逗子、葉山のお社等を散策-Prat2

 今日は、逗子の桜山と小坪で廻り残しの社を廻った後、葉山町へ足を延ばしてみました。
【主な経路】
 自宅-沼間隧道-五霊神社-(桜山上)神明社-亀岡八幡宮-八大龍王社-八大龍王社元宮-諏訪神社-秋葉権現社-披露山公園-波切不動(白滝不動)-逗子海岸-(桜山下)田越神明社-鳴鶴公園-須賀神社-諏訪神社-稲荷社-日吉神社-森戸神社-(堀内)庚申塔-椎森稲荷社-新逗子


【(桜山上)神明社】逗子市桜山5丁目4-39
 桜山に三社ある神明社の内、上の社です。


【萬榮稲荷大明神】逗子市逗子5丁目2(亀岡八幡宮境内社)


 萬榮稲荷(ばんえいいなり)
主祭神は、宇迦御魂神(うかのみたまのかみ)
五穀豊穣・家内安全・商売繁盛の福の神として祀られています。
イナリとは(稻生り)が変化した言葉で全国に四万社あるといわれています。
 当稲荷は、昔の市役所の南側にあったものを、
大正十二年二月十五日境内に移して新築し更に
旧警察署(今の市役所入り口付近)建設にあたり現在地に鎮座しました。
                亀岡八幡宮 氏子会


【八大龍王社】逗子市小坪5丁目20
 三浦半島には、龍神を祭ったお社がいくつかありますが、この社もそのひとつです。かつて大崎公園の南側の三崎突端に座したそうですが、現在この元宮は石の階段や鳥居が崩れ去って石碑だけが残されています。今日は大潮(月齢29.0)でしたから、磯伝いに比較的楽に辿りつくことが出来ました。


     八大龍王の由来
 八大龍王は、漁業に携わる者の守護神で、主として水中に住み、雨や雲を起こす神通力を持つと信じられ、「法華経」で釈迦が同教を説いたときに、その説法を聞いた八尊の龍王の名が「八大龍王」と総称されている。
 また、八大龍王は蛇の形をした鬼神で、天竜八部衆の一つであるとつたえられ、法華経序品に挙げられる八つの龍王で水神信仰などとして祀られている。
 「小坪の漁業と八大龍王社」昔、小坪湾は鷺の浦と呼ばれ、白鷺が舞う美しい海辺であった。
 寿永元年(一一八二)の頃、小坪は六十戸余りの漁村で、源頼朝をはじめ多くの武将の往来があり、しばしば小坪に来遊している。
 隣接する鎌倉の和賀江港(貿易港)の築港は、小坪の歴史に大きなかかわりがあり、開港によって、全国から物や人々が容易に鎌倉に入るようになった。この周辺の海に目をつけたのが、伊勢の商人であった。
 そこで志摩の漁師を小坪に移住させ、徐々に小坪集落が形成されてきたと考えられている。小坪の磯は、昔から特産のワカメが繁茂し、サザエやアワビ等の魚介類が豊漁で、志摩の海人によって、人々に海の恵みを与えてきた。
 海の守り神として祀られている伊勢町八幡宮、亀大神、竜王社などは、伊勢、志摩の漁村に見られ、小坪にも寄進され、そのルーツを知ることができる。
 この龍王社は、歴史的にも古くから存在しており小坪の漁師の厚い信仰があり、現在に伝えられている。
          小坪漁業協同組合


【秋葉権現社】逗子市小坪4丁目15
 当社はGoogleMapにも記載がないのですが、納められた御札によれば、材木座光明寺裏の秋葉権現社を勧請したお社の様です。


【田越神明社】逗子市桜山8丁目16
 現在名は田越神明社ですが、桜山の下社にあたる神社です。鳥居の脇には、なかなか立派なタブノキとカヤが育っていました。


 当神社は田越(たごえ)神明社(しんめいしゃ)と言います。
 祭神は天照大神(あまてらすおおかみ)です。
 伊勢神宮の内宮、天照皇大神宮(てんしょうこうたいじんぐう)よりの勧請状況は記録がなく不明ですが、鳥居の柱には、『元禄十六年六月廿二日』(西暦一七〇三年)と刻まれています。
 元禄十六年は江戸時代・東山天皇の(みよ)で、十五年十二月十四日の赤穂四十七士の討ち入りの翌年に勧請されたと思われます。
 以後三〇〇ねん、氏子十五軒にてお守り致しています。
 当(やしろ)は東京オリンピックに際し、当所に遷座されました。
     平成十五年(二〇〇三年)一月一日
                   田越神明社氏子


【須賀神社】葉山町堀内44
 なぜか拝殿にはウサギの彫刻が在りました。


【諏訪神社】葉山町堀内218
 キツネが守って居る境内社は稲荷社かと思えば、秋葉神社お札が収められていました。拝殿に向かって右側にも石の社が三基ありますが、由緒は不明です。


【稲荷社】葉山町堀内284
 清浄寺の持と思われる稲荷社です。すぐ隣の石のお社の由緒は不明です。


【日吉神社】葉山町堀内295
 境内社に稲荷社が三社、隣には地蔵堂もありました。


【森戸神社】葉山町堀内1025


    森戸大明神  御由緒
永暦元年(一一六〇年)伊豆の蛭ヶ小島に配流された源頼朝公は三嶋神社を深く信仰して、源氏の再興を祈願した。
治承四年(一一八〇年)その神助を得て旗上げに成功して、天下を治めた頼朝公は自らが信仰する三島神社の御分霊を、鎌倉に近き元山王の社地であった此の景勝の地に勧請して、永く感謝の誠を捧げたと伝えられる。
当時のことは、社宝として奉蔵の後二條院並びに花園院の院宣によっても篤く崇敬された様子がうかがわれ、又、吾妻鏡には、この地で加持祈祷が行われ、源氏はもとより三浦、北条、足利諸氏の崇敬も篤く、天正十九年(一五九一年)にし徳川家康公により社領七石が寄進されている。
その後、明治の御代に移り、葉山に御用邸が造営され、ご滞在の折には天皇、皇后両陛下を始め皇族の方々の御参拝を仰ぎ、葉山郷の総鎮守として近郷近在より多くの参詣を得ている。
特に境内より富士、箱根、伊豆、江ノ島を望む光景は絶景で、「森戸の夕照」としてかながわの景勝五十選に選定されている。
御祭神 大山祇命(おおやまつみのかみ)
    事代主命(ことしろぬしのかみ)(えびす様)

御祭日 例大祭 九月 八日
    潮神楽 六月十六日
史跡
飛柏槙(町指定天然記念物)(かながわの名木100選)
 樹齢 八百年余り
 元歴元年(一一八四年)頼朝公が当社を参拝の折、三嶋神社から種子が飛来し発芽したものと伝えられ当社の御神木である。

千貫松
 頼朝公が衣笠城に向う途中森戸の浜で休憩した時、岩上の松を見て「如何にも珍しき松よ」とほめたところ、出迎えの和田義盛は「我等はこれを千貫の値ありとて千貫松とよび候」と答えたという由来がある。


【おせき稲荷社】
 森戸神社の境内社です。


(案内板より)
  おせき稲荷社
 古来より「せきが止まらない人」又「咽を使う職業の人」たちの篤い信仰があります。


【山王日吉社】
 森戸神社の由緒書によれば、頼朝が三嶋神社を勧請する以前から鎮座していた山王社と思われます。飛柏槙のすぐ下に祀られています。


【椎森稲荷神社】葉山町一色


【妙法山神社】葉山町一色


【亀岡八幡の庚申塔群】逗子市逗子5丁目2


 路傍に青面金剛を祀って、「見ざる」「聞かざる」「言わざる」の三猿を刻んだ庚申塔がある塚を庚申塚といいます。
 昔は鳥居の外側の路傍にありましたが、昭和二十年代末期に行われた道路拡張工事でここに移されました。
 中国の道教に由来する禁忌で、庚申の夜に眠ると人身中の三尸(さんし)の虫が罪を上帝に告げるとも、命を縮めるともいわれ、仏家では帝釈天青面金剛を、神道では猿田彦を祀って一晩中起きている「庚申待」という風習があり、平安時代に伝わり江戸時代に盛行しました。
 左から二・三番目が庚申塔で、小さい方が天保三年(一八三二)建立の笠型塔で、一面六臂の青面金剛が合掌して立ち、下部中央に前向きの「聞かざる」、両側に横向きの「言わざる」と「見ざる」が彫られています。
 大きい笠型塔は寛文十一年(一六七一)の建立です。寛文年間に建てられた市内の庚申塔七基中で笠型塔はここだけ、他は舟型塔です。
 一面六臂の青面金剛像が逆蓮華座に乗っており、三猿は塔の三面に各一体ずつ彫られ、正面が「聞かざる」、右側が「見ざる」で、左面が「言わざる」です。
 鎌倉で青面金剛像が彫られた最古の庚申塔は、坂の下御霊社にある延宝元年(一六七三)なので、寛文十一年(一六七一)建立の逗子の方が、鎌倉より二年早く笠型塔を拵えていたのです。
 左端の堅牢地神塔は大地をつかさどる地天(地の神)をお祀りして天保三年(一八三二)二月の建立です。
 右端の馬頭観音塔は馬の保護神として、江戸時代に広く信仰されました。


【向原庚申塔群】葉山町堀内


【葉山教会】葉山町堀内1882


【實教寺の庚申塔群】葉山町葉山町一色1355
 舟型光背の庚申塔のご本尊はお地蔵さんの様です。


 以下、その他本日撮影の写真です。


【参考】
 五霊神社のイチョウ Ginkho biloba
 サンショウ Zanthoxylum piperitum
 フヨウ Hibiscus mutabilis
 ウスヒラタケ Pleurotus pulmonarius
 コンボルブルス・サバティウス Convolvulus sabatius
 サギソウ Pecteilis radiata
 イソヒヨドリ Monticola solitarius
 江の島
 ムラサキウニ Heliocidaris crassispina
 アゴハゼ Chaenogobius annularis
 フナムシ Ligia exotica
 カメノテ Capitulum mitella
 海食洞から見た逗子マリーナ
 アオノリュウゼツラン Agave americana
 ツルナ Tetragonia tetragonioides
 ジャノヒゲ Ophiopogon japonicus
 ノカンゾウ Hemerocallis fulva var. disticha
 ヤブミョウガ Pollia japonica
 波切不動(白滝不動)
 ハマゴウ Vitex rotundifolia
 太陽の季節碑
 タブノキ Machilus thunbergii
 カヤ Torreya nucifera

赤レンガパーク地区で昼食

 本日は、家内と赤レンガパーク地区へ。お昼は、サークルウォークに隣接した国際協力機構(JICA)内のポート テラス カフェメダイのアーモンド焼き定食を戴きました。


【参考】
 みなとみらい地区
 メダイのアーモンド焼き定食
 ビロードモウズイカ Verbascum thapsus
 自宅より(18:32)
 落日(18:33)

逗子、葉山のお社等を散策

【五霊神社】逗子市沼間3丁目10
 沼間の鎮守五霊神社です。境内社はタブノキに抱かれた稲荷社で、境内林は神奈川県指定の天然記念物になっています。


神奈川県指定天然記念物
 五霊神社の大イチョウとその周辺樹
           昭和四十二年七月二十一日指定
 五霊神社の林は規模こそ約二、三〇〇平方メートルと小さいが、住宅密集地の中にあってひときわ緑が映え、遠くからもそのこんもりとした姿をはっきりと確認できる。タブノキの大木が中心で、スダジイ・アラカシ・シロダモ・ヤブツバキなどの自然生の常緑広葉樹のほか、ケヤキやイヌマキの高木も生育している。林内が遊園地として利用されていることから人の出入りも多く、そのため林床植物の生育は貧弱で、根本が露出している木も少くないが、樹勢は良好である。
 また、この林の中にそびえるイチョウは、樹齢八〇〇~一、〇〇〇年と推定され、樹高二十五メートルに達する高木である。
 自然植生の林は、特に都市部において消滅が著しく、今日、その姿はわずかとか残っていない。貴重な郷土の森として長く後世に伝えるために、県指定の天然記念物として保護するものである。
     昭和五十八年三月     神奈川県教育委員会


【不明の社】逗子市桜山4丁目5
 ヨークマート東逗子店の南東隅にある由緒不明のお社です。


【(桜山)熊野神社】逗子市桜山5丁目5-1
 桜山の入口近くの周辺地図に載っていたので気づいた熊野神社です。石造りの境内社がひとつありました。


【(長柄)諏訪神社】葉山町長柄1600-1
 境内社に山王社と稲荷社、拝殿に向かって左側にも石造りの境内社が三基あります。


【櫻山神明社】逗子市桜山6丁目1185
 神武寺山王社の御旅所としたとして創建したと言われる神明社です。


【桜神宮逗子分社】
 桜神宮は教派神道系の神習教の社で、桜山の「桜」とは関係がないようです。


【子ノ神社】逗子市桜山7丁目8-27
 どこにも社名は書かれていませんでしたが、GoogleMapによれば子の神(=大国主命)が祀られているようです。


【山之神社】逗子市桜山7丁目6-27
 宗泰寺の持と思われるお社ですが、現在拝殿を再建中の様でした。背後にある石のお社との関係は不明です。


 その他、本日撮影の写真です。


【参考】
 イチョウ Ginkgo biloba
 キョウチクトウ Nerium oleander var. indicum
 イヌビワ Ficus erecta
 フヨウ Hibiscus mutabilis
 ガビチョウ Garrulax canorus
 カラスザンショウ Fagara ailanthoides
 カラスウリ Trichosanthes cucumeroides
 ラセイタソウ Boehmeria biloba
 アオバハゴロモ Geisha distinctissima
 オニドコロ Dioscorea tokoro
 アジサイ Hydrangea macrophylla
 ショウリョウバッタ Acrida cinerea
 ハナニガナ Ixeris dentata var. albiflora
 十州望
 ヒメイタビ Ficus thunbergii
 ホルトノキ Elaeocarpus sylvestris(神武寺)
 ヤブミョウガ Pollia japonica
 ミンミンゼミ Hyalessa maculaticollis
 トノサマバッタ Locusta migratoria
 ニイニイゼミ Platypleura kaempferi
 オシロイバナ Mirabilis jalapa
 サンセベリア Sansevieria trifasciata

この界隈の白百合は……

 これまで、近所で見かける白百合と言えば、タカサゴユリLilium formosanumかテッポウユリL. longiflorumと思っており、萼筒の外側の色で識別していました。ところが、最近どちらかよくわからない個体が多いことに気づきました。つまり、タカサゴユリの特徴と思っていた萼筒外側の紫褐色の筋が非常に薄い、更には全くなくて純白の個体を少なからず見かけるのです。この色の違う個体の分布は連続的ですし、萼筒の色以外で形態的な違いは見られないようです。
 そこでウェブを検索してみたところ、どうやらタカサゴユリとテッポウユリのハイブリッドであるシンテッポウユリだったようです。シンテッポウユリは種子繁殖が可能とのことで、帰化植物のような現在の分布からみても、今後ますます分布を拡大していくことが予測されます。ただし、シンテッポウユリとタカサゴユリを形態的に識別することは困難だそうですので、今後は白百合 Lilium spp.とします。
 → 野外で分布を広げている白百合は、ほぼシンテッポウユリと考えてよさそうですので、今後は『シンテッポウユリ Lilium x formolongi』を採用します。(2022-06-03)

【参考】
 シンテッポウユリ Lilium formosanum x L. longiflorum

追浜周辺の稲荷社など

 金沢に続いて、地元追浜でも稲荷社を廻ってみました。
【豊海稲荷】須賀市追浜東町3丁目41


【稲荷社】雷神社境内社(須賀市追浜本町1丁目9)


【立石稲荷大明神】須賀市追浜南町1丁目


【稲荷社】横須賀市浦郷町3丁目19


【稲荷社】八王子社境内社(横須賀市浦郷町1丁目90)


【稲荷社】船越神社境内社(横須賀市船越町1丁目11)


【白若稲荷大明神】横須賀市船越町3丁目22


【田浦稲荷】横須賀市田浦町5丁目


【御嶽稲荷神社】横須賀市田浦町3丁目92
 ミツバチの住処になっていました。


【御嶽神社】田浦神明社境内社(須賀市田浦町2丁目1)
 自称は御嶽神社ですが、狐が守っているので、稲荷神が関わっているかも知れません。
-> 記憶と違うので、過去の記録を探してみたところ、この赤い鳥居と狐象は昨年10月までなかったことが判明しました。どうやら、誰かの悪戯、あるいは最近合祀されたのかも知れません。


【稲荷社】
 個人宅の稲荷社の様です。


【白川稲荷跡地】横須賀市船越町6丁目30
 皆ヶ作隧道南側にあった白川稲荷の跡地です。東日本大震災の頃までは鎮座していたと思われます。


【(鉈切)神明社】横須賀市浦郷町4丁目8


【田浦観音堂】県横須賀市田浦町5丁目64
 大山田隧道の上に位置する観音堂です。


【その他本日撮影】


【参考】
 旧浦郷村周辺のお社、など (2017.9.9)
 シンテッポウユリ Lilium x formolongi
 ハス Nelumbo nucifera
 ケイワタバコ Conandron ramondioides var. pilosus
 ヤブミョウガ Pollia japonica
 ジュズダマ Coix lacryma-jobi
 サンセベリア Sansevieria trifasciata
 ギンバイカ Myrtus communis
 シマトネリコ Fraxinus griffithii
 貝山線鉄塔
 アカメガシワ Mallotus japonicus
 庚申塔(正禅寺)
 カノコユリ Lilium speciosum
 ダイコンドラ “シルバーフォール” Dichondra “Silver Fall”
 キクラゲ Auricularia auricula-judae
 ショウジョウソウ Euphorbia heterophylla
 トケイソウ Passiflora caerulea

金沢の稲荷社を巡る

 全国に三万社以上あるといわれる稲荷神社、この界隈にも沢山祀られているのですが、普段見落としがちの場所にも多数存在します。今日は近くの稲荷社を訪ねてみました。


【稲荷社】金沢区町屋町10-10
 町屋の裏路地の稲荷社、鰻料理で知られる隅田川の近くです。


【稲荷社】金沢区寺前1丁目10-26(金澤八幡神社境内社)
 八幡神社の境内社です。カヤの樹の木陰に鎮座しています。


【稲荷社】金沢区柴町52
梅の木に守られたお社です。


【稲荷社(二宇)】金沢区柴町(東山(ひがしやま))
 柴の東方にある東山にあるお社で二宇並んでいます。新編武蔵風土記稿によれば、江戸時代中期まではこのあたりに天王社があったようです。少し下に個人宅内の稲荷社もありました。


【稲荷社】金沢区柴町66
 八景島を臨むことが出来る眺めの良いお社です。


【赤井稲荷】金沢区釜利谷東3丁目4-1


 金澤七井のひとつ、赤井の近くにある稲荷社です。


【西森稲荷大明神】御伊勢山:金沢区六浦2丁目10
 御伊勢山の山頂近くにひっそりと佇むお社です。御伊勢山では、ツクツクボウシが鳴き出していました。


【笠森稲荷大明神】権現山:金沢区瀬戸14
 権現山の東側、金沢八景駅からすぐ近くの稲荷社です。


【豊崎稲荷大明神】金沢区六浦東1丁目33
 グーグルマップでは瀬ケ崎神社と記載されている稲荷社です。新版かなざわ歴史事典によれば、明治42年に瀬戸神社に合祀されたとありますが、影詣りは今でも続けられているようです。



【参考】
 キョウチクトウ Nerium oleander var. indicum
 サルスベリ Lagerstroemia indica
 ムクゲ Hibiscus syriacus
 アブラゼミ Graptopsaltria nigrofuscata
 ハナツルクサ Aptenia cordifolia
 アスパラガス・スプレンゲリ Asparagus densiflorus cv. Sprengeri
 ノウゼンカズラ Campsis grandiflora
 庚申塔(柴町)
 ニイニイゼミ Platypleura kaempferi
 オニユリ Lilium lancifolium
 ヒマワリ Helianthus annuus
 ランタナ Lantana camara
 クサギ Clerodendrum trichotomum
 赤井戸
 ミンミンゼミ Hyalessa maculaticollis
 手小神社
 竹生嶋辨天社
 ショウリョウバッタ Acrida cinerea
 キバナコスモス Cosmos sulphureus
 カラスウリ Trichosanthes cucumeroides

【文献】
 金沢区生涯学習”わ”の会、新版かねざわの歴史事典INDEX金沢、142+33p、2012.
 新編武蔵風土記稿 横浜・川崎編、千秋社、1982.

町屋神社、琵琶島弁天社

【町屋神社】
 旧名は牛頭天王社で、洲崎神社境内の天王社が御旅所となっています。


    町屋神社由緒
御祭神 素戔嗚尊/須佐之男命(スサノオノミコト)
 当社は地元の言い伝えに寄れば、大阪城落城後、豊臣側の家臣が元和元年(一六一五年)この地に移り住み、牛頭天王(ゴズテンノウ)を祭ったのが起源とされています。
 牛頭天王は八岐大蛇(ヤマタノオロチ)を退治して有名な素戔嗚尊の別名で、京都祇園の八坂神社がその本社です。
 自然界、人間界の罪やけがれや悪い病気を追い払って、人々の生活を守ってくれる神様です。
 文化六年(一八〇九年)四月、町屋と洲崎の両村が協議し、天王社を二社に分け祀ってきました。
 しかし、明治二年(一八〇九年)神仏分離令により、天王社を町屋神社に改称し、氏子区域を町屋地域に限定しました。
 社殿は、宝暦九年(一七五九年)改築されましたが、現在の社殿は関東大震災後に再建されました。
 七月の祭礼で御神殿が氏子町内を巡幸する天王祭は金沢地方ではこの町屋神社が最初と言われています。
 昔、御神輿の上に取り付けられた鳳凰は、今でも宝物として大切に保存されていますが古老によれば運慶の作と言い伝えられています。
祭日
 夏季例大祭      七月六日
 天王祭        七月中旬
 秋季例大祭(湯立神楽) 九月十三日
               町屋町内会
               町屋神社


【琵琶島神社】
 横濱金澤七福神の弁財天を祀ったお社です。境内には横浜市指定の名木古木のビャクシン(201727)があります。

  琵琶島神社
御祭神 市杵嶋姫命(いちきしまひめのみこと)
由緒 源頼朝公の御台所北條政子が、深く信仰した近江国の竹生島弁財天を勧請し瀬戸神社々頭の海中に島を築いて祀ったと伝える。島の形が琵琶に似ていたので琵琶島弁財天と呼ばれた。室町時代には舟寄弁財天とも称し、又、御神体が立像であるところから、政子の出世に因んで江戸時代には立身弁財天の信仰を集めた。
例祭 五月十五日 神幸式
 瀬戸神社例大祭に引続き、本社の神輿が琵琶島に渡御し社前で神楽が奏される。

柏槙(びゃくしん) 参道両側の枯れ木は柏槙の名木で、延宝年間の高潮に冠水して立ち枯れたまゝ腐食せず、三百年前の古趣を今に遺している。


  福石
源頼朝公、当社参拜の折、この石に服を掛け、海水で禊祓したので服石とも呼ぶ。古來この石の前で物を拾ふ時は福を授かる故に福石と稱す。
 昭和五十四年五月
 瀬戸神社御鎮座八百年記念健之

良心寺のヤマユリ、など

 久遠山大悲院良心寺は、浄土宗鎮西派知恩院の末寺で14世紀末頃の創建と伝えられていますので追浜地区では最も古い寺院の一つです。この寺の境内には、恐らく自生と思われるヤマユリがあったのを思い出して、朝のうちに訪ねてみました。


【横須賀市指定史跡】
  朝倉能登守室墓
      所在地 横須賀市追浜南町一丁目二七番地
      指定面積 十三・二m2
      指定年月日 昭和四十五年(一九七〇年)五月十一日
 この墓の形態は宝筺印塔といい、総高は二メートルを超えます。基礎正面に「当時建立大旦主大慈院殿法誉良心大姉朝倉能登守奥 天正十一年未六月十一日」の銘がみられます。ただし、建立年代は宝筺印塔の形式から江戸時代初期と考えられます。
 朝倉氏(朝倉能登守影澄入道犬也)は戦国小田原北条氏の家臣で、鎌倉の玉縄城十八人衆に属し、浦郷村追浜を初め、伊豆や上総に所領をもつ武将でした。天正十八年(一五九〇年)豊臣秀吉の小田原城攻めの時には、箱根の山中城を守りました。
 この能登守が夫人の菩提を弔うため、開基となり夫人の法号を寺号として良心寺を建立したと伝えられています。
 平成二十年(二〇〇八年)三月十五日
                      横須賀市教育委員会


 ひと月ぶりに訪ねた大宮では、母が歩行器を利用して歩くことができるまでに回復していました。帰りには横浜で「FUTURE PUB’LIC ヨコハマニシグチ」を通り過ぎましたが、水生生物の展示をしているようでしたので、改めて訪ねる予定です。


【参考】
 久遠山大悲院良心寺
 ヤマユリ Lilium auratum
 朝倉能登守室墓
 木像(良心寺)
 良心寺方面(ベランダより)
 良心寺(ベランダより)
 京急1000系車輛
 ソラナム・ラントネッティ Solanum rantonnetii
 ヘクソカズラ Paederia scandens
 ヘメロカリス Hemerocallis sp.
 ユウゲショウ Oenothera rosea
 セイヨウヒルガオ Convolvulus arvensis
 大宮駅コンコース
 モツゴ Pseudorasbora parva
 バラタナゴ Rhodeus ocellatus

小坪で社を散策 part2

 先週廻った社の内、祭神が不明だった一の宮神社の由緒を調べに、朝から逗子市立図書館へ。この神社は浅草から勧請されたことが判明しました。家に戻って新編相模国風土記稿の該当部分を参照すると、原文通りの引用となっていました。現在で言えば三社祭りで知られる浅草神社縁のお社ということになります。ただし、なぜ祭神が大国主命なのかは依然として不明です。
–> 浅草神社の主祭神の1柱が一之宮大権現(土師真中地)ですが、東照大権現と大国主命も合祀されているとのことです。明治時代の神仏分離以前の浅草神社は浅草寺と一体化していたことが知られています。このため、今では浅草名所七福神の大黒天像は浅草寺に祀られているそうです。どうして、何時の頃、大国主命が合祀されたのかは依然として不明です。(2018/7/14追記)


     一の宮権現社
 風土記にみると江戸浅草寺一之権現社を勧請す。川の南側にあり境内は石柱を以て囲み石の鳥居の奥石造の本殿ありしも地震にて破壊し、仮本殿を建つ。祭神大国主命。【小坪周辺史跡探勝会(その2)】


     一ノ宮権現社
 江戸浅草寺一之権現社を勧請す【新編相模国風土記稿】


     一之權現
 中田の東なる(あかざ)堂と同地に()一之権現と云小社あり此社()土師の祖先を祀れる由此地續き()姥の池あり或人云土師(まつち)の埋葬地()専堂坊屋敷なり檜前(ひのくま)兄弟()従者ゆゑ寺へ葬()たるの今聖天横町の遍照院()濱成成の墓とて存在せり土師()觀音()深き由緒あるを以て其霊を()中田の地()鎮祭して一之權現と稱したりしの其後主従三人の霊を觀音本堂の東傍()鎮め祭りて三社權現と稱したり此一之權現()維新の際三社の末社()移して一之神社と稱せるなり。【隅田川叢誌.続編:漢字表記に違いがあるようですが、原文のまま転載しました】

【文献】
 (ささら) 長一郎(1966)小坪周辺史跡探勝会(その2)、p10-11.【逗子市立図書館蔵】
 蘆田(あしだ)伊人(これと)編集(1985)村里部三浦郡巻之二衣笠庄、新編相模国風土記稿第五巻、雄山閣、p215.
 八掛弓雄(編集)(1910)隅田川叢誌.続編【国立国会図書館デジタルコレクション】
 浅草花川戸一丁目町会、江戸から続く花川戸の史跡、http://www.at-ml.jp/10065193/ (参照 2018-07-14)


 図書館を出て、先週廻れなかった小坪の社を訪ねた後は、鎌倉-朝比奈切通し経由で帰途につきました。

【神明宮】逗子市小坪5丁目7-29(西町)
 旧伊勢町の天照大神社に対して、こちらは旧西町の天照大神を祀るお社です。こちらも眺めの良い高台です。稲荷社の他にも境内社が多数あり、この地区ではお馴染みの双体道祖神もありました。


【白髭社】逗子市小坪5丁目13


 和賀江島がすぐ目の前の海岸に面したお社です。背景はリビエラ逗子マリーナです。


【住吉神社(住吉城址)】小坪5丁目12-9
 こちらも海側の眺めの良いお社で江の島がよく見えます。社殿に向かって右には深さが10m以上はありそうな洞窟がありました。このあたりは、三浦一族の居城だった住吉城のあった場所とのことです。


  住吉城址
 戦国時代の初め、三浦道寸と弟の道香兄弟の奮戦もむなしく戦いに敗れ。道寸は三浦の新井城へ逃れ。道香は逗子の延命寺境内で家来たちと自害したと伝えられています。
 住吉城は山城ですが近世の城のように天守閣もありませんし石垣もありません。自然の地形をうまく利用して攻め寄せる敵を防いだものと思われます。【拝殿前の説明書きより】


【秋葉山大権現社】鎌倉市材木座6丁目18
 鎌倉第一中学校を過ぎて石段を上ると石仏群が迎えてくれました。すぐ海側の光明寺の管理となっており、現在でも光明寺の行事として秋葉三尺坊大権現例大祭が5月に開催されるそうです。


【繁昌稲荷大明神】鎌倉市材木座6丁目17(光明寺境内社)
 繁昌稲荷は、浄土宗大本山天照寺蓮華院光明寺の境内社です。光明寺境内にはさらにもうひとつ神社がありますが、由緒は不明です。


【稲荷社】鎌倉市材木座6丁目1
 タブノキとサンショウに守られた小さなお社をみつけました。


【五所神社】鎌倉市材木座2丁目9-1
 当社では神職の方からいろいろとお話を伺うことが出来ました。
隠れキリシタンに由来する石仏、摩利支天像、御岳信仰に関わる石碑などが多数あり、特に倶利伽羅不動板碑は現存4基の中でも保存状態が良いことで知られているそうです。大切な文化財を守って戴いていることに感謝です。


  五所神社(乱橋材木座の鎮守)
祭神 天照大御神 素戔嗚尊 大山祇命 建御名方命 崇徳院命
 明治二十二年(一八八八)乱橋村と材木座村が合併して西鎌倉村大字乱橋材木座となった後明治四一年(一九〇八)七月に、もとの乱橋村の鎮守、三島神社(現在の地)の地に材木座の鎮守、諏訪神社(現材木座五-十三-八 上ノ山方)乱橋村能蔵持部落の八雲神社(現材木座四-四-二六 公会堂内)、金毘羅宮(材木座四-七-二 武内宅裏山「普賢象山」中腹)、材木座村仲島部落の見目明神(材木座六-七-三五)の四柱を合併して五所神社と解明したものである。
 もとの御所はいずれも勧請年月未詳このうち月目明神は補陀洛寺文書に見目天王文と二貫三百文の地を北条氏康が同時に寄進しているから古くから同寺の鎮守であったと思われる。
 「新編鎌倉誌」には、見目明神をよんだ宝満宮菩薩像があったとみえ「風土記稿」には牛頭天王、見目明神社合併とある。
 三島神社は、乱橋村持「風土記稿」で八雲社を相殿とし、この相殿天王みこし棟札によれば、寛永十九年(一六四二)修造以後、延宝九年(一六八一)元禄十一年(一六九八)元文二年(一七三七)宝暦十三年(一七六三)に修理を加え、万延元年(一八六〇)に再建している。
 諏訪社は補陀洛寺であった「風土記稿」明治八年(一八七五)公達に基づいて皇国地誌調査さんによると次の通り記載されている。
三島社
 式外村社々地東西四間南北六間三尺面積二六坪の東方にアリ大山祇命ヲマツル。
 勧請年歴詳ナラス 例祭 四月 十一月ノ酉ノ日ヲ用ウ
見目社
 同社東西九間南北八間四尺八寸面積七九坪村ノ東西間ニアリ祭神及ビ創建勧請年歴詳ナラス
 例祭 二月二七日 六月七日両回トス
諏訪社
 同社東西八間一尺二寸南北一間六寸面積九坪村ノ南方ニアリ祭神建御名方命勧請年歴詳ナラス
 例祭 六月七日 七月二七日ノ二回トス
金比羅社
 同社東西十間南北七間面積七十坪村の辰ノ方ニアリ祭神金山彦命勧請年歴詳ナラス
 例祭 十月十日

 現在の社殿は昭和六年(一九三一)七月に新築されたものである。
 もとの本殿は明治十六年(一八八三)七月諏訪神社の本殿を合併後、移建したものであったが大正十二年(一九二三)九月一日震災のとき山崩れのため社殿埋没全壊した。
 お神輿三基 一号 諏訪神社 二号 三号 見目神社の持ち物であった。
 祭礼、潮祭り 一月十一日 材木座海岸にて 鎌倉神楽奉送
 春季大祭(祈年祭) 四月十五日 境内 鎌倉神楽奉送
 例大祭 六月第二日曜日 境内 町内お神輿渡御 前日 宵宮祭
 三ツ目神楽 例大祭三日目(火曜日)
 秋季大祭(新嘗祭) 十一月二十四日 境内


  摩利支天像
 摩利支天は陽炎(かげろう)を神格化した神で、目に見えなくても常に身近にいて、月日に先立って進み、進路の障害や厄を覗き、ご利益を施してくれる。剣・弓・金剛杵(こんごうしょ)・軍扇・矛を持ち。猪に乗っている。
 護身、勝利、開運などをつかさどる武神とされる一方、五穀の結実を豊かにする農業の神ともされる。
 この像は三面六臂の丸彫りで、大きいのが珍しいとされる。
大正二年(一九一三)奉納
                   五所神社


  お春像
 「天和四」と彫られていることから、一六八四年の一月から二月(徳川幕府五代将軍綱吉の初期の時代)に作られた石像と思われるが、彼女が誰で、誰が何のために作り、誰のものであったのか、その由来はわからない。
 両手を後ろ手にきつく縛られ、髪の毛は下されて後ろに引かれ、顔をあげさせられている。正座して、単衣の着物は細い帯で左前に着せられている。ということは処刑前の死装束。
 「お春像」は隠れキリシタン殉教の姿と伝えられる。
                   五所神社


重要美術品 弘長二年銘
  不動種字板碑
 この板碑は弘長二年(一二六二)の銘がある貴重なもので、このように完全に保存されたものは極めて稀である。昭和十六年(一九四一)国の重要美術品に指定されている。
 昔は感應寺「修験眞言宗、京都三宝院末」(材木座公会堂のある附近一帯)の境内に建っていたが、同寺が廢寺となったため五所神社創建の際ここに移されたのである。
 石質は黒色粘板岩、不動明王の利剣にからまった倶梨伽羅明王の龍になぞらえた不動明王の種子「カン」の梵字を蓮華座の上に大きく刻んだみごとなもので、上部には天蓋が彫られてある。銘文はいまはその半分が台座の中に埋もれているが、その全文は次のとおりである。
  一見卒都婆永離三悪道
  何况造立者必生安楽国
  弘長二年十一月廿日
  右志者為□□□□□
  父母二親往生□□□□
      管理者 五所神社


【音松稲荷神社】鎌倉市材木座3丁目14-34


  稲荷大神
生物は太陽の力と自分の生命力との合作で出来上る。この事実を知った人間は古代から『イナンナ・イナニナル・イナリ・イネナリ』と云う言葉で天の神を拝んだ。
日本は約2200年前からイナリを拝み一二六二年前京都伏見三峯山のイナリを共栄和合の心で尊崇し今日に至る。他に類を見ない最古の庶民の神てせ伏見イナリが本宮となっている。
 一九七四・二・二十二
      伏見稲荷大社講務本庁
      神奈川県扱所識


【大江稲荷神社】鎌倉市十二所114


【十二所神社】鎌倉市十二所285


【(朝比奈)熊野神社】金沢区朝比奈町578


その他、植物など


【主な経路】
新逗子駅-亀岡八幡宮-逗子市立図書館-(山の根)熊野神社-一の宮神社-神明宮-小坪飯島公園-白髭社-六角の井-住吉神社(住吉城址)-秋葉山大権現社-(不明の社)-繁昌稲荷大明神(光明寺)-稲荷社-材木座たぶのき公園-五所神社-音松稲荷-鎌倉中央食品市場-雪ノ下カトリック教会-鶴岡八幡宮-鎌倉泉水教会-光触寺-大江稲荷-十二所神社-大刀洗-熊野神社-鼻欠地蔵-六浦大道公園-(自宅)

【参考】
 キョウチクトウ Nerium oleander var. indicum
 ハツユキソウ Euphorbia marginata
 サツマノミダマシ Neoscona scylloides
 カラクサナズナ Lepidium didymum
 六角の井(材木座6丁目23-9)
 ノアサガオ Ipomoea indica
 サフランモドキ Zephyranthes carinata の実
 ベニバナボロギク Crassocephalum crepidioides
 カンナ Canna spp.
 タブノキ Machilus thunbergii
 サンショウ Zanthoxylum piperitum
 材木座たぶのき公園
 ロシアヒマワリ Helianthus annuus
 オニユリ Lilium lancifolium
 アオノリュウゼツラン Agave americana
 オモダカ Sagittaria trifolia (雄花)
 ムラサキバレンギク Echinacea purpurea
 コイ Cyprinus carpio
 ヒメヤブラン Liriope minor
 マンリョウ Ardisia crenata
 ムクゲ Hibiscus syriacus
 カサブランカ Lilium ‘Casa Blanca’
 アカザ Chenopodium album var. centrorubrum
 ノウゼンカズラ Campsis grandiflora(光蝕寺)
 ヤブミョウガ Pollia japonica
 タマアジサイ Hydrangea involucrata
 ヤブカンゾウ Hemerocallis fulva var. kwanso
 ツルタケ Amanita vaginata
 カヤ Torreya nucifera (朝夷切通入口)
 レティシアの月
 七夕飾り(追浜駅前)