本日はハロウィーン。でもそれとは全く関係なく、先週に続いて坂道巡りです。少し早く戻れたので、久しぶりに鷹取山を廻って帰りました。ハイキングコースではシロヨメナが花盛り、ヤクシソウも咲き始めていました。
坂道 石塔
岩井坂
北向地蔵尊:保土ケ谷区岩井町406-2
石難坂()(石名坂)
清水坂()
庚坂()
久保山坂()
霞坂()
植勘坂()
丘友坂()
石坂()
しおくみ坂
西坂()
東坂()
新坂()
旧坂()
半僧房坂()
急坂()
天神阪()
富嶽
尻こすり阪()
羽根沢稲荷
横浜市地域有形民俗文化財
北向地蔵()
平成元年十二月二十五日登録
所在地 保土ヶ谷区岩井町四〇五番地
時代 享保二年(一七一七)
寸法 地蔵坐像 総高七十三センチ
蓮華座 総高三十一センチ
径 九十四センチ
厚 五十二センチ
角柱 総高一五〇センチ
幅 五五.五センチ
北向地蔵は、僧
三譽伝入()が享保二年(一七一七)に、天下泰平・国土安全を祈念するとともに旅人の道中安全を祈願して建立したものです。この場所は東海道の保土ヶ谷宿の通称金沢横町から分岐した金沢・浦賀往還への途中に所在するため、角柱には「是より左の方かなさわ道」「是より右の方くめう寺道」と刻まれ、金澤方面と弘明寺方面への道案内も兼ねています。
平成六年十一月 横浜市教育委員会
御所台の井戸(政子の井戸)
この道は、旧金沢道(金沢・浦賀往還)、俗称金沢横町と呼ばれる道で古くより鎌倉へ到る道として知られていました。この坂は、
石難坂()(石名坂)といい、坂の上の辻に北向地蔵があります。
鎌倉時代、源頼朝の妻政子がここを通りかかった時、この井戸の水を汲んで化粧に使用したと伝えられ、「御所台の井戸」と呼ばれています。
また、保土ケ谷の宿の苅部本陣(保土ケ谷谷町一丁目68番地)に江戸時代、将軍が休息した時、御前水としてこの井戸の水を使用したと伝えられています。
㈳横浜国際観光協会
横浜市教育委員会文化財課
平成4年3月
天神阪碑
吉田愛吾棲 篆額
大森 寒泉 撰書
萬治弐年初代吉田勘兵衛諱良信再請幕府得許
可開拓武陽久良岐郡吉田新田也掘鑿太田村字
天神山及石川中村字大丸山等以填鐘形灣寛文
七年遂成爾来時世一變安政六年横濱為貿易港
也新田亦化為市明治廿一年九代勘兵衛諱良貞
開墾南太田町字東耕地内?有地即是天神山圡
採場之址也茲新開阪道以便交通然無阪名十代
良循命曰天神阪立碑標之後偶値大震災碑倒壊
因更建碑勒其梗槩如此
昭和九年九月廿五日 吉田勘兵衛良循 建立
水道道と尻こすり坂
野毛山配水池から、真っ直ぐ北西の相模原方面へ伸びる道があります。国道や小路、高速道路や高密度の住宅地の中も一直線に貫き、約43kmにわたり続くこの道が「水道道(すいどうみち)」です。地中には水道管が埋設されているため、その上に建築や建造物を建てられず、線的な空間「道」とて存在しています。
イギリス陸軍技師パーマーの指揮の元、明治20(1887)年に相模川から約43kmの日本初の近代水道が建設されました。建設にあたり、配水池のある野毛山から物資を運ぶために軌道が敷設されました。水道道は、軌道の跡とも重なります。現在は、西谷浄水場からの上水がこの道の下を通って野毛山配水池に送られています。
また、横浜市内には、「水道道(すいどうみち)」と呼ばれている道が合計で3本あります。そのうちの一つ、西区を通る水道道の藤棚から野毛山までの区間は、上り下りを繰り返すらくだのこぶのようでもあることから、「らくだ坂」とも呼ばれていました。野毛山に近いこのあたりの坂は、あまりの急な勾配に荷車を引く人達がお尻で車を押さえながら下っていたことからいつしか「尻こすり坂」と呼ばれるようになったそうです。尻こすり坂の階段を併設している区間の最大勾配は13°あまりです。(参考地:紅葉坂の斜度6°)
Suidomichi and Shirikosurizaka
There is a path that stretches directly northwest towards the Sagamihara area from the Nogeyama Reservoir. This path called Suidomichi (waterworks way) continues for approxymately 43 km in a straight line, cutting through national routes, alleys, highways, and high density residential areas. Buildings and other structures cannot be constracted on top of it as water pipes have been laid underground and it continues to exist as a linear space, a “path.”
Under the supervision on British army engineer Palmer, Japan’s firdt modern waterworks system streatching approximately 43 km was constracted in 1887 (Meiji 20) and draws water from the Sagami River. Upon the construction of the waterworks system, a trackway was also constructed to transport commodities from Nogeyama where the reservior was lacated. Suidomichi also overlaps with the former site of this trackway. Currently, clean water from the Nishiyama Purification Plant is sent to the Nogeyama Reservior ubder this path.
there are total of three paths called Suidomichi within Yokohama. A section of one of these which passes through Nishi Ward between Fujidana and Nogeyama is known as Rakudazaka (Camel Slope), as the path resembles camel humps. Because people who carried carts used to support their carts with their behinds when descending this steep slope near Nogeyama, people started calling it Shirikosurizaka (Bottom-Scraping slope) as the years went by. The maximum angle of elevation of Shirikisurizaka where the stairway is constructed is 13°. (For refernce, the angle of elevation of Momijizake id 6°)
ゲジ Thereuonema tuberculata
常盤山査子(ピラカンサ) Pyracantha spp.
ツワブキ Farfugium japonicum
シロヨメナ Aster ageratoides
ウバユリ Cardiocrinum cordatum
アキノキリンソウ Solidago virgaurea var. asiatica
弥勒菩薩像
ケイワタバコ Conandron ramondioides var. pilosus
トネアザミ Cirsium incomptum
コウヤボウキ Pertya scandens
ヤクシソウ Youngia denticulata
サラシナショウマ Cimicifuga simplex
満月(17:47撮影)
【参考】
野毛山動物園
岩井坂()
北向地蔵尊:保土ケ谷区岩井町406-2
石難坂()(石名坂)
清水坂()
庚坂()
久保山坂()
霞坂()
植勘坂()
丘友坂()
石坂()
西坂()
東坂()
しおくみ坂
新坂()
旧坂()
半僧房坂()
急坂()
天神阪()
富嶽
尻こすり阪()
羽根沢稲荷
ゲジ
Thereuonema tuberculata
常盤山査子(ピラカンサ)
Pyracantha spp.
ツワブキ
Farfugium japonicum
シロヨメナ
Aster ageratoides
ウバユリ
Cardiocrinum cordatum
アキノキリンソウ
Solidago virgaurea var.
asiatica
弥勒菩薩像
ケイワタバコ
Conandron ramondioides var.
pilosus
トネアザミ
Cirsium incomptum
コウヤボウキ
Pertya scandens
ヤクシソウ
Youngia denticulata
サラシナショウマ
Cimicifuga simplex
満月(17:47撮影)