そろそろ梅雨入りが近いとの知らせを受けて、今日は横須賀のスーパーで買い物。途中で立ち寄ったうみかぜ公園からは、千葉県側がよく見えました。
ストエカス系ラベンダー Lavandula stoechas
イヌツゲ Ilex crenata var. crenata
アリウム・クリストフィー Allium christophii
メリケンガヤツリ Cyperus eragrostis
猿島
日本製鉄の高炉群(君津)
東京湾観音
そろそろ梅雨入りが近いとの知らせを受けて、今日は横須賀のスーパーで買い物。途中で立ち寄ったうみかぜ公園からは、千葉県側がよく見えました。
本日、逗子市立図書館を訪ねた際に撮影した写真です。
東昌寺阿弥陀如来坐像
青竜山東昌寺は真言宗のお寺で、もと鎌倉葛西か谷にあった東勝寺の歴史を受けついだ古刹であると伝えています。
境内の阿弥陀堂にまつられている木造阿弥陀如来坐像は高さが2.5m余の大きなお象で、昔からあった古い像が享保十二年(1727)焼失したものを再建、宝暦八年(1757)十月に完成供養が行われました。
作者は鎌倉扇が谷の仏師三橋宮内忠之です。江戸時代の作品ですが、逗子では珍しい巨像の上、造立の時期や作者も明確で貴重な仏像として市の重要文化財に指定されています。
逗子市教育委員会
【参考】
エゴノキ Styrax japonica
マルバウツギ Deutzia scabra
ウグイスカグラ Lonicera gracilipes
ムラサキシキブ Callicarpa japonica
コゴメウツギ Stephanandra incisa
ウツギ Deutzia crenata
ガマズミ Viburnum dilatatum
ヒミズ Urotrichus talpoides
マユミ Euonymus hamiltonianus
クワキヨコバイ Epiacanthus gutttiger
オニスゲ Carex dickinsii
ムラサキニガナ Paraprenanthes sororia
ヤブキリ Tettigonia orientalis
ホウチャクソウ Disporum sessile
オニドコロ Dioscorea tokoro
クサイチゴ Rubus hirsutus
常盤山査子(ピラカンサ) Pyracantha spp.
メキシコマンネングサ Sedum mexicanum
ヒメヒオウギ Freesia laxa
スイカズラ Lonicera japonica
トベラ Pittosporum tobira
サクラ(?) Cerasus spp.(海宝院)
キウイフルーツ Actinidia chinensis var. deliciosa
稲荷社:桜山4丁目16
ハタケニラ Nothoscordum gracile
ユウゲショウ Oenothera rosea
桜山庚申塔:桜山4丁目15
石塔群:池子2丁目1-5
桜山道祖神:池子2丁目1-5
マメツゲ Ilex crenata var. crenata f. bullata
三浦平九郎胤義遺孤の碑
ヘラオオバコ Plantago lanceolata
カラタネオガタマ Magnolia figo Syn. Michelia figo
トケイソウ Passiflora caerulea
東昌寺阿弥陀如来坐像
庚申塔:池子神明社
石塔群:池子神明社
池子神明社
地蔵尊:池子神明社
コバンソウ Briza maxima
イソヒヨドリ Monticola solitarius、雄
郵便ポスト:池子2-20-4
石塔群:旧将監が谷入り口付近
キショウブ Iris pseudacorus
アヤメ Iris sanguinea
サイハイラン Cremastra appendiculata
マムシグサ Arisaema japonicum
東京南線1・2号線47より東京南線3・4号線47を望む
サルトリイバラ Smilax china
ナツトウダイ Euphorbia sieboldiana
釈迦如来像
ゲンペイコギク Erigeron karvinskianus
ツリージャーマンダー(クリオネ) Teucrium fruticans
ヤマグワ Morus australis
モチツツジ Rhododendron macrosepalum
先週、矛盾に気づいた大蛇退治の伝説を確認するため、今日は、逗子市立図書館で調べもの。帰りの山道で、今年は見逃したかと思っていたサイハイランに出会えました。
さて、文献調査の結果を結論から記せば、池子-浦郷の大蛇退治の伝説の元は、池子の伝説で間違いなさそうです。『逗子子ども風土記,1989』に端的に要約されているので、下記に引用しておきます。
『改訂逗子町誌,1974』の本件に係る記載内容は、ウェブにも公開されている『逗子町誌,1928』と同じでしたが、注が付されているので参考になります。それによれば、かつて『古池』があった場所近くである逗子高校奥に六社明神社があったことが示されています。現在、六社明神社は池子神明社に合祀されており、このことは同社の縁起書から知ることが出来ます。
2つか3つか
池子の話と浦郷の話をはっきり別としている文献があるかという視点から調査したのですが、どうやらひとつもないようです。3つの伝説をそれぞれ別の話として記載している唯一の文献として菊池(1986)がありますが、この文献の『ほろびゆく大蛇(横須賀・浦郷)』をよく見ると勇士の名の間違い方が同じなので『横須賀雑考』の引用に過ぎないことがわかります。横須賀市(1981)も同様の誤字から『横須賀雑考』の引用と思われますが、ここでは浦郷でなく池子の話としています。これらのことから、『浦郷の庄』は現在の横須賀市側が舞台ではなかった、つまり、池子説話と浦郷説話はひとつの話であると推定します。
浦郷の庄?
浦郷説話は、これまで調べた限りでは『逗子町誌,1928』が大元なのですが、今更の様に気づくことは、そもそも『浦郷の庄』というものは歴史上で存在を確認できません。勿論、『浦郷村』あるいは古名である『浦之郷』と読み替えれば意味は通じますが、浦郷側でこの話を収録した資料は確認できませんでした。
『浦郷』という名は『御浦郷』から由来するとも言われており、『浦郷の庄』というのは池子を含むもう少し広い地域を意味していたのかも知れません。
池子説話の根拠
雨宮(1989)は『池子のあゆみ,1961』を引用して、六社明神の祭神は池子の6旧家の先祖であるとしています。『池子のあゆみ,1961』は、池子説話を物語として記載した資料で、本文内にも『骨子はそのままとし、それに装飾をほどこし読者に楽しく読んで頂けるように脚色しましたのでご了承下さい。』とあります。引用元は主として『逗子町誌,1928』と思われますが、根拠となった古文書として下記が挙げられています。
藤原石渡家家系図
池子王将監家家系図
岡本家系図
逗子教育委員会(1971)の指摘にもあるように、天応元年(西暦781年)とする時代考証には問題がありそうですが、6人の勇士がこの地区の祖先に繋がることが明らかなのであれば、この話が池子地区の氏神信仰に基づいていると断定してよさそうです。
浅間山はどこか
『逗子町誌,1928』に記載のある『浅間山の麓』がどこかについてですが、浦郷、池子共に此花咲耶姫をお祀りした浅間社は現在存在しません。しかしながら、浦郷側には前浅間、後浅間の峰に浅間社がかつてあったこと(生方直方、1994)、池子側も神武寺駅の東側辺りに浅間社のあったこと(東昌寺、2008)が示されています。即ち、浅間山に関しては、浦郷、池子のどちらでもあり得ることになります。
【まとめ】
【附記】
浦郷(現在の横須賀市追浜周辺)地区は、かつて軍用地確保のため多くの住民が強制移住を余儀なくされたという歴史があります。このため、旧家古文書の多くが失われており、その中に大蛇退治の説話が含まれていたたかどうかは、もはや確認する術はありません。
もうひとつの沼間伝説は、法勝寺縁起という文献が存在するので、沼間の地で成立した説話であることは間違いありません。加えて沼間山海宝院には『大蛇の鱗』と『蛇の牙』という宝物があるそうです。ただし、三浦古尋録(1812)によれば、これは沼間の大蛇のものではなく、当山開基の之源臨呼和尚が前任地で教化した大蛇に由来するとのことです。海宝院の創建は天正18年(1590)で、法勝寺縁起は延享元年(1744)なので、沼間説話の成立に之源和尚が関わっていた可能性は十分にあります。
【文献】
逗子町(1928)逗子町誌、418p.
池子区郷土研究委員会(1961)六所大明神(池子の伝説)、池子のあゆみ第一集、p.83-87.
横須賀文化協会(1968)浦郷の六社大明神、横須賀雑考、p.113-114.
逗子教育委員会(1971)逗子市文化財調査報告書第2集 沼間・池子、99p.
逗子市(1974)六社大明神、改訂逗子町誌、p.134-135.
横須賀市(1981)鷹取山の毒蛇、古老が語るふるさとの歴史、243-244.
菊池幸彦(1986)三浦半島の民話と伝説、p.99-106.
逗子教育委員会(1989)村を救った6人の勇士、逗子子ども風土記、140.
生方直方(1994)湘南妙義鷹取山に就いて、23p.
雨宮郁夫(2001)逗子の伝説(一)-沼間と池子の大蛇退治-、手帳-逗子の郷土史-、169号、98-106.
高橋恭一(1967)校訂三浦古尋録
東昌寺(2008)、池子の地勢と信仰あれこれ、URL: http://tosyoji.sakura.ne.jp/sub8.htm, Acecced:2021-05-08.
池子神明社と神輿渡御
勤め帰りにいつもと少し違う道を歩いていたら、横浜市指定名木古木を発見しました。市のウェブサイトには未掲載分です。
コロナ禍第四波を受けて、この連休は家で文献整理。沼間(現逗子市)と浦郷(現横須賀市)に残されている大蛇伝説が気になり調べてみました。この二つの伝説は、内容が類似しているだけでなく、その舞台は鷹取山の西側と東側であり、峰で隔てられているものの隣接しています。そもそもひとつの話から派生している可能性も十分にあり得ます。
横須賀雑考(1968)に記述のある浦郷の大蛇伝説は、田浦町誌からの引用となっているのですが、同誌のどこから引用したかみつけることが出来ません。そこで、国立国会図書館の蔵書閲覧で調査したところ、件の引用元は『逗子町誌』であることに気づきました。(横須賀雑考は興味深い資料ではありますが、いろいろと間違いが多いので注意が必要です。)
沼間、浦郷、どちらも七頭の蛇の話なので八岐大蛇を想いおこすのですが、沼間の伝説では諏訪社が係っているので恐らく諏訪の龍神がモデルと思われます。浦郷地区で諏訪系の社は現在一社もないのですが、日向の八王子社が諏訪社を合祀しているとの記述が田浦町誌(1928)にあり、境内にはそれともとれる石祠もあります。
一方、逗子町誌に示された浦郷での物語の舞台となった『浅間山』は、鷹取山の東側の峰である前浅間、後浅間と思われ、生方(1994)によれば、このふたつの峰は以前はひとつであり、関東大震災で倒壊するまではこの二つにそれぞれ浅間社があったそうです。以上の情報から浦郷の大蛇伝説の舞台は鷹取川水系の一つ鳶ヶ入川の上流、現在の追浜南町辺りであったと推定されます。
ここで、気になるのは、現在の八王子社と浅間山では少々地理的に離れており、浜見台の丘に隔てられていることです。旧浦郷地区には八岐大蛇と縁のある須賀神社を合祀している雷神社がありますので、沼間と浦郷の伝説には類似があるものの全くの別系統である可能性もあります。
さらに、ウェブ情報によれば、浦郷の話の比定地は池子だとする情報もありますので、特に浦郷説話についてはこれら情報の基になった資料を探す必要がありそうです。
–> Part2へ続く
【沼間の大蛇伝説】鷹取山の西(相模湾)側
然るに人皇第四十五代聖武天皇の御代、此の沼間の邊に恐ろしき大蛇栖み時々西海邊に出で、往來の船を覆し、火を吐き、毒を吐き、人民を苦ましむこと大なり、仍て當國の守護、長尾左京太夫善應、國家の煩人民の苦しみなることを奏上す。時恰も行基菩薩當地を巡遊し、願殿寺、延命寺、神武寺等に垂跡せらるゝの時なりければ、長尾善應大蛇退治を懇請せり。
行基即ち十一面觀音菩薩を彫刻せられ。小舟に乗りて経文を読みつゝ大蛇を退治せらる、然るに其の功德によりて大蛇却って「我れこれより萬民を救わん」とて其害毒なかりしかば、里民之を祭りて皺神社となす。大蛇七頭なりしため一頭毎に別別の地に祭り七諏訪と稱して今に七社を存す。然れども例祭は八月一日にして同日に行ひつゝあり。
尙此の十一面觀音は最も川上に一宇を建立して長尾山善應寺と稱して安置せり。
而して長尾善應國中の人夫を集め枯木を刈って沼を埋め僅かに小池を存すこれ後の
其後善應寺頽廃して十一面觀音の尊像亡失せり、然るに人皇六十八代後一條院の御宇(道真全盛時代)寛仁年中の頃此の地の領主の息女、絶世の美人にして父母親戚の寵愛淺からざりしに、惜しむべし顔面に悪瘡を生じ醫術を盡すも験なく安倍保仲相して曰く、最早年中に死すべしと。
父母驚きて諏訪大明神(大蛇を祀りたるもの)に祈願したるに其の教へとして十一面觀音の像を小池の邊に發見して厚く祀りて祈りたり、不思議に感應ありて立ち所に平癒して元の如く美顔となり七十餘齢を保ちたり。
仍て小池の邊りに一宇を建立して
後天臺宗の名僧來りて修行せしに天童現れて
後正覺坊と云ふ名僧來って天童山正覺寺と改めたり。(足利時代)
爾後凡五百年を經て又々堂塔、本尊共に頽廃して尊像を失う、寛文年中(徳川四代の末)
檀家葉山氏悪瘡を病み苦惱切にして療養の見込みなく、遂に身を捨てんとし、密かに隣山洞窟の中に入り寢食を絶ちて法華経を唱ふるみと數日なりしに、一夕疲労のあまり一朽水と思えるものを枕とし眠りたりしに急に怖心生じ眼を開けば、さきの朽木と思ひしは誤りにて、これ觀世音の尊像にして不思議の光わ發し洞中赫々たり。又我身を顧るに悪瘡忽癒えたり。
畏れ敬ひて此の尊像を携へて第十八世日長師に、其のありしことを告ぐるに、師は驚きて、不思議なるかな我も昨夜尊貴之高客來るの夢を見る、今此の像を拜するにまことにこれ往昔行基法師の眞作に疑ひなしとて、直に修理せしに容貌端嚴として大慈大悲の德を具へ給ふと、以て今日に至る。まことに由緒深きを知る。
……(以下略)……
![]() 七諏訪社本社 |
七諏訪社【逗子町誌(1928)より転記】
想ふに七社共に諏訪社と稱し其位置何れも秋ヶ谷を中心とし神武寺山門内にあり。而も各谷々の少し登りたる處なり。これ昔此邊沼地にして、稍小高き所を選びし上に土地の隆起に逢ひ今日の位置をなせるか、まことに不思議なる事どもなり。
六社大明神(鈴木三藏藏)【逗子町誌(1928)より転記】
浦郷庄にて淺間山の山下の古池(臺池とも云ふ)に毒蛇住み萬人を取り喰ふ事二十年餘也、此度退治事也、天應元年(一四四一)五月八日に近郷の郷司の面々六十四人出で退治す。其の中にも六人、今の世迄申殘有之毒蛇、七つの頭あり、長さ十五丈餘也、勇士六十四人の内
一、古池大進信光 二、臺池右京純光
三、岡本佐馬正信氏 四、星谷刑部大輔
五、石渡光氏 六、池子王將監大輔成孝
右の者六騎にて毒蛇退治す。同年九月八日に其の體、七つの頭顯して六人に見て其の日七つ時に六人皆一同に死事、故に此の六人を六社大明神と崇奉是事、時に石渡光氏行年四十八歳也、法名曰、阿彌陀寺殿勇勝靈山大居士と號す。是は將鹽ヶ谷阿彌陀寺に石塔立てあり池子古記録にも見賜事也。
導師は東皇寺天界上人、神武寺義山上人、金澤薬王寺和門上人。
【生方(1994)より転記】
*今は前浅間と後浅間は孤立して二つの峰になっているが、大正初期までは山続きで間に約1mの小径があり、その頃は後浅間は前浅間より高峰であったが、大正12年-1923の関東大震災で朽ち果てた。
浅間社(山の神・本宮は山梨県富士吉田市の浅間神社)が老松の下に鎮座していた。後浅間にも浅間社が祀られていたが、関東大震災で崩壊して今は無い。
【(暫定的)まとめ】
湘南地域北部の鷹取山周辺には、害をなす大蛇を退治したという伝説が2ないし3話残されている。その内、沼間地区の逸話は法勝寺縁起(1744)に、水利事業に長けた技術者集団の指導者であった行基が関係していたと記載されており、この伝説が成立した経緯が容易に推測される。ところが、浦郷地区の逸話は、浦郷地域の資料では特段の記載はみつからず、唯一の文献である横須賀雑考(1968)の記述は逗子町誌(1928)からの引用である。また、池子地区の逸話は浦郷地区と酷似しているため、同一の逸話であった可能性がある。また、なぜこれを逗子町誌が池子の伝承としてとりあげていないかは不明である。関連しそうな資料は逗子側に多いようなので、今後は逗子市立図書館の蔵書などを利用して、浦郷-池子での逸話の出展を明らかにする必要がある。
–> Part2へ続く
【文献】
逗子町(1928)大蛇退治、逗子町誌、p.140-143.
逗子町(1928)七諏訪社、逗子町誌、p.150-151.
逗子町(1928)六社大明神、逗子町誌、p.204.
逗子教育委員会(1971)逗子市文化財調査報告書第2集 沼間・池子、99p.
横須賀文化協会(1968)浦郷の六社大明神、横須賀雑考、p.113-114.
田中作造・高橋真太監修(1928)田浦町誌(横須賀郷土資料叢書第3輯,1978年復刻版).
生方直方(1994)湘南妙義鷹取山に就いて、23p.
先週の大楠山に続いて今日は武山を訪ねました。途中で見かけたテンニンソウは、文献によると三浦半島からの報告例はないようですので同定間違いの可能性があります。できれば、花の季節にもう一度確認したいと思います。ナガサキアゲハはこの界隈でもすでに普通種なのかもしれません。
神木相生松記(阿部倉諏訪明神社)
【文献】
城川四郎(1987)神奈川県のテンニンソウについて、神奈川県自然誌資料, 8, 53-58.
神奈川県植物誌調査会(2018)神奈川県植物誌2018(下)、1441-1442.
北原 正彦, 入來 正躬, 清水 剛(2001)日本におけるナガサキアゲハ(Papilio memnon Linnaeus)の分布の拡大と気候温暖化の関係、蛾と蝶、52:4、253-264、DOI:10.18984/lepid.52.4_253、Accessed:2019-09-16.
市制施行七十周年記念
横須賀風物百選
武山初不動
初不動は、例年一月二十八日で、縁日商人や近在の善男善女でにぎわいます。
ここに至る参詣道は、南部、一騎塚、須軽谷、北下浦と四方にあります。それらの登山口には、必ず前不動と呼ばれる不動明王像が立っていて、参詣人の案内役を勤めます。
不動明王は、大日如来が一切の悪魔を払うために変身された姿で、災害を除き財宝を得る功徳があると言われています。とくに、武山不動尊は、航海安全の浪切不動として広く知られ、漁業関係者から厚く信仰されています。
沿岸漁業者にとっては、この山頂が漁場を定める基準として、あるいは、港の方向を知る標準として欠かすことが出来ないお山であったことも信仰を深めた一因と思われます。
「武山の不動さん」と親しまれるこの寺院の正式名称は、「龍塚山持経寺武山不動院」で浄土宗です。ここに安置される不動尊は、御小松天皇の御代、応永四年(一三九七)に奈良東大寺の
この山頂には、オオムラサキ、博多白、妙義山のツツジが約二千本あり、毎年四月下旬に「武山つつじ祭」が行われています。また、この山頂は、一騎塚から現在地を経て砲台山、三浦富士、津久井に至るハイキングコースの一拠点でもあります。
武山不動尊縁起由来
当山は浄土宗龍塚山持経寺不動院と称します。武山は昔日本武尊が弟橘比売命妃と共に御登りになられたので其の名がつけられたと謂はれ又三笠山、浩宮様方も学習院に在籍中は御遊覧にお登りになられた由緒ある歴史を持っております。仰も当不動尊は後小松帝の御写応永四年(西暦一、三九七)奈良東大寺門萬務大阿闍梨が諸国行脚の折当地に立寄り創建したもので国家安全萬民福利を祈願とする道場として一刀三禮感応の霊場、霊作たる不動明王を安置し奉り三浦半島の総鎮守として霊場一番の札所であります。
当山の標高は海抜二百余米の髙燥の地位を占め空気清浄閑雅にして遠くには霊峰富士の山を控え眺望絶佳なるをもって善男善女紳士淑女学生団体の参拝あり又航海者漁夫達の目標の場所として特に篤い信仰を寄せられております。 龍塚山持経寺武山不動院
焼火地蔵菩薩
焼火とは、島根県隠岐島の島前西ノ島町にある焼火山(たくひやま海抜452m)のことで北前船が航路の目標としている焼火権現を武山へ移した地蔵菩薩です。焼火山にある焼火神社に伝わる神火に祈念すると、船が遭難しかかった時には神火が出現して、安全な方向を示してくれると信じられ、海上交通に携わる人々の信仰を集めていました。この信仰の有様は、北斎・広重共に画いています。
武山稲荷大明神鳥居破損修理
令和元年十月のおり、台風十五号で御神木が本堂の屋根に倒れかかり、急きょ枝を切り落とし徐々に鳥居の養生もした上で、伐採を始めたのずすが最後に御神木の根元を切り落とした際、鳥居に当たり破損。みの鳥居は、昭和三十九年に信徒の皆様が奉納された貴重な鳥居なので復元したおり、地元の(有)鈴木石材店鈴木俊充氏の協力で復元が完成いたしました。
信徒の皆様方に御寄付のお願いを申し上げます。
令和二年一月吉日 武山不動院
身代り不動尊・筆塚由来
江戸時代末期文化の頃豪雨の中本堂脇のオオキの大木に落雷大木は真二つにさけ焼焦げとなりました。御本尊御本堂も無事なるを見た人々は御身代りと唱えました。その大木年代を経て芽を吹き青き葉枝をささえ旺盛なる力に感動し参拝の有信者が手を合わせ身代り不動尊を唱えこれをまつりました。
合掌
筆塚
人は皆筆により智を幸を知るその筆に感謝し成長する事を念じここに筆塚を信者の賛同御寄附を得て建立されました。
合掌
龍塚山持経寺武山不動院
神木相生松記
本社の背ニ巨枩アリ相傳テ神木トス張根雙幹鬱蒼一畝龍踊リ雲覆フ遠ク近ク
望ハ青幢ノ半空ニ懸カ如シ怪形翁鬱眞ニ愛スヘシ惜哉安政年中己枯レ今終二
朽株ヲ存スル而巳矣頃日予宿志ヲ以テ庚申塔ヲ本社ノ傍ニ建ツ其ノ成ニ及テ里中ノ
老少弓會シテ宴ヲ社前ニ張ル行酒ノ間タリ誇偶マ神木ノ事ニ及テ予卒余曰ク枯松
己成石ト堅客相視テ謁ク翁ノ言謬レリ古言樟樹千歳化石ト未タ松ノ石ニ化スル
ヲ聞サル也予笑テ辨セス杯ヲ挙ケ板ヲ撃テ大歌フ老少和舞社頭湧カ如シ己ニ
シテ夕陽客感帰ル予亦返テ寝ニ記リ恍惚聲アリヨリ翁ノ前言訛ハ則訛ナリ然
陰陽相感シ物類相拓ク古尚ホ非情ノ有情ニ變スル者アリ若春樟ノ化テ石ト為ル
ヲ信セハ松ノ變テ石ト為ルモ亦タ怪二足ラサル也況後人此碑二因テ曽テ巨松有
シヲ知ルヲ得ハ則チ松ノ堅心石ト為ルトヨシモ亦可也予驚テ之ヲ見レハ四壁□然
只タ冷風ノ窓紙ニ吟スル而己矣 關口老夫誌
明治廿二巳丑年六月廿三日
關口佐兵衛治 謹テ
阿部倉の七不思議【横須賀雑考より転記】
10.阿部倉の七不思議
阿部倉の七不思議という口碑が昔からあり今でもこれが伝えられている。その七つとは(一)明神の相生之松、阿部倉の鎮守諏訪明神社境内に新しく松を植えるとこれが必ず相生の姿になるという。(後略)
【文献】
横須賀文化協会(1968)阿部倉の七不思議、横須賀雑考、p.127.
先週に続いて、今日も逸見から阿部倉方面を訪ねました。
【主な経路】(逸見駅)~池上~阿部倉~坂本~ヴェルニー公園~西逸見~吉倉~田浦~船越~(自宅)
今日は、昼から久良岐公園を訪ねました。
【主な経路】(上大岡駅)-久良岐公園-(屛風浦駅)
里桜の季節が過ぎゆく頃は躑躅の見頃でもあります。躑躅を探して訪ねた大楠山の周辺ではニリンソウやナツグミが花盛りでした。
【主な経路】(逸見駅)~沢山~池上~湘南国際村~大楠山山頂~阿部倉~塚山公園~十三峠~船越~浜見台~(自宅)
景観重要樹木指定ツツジ 52株:沢山小学校
ヒラドツツジ Rhododendron x pulchrun
永島家のカヤ:かまくらと三浦半島の古木・名木50選
カヤ Torreya nucifera
葉山町指定重要文化財 天然記念物
木古庭滝不動尊常緑樹林及び境内樹林
昭和四十三年二月二十九日指定 第九号
木古庭神明社
上山口の棚田
この棚田は『にほんの里100選』(2009年)に選ばれた上山口の代表的な棚田で、地域の環境循環型営農(稲作、畑作、酪農、水資源、生活文化)の中核をなしています。また、身近な生き物との共存を目指しています。
2000年には、この棚田で収穫されたお米が皇室の新嘗祭に献上されています。
湘南国際村とは?
湘南国際村は、葉山町と横須賀市にまたがる約200haの区域です。
昭和43年に三井不動産㈱が土地(当時はゴルフ場)を取得し、土砂崩れなどの災害が発生していたこの地域に適切な防災対策を行いながら、緑豊かな国際交流拠点として開発を進め、平成22年1月に整備を完了しました。
現在、湘南国際村には、「湘南国際村センター」をはじめとする11ヶ所の研究施設、2ヶ所の研究機関と住宅が立地しています。
湘南国際村めぐりの森
湘南国際村めぐりの森(約100ha)は、三浦半島最高峰の大楠山(標高241m)に連なる緑のネットワークを掲載する貴重な緑地です。
このかけがえのない自然を保全し、未来に残していくため、三井不動産㈱は、三浦半島在来種の樹種による緑の復元や散策路の整備などを行い、平成22年3月に神奈川県に寄付しました。
現在、神奈川県では、樹種をはじめとする地域固有の自然に配慮した森づくりを、様々な企業や団体と協働により進めています。
※「めぐりの森」は、太陽の恵みを森林資源の活用から植樹・森づくりへの「循環」させていくことをイメージして名付けられました。
モッコウバラ Rosa banksiae
ドクムギの一種(ホソムギ?) Lolium sp.
ダールベルグデージー Thymophylla tenuiloba
コマツヨイグサ Oenothera laciniata
ヤマグワ Morus australis
イタドリ Fallopia japonica
ナガミヒナゲシ Papaver dubium
カラクサナズナ Lepidium didymum
オランダミミナグサ Cerastium glomeratum
ヤエムグラ Galium spurium
馬頭観音:葉山町木古庭1698
シロバナタツナミソウ Scutellaria indica f. amagiensis
アサリナ Asarina procumbens
ヒイラギ Osmanthus heterophyllus
キツネノボタン Ranunculus quelpaertensis
タチツボスミレ Viola grypoceras
大沢の庚申塔:葉山町木古庭761
ホウチャクソウ Disporum sessile
ハルジオン Erigeron philadelphicus
カキノキ Diospyros kaki
チャンチン Toona sinensis
セダムの一種 Sedum oaxacanum (?)
キランソウ Ajuga decumbens
上山口の棚田
ムラサキケマン Corydalis incisa
ヒメオドリコソウ Lamium purpureum
カキドオシ Glechoma hederacea
シロバナヤハズエンドウ Vicia sativa subsp. nigra var. segetalis f. albiflora
ハナヤエムグラ Sherardia arvensis
オオジシバリ Ixeris japonica
江ノ島遠望
カントウタンポポ Taraxacum platycarpum
ブタナ Hypochaeris radicata
湘南国際村
ユズリハ Daphniphyllum macropodum
地球環境戦略研究機関(IGES)
大楠山
ヒメコウゾ Broussonetia kazinoki
ナツグミ Elaeagnus multiflora
スズメノエンドウ Vicia hirsuta
イヌシデ Carpinus tschonoskii
ツボスミレ Viola verecunda
イヌガヤ Cephalotaxus harringtonia
ウワバミソウ Elatostema umbellatum
石塔群:阿部倉30-1
ハゴロモジャスミン Jasminum polyanthum
阿部倉諏訪神社
東京湾の夜景(塚山公園より)