鎌倉から江の島へ

 一昨日に続いて旧鎌倉郡を散策、今日は現鎌倉市の西部です。
【主な経路】
自宅-田浦神明社-(JT田浦駅-大船駅)-長谷-坂ノ下-極楽寺-稲村ガ崎-鎌倉山-笛田-腰越-(湘南江の島駅-大船駅-JR新杉田駅-京急追浜駅)


 腰越漁港から見た落日
 田浦トンネル
 七釜トンネル
 JR田浦駅プラットホーム
 庚申塔:鎌倉市極楽寺2丁目1
 二ホンスイセン Narcissus tazetta var. chinensis
 オオキバナカタバミ Oxalis pes-caprae
 コブシ Magnolia kobus


【(長谷)稲荷社】鎌倉市長谷2丁目22-18


【坂ノ下御霊神社】鎌倉市坂ノ下4−9

御霊神社
 御霊とは、強く尊い祖先の御霊の意で、神社の創建は、平安時代後期と伝えられています。桓武天皇の子孫で「鎌倉武士団」を率いた鎌倉権五郎影政を祀っています。
 影政は後三年の役(一〇八三年~)に一六歳で出陣して勇名をはせ、その後現在の鎌倉・湘南地域を開発した領主です。地元では「権五郎さま」と呼ばれ、親しまれています。
 毎年九月に行われる「面掛(めんかけ)行列」は伎楽や舞楽、田楽などの古い面をつけた面掛衆が練り歩く珍しい祭事です。
     鎌倉市


かながわの名木100選 昭和59年12月選定
坂ノ下の御霊神社のタブノキ
和名:タブノキ(クスノキ科)
 神社境内の樹叢の中にあって、大枝が四方へ大きく広がって巨大な樹冠を形成した古木である。鎌倉市の天然記念物に指定されている。
樹高 20メートル  胸高直径 4.0メートル  樹齢350年(推定)
 タブノキは、本州から沖縄に分布する常緑高木で、照葉樹林の代表的な木である。樹高25メートル、胸高直径10メートル、樹齢約700年に達するものもあると言われている。


【熊野新宮】鎌倉市極楽寺2丁目3−1

 極楽寺熊野新宮
祭神 日本武尊(やまとたけるのみこと)
   速玉男命(はやたまのおのみこと)
   素戔嗚命(すさのおのおのみこと)
   建御名方命(たけみなかたのみこと)
由緒
 もと新宮社と称し文永六年忍性菩薩の勧請と伝えられ、鎌倉時代極楽寺全盛当時より熊野新宮と号し、同寺鎮守として広く境内を有し、厚く幕府の崇敬を受けて栄えた。
 昭和三年、同地域の八雲神社、諏訪神社を合祀して以来、極楽寺稲村ガ崎全町の鎮守として、年々盛んな祭典を施行し殖産・興業の守護神として多くの信仰を集めている。
例祭 七月五日  八雲神社例祭神輿初御
   七月十二日 神輿渡御祭
   九月九日  例大祭湯花神楽の神事あり
          熊野新宮 宮司


【(稲村ガ崎)白山神社】鎌倉市稲村ガ崎1丁目6


【(稲村ガ崎)稲荷神社】鎌倉市稲村ガ崎2丁目4


【(稲村ガ崎)熊野権現社】鎌倉市稲村ガ崎5丁目38


【鎌倉山神社】鎌倉山2丁目27-11

  鎌倉山神社
祭神 大山津見命
  御父 伊邪那岐尊
  御母 伊邪那美尊
 当神社はもともと本村笛田の農民の鎮守で、また津村の漁民の海上守護の神であったのょ昭和の御代に統治が鎌倉山住宅地として発展すると共に住宅地の鎮守として奉斎された。
 昭和十年に鎌倉山在住の有志達の浄財により改装され鎌倉山神社と改称された。爾来今日に至るまで鎌倉山住人有志達が社殿をお守りし、毎年八月八日に例祭を執り行っている。


【子守神社】鎌倉市笛田5丁目34-6

     子守神社由緒
祭神  子守之大神(こもりのおおかみ) 玉依姫命(たまよりひめのみこと)
       本社は吉野水分神社(みくまりじんじゃ)
鎮座地 鎌倉市笛田貳千拾参番地
祭禮  一月十四日……春祭
九月第一土曜日……夏祭
当神社の所在する此の打越の町一帯は終戦の前までは笛田本村の一角で前笛田鎌倉から入って手前の笛田の意と呼ばれ地付き住民は十数軒の小字の集落で蔵王権現社が其の鎮守神でありました。終戦後平和と共に住宅地として開発が進み急激な発展と共に笛田本村より分離独立して一町を形成した。此に伴い住民の中より心の拠所としての神社造りの要望が強く髙まり昭和二十一年六月二十四日従来の蔵王権現社を宗教法人子守神社と改稱し打越の町の鎮守として神社本庁の承認を得て公認神社となりました。其の後神殿の改修鳥居石段等次々整備され、現在では殖産興業子守ての守り神として地元近隣の信仰を集め其の神德の広く昂揚されつゝあることは水分の神の流れを掬む子守の神の御恵と氏子一同有難く思う次第であります。
          子守神社々務所


【三嶋神社】鎌倉市笛田3丁目31-1


【経六稲荷社】鎌倉市腰越1543-6


龍口(りゅうこう)明神社】鎌倉市腰越1548-4
 社伝に寄れば552年創建ですので、鎌倉市で最も古い神社です。伝承が正しいとしても、延喜式神名帳には記載がないため、式外社の扱いです。


     記念碑
   龍口明神社由来
 御祭神 玉依姫命(神武天皇母君)  五頭龍大明神
 玉依姫は海神族の祖先豊玉彦命の姫君に在して彦炎出見尊の妃に在します上に鵜鷀草葺不合尊の母神に在しまし、豊玉姫の妹御に在し給ひ、龍神として尊崇された。
 五頭龍大明神の御由緒は欽明天皇十三年四月十二日戌の刻より二十三日辰の刻に至る迄大地振動して終日息ず。即ち孤島を湧出した此を江の島と云い天女降む。是辨戝天の作るところなり。天女惡龍の惡業を戒めた。龍は遥かに天女の麗質を見、其の後改心し村人に害を与えることなく山と化した。村人はその山の海に突出た所の龍の口の様な岩上(龍の口)に社を築き白髭明神と称し村の安泰を祈願した。此龍口明神社の発祥と伝えられている。
養老七年三月より九月迄江の島岩窟中にて泰澄、慈覚両大師が神業修行中夢枕に現れた神々を彫作し辨戝天一体を岩本院に、二体を白髭明神社へ納めた。即ち玉依姫命(長さ五寸)と五頭龍(長さ一尺)の御木像が御神体である。此の時、龍口明神社と名付け、江の島と当社の繁りと両地の平和と隆昌を祈願した。鎌倉時代には神䕶により如何なる惡業をした者も此処に血を流すことにより世人に尽すと此の前の地を刑場とした事もある。
又氏子はその祟りを恐れ当社の移転改築を長年拒んできた。然し大正十二年関東大震災で全壊した社を昭和八年改築し今日に至ったが、境内地が藤沢市片瀬地域内の飛地津一番地に有ることゝ時代の推移と共に同地区の発展及び人口増加に伴い御祭神のご神慮に依り、此度氏子百余名は江の島遠望清浄の地、竜の胴に当る蟹田ヶ谷一五四八番地の四の当地に遷座申し上げ、此の地の守護神として奉祀するものである。
   昭和五十三年十月吉日  建設委員会誌


【鎌倉攬勝考巻之十附録より引用】
龍口明神 津村・越越兩村の産土神とす。社は龍口寺の東の山上にあり。別當は、眞言宗加護山寶善院といふ。津村にあり。注晝讃に、欽明天皇の十三年四月十二日、此処へ天女降居せり。是辨財天の應地なり。此湖水の惡龍、遥に天女の美質を伺い見て、竊に感じて、天女の所へ至る。天女不快して云、我本誓あり。普く群生を救ふ。汝慈憐なくして生命を斷。何ぞ好述とならん。龍いふ、我教命に任せん。自今以後、物のために毒をせずして、哀憐を垂んといふ。天女則諾せり。龍また誓を立て、南に向て山をなす。是れ龍の口山なりといふ。此事は、【江の島緣起】にも見えたれど、詳なる事をしらず。


【小動神社】鎌倉市腰越2丁目9-12

小動神社由緒略記
祭神 日本武尊(やまとたけるのみこと) (1月例大祭の祭神)
   素戔嗚尊(すさのうのみこと) (7月天王祭の祭神)【奥方:櫛稲田姫命(くしいなだひめみこと)、御子神:八王子の命(五男三女神)】
   建御名方神(たけみなかたのかみ)(8月諏訪祭の祭神)
   歳徳神(としとくじん)  (お正月の神様)
伝承
 相模風土記に往時、弘仁年中(810~822年)弘法大師、小動山に登りし時、老松に神女影向あり、この松を小動の松と云うとあり。新編鎌倉史(注:正しくは新編鎌倉志)に、土御門内大臣の歌『こゆるぎの磯の松風音すれば、夕波千鳥たちさはぐなり』の歌は、此処の事とも云い、或いは、大磯の浜を詠うとも云う。相模の名所「こゆるぎ」の歌、多しとある。社名は、古くは八王子宮、八王子大権現などと称された。相模風土記には、八王子社を鎮守とし、社地を小動(古由留義)と云うとあり。明治初年、現在の『小動神社』と改称した。明治42年当初字、神戸の鎮守であった諏訪神社を合祀した。
由緒
 文治年中(1185年)佐々木盛綱の創建と伝えられる。盛綱は、源頼朝に伊豆配流の時代から仕えた武将で、源平合戦の時に、神恩報賽のため守護神である父祖伝来の領国、近江の八王子宮を新たに勧請すべく、その地を探し求めていたが、ある日、江の島弁財天に参詣の途次、小動山に登り、大いにその風光を賞せられ勧請の地と定められた。新田義貞が、鎌倉攻めの戦勝を祈願され、後に『報賽』として『剣一振りに黄金』を添えて寄進され、社殿は再興された。八王子宮縁起によれば、新田義貞を中興の祖としている。江戸時代、小田原城主、大久保忠真公(113,000石)は【三神社】の扁額を揮毫し奉納された。三神社とは、三柱の祭神を尊称したものである。
社殿
 文化14年4月(1817年)当所、井上氏の丹誠により、400有余の氏子により、再建されたと棟札に記録がある。しかし、大正12年9月1日の関東大震災により被害を受け、昭和4年12月本殿は修復されたが、拝殿は新築された。現在の、『新寶殿』・『山車小屋』は平成15年から平成18年にかけて新築し、『本殿。幣殿』は平成19年4月大規模修復された。境内社として、(わたつみ)神社(海上安全の神様)・稲荷社・金刀比羅宮・第六天社を、お祭りしています。
祭礼 1月16日    例大祭(湯花神楽祭)【鎌倉神楽奉納】社殿内にて
   4月第二土曜日 祈年祭
   7月第二日曜日 天王祭
           江の島八坂神社との共同の大規模な祭りで、午前11に海中渡御、午後2時には江の島八坂神社の神輿が、龍口寺下より小動神社社領まで神幸し、腰越五ヶ所の祭囃子・山車がお迎えに出て、大いに賑わいます。
   8月下旬    諏訪祭
   12月第一土曜日 新嘗祭


 【新編鎌倉志巻之六より引用】
〇小動附八王子宮 小動(コユルギ)は、七里濱を西へ行、腰越へ入左の方、離れたる巌山あり。此処をこゆるぎと云ふ。山上に八王子の宮あり。又山の端に、海邊へ指出たる松あり。風波に常に動くゆへに、こゆるぎの松と云と也。土御門内大臣の歌「こゆるぎの磯の松風音すれば、夕波千鳥たちさはぐなり」。又北條氏康の歌に、「きのふたちけるこゆるぎの磯の波。いそひでゆかん夕暮の道」此等の歌、此処の事とも云ひ、或は、大磯の濱を詠とも云ふ。相模の名所こゆるぎの歌多し。


 鬼子母神(小動神社境内社)
 金刀比羅社(小動神社境内社)
 稲荷社(小動神社境内社)
 海神社(小動神社境内社)
 六天王社(小動神社境内社)


【龍口神社(元宮)】鎌倉市津1

 龍口神社
御祭神・・・玉依姫
      五大龍王大神
御例祭・・・十月第一土・日曜日
御創建・・・欽明天皇十三年(西暦五五二年)
昭和五十三年に龍の口にあたるこの地より龍の胴にあたる津の新鎌倉山に御遷座され日本三大弁財天として名高い江島神社と夫婦神社として人々の崇敬されています。

山之内から玉縄へ

 今日は、旧鎌倉郡山之内庄から玉縄庄が訪問先です。

【主なルート】
(鎌倉駅)-小町-長谷-佐助-梶原-寺分-山崎-植木-玉縄-(大船駅)


【蛭子神社】鎌倉市小町2丁目23-3


【浅間神社】鎌倉市長谷5丁目11

 鎌倉女学院の創始者である陸奥廣吉の碑がありました。陸奥宗光の長男である廣吉は、晩年は鎌倉の地に居を構え、教育者、文人として活躍した人の様です。(変体かなの読み取りにはあまり自信がありませんことをご了承ください)



天保九如
 大正四年十一月十日御即位の大典を擧げさせらる之
記念として鎌倉町長谷乃有志百二十一名相謀??乃谷
??ける其の共有地ニ萬餘坪に松櫻?若木數萬本を植
ゑ遊園を開?以て衆庶?逍遥散策?供セリ今よ?後數
年?出?゛ず??満渓の櫻花翠松?隠映?烟霞錦乃如?
美観を呈せんこ?期??待つへきな?由來鎌倉の地た
?名勝故蹟?冨むと雖も公園の設少く人口年?逐ふ?
増し遊客一日に多?を加ふる??り一?関點■■こと免
?けり?際茲?此の事あ?た?を吾人の感喜措■■?
■??て将來町乃發展?資?ること甚大なる者あらむ
有志者報國の誠意大に稱すへ?而??當町が此の絶好
の娯楽地を得■■■洵?昭代乃賜?り項曰園中に形勝
?地?相?石を建?題字?松方矦爵?乞ふ矦天保九如
乃四大字を書?與?ら?余亦嘱?應?數言を叙し以?
此の美擧?後毘?傳ふ?云爾
             伯爵陸奥廣?誌


【佐助稲荷神社】鎌倉市佐助2丁目11-12

 十一面観音堂


 霊弧泉
佐助の稲荷山は往古より麓の田畑を潤す水源の地なり。生命の基のこの湧水を人々霊弧の神水と称え家々の神棚に供えて稲荷のご神徳を戴くなり。今に至るも絶えず湧き出づる霊弧の泉なり。
佐助稲荷神社 祭神 宇迦之御魂神
       神徳 漁業商工業繁栄・生活の守護神


【銭洗弁財天宇賀福神社】鎌倉市佐助2丁目25-16

 宇賀福神社本宮
 宇賀福神社奥宮
 宇賀福神社上之水神宮
 宇賀福神社下之水神宮
 七福神社


【葛原岡神社】鎌倉市梶原5丁目9-1


  昇運の神龍
 御本殿を御造営する際、旧御本殿に納められていた神龍で、百二十年間御祭神をお護りして来ました。
 神様のお使いとして願い事をより早く届けていただくようお参りして下さい。


 俊基卿終焉の地
 魔去ル石
 男石・女石
 合槌稲荷神社
 日野俊基墓


【梶原御霊神社】鎌倉市梶原1丁目12-27

 梶原御霊神社拝殿
 梶原御霊神社本殿
 梶原御霊神社境内
 庚申塔(梶原御霊神社)


【駒形神社】鎌倉市寺分1丁目10-12

 富士塚神社


【天満宮】鎌倉市上町屋616

 稲荷社:三宇(上町屋天満宮境内)
 庚申塔(上町屋天満宮境内)


 市指定有形民俗文化財 庚申塔(寛文十年銘)一基
 指定 昭和四十年三月三十日


【北野神社】鎌倉市山崎736

 境内社(北野神社)
 宝篋印塔(北野神社境内)


 市指定有形民俗文化財 宝篋印塔(応永十三年銘) 一基
 指定 昭和三六年一一月一五日


【諏訪神社/御霊神社】鎌倉市植木96


【大六天神社】鎌倉市城廻337-1


【相模陣稲荷神社】鎌倉市植木


【城宿稲荷神社】鎌倉市城廻311-8


【岡本神社】鎌倉市玉縄3丁目


【伏見稲荷社】鎌倉市玉縄3丁目


 以下、その他の本日撮影の写真です。

【参考】
 ダーリア Dahlia sp.
 ベニバナボロギク Crassocephalum crepidioides
 サザンカ Camellia sasanqua
 馬頭観音:鎌倉市寺分1丁目3
 寒咲花菜(カンザキハナナ) Brassica sp.
 ホトケノザ Lamium amplexicaule
 庚申塔:鎌倉市山崎
 ユキノシタ Saxifraga stolonifera

TB 68.x系で使用できるColor folders

 ThunderBird 68.x系に対応したColor foldersの配布が、下記サイトで正月休み中に始まっていたようです。早速、68.3.1(64bit)で試したところ、問題なく動作することを確認しました。60.xで使っていた色の情報もそのまま引き継いでくれました。
Colored Folders 1.3.4
 このプラグインが有ると無いとでは、作業効率が大きく違います。開発に携わった皆様に御礼申し上げます。
 TB 60.x系で使用できるColor folders

【新春企画】当サイトでのネズミ

 子年に因んで、当サイトでの『ネズミ』を探してみました。ネズミモチの実の写真はたくさんありましたが、それ以外は限られていました。今年は、ネズミガヤ、ネズミザメなどの写真も撮りたいものです。

 カピバラ Hydrochoerus hydrochaeris
 戸部杉山神社
 ネズミモチ Ligustrum japonicum  
 トウネズミモチ Ligustrum lucidum
 ムギクサ Hordeum murinum(英名 Mouse-Barley)
 オランダミミナグサ Cerastium glomeratum(英名 Sticky Mouse-ear)
 ミッキーマウスの木 Ochna serrulata


 利休ねずみ 北原白秋詩碑:城ヶ島

利休鼠(りきゅうねず)

 この色を(間違って)「りきゅうねずみ」と読むことがあるのは、この詩のせいかも知れません。

新年に子の神を巡って

 今年は子年。三賀日最後となった今日は、近縁の大国主命(= 大己貴命,大黒天 etc.)を祀った社等を廻ってきました。
【主な経路】
(井土ヶ谷駅)-外川神社-(今井町)子神社-戸部杉山神社-(日ノ出町)子神社-(堀ノ内町)子神社-(上大岡駅)


戸部杉山神社】横浜市西区中央1丁目13-1

相殿の神社(向って左から)
 稲荷社
 山王社・三峯社
 浅間社
 厳島神社・社宮祠大神
 天神社
聖徳太子堂


子神社】横浜市保土ケ谷区今井町167

横浜市名木古木指定 No.49106 イチョウ Ginkgo biloba


子神社:横浜市中区日ノ出町2丁目132


子神社】横浜市南区堀ノ内町2丁目134


【稲荷社】横浜市南区永田東1丁目6-45


外川(とがわ)神社】横浜市保土ケ谷区瀬戸ケ谷町
 なんどか尋ねたことがある社です。今日は由緒書きが表示されていましたので、採録します。

横浜市名木古木指定 No.48075 ケヤキ Zelkova serrata
  外川(とがわ)神社御由緒
 江戸時代から保土ケ谷宿の内に出羽三山講(でわさんざんこう)がありました。幕末の頃、その講元で先達でもあった淸宮輿一(きよみやよいち)が、湯殿・月山・羽黒の三山の霊場を参拝した際に、羽黒山麓の外川仙人大権現の分霊を勧請し、自分の屋敷内(現在の地)に祀りました。
 はじめ外川仙人大権現と称しましたが、明治二年の神仏分離令により、日本武尊を祭神と定め、社名を戸川神社と改めました。その神験は著しく、ことに小児の虫封じや航海の安全にご利益があったとして、遠近から参詣する者が絶えませんでした。
祭神  日本武尊(やまとたけるのみこと)
    月夜見命(つきよみのみこと)
    大山祇命(おおやまづみのみこと)
    稲倉魂命(うがのみたまのみこと)
創建  江戸時代末期に外川仙人大権現として創建
    明治二年戸川神社に改称(平成六年九月宗教法人認証)
御神徳 航海安全・交通安全・家内安全・児童守護・虫封じ
社殿  本殿銅葺入母屋造 拝殿唐破風入母屋造
諸社  道祖神社(江戸時代中期の建物元は藁葺き)
    稲荷社、宇賀神社(現在は本殿に合祀)
祭礼日 例祭七月十七日(月次祭毎月十七日)
社宝  明治時代の大絵馬数点
崇敬者 約800世帯(氏子ではありません)
社有地 約一千㎡
                 社務所


【帝釈天王社】保土ケ谷町3丁目183

 堅牢地神


【皇大神宮祠】横浜市西区伊勢町3丁目133-8
 くらやみ坂の標識の後ろにある小祠です。



【参考】
 イチョウ Ginkgo biloba
 ケヤキ Zelkova serrata
 クロマツ Pinus thunbergii:妙秀山善通院樹源寺
 インドボダイジュ Ficus religiosa
 モツゴ Pseudorasbora parva
 今井城址より

令和二年、賀新春!

 新年あけましておめでとうございます。本年もよろしくお願い申し上げます。
 早々のお年賀を頂戴しました皆さま、ありがとうございます。新年のご挨拶は、当サイトに代えさせて戴いておりますこと、ご了承ください。
2020 A Happy New Year !
過去の年賀状ギャラリー

戸塚の社を巡って

 大晦日の今日は、戸塚まで足を延ばしてみました。
【主な経路】
(戸塚駅)-戸塚町-矢部町-上矢部町-泉区岡津町-中田北-(中田駅)


【笠間稲荷社】戸塚区戸塚町4754


【稲荷社】戸塚区戸塚町4744


街山八幡社(つじやまはちまんしゃ)】戸塚区矢部町1003

 本覚院不動尊
 庚申塔群(街山八幡社)


【梅園稲荷社】戸塚区矢部町
 街山八幡社の境内社と思われ、他にも石の社が2宇あります。

一、贈正一位梅園稲荷社御由緒
一、祭神 鳥烏帽子直垂御霊体
一、創建不詳
 伝ふ古は字峰に鎮座せられしと年号不詳蔵坪山六二八番地七坪の地に遷座せらる。此の蔵坪の地名は徳川時代に穀倉ありしより出でしものならん。享保年間~八代将軍吉宗公頃九二郎なる人此の地に住すとあり。氏子柴田竹次郎の口ひによれば文化の頃ウメ女なる寡婦住す。婦は常に稲荷を崇敬し深く祈願し霊験を授けられる。ウメ女大いに喜びしも其儘に過ごせしに或夜祭神現われ其の不法を怒る。此の時の姿は鳥帽子直垂の御霊体なりしとゆう。婦は大いに驚き此の旨を名主河原四郎左衛門に告ぐ。名主は有力者成宮茂平治と計り一同を集め協議の上中組の祭神と崇め奉る。按ずるに当地に深き御縁の武家を祭神と仰ぎしものならん。殊に勝負事には霊験著しと今に伝ふ。
 余は幼少の頃翁に肩を叩かれつつ常に其の霊験につきて聞く所あり。以降明治十七年頃迄はのぼり両側に建ち並び誠に荘厳なりしとゆう。之れ氏子が如何に敬神の念深かりしかを立証するものなり。その後社は数回御遷宮あり、之の由緒深き蔵坪山ね時世の進運に伴い土地発展して何時しか山形改まるに至る。
遷宮 明治十七年旧知山林字峰五六八番地 同三十三年矢部三四番地
   同四十年矢部二九番地 大正九年四月街山
氏子 (略)
昭和十二年四月 史跡保存主唱者 寺村清吉 誌


【稲荷社】戸塚区矢部町551-5


【第六社】戸塚区上矢部町2969

横浜市名木古木指定 No.200411 ヤブツバキ Camellia japonica


   第六社改修記念碑
 鎮守第六社の祭神は面足尊惶根尊の二柱であり神代七代の内国常立尊より第六代目の神に当たるので第六社と偁されています。大正六年一月十五日神明社の祭神天照皇大神を合祀された居ります。神社の創建は天正二年と言はれ小田原北條氏の一族甘縄左衛門太夫氏繁の請に依り讃誉牛秀上人が大善寺を創建するに当り護法の守護神として建立されたと言はれています。再建は文化四年六月十九日松尾神社及び篠塚八幡社と共に同一職方に依り三社同時に再建されたのであります。
 この度の神社改修工事は社殿屋根を銅板一文字葺本殿屋根に千木勝男木の新設社殿の改修工事拝殿正面に御影石の石貼工事鳥居の再建社合標の新設神明社屋根の銅板葺替神樂殿の屋根葺替神輿舎の新築其の他神社の当面為すべき工事は概ね完了致しました。是は偏に氏竝に崇敬者の絶大なる奉賛に依り完成した次第であります。
 仍て茲に記念碑を建て氏子一同の慶びを後世に伝えるものであります。
   昭和五十九年九月十五日
            第六社 氏子中


【伏見稲荷社】戸塚区上矢部町3025


【篠塚八幡社】戸塚区上矢部町1949

 蠶神社保食神碑(篠塚八幡社)


【丹後山神明社】戸塚区上矢部町1919

  丹後山神明社
御祭神天照大御神
 当社は古来大神宮祠また伊勢宮と称され御祭神は伊勢神宮の御分霊であったので「お伊勢さま」と親しまれてきた。御創建の年代は不詳であるが源頼朝公の愛人丹後局が当社の境内で出産されたとの伝承があり八百年前にし既にご鎮座になっていたものと思われる。
例大祭 十一月二十三日 [新嘗祭 勤労感謝の日]
 平成十四年九月六日 宮司職


丹後局供養塔
 源頼朝ノ愛妾丹後局ノ事跡ヨリ起リシモノナリ。丹後局ハ頼朝ノ寵愛厚ク妊娠ノ身ト成リ夫人政子ノ嫉妬ヲ碎ケテ当地ニ至リ伊勢宮ノ瑞籠に隠レテ憩フ處ニシテ男子出生ス。丹後局安産ノ古蹟ヨリ丹後山ト称セリ。又丹後局ノ墓ト言云エラルル塚有リテ局終焉ノ地ト思ハルル処ナリ。爾來幾星霜ヲ経テ当地ハ急激ナ発展ヲ來シ団地造成開発サルルニ当リ塚ヲ改葬シ永ク古蹟ヲ残スト共ニ局ノ霊ヲ慰ムル爲共有者一同供養塔を建立スル者成。


【松尾神社】戸塚区上矢部町421

 稲荷社(松尾神社境内)
 蚕霊神碑(松尾神社境内)


【丸山稲荷大明神】戸塚区上矢部町1624-102


【天神社】泉区岡津町53-3

 庚申塔
 双体道祖神
 ほほえみ観音


【三嶋神社】泉区岡津町2352


【(岡津町)稲荷社】泉区岡津町


【八幡宮】泉区岡津町2074-17

 富士塚
 不動堂


【稲荷社】泉区岡津町1529-2


【白山社】泉区岡津町1552
 向って右は御嶽社です。


【御霊神社】泉区中田北3丁目42-1

   御霊神社
 戸塚区・栄区・鎌倉市域の御霊神社と同じく鎌倉五郎影政を祀った神社で、昔から中田のごりょう様と呼ばれていました。明治の廃仏毀釈前は宮司家の東端に実相院の不動堂や護摩堂がありました。保安林に囲まれた石段下の弁天池は村岡川(宇田川)の源流にもなっています。池の前の庚申塔は、区域最古のもので、地域文化財に登録されています。鳥居横には、中田の子弟の教育に尽力された宮本(いたる)先生の頌德碑があります。
          泉区役所


【道祖神】戸塚区上矢部町1158

嗣法山傳心寺

 嗣法山傳心寺は、『かなざわの霊場めぐり』の第23番として掲載されている曹洞宗の寺院です。近年は、横濱金澤七福神の毘沙門天の霊場となっているので、何度か尋ねたこともありました。今日は、新編武蔵風土記稿の傳心寺の項に『白山社門ニ入テ右ニアリ小社ナリ』とあるので確認してきたのですが、境内にも入定塚のある境外地にも、それらしい社や祠は見つけることが出来ませんでした。


 境内を散策するうちに『洋算比例自在』の著者として知られる原魯?の碑があることに気づきました。


  入成(入定)塚之由来
むかし小柴と野島は濱づたい乃細道で結ばれて居りました。海乃荒る度海岸線は壊されて浜人達は困て居りました。或る秋乃夕ぐれ通りかゝった旅乃修行者(六部)が此乃地は人柱たてねばこ乃通り荒れるであろう。私がそ乃人柱にたってあげたいが今は修行の身で三年後には必ず約束を果たすといふて立ち去りました。月日に関守なく三年後の秋乃夕暮枯すゝき乃茂み乃中にこ乃修行者が立って居りました。
四尺四方の穴を掘り自分乃浩身を埋めて息をするために竹の箸を入れて静かに念佛鉦乃音に変ってそ乃餘韻は静かに秋乃夜空に流れます。虫の音が悲しく調和しますと、とう〱七日目葉末乃露乃悲しき朝を迎いました。併し其乃後はこ乃修行者乃捨身乃功徳に依り道は流される事は無くなりました。浜人は大変喜び感謝乃心を罩めて塚(入成塚)を立てゝこ乃修行者乃霊を弔いました。其乃後タンがらみぜんそく等になった人が願がけをしてたくさんの御りやくを戴いたと信仰されています。
昭和五十年丙己歳長月 川畠金介翁口伝に依る
           富井氏保管控書に依る


 嗣法山傳心寺山門
 開山大和尚禅師歴住大和尚碑
 地蔵尊
 原魯?先生埜碑
 毘沙門天
 伝海入定塚



 聖観世音菩薩像:平潟公園(金沢区平潟町16)
 新しい像と思われます。本尊を同じくする野島山染王寺に縁のある像でしょうか?