武蔵一之宮氷川神社の境内社

 実家を訪ねた帰りに武蔵一之宮氷川神社に立ち寄りました。身近過ぎて、これまで撮影したことがあまりなかったのですが、摂社末社の社殿がいつの間にか新しくなっていました。50年くらい前には御嶽神社の前あたりに秋葉権現の碑があった筈ですが、今はどこにあるのか確認できませんでした。(注:秋葉 = 大己貴とする説があるようです)
  茅の輪(ちのわ)くぐり  氷川神社の分布(GoogleMap)


門客人(もんきゃくじん)神社(摂社)】
祭神:足摩乳命(あしなづちのみこと)
   手摩乳命(てなづちのみこと)

 門客人神社は荒脛巾神が祭神で、出雲系の氏族が侵入する前からの古い神社だと思っていたのですが、最近設置されたに違いない説明版では、足摩乳命、足摩乳命が祭神となっていました。この二柱は、氷川神社の主祭神である素戔嗚尊の義理の両親です。伺った見方をすると、末社を摂社に格上げするための方便だったのかも知れません。いずれ文献に当ってみたいと思います。


攝社門客人社(新編武蔵風土記稿より転記)
 男體社ノ東ニアリ祭神ハ豊磐窻命櫛聲窻命ノ二座ニテ古ハ荒脛巾神社ト號セシヲ氷川内記神職タリシ神祇伯吉田家ヘ告シテ門客人社ト改號シ手摩乳脚摩乳二座ヲ配祀スト伝按ニ出雲國杵築ノ攝社ニ門客人社ト云モノ二宇アリテ東ハ櫛磐間戸命西ハ豊磐間戸命ヲ祀ル由ナレハ門客人號ハ全クコレニモトツキシナラン又脚摩乳手摩乳ノ二神ハ同所夭前社ノ祭神ナレハ爰ヘ配祀セシナルヘシコレ等ニ據テモ當所氷川社ノ簸川上杵築社ヲ移シ祀リシコト證スヘシ


御嶽(みたけ)神社】
祭神:大己貴命(おおなむちのみこと)
   少彦名命(すくなひこなのみこと)


松尾(まつお)神社】
祭神:大山咋命(おおやまくいのみこと)


宗像(むなかた)神社】(摂社)
祭神:多起理比米売命(たぎりひめのみこと)
   市寸島比売命(いちきしまひめのみこと)
   田寸津比売命(たぎつひめのみこと)


【猿田彦大神祠】


【金比羅大権現祠】
祭神:大物主神(おおものぬしのかみ)

注:金比羅大権現の祭神は大物主神とも言われており、大物主神は大貴己の和魂(にきみたま)とされるため、氷川神社と縁があるとも解釈できる。


【氷川稲荷神社】
祭神:倉稲魂命(うかのみたまのみこと)



【住吉神社:六社】
祭神:底筒男命(そこつつのおのみこと)
   中筒男命(なかつつのおのみこと)
   上筒男命(うわつつのおのみこと)
【神明神社:六社】
祭神:天照大御神(あまてらすおおみかみ)
【山祇神社:六社】
祭神:大山祇命(おおやまづみのみこと)
【愛宕神社:六社】
祭神:迦具土命(かぐつちのみこと)
【雷神社:六社】
祭神:大雷命(おおいかづちのみこと)
【石上神社:六社】
祭神:布都御魂命(ふつのみたまのみこと)


【天津神社】(摂社)
祭神:少彦名命(すくなひこなのみこと)


【天満神社】
祭神:菅原道真公(すがわらみちざねこう)



神橋
包仙碑:氷川神社境内
夫婦楠:氷川神社境内
稲荷社:大宮区高鼻町2丁目266
白梅:大宮区高鼻町2丁目128
二の鳥居
庚申神社:大宮区浅間町2丁目4-1
シロヤマブキ Rhodotypos scandens


【浅間神社】大宮区浅間町2丁目21-5

   浅間山由来(千間山思考)
 日光門跡輪王寺宮四代公寛親王が上野寛永寺と日光間を三往復されていた折に街道筋の幕府から請地している者たちが、沼地の干拓を熱望していることを聞き徳川八代将軍吉宗に用水路の普請と沼地の干拓を進言したことから見沼代用水工事が幕府直轄で始まることとなった。
 徳川吉宗の命により享保十年八月から普請役安田太左衛門はこの工事を行うための測量、設計に必要な三角点の一つが現在の浅間山の地点にもとめられた。
 付近の荒れ地から土を運び、山を築き、櫓を組み水平版を設置して用水路の通貨地点の高低を測る工事を施工した。この三角点との距離が大体千間あったので、当時の住民はこの山を千間山と呼んでいた。江戸中期には山岳信仰が盛んとなり、当地でも富士山の浅間神社をこの山に祭ることになり、浅間山と呼ぶようになったものと思われる。
  浅間神社
 浅間山の祠には山岡鉄舟が揮毫した「浅間祠」の碑があります。鉄舟は政治家で勝海舟、高橋泥舟と共に「幕末の三舟」と称された傑物です。鉄舟が片柳染谷村の常泉寺に逗留していた頃浅間様の有力な氏子の依頼にて鉄舟が揮毫したもので、富士山の方角に向けられてあり浅間祠の碑は明治十八年にたてられたものであります。
  浅間神社 例祭
 富士山山開きの毎年七月一日の初山の行事が行われます。この日に前一年に生まれた子供たちが親に抱かれてお詣りし、お祓いを受け、子供の額に『初山』の朱印を押してもらい団扇をうけ親戚や知人に配って子供の健康を祈るものです。
  浅間稲荷
東松山箭弓稲荷のお札をお祀りしています。
五穀豊穣 商売繁盛 交通安全等の祈願社として信仰されています。
御祭日
 初午祭(三月初午)
  平成二十七年三月吉日   浅間町自治会館管理委員会


D5190号㐧3動輪

     記
 我が日本国有鉄道が開業してから、97年有余経過し、文化及び産業経済の発展に寄与し、蒸気機関車の型式も幾度となく移り変り、日本国有鉄道の代表的蒸気機関車として、昭和11年D51型式が登場し、国鉄の花形として輸送に活躍してきたが、時勢の進展と共に、昭和44年10月に大宮機関区から親しみ深かった蒸気機関車が姿を消すこととなり、その置換えに新鋭のDL機関車が投入され、新たに輸送の任についた。
 昔日の面影を偲び、長らく働いてくれた労苦をねぎらうと共に、将来もこの偉業をたたえ、記憶の想い出として、当区の最後の機関車D5190号の㐧3動輪を大宮工場より譲りうけ、永く記念として区員一同協力して、昭和44年8月にここに鎮めたものです。
     昭和44年8月   大宮機関区区長 岡田 穣

戸塚区の名木古木-part1

 今日は、戸塚を起点に横浜市の名木古木を訪ねました。


横浜市指定名木古木
原宿浅間社:戸塚区原宿3丁目17-8

 No.49542 スダジイ Castanopsis sieboldii
 No.49543 スダジイ Castanopsis sieboldii
 No.49544 スダジイ Castanopsis sieboldii
 No.49545 スダジイ Castanopsis sieboldii
 No.49546 スダジイ Castanopsis sieboldii
 No.49547 スダジイ Castanopsis sieboldii


三嶋神社:戸塚区深谷町1026
 No.50152 スダジイ Castanopsis sieboldii
 No.49539 モミノキ Abies firma
 No.49540 ヒノキ Chamaecyparis obtusa


 【滅失】イロハモミジ Acer palmatum 俣㙒神社:戸塚区俣野町763
 【滅失】イチョウ Ginkgo biloba 深谷山青陽院専念寺:戸塚区深谷町1021

 市民グラフヨコハマ115号(2001)によれば、俣㙒神社にはイロハモミジ、専念寺にはイチョウがあった筈ですが確認できませんでした。この2本は滅失と思われます。俣㙒神社にはイロハモミジの若木が3本ほどありました。


 No.200412 モチノキ Ilex integra 戸塚区汲沢町398-2


 No.56021 ケヤキ Zelkova serrata 戸塚区汲沢町251


汲澤山宝寿院:戸塚区汲沢4丁目32-6
 No.48218 イチョウ Ginkgo biloba
 No.48219 シダレザクラ Cerasus itosakura


五霊神社:戸塚区汲沢町1273
 No.54034 モミノキ Abies firma
 No.54035 スダジイ Castanopsis sieboldii


熊野山松樹院西立寺:戸塚区戸塚町2226
 番号不明 イチョウ Ginkgo biloba


富塚山親縁寺:戸塚区戸塚町464
 番号不明 イチョウ Ginkgo biloba


【俣㙒神社】戸塚区俣野町763


【原宿浅間神社】戸塚区原宿3丁目17-8

 村社浅間神社
一、御祭神
 木ノ花之佐久夜姫ノ命
火難消除安産航海農漁業の守護神
總本社 富士山本宮官幣大社浅間大社 横浜市戸塚区原宿四三一番地
一、御由緒
 永碌年中中村安全を祈願し当社を勸請す玉縄城主北條左衛門太夫の崇敬厚く社殿を建立せり安永間ねん造営安政五年再建明治九年改築浅間社として村社列格大正初期本殿改築昭和七年九月浅間神社と改稱昭和五十一年九月本殿拝殿社屋を中心に改修参道境内整備築造される
一、境内地 五百八十四坪
一、社殿 本殿 拝殿


【稲荷社】戸塚区深谷町515-2


【三嶋神社】戸塚区深谷町1026


【深谷山青陽院専念寺】戸塚区深谷町1021

  鎌倉権五郎影政と専念寺の深谷目薬師
 前九年の役の鎮定功労者陸奥守源頼義の嫡男八幡太郎義家は陸奥守となり赴任したが、奥州の覇者清原武則家の家督争いにまきこまれ、まれに見る大乱となった。戦場は沼柵からさらに要害の地金沢柵に移るが義家軍の苦戦の報が都に届くと義家の弟新羅三郎義光(甲斐源氏武田祖)が京から来援、これに力を得た義家が総攻撃し非常な苦戦の末、寛治元年十一月(一〇八七)、金沢柵を陥落させ、家衡を討つことに成功し、後三年の役はようやく終幕となった。
 この戦いに弱冠十六歳の鎌倉権五郎は金沢柵の戦いで敵の矢に左目を射抜かれると戦友三浦為次が駆け寄り、影政の顔に足を掛け、その矢を抜こうとするや影政は「武士の顔に足を掛けるとは」と怒り刀を抜いて切りかかったと言う。
 凱旋後影政は守り本尊の深谷薬師に治療の願をかけ、寺の前の清流で目を洗ったところ、たちまち目の傷が癒えたと言われる。
 深谷薬師は霊験あらたかな目薬師如来として信仰厚く、今も十二年毎に開扉している。鎌倉時代には活躍した大庭、俣野、梶原一族も戦国大名上杉謙信も鎌倉権五郎影政の子孫である。
  平成十五年三月 吉日
          大正地区歴史散歩の会


【五霊神社】戸塚区汲沢町1273

   五霊神社由緒沿革
 祭神五柱
村岡五郎平良文公(桓武天皇曾孫髙望王第五子で村岡郷の初代城主となる)
村岡公致(義家)公 村岡致成公
鎌倉影成公    鎌倉権五郎影政公
正親町天皇元亀二年(一五七一年)九月十九日創建
當時此の地は村岡郷に属しており森織部義秀が村岡郷宮前村(現藤沢市宮前)御霊社を勧請し守神とした。後に鎌倉権五郎影政公を合祀して祭神が五柱となるにつき社名を五霊と改ためたと云う。村岡五郎良文公は皇族より始めて平姓を賜わった髙望王の子で全国 平姓の祖とも云うべき方を祭神として奉斎する神社は珍しい。
 慶長二年(一五九七年)社殿を再興して五靈大権現と称した。其の後社殿の改築二回、更に大正十二年関東大震災に倒壊して翌年復興し数度の修復を行ったが近年雨漏りを憂いて森今?氏が多額の浄財を奉納されこれを基に氏子一同これに賛同奉納し流造りの社殿を改め權現造りの様式にて御造営を成し昭和五十七年十一月六日に竣功した。
茲にこれを祈念して建設委員一同由緒碑を建設する。
     御神徳 家運隆盛 厄除 安産 学業成就 交通安全
     大祭日 例年十月一日(現在は直近の日曜日)
          宮司 本多正義記


 山ノ神社(五霊神社境内社)


【下郷熊野神社】戸塚区戸塚町2225-1

   下郷熊野神社の由来
一、鎮座地 横浜市戸塚区戸塚町二二二五番地
一、御祭神 家津美御子大神(けつみみこのおおかみ)素戔嗚尊(すさのおのみこと)
一、由緒沿革
 新編相模風土記には享禄年中に村民信心の右衛門と申す者が藤澤の遊行上人に帰依し剃髪して僧侶となり信阿と號す。
 後に紀州熊野本宮に詣で熊野大権現を当地に勧請して傍に草案を結び常念佛修業したのが始めで善男善女の信迎する者が多かった。昭和五十三年一月神社創建四百五拾周年に当り氏子總代世話人等の良き理解を得て浄戝を廣く氏子崇敬者の浄信に募り内外共に力を合せて昭和五十四年二月?日無事完成する。二月十三日改めて氏子代表十二名熊野本宮へ参詣し御分霊を奉還勧請し四月十五日御遷座の神事を執行せり。
一、祭事
 元旦祭 一月一日
 奉還祭 二月十三日
 節分祭 二月上旬
 例大祭 古くは九月十三日
        九月二十日
     現在は九月上旬
  昭和六十一年九月吉日 伊藤氏寄贈


【冨塚八幡宮】戸塚区戸塚町3827

冨塚八幡宮 戸塚の鎮守様 勝負海運 厄除けの神社
御祭神 誉田別命(応神天皇)
    富属彦命(相模国造二世孫)
例大祭 八月第一日曜日(前日宵宮)
   御由緒
 平安時代、前九年の役平定のため源頼義。義家が奥州に下る途中、この地にて応神天皇と富属彦命の御神託を蒙り、其の加護により戦功を立てることが出来たのに感謝して、延久四年(西暦一〇七二年)社殿を造り両祭神をお祀りしました。
 社殿後方の地は富属彦命の古墳であり、これを富塚と称した事により戸塚の地名が発祥したと伝えられています。
 戸塚(富塚)一族は昔この地に住み、当神社を氏神として崇敬しておりました。現在全国に散らばる戸塚姓富塚姓の方々の守護神でもあります。
 現在の本殿は天保十四年、拝殿は昭和九年の造営になります。
 明治六年には其の由緒を以って戸塚・泉・瀬谷・栄区唯一の郷社(近郷を鎮守する神社)に列せられました。
宮御神輿 宮御神輿は江戸時代天保十四年の作で、平成元年から二年かけて大修理を行いました。
   境内社
玉守稲荷 豊作 商売繁盛の神様
冨塚天神 学問成就 合格祈願の神様


鎌倉を 生きて出でけむ 初松魚(かつお)
     芭蕉翁
 当時鎌倉で水揚げされた初鰹は戸塚を通り江戸に運ばれました。
 嘉永二年、当地の俳人達によって戸塚にちなんだこの句の碑が建てられました。


冨塚八幡宮(天神様)
     御祭神 菅原道真公
  学問成就 合格祈願の神様
 江戸時代末、当宮神主が開いていた私塾の門弟達が、学問の成就を願い、明治元年に建立しました。
 ながらく境内奥まった所に在りましたが、その霊験あらたかなるを以って平成十一年、この処に遷しました。


【八坂神社】戸塚区戸塚町4189

     由来
 元龜參年六月郷の庄司内田兵庫源正親が牛頭天王社を草創勧請したものであるがいつしか社殿敗壊眞躰の神器は草もうの中に散在し止むなく地中深く埋め祭祀を缺くこと貳佰年に及んだ内田氏の末葉内田左衛門尉源政利これを憂い元禄元年矢部村庄司河原氏の霊夢により土壌を起し眞躰を得てその再興をはかり祭祀を行った。
 明治初年八坂社を改め更に昭和七年九月十九日八坂神社と改称した祭典は七月七日拾四日まで行事は七月十四日無病息災を祈願して行われるお札まきは町内男子拾名が女装し渋団扇を打ち原始的踊りをしつゝ五色のお札を中天に撒く


 通称「お天王さま」として親しまれている戸塚宿の鎮守です。元亀三(五七二)年に、牛頭天王を勧請したのが始まりと言われています。毎年七月十四日に行われる。「お札まき」は、無病息災を祈願して市の指定無形文化財になっています。神社脇の東海道と鎌倉道が交差するあたりに高札場がありました。


横浜市無形文化財 お札まき
 平成三年十一月一日指定
 保存団体 お札まき連中
 行われる時期及び場所
  毎年七月十四日
  戸塚区戸塚町四一八九番地八坂神社他町内各所
 お札まきは、七月十四日ま八坂神社の夏祭りに行う踊りで、同社の元禄再興とともに始まったと伝えられています。ひの踊りは、江戸時代中期、江戸や大阪で盛んに行われていましたが、やがて消滅し、現在は東海道の戸塚宿だけ伝えられています。
 男子十数人が姉さんかぶりに(たすき)がけの女装をして(すそ)をからげ、渋うちわを持ち、うち音頭取り一人はボテカズラをかぶります。音頭取りの風流歌に合わせて踊り手が唱和しながら輪になって右回りに踊ります。踊り終わると音頭取りが左手に持った「正一位八坂神社御守護」と刷られた五色の神札を渋うちわで撒き散らします。人々は争ってこれを拾って帰り、家の戸口や神棚に貼ります。神社境内で踊り終わると、町内各所で踊り、神社に戻ります。
 風流歌の歌詞に「ありがたいお札、さずかったものは、病をよける、コロリも逃げる」という文句があることから、祇園祭と同様な御霊信仰に基づく厄霊除(やくりょうよ)けの行事であることがわかります。
 神札を路上に撒き散らして人々に拾わせる護符配りは、現在では極めて珍しく、民間信仰資料として貴重です。
 平成四年三月   横浜市教育委員会


本日撮影その他の写真


【参考】
 メキシコハナヤナギ Cuphea hyssopifolia
 ホトケノザ Lamium amplexicaule
 地蔵堂:戸塚区俣野町769
 ロウバイ Chimonanthus praecox
 庚申塔5基:戸塚区俣野町593
 バーバーひまわり:戸塚区深谷町15-17
 タイワンリス Callosciurus erythraeus thaiwanensis
 庚申塔(3基):原宿浅間神社
 ウメ Prunus mume
 双体道祖神:戸塚区汲沢4丁目36-3

エレガンスみゆき(横浜イングリッシュガーデン)など


 サクラとウメの交配種エレガンスみゆきが咲いていると聞き、横浜イングリッシュガーデンを訪ねました。当該木は2本あり、今が見頃です。園内の表示によれば、サクラとウメの交配種ですが、雄蕊が目立ちますし、花の色や形もサクラらしくはありません。でもよく見れば、樹皮に皮目がありますし、花弁の形もサクラに似ていました。萼筒の形が丸みを帯びていますので、親のサクラは江戸彼岸系かも知れません。

 園内の表示は「エレガンス・ミユキ」でしたが、農林水産省への品種登録名は「エレガンスみゆき」となっています。
 冬咲のサクラとしては、十月桜と子福桜も開花中でした。






横浜市指定名木古木
 No.201119 エノキ 稲荷社:保土ケ谷区峰岡町2丁目128番1
 No.201120 ケヤキ 稲荷社:保土ケ谷区峰岡町2丁目128番1
 No.201121 ケヤキ 稲荷社:保土ケ谷区峰岡町2丁目128番1
 No.201822 クスノキ 春日神社:港南区日野中央2丁目9-3
 No.201823 ツバキ 春日神社:港南区日野中央2丁目9-3
 No.201824 モチノキ 春日神社:港南区日野中央2丁目9-3


【(峰岡町)稲荷社】保土ケ谷区峰岡町2丁目128番1
現在、GoogleMapに記載のない社ですが、境内には2011年横浜市指定の名木古木が3本あります。


【野庭神明社】港南区野庭町603-2
 向って左の境内社は山神社、右側は三つ巴が神紋の社です。


【春日神社】港南区日野中央2丁目9-3

 石塔群:日野春日神社
 境内社:日野春日神社
 木花開耶姫像:日野春日神社
 境内の高台には、浅間社、白村社、水神社、稲荷社が鎮座する他、2018年横浜市指定の名木古木があります。


【野庭神社】港南区野庭町1838

   野庭神社「蔵王権現御嶽社」
 元亀元年「一五七〇年」室町幕府の足利将軍義明の時代、野庭郷といわれた頃、御当地開発者、臼居杢右エ門氏が、大和国?野山の地主御宇西ノ町権現山に蔵王権現社として建立されたものと言う。
 祭神は日本武尊で有る。「一七八九年」寛政元年現在地に移転された。其の後、神殿の老朽に伴い、明治三年十月臼居家十六代藤八利胤の発願により、上野野庭村の総意を以って造営されて、此の年神祇官により、野庭神社御嶽社の稱号を授けられた。祭神の新たかなることは有名で、爾耒御当地の氏神として信仰の中心として今日に至っている。
  昭和五十五年
         上野庭町内会文化部



 八地蔵:日野町内会館
 石塔群:日野町内会館
 庚申堂:日野9丁目5-7


【参考】
エレガンスみゆき Cerasus x Armenica mume ‘Elegance Miyuki’
サクラ
 十月桜 Cerasus x subhirtella cv. Autumnalis
 子福桜 Cerasus x ‘kobuku-zakura’
バラ Rosa spp.
 ピュール・カプリス ‘Pur Caprice’
 イージー・ダズ・イット ‘HARpagent’ Easy Does It
 パーマネント・ウェーブ ‘Permanent Wave’
 エリザベス・テーラー ‘Elizabeth Taylor’
 ヴィリディフローラ(グリーン・ローズ) ‘Viridiflora’
 さくら Rosa‘ZENposakura’ Sakura
 桜木 ‘Sakuragi’
 イングリッド・バーグマン ‘POUlman’ INGRID BERGMAN
 レッド・クイーン ‘KORtocrea’ RED QUEEN
 センセーション ‘FRYromeo’ SCENT-SATION
 サンセット セレブレーション(ウォームウィッシズ)’FRYexotic’ SUNSET CELEBRATION (WARM WISHES)
 スプリンター ‘INTersprint’ Sprinter
 キープ・スマイリング ‘Keep Smiling’
 ハヤトバラ(アネモネ) ‘Anemone’
 サッターズ・ゴールド ‘Sutter’s Gold’
 禅 ‘ZENfuzen’ Zen
 よろこび ‘Yorokobi’
ミツマタ Edgeworthia chrysantha
ロウバイ Chimonanthus praecox
スノードロップ Galanthus nivalis
二ホンスイセン Narcissus tazetta var. chinensis
オオヤエクチナシ Gardinia jasminoides f. ovalifolia
ベニバスモモ Prunus cerasifera var. atropurpuea
エノキ Narcissus tazetta var. chinensis
ケヤキ Zelkova serrata
クスノキ Cinnamomum camphora
ヤブツバキ Camellia japonica
モチノキ Ilex integra

幻の大船田園都市計画『新鎌倉』

 大正末期から昭和初期にかけて、現在の大船駅の東側の地域で田園都市計画があったそうです。計画総面積は10万坪におよび、渋沢栄一が手掛けた田園調布地区をも超える大規模な計画だった様ですが、大正12年の関東大震災や昭和4年の昭和恐慌の影響もあって計画は実現しなかったそうです。今日たまたまと通りかかった稲荷社の由緒書きからそのことを知りました。
【山蒼稲荷神社】鎌倉市大船2丁目21



大船田園都市計画図案(藤谷,1993)
 左下(南西端)が駅前ロータリーで、放射状の中心が現在の松竹前交差点。住宅地の第一回販売は西側の碁盤の目部分の「さつき街区」で、その中央を東西に走るさつき大通りが現在の松竹通りとなった。


     山蒼稲荷神社由緒碑
今世初期、或ル先覚カ遠大ナ都市計画ヲ目論ミ、此地一帯ノ開発ニ着手シタカ、当初ヨリ災厄ノ続出ニ事業ノ中断ヲ余儀ナクシ、為ニ、地元有志ト協議ノ末、霊主教某教主ニ本旨ノ時宜ヲ諮ッタ。スルト某ハ此地ノ、守護神トナスベク稲荷大明神ヲ招致シ、以テ、鎮守ヲ祈願スルニ然カス、トノ指教ヲ寄セラレ且昭和五年秋教主カ御神体ヲ刻マレタノテ時ヲ藉サス、眺望絶佳、樹林鬱蒼ノ丘ニ社殿ヲ建テ、山蒼稲荷神社ト命名シ御神体ヲ祭祀スルニ、以降、神助ノ故カ事業ノ都テカ順調ニ進捗シ初期ノ目的ヲ遂ケ大船今日ノ発展ノ因ヲ作シタ。而ルニ同九年、松竹蒲田撮影所カ此地ニ矚目シ進出セントスルヲ識リ本所ニ社殿ヲ遷シテ現今ニ至ッテイル。
本神社カ此処ニ坐ス経緯ヲ敍述シタ所以ハ向後、尚、彌増シ、此処ノ伸張ト災厄祓除ニ既往ノ霊験ヲ垂レ給ワンコトヲ希ッテニ他ナラナイニ拠ル。
 以上ノ考証ハ巷間、僅カニ散見サレタ記録ト流布スル口碑ニ基スイタモノテアル。
昭和五十七年十一月三日
          抍岡 智 撰
【参考文献】
藤谷陽悦(1993)大船田園都市株式会社の目的と住宅地「新鎌倉」について、日本建築学会計画系論文報告集、444、157-167、URL:https://www.jstage.jst.go.jp/article/aijax/444/0/444_KJ00004077228/_article/-char/ja/.

鎌倉から江の島へ

 一昨日に続いて旧鎌倉郡を散策、今日は現鎌倉市の西部です。
【主な経路】
自宅-田浦神明社-(JT田浦駅-大船駅)-長谷-坂ノ下-極楽寺-稲村ガ崎-鎌倉山-笛田-腰越-(湘南江の島駅-大船駅-JR新杉田駅-京急追浜駅)


 腰越漁港から見た落日
 田浦トンネル
 七釜トンネル
 JR田浦駅プラットホーム
 庚申塔:鎌倉市極楽寺2丁目1
 二ホンスイセン Narcissus tazetta var. chinensis
 オオキバナカタバミ Oxalis pes-caprae
 コブシ Magnolia kobus


【(長谷)稲荷社】鎌倉市長谷2丁目22-18


【坂ノ下御霊神社】鎌倉市坂ノ下4−9

御霊神社
 御霊とは、強く尊い祖先の御霊の意で、神社の創建は、平安時代後期と伝えられています。桓武天皇の子孫で「鎌倉武士団」を率いた鎌倉権五郎影政を祀っています。
 影政は後三年の役(一〇八三年~)に一六歳で出陣して勇名をはせ、その後現在の鎌倉・湘南地域を開発した領主です。地元では「権五郎さま」と呼ばれ、親しまれています。
 毎年九月に行われる「面掛(めんかけ)行列」は伎楽や舞楽、田楽などの古い面をつけた面掛衆が練り歩く珍しい祭事です。
     鎌倉市


かながわの名木100選 昭和59年12月選定
坂ノ下の御霊神社のタブノキ
和名:タブノキ(クスノキ科)
 神社境内の樹叢の中にあって、大枝が四方へ大きく広がって巨大な樹冠を形成した古木である。鎌倉市の天然記念物に指定されている。
樹高 20メートル  胸高直径 4.0メートル  樹齢350年(推定)
 タブノキは、本州から沖縄に分布する常緑高木で、照葉樹林の代表的な木である。樹高25メートル、胸高直径10メートル、樹齢約700年に達するものもあると言われている。


【熊野新宮】鎌倉市極楽寺2丁目3−1

 極楽寺熊野新宮
祭神 日本武尊(やまとたけるのみこと)
   速玉男命(はやたまのおのみこと)
   素戔嗚命(すさのおのおのみこと)
   建御名方命(たけみなかたのみこと)
由緒
 もと新宮社と称し文永六年忍性菩薩の勧請と伝えられ、鎌倉時代極楽寺全盛当時より熊野新宮と号し、同寺鎮守として広く境内を有し、厚く幕府の崇敬を受けて栄えた。
 昭和三年、同地域の八雲神社、諏訪神社を合祀して以来、極楽寺稲村ガ崎全町の鎮守として、年々盛んな祭典を施行し殖産・興業の守護神として多くの信仰を集めている。
例祭 七月五日  八雲神社例祭神輿初御
   七月十二日 神輿渡御祭
   九月九日  例大祭湯花神楽の神事あり
          熊野新宮 宮司


【(稲村ガ崎)白山神社】鎌倉市稲村ガ崎1丁目6


【(稲村ガ崎)稲荷神社】鎌倉市稲村ガ崎2丁目4


【(稲村ガ崎)熊野権現社】鎌倉市稲村ガ崎5丁目38


【鎌倉山神社】鎌倉山2丁目27-11

  鎌倉山神社
祭神 大山津見命
  御父 伊邪那岐尊
  御母 伊邪那美尊
 当神社はもともと本村笛田の農民の鎮守で、また津村の漁民の海上守護の神であったのょ昭和の御代に統治が鎌倉山住宅地として発展すると共に住宅地の鎮守として奉斎された。
 昭和十年に鎌倉山在住の有志達の浄財により改装され鎌倉山神社と改称された。爾来今日に至るまで鎌倉山住人有志達が社殿をお守りし、毎年八月八日に例祭を執り行っている。


【子守神社】鎌倉市笛田5丁目34-6

     子守神社由緒
祭神  子守之大神(こもりのおおかみ) 玉依姫命(たまよりひめのみこと)
       本社は吉野水分神社(みくまりじんじゃ)
鎮座地 鎌倉市笛田貳千拾参番地
祭禮  一月十四日……春祭
九月第一土曜日……夏祭
当神社の所在する此の打越の町一帯は終戦の前までは笛田本村の一角で前笛田鎌倉から入って手前の笛田の意と呼ばれ地付き住民は十数軒の小字の集落で蔵王権現社が其の鎮守神でありました。終戦後平和と共に住宅地として開発が進み急激な発展と共に笛田本村より分離独立して一町を形成した。此に伴い住民の中より心の拠所としての神社造りの要望が強く髙まり昭和二十一年六月二十四日従来の蔵王権現社を宗教法人子守神社と改稱し打越の町の鎮守として神社本庁の承認を得て公認神社となりました。其の後神殿の改修鳥居石段等次々整備され、現在では殖産興業子守ての守り神として地元近隣の信仰を集め其の神德の広く昂揚されつゝあることは水分の神の流れを掬む子守の神の御恵と氏子一同有難く思う次第であります。
          子守神社々務所


【三嶋神社】鎌倉市笛田3丁目31-1


【経六稲荷社】鎌倉市腰越1543-6


龍口(りゅうこう)明神社】鎌倉市腰越1548-4
 社伝に寄れば552年創建ですので、鎌倉市で最も古い神社です。伝承が正しいとしても、延喜式神名帳には記載がないため、式外社の扱いです。


     記念碑
   龍口明神社由来
 御祭神 玉依姫命(神武天皇母君)  五頭龍大明神
 玉依姫は海神族の祖先豊玉彦命の姫君に在して彦炎出見尊の妃に在します上に鵜鷀草葺不合尊の母神に在しまし、豊玉姫の妹御に在し給ひ、龍神として尊崇された。
 五頭龍大明神の御由緒は欽明天皇十三年四月十二日戌の刻より二十三日辰の刻に至る迄大地振動して終日息ず。即ち孤島を湧出した此を江の島と云い天女降む。是辨戝天の作るところなり。天女惡龍の惡業を戒めた。龍は遥かに天女の麗質を見、其の後改心し村人に害を与えることなく山と化した。村人はその山の海に突出た所の龍の口の様な岩上(龍の口)に社を築き白髭明神と称し村の安泰を祈願した。此龍口明神社の発祥と伝えられている。
養老七年三月より九月迄江の島岩窟中にて泰澄、慈覚両大師が神業修行中夢枕に現れた神々を彫作し辨戝天一体を岩本院に、二体を白髭明神社へ納めた。即ち玉依姫命(長さ五寸)と五頭龍(長さ一尺)の御木像が御神体である。此の時、龍口明神社と名付け、江の島と当社の繁りと両地の平和と隆昌を祈願した。鎌倉時代には神䕶により如何なる惡業をした者も此処に血を流すことにより世人に尽すと此の前の地を刑場とした事もある。
又氏子はその祟りを恐れ当社の移転改築を長年拒んできた。然し大正十二年関東大震災で全壊した社を昭和八年改築し今日に至ったが、境内地が藤沢市片瀬地域内の飛地津一番地に有ることゝ時代の推移と共に同地区の発展及び人口増加に伴い御祭神のご神慮に依り、此度氏子百余名は江の島遠望清浄の地、竜の胴に当る蟹田ヶ谷一五四八番地の四の当地に遷座申し上げ、此の地の守護神として奉祀するものである。
   昭和五十三年十月吉日  建設委員会誌


【鎌倉攬勝考巻之十附録より引用】
龍口明神 津村・越越兩村の産土神とす。社は龍口寺の東の山上にあり。別當は、眞言宗加護山寶善院といふ。津村にあり。注晝讃に、欽明天皇の十三年四月十二日、此処へ天女降居せり。是辨財天の應地なり。此湖水の惡龍、遥に天女の美質を伺い見て、竊に感じて、天女の所へ至る。天女不快して云、我本誓あり。普く群生を救ふ。汝慈憐なくして生命を斷。何ぞ好述とならん。龍いふ、我教命に任せん。自今以後、物のために毒をせずして、哀憐を垂んといふ。天女則諾せり。龍また誓を立て、南に向て山をなす。是れ龍の口山なりといふ。此事は、【江の島緣起】にも見えたれど、詳なる事をしらず。


【小動神社】鎌倉市腰越2丁目9-12

小動神社由緒略記
祭神 日本武尊(やまとたけるのみこと) (1月例大祭の祭神)
   素戔嗚尊(すさのうのみこと) (7月天王祭の祭神)【奥方:櫛稲田姫命(くしいなだひめみこと)、御子神:八王子の命(五男三女神)】
   建御名方神(たけみなかたのかみ)(8月諏訪祭の祭神)
   歳徳神(としとくじん)  (お正月の神様)
伝承
 相模風土記に往時、弘仁年中(810~822年)弘法大師、小動山に登りし時、老松に神女影向あり、この松を小動の松と云うとあり。新編鎌倉史(注:正しくは新編鎌倉志)に、土御門内大臣の歌『こゆるぎの磯の松風音すれば、夕波千鳥たちさはぐなり』の歌は、此処の事とも云い、或いは、大磯の浜を詠うとも云う。相模の名所「こゆるぎ」の歌、多しとある。社名は、古くは八王子宮、八王子大権現などと称された。相模風土記には、八王子社を鎮守とし、社地を小動(古由留義)と云うとあり。明治初年、現在の『小動神社』と改称した。明治42年当初字、神戸の鎮守であった諏訪神社を合祀した。
由緒
 文治年中(1185年)佐々木盛綱の創建と伝えられる。盛綱は、源頼朝に伊豆配流の時代から仕えた武将で、源平合戦の時に、神恩報賽のため守護神である父祖伝来の領国、近江の八王子宮を新たに勧請すべく、その地を探し求めていたが、ある日、江の島弁財天に参詣の途次、小動山に登り、大いにその風光を賞せられ勧請の地と定められた。新田義貞が、鎌倉攻めの戦勝を祈願され、後に『報賽』として『剣一振りに黄金』を添えて寄進され、社殿は再興された。八王子宮縁起によれば、新田義貞を中興の祖としている。江戸時代、小田原城主、大久保忠真公(113,000石)は【三神社】の扁額を揮毫し奉納された。三神社とは、三柱の祭神を尊称したものである。
社殿
 文化14年4月(1817年)当所、井上氏の丹誠により、400有余の氏子により、再建されたと棟札に記録がある。しかし、大正12年9月1日の関東大震災により被害を受け、昭和4年12月本殿は修復されたが、拝殿は新築された。現在の、『新寶殿』・『山車小屋』は平成15年から平成18年にかけて新築し、『本殿。幣殿』は平成19年4月大規模修復された。境内社として、(わたつみ)神社(海上安全の神様)・稲荷社・金刀比羅宮・第六天社を、お祭りしています。
祭礼 1月16日    例大祭(湯花神楽祭)【鎌倉神楽奉納】社殿内にて
   4月第二土曜日 祈年祭
   7月第二日曜日 天王祭
           江の島八坂神社との共同の大規模な祭りで、午前11に海中渡御、午後2時には江の島八坂神社の神輿が、龍口寺下より小動神社社領まで神幸し、腰越五ヶ所の祭囃子・山車がお迎えに出て、大いに賑わいます。
   8月下旬    諏訪祭
   12月第一土曜日 新嘗祭


 【新編鎌倉志巻之六より引用】
〇小動附八王子宮 小動(コユルギ)は、七里濱を西へ行、腰越へ入左の方、離れたる巌山あり。此処をこゆるぎと云ふ。山上に八王子の宮あり。又山の端に、海邊へ指出たる松あり。風波に常に動くゆへに、こゆるぎの松と云と也。土御門内大臣の歌「こゆるぎの磯の松風音すれば、夕波千鳥たちさはぐなり」。又北條氏康の歌に、「きのふたちけるこゆるぎの磯の波。いそひでゆかん夕暮の道」此等の歌、此処の事とも云ひ、或は、大磯の濱を詠とも云ふ。相模の名所こゆるぎの歌多し。


 鬼子母神(小動神社境内社)
 金刀比羅社(小動神社境内社)
 稲荷社(小動神社境内社)
 海神社(小動神社境内社)
 六天王社(小動神社境内社)


【龍口神社(元宮)】鎌倉市津1

 龍口神社
御祭神・・・玉依姫
      五大龍王大神
御例祭・・・十月第一土・日曜日
御創建・・・欽明天皇十三年(西暦五五二年)
昭和五十三年に龍の口にあたるこの地より龍の胴にあたる津の新鎌倉山に御遷座され日本三大弁財天として名高い江島神社と夫婦神社として人々の崇敬されています。

山之内から玉縄へ

 今日は、旧鎌倉郡山之内庄から玉縄庄が訪問先です。

【主なルート】
(鎌倉駅)-小町-長谷-佐助-梶原-寺分-山崎-植木-玉縄-(大船駅)


【蛭子神社】鎌倉市小町2丁目23-3


【浅間神社】鎌倉市長谷5丁目11

 鎌倉女学院の創始者である陸奥廣吉の碑がありました。陸奥宗光の長男である廣吉は、晩年は鎌倉の地に居を構え、教育者、文人として活躍した人の様です。(変体かなの読み取りにはあまり自信がありませんことをご了承ください)



天保九如
 大正四年十一月十日御即位の大典を擧げさせらる之
記念として鎌倉町長谷乃有志百二十一名相謀??乃谷
??ける其の共有地ニ萬餘坪に松櫻?若木數萬本を植
ゑ遊園を開?以て衆庶?逍遥散策?供セリ今よ?後數
年?出?゛ず??満渓の櫻花翠松?隠映?烟霞錦乃如?
美観を呈せんこ?期??待つへきな?由來鎌倉の地た
?名勝故蹟?冨むと雖も公園の設少く人口年?逐ふ?
増し遊客一日に多?を加ふる??り一?関點■■こと免
?けり?際茲?此の事あ?た?を吾人の感喜措■■?
■??て将來町乃發展?資?ること甚大なる者あらむ
有志者報國の誠意大に稱すへ?而??當町が此の絶好
の娯楽地を得■■■洵?昭代乃賜?り項曰園中に形勝
?地?相?石を建?題字?松方矦爵?乞ふ矦天保九如
乃四大字を書?與?ら?余亦嘱?應?數言を叙し以?
此の美擧?後毘?傳ふ?云爾
             伯爵陸奥廣?誌


【佐助稲荷神社】鎌倉市佐助2丁目11-12

 十一面観音堂


 霊弧泉
佐助の稲荷山は往古より麓の田畑を潤す水源の地なり。生命の基のこの湧水を人々霊弧の神水と称え家々の神棚に供えて稲荷のご神徳を戴くなり。今に至るも絶えず湧き出づる霊弧の泉なり。
佐助稲荷神社 祭神 宇迦之御魂神
       神徳 漁業商工業繁栄・生活の守護神


【銭洗弁財天宇賀福神社】鎌倉市佐助2丁目25-16

 宇賀福神社本宮
 宇賀福神社奥宮
 宇賀福神社上之水神宮
 宇賀福神社下之水神宮
 七福神社


【葛原岡神社】鎌倉市梶原5丁目9-1


  昇運の神龍
 御本殿を御造営する際、旧御本殿に納められていた神龍で、百二十年間御祭神をお護りして来ました。
 神様のお使いとして願い事をより早く届けていただくようお参りして下さい。


 俊基卿終焉の地
 魔去ル石
 男石・女石
 合槌稲荷神社
 日野俊基墓


【梶原御霊神社】鎌倉市梶原1丁目12-27

 梶原御霊神社拝殿
 梶原御霊神社本殿
 梶原御霊神社境内
 庚申塔(梶原御霊神社)


【駒形神社】鎌倉市寺分1丁目10-12

 富士塚神社


【天満宮】鎌倉市上町屋616

 稲荷社:三宇(上町屋天満宮境内)
 庚申塔(上町屋天満宮境内)


 市指定有形民俗文化財 庚申塔(寛文十年銘)一基
 指定 昭和四十年三月三十日


【北野神社】鎌倉市山崎736

 境内社(北野神社)
 宝篋印塔(北野神社境内)


 市指定有形民俗文化財 宝篋印塔(応永十三年銘) 一基
 指定 昭和三六年一一月一五日


【諏訪神社/御霊神社】鎌倉市植木96


【大六天神社】鎌倉市城廻337-1


【相模陣稲荷神社】鎌倉市植木


【城宿稲荷神社】鎌倉市城廻311-8


【岡本神社】鎌倉市玉縄3丁目


【伏見稲荷社】鎌倉市玉縄3丁目


 以下、その他の本日撮影の写真です。

【参考】
 ダーリア Dahlia sp.
 ベニバナボロギク Crassocephalum crepidioides
 サザンカ Camellia sasanqua
 馬頭観音:鎌倉市寺分1丁目3
 寒咲花菜(カンザキハナナ) Brassica sp.
 ホトケノザ Lamium amplexicaule
 庚申塔:鎌倉市山崎
 ユキノシタ Saxifraga stolonifera

TB 68.x系で使用できるColor folders

 ThunderBird 68.x系に対応したColor foldersの配布が、下記サイトで正月休み中に始まっていたようです。早速、68.3.1(64bit)で試したところ、問題なく動作することを確認しました。60.xで使っていた色の情報もそのまま引き継いでくれました。
Colored Folders 1.3.4
 このプラグインが有ると無いとでは、作業効率が大きく違います。開発に携わった皆様に御礼申し上げます。
 TB 60.x系で使用できるColor folders

【新春企画】当サイトでのネズミ

 子年に因んで、当サイトでの『ネズミ』を探してみました。ネズミモチの実の写真はたくさんありましたが、それ以外は限られていました。今年は、ネズミガヤ、ネズミザメなどの写真も撮りたいものです。

 カピバラ Hydrochoerus hydrochaeris
 戸部杉山神社
 ネズミモチ Ligustrum japonicum  
 トウネズミモチ Ligustrum lucidum
 ムギクサ Hordeum murinum(英名 Mouse-Barley)
 オランダミミナグサ Cerastium glomeratum(英名 Sticky Mouse-ear)
 ミッキーマウスの木 Ochna serrulata


 利休ねずみ 北原白秋詩碑:城ヶ島

利休鼠(りきゅうねず)

 この色を(間違って)「りきゅうねずみ」と読むことがあるのは、この詩のせいかも知れません。

新年に子の神を巡って

 今年は子年。三賀日最後となった今日は、近縁の大国主命(= 大己貴命,大黒天 etc.)を祀った社等を廻ってきました。
【主な経路】
(井土ヶ谷駅)-外川神社-(今井町)子神社-戸部杉山神社-(日ノ出町)子神社-(堀ノ内町)子神社-(上大岡駅)


戸部杉山神社】横浜市西区中央1丁目13-1

相殿の神社(向って左から)
 稲荷社
 山王社・三峯社
 浅間社
 厳島神社・社宮祠大神
 天神社
聖徳太子堂


子神社】横浜市保土ケ谷区今井町167

横浜市名木古木指定 No.49106 イチョウ Ginkgo biloba


子神社:横浜市中区日ノ出町2丁目132


子神社】横浜市南区堀ノ内町2丁目134


【稲荷社】横浜市南区永田東1丁目6-45


外川(とがわ)神社】横浜市保土ケ谷区瀬戸ケ谷町
 なんどか尋ねたことがある社です。今日は由緒書きが表示されていましたので、採録します。

横浜市名木古木指定 No.48075 ケヤキ Zelkova serrata
  外川(とがわ)神社御由緒
 江戸時代から保土ケ谷宿の内に出羽三山講(でわさんざんこう)がありました。幕末の頃、その講元で先達でもあった淸宮輿一(きよみやよいち)が、湯殿・月山・羽黒の三山の霊場を参拝した際に、羽黒山麓の外川仙人大権現の分霊を勧請し、自分の屋敷内(現在の地)に祀りました。
 はじめ外川仙人大権現と称しましたが、明治二年の神仏分離令により、日本武尊を祭神と定め、社名を戸川神社と改めました。その神験は著しく、ことに小児の虫封じや航海の安全にご利益があったとして、遠近から参詣する者が絶えませんでした。
祭神  日本武尊(やまとたけるのみこと)
    月夜見命(つきよみのみこと)
    大山祇命(おおやまづみのみこと)
    稲倉魂命(うがのみたまのみこと)
創建  江戸時代末期に外川仙人大権現として創建
    明治二年戸川神社に改称(平成六年九月宗教法人認証)
御神徳 航海安全・交通安全・家内安全・児童守護・虫封じ
社殿  本殿銅葺入母屋造 拝殿唐破風入母屋造
諸社  道祖神社(江戸時代中期の建物元は藁葺き)
    稲荷社、宇賀神社(現在は本殿に合祀)
祭礼日 例祭七月十七日(月次祭毎月十七日)
社宝  明治時代の大絵馬数点
崇敬者 約800世帯(氏子ではありません)
社有地 約一千㎡
                 社務所


【帝釈天王社】保土ケ谷町3丁目183

 堅牢地神


【皇大神宮祠】横浜市西区伊勢町3丁目133-8
 くらやみ坂の標識の後ろにある小祠です。



【参考】
 イチョウ Ginkgo biloba
 ケヤキ Zelkova serrata
 クロマツ Pinus thunbergii:妙秀山善通院樹源寺
 インドボダイジュ Ficus religiosa
 モツゴ Pseudorasbora parva
 今井城址より