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滝の川を遡って

 当初入江川水系を巡るつもりでしたが、雨脚が一向に弱まらず、今日は滝の川のみにしました。準用河川滝の川は、水量はそこそこある河川ですが、国道1号線を潜ると暗渠化していて、地表を流下するのは僅か1kmほどの短い河川となっています。


 万代橋ばんだいばし 幸橋さいわいはし 綿花橋めんかはし 滝の橋たきのはし 土橋どはし (京浜急行本線鉄橋) 慶運橋けいうんはし (私用)橋 (私用)橋 (JR線鉄橋) 境橋 暗渠出口


◎神奈川台場跡
 安政六年(一八五九)五月、幕府は伊豫松山藩に命じ、勝海舟の設計で海防砲台を構築した。
 当時の台場は総面積二万六千余平方メートル(約八千坪)の海に突き出た扇形で、約七万両の費用と工期約一年を要し、萬延元年(一八六〇)六月竣工した。
 明治三十二年二月廃止されるまで礼砲用として使われたが、大正十年頃から埋め立てられ、現在では石垣の一部を残すのみとなった。


◎滝ノ橋と本陣跡
 上の図は「金川砂子」に描かれた、江戸後期の神奈川宿の風景である。現在と同じ場所にあった滝ノ橋を中心に、江戸側には神奈川本陣、反対側に青木本陣が置かれていた。本陣とは、大名や公家などが宿泊したり、休息するための幕府公認の宿である。
 滝ノ橋のすぐ脇には高札場が見える。高札場は幕府の法度や掟を庶民に徹底させるための重要な施設である。この高札場は、現在の地区センターに復元されている。


 孤峯突兀
 聳天涯
 萬里滄濵
 一片霞
 拂檻徐風
 吹不尽
 四時薺發
 滿山花
  釋 玄瑞


【参考】
 街角のアート  滝の川  神社等
 THE・FAMILY:Ettoreエットレ Sottsassソットサス
 蔦金商店
 伏見市場稲荷大神:神奈川区山内町(横浜市中央卸売市場本場内)
 ガトーよこはま(株式会社つま正)
 笠間稲荷大明神:神奈川区神奈川1丁目3-14
 神奈川台場跡
 伏見大漁稲荷神社:神奈川区神奈川1丁目5-21
 滝之橋権現山
 キダチロカイ Aloe arborescens

神奈川区東南部の名木古木、など

 今日は振替休日。今週から職場の移転した神奈川区の名木古木を廻ってみました。
名木古木マップ  神奈川区西部の名木古木  石塔  神社  杉山神社


 青木山本覚寺:神奈川区高島台1−2


 医光山薬王寺:神奈川区七島町6


 遍照院密厳山不動寺:神奈川区子安通3丁目382


 (松見町)八幡神社:神奈川区松見町2丁目12-2


   八幡神社御由緒
(注応神天皇の神名の読み方は明らかに誤記ですが、原文のままとしました)
鎮座地 横浜市神奈川区松見町二丁目十二-二
    (旧神奈川区西寺尾六四六番地)
御祭神 応神天皇(譽田別命ほるたわけのみこと
社殿  本殿(流造)拝殿(入母屋造)瓦葺二棟一宇十二坪
例祭日 八月吉日
境内社 天王社(八坂大神-素戔嗚尊すさのおのみこと
    天満社(菅原道真公)
    水神社(水波乃売神)
    招魂社(戦没者英霊奉祀)
境内地 六七三坪(二、二二一平方メートル)
氏子  松見町。西寺尾六ヶ町 約五、〇〇〇戸余り
神耺  照本 史 宮司
御由緒沿革
 勧請の年代は不詳であるが『新編武蔵風土記稿』に「按ニ今東寺尾ノ松蔭寺ニ藏スル建武年中其寺ノ地形ヲ図セシモノニ八幡社ノ社アルヨシヲ載ス今モ此寺当社ノ別当ナレバ其所ハ古トモ違ヒヌレド何ノ頃ニカ此所ニ移センモノニラン」とあって建武年代は一、三三四年から一、三三八年で、それ以前に勧請された古い神社であると思われる。明治六年村社となり八幡大神を八幡神社と改称した。昭和三十六年社殿を再建、社務所、招魂社を新築、又天王社を遷し祀る。
 昭和六十年、参道敷石を改修、社号標を建立し階段など境内の整備をする。又平成二十四年十二月には鳥居を再建する。尚境内には神楽殿、松見連合会館、消防器材倉庫もある。
名木古木指定 イチョウ 樹令 一九〇年 一本
       イチョウ 樹令 二二〇年 一本
       ツバキ  樹令 二四〇年 一本
                   平成二十七年四月


 (白幡仲町)八幡神社:神奈川区白幡仲町13-25


 宿遠山善龍寺:神奈川区斎藤分町33


 (六角橋)杉山大神:神奈川区六角橋2丁目31-23


 久應山攝取院宝秀寺:神奈川区六角橋5-10-27


 ガーデン山団地6号棟:神奈川区三ツ沢下町21-66


横浜市指定名木古木
 No.49019 イチョウ:青木山本覚寺
 No.49020 イチョウ:青木山本覚寺
 No.49021 スダジイ:青木山本覚寺
 No.49022 ケヤキ:青木山本覚寺
 No.49023 エノキ:青木山本覚寺
 No.49024 タブノキ:青木山本覚寺
 No.49034 イチョウ:医光山薬王寺
 No.49027 イチョウ:遍照院密厳山不動寺
 No.49028 タブノキ:遍照院密厳山不動寺
 No.49029 イチョウ:(松見町)八幡神社
 No.49030 イチョウ:(松見町)八幡神社
 No.49031 ツバキ:(松見町)八幡神社
 No.49036 ケヤキ:(白幡仲町)八幡神社
 No.49037 クスノキ:(白幡仲町)八幡神社
 No.48036 ケヤキ:宿遠山善龍寺
 No.48037 ケヤキ:宿遠山善龍寺
 No.48038 ケヤキ【滅失】:宿遠山善龍寺
 No.48039 エノキ:宿遠山善龍寺
 No.48040 エノキ:宿遠山善龍寺
 No.49038 ケヤキ:(六角橋)杉山大神
 No.49039 ケヤキ:(六角橋)杉山大神
 No.201056 イチョウ:(六角橋)杉山大神
 No.201057 ケヤキ:(六角橋)杉山大神
 No.201058 ケヤキ:(六角橋)杉山大神
 No.49041 イヌツゲ:久應山攝取院宝秀寺
 No.51007 ヌマスギ:ガーデン山団地6号棟



 ヤマボウシ Cornus kousa
 稲荷社(青木山本覚寺境内社):神奈川区高島台1-2
 二ツ谷稲荷神社:神奈川区西神奈川1丁目2-1
 セイロンベンケイ Kalanchoe pinnata
 新子安カトリック教会:神奈川区入江1丁目19-30
 オリーブ Olea europaea
 稲荷社(正光山日蓮院本慶寺境内社):神奈川区子安通3-336-2
 テクノウェイブ100 (神之木台より)
 稲荷社:神奈川区六角橋二丁目25
 愛染地蔵尊:神奈川区三ツ沢下町15


 愛染地蔵尊縁起 由来
戦後(一九四五年)復興の兆しが見え始めた頃滝の川に漂着していた石仏を地元の染物工場で救い上げお祀りしていたが大衆の加護をと念じ商店会で譲り受け鑑定の結果江戸時代の愛染地蔵尊と命名された。
御所山妙照寺御住職によって開眼供養が行われました御縁日は毎月一日と十六日と定められました。
現在は近郊近在より参詣者が多く地蔵尊に真心をころてご祈願したことが大きなご利益に恵まれたとの実話が数多く残されている。
 だれしも寿命を全うし開運招福を願い苦悩の生じた時は路傍に佇む石仏の出合いに心の安らぎを求めこのたびここに五月十六日落慶式を迎えた。
   平成十年戌寅歳五月吉日
      ガーデン下商店会

錦秋の三渓園で

 季節外れの暖かい日々も今日までの様です。今年の紅葉はそろそろ最後になりそうだしたので、本牧三渓園を訪ねました。


【参考】
 旧燈明寺三重塔
 サザンカ Camellia sasanqua
 ツワブキ Farfugium japonicum
 モミジ Acer spp.
 ヤツデ Fatsia japonica
 センナリホオズキ Physalis angulata
 イソギク Chrysanthemum pacificum
 イチョウ Ginkgo biloba
 月華殿
 アカミミガメ Trachemys scripta
 風の塔

まだ秋の気配の鷹取山へ

 天気が回復したようなので、昼前から出かけて、鷹取山でランチ・ピクニックでした。


【参考】
 親不知
 ヤクシソウ Youngia denticulata
 ヤマトリカブト Aconitium japonicum
 ニシキギ Euonymus alatus

立冬の日に神奈川区を訪ねて

 今月、職場が移転することになる神奈川区を歩いてみました。神奈川区は、旧東海道沿いに寺社が点在していて名木古木が残されている地区で、浦島伝説縁の地でもあります。
  名木古木  神社  坂道  アート作品


◎甚行寺
 甚行寺は、真色山と号し、浄土宗高田派に属す。明暦二年(一六五六)第一世意圓上人が本山修善寺の第十四世堯秀上人を招いて、この寺を草創したと伝えられる。
 開港当時、本堂は土蔵造りであったが、改造を加えてフランス公使館に充てられたといわれている。
 大正十二年の関東大震災には全ての建物を倒壊焼失し、さらに昭和二十年の横浜大空襲にも再度全焼した。その後、昭和四十六年に本堂・客殿を鉄筋コンクリート造で再建し、現在に至っている。


権現山合戦の跡
 永正7年(1510)北條早雲が当時の関東の支配者上杉氏の家臣上田蔵人くらんどを味方にしてここにとりでをきづかせた。上杉朝良あさよしら二万の大軍がとりでを囲み合戦が十日間も行われたと言う。
 その結果上田勢が敗れた古戦場である。また安政年間のお台場づくりなどの埋め立て用土に山がけづられて低くなった。
昭和54年3月 神奈川区役所


宋興寺そうこうじ
 曹洞宗宋興寺は、上の『神奈川駅中図会かながわえきちゅうずえ』では、権現山ごんげんやまの麓に描かれている。
 開港当時、アメリカ人宣教師で医師であったヘボン博士がここら施療所せりょうじょを開いた。これを記念する石碑が境内にある。
 このヘボン博士は、「ヘボン式ローマ字」でよく知られ、日本で最初の和英辞典を完成し、聖書の翻訳なども行った。後に、明治学院を創設するなど、わが国の教育にも尽力した人である。


(熊野神社)御神木 公孫樹
  樹令四百年 昭和四十八年 横浜市名木古木指定
 慶応四年(一八六八年)神奈川県大火昭和二十年(一九四五年)戦災に焼失したが見事に再生し、毎年秋にはギンナンがみのり、俗に「火防のイチョウ」として広く親しまれている。
            社務所


  心:岡 弘 作
ニューステージ横浜の竣工を記念して、日本カーボン株式会社の発祥の地に世界唯一のカーボン彫刻を創作した。本作品の考案者は工学博士石川敏功で、人造黒鉛材にニカロン(炭化けい素繊維)の原料を含侵、台座にはレスボン(不浸透黒鉛)を使用している。
          平成6年3月
     東京建物株式会社
     日本カーボン株式会社
     ㈶石川カーボン科学技術振興財団


横浜市地域有形民俗文化財
 浦島太郎伝説関係資料
        平成七年十一月一日登録

  所有者 宗教法人蓮法寺れんぽうじ 宗教法人慶運寺けいうんじ
  所在地 神奈川区七島町二一番地 神奈川区神奈川本町一八番地二
  登録資料 伝供養塔 三基
顕彰歌碑 太田唯助作 一基
本尊浦島観音(旧観福寿寺かんぷくじゅじ) 一躯
浦島父子塔(旧観福寿寺旧在) 一基
浦島寺碑(旧観福寿寺旧在) 一基
 横浜市神奈川区にも伝わる浦島太郎伝説は、観福寿寺に伝えられていた縁起書に由来すると考えられますが、同寺は慶応四年(一八六八)に焼失したため、縁起の詳細については確認できません。しかし、『江戸名所図会えどめいしょずえ』『金川砂子かながわすなご』などの文献には縁起に関する記述がみられます。
 それらによると、相州三浦の住人浦島太夫が丹後国(現在の京都府北部)に移住した後、太郎が生まれた。太郎が二〇歳余りの頃、澄の江の浦から龍宮にいたり、そこで暮らすこととなった。三年の後、澄の江の浦へ帰ってみると、里人に知る人もなく、やむなく本国の相州へ下り、父母のことを訪ねたところ、三百余年前に死去しており、武蔵国白幡の峯に葬られたことを知る。これに落胆した太郎は、神奈川の浜辺より亀に乗って龍宮へ戻り、再び帰ることはなかった。そこで人々は神体をつくり浦島大明神として祀った、という内容です。
 この浦島太郎伝説が伝わっていた観福寿寺の資料は、同寺とゆかりの深い慶運寺(神奈川区神奈川本町一八番地二)と、大正末期に観福寿寺が所在した地に移転してきた蓮法寺(本寺)に残されています。
 蓮法寺の供養塔三基は、若干の欠損と近年にいたって手の入った形跡が認められますが、浦島伝説を今日に伝えるものです。
          横浜市教育委員会


  八幡神社御由緒
鎮座地 横浜市神奈川区白幡仲町十三ノ二五
         (旧白幡仲町一三八番地)
御祭神 応神天皇(譽田別尊ほんだわけのみこと
境内地 七六五坪
旧社格 村社(明治六年指定)
例祭日 八月吉日
沿革 御創建については詳でないが句碑によれば、源義家公奥州征討の途次この地に立寄られ戦勝を祈られた。その後社祠やしろが建立されたと伝えられる。鎌倉時代、神奈川領は鶴岡八幡宮領であり白幡村の鎮守として奉斎されたものであります。旧社殿は嘉永四年(一八五二年)八月に再建せられ、また文久二年(一八六二年)の棟札が残されています。明治以後、神佛分離により神奈川町熊野神社にて兼務す。明治六年村社に列せられ、大正十二年九月一日の大震災により大破し、昭和四年九月現社殿を再建し、神饌幣帛料供進社に指定せられました。戦後は、氏子崇敬者の協賛を得て奉賛会を結成し、社殿、神楽殿の修復、社務所の新築、境内の諸整備をなし、白幡町一円の総鎮守として元旦祭、春秋の祭事、八月の例大祭などを齊行し御神徳の昂揚に努めています。
          宮司 照本力誌
氏子戸数 約四千戸
名木古木 欅(けやき) 樹齢約三五〇年(横浜市指定)
     楠(くすのき)樹齢約一六〇年(横浜市指定)
附記 一、建武元年(一三三四年)松蔭寺吉図
   二、安永八年(一七八〇年)岡山県興津郡
       金川町七曲神社勧請本記に所載
   三、文化十三年(一八一七年)
       新編武藏風土記稿に所載
     「八幡社村ノ中央丘上ニアリ九尺二間南向ナリ神体ハ木ノ立像ニテ長八寸バカリ作シラズ社前二石ノ鳥居ヲタツ例祭年々九月五日ナリ昔ハ神奈川町能満寺ノ持ナリシガ近キ頃ヨリ村持トナレリ」とある。
   四、天保三年(一八三三年)江戸名所図会に所載

【参考】
 モッコク Ternstroemia gymnanthera
 田中家:台の坂
 センリョウ Sarcandra glabra
 イチョウ Ginkgo biloba:横浜市指定名木古木 No.48049(真色山清浄光院甚行寺)
 表忠碑:権現山合戦の跡(幸ヶ谷こうがや公園)
 ヘボン博士施療所跡碑
 イチョウ Ginkgo biloba:横浜市指定名木古木 No.49025(開塔山日輪院宋興寺)
 ケヤキ Zelkova serrata:横浜市指定名木古木 No.49026(開塔山日輪院宋興寺)
 イチョウ :横浜市指定名木古木 No.48050(熊野神社)
 心:岡 弘 作
 宇宙からの手紙Letter from the cosmos 1990 新宮shingu susumu
 テクノウェイブ100
 浦島伝説供養塔
 紋章(蓮法寺山門の扉)
 サザンカ Camellia sasanqua
 みなとみらい方面(大阪坂より)
 大阪坂
 (白幡仲町)八幡神社
 ケヤキ Zelkova serrata:横浜市指定名木古木 No.49036(八幡神社)
 クスノキ Cinnamomum camphora:横浜市指定名木古木 No.49037(八幡神社)
 ダンドク Canna indica
 権兵衛坂
 セイヨウヒイラギ Ilex aquifolium
 ヒマワリ Helianthus annuus

中区、磯子区の坂を巡って

 今日も坂道巡りです。途中で立ち寄った根岸森林公園では秋咲のバラが綺麗でした。
 坂道  トンネル  神社等  名木古木



ワシン坂の湧水
  湧水を利用される方へ
 この湧水は、古くから市民の生活用水として広く利用されてきた由緒あるものであります。
 水温は夏は冷たく、冬は暖かく、一年を通じてほぼ安定しております。近年では、周辺環境の都市化が進んだ影響もあり、清浄な水質が保てなくなってきましたが、災害時等には飲用以外の生活用水としての活用が可能です。
 市民のみなさんに愛されているこの湧水を、いつまでもきれいに絶やさぬよう、次のことを守って大切にしましょう。
  ●水質が不安定ですので、飲用は避けてください。
  ●水取口や周辺はいつもきれいにしておきましょう。
  ●ゴミや汚れに気づいたらすぐにきれいにしましょう。
                小港町1丁目町内会
                中区地域振興課
   水質に関する問合せ:中福祉保健センター生活衛生課
                (224-8339)


  潮汲坂
古の人々は、この台地に居住し縄文時代よりこの坂道を通り海水を運び食塩としたと云ふ



【参考】
 山手隧道
 第六天稲荷社:中区大和町1丁目2-3
 福徳稲荷神社:中区本郷町3丁目72
 横浜上野町教会:中区本郷町1丁目2
 見晴隧道
 聖坂
 ワシン坂
 山手ヘレン記念教会:中区山手町150番地
 No.200939 タブノキ:山手町159-1
 ワシン坂の湧水
 ハロー坂
 アメリカ坂
 七曲り
 ふぞく坂
 馬坂
 不動坂
 子育て地蔵尊(根岸山大聖院覺王山)
 八幡橋
 No.49256 ナギ:海向山岩松寺金蔵院
 鮭塚:海向山岩松寺金蔵院
 間坂まさか
 プリンス阪
 南向坂
 森浅間神社
 潮汲坂
 清水坂
 バラ Rosa spp.
  ビバリー Bevaerly
  ボレロ Bolero
  プリンセス ドゥ モナコ Princess de Monaco
  ジュビレ デュ プリンス ドゥ モナコ Jubilé du Princess de Monaco
  岳の夢 Gaku no Yume
  ハンス ゲーネパイン Hans Gönewein
  パシュミナ Pashhmina
  アプリコット キャンディ Apricot Candy
  レッド レオナルド ダ ヴィンチ Red Loenardo da Vinci
  ほのか Honoka
  結愛ゆあ Yua
  春乃はるの Haruno
  快挙かいきょ Kaikyo
  ファースト インプレッション First Impression
  ラベンター メイディランド Lavender Meidiland
 キダチチョウセンアサガオ Brugmansia suaveolens

保土ケ谷区、南区の坂道を巡って

 本日はハロウィーン。でもそれとは全く関係なく、先週に続いて坂道巡りです。少し早く戻れたので、久しぶりに鷹取山を廻って帰りました。ハイキングコースではシロヨメナが花盛り、ヤクシソウも咲き始めていました。
 坂道  石塔


横浜市地域有形民俗文化財
 北向地蔵きたむきじぞう
       平成元年十二月二十五日登録
   所在地 保土ヶ谷区岩井町四〇五番地
   時代  享保二年(一七一七)
   寸法  地蔵坐像 総高七十三センチ
       蓮華座  総高三十一センチ
            径 九十四センチ
            厚 五十二センチ
       角柱   総高一五〇センチ
            幅 五五.五センチ
 北向地蔵は、僧三譽伝入さんよでんにゅうが享保二年(一七一七)に、天下泰平・国土安全を祈念するとともに旅人の道中安全を祈願して建立したものです。この場所は東海道の保土ヶ谷宿の通称金沢横町から分岐した金沢・浦賀往還への途中に所在するため、角柱には「是より左の方かなさわ道」「是より右の方くめう寺道」と刻まれ、金澤方面と弘明寺方面への道案内も兼ねています。
 平成六年十一月  横浜市教育委員会


  御所台の井戸(政子の井戸)
 この道は、旧金沢道(金沢・浦賀往還)、俗称金沢横町と呼ばれる道で古くより鎌倉へ到る道として知られていました。この坂は、石難坂いわなざか(石名坂)といい、坂の上の辻に北向地蔵があります。
 鎌倉時代、源頼朝の妻政子がここを通りかかった時、この井戸の水を汲んで化粧に使用したと伝えられ、「御所台の井戸」と呼ばれています。
 また、保土ケ谷の宿の苅部本陣(保土ケ谷谷町一丁目68番地)に江戸時代、将軍が休息した時、御前水としてこの井戸の水を使用したと伝えられています。
     ㈳横浜国際観光協会
     横浜市教育委員会文化財課
            平成4年3月


天神阪碑
          吉田愛吾棲 篆額
          大森 寒泉 撰書
萬治弐年初代吉田勘兵衛諱良信再請幕府得許
可開拓武陽久良岐郡吉田新田也掘鑿太田村字
天神山及石川中村字大丸山等以填鐘形灣寛文
七年遂成爾来時世一變安政六年横濱為貿易港
也新田亦化為市明治廿一年九代勘兵衛諱良貞
開墾南太田町字東耕地内?有地即是天神山圡
採場之址也茲新開阪道以便交通然無阪名十代
良循命曰天神阪立碑標之後偶値大震災碑倒壊
因更建碑勒其梗槩如此
昭和九年九月廿五日 吉田勘兵衛良循 建立


水道道と尻こすり坂
 野毛山配水池から、真っ直ぐ北西の相模原方面へ伸びる道があります。国道や小路、高速道路や高密度の住宅地の中も一直線に貫き、約43kmにわたり続くこの道が「水道道(すいどうみち)」です。地中には水道管が埋設されているため、その上に建築や建造物を建てられず、線的な空間「道」とて存在しています。
 イギリス陸軍技師パーマーの指揮の元、明治20(1887)年に相模川から約43kmの日本初の近代水道が建設されました。建設にあたり、配水池のある野毛山から物資を運ぶために軌道が敷設されました。水道道は、軌道の跡とも重なります。現在は、西谷浄水場からの上水がこの道の下を通って野毛山配水池に送られています。
 また、横浜市内には、「水道道(すいどうみち)」と呼ばれている道が合計で3本あります。そのうちの一つ、西区を通る水道道の藤棚から野毛山までの区間は、上り下りを繰り返すらくだのこぶのようでもあることから、「らくだ坂」とも呼ばれていました。野毛山に近いこのあたりの坂は、あまりの急な勾配に荷車を引く人達がお尻で車を押さえながら下っていたことからいつしか「尻こすり坂」と呼ばれるようになったそうです。尻こすり坂の階段を併設している区間の最大勾配は13°あまりです。(参考地:紅葉坂の斜度6°)
Suidomichi and Shirikosurizaka
 There is a path that stretches directly northwest towards the Sagamihara area from the Nogeyama Reservoir. This path called Suidomichi (waterworks way) continues for approxymately 43 km in a straight line, cutting through national routes, alleys, highways, and high density residential areas. Buildings and other structures cannot be constracted on top of it as water pipes have been laid underground and it continues to exist as a linear space, a “path.”
 Under the supervision on British army engineer Palmer, Japan’s firdt modern waterworks system streatching approximately 43 km was constracted in 1887 (Meiji 20) and draws water from the Sagami River. Upon the construction of the waterworks system, a trackway was also constructed to transport commodities from Nogeyama where the reservior was lacated. Suidomichi also overlaps with the former site of this trackway. Currently, clean water from the Nishiyama Purification Plant is sent to the Nogeyama Reservior ubder this path.
 there are total of three paths called Suidomichi within Yokohama. A section of one of these which passes through Nishi Ward between Fujidana and Nogeyama is known as Rakudazaka (Camel Slope), as the path resembles camel humps. Because people who carried carts used to support their carts with their behinds when descending this steep slope near Nogeyama, people started calling it Shirikosurizaka (Bottom-Scraping slope) as the years went by. The maximum angle of elevation of Shirikisurizaka where the stairway is constructed is 13°. (For refernce, the angle of elevation of Momijizake id 6°)



【参考】
 野毛山動物園
 岩井坂いわいざか
 北向地蔵尊:保土ケ谷区岩井町406-2
 石難坂いわなざか(石名坂)
 清水坂しみずざか
 庚坂かのえざか
 久保山坂くぼやまざか
 霞坂かすみざか
 植勘坂うえかんざか
 丘友坂きゅうゆうざか
 石坂いしざか
 西坂にしざか
 東坂ひがしざか
 しおくみ坂
 新坂しんざか
 旧坂きゅうざか
 半僧房坂はんそうぼうざか
 急坂きゅうざか
 天神阪てんじんざか
 富嶽
 尻こすり阪しりこすりざか
 羽根沢稲荷
 ゲジ Thereuonema tuberculata
 常盤山査子(ピラカンサ) Pyracantha spp.
 ツワブキ Farfugium japonicum
 シロヨメナ Aster ageratoides
 ウバユリ Cardiocrinum cordatum
 アキノキリンソウ Solidago virgaurea var. asiatica
 弥勒菩薩像
 ケイワタバコ Conandron ramondioides var. pilosus
 トネアザミ Cirsium incomptum
 コウヤボウキ Pertya scandens
 ヤクシソウ Youngia denticulata
 サラシナショウマ Cimicifuga simplex
 満月(17:47撮影)

戸塚区、保土ケ谷、西区、神奈川区の坂道を巡る

 今日は、昨日の続きで、弘明寺駅を起点に坂道を辿りながら横浜駅まで歩いてみました。気づくと、以前に辿ったのとは逆方向の旧東海道沿いの道のりでした。
  三浦半島の坂道 石塔 神社



 品濃坂は、朝早く江戸を発ち、日暮れまでに戸塚宿へ向かう旅人には宿場町までもう一歩の所です。一方、江戸方面へ向かう人にとっては最後の急な登り坂で、この難所を超えれば境木の立場まであと一息でした。海も見えてきて、江戸への想いを馳せていたかもしれません。


  福壽観音縁起
願主福原政二郎氏は当東戸塚地区を開発し併せて新駅を誘致以って当地方の発展と住民の福利に寄与せんと発願昭和三十八年以来実に十有五年の長期に亘言語に絶する有ゆる苦難を乘りこゑ終に現在の様相を見るに至りたるもので之偏に氏の強く正しき信念と弛まざる精進並に誠意の至らしむるところ也氏は夙に敬佛崇祖の念篤く特に観音菩薩を信仰依って以って過去に於ける幾多の困難を克服し得たるのも又生死の境を彷いながらも不思議に生き抜いてこらりた事も新駅設置や開発の一大事業を成し得られたのも之みな観音様の御加護に依るものと深く感謝茲に報恩謝徳の念を以って一宇を建立本尊菩薩を奉安福壽観音と名銘申し永遠に此の地の守護と民福の加護とを願うもの也と願くば念彼観音の妙智力に依り火盗災難永く消除し方民愈々福壽を増長して諸縁吉祥ならん事を
          合掌


  東戸塚駅沿革概略記
東戸塚駅は遠く大正の初めに遡り爾後幾度か設置の機運を生じたるも、関東大震災並に戦争等の爲中断しおりたるところ昭和三十八年嘗て内務省官吏の経歴を持つ辨護士で新一開発株式会社社長の福原政二郎氏が土地区画整理事業に依る開発を計画、同時に新駅設置運動を再燃せしめたるもので、当時何でも反対と言う非常に困難な時代の風潮を乗り越して昭和四十年頃より周辺地区各所に祖の無開発の機運を醸成し前田、秋葉、名瀬下。長作、信濃中央及び西の各地区を夫々区画整理事業の方式に基づく開発を爲し昭和五十二年九月漸くにして國鉄当局より東戸塚駅設置の旨が発表されるに至ったものの、偶当駅は請願駅なるが故を以て駅前広場用地並に駅舎総工費は全額地元負担と言うひとであった爲。東西の駅前広場用地及び鉄道敷地として壱萬三千貮百四拾平方米を無償提供すると共に其の工費訳参拾億圓の内、県市負担の五億圓を除く貮拾五億圓を右福原政二郎氏が負担。実に当駅は将に同氏個人で造り成したるものと稱しても過言ではなく、其の功誠に顕著にして其の徳は讃えて餘り有り、茲に沿革槪略を記し永く後世に之を伝え以て市民の道標と爲さんとするもの也
又眼下に望む壱千九百八拾年代にふさわしい近代的な駅と、是を中心に東西を結ぶ自由通路を基盤とした都市構造は、巧に其の地形を生かした全國でも稀に見る貮拾壱世紀を魁する街造りであり之偏に福原政二郎氏の大胆にして且つ明晰な頭脳と類稀なる実行力とによって初めて成し得たるものと言うべきである。
          合掌


●旧東海道・焼餅坂
 旧東海道を戸塚方面に下るこの坂は「焼餅坂(別名:牡丹餅坂ぼたもちざか)」と呼ばれています。武蔵国と相模国の国境にあたる権太坂と焼餅坂は、昔の旅人にとって日本橋を出発してから最初の難所でした。このあたりには、一服する旅人を目当てにした茶屋が並んでおり、坂の傍らで焼餅を売っていた事がこの坂の名の由来になったと言われています。


 焼餅坂は当時の品濃村と平戸村の境にあり、一町半(約百六十m)の坂道でした。坂の傍らの茶店で、焼餅を商っていたので焼餅坂と名付けられたといいます。別名牡丹餅坂ぼたもちざかとも呼ばれています。戸塚を描いた浮世絵には山坂や焼餅の絵がしばしば登場します。


保土ヶ谷観光名所 境木地蔵由来
 ここ境木は武蔵相模の国境で江戸時代にはそのしるしが建てられていて境木の地名はそれからおきたといわれています。
 また境木は東海道中の難所であった権太坂を登りきった所にあり名産の牡丹餅を食べながら旅の疲れを休めることができて大変賑ったとも伝えられています。
 境木の名を有名にしたものは地蔵で江戸の人達にも崇敬され今でも境内に寄附された燈籠が残っています。
 なおこの地蔵には次のような珍しい伝承があります。即ちいつの頃か相模国鎌倉腰越の海辺に漂着した地蔵が土地の漁師の夢枕にたち「俺は江戸の方へ行きたい運んでくれたらこの海を守ろう」と告たので漁師達が江戸へ運ぶ途中此の境木で動かなくなった為村人達は地蔵を引き取りお堂を建てて安置したところそれから村が繁昌したということです。
 地蔵堂の鐘は明治になって野毛山の時の鐘に使用され横浜市民に大正の大震災まで親しまれました。
 平成元年十月四日
  岩間町 見光寺


横浜市地域史跡 権太坂 平成十五年十一月四日 登録
  この辺りは、権太坂と呼ばれる東海道を江戸から西へ向かう旅人がはじめて経験するきつい登り坂でした。
 日本橋から四番目の宿場であった保土ケ谷宿まではほぼ江戸内湾沿いの平坦地でしたが、宿の西にある元町橋を渡ったあたりより、長く続く険しい登り坂となります。
 『新編武蔵風土記稿』に、名前の由来は、道ばたの老齢の農民に旅人が坂の名を聞いたところ、耳の遠いこの老人は自分の名前を聞かれたと思い、「権太」と答えたため、とあります。また、坂の上から目の下に見える神奈川の海は大変美しかった、とあります。
 旅人にとっては印象深い場所になり、浮世絵などにも描かれる保土ケ谷宿の名所ともなりました。
 平成十六年三月  横浜市教育委員会


  ビール坂
 神戸町には、明治・大正時代から昭和にかけて、この辺りに湧き出る清水を利用してビールを製造する会社や後に日本最大となる製瓶工場がありました。それが坂の名前の由来といわれています。


【参考】
 品濃坂
 ヒャクニチソウ Zinnia elegans
 福寿観音:戸塚区品濃町554-1
 谷宿坂
 庚申塔:戸塚区平戸4丁目16
 焼餅坂
 東海道五拾三驛-戸塚焼餅坂
 境木の大欅 ケヤキ Zelkova serrata
 シュウメイギク Anemone hupehensis
 ホトトギス Tricyrtis hirta
 境木地蔵尊:保土ケ谷区境木本町2
 江戸名所図会-境木
 権太坂
 輪王坐像(如意輪観音?):保土ケ谷区権太坂1丁目3-9
 タブノキ Machilus thunbergii (保土ケ谷公園)
 銀杏坂
 道祖神(?)(光榮山法性寺)
 イチョウ Ginkgo biloba (光榮山法性寺)
 ビール坂
 神戸坂
 神中坂
 くらやみ坂
 台の坂
 山谷天神
 天神像(山谷天神)
 山谷沢稲荷(山谷天神境内社)

秋の日に港南区、南区を…

 久しぶりに晴天に恵まれた土曜日となった本日、港南区を歩いてみました。こども植物園では柿がいい色合いになっていました。




【参考】
 マルカメムシ Coptosoma punctissimum
 ひまわり市場
 上大岡燦々横丁
 camio
 アレチウリ Sicyos angulatus
 戦没者慰霊堂
 庚申塔(大久保山自性院地蔵寺)
 勘九郎地蔵尊(大久保山自性院地蔵寺)
 地蔵尊(港南区港南1丁目2-1)
 タブノキ No.49063 (南光山福聚院慈眼寺) Machilus thunbergii
 室の木坂
 サザンカ Camellia sasanqua
 ニワナズナ Lobularia maritima
 ヤノネボンテンカ Pavonia hastata
 ひだまり(港南区保育所子育て応援キャラクター)
 コウヤマキ Sciadopitys verticillata
 スイフヨウ Hibiscus mutabilis cv. Versicolor
 餅井坂
 クロガネモチ Ilex rotunda
 日本イエスキリスト教団横浜栄光教会
 岡村富士見坂
 道祖神(岡村富士見坂)
 ノブドウ Ampelopsis glandulosa var. heterophylla
 ヤブミョウガ Pollia japonica
 スズメウリ Zehneria japonica
 ジョロウグモ Nephila clavata
 トネアザミ Cirsium incomptum
 セイタカアワダチソウ Solidago altissima
 ウシハコベ Stellaria aquatica
 ヒメジョオン Erigeron annuus
 カミヤツデ(ツウダツボク) Tetrapanax papyrifer
 天神坂
 内手坂
 アブチロン ‘チロリアンランプ’ Abutilon megapotamicum
 弘明寺坂
 引越坂
 大丸式縄文土器乃碑
 大丸式縄坂
 ブティックSalsa

 浙江柿セッコウガキ Diospyros glaucifolia
 豆柿 Diospyros lotus
 常盤柿トキワガキ Diospyros morrisiana
 老爺柿ロウヤガキ(衝羽根柿) Diospyros rhombifolia
 カキノキ Diospyros kaki
  黒柿
  禅寺丸
  黒熊
  天竜坊
  甘百目 ‘Amahyakume’
  三国一 ‘Sangokuichi
  清姫 ‘Kiyohime’
  三郎座 ‘Saburouza’
  興津系次郎 ‘Okitsukei-Jirou’
  平核無ひらたねなし ‘Hiratanenishi’
  西条 ‘Saijou’
  御代柿 ‘Midaigaki’
  寺社
  衣文
  大磨盤ターモーパン ‘Damopan’
  水島御所
  富有 ‘Fuyu’
  清白寺 ‘Seihakuji’
  四ッ溝 ‘Yotsumizo’
  久保 ‘Kubo’
  烏須美 ‘Karasumi’
  三ヶ谷御所 ‘Mikatanigosho’
  二・アイキュウ・12 ‘II-IQ-12’
  大和 ‘Yamato’
  衣紋 ‘Emon’
  真光寺だらり ‘Shinkouji-darari’
  帝 ‘Mikado’
  次郎 ‘Jirou’
  絵御所 ‘Egosho’
  蓆田御所 ‘Mushirodagosho’
  名瀬柿 ‘Nasegaki’
  天神御所 ‘Tenjingosho’
  裂御所 ‘Hazegosho’
  水島 ‘Mizushima’
  興津系富有 ‘Okitsukei-fuyu’
  祇園坊 ‘Gionbo’
  新平 ‘Shinpei’
  川端 ‘Kawabata’
  田倉 ‘Takura’
  富士 ‘Fuji’
  アオサ ‘Aosa’
  豊岡 ‘Toyoka’
  一木系早生次郎 ‘Ichijei-Wase-Jirou’
  大御所 ‘Ogosho’
  幸田御所 ‘Kodagosho’
  台湾正柿 ‘Taiwanshoshi’
  正月 ‘Shogatsu’
  鶴の子 ‘Tsurunoko’

大船フラワーセンターのハロウィーン

今日は、二人で大船へ出かけました。


【参考】
 大船フラワーセンター
 チョウマメ Clitoria ternatea
 タイワンツバキ Gordonia axillaris
 玉縄桜たまなわざくら(原木)
 ミヤギノハギ Lespedeza thunbergii subs. thunbergii f. thunbergii
 アケボノショウキラン Lycoris rubroaurantiaca
 オオグルマ Inula helenium
 セイヨウカボチャ Cucurbita maxima ‘アトランティック・ジャイアント’
 マルバデイゴ Erythrina crista-galli ‘Maruba-Deigo’
 イランイランノキ Cananga odorata
 テイキンザクラ Jatropha integerrima
 ヒバンサス コミュニス Hybanthus communis
 オオオニバス Victoria amazonica
 八重咲きヒガンバナ ‘姫孔雀’ Lycoris radiata ‘Hime-kujaku’
 ケラトテカ・トリロバ Ceratotheca triloba
 トウカエデ Acer buergerianum
 大船観音

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