本日、殆ど帰るだけで、写真もこれくらいでした。
【参考】
カリン Chaenomeles sinensis
阿武山(七軒茶屋駅より)
連絡もせずに訪れた広島でしたが、幸運にもMさん一家とお会いすることが出来ました。家内の実家の裏山では、長束八木線の工事が着々と進んでいます。
河戸帆待川駅の由来
初代天皇、神武天皇が日向の国から来征のおり、安芸国に行宮されました。その場所を埃宮と言い、その地が可部の庄の四日市あたりと伝承されています。
この地に流れる川に帆待川があり別名帆巻川とも言われます。伝承によると天皇は行宮に際し当時の海岸にそそぐ川、帆待川を遡り船山のふもとに舟を繋ぎこの山に登ったと伝えられ別名を貴船山と古称されていました。
また、帆待川は、可部川と落合い太田川への通舟の重要な河川となっておりました。
河戸帆待川駅名は、この帆待川からの由来であります。
平成二十九年三月四日
今年は、紅葉の季節には少し早すぎたようです。
2016-12-04 2020-11-20 2017-11-5
亀の子石の由来
大昔のこと、漁師の網にかかった大亀がそのまま石に化したものだと伝えられる。
いつの頃からかこの亀の子石はのどを守る神、特に百日咳に効験ありとして信仰され、百日咳などを患うと、この神様かせたわしを借りてのどをこすり、また小児の食した茶碗をこのたわしで洗うと不思議に咳が治るといわれている。
三七の結願で治ると亀の子たわしを倍にして返礼する習わしがある。
本牧三之谷町内会 横浜本牧観光協会
注:川中島の『歳の神』にも似たような言い伝えがあるのを思い出しました。いずれも『塞の神』→『関の神』→『咳の神』という語呂合わせから来ているものと思われます。
セイヨウヒルガオは50年以上前から大宮に分布していることを確認していますが、個体変異が大きいようで、東武野田線沿いの個体と新幹線沿いの個体とでは系統が異なっていると思われます。今日撮影したのは後者になります。
【参考文献】
Convolvulus arvensis L.、pl@ntNet、Accessed 2021-08-15、URL:https://identify.plantnet.org/ja/the-plant-list/species/Convolvulus%20arvensis%20L./data
冨永達(1992)セイヨウヒルガオ (Convolvulus arvensis L.) の葉の外部形態における変異、北陸作物学会報、27、81-83、Accessed 2021-08-15、URL:https://www.jstage.jst.go.jp/article/hokurikucs/27/0/27_KJ00002445570/_article/-char/ja/
横浜駅からのすぐ近くに屋外彫刻のある森があると聴き、家内と尋ねてみました。茉莉花は『まりか』ではなく『まつりか』だそうです。
ジョイナスの森 彫刻公園:昭和53年5月竣工 相模鉄道株式会社
道標・鳩 Guide-post・Pigeon (1973-79)
柳原義達 Yoshitatsu Yanagihara (1912-)
柳原義達は、かつて新制作協会に所属していましたが、現在は無所属で活躍する特異な具象作家です。ただ表面的な形の美しさではなく、その内奥にある真実をあらわそうとするところに、その特色があります。「道標」は鳥によるシリーズとして行われているもので、ここには四羽の鳩が、実際に地上でえさわついばむような姿に配列されています。現実にふれてみられるような親しみ易さがあり、かえってその真実味をあらわしています。
ニケ’83 Nike ’83 1983
朝倉響子 Kyoko Asakura
朝倉響子は明治から大正にかけて日本の近代彫刻の黎明期に活躍した巨匠朝倉文夫の二女として生まれ、学校にゆかず、父のもとで自家の天才教育をほどこされたといわれています。数少ない女流彫刻家として、早くから頭角をあらわしまずか、シックで現代的な魅力のある作風を作り上げています。「ニケ」はその象徴のような都会の若いスリムな女性の透明感をよくあらわしているといえます。
構成 マリノ・マリーニ 1995
ひと月ぶりに尋ねた大宮では、母が元気にしていました。外回りでは、繁茂し過ぎたノアサガオの剪定、季節の終ったアメリカフウロやナガミヒナゲシを処分し、芽生えのうちにヤブカラシ、ヒメムカシヨモギなどを抜き去りました。今年もシンテッポウユリの花を見ることが出来るかもしれません。
そろそろ梅雨入りが近いとの知らせを受けて、今日は横須賀のスーパーで買い物。途中で立ち寄ったうみかぜ公園からは、千葉県側がよく見えました。