西区の名木古木

 今日は午後から西区を散策しました。
戸部杉山神社】西区中央1丁目13-1


 鶴見川、帷子川、大岡川などの流れる地域に分布する杉山神社です。横浜市の公表資料によれば、ケヤキが1本、イチョウが4本登録されているのですが、案内板はないので特定はできませんでした。
 古木と思われるケヤキは拝殿前の1本と鳥居近くで注連縄の張られている1本ですが、前者の方が見栄えがします。一方、後者は主幹が失われており、こちらが御神木と思われます。大きなイチョウは6本あり、幹回りの太いのは拝殿横の4本で、恐らくこの4本が名木古木に指定されているのでしょう。
横浜市指定名北古木
 ケヤキ No.49183
 イチョウ No.49184, 49185, 49186, 49187


【願成寺】西区西戸部3町290


 法亀山地福院願成寺は天文71538年創建と伝えられる古刹です。イチョウとタイサンボクのほか、名木古木には指定されていませんでしたが、本堂脇のコブシもなかなかの大木です。
タイサンボク No.49189
イチョウ No.49188
イチョウ No.50014


【伊勢山皇大神宮】西区宮崎町64


 伊勢山皇大神宮は野毛山に明治時代に勧請された天照皇大神わ祭神とする神社です。2010年に指定された名木古木は6本を数えます。
横浜市指定名北古木
 クスノキ No,201071
 ソメイヨシノ No.201072
 スダジイ No.201073
 ソメイヨシノ No.201074
 クスノキ No,201075
 タブノキ No.201076


【羽沢稲荷】西戸部町1丁目103


 羽沢稲荷の御神木のイチョウです。
横浜市指定名北古木
 イチョウ No.201088


 以下、その他本日撮影の写真です。


【参考】
 ケヤキ Zelkova serrata
 イチョウ Ginkgo biloba
 タイサンボク Magnolia grandiflora
 クスノキ Cinnamomum camphora
 染井吉野(そめいよしの)Prunus x yedoensis
 スダジイ Castanopsis sieboldii
 タブノキ Machilus thunbergii
 シラキ Sapium japonicum
 ミドリハカタカラクサ Tradescantia fluminensis ‘Viridis’
 イヌホウズキ Solanum nigrum
 カキノキ Diospyros kaki
 ハクチョウゲ Serissa japonica
 稲荷社(南区永田東1丁目6-45)
 ヤマグワ Morus australis
 春日神社:南区永田東2丁目37-1
 スイカズラ Lonicera japonica
 オヤブジラミ Torilis scabra
 ヤエムグラ Galium spurium
 夕景
 トベラ Pittosporum tobira

ガーデンネックレス2019春-里山ガーデン

 これまでガーデンネックレス横浜は、みなとみらい地区しか見たことがありませんでしたので、今日は里山ガーデンを訪ねました。園芸種が多いので、名称、特に学名はほんの参考です。

【参考】
 ガーデンベア
 大花壇(北側)
 大花壇(南側)
 オルレア Orlaya grandiflora
 ネモフィラ Nemophila menziesii ‘Insignis blue’
 ハナビシソウ Eschscholzia californica
 リナリア・マロッカナ Linaria maroccana
 カンパニュラ Campanula spp.
 ノースポール Mauranthemum paludosum
 キンギョソウ Antirrhinum majus
 ボラゴ属の一種(?) Borago spp.
 ドウカンソウ(道灌草) Vaccaria hispanica
 オニゲシ Papaver orientale
 ビオラ・シャトン ビオレブラン Viola “Chaton Violet Blanc” (?)
 セイヨウオダマキ ブラック バロウ Aquilegia vulgaris “Black Barlow”
 デージー Bellis perennis
 ラナンキュラスラックス・ピュタロス Ranunculus Rax“Phytalos”
 ディモルフォセカ Dimorphotheca spp.
 ヤグルマギク Centaurea cyanus
 セイヨウオダマキ ブラックベリー Aquilegia vulgaris “Black Berry”
 ラナンキュラスラックス・アリアドネ Ranunculus Rax“Ariadne”(?)
 ホウノキ Magnolia obovata
 ラグラス・バニーテール Lagurus ovatus “Bunny Tail”
 ヒメハナビシソウ Eschscholzia caespicata
 ジギタリス Digitalis purpurea
 ニワナズナ Lobularia maritima


 その他、四季の森公園などで本日撮影した写真です。


【参考】
 チガヤ Imperata cylindrica
 ユウゲショウ Oenothera rosea
 四季の森公園
 キンラン Cephalanthera falcata
 ナルコユリ Polygonatum falcatum
 ミツバウツギ Staphylea bumalda
 キブシ Stachyurus praecox
 ツルアジサイ Hydrangea petiolaris
 セリバヒエンソウ Delphinium anthriscifolium
 ツボスミレ Viola verecunda
 シャガ Iris japonica
 ササバギンラン Cephalanthera longibracteata
 ヤマモミジ Acer amoenum subsp. matsumurae
 ベニシジミ Lycaena phlaeas
 ペンギンのぼり
 レッサーパンダのぼり
 シラン Bletilla striata
 ヤブキリ Tettigonia orientalis
 キツネアザミ Hemisteptia lyrata
 オニタビラコ Youngia japonica
 ブタナ Hypochaeris radicata
 ヤマグワ Morus australis
 ホソヒラタアブ Episyrphus balteatus
 ズーラシア
 サクラの実 Cerasus spp.
 庚申塔(旭区今宿東町715-1)
 白根福音協会(旭区白根4丁目5-4)
 ナツグミ Elaeagnus multiflora
 マツバゼリ Cyclospermum leptophyllum
 チチコグサモドキ Gnaphalium uliginosum
 ヒメシャリンバイ Rhaphiolepis umbellata
 瀬戸神社のカヤ
 雷神社のイチョウ

横浜市指定名木古木を巡る-緑区、旭区

【慈眼寺のイトヒバ】緑区寺山町229
 この木は、2019.3.13付の横浜市の公開リスト(緑区)には記載されておらず、お勤め中のご住職(?)によりますと、指定は解除されたようですが、なかなか立派なサワラです。


【八幡神社のイチョウ】緑区台村町563
 No.49486 イチョウ
 現在の指定木はイチョウ1本だけの様です。


【神明社の社叢林】旭区今宿西町576、
 かつて2本あったこの神社のケヤキのもう一本は滅失したようです。


 No.48106 イチョウ
 No.49168 ケヤキ
 No.49170 アラカシ


【本立寺のイチョウとサルスベリ】旭区今宿西町574
 感應山本立寺には、イチョウ(2本)とサルスベリ、ヤマモミジが登録されていたようですが、現在はイチョウ2本とサルスベリを見ることが出来ます。


 No.49171 イチョウ
 No.49172 イチョウ
 No.54006 サルスベリ


【サクラ】旭区白根6丁目64-10
 私有地につき、近くには寄れず詳細は不明ですが、桜であることは間違いなさそうです。2019.3.13付けの横浜市の公開リスト(旭区)によれば、ヤマザクラとなっています。


  御神木
通称 山の神の桜の
この木は奈良朝の末この地に植林された大和桜の櫱で世々御神木と言伝えられています。     昭和三十七年十一月
         斉藤可一氏口伝


【ヤマザクラ】旭区白根6丁目67-11


 ヤマザクラ No.48095
 こちらは道沿いの桜です。説明板をよく見ると日付が異なっていました。
  御神木
通称 山の神の桜の
この木は奈良朝の末この地に植林された大和桜の櫱で世々御神木と言伝えられています。     昭和三十八年一月一日
         斉藤可一氏口伝


【白根神社のイロハモミジ】旭区白根3丁目31


 イロハモミジ No. 48093
 白根神社と白根不動は一か所で登録されおり、他にもイチョウとヤマザクラがあるようですが、今回は見つけることが出来ませんでした。


【白根不動のカヤ、イロハモミジ】旭区白根3丁目26-1


 カヤ No.48089
 イロハモミジ No.48087:


白根不動・白糸の滝
 社伝によると、『前九年の役(1053~1062)の際、八幡太郎源義家は兜の内に不動明王坐(座長1寸7分伝弘法太師作)を納め奥州に向い勝利を挙げたことにより、康平6年(1063)鎌倉権五郎景政に命じて社殿を造立し、この座像を祭った。これが不動堂の起源である。建久2年(1191)堂宇を再び造立したが、正慶年間(1332~1333)新田義貞の鎌倉攻めの折、この辺りの社寺はすべて烏有に帰した。その後、元禄7年(1694)に社殿を再建したが、大正8年(1919)火災で焼失し、即建立されたのが現在の社殿である』といいます。
 不動堂の別当職白瀧山正願寺し明治初年廃寺となり白根神社となりましたが、神仏混合時代の仏教の影響が残り、“白根のお不動さん”として近郊近在の人々から親しまれています。
 境内には、幅7m、落差3.2mの“白糸の滝”があります。
          社団法人 横浜国際観光協会
          横浜市教育委員会文化財課
                  平成3年3月


【参考】
 サワラ Chamaecyparis obtusa ‘Pendula’
 イチョウ Ginkgo biloba
 サルスベリ Lagerstroemia indica
 アラカシ Quercus glauca
 イロハモミジ Acer palmatum
 ヤマザクラ Cerasus jamasakura
 カヤ Torreya nucifera

武相国境を歩く-石塔群

 この地区では境川の両岸、すなわち旧相模、武蔵の国のどちらにも双体道祖神が残されているようです。堅牢地神塔が多く、しかも石塔を集めた場所の中心に坐していることも特徴です。月待ち塔があることにも興味が持たれます。
 石塔マップ
【石塔群】栄区飯島町175(飯島南谷交差点)


二十三夜塔、双体道祖神、庚申塔
    供養塔
  六地蔵尊並に庚申塔の由来
 いつのころ建立されたものが、その年代は詳らかでないが、以前よりこの地飯島町涼戸一七四番地に六地蔵尊並に庚申塔、二十三夜塔が、三米足らずの細い道路端に安置されていたが、昭和三十年農道拡幅工事の際、飯島町民相違によって岩窟を穿ち、ここに移転安置しました。しかるにまたも再度の周辺地域の開発による環境の著しい変化に伴い、遷座を余儀なくされ景観その他往昔の俤は失はれたが、殆ど元の位置と同じ場所に移転安置することが出来ました。横浜市としても史跡保存に深い理解を示し、現在地に建設することになりました。
  昭和六十二年十一月吉祥
       大機山雲頂禅庵大岑誌


【双体道祖神】戸塚区小雀町486
 それほど古いとは見えませんでしたが、文久3年1863年と読み取れました。


【石塔群】戸塚区東俣野町1103
堅牢地神塔と庚申塔


【道祖神】戸塚区東俣野町
 石碑があるのでそれとわかりましたが、かなり磨滅が進んでいます。双体ではなさそうに見えました。


【小栗墓塔】藤沢市西俣野832
 たまたま通りかかった閻魔堂跡に小栗忠順おぐりただまさの墓石がありました。


閻魔堂跡(法王院十王堂跡)
 法王院十王堂、通称“閻魔堂”は慶長5年(1600)の建立といわれ、鎌倉材木座の浄土宗光明寺の末寺、あるいは同系統の藤沢の常光寺の末寺であったという。
 天保11年(1840)に火災により堂が焼失したが、閻魔大王座像・地獄変相十王絵図・小栗判官縁起図絵などは、村の若者たちの手により運び出され、難を免れた。
 これらの遺産は何れも花應院に現存する。土手番様の浪人の墓、歴代住職の墓が残っている。
  六会地区郷土づくり推進会議


【石塔群:俣野観音堂】戸塚区俣野町1028
 ここでも堅牢地神塔が中心に位置していました。


  俣野五郎景久と観音堂
 治承四年八月二十三日(一一八〇)伊豆に配流中の源義朝が平家政権打倒のため石橋山に挙兵すると平家側の総大将として是を襲ったのは藤沢の大庭景親であったが弟俣野五郎景久は家臣長尾兄弟(上杉謙信の祖)し源氏の先陣佐奈田与一を討ち取り、義朝軍は敗走辛うじて房総に逃れた。
 義朝が源家累代の家臣、千葉一族の協力を得て勢力を恢復し十月鎌倉に入府すると大庭影親を片瀬川畔で梟首し、五郎景久を遠く京都に敗走させて石橋山の報復を遂げた。
 寿永二年五月、俣野景久は平宗盛軍の将とし、頼朝の徒弟木曽義仲の軍と加賀の篠原で対戦したが、平家の敗戦濃厚で。武将の間から、いっそ源氏に鞍替えしてはとの話が出ると景久は強く反対し『武士としていさぎよく討死』の覚悟を示し、守護仏の観音像を家臣に託して母の待つ故郷、相模国俣野村に送って自らは壮烈な最期をとげた。
 いま篠原には景久の戦友で共に討死した斉藤実盛の墓はあるが、景久の墓はない。
 推うに実盛はまだ三歳だった義仲が殺されるのを救けた生命の大恩人であるが、是に反し景久は徹底した反源氏将なるが故に、その墓の建立が憚られたものに相違ない。
 景久に由緒のある観音堂は、茲、鎌倉街道西の道に接してはいるが、治承の昔からこの地に建立されていたかは定かではない。
     大正地区歴史散歩の会
         平成四年十月吉日 健之


【伝承小栗塚之跡】藤沢市西俣野410


    小栗伝説
 中世になると、浄土信仰が全国的に広まり時宗は浄土の教えに小栗説話なども交えて人びとの心をひきつけた。
 小栗伝説は、説教浄瑠璃などにも登場する。一度は地獄に落ちた判官は、閻魔大王の力によって再びもとの地に、餓鬼となってよみがえる。冥界の入口は小栗塚。娑婆への出口は土振塚すなふるいづか、遊行上人の情にもすがった判官は、はるか後方現世の、西方浄土熊野へと送られもとの美男子に生まれ変わる。美女照手姫車引の話もからめ。壮大なロマンとなる。
 今も「閻魔祭」や「判官絵解き」の行事の時に目にすることができる。
 「湘南ゆうき村」建設に伴って調査し、塚のもとの位置には、現在「伝承小栗塚」の碑が建っている。
          平成七年十月一日
     西俣野史跡保存会
     社会福祉法人 藤沢育成会


【堅牢地神塔】藤沢市西俣野380



【石塔群】佐波神社(藤沢市石川141)
 ここでも、堅牢地神塔が中央です。


【双体道祖神】藤沢市円行2丁目17-6


 その他、本日撮影の写真です。藤沢市の地神社は、阿波型地神塔での地神の一柱である埴山姫命はにやまひめが祭神だそうです。

【参考】
 コアオハナムグリ Gametis jucunda
 ワイヤープランツ Muehlenbeckia axillaris
 ツルハナナス Solanum laxum
 イモカタバミ Oxalis articulata
 ヒメフウロ Geranium robertianum
 ナワシロイチゴ Rubus parvifolius
 ヤブカラシ Cayratia japonica
 マダラウスナミシャク Hydrelia bicauliata
 レッドロビン Photinia glabra × P. serrulata
 ハルジオン Erigeron philadelphicus
 稲荷社(戸塚区東俣野町1709)
 マーガレット(木春菊) Argyranthemum frutescens
 俣野神社(戸塚区俣野町763)
 ハナショウブ Iris ensata
 ヤマグワ Morus australis の並木
 地神社(亀井野2丁目36-4)
 マツヨイグサ Oenothera stricta
 ビロードモウズイカ Verbascum thapsus
 ヒメイワダレソウ(英名:リッピア) Phyla canescens var. repens
 メキシコハナヤナギ Cuphea hyssopifolia (鷺舞橋)
 カラタネオガタマ Magnolia figo Syn. Michelia figo

武相国境を歩く-サバ神社巡り part2

 一昨日は廻り切れなかった地域南部のサバ神社4社を廻りました。
part1 北部8社  サバ神社マップ
【左馬大明神】藤沢市西俣野821


 12社の内で最も簡素ですが、手入れは行き届いていました。


   左馬大明神
 祭神は源義朝。「風土記」には「左馬頭義朝の祠なり、神禮寺持」と記されている。元は小栗塚の台地にあり、明治の初めに現在地に移されたという。“サバ神社”と呼ばれる神社が、現在境川と引地川の流域に12社散財し、左馬、佐波、鯖、左婆などの文字が当てられている。
  六会地区郷土づくり推進会議


【(鍛冶山)佐波神社】藤沢市石川141


  佐波神社サバジンジャ
 祭神は源義朝公で例祭日は九月十七日です。一説によると戦国時代末期石川で勢力のあった石川六人衆によって勧請されたと伝えられています。
 社名については、初め左馬頭神社、次に鯖神社と称しましたが、水害のあった時、再度、佐波神社と改めました。
     藤沢市


【(今田)鯖神社】藤沢市湘南台7丁目201
 湘南台駅近くの鯖神社。境内には稲荷社がありました。


鯖神社由来
祭神源義朝公、創立元禄十五年(一七〇二)、例祭日一〇月一日。当地就任井上瀬兵衛により造立される。祭神源義朝が左馬頭であったことから鯖神社と稱する。文政九年(一八二六)に再建し、昭和八年氏子により本殿・拝殿が改築される。例祭日には子供神輿や山車が出てにぎやかである。
  (藤沢わがまちのあゆみより)


 鯖神社再建之碑
  二度の再建への努力を讃え
   鯖神社及び氏子の繁栄を祈り
    ここに記念碑を建立する
 今田鯖神社は氏子中の尽力により元禄十五年の創建から数度の社殿の再建を経て今日に至っている。
 平成七年八月十一日の放火により、昭和八年建立の社殿は失われたが、氏子中は再建委員会を組織し復興工事を完成させ、平成九年三月には遷宮奉祝祭を執り行った。
 同十三年三月一日、再度不審火により新築の社殿は御神体と共に灰燼と帰したが、氏子中の再建への強い志は途切れることなく、同十四年六月には新社殿に新たな御神体を納め、再び遷宮奉祝祭を執り行ないに至った。
 その成果を讃えると共に二度とこのような災難がないよう末永い神社及び氏子各位の安寧を願い、氏子一同決意を碑に刻し、その記録を残す物である。
  平成十八年(二〇〇六)十月吉日
                    氏子中


【(鍋屋)鯖神社】泉区和泉町709
 12社の最後は和泉町の鯖神社です。棟札から、鯖大明神と呼ばれていたことがわかります。ここも境内に稲荷社がありました。


【文献】
 小寺 篤 (1994) 境川流域の開発とサバの神祭祀、in 鶴見川・境川流域考、113-158、230クラブ新聞社、横浜.
 サバ神社マップ

武相国境を歩く-名木古木巡り(本郷台~下飯田)

 今日は、JR根岸線本郷台からブルーライン下飯田まで歩いてみました。市民グラフヨコハマNo.115(2001)に載っていた上俣野神社のイロハイロハモミジは滅失したものと思われます。
【三嶋神社のスダジイ】栄区飯島町2146、横浜市指定名木古木 No.49521
 訪ねたことのあるスダジイです。


【諏訪神社のクスノキ】戸塚区影取町88、横浜市指定名木古木 No.200509
 旧東海道、国道一号線沿いの(影取)諏訪神社境内のクスノキです。


【龍長院のイチョウとタイサンボク】東俣野町1666、指定番号不明。
 天王山龍長院、境内には説明板などはありませんが、この2本で間違いなさそうです。


【東泉寺のイチョウ】下飯田町743、横浜市指定名木古木 No.48221
 巨木山東泉寺のイチョウです。指定番号不明。山号の巨木山はこのイチョウから来ているのかもしれません。二本対の一本は枯死していますが、後継木が元気に育っていました。


【密蔵院のイチョウ】泉区和泉町727、指定番号不明。
 南竺山正覚寺密蔵院。イチョウは、境内ではなく県道を隔てた駐車場にありました。県道が通るまでは参道沿いだったのだと思われます。


【参考】
 スダジイ Castanopsis sieboldii
 クスノキ Cinnamomum camphora
 イチョウ Ginkgo biloba
 タイサンボク Magnolia grandiflora
【文献】
 横浜市市民局市民情報室広報センター(2001)横浜市「名木古木」リスト、市民グラフヨコハマ、No.115、p.36-41.

武相国境を歩く-サバ神社巡り part1

 かつての武蔵国と相模国の境あたりを集水域とする境川水系中流域には、サバ神社の名前に縁のある神社が12社あります。今日は、そのうち北部8社を廻ってみました。
 注:サバ神社については、小寺(1994)に詳しいほか、 七ツ木神社の説明文に要約されています。
 part2 南部4社  サバ神社マップ


【(橋戸)左馬社】瀬谷区橋戸3丁目20-1

 橋戸の左馬社です。境内社として古峰社と天満宮3社の相殿があります。


左馬社(さばしゃ)と梵鐘
 その昔、境川流域の村々では、疫病が流行すると境川の東西に点在する神社をまわり、厄除けをする民間信仰が盛んでした。(七サバ参り)
 当左馬社は、「七サバ神社」と呼ばれるうちの一つであり、祭神は佐馬頭(さまのかみ)源義朝です。
 隣接の真言宗西福寺(さいふくじ)が、この左馬社の別当職であったので、当時の神仏混淆の姿が残り、神社の境内にある吊鐘は区内唯一のもので、厄除け、虫除けに鐘をついて祈願したとのことです。
 梵鐘は江戸時代の文久元年(1861年)に鋳造されましたが、太平洋戦争の際供出したため、昭和32年(1957年)氏子の協力によって新たに現在の鐘がつくられました。
  平成10年3月         瀬谷区役所


左馬神社と梵鐘(小寺(1994)の写真より転記)
(瀬谷町一七八五番地)
 その昔、境川流域の村々では、疫病が流行すると七サバ参りをして厄除けをする民間信仰が盛んであった。
 左馬神社(瀬谷町一七八五番地)
 佐婆神社(戸塚区和泉町四八一一番地)
 左馬神社(戸塚区和泉町三二五二番地)
 左馬神社(戸塚区和泉町七〇五番地)
 飯田神社(戸塚区下飯田町二五一九番地)
 左馬神社(戸塚区下飯田町一三八五番地)
 鯖神社(大和市上和田字久田)
 当左馬神社は、これら七サバ神社の一つであって祭神は左馬頭源義朝公である。
 隣接の西福寺が、この左馬神社と相沢の諏訪神社の別当職であったので、当時の神仏混淆の姿が今日に残り神社の境内にある吊鐘は区内ではこゝだけである。厄除け、虫除け鐘をついて祈願したとのことである。
 梵鐘は文久元年(一八六一年)に鋳造されたが、太平洋戦争の際供出したため、昭和三十二年(一九五七年)氏子の協力によって新たに現在の鐘がつくられた。
  昭和五十四年三月     瀬谷区役所


【(久田)左馬神社】大和市上和田1168
 久田の左馬神社。久田は公田に通じるとのことです。境内社は八坂神社、この社にも梵鐘がありました。


   左馬神社
一、御祭神 左馬頭義朝
一、鎮座地 大和市上和田一一六八番地
一、例祭日 九月二十四日
    由緒
宝暦十四年三月桃園天皇徳川九代将軍家重の代、名主渡辺平左衛門・小川清右衛門この地に宮を建立、左馬頭義朝の霊を勧請し村民の精神道場となるや漸次庶民崇敬の的となり。文化三年四月三日上和田信法寺十四世住職憧与上人、氏子の賛同を得て五穀豊饒の祈願をなしたるや、其の御神徳の偉大さに武家・一般庶民に深き感銘を与う。
以来五穀豊饒はもとより家内安全の守護神として広く世に伝わり崇敬者多し。
尚、境内社として天照皇大神、神武天皇、須佐之男命、三神を奉斎し国土安穏氏子崇敬者の安泰(疫病・痘癒・厄除)守護を念ずる参詣者今尚多し。
   境内三社殿
 御祭神 天照皇大神(中央)
     神武天皇 (向って右側)
     須佐之男命(向って左側)


【(上の原)左馬神社】大和市下和田1110
 大和市下和田の左馬神社です。拝殿のように見えるのは、実は神楽殿なのかも知れません。梵鐘があることが左馬神社の特徴とも言えそうです。


【飯田神社】泉区上飯田町2517
 新編相模風土記稿の記述により『鯖大明神』と呼ばれていたことがわかっている泉区の飯田神社です。


  飯田神社
由緒 勧請年代は定かではないが、往古から当地に鎮座している古社であると伝えられている。
社伝に「延應元年(一二三九)飯田三郎能信 当郷の地頭ニ復スルヤ厚キ奉幣ノ儀アリ 猶知行平山源太郎ノ崇敬持ニ深カリシ社ナリ」
と伝え 寛政十二年二月 式部権大輔菅原長量が「飯田大明神」の神号額を奉納 のた文化十三年二月には神祇管領卜部<(うらべ)良長が京都から参向して奉幣祝詞を奏上しているから 有数の古社であった事が知られる。新編相模風土記稿に「飯田明神社 鯖明神とも唱ふ村の鎮守なり 稲荷 山王を合祀す 村持」とある如く境川添いに祀られている往古からの相模七鯖の一社で境の神としての生田の伝承も残されている。
昭和三十年に現社殿を、また五十五年には参道並びに境内地の玉垣設置等氏子の赤誠の浄財により各々完成社頭の面目を一新した。
                    宮司 宮本忠直記


【(神田)佐婆神社】泉区和泉町4811
 相鉄線からも見える神田の佐婆神社です。由緒書きなどは見当たりませんでした。


【中ノ宮左馬神社】泉区和泉町3253
 泉区和泉町の左馬神社です。境内には、稲荷社のほか、由緒不明の社もあります。


【七ツ木神社】藤沢市高倉1128

 当社は明治初期に集落名から現在の名前になりましたが、かつては鯖大明神であったそうです。境内には、石塔が多く、清瀧不動明王、三笠山天皇、御嶽山座皇大神、八海山上皇などがありました。


    七ツ木(ななつぎ)神社
 以前は鯖明神社と称し、明治初年に七ツ木神社と改名されました。境川・引地川・和泉川流域に点在する「サバ神社」十二社中の一社であり、旧七ツ木村の鎮守です。江戸中期から明治初期に流行した「七サバ参り」(七ヵ所のサバ社を巡礼することにより無病息災を祈る風習)の一社でもありました。サバ社の社名の由来は祭神の源義朝(頼朝の父)の官職が「左馬頭(さまのかみ)」であったからと言われています。(ただし、サバ神社十二社の内和泉川流域に点在する三社の祭神は摂津多田源氏の祖・源満仲です。)
 安土桃山時代の文禄年間(一五九二年~一五九六年)に創建されたと言われています。一説には、当時信仰の厚かった渋谷義重(渋谷庄司重国の子孫とも言われる。)による創建とも言われていますが、定かではありません。
 江戸時代後期の文政九年(一八二六年)に再建され、昭和四年(一九二九年)に拝殿が改築されています。
 なお、この社の鳥居は「両部型鳥居」と言われるもので、両部とは真言密教の「金剛界」・「胎蔵界」の両部を具現したものです。境内には江戸期から明治期にかけての山岳信仰や養蚕関係の碑、庚申塔等の石碑、石仏類が点在し、鎮守の森の荘厳な雰囲気を今なお伝えています。
  平成三十年(二〇一八年) 三月吉日
           長後地区郷土づくり推進会議
           歴史散策の会


  源氏の棟梁を祀る サバ神社めぐり
①左馬社  横浜市瀬谷区橋戸3-20-1
②左馬神社 大和市上和田1168
③左馬神社 大和市下和田1110
④飯田神社 横浜市泉区上飯田2517
⑤佐婆神社 横浜市泉区和泉町4811
⑥中之宮左馬神社 横浜市泉区和泉町
⑦七ツ木神社 藤沢市高倉1182
⑧鯖社   横浜市泉区下飯田1389
⑨鯖神社  藤沢市湘南台7-20
⑩鯖神社  横浜市泉区和泉町709
⑪左馬大明神 藤沢市西俣野字御所ヶ谷
⑫佐波神社 藤沢市石川139


【(宮の脇)左馬神社】泉区下飯田町1389
 下飯田の左馬神社、境内には稲荷社があります。


【文献】
 小寺 篤 (1994) 境川流域の開発とサバの神祭祀、in 鶴見川・境川流域考、113-158、230クラブ新聞社、横浜.
 サバ神社マップ


【主な経路】
 相鉄線瀬谷駅-西福寺-(橋戸)左馬社-宗川寺-全通院-(久田)左馬神社-(上の原)左馬神社-飯田神社-渡井家-無量寺-(神田)佐婆神社-長福寺-中ノ宮左馬神社-七ツ木神社-(宮の脇)左馬神社-プルーライン下飯田駅


 以下、本日撮影した植物などです。旧武蔵国に相当する境川の東側でも双体道祖神をみかけました。


【参考】
 ブタナ Hypochaeris radicata
 双体道祖神(瀬谷区下瀬谷3-16)旧武蔵国
 瀬谷キリスト教会(瀬谷区北新29-16)
 カジイチゴ Rubus trifidus
 ウメ Prunus mume
 ハゴロモジャスミン Jasminum polyanthum
 ナガミヒナゲシ Papaver dubium
 双体道祖神(大和市上和田2713-1)旧相模国
 ヤグルマギク Centaurea cyanus
 ウグイスカグラ Lonicera gracilipes
 ネメシア Nemesia caerulea sp.
 サクラ Cerasus sp.
 ミズキ Cornus controversa
 ノダフジ Wisteria floribunda
 キムネクマバチ Xylocopa appendiculata
 蚕御霊神塔


横浜市地域有形民俗文化財
 蚕御霊神塔(かいこごりょうしんとう)
          平成五年十一月一日 登録
          所有者 神明社
 現在、泉区和泉町三六九六番地に所在する本塔は、明治一一年(一九七八年)に建立された角柱塔で、その規格は、高さ七十・五センチメートル、幅三三センチメートル、厚さ三一センチメートルを測ります。
 塔の背面には、慶応二年(一八六六年)三月に、霜害のため桑が枯れてしまい蚕を育てることができなくなり、蚕を地中に埋めてしまったことが記されているとともに、台石には、六十余名の連名が見られることから、一村あげて、その時の蚕の慰霊を行ったことを知る貴重な資料です。
   平成六年三月
                    横浜市教育委員会

武相国境を歩く-名木古木巡り(瀬谷~下飯田)

 今日は、相鉄線瀬谷からブルーライン下飯田まで歩いてみました。

【西福寺のスダジイ】横浜市指定名木古木 No.60021
 猿王山西福寺境内のスダジイです。案内板によると樹齢千年以上とのことですが、それが本当なら同時開山の500年以上前から当地に生育していたことになります。


【宗川寺のイチョウ】横浜市指定名木古木 No.48233、48234
 白東山宗川寺の梵鐘近くの2本のイチョウです。樹勢は旺盛で均整の取れた2本が参道の両脇に聳えるさまは壮観です。


【全通院のフジ】横浜市指定名木古木 No.49578
 全通院勢至堂のノダフジです。たまたまお会いした古老の言によりますと、同院の開山より前から生育していたとそうで樹齢400年以上とのことです。


下瀬谷文教場跡(勢至堂)と大藤
 明治22年(1889年)の市町村制の実施により瀬谷村、二ツ橋村、宮沢村が合併、一村となりました。この合併により瀬谷小学校の通学区が広くなったため、低学年児童の通学の便を考慮して、明治23年(1890年)11月に分教場をこの全通院勢至堂境内に設けました。この分教場は昭和18年(1943年)の学区改正によって廃校になるまで、50年にわたり数多くの児童が通学しました。
 また、この境内には「横浜市の名木古木」に指定されている藤の大樹があり、その花の咲く頃は誠にみごとなものです。
 全通院勢至堂は曹洞宗瀬谷山徳善寺別院として、勢至菩薩を本尊として祀っています。
 相模国深見村の中丸佐源太が、一夜霊夢に導かれ鹿島神社の旧跡から勢至菩薩の像を発掘し、全国を巡礼し喜捨を受け、徳善寺に納めました。その後、この全通院阿弥陀堂に遷座したと伝えられます。屋根の改修時に発見された棟札には江戸時代の寛政9年(1797年)に現在のお堂が建立されたと書かれていました。
 地元では、「お勢至様(おせっさま)」「勢至堂(せしどう)」とも呼ばれ親しまれています。12年に1回、午年の8月23日に開帳されます。
   平成10年3月          瀬谷区役所


【飯田神社のヤブツバキ】横浜市指定名木古木 No.52044
 泉区上飯田、飯田神社のヤブツバキです。花の時期に再訪したいものです。


【渡井家の生け垣】横浜市指定名木古木 No.49554
 個人宅のイヌツゲの生け垣です。


【無量寺のイチョウ】横浜市指定名木古木 No.49553
 歸命山長壽院無量寺のイチョウです。遠くからもよく目立つ大きな樹です。


【佐婆神社のタブノキ】横浜市指定名木古木 No.48213
 佐婆神社のタブノキです。大きく成長する事で知られるタブノキの中でも巨木というそうです。


【長福寺のイチョウ】横浜市指定名木古木(指定番号不明)
 長福寺のイチョウで2本ある筈ですが、案内板が朽ち落ちているので指定番号などの詳細は不明です。剪定に失敗しているのか、樹勢には不安があるようです。


【左馬神社のシラカシ】横浜市指定名木古木 No.48212
 中ノ宮左馬神社のシラカシです。本殿の後ろになっており、林の中なのであまり目立ちません。


【左馬神社のイチョウ】横浜市指定名木古木(指定番号不明)
 宮の脇左馬神社のイチョウです。見るからに立派な大木ですが、指定番号は不明です


【参考】
 スダジイ Castanopsis sieboldii
 イチョウ Ginkgo biloba
 ノダフジ Wisteria floribunda
 ヤブツバキ amellia japonica
 イヌツゲ Ilex crenata
 タブノキ Machilus thunbergii
 シラカシ Quercus myrsinifolia