同僚のHさんが
帰宅後にこのブログを検索すると、以前にも同じ場所で撮影していました。
同僚のHさんが
雨は一向に止む気配はありません。そんな今日、これまで訪ね当てることが出来なかった社を中心に歩いてみました。これで、横須賀市の主な神社は廻り終えたので、次回からは三浦市です。
以下は、本日撮影した写真です。こうしてみると、この地域は三浦半島の中でも庚申塔等の石塔ががたくさん残されている地域であることがわかります。
【主な経路】
(北久里浜駅)-(佐原)御霊神社-(衣笠)御霊神社-(衣笠)稲荷社-法道寺稲荷-(高円坊)稲荷社-(京急長沢駅)
【参考】
庚申塔(佐原御霊神社境内)
庚申塔:衣笠町1-7
地蔵尊:衣笠町32-32
不明の社:衣笠町32-32
ヒメキンセンカ Calendula arvensis
ヒメヒオウギズイセン Crocosmia x crocosmiiflora
庚申塔群(大善寺境内)
ヤマユリ Lilium auratum
ドクツルタケ Amanita virosa
メダケ Pleioblastus simonii
クコ Lycium chinense
トクサ Equisetum hyemale
庚申塔:須軽谷113
石塔群(初声町高円坊1667)
庚申塔群(11基):初声町高円坊
ミスジマイマイ Euhadra peliomphala
石塔群:津久井5丁目12-1
庚申塔群:津久井3丁目27
庚申塔群:津久井3丁目26-10
地蔵尊:津久井5丁目5
そろそろハマオモトが見頃と思い、天神島を訪ねました。
雨が降り続き、今日は風も強い一日でした。
【主な経路】
(浦賀駅)-西叶神社-吉岡稲荷-太刀花稲荷-尻こすり坂-大作-四ッ田稲荷-稲荷社-三嶋神社-一騎塚-須軽谷八幡神社-初声町高円坊-上宮田諏訪神社-(津久井浜駅)
【浦賀】
今日の起点は浦賀。西叶神社では夏詣での飾りつけの最中でした。
浦賀道
浦賀道は、江戸時代に幕府と浦賀奉行所を結ぶ重要な連絡路でした。波戸幕府寛政十二年(一八〇〇)に五街道の測量図を作成し、その中に「浦賀道見取絵図」が含まれています。
絵図では東海道戸塚宿から鎌倉・葉山・池上を通り、大津矢の津坂越えて浦賀に至ります。東岸のルートは、保土ケ谷宿から金沢町屋を経て武蔵と相模の国境(追浜)を過ぎると峠越えや尾根道が続き一三峠など相当な難路でした。金沢からは陸路より早くて楽な船便がよく利用されたといいます。
幕末期、ペリーの黒船来航の際は大勢の武士や見物人がこの浦賀道を通ったといわれています。
浦賀行政センター市民協議事業・浦賀探報くらぶ
浦賀の蔵
浦賀は干鰯を始め多くの品物を全国に売りさばく町として賑わい、今でも東西の浦賀に残っている十五棟前後ま倉に昔の名残を見ることができます。倉は大切なものを盗難や火災から守るもので、壁の厚みが一尺ほどあり、耐火建物として様々な工夫がされています。
浦賀には江戸後期に造られた漆喰塗り土蔵と幕末・明治期に造られた石蔵が混在しています。
土蔵は漆喰の外壁が関東大震災で被害を受けたため周囲にトタンを巻いており、外からでし分りにくくなっています、
石蔵は比較的そのままの形が現在も残されております。
浦賀行政センター市民協議事業・浦賀探報くらぶ
【三島社】武1丁目33-13
神奈川県指定天然記念物
三島社の社叢林
平成四年(一九九二年)二月十四日指定
三島神社参道の左側には、アカガシ、スダジイ、モチノキが混生した常緑広葉樹林が発達しています。この林の高木層は二十メートルを越え、中には胸高直径四十八センチのアカガシの老木や、神奈川県では比較的珍しいツクバネガシも混生しています。しかし、高木層の植被率は六十%とやや疎開しています。亜高木層にはカクレミノ、ヤブツバキ、モチノキ、スダジイ、タブノキ、ヤブニッケイは混生し、高木層の空間を被い、植被率も七十%を占めています。低木宗には高木層、亜高木層の種群に加え、シロタモ、ヒサカキ、アオキ、クロガネモチ、トベラなどの常緑樹や、イヌビワ、ムラサキシキブなどの落葉樹が混生しています。また、林床には上層の常緑樹の芽生えも見られます。
神社北側にもスダジイをはじめモチノキ、クロガネモチ、アカガシが混生した常緑広葉樹林が見られます。ここには胸高直径七十五センチのスダジイの大木もあり、高木層が二十五メートルを越える樹林を形成しています。林床にはホソバカナワラビ、コバノカナワラビなどのシダ植物が見られます。今日では、これらシダ植物の生育する多様性に富んだ常緑広葉樹林は、三浦半島でも貴重な存在となっています。
三島社の社叢林は、三浦半島に残された限られた郷土林として学術的にも貴重です。
平成二七年八月三一日 横須賀市教育委員会
【須軽谷八幡神社】
今日も朝から雨模様。如何にも梅雨らしい季節には、半夏生の開花状況が気にかかりましたので、白山道の東光禅寺を訪ねました。通りがかりにみかけた植物はすっかり夏の装いです。
【主な経路】
(自宅)-六浦-東光禅寺-草薙台公園-金沢動物園夏山口-ののはな館-氷取沢-上中里-坪呑-(杉田駅)
一月に洲崎でみかけた不明種、丁度見頃の時期となり、種名が判明しました。スイレンの花に印象が似ていることから名付けられたそうです。
今年も半部過ぎ、今日は大祓の日でした。茅の輪を設置している近隣の神社を廻ってみました。この地区の茅の輪には人型を吊るさないことが多い様ですが、神戸神明社には人型があり、(人型がないと穢れをうつせませんから)なんとなくほっとしました。
茅の輪くぐり-2017.6.30 2013.6.30
【雷神社】追浜本町1-9
【瀬戸神社】金沢区瀬戸18-14
【伊勢山皇大神宮】西区宮崎町64
【神戸神明社】保土ケ谷区神戸町107
【横浜市の名木古木】
No.48075 ケヤキ Zelkova serrata:外川神社(保土ケ谷区瀬戸ヶ谷町196-1)
No.49196 カヤ Torreya nucifera:乗蓮寺(南区井土ヶ谷上町33-1)
毎年この頃になるとヤマユリの開花が気になって訪ねる三浦市の妙音寺なのですが、今年も少し早すぎました。一方で、もうすぐ見頃の終わりそうなアジサイとヤマユリの両方を、今年も見ることが出来ました。
【主な経路】
(三崎口駅)-飯盛山妙音寺-飯盛神社-白山神社(上宮田)稲荷神社-(上宮田)三峯神社-(上宮田)諏訪神社-浅間神社-秋葉神社-稲荷社-稲荷大明神-熊野神社:長沢1-16
マカセ稲荷-八大竜王社-天照大神-浅間神社若宮-浅間神社奥宮(三浦富士山頂)-(京急長沢駅)
【飯盛山妙音寺】初声町下宮田119
【飯盛神社】初声町下宮田282
御神徳
【(上宮田)稲荷神社】南下浦町上宮田3444-2
【(上宮田)三峯神社】南下浦町上宮田3231
【浅間神社】本院:横須賀市津久井4丁目18-1
浅間神社由来
御祭神 木花開耶姫命
縁結び・安産・子育ての守護神
社伝によると聖武天皇の天平年中(七二九~七四八)に僧行基(奈良大仏建立勧請の高僧)が当郷に来り、駿河国の浅間神社を勧請し祀ったとある。そこは津久井と長沢の奥にあった高くそびえる浅間山の山頂である。この山は海上からよい目標となり漁場の位置や東京湾に出入りする船のよい目印とすると共に信仰の対象になっている。後に富士山と呼ばれ人々から崇められるようになってきた。当社の奥宮は今も山頂に鎮座している。毎年七月八日山頂にて「お焚き上げ」の神事が盛大に行われ、家内安全・大漁・海上安全・五穀豊穣・病気平癒・交通安全等を祈願する人で賑わう。当社殿は当初「富士入」にあったが、昭和三年十一月現在地に移転鎮座され、毎年七月七日例祭が行われている。
夏祭り(八雲祭)は昭和四十年代以前は七月七日、八日に行われていたが、現在は八月下旬の土、日曜に行なわれている。当社の境内社として金比羅神社と稲荷神社が祀られている。
明治四十一年十二月神奈川県令で神社が合祀され、御祭神は相殿に祀られた。
八坂神社 祭神 素戔嗚尊 横手
日枝神社 祭神 猿田彦命 川尻
御霊神社 祭神 稲荷神 安戸
宮司 菊池 恵 高木角次書
平成十七年八月吉日建立 施工石平石材店
【秋葉神社】津久井4-8
【稲荷神社】津久井2丁目1
【稲荷大明神】長沢1-16-11
【熊野神社】長沢1-56
【マカセ稲荷】長沢1-12
【八大竜王社】長沢1-56
【天照大神】長沢27-33
今日は、まだ見ていなかった中区の名木古木を、勤め帰りに確認してきました。
コルク樫の大木
明治十二年にはじめて苗木を日本でためしに植えた木だといわれています。
このコルクの木は、日本初上陸のものかもしれません。
横浜市立元街小学校
捜真学院発祥の碑
捜真学院は1886(明治22)年、バプテスト派のアメリカ人宣教師シャーロット・ブラウン1により、山手67番(当時の地番)の聖書印刷所2で誕生したキリスト教学校である。
学校の発展に伴い1891(明治24)年、山手34番に、1910(明治43)年、横浜市神奈川区中丸8番地に移転した。
1:新約聖書和訳者ネーサン・ブラウン牧師の妻
2:ヨコハマ・ミッション・プレス
横浜ユニオン教会のご好意で山手66番-2(現在の地番)のこの場所に記念碑を建立させていただいた。
2016年10月 創立130周年記念
学校法人 捜真学院 捜真小学校
捜真女学校中学部・高等学部
Soshin Gakuin was founded in 1886 by Charlotte Brown, American Baptist Missionary, at 67 Yamate (historical address), the Bible printing office of her husband, Rev. Nathan Brown, This Christian school expanded to 34 Yamate in 1891. It was relocated in 1910 to 8 Nakamaru, Kanagawa-ku, Yokohama.
Dedicated on the 130th Anniversary of Soshin Gakuin. Ground for this plaque at 66-2 Yamate is provided courtesy of Yokohama Union Church.
【文献】
横浜市市民局市民情報室広報センター(2001)横浜市「名木古木」リスト、市民グラフヨコハマ、No.115、p.36-41.
横浜市(2019)名木古木指定樹木一覧(平成31年3月13日時点)、Accessed 2019-06-25.
今日は、久し振りに三浦半島の西海岸を歩いてみました。生憎のお天気で、傘を持っていなかったため何度か雨宿りを余儀なくされましたが、何とか北久里浜迄辿りつけました。
【主な経路】
自宅-(六浦駅-新逗子駅)-長柄-風早-一色-葉山神明社(雨宿り)-長者ヶ崎-子産石-立石-秋谷-佐島-天神島-林-一騎塚-衣笠-(北久里浜園駅-追浜駅)-自宅
【稲荷社】追浜町3丁目16
【雷神社】追浜本町1丁目9、奥の院:追浜町3丁目12
【稲荷社】秋谷3丁目4-12
【三峰神社】芦名1丁目6
【稲荷社】芦名1丁目2-11
泉鏡花の文学碑
「草迷宮」は、泉鏡花が仮住まいのつもりであった逗子で執筆し、明治四十一年に出版された。
主人公・葉越明が、幼い時に母から聞いた手毬唄をもう一度聞いてみたいと、それだけを念頭に豊前・小倉の故郷を出て諸国を訪ね歩いた末、ついに三浦郡秋谷の里、鶴谷の別荘で探り当てるという主題を軸にこの作品は描かれている。鶴谷邸のモデルは長屋門のある若命家と言われているが、フィクションも多い。
鏡花は、明治六年石川県金沢市に生まれ、本名は「鏡太郎」。明治二十二年、尾崎紅葉の「二人比丘尼色懺悔」を読み感激。翌二十三年、小説家となるために上京、一年の放浪生活の末。紅葉の玄関番として寄宿し門下生となる。
明治二十八年、「夜行巡査」や「外科室」を発表。ともに世評高く、観念小説の一角を占めた。その文壇に与えた衝撃は大きく、鏡花の名は、新進作家として知られるように至った。
明治三十三年に「高野聖」、三十五年には「女仙前記」を発表。小説界の第一人者となる。
九歳で母を亡くしたが、亡き母への憧憬は「照葉狂言」などに描かれている。また、処女作「冠弥左衛門」をはじめとして世の貧しい不遇の人達を人たちを描いた作品を数多く発表した。
生涯三百の作品を世に送り、晩年には帝国芸術院会員。昭和十四年没。
代表作に「高野聖」、「春昼後刻」、「歌行灯」、戯曲「天守物語」などがある。
横須賀市
草迷宮
大崩壊の巌の膚は、
春は紫に、夏は緑、
秋紅に、冬は黄に、
藤を編み、蔦を絡い、
鼓子花も咲き、
竜胆も咲き、
尾花も靡けば月も射す。
泉鏡花
【專福寺観音堂】佐島1丁目26