川中村字大丸山等以填鐘形灣寛文
七年遂成爾来時世一變安政六年横濱為貿易港
也新田亦化為市明治廿一年九代勘兵衛諱良貞
開墾南太田町字東耕地内?有地即是天神山圡
採場之址也茲新開阪道以便交通然無阪名十代
良循命曰天神阪立碑標之後偶値大震災碑倒壊
因更建碑勒其梗槩如此
昭和九年九月廿五日 吉田勘兵衛良循 建立


水道道と尻こすり坂
 野毛山配水池から、真っ直ぐ北西の相模原方面へ伸びる道があります。国道や小路、高速道路や高密度の住宅地の中も一直線に貫き、約43kmにわたり続くこの道が「水道道(すいどうみち)」です。地中には水道管が埋設されているため、その上に建築や建造物を建てられず、線的な空間「道」とて存在しています。
 イギリス陸軍技師パーマーの指揮の元、明治20(1887)年に相模川から約43kmの日本初の近代水道が建設されました。建設にあたり、配水池のある野毛山から物資を運ぶために軌道が敷設されました。水道道は、軌道の跡とも重なります。現在は、西谷浄水場からの上水がこの道の下を通って野毛山配水池に送られています。
 また、横浜市内には、「水道道(すいどうみち)」と呼ばれている道が合計で3本あります。そのうちの一つ、西区を通る水道道の藤棚から野毛山までの区間は、上り下りを繰り返すらくだのこぶのようでもあることから、「らくだ坂」とも呼ばれていました。野毛山に近いこのあたりの坂は、あまりの急な勾配に荷車を引く人達がお尻で車を押さえながら下っていたことからいつしか「尻こすり坂」と呼ばれるようになったそうです。尻こすり坂の階段を併設している区間の最大勾配は13°あまりです。(参考地:紅葉坂の斜度6°)
Suidomichi and Shirikosurizaka
 There is a path that stretches directly northwest towards the Sagamihara area from the Nogeyama Reservoir. This path called Suidomichi (waterworks way) continues for approxymately 43 km in a straight line, cutting through national routes, alleys, highways, and high density residential areas. Buildings and other structures cannot be constracted on top of it as water pipes have been laid underground and it continues to exist as a linear space, a “path.”
 Under the supervision on British army engineer Palmer, Japan’s firdt modern waterworks system streatching approximately 43 km was constracted in 1887 (Meiji 20) and draws water from the Sagami River. Upon the construction of the waterworks system, a trackway was also constructed to transport commodities from Nogeyama where the reservior was lacated. Suidomichi also overlaps with the former site of this trackway. Currently, clean water from the Nishiyama Purification Plant is sent to the Nogeyama Reservior ubder this path.
 there are total of three paths called Suidomichi within Yokohama. A section of one of these which passes through Nishi Ward between Fujidana and Nogeyama is known as Rakudazaka (Camel Slope), as the path resembles camel humps. Because people who carried carts used to support their carts with their behinds when descending this steep slope near Nogeyama, people started calling it Shirikosurizaka (Bottom-Scraping slope) as the years went by. The maximum angle of elevation of Shirikisurizaka where the stairway is constructed is 13°. (For refernce, the angle of elevation of Momijizake id 6°)



【参考】
 野毛山動物園
 岩井坂いわいざか
 北向地蔵尊:保土ケ谷区岩井町406-2
 石難坂いわなざか(石名坂)
 清水坂しみずざか
 庚坂かのえざか
 久保山坂くぼやまざか
 霞坂かすみざか
 植勘坂うえかんざか
 丘友坂きゅうゆうざか
 石坂いしざか
 西坂にしざか
 東坂ひがしざか
 しおくみ坂
 新坂しんざか
 旧坂きゅうざか
 半僧房坂はんそうぼうざか
 急坂きゅうざか
 天神阪てんじんざか
 富嶽
 尻こすり阪しりこすりざか
 羽根沢稲荷
 ゲジ Thereuonema tuberculata
 常盤山査子(ピラカンサ) Pyracantha spp.
 ツワブキ Farfugium japonicum
 シロヨメナ Aster ageratoides
 ウバユリ Cardiocrinum cordatum
 アキノキリンソウ Solidago virgaurea var. asiatica
 弥勒菩薩像
 ケイワタバコ Conandron ramondioides var. pilosus
 トネアザミ Cirsium incomptum
 コウヤボウキ Pertya scandens
 ヤクシソウ Youngia denticulata
 サラシナショウマ Cimicifuga simplex
 満月(17:47撮影)

戸塚区、保土ケ谷、西区、神奈川区の坂道を巡る

 今日は、昨日の続きで、弘明寺駅を起点に坂道を辿りながら横浜駅まで歩いてみました。気づくと、以前に辿ったのとは逆方向の旧東海道沿いの道のりでした。
  三浦半島の坂道 石塔 神社



 品濃坂は、朝早く江戸を発ち、日暮れまでに戸塚宿へ向かう旅人には宿場町までもう一歩の所です。一方、江戸方面へ向かう人にとっては最後の急な登り坂で、この難所を超えれば境木の立場まであと一息でした。海も見えてきて、江戸への想いを馳せていたかもしれません。


  福壽観音縁起
願主福原政二郎氏は当東戸塚地区を開発し併せて新駅を誘致以って当地方の発展と住民の福利に寄与せんと発願昭和三十八年以来実に十有五年の長期に亘言語に絶する有ゆる苦難を乘りこゑ終に現在の様相を見るに至りたるもので之偏に氏の強く正しき信念と弛まざる精進並に誠意の至らしむるところ也氏は夙に敬佛崇祖の念篤く特に観音菩薩を信仰依って以って過去に於ける幾多の困難を克服し得たるのも又生死の境を彷いながらも不思議に生き抜いてこらりた事も新駅設置や開発の一大事業を成し得られたのも之みな観音様の御加護に依るものと深く感謝茲に報恩謝徳の念を以って一宇を建立本尊菩薩を奉安福壽観音と名銘申し永遠に此の地の守護と民福の加護とを願うもの也と願くば念彼観音の妙智力に依り火盗災難永く消除し方民愈々福壽を増長して諸縁吉祥ならん事を
          合掌


  東戸塚駅沿革概略記
東戸塚駅は遠く大正の初めに遡り爾後幾度か設置の機運を生じたるも、関東大震災並に戦争等の爲中断しおりたるところ昭和三十八年嘗て内務省官吏の経歴を持つ辨護士で新一開発株式会社社長の福原政二郎氏が土地区画整理事業に依る開発を計画、同時に新駅設置運動を再燃せしめたるもので、当時何でも反対と言う非常に困難な時代の風潮を乗り越して昭和四十年頃より周辺地区各所に祖の無開発の機運を醸成し前田、秋葉、名瀬下。長作、信濃中央及び西の各地区を夫々区画整理事業の方式に基づく開発を爲し昭和五十二年九月漸くにして國鉄当局より東戸塚駅設置の旨が発表されるに至ったものの、偶当駅は請願駅なるが故を以て駅前広場用地並に駅舎総工費は全額地元負担と言うひとであった爲。東西の駅前広場用地及び鉄道敷地として壱萬三千貮百四拾平方米を無償提供すると共に其の工費訳参拾億圓の内、県市負担の五億圓を除く貮拾五億圓を右福原政二郎氏が負担。実に当駅は将に同氏個人で造り成したるものと稱しても過言ではなく、其の功誠に顕著にして其の徳は讃えて餘り有り、茲に沿革槪略を記し永く後世に之を伝え以て市民の道標と爲さんとするもの也
又眼下に望む壱千九百八拾年代にふさわしい近代的な駅と、是を中心に東西を結ぶ自由通路を基盤とした都市構造は、巧に其の地形を生かした全國でも稀に見る貮拾壱世紀を魁する街造りであり之偏に福原政二郎氏の大胆にして且つ明晰な頭脳と類稀なる実行力とによって初めて成し得たるものと言うべきである。
          合掌


●旧東海道・焼餅坂
 旧東海道を戸塚方面に下るこの坂は「焼餅坂(別名:牡丹餅坂ぼたもちざか)」と呼ばれています。武蔵国と相模国の国境にあたる権太坂と焼餅坂は、昔の旅人にとって日本橋を出発してから最初の難所でした。このあたりには、一服する旅人を目当てにした茶屋が並んでおり、坂の傍らで焼餅を売っていた事がこの坂の名の由来になったと言われています。


 焼餅坂は当時の品濃村と平戸村の境にあり、一町半(約百六十m)の坂道でした。坂の傍らの茶店で、焼餅を商っていたので焼餅坂と名付けられたといいます。別名牡丹餅坂ぼたもちざかとも呼ばれています。戸塚を描いた浮世絵には山坂や焼餅の絵がしばしば登場します。


保土ヶ谷観光名所 境木地蔵由来
 ここ境木は武蔵相模の国境で江戸時代にはそのしるしが建てられていて境木の地名はそれからおきたといわれています。
 また境木は東海道中の難所であった権太坂を登りきった所にあり名産の牡丹餅を食べながら旅の疲れを休めることができて大変賑ったとも伝えられています。
 境木の名を有名にしたものは地蔵で江戸の人達にも崇敬され今でも境内に寄附された燈籠が残っています。
 なおこの地蔵には次のような珍しい伝承があります。即ちいつの頃か相模国鎌倉腰越の海辺に漂着した地蔵が土地の漁師の夢枕にたち「俺は江戸の方へ行きたい運んでくれたらこの海を守ろう」と告たので漁師達が江戸へ運ぶ途中此の境木で動かなくなった為村人達は地蔵を引き取りお堂を建てて安置したところそれから村が繁昌したということです。
 地蔵堂の鐘は明治になって野毛山の時の鐘に使用され横浜市民に大正の大震災まで親しまれました。
 平成元年十月四日
  岩間町 見光寺


横浜市地域史跡 権太坂 平成十五年十一月四日 登録
  この辺りは、権太坂と呼ばれる東海道を江戸から西へ向かう旅人がはじめて経験するきつい登り坂でした。
 日本橋から四番目の宿場であった保土ケ谷宿まではほぼ江戸内湾沿いの平坦地でしたが、宿の西にある元町橋を渡ったあたりより、長く続く険しい登り坂となります。
 『新編武蔵風土記稿』に、名前の由来は、道ばたの老齢の農民に旅人が坂の名を聞いたところ、耳の遠いこの老人は自分の名前を聞かれたと思い、「権太」と答えたため、とあります。また、坂の上から目の下に見える神奈川の海は大変美しかった、とあります。
 旅人にとっては印象深い場所になり、浮世絵などにも描かれる保土ケ谷宿の名所ともなりました。
 平成十六年三月  横浜市教育委員会


  ビール坂
 神戸町には、明治・大正時代から昭和にかけて、この辺りに湧き出る清水を利用してビールを製造する会社や後に日本最大となる製瓶工場がありました。それが坂の名前の由来といわれています。


【参考】
 品濃坂
 ヒャクニチソウ Zinnia elegans
 福寿観音:戸塚区品濃町554-1
 谷宿坂
 庚申塔:戸塚区平戸4丁目16
 焼餅坂
 東海道五拾三驛-戸塚焼餅坂
 境木の大欅 ケヤキ Zelkova serrata
 シュウメイギク Anemone hupehensis
 ホトトギス Tricyrtis hirta
 境木地蔵尊:保土ケ谷区境木本町2
 江戸名所図会-境木
 権太坂
 輪王坐像(如意輪観音?):保土ケ谷区権太坂1丁目3-9
 タブノキ Machilus thunbergii (保土ケ谷公園)
 銀杏坂
 道祖神(?)(光榮山法性寺)
 イチョウ Ginkgo biloba (光榮山法性寺)
 ビール坂
 神戸坂
 神中坂
 くらやみ坂
 台の坂
 山谷天神
 天神像(山谷天神)
 山谷沢稲荷(山谷天神境内社)

秋の日に港南区、南区を…

 久しぶりに晴天に恵まれた土曜日となった本日、港南区を歩いてみました。こども植物園では柿がいい色合いになっていました。




【参考】
 マルカメムシ Coptosoma punctissimum
 ひまわり市場
 上大岡燦々横丁
 camio
 アレチウリ Sicyos angulatus
 戦没者慰霊堂
 庚申塔(大久保山自性院地蔵寺)
 勘九郎地蔵尊(大久保山自性院地蔵寺)
 地蔵尊(港南区港南1丁目2-1)
 タブノキ No.49063 (南光山福聚院慈眼寺) Machilus thunbergii
 室の木坂
 サザンカ Camellia sasanqua
 ニワナズナ Lobularia maritima
 ヤノネボンテンカ Pavonia hastata
 ひだまり(港南区保育所子育て応援キャラクター)
 コウヤマキ Sciadopitys verticillata
 スイフヨウ Hibiscus mutabilis cv. Versicolor
 餅井坂
 クロガネモチ Ilex rotunda
 日本イエスキリスト教団横浜栄光教会
 岡村富士見坂
 道祖神(岡村富士見坂)
 ノブドウ Ampelopsis glandulosa var. heterophylla
 ヤブミョウガ Pollia japonica
 スズメウリ Zehneria japonica
 ジョロウグモ Nephila clavata
 トネアザミ Cirsium incomptum
 セイタカアワダチソウ Solidago altissima
 ウシハコベ Stellaria aquatica
 ヒメジョオン Erigeron annuus
 カミヤツデ(ツウダツボク) Tetrapanax papyrifer
 天神坂
 内手坂
 アブチロン ‘チロリアンランプ’ Abutilon megapotamicum
 弘明寺坂
 引越坂
 大丸式縄文土器乃碑
 大丸式縄坂
 ブティックSalsa

 浙江柿セッコウガキ Diospyros glaucifolia
 豆柿 Diospyros lotus
 常盤柿トキワガキ Diospyros morrisiana
 老爺柿ロウヤガキ(衝羽根柿) Diospyros rhombifolia
 カキノキ Diospyros kaki
  黒柿
  禅寺丸
  黒熊
  天竜坊
  甘百目 ‘Amahyakume’
  三国一 ‘Sangokuichi
  清姫 ‘Kiyohime’
  三郎座 ‘Saburouza’
  興津系次郎 ‘Okitsukei-Jirou’
  平核無ひらたねなし ‘Hiratanenishi’
  西条 ‘Saijou’
  御代柿 ‘Midaigaki’
  寺社
  衣文
  大磨盤ターモーパン ‘Damopan’
  水島御所
  富有 ‘Fuyu’
  清白寺 ‘Seihakuji’
  四ッ溝 ‘Yotsumizo’
  久保 ‘Kubo’
  烏須美 ‘Karasumi’
  三ヶ谷御所 ‘Mikatanigosho’
  二・アイキュウ・12 ‘II-IQ-12’
  大和 ‘Yamato’
  衣紋 ‘Emon’
  真光寺だらり ‘Shinkouji-darari’
  帝 ‘Mikado’
  次郎 ‘Jirou’
  絵御所 ‘Egosho’
  蓆田御所 ‘Mushirodagosho’
  名瀬柿 ‘Nasegaki’
  天神御所 ‘Tenjingosho’
  裂御所 ‘Hazegosho’
  水島 ‘Mizushima’
  興津系富有 ‘Okitsukei-fuyu’
  祇園坊 ‘Gionbo’
  新平 ‘Shinpei’
  川端 ‘Kawabata’
  田倉 ‘Takura’
  富士 ‘Fuji’
  アオサ ‘Aosa’
  豊岡 ‘Toyoka’
  一木系早生次郎 ‘Ichijei-Wase-Jirou’
  大御所 ‘Ogosho’
  幸田御所 ‘Kodagosho’
  台湾正柿 ‘Taiwanshoshi’
  正月 ‘Shogatsu’
  鶴の子 ‘Tsurunoko’

大船フラワーセンターのハロウィーン

今日は、二人で大船へ出かけました。


【参考】
 大船フラワーセンター
 チョウマメ Clitoria ternatea
 タイワンツバキ Gordonia axillaris
 玉縄桜たまなわざくら(原木)
 ミヤギノハギ Lespedeza thunbergii subs. thunbergii f. thunbergii
 アケボノショウキラン Lycoris rubroaurantiaca
 オオグルマ Inula helenium
 セイヨウカボチャ Cucurbita maxima ‘アトランティック・ジャイアント’
 マルバデイゴ Erythrina crista-galli ‘Maruba-Deigo’
 イランイランノキ Cananga odorata
 テイキンザクラ Jatropha integerrima
 ヒバンサス コミュニス Hybanthus communis
 オオオニバス Victoria amazonica
 八重咲きヒガンバナ ‘姫孔雀’ Lycoris radiata ‘Hime-kujaku’
 ケラトテカ・トリロバ Ceratotheca triloba
 トウカエデ Acer buergerianum
 大船観音

中区から南区の坂道を巡る

 先週に続いて、坂道巡り。今日は、以前には見つけられなかった横浜市名木古木指定の、ムクノキとユリノキに辿りつけました。遊行坂の浄光寺には名木古木指定のスダジイがあったのですが、こちらは滅失していました。


【神奈川新聞第21171号(2001年5月9日)の濡れ地蔵移転に関する記事より】
濡れ地蔵 根岸に住む娘が身売り先から逃げ出すときにこの地蔵前で一息つき、海に身投げした。翌朝。地蔵は水で濡れ、海草が付いていたためにそう呼ばれるようになったと言い伝えがある。


【現地の掲示より】
横浜市名木古木 No.201101 ムクノキ
指定時資料(平成23年6月30日)
樹高:13メートル
目通り周:2.4メートル
樹齢:200年
沿革:太平洋戦争(第2次世界大戦)における米軍の空襲でこのあたり一面焼け野原となる中、この「ムクノキ」は焼失を免れた。遠くからも良く見えたので、柏葉へ来る時の目印になったと言う。
 200年前とは、欧州ではロマン派の作曲家で知られるショパンやリストが生まれ、ナポレオンの第一帝政時代(1804-14)が絶頂期をむかえて、フランスの領土を最も広げた時代にあたる。
 日本では江戸時代後期、第11代将軍徳川家斉いえなり(在任1787-1837)の時代で、元号は「文化」、光格こうかく天皇(1779-1817)の御代である。伊能忠敬いのうただたか(1745-1818))が日本史上初となる日本地図のため全国を測量に歩いていた時代である。


(中村町稲荷山稲荷神社)
  再建参拾年記念碑
当稲荷山稲荷神社は正一位伏見大明神乙女大明神秋元大明神三大稲荷大明神を祀り其の歴史は古く横浜開港以前より稲荷山の山頂に祭祀されて多くの市民の守護神として信仰厚く昭和貮拾五年五月廿九日横浜大空襲の災害に一切焼失したが故榎本幸太郎氏ほか中村四丁目有志多数の努力により現有地に安置す此之度茲に中村町四丁目稲荷講結成参拾年にあたり之を祈念し町内安全を祈願しつゝ建立する
 (講中、協賛の諸氏名略)
昭和五拾六年貮月初午建之 石川堅治寄進
【参考】
 ちぇりり場:中区宮川町1丁目
 濡れ地蔵尊:中区石川町2-66-3
 キンモクセイ Osmanthus fragrans
 大丸谷坂おおまるだにざか
 大丸谷坂の地蔵尊:中区石川町1-35-8
 さくら坂
 カトリック山手教会:中区山手町44
 横浜市名木古木 No.201101 ムクノキ Aphananthe aspera
 ヒガンバナ Lycoris radiata
 デュランタ‘宝塚’ Duranta erecta‘takarazuka’
 牛坂
 猿坂
 ヒロハホウキギク Symphyotrichum subulatum var. squamatam Syn.: S. subulatum var. sandwicensis
 牛島坂(打越橋より)
 ピンクノウゼンカズラ Podranea ricasolian
 遊行坂
 横浜市名木古木 No.51010 スダジイ Castanopsis sieboldii 滅失
 シロバナマンジュシャゲ Lycoris x albiflora
 東坂あずまざか
 メドーセージ Salvia guaranitica
 狸坂
 (伏見)稲荷社:狸坂
 山羊坂
 蓮池坂
 蛇坂
 横浜市名木古木 No.200928 ユリノキ Liriodendron tulipifera
 大阪
 中村冒険公園
 フグの水道栓
 見返り坂
 馬頭観音(見返り坂):南区山谷80-4
 庚申塔(山田坂上):南区山王町5丁目32
 山田坂
 稲荷坂
 稲荷神社(中村町稲荷山)
 タマスダレ Zephyranthes candida
 ハゲイトウ Amaranthus tricolor
 ヨウシュヤマゴボウ Phytolacca americana
 ノブドウ Ampelopsis glandulosa var. heterophylla
 ヘクソカズラ Paederia scandens

中区の坂道を訪ねて

 今日は横浜市中区の坂道を中心に廻ってみました。
坂道マップ  横浜市名木古木  街角のアート作品  石塔  訪問済みの神社、等


【参考】
 日ノ出町オルガン広場
 野毛坂
 野毛切通
 紅葉坂
 紅葉坂より見た日本丸
 イルキャンティ チェリエ 横浜桜木町店
 谷戸坂
 谷戸坂大震災追悼碑:中区山手町100-1
 フランス山
 見尻坂
 陣屋坂
 日本最初の麦酒工場碑:麒麟園
 ビヤ坂
 稲荷坂
 南坂(諏訪神社)
 貝殻坂
 額坂
 代官坂
 高田坂
 ファニーの像(竹林昭吉作):中区元町2-96
 汐汲坂
 公園坂
 横浜市名木古木 No.201084 ヒマラヤスギ
 フェリス坂(西坂)
 大丸谷坂(ブラフ18番館)
 地蔵坂
 乙女坂
 小坂
 イタリヤ山庭園
 牛坂
 埋地豊川稲荷神社:中区翁町2-9-7
【文献】
 小松茂弘(1991)かながわ坂のある風景、かもめ文庫39、神奈川新聞社、横浜.

里山ガーデンフェスタ2020 – Garden Necklece YOKOHAMA

 秋晴れの好天に恵まれた今日は、家内と里山ガーデンを訪ねました。


【参考】
 ガーデンベア
 ピクニック広場
 キバナコスモス Cosmos sulphureus
 コスモス Cosmos bipinnatus
 ケイトウ Celosia argentea
 マリーゴールド Tagetes spp.
 キャットウィスカー Orthosiphon aristatus
 オミナエシ Patrinia scabiosifolia
 アンゲロニア Angelonia spp.
 ユーフォルビア ‘ダイヤモンドフロスト’ Euphorbia ‘Diamond frost’
 シュウメイギク Anemone hupehensis
 大花壇
 ホウキギ Bassia scoparia
 カカリア Emilia coccinea
 チョコレートコスモス Cosmos atrosanguineus
 ノウゼンカズラ ‛マダムガレン’Campsis × tagliabuana ‘Madame Galen’
 サルスベリ Lagerstroemia indica

湯楽の里-曇りのち晴れ

 今日は、家族で馬堀海岸近くの湯楽の郷へ。入浴後に食事するうちに天候が回復しました。


【参考】
 湯楽の里
 絵梨茉莉
 天風御前
 遊漁船
 第一海堡
 みなとみらい方面
 猿島

秋の鎌倉で

 今日は、やっととれた夏休み初日。家内と二人で鎌倉へ。佐助辺りで見かけとオレンジ色の花はトウワタの一種でした。


【参考】
 ヤナギトウワタ Asclepias tuberosa
 鎌倉駅
 長谷寺
 パンケーキ&ふわとろオムレツ
 小町通り