ハプスブルク展など

 本日、家族揃って上野へ。国立西洋美術館で開催中のハプスブルク展を鑑賞し、お昼は肉の大山ドンレミーでスイートを購入し、湯島天神で合格祈願、午後からは同館の常設展、帰りには横浜にも寄りました。


【参考】
 マルガリータ・テレサ(ディエゴ・ベラスケス作)
 カレーの市民(F.A.R.ロダン作)の前で
 お昼は肉の大山で
 ドンレミーアウトレット
 湯島天神

大津周辺を巡って

 大津の周辺にまだ尋ねたことのない社が残っていることに気づき、訪ねてみました。
【本日の主な経路】
 (堀ノ内駅)-大津町-三春町-富士見町-根岸町-吉井(阿波口神社)-桜が丘-(堀ノ内駅)


【砂坂地蔵尊】大津町1丁目3

   砂坂地蔵尊
 二体のうち、向って左が砂坂地蔵尊で、社前の小さな坂を砂坂というのでこの名がある。またイボトリに霊験があるのでイボトリ地蔵とも称する。右はしらすがわ地蔵尊で。昔近くの白須川の川原を家屋新築のため掘ったところ。鍬先が当たってこの地蔵尊が発掘されたという。川には清水が流れていて、大正時代まで満潮時には、潮がこの先まで遡上した。像の周囲に積まれている玉砂利は、まこと、この地蔵尊にふさわしく往時を偲ぶよすがでもある。なお後に一石二段型の六地蔵のレリーフも並置され、最近は共に子育地蔵としても信仰されている。
平成三年二月  大津地域文化振興懇話会


【浦守稲荷】大津町1丁目8-31


【原(守)(稲荷】大津町3丁目1-5
 説明版では「原稲荷」ですが、鳥居の扁額では「原守稲荷」となっていました。御神木はクロガネモチです。

原稲荷の名は、此の地を原と称していたことに由来する。二月と十月に行われるお祭りは現在では簡略化されているが、以前は「湯立て神楽」と「掻湯の神事」が厳粛に行われていた。社前の一角の四隅に笹竹を立て注連縄を張り、中央には大釜に湯をたぎらせながら、面をつけた神官が神楽を舞う。終わると笹の小枝を小さく束ねて湯に浸し、人々に振りかけて無病息災を願った。続いて沸騰した湯をかき廻して渦を作り、その形で農作物の豊凶を占ったという。今でもこのお祭りには、昔からの習わしで、粳米に小豆を炊き込んだ「赤飯(あかめし)」が、参拝者に配られている。
平成三年二月  大津地域文化振興懇話会


【稲荷大明神跡地】三春町4丁目56

 京急本線と京急久里浜線とに挟まれた地で、稲荷社の移転先は不明です。かつては神木だったであろうタブとイチョウがみごとでした。


【庚申塔】三春町5丁目20-52


【愛染稲荷社】大津町5丁目27
 以前にも「鎌倉三浦半島古木名木五十選」に選ばれたクロガネモチを訪ねてきたことのある愛染稲荷社です。

  愛染稲荷
 文化一四年(一八一七)天神坂付近に住んでいた七兵衛という人が村人を代表し、当時、日本橋稲荷本宮であった江戸加賀町・愛染寺より、「正一位稲荷大明神」を安鎮する証書を受け、稲の豊作を願って建立しました。
 祭神は倉稲魂(ウカノミタマ)で五穀豊穣、家内安全、商売繁盛などを祈願します。
 境内には樹齢四〇〇年というクロガネモチの巨木があり、神奈川県の「鎌倉三浦半島古木名木五十選」に選ばれています。
  大津行政センター市民協働事業・大津探訪くらぶ


  愛染稲荷社
 この稲荷は、大津村天神坂に住む七兵衛という者が、文化十四年(一八一七)七月江戸加賀町日本稲荷総本宮、愛染寺から許しをうけ、農作物の豊作祈願のため、この地に建立したことが古文書に残されている。
 当時、このあたりは大津村保込(ホゴメまたはホオメ)といわれ、戸数は二十にも満たず、皆田畑を耕作して生計を立てていた。
 創建以来、この祠は傘のように覆う樹齢推定四百年のクロガネモチの銘木とともに地元の人によって大切に守られ、現在も年一回昔ながらの稲荷講が行われ、往時を偲ぶよすがとなっている。
平成二年二月  大津地域文化振興懇話会


【天神坂の石塔群】大津町5丁目9-13

   交通の要衝 天神坂
 この坂を天神坂といい名の由来は大津五丁目町内会館裏に天神社があったことによります。
 江戸時代の古地図・浦賀道見取絵図に描かれ公郷・衣笠・葉山・逗子・鎌倉・大船、東海道戸塚宿へ至る重要な道でした。
 日本武尊の東征伝説にかかわる古東海道もこの道を通ったと推定され、中世・三浦氏の時代には鎌倉への道として昔から交通の要衝でした。
 天神社は関東大震災後に諏訪神社に合祀されましたが、境内にあった狛犬と手洗い鉢が残されています。二基の庚申塔は、左は延宝六年(一六七八)右は元文五年(一七四〇)の古いもので廃寺となった青蓮寺の名もあります。


【三春町の明神様(稲荷社)】三春町6丁目78−15


【冨士淺間大神】富士見町3丁目29-25


【常楽不動尊】富士見町3丁目17-26

お不動さん(常楽不動尊)-わが町を歩こう、わが町発見
   上町第2地区社協 わがまち、第82号、平成23年10月1日
 富士見町3丁目は、戦後に住居表示が変更されるまでは公郷町であった。ここは、谷戸入口に新墓地があるので、通称「新墓」で名が通っているが、明治40年ころまでは、民家も無く、雑木林の間に散在する田畑と谷間の奥一面に生い茂る茅場だけで、当時は「茅場ヶ谷戸」と呼ばれていた。
 民家が見え始めた大正2年「源龍」という名の僧が谷戸の奥に筵小屋を建てて住み着き、托鉢をしながら何か作業を続けていた。付近の人もほとんど近寄らなかったが、秋になって僧の立ち去った跡には高さ一間もある不動明王の座僧が残されていた。
 戦後この土地を宅地にしようと、取り壊すために金槌を振るった人がいたが、夜半に高熱を出して苦しみこれを諦めたとの話がある。
 この常楽不動尊は現在まで有志の方々の手で祀られ、多くの人々の信仰の対象となっている。大祭は9月28日だが、八の付く日。特に28日には参拝に訪れる人々の線香の煙が絶えない。常に花が供えられ、信仰心のあつい方々の管理によってお守りされている。
 また、この地方から嫁がれたり、移転された方々も遠くから参詣に見えるなど、心の深い依り所となっている。     (鈴木)


【庚申塔】根岸町1丁目

   庚申塔(根岸1丁目)
 庚申信仰は、平安時代に中国の道教の教えに仏教的な信仰が加わり、室町時代に庚申講が結ばれ、江戸時代に庶民信仰として隆盛期を迎えました。
 十干十二支の組合せにより六十日毎に巡る庚申の日は眠らずに過ごし、無病・息災・長寿を願う信仰です。信仰は人の体内にいる三尸の虫が庚申の夜に天に昇ってその人の罪過を天帝に告げるため不吉なことが起こるという道教の教えに由来します。
 この十五基の庚申塔は享保九年(一七二四)から昭和四七年までに建てられました。
 昭和五五年と六三年に庚申講を催したと記されており、大津での信仰の深さがうかがわれます。
   大津行政センター市民協働事業・大津探訪くらぶ


【増田家の馬頭観音】根岸町1丁目1

  馬頭観音(根岸一丁目)
 増田家の門の内側、右上に池田・根岸・大津の馬持ちの人たちが、明治九年(一八七六)に造立した馬頭観音像があります。
牛馬に関係がある職業の人たちや個人の信仰により、供養や無病息災を祈願して造立されました。頭上に憤怒相の宝馬を頂き、慈悲で強化し難い衆生を仏が怒りの姿で救い上げようとする観音像です。
 大津地区には明治末期から昭和三〇年代まで高梨・増田・菅野の三牧場がありました。
 近代では供養や墓標的な意味の他に、交通の安全や牛馬の守護神としても信仰されてきました。
   大津行政センター市民協働事業・大津探訪くらぶ


【牛宮神社】根岸町2丁目8-7

   牛宮神社
 ここは現在、牛宮・稲荷・地神の三神が祀られている。かつては牛宮様と称され、石祠は高い松の根方にあった。井田の里人は、牛の功労を謝し霊を慰めるため、毎年ここに集って祭事を行い、併せて人々の無事安泰を祈った。昭和四十五年、この付近の開発を機に、有志によって石碑型文字塔が造立された。
 稲荷様の石祠は、孫の台(北久里浜駅付近)から遷され、、昭和四十五年に新社殿造営。同五十三年には講中によって、京都伏見稲荷が勧請された。また地神様は、地神信仰の風習により、各戸持回りで祭事が行われていたのを、ここに祀り後世に伝えることとした。平成三年十一月  大津地域文化振興懇話会


【庚申塔】池田町1丁目5


【馬頭観音】池田町1丁目6

馬頭観音供養塔
 この供養塔は、明治27年に造塔されたものです。
  大津地域文化振興懇話会


【安房口神社】吉井3丁目11

吉井鎮守安房口明神
  安房口神社
祭神 天太玉命(あまふとたまのみこと) 日本の祖神の一柱であるタカミムスビ神で、天孫ニニギノ尊とともに降臨した五部神(いつともべのかみ)の一柱とされています。
創建 年代不詳 磐座(いわくら)信仰という古い型を保っていて、三浦半島では最古の社ではないかといわれています。
由緒 鎮座まします御神体の霊石は、その昔、安房国洲崎明神に竜宮から献上された大きな石が二つ置かれていて、ある時、その一つが安房大神太玉命の御霊代として東国鎮守のためにこの場所に飛んできたといわれています。
 言い伝えによると日本武尊(やまとたけるのみこと)(景行天皇の皇子・古事記では倭建命)が東征のとき、勝利祈願したと伝えられ、源頼朝、北条義時なども武運を祈って参拝したといわれています。また三浦一族が航海の神として信仰したとも伝えられています。この地は、房総への重要な交通路で、古代の東海道の要衝でした。
 吉井鎮守であるこの神様は、安産祈願の神として古くから信仰されています。出産前に参拝し御神体のまわりの小石をひとつ持ち帰り安産のお守りとし、めでたく出産すると玉石を二つにして返し感謝の気持ちをもってお礼参りをしています。
 鎌倉幕府初代将軍源頼朝の妻で、のちの尼将軍といわれた北条政子もご懐妊のおり、安産祈願に参拝したといわれています。
大祭 祈年祭 春分の日 前後の吉日
   例大祭 八月第一日曜日 前後の吉日
   新嘗祭 十一月二十三日 前後の吉日
境内 午宮五頭(ごぎゅうごず)天王の碑 富士講の碑 三十三度大願成就の碑
                   吉井安房口神社
                   吉井町内会


  安房口神社
 吉井の鎮守様で御神体は大きな安房石です。その昔、山や巨石、樹木など自然崇拝があった頃の名残です。
 祭神は天太玉命(あまふとたまのみこと)で安房大神太玉命の御霊代として東国鎮守のため安房州の崎の安房口神社からこの石が飛来したという伝説があります。直径四〇cmの石の穴は安房の方角を向いているといわれています。
 古東海道の要所であったと伝えられ、日本武尊が東征の際、勝利を祈願したともいわれています。豊作や安産の神として、北条政子が懐妊の時、使者が安産祈願に参拝した記録も残っています。
 浦賀行政センター市民協働事業・浦賀探訪くらぶ


  安房口神社
 社殿はなく、霊石を霊代とした古来の磐座の形を残した神社である。西叶神社にある安房口神社明細記によれば、石は「安房の大神天太玉命(あまのふとだまのみこと)が、東国鎮護のため御霊代として古くこの山頂に出現」とあり、さらに「その霊石の面、安房の方に対するを以て、古来安房口明神と総称す」と記されている。
 この辺は、明神山と呼ばれ、明治の末までは別に陽石が祀られ、古くから子宝安産の神としても里人に尊崇されてきた。
 この大きな霊石が、何れの地から、とせんな方法で運ばれてきたのか… 今はマテバシイの木漏れ日の中に鎮座している。
平成三年二月  大津地域文化振興懇話会


【稲荷大明神】桜が丘1丁目6


【庚申塔群】根岸2丁目9-1

   庚申塔について(根岸二丁目)
 この地、井田の里の庚申塔由来記には、昔から悪疫・災害の因が悪霊の仕業と信じられていた時代、その悪霊をとり除く目的で青面金剛を祀り鎮護しようとした、とある。
 青面金剛は、庚申塔の主尊であり、厳めしい憤怒相の浮彫の像や、青面金剛の文字として刻まれたものがある。日月瑞雲や三猿が刻まれているものもあり、これらはともに五穀豊穣・悪疫退散のご利益があるとして信仰されてきた。
 里人は現世安穏・来世安楽・子孫長栄を祈念して塔を建てた。天和元年(1861)から大正□年までのものが十九基現存する。
 平成二年二月 大津地域文化振興懇話会


 以下は、本日撮影のその他の写真です。


【参考】
 クロガネモチ Ilex rotunda
 タブ Machilus thunbergii
 イチョウ Ginkgo biloba
 ジンチョウゲ Daphne odora
 オリーブ Olea europaea
 ハナカタバミ Oxalis bowiei
 横須賀キリスト教会:根岸町4丁目39-7
 コウテイダリア Dahlia imperialis

今日は徒歩で帰宅-公衆トイレとコンビニを辿って

 本日、災害発生時帰宅訓練につき、全区間徒歩で帰宅。部分的には何度も歩いた道ですが、通しで歩いたのは初めてでした。設定された2時間ではとても帰り着けないので、午後は年休で対応し、8時間ほどで帰り着きました。
【本日の装備】野帳、時計、歩数計、シャープペン、(カメラ)
 野帳留めは、100円ストアで購入したバインダ、ベルト、マジックテープを使って自作したものです。


 所要時間:7時間51分、総歩数:42838歩、総距離:30.8km(72cm/歩で換算)、平均時速3.9km/hr
【経路概要】
 クイーンズタワーB棟-野毛-長者町-伊勢佐木町-黄金町-山王町-蒔田-大岡-栗木-金沢自然公園-釜利谷-六浦-柳町-室ノ木-追浜-(自宅)
【立寄箇所概要】
 ファミリーマート:26軒、ローソンストアー100:12軒、公衆トイレ:15ヵ所

 
GoogleMap

区間毎速度の変化

【感想など】
1. 京急さん、いつもありがとうございます。
2. 笹下釜利谷道路沿いには公衆トイレが殆どありません。
3. コンビニの分布には各社ごとの特徴があり、調べてみると面白いかも知れません。


 今日は業務の一環ということで、関係のないところには寄らない方針でしたが、
以下、(いつもの習慣で)つい撮影した写真です。伊勢佐木町のカツラの黄葉は来週にかけてが見頃と思われます。


 水面の鳥
 スカイダック乗り場
 かに道楽
 カツラCercidiphyllum japonicumの黄葉(伊勢佐木町6丁目)
 波の華 住谷正巳作(伊勢佐木町6丁目)
 鶴巻橋
 上大岡ウィリング横浜

栄区の社を巡る

 本日、午前中に歯科治療。午後には栄区まで足を運びました。
【主な経路】
(自宅)-六浦-浄林寺跡-武相トンネル-㹨川小川アメニティ-昇龍橋-上郷-鍛冶ケ谷-(本郷台)


【浄林寺跡】金沢区朝比奈町267

 横浜市指定名木古木 No.48140 イヌガヤ


【白山社跡】栄区長倉町1-29

昇龍橋  長倉町
 上郷(旧上野)の村社「白山社」の旧社殿の参道にかかる石橋で、橋の本体は鎌倉市今泉から産出する通称「鎌倉石」又は「今泉石」という水成岩である。構造はアーチ状の眼鏡橋で、欄干は「御影石」で本体とし材質が異なっており、「昇龍橋」の橋名と「大正四年九月吉日」の年記があるが、建造年代は定かではない。
 明治八年(1875年)、太政大臣三条実美の名で各府県に村誌郡誌を調査して差し出される公達があり、明治十二年頃に編成されたと思われる「皇国地誌」には村の河川や橋梁の記録があるが、上野村(かみのむら)の条に昇龍橋の名はみえない。これと全く構造を一にするもので、旧庄戸掘にかけられ現存する「經堂橋」の名は記載されているが、「長四間四尺木製」と記された木橋であった。經堂橋が石造のアーチ型眼鏡橋になったのは、明治三十年代の末といわれるから「昇龍橋」も材質及び構造からその頃の建造と考えられる。
 橋名と大正四年の年記を持つ欄干は材質も異なるし、また經堂橋にはこの様な欄干はないので、橋の本体より後の建造であろう。
 おそらく、大正三年に大正天皇の即位の礼が挙行されたので、この御大典を記念して翌年、村社の参道の橋に御影石の立派な欄干を作ったのであろう。九月十七日は当時村社の祭礼の日であった。
 施行者は今泉で石工業を営み、現在も今泉石を切り出している石材店の先々代と推定されている。その技術は、古くから古くからこの石で民家の(かまど)や炭焼窯等のアーチを作ってきたことにより習得されたものであろう。なお、この地に旧上野村には梅沢橋という同種の橋があったが、現在は庄戸入口の道路の下に埋没している。
 道路の拡幅や河川改修で市内の石橋のほとんどが消滅した現在、この橋は市内最古の石造橋と考えられ、文化財として貴重なものである。
 ※1間=約180cm   一尺=約30cm
  四間四尺はおよそ8m40cm
 平成4年3月                   栄区役所


【白山神社】栄区東上郷町44−9

白山神社遷坐記念碑
     白山神社御由緒
   御祭神 伊弉册尊
   例祭日 九月二十七日
伊弉册尊は伊弉諾村の妃神にして、神代に始めて陰陽夫婦の神として顕現し給い、皇祖天照大神を始め、神羅万象を生成化育し給う大神なり。仰々、当白山神社は証善提寺文書の白山権現縁起等に由るに、人皇三十五代舒明天皇の御宇、本郷総鎮守として鍛治谷神戸の地に勧請し奉る大社にして、源頼朝鎌倉開府の時幕府艮の神として深く崇敬され、仁治元庚子年三月五日執権北条泰時は長尾郷飯島村に神領二町歩を寄進すと云う。人皇九十五代後醍醐天皇正中元甲子年九月十五日光明谷山厳山に遷宮し奉り、旧地に因み神戸と称す。その地は縁起に由れば、境内神領艮之方は峯を境、坤之方は田岸を境、巽之方出厳を境、乾之方坊前山下を境とし、社の東北一町に朝水の池と号するあり。神水森々として松風満耳。神徳現然として国家安寧、五穀豊穣、村中守護の霊地也と記している。相模風土記稿は、祭神伊弉册尊神躯九寸六分は舒明天皇の作らせ給いし物と云う。別当に旧くは実応坊、後証菩提寺其職を兼管す。神職は内田和泉と云うと記し、幾多の宝物神領も有したが現在は散逸して、安政六年建立の前社殿内に藏した享禄元年、天和元年の銘ある扁額が現存する唯一の史料である。是の如く当地域有数の由緒ある当社も近来衰運に向い、就中関東大震災の折、社地社殿の崩潰にあい、上野村百余戸の氏子一同その復興に努力したるも、故あって神戸に至る。而して第二次世界大戦前後の混乱期を圣て両社殿の損傷甚だしく、氏子一同再建を念じつつ三十余の星霜を圣たり。然るに近年当地の開発著しく、山林原野悉く大住宅地に変貌するに至る。天なる哉、命なる哉、永年の宿願ここに稔り御神威の発揚と郷土の和平発展の為、現地を最適地と撰卜し、所有者三井不動産の理解を得、前社地と等価交換による譲渡を受け、鈴木社寺工務店の施工により新社殿の完成を見、昭和五十一年十月二十七日秋天に一奌の雲なき佳日。史上最高の盛儀による遷坐祭を斎行し、神光彌髙きを拝す。願わくは白山大神冥加を垂れ給い、とこしえに守護し給はんことを。
   昭和五十二年九月吉日
       白山神社宮司 小池 泉 謹誌


【横浜御嶽神社】栄区上郷町1314

 嶽寛霊神像(横浜御嶽神社)【嶽寛とは御嶽信仰の全国普及に努めた普寛行者のことでしょうか?】


【日枝社】栄区犬山町1-6


【思金神社】栄区上郷町745-1

     由緒
当、思金神社の御祭神は八意思金大神(やごころおもいかねおおかみ)様です。
古書の神話によりますと。万物創造の神高皇産霊高皇産霊(たかみけすび)の神の御子神と称せられ天の岩戸隠れに於いては「神集いに神譲り」、神々の総代表の大役を真心の極みに遂行され天照大神様を天の岩戸よりお出まし願ったと云う神話に於てはこの特筆すべき「天の岩戸開き」を始め「天孫降臨、出雲の国譲り」等、尊大なる御働きをなされた八意思金大神様の御遺徳が忍ばれます。
日本書紀は八意思金大神様のお働きを深謀遠慮と表現し古語拾遺は深思遠慮と表現しております。
八意(やごころ)」とは「(こころ)」を開く事であり多くの意見とも申します。「(こころ)」を思い諮る事は高度の結びの御神性で有り常に天照大神様の「み意」を心として一切の私心(わたしごころ)を無にして仕え奉られたものです。
霊司八意思金大神様と讃えられ政治建設(建築、商工)知恵(学門)福徳成就の神と崇められる御神徳いや高い八意思金大神様を御祭神と仰ぐ、当神社は八意思金大神様の大いなる御守護の元に打ち開いて頂き、生きる毎日の生活を、「行」と心しつつ子孫に豊かな人生を頂戴いたし度いものと念じております。
      生きていることが「行」である。
      毎日の生活が「行」である。
      一生が「年季奉公」である。
        これを人生と云う。
           「思金神社格言」
              思金神社
各位


     石碑遷宮記念
当社は大正元年に思金神社様が初代宮司平野宝導に降臨され其の証として昭和三十年高知県幡多郡佐賀町に石碑が建立された。思金神社奥社として多くの漁民や町民が参拝し、其の後横浜に本社が移され降臨百年を吉祥として石碑を本社に遷座する運びとなり現在に至る。
      皇紀二千六百七十七年
      平成二十九年八月吉日
            思金神社
             宮司 平野正兼
                  絹子


 思金神社奥の院
 魚霊の碑(思金神社奥の院境内)
 水神社(思金神社奥の院境内)


【稲荷森稲荷社】栄区上郷町169


【子ノ神日枝神社】栄区若竹町31-3

子ノ神日枝神社新築記念碑
    子ノ神日枝神社々殿再建由来
子ノ神日枝神社は旧中野村の守護神として鎮座し
「子ノ神」は大己貴命(大国主命の別名)殖産興業の神
「日枝社」は大羽咋命(大年神の御子)文化開発の神
を祭神として仰ぎ其の創建は詳らかでないが、證菩提寺建武の書に子ノ神の名ある処より古社である事は証せらるゝも当時は「子ノ神社」と「日枝社」は別社であり其の合祀については此亦不詳である。しかし社伝によれば文明年間(一、四六九年)当時此の地を所管していた上杉関東官領が土地肥沃な㹨川流域の中央部(中野の里)の守護神として、此の両社を併せ祀り農業の振興を図ったと記されている。
斯くして明治の末期に神社制度の改革があり各神社ともに基本財産壱千円がなければ他社併合すべしとの布告があり、此れに対応し神社護持の信仰厚き地元氏子民二十五名外信徒が一丸となり、菩心惨胆して基本財産壱千円(当時上田坪当たり三十銭位)の募財を達成して合社を免れ村社に列格中野集落の鎮守神として村民の信仰を集めてきたが、その後大東亜戦争終結をへて昭和三十八年(一九六三年)第百土地㈱により附近一帯が住宅地として開発せらるに伴い社有山林等を一ヶ所に集約造成された。
爾来住宅の密集と人口の増加につれ氏子地域は中野、元大橋、若竹の三地域に分れ連合体を組織し新旧住民互に融和を計りつゝ神社運営に当たってきたが其の間激しい時流の変遷の中に、社殿も老朽化し神慮の程も畏しと氏子一同産土信仰の原点に立ち戻り浄財を集め、昭和六十一年一月(一九八六年)起工式と共に工事に着手し、以来日夜協力一致して事に当り、昭和六十一年十二月此処に荘厳な社殿と完備せる社務所の竣工を見、神域一新し神威灼然と輝き渡り誠に有難き極である。
時恰も、今上天皇、在位六十年の記念すべき時にも当り、一層その意義を深らしむるものである。
此も偏に神明の加護と、氏子一同の協同精神の発露の賜と感激に堪えず。
依って、子ノ神日枝神社の沿革と社殿再建の経緯を記して、永く後世に伝える所以である。
   昭和六十一年十二月吉日
     子ノ神日枝神社宮司 村岡忠四郎 謹誌


 石塔群(子ノ神日枝神社境内)
 淤母陀琉神(おもだるのかみ)訶志古泥神(かしこねのかみ) 神位(子ノ神日枝神社境内社)(= 第六天社)


【(鍛冶ケ谷)八幡神社】栄区鍛冶ケ谷1丁目13-24


【道祖供養塔】栄区鍛冶ヶ谷一丁目33

横浜市地域指定有形民俗文化財
 横浜道の道祖供養塔
     平成十一年十一月一日登録
 江戸時代には、鍛冶ヶ谷村の北側を通り日野村に抜ける道が狭く迂曲しており、また、度々用水路が溢れるため、交通の便を良くするため、道普請を行いました。完成時には道祖神を祭り供養塔として建てられました。背面には、その経緯が記されています。
 また、道標も兼ねており「弘明寺横浜道」と開港まもない横浜を示し、当時の鍛冶ヶ谷村の様子を知る上で貴重な碑です。
 なお、この道祖供養塔の当初の位置は、鍛冶ヶ谷村二丁目の一角に所在していましたが、平成十八年十二月に現在地に移設しました。
 平成十九年三月
         横浜市教育委員会


 以下、本日撮影のその他の写真です。


【参考】
 イヌガヤ Cephalotaxus hamingtonia
 ツワブキ Farfugium japonicum
 イワタバコ Conandron ramondioides
 サネカズラ Kadsura japonica
 センニンソウ Clematis terniflora
 キヅタ Hedera rhombea
 ジャノヒゲ Ophiopogon japonicus
 カルガモ Anas poecilorhyncha
 カタバミ Oxalis corniculata
 ユウガギク Aster iinumae
 トネアザミ Cirsium comosum ver. incomptum
 ホトトギス Tricyrtis hirta
 イヌタデ Persicaria longiseta
 クロガネモチ Ilex rotunda

旧東海道を歩く-神奈川から権太坂へ

 桜木町駅観光案内所旧東海道のパンフレットを戴いたので、先ずは横浜駅北口を起点にして、横浜宿神奈川から保土ケ谷宿権太坂までを辿りました。
【主な経路】
(横浜駅北口)-洲崎大神-望欣台-大網金刀比羅神社-田中家-浅間神社-洪福寺松原商店街-栄重稲荷-瀬戸ヶ谷八幡社-外川神社-栗之沢神社-尾才女(おさいじょ)稲荷神社-市沢熊野神社-(今井)子神社-田嶋稲荷神社-(井土ヶ谷駅)


【洲﨑大神】神奈川区青木町5-29

◎洲崎大神
 洲崎大神は、建久二年(一一九一)、源頼朝が安房国(現、千葉県)一宮の安房神社の霊を移して祀ったことに始まると伝えられている。
 「江戸名所図会」の様子は、今も石鳥居や周囲の地形に偲ぶことができる。神社前から海に向かって延びる参道が、第一京浜に突き当たるあたり。そこが、かつての船着場である。横浜が開港されると、この船着場は開港場と神奈川宿とを結ぶ渡船場となり、付近には宮ノ下河岸渡船場と呼ばれる海陸の警護に当たる陣屋も造られた。


 洲﨑大神
祭神 天太玉命
   天比理比賣命
相殿 素盞男命
   大山咋命
例祭 六月六七八日
創立 建久二年六月二十六日


【望欣台の碑】高島台公園:神奈川区高島台3

望欣台の碑
 髙島氏偉志アリ正真之才智剛毅之志向偶維新ノ盛時ニ際會
感奮開化ニ勵精シ人才ヲ輩出スルハ學校ヲ興シ教育ヲ専ニス可シト自
ラ巨萬ノ金ヲ散シ碩學ノ教師ヲ海外ヨリ聘シ始テ學館ヲ横濱ニ開ク
是吾邦ニ於テ洋學院ヲ設立スルノ先驅タリ故ニ官進歩首唱ノ賞状ヲ賜
ヘリ而貿易ヲ盛大タラシムルハ鐵道ヲ建築シ運輸ヲ便ニスル最急務ナン
ハ官ニ請ヒ神奈川ヨリ横濱間ノ海中ヘ一直線ニ銕路ヲ築造スルハ便且
益タル事ヲ揚言シ決然奮發シテ家産ヲ頎盡シ現今高島町ノ銕路及
市衛ヲ埋開スルハ氏ノ獨力ヲ以テ竣功スル處其他山ヲ崩シテ港ノ内外ヲ
埋メ瓦斯燈ヲ港中ヘ連絡シテ不夜ノ境タラシメ人民夜ヲ日ニ継テ便益
シ得セシム此時、親臨マリテ叡感ノ勅ヲ賜ヘリ氏曾テ一派ノ易学ヲ
恃發ス進退舉動悉久易占ニ據ラサルハナシ而テ功成身退ノ聖賢
訓戒ヲ反省シ近時神奈川臺上ニ一閑室ヲ設ケ之ニト居シ港内ノ
繁榮ト其事業ノ功蹟ヲ脚下ニ矚望シ獨欣然トシテ其心ヲ慰ス由ヲ
此臺ヲ號シテ望欣臺ト云爾  辱友 荒木政樹謹識
              應索 桑門辨三書之
 明治十年一丑十二月


横浜市地域史跡
  望欣台(ぼうきんだい)の碑


              平成二年十一月一日 登録
          所在地 横浜市神奈川区高島台五番地の二
 望欣台の碑は、横浜の都市形成期における恩人の一人である高島嘉右衛門(たかしまかえもん)を顕彰する碑(明治十年建立)です。嘉右衛門は、高島学校などの洋学校の創設・経営や瓦斯事業、高島町埋立てなどの土木事業まほか、洋館の建築、港座(洋式劇場)の経営など多方面に貢献しました、港内の繁栄と事業の功績を望み、ひとり欣然として心を癒したということから、この高島台の高台を望欣台ということです。
 碑は、現在、高島公園内にありますが、もとは近くの高島邸にあったものです。
    碑高 二八五・〇センチメートル
    碑幅 一五〇・〇センチメートル
    碑厚  三〇・〇センチメートル
  平成二十五年三月  横浜市教育委員会


【大網金刀比羅神社】神奈川区台町7-34

大網金刀比羅(おおつなことひら)神社と一里塚
 この神社は、社伝によると平安末期の創立で、もと飯縄社といわれ、今の境内後方の山上にあった。その後、現在の地へ移り、さらに琴平社を合祀して、大網金刀比羅神社となつた。かつて眼下に広がっていた神奈川湊に出入りする船乗り達から深く崇められ、大天狗の伝説でも知られている。
 また、江戸時代には、神社前の街道両脇に一里塚が置かれていた。この塚は、日本橋より七つ目にあたり、土盛の上に樹が植えられた大きなものであった。


【田中家】神奈川区台町11-1

◎神奈川の台と茶屋
 ここ台町あたりは、かつて神奈川の台と呼ばれ、神奈川湊をみおろす景勝の地であった。弥次さん、喜多さんが活躍する「東海道中膝栗毛」にも「爰は片側に茶店(ちゃや)軒をならべ、いづれも座敷二階造、欄干つきの廊下(かけはし)などわたして、浪うちぎはの景色(けいしょく)いたってよし」とある。「おやすみなさいやァせ」茶屋女の声に引かれ、二人はふせられと立ち寄り、鯵をさかなに一杯ひっかけている。上図の「櫻屋」が現在の料亭田中家のあたりだといわれている。


田中家
 神奈川宿がにぎわった当時から続く唯一の料亭が、文久三年(1863年)創業の田中家です。田中家の前身の旅籠「さくらや」は安藤広重の「東海道五十三次」にも描かれた由緒正しき店名です。高杉晋作やハリスなども訪れました。
坂本龍馬ま妻「おりょう」
 「おりょう」が田中家で働き始めたのは明治七年。勝海舟の紹介で働いていたと伝えられています。英語が話せ、月琴も弾くことができた「おりょう」は、外国人の接待に重宝されていました。


【神奈川台の関門跡】

◎神奈川台の関門跡
 ここよりやや西寄りに神奈川台の関門があった。開港後外国人が何人も殺傷され、イギリス総領事オールコックを始めとする各国の領事たちは幕府を激しく非難した。幕府は安政六年(一八五九)横浜周辺の主要地点に関門や番所を設け、警備体制を強化した。この時、神奈川宿の東西にも関門が作られた。そのうちの西側の関門が、神奈川台の関門である。明治四年(一八七一)に他の関門・番所とともに廃止された。


【浅間神社】西区浅間町1丁目19-10

浅間神社と富士の人穴
 創建は承暦4(1080)年、富士浅間神社の分霊を祭ったものと伝えられています。旧芝生村(しぼうむら)鎮守。本殿のある丘は袖すり山と呼ばれ、昔は山の下がすぐ波打ち際であったといいます。境内西側の崖には富士山に通じていると伝えられる「富士の人穴(ひとあな)」と呼ばれる古代の横穴墓があり、東海道を往還する人々が見物する名所となつていました。しかし今は、周辺の開発によって見ることもできなくなってしまいました。


【栄重稲荷】保土ケ谷区帷子町2丁目106


【本金子屋跡】保土ケ谷区保土ケ谷町1丁目84

旅籠本金子屋(ほんかねこや)
 旅籠の面影を残す建造物
          館長 金子 勇
■本金子屋の歴史■
 本金子屋は、江戸時代に旅籠として栄えました。
 明治二年に建て替えられた現在の建物も、東海道沿いに建つ旅籠の面影を残しています。
 過去には国道1号線が7mほど拡幅される前は、現在の母屋の前に大名聞と前庭がありました。現在、当時の大名門は建物正面の外壁として使われています。
 敷地内には本格的な日本庭園(非公開)があります。これは戦後に造られたものですが、四国の石で造られた燈籠や、大正天皇がお忍びで旅をしたときにお茶を飲むのに休まれたといわれている石などがあります。


【瀬戸ヶ谷八幡社】保土ケ谷区瀬戸ケ谷町137

 八幡社境内社 菊水観音 御由緒
新編武蔵風土記稿に
 菊水観音出現跡 鳥居に向かひて右の方なり 楠木の株ありてその根の際に少しく窪きところあり この底に清水をたたへきはめて精冷なり 病者常にこの水を服と(て)平癒しあるいは眼病を患ふるものみの水にてあらふときは験有りと伝ふ
と書かれ、近年まで多く人々がこの霊験に肖っていた。現在も僅かであるがその霊水を参している。
菊水観音とは
 古代中国の時代に周の穆王の侍童が南陽郡(れき)県現在の河南省内郷県に流されたがそこの菊の露を飲んで不老不死になった「菊慈童」を観音の垂迹とする。
 我国では後醍醐天皇に忠節を貫いた楠木氏は菊水紋を家紋に用い、「大楠公」・「小楠公」はその死後皇室護持の神仏「菊水観音」になったと云われている。


【外川神社】保土ケ谷区瀬戸ケ谷町

横浜市名木古木 No.48075 ケヤキ


【栗之沢神社】保土ケ谷区仏向町1007-14


尾才女(おさいじょ)稲荷神社】:保土ケ谷区法泉1丁目20

 尾才女稲荷の由来


【市沢稲荷神社】旭区市沢町805


【市沢熊野神社】旭区市沢町807

 市沢熊野神社
鎮座地 横浜市旭区市沢町807番地
御祭神 伊弉那岐尊 天照大神
例祭日 九月二十日 近い日曜日
御神徳 家運隆昌 延命長寿 交通安全
御由緒 創立年代は詳かでないが往時より市沢を中心とする村の鎮守として氏子の篤い崇敬を集めて来た神社である。
明治四十年村内の神明社を合祀した社殿は文政十年八月造営と伝えられて来たが老朽著しく依って平成三年十一月御大典事業として氏子の赤誠により新社殿造営なる。
付記  神は人の敬により威を増し
     人は神の徳によりて運を添ふ
本神社は市沢・桐ヶ作の氏神さま
 みな心を合せてお詣り致しませう
  熊野神社社務所


【(今井町)子神社】保土ケ谷区今井町167

横浜市名木古木 No.49106 イチョウ


【田嶋稲荷神社】保土ケ谷区今井町12


その他本日撮影の写真です。


ハナズオウ Cercis chinensis
ノアサガオ Ipomoea indica
Bakery KIKI:保土ケ谷区岩間町1丁目6-20
金沢横丁:保土ケ谷区帷子町2丁目71
マユハケオモト Haemanthus albiflos
ケヤキ Zelkova serrata
シュウメイギク Anemone hupehensis
ヒラドツツジ Rhododendron × pulchrum
ソヨゴ Ilex pedunculosa
夕焼け食堂:保土ケ谷区新桜ケ丘1丁目27-7
庚申塔群(市沢熊野神社:旭区市沢町806)
イチョウ Ginkgo biloba
権太坂
ハナモモ Prunus Persica
アツバキミガヨラン Yucca gloriosa


横浜市地域有形民俗文化財
  金沢横丁道標四基
          平成元年十二月二十五日 登録
 この地は、旧東海道の東側で、金沢・浦賀往還への出入口にあたり、通称「金沢横丁」と呼ばれていました。金沢・浦賀往還には、円海山、杉田、富岡などの信仰や観光の地が枝道にあるため、道標として四基が建立され、現在残っています。
 四基の道標は、それぞれ次のとおりです。(右側から番号を付す)
①円海山之道「店名三年(一七八三)建立」
 左面に[かなさわかまくらへ通りぬけ]と刻されています。
 建立者は保土ケ谷宿大須賀吉左エ門です。円海山は「峰のお灸」で有名でした。
②かなさわ、かまくら道[天和二年(一六八二)建立]
 左面に「ぐめうし道」と刻されています。
③杉田道[文化十一年(一八一四)建立]
 正面に「程ヶ谷の枝道曲がれ梅の花 其爪(きそう)」と刻されています。句碑を兼ねた道標は珍しく、また作者の其爪は江戸の人で河東節の名家の一門です。
④富岡山芋大明神の道[弘化二年(一八四五)建立]
 建立者は柳島村(現茅ケ崎市)の藤間氏。芋明神は、富岡の長昌寺でほうそうの守り神として信仰を集めていました。
 平成三十年三月     横浜市教育委員会


横浜市地域史跡
 権太坂
       平成十五年十一月四日 登録
 この辺りは、権太坂と呼ばれる東海道を江戸から西へ向かう旅人がはじめて経験するきつい登り坂でした。
 日本橋から四番目の宿場であった保土ケ谷宿まではほぼ江戸内湾沿いの平坦地でしたが、宿の西にある元町橋を渡ったあたりより、長く続く険しい登り坂となります。
 『新編武蔵風土記稿』に、名前の由来は、道ばたの老齢の農民に旅人が坂の名を聞いたところ、耳の遠いこの老人は自分の名前を聞かれたと思い、「権太」と答えたため、とあります。また、坂の上から目の下に見える神奈川の海は大変美しかった、とあります。
 旅人にとっては印象深い場所になり、浮世絵などにも描かれる保土ケ谷宿の名所ともなりました。

秋深まる鷹取山

 今日は午後から鷹取山へ。これまで2度に渡って休業日だった喫茶店SKABO、今日は営業していました。


【参考】
 鷹取山山頂より東京湾方面を望む
 コウヤボウキ Pertya scandens
 ユウガギク Aster iinumae
 ヤクシソウ Youngia denticulata
 ハナシュクシャ Hedychium coronarium
 トネアザミ Cirsium comosum ver. incomptum
 チーズケーキ(SKABO)

ヴェルニー公園の秋バラなど

 先週の横浜イングリッシュガーデンに続いて、秋の薔薇を訪ねてみました。ヴェルニー公園でも30種くらいが開花中です。100種以上が見事に咲き誇るイングリッシュガーデンには遠く及びませんが、こちらは無料公開です。
【主な経路】
(自宅)-浜見台-がらめき切通-十三峠-塚山公園-西逸見-ヴェルニー公園-三春町-(堀ノ内駅)




【参考】
 ロサ・ニティダ Rosa nitida
 イヌバラ Rosa canina
 ロサ・キネンシス Rose chinensis
  ロサ・キネンシス ビリディフローラ Rose chinensis var. Viridiflora
 バラ(Rosa spp.)の品種
  マジカルミラクル Magical Miracle
  ジャクリーヌ デュプレ Jacqueline du Pre
  ローブリッター Raubritter
  ラベンダーメディランド Lavender Meidiland
  サンライズ・サンセット Sunrise Sunset
  つるゴールドバニー Cl. Gold Bunny
  つるブラックティ Cl. Black Tea
  ニコロパガニーニ Niccolo Paganini
  玉かずら Tamakazura
  つるアイスバーグ Cl. Ice Berg
  杏奈 Anna
  ファーストインプレッション First Impression
  アライブ Alive
  ノヴァーリス Novalis
  希望 Kibou
  ファッショニスタ Fashionista
  ラ セビリアーナ La Seviliana
  ヘルツアス Herz As
  パパ メイアン Papa Meilland
  トレジャートローブ Treasure Trove
  ジュビレ ドゥ プリンス デ モナコ Jubile du Prince de Monaco
  ラブミー テンダー Love Me Tender
  エレン ウィルモット Ellen Willmott
  デンティ ベス Dainty Bess
  桜木 Sakuragi
  ホワイト クリスマス White Christmas
  粉粧楼 Fen Zhang Lou
  イレーネ ワッツ Irene Watts
  紅 Kurenai
 キンモクセイ Osmanthus fragrans
 ユウガギク Kalimeris pinnatifida
 ヒメツルソバ Persicaria capitata
 ハナシュクシャ Hedychium coronarium
 ツワブキ Farfugium japonicum
 トネアザミ Cirsium comosum ver. incomptum
 メリケンカルカヤ Andropogon virginicus
 ホトトギス Tricyrtis hirta
 アキノタムラソウ Salvia japonica
 シラヤマギク Aster scaber
 ツリガネニンジン Adenophora triphylla
 ヤブミョウガ Pollia japonica
 キツネノマゴ Justicia procumbens
 コロボックルの小径
 ジンジャーリリー Hedychium spp.
 安針塚道標(西逸見)
 安針塚道標(汀橋)
 安針塚道標(JR横須賀駅)
 砕氷艦しらせ
 どぶ板通り
 アフリカハマユウ Crinum bulbispermum (Syn.Crinum latifolium)
 横須賀ポートマーケット
 ナワシログミ Elaeagnus pungens
 白赤稲荷神社:横須賀市安浦町2丁目12
 第二海堡
 第一海堡
 庚申塔群(9基):横須賀市三春町6丁目
 クサカゲロウ Chrysopa intima
 三春町の明神様(稲荷社):横須賀市三春町6丁目78-1
 庚申塔:横須賀市三春町5丁目20-36

秋のイングリッシュガーデン

 そろそろ冬咲の桜が見れる頃と思い尋ねた横浜イングリッシュガーデン。秋咲のバラが見事でした。秋にもこれだけ見ごたえがあるという事は、手入れが良いのだと思います。
 2018年11月15日
【主な経路】
(横浜駅)-横浜イングリッシュガーデン-帷子稲荷社-(常盤台)弁財天社-常盤稲荷大明神-真言宗真福寺-和田稲荷神社-薬王山東光寺-川島杉山神社-和田杉山神社-星川杉山神社-橘樹神社-(戸部駅)



【参考】品種名は自称です
バラ Rosa</> spp.
 アンゲリカ ‘Angelika’
 チャーリーアンバー ‘ZENmicharliam’ Charlie Amber
 コーヒールンバ ‘ZENfucafe’ Cofee Rumba
 エスプレッソ ‘Espresso’
 マジェンタ・クォーツ ‘Magenta Quartz’
 シンコ・デ・マヨ ‘WEKcobeju’ Cinco de Mayo
 プレイ ‘Pray’
 リンボ ‘KORnalist’ Limbo
 禅 ‘ZENfuzen’ Zen
 グレッチャー ‘Gletcher’
 シスター・エリザベス ‘AUSpalette’ Sister Elizabeth
 志野 ‘ZENfushino’ Shino
 フォー・ユア・アイズ・オンリー ‘CHEweyesup’ For Your Eyes Only
 エンジェル・フェイス ‘Angel face’
 スカボロフェア ‘AUSoran’ Scarborough Fair
 シルバー・シャドウズ ‘Silver Shadows’
 サザン・ホープ ‘Southern Hope’
 ローズ・ヨコハマ ‘KEIhayokoki’ Rose Yokohama
 モンテ・カルロ ‘Monte Carlo’
 キープ・スマイリング ‘Keep Smiling’
 トロピカル・シャーベット ‘Tropical Sherbet’
 ドクター・A・J・フェルハーゲ ‘Dr. A.J.Verhage’
 ゴールデン・スマイルズ ‘FRYkeyno’ Golden Smiles
 ゴールデン・オールディー ‘FRYescape’ Golden Oldie
 アイコニック・レモネード ‘SPRlem’ Eyeconic Lemonade
 スプリンター ‘INTersprint’ Sprinter
 おぼろ月夜 ‘ZENhaoboro’ Oborozukiyo
 モリニュー ‘AUSmol’ Molineux
 ビューティー&フレグランス(キングス・マック)’FRYdisco’ Beauty & Fragrance
 タモラ ‘AUStamora’ Tarora
 ラフィーネ ‘Raffine’
 ブルー・ムーン ‘TANacht’ Blue Moon
 ムーディー・ブルース ‘MACmooblu’ Moody Blues
 ブルー・バユー ‘KORkultop’ Blue Bajou
 メルセデス ‘Mercedes’
 ホット・ハナマキ ‘Hot Hanamaki’
 クイーンズ・ロンドン・チャイルド ‘Queen’s Londoan Child’
 桜霞 ‘Sakuragasumi’
 ヴィリディフローラ(グリーン・ローズ) ‘Viridiflora’
 六甲 ‘Rokkou’
 紫陽 ‘Shiyo’
 パーマネント・ウェーブ ‘Permanent Wave’
 ワンダリング・ミンストレル(ダニエル・ギラン)’HARquince’ Wandering Minstrel
 ジャスト・ジョーイ ‘Just Joey’
 ウィスキー・マック ‘Whisky Mac’
 ヴァブーム ‘WEKjutone’ Vavoom
 万葉 ‘Manyoh’
 アール・デコ ‘PEJamarluv’ Art Déco
 イージー・ダズ・イット ‘HARpagent’ Easy Does It
 炎 ‘ZENfuhome’ Homura
 ミセス・オークリ・フィッシャー ‘Mrs Oakley Fisher’
 スイート・マーマレード ‘HORcogjil’ Sweet Marmalade
 シェイラザード ‘Sherezade’
 シンキング・オブ・ユー ‘FRYdanay’ Thinking of You
 ハッピー・ルビー・ウェディング ‘FRYnoble’ Happy Ruby Wedding
 アール・ヌーヴォー ‘PEJamark’ Art Nouveau
 ダスキー・メイドゥン ‘Duskey Maiden’
 紅 ‘KEIfumonmu’ Kurenai
 ラ・マリエ ‘La Mariée’
 ベリー・ベリー・ベッキー♪♯・ローズ ‘Very Berry Beckey ♪♯ Rose’
 清涼殿 ‘Seiryoden’
 クロチード・スペール(粉粧楼) ‘Clotilde Soupert’
 シークレット ‘HILaroma’ Secret
 美咲 ‘Misaki’
 ファースト・レディ・アキエ ‘First Lady Akie’
 デンティ・ベス ‘Dainty Bess’
 ドリーム・タイム ‘Dream Time’
 ラブリー・ブルー ‘KEIsublue’ Lovery Blue
 アズール・シー ‘AROlala’ Azue Sea
 メアリー・マグダレン ‘Mary Magdalene’
 シャンパン・カクテル ‘Champagne Cocktail’
 ファミー ‘Famy’
 ブレドン ‘Bredon’
 セント・オブ・ヨコハマ ‘Scent of Yokohama’
 トラモント・エスティーヴォ ‘Tramonto Estivo’
 ぺルディーダ ‘Perdita’
 ピュール・カプリス ‘Pur Caprice’
 ピンク・ファミー ‘ZENfufamy’ Pink Famy
 ベル・ストーリー ‘Bell Story’
 トトロ ‘Totoro’
 イーハトーブの香 ‘Ihatov no Kaori’
 インディアン・サマー ‘PEAperfume’ Indian Summer
 ヴァブーム ‘WEKjutono’ Vavoom
 タイフーン ‘Typhoon’
 アンボスフンケン ‘Ambossfunken’
 レイ ‘Rei’
 クリムゾン・グローリー ‘Crimson Glory’
 真夜 ‘ZENfumayo’ Mayo
 鵜匠 ‘Usho’
 ザ・プリンス ‘AUSvelver’ The Prince
 プロスペロ ‘AUSpero’ Prospero
 ノクターン ‘Nocturne’
 ナイト・タイム ‘Night Time’
 アブラカダブラ ‘KORhocsel’ Abracadabra
 バルセロナ(フランシス・デュブール) ‘Barcelona’
 コーヒー・ルンバ ‘ZENfucafe’ Cofee Rumba
 シング・イン・ザ・レイン ‘Sing in the Rain’
 アイリッシュ・クリーム ‘PERcreme’ Irish Créme
 エクストリーム ‘OLIxtreme’ X-Treme
 マジェンダ・クォーツ ‘Magenta Quartz’
 トム・ブラウン ‘Tom Brown’
 チムニー ‘ZENmichim’ Chimney
 陽炎 ‘Kagero’
 カフェ・オレ ‘MORolé’ Café Olé
 テディ・ベア ‘SAVabear’ Teddy Bear
 火影 ‘ZENmihokage’ Hokage
 コーヒー・ドロップス ‘Cofee Drops’
 グレー・パール(ザ・マウス) ‘Grey Pearl’
 スイート・チョコ ‘Sweet Choco’
 空蝉 ‘ZENfusemi’ Utsusemi
 グレー・ドーン ‘Grey Dawn’
ヒャクニチソウ Zinnia spp.
アルストロメリア Alstroemeria aurea psittacina
ハナアオイの一種 Lavatera spp.
トレニア・コンカラー(ツルウリクサ) Torenia concolor var, formosaヒメリンゴ Malus x cerasifera
キンモクセイ Osmanthus fragrans
ウラムラサキ ‘パープルプリンス’ Strobilanthes auriculatus var. dyerianus ‘Purple Princess’
シュウメイギク ‘ダイアナ’ Anemone hupehensis ‘Diana’
桜 ‘アーコレード’ Cerasus sargentii x C. subhirtella ‘Accolade’
クルクマ Curcuma alismatifolia
コリウス Coleus spp.
マンデビラ Mandevilla ‘Sun parasol Giant’
ボケ Chaenomeles speciosa
ギョリュウバイ Leptospermum scoparium
ノボタン Melastoma candidum
ニワナズナ Lobularia maritima