祝日となった本日、三浦半島1DAYきっぷを家族で利用してみました。お土産は、もちろん葉付の三浦大根です。
【参考】
京急本線
小松ヶ池
三崎港
あまおうのソフトクリーム
にじいろさかな号
今日は、以前に尋ねたものの、見つけることが出来なかった名木古木を中心に訪ねてみました。
名木古木 神社等 石塔 ひまわり
スダジイ、タブノキ、ヤマザクラ
西岸山千手院蓮華寺:港南区最戸2丁目21-1
ケヤキ2本、イヌシデ1本、クマシデ2本
下永谷神明社:港南区下永谷2丁目32-1
イチョウ2本
無量山般若寺:港南区下永谷1丁目32-11
ケヤキ No.49534
平戸白旗神社(戸塚区平戸町302)
クスノキ(No.201601)
位置不明:南区六ッ川4丁目1123-2
2016年に新たに登録された樹なのですが、今日も発見できませんでした。なお、周辺に位置する山谷天神(南区六ツ川4丁目1184)の神木はイチョウの様です。
クスノキ:No.59001、No.59002
横浜市立子ども植物園:南区六ツ川3丁目122
ここのクスノキは何度も撮影しているので省略です。
タブノキ(No.200206)、カキノキ(No.200207)
永田東1丁目31-12
以下、本日撮影のその他の写真です。
【参考文献】
名木古木に指定された樹木一覧(平成31年3月13日現在)、URL: https://www.city.yokohama.lg.jp/kurashi/machizukuri-kankyo/midori-koen/midori_up/3ryokuka/meiboku_koboku/meiboku_ichiran.html、Accessed:2021-02-22.
港南の歴史発刊実行委員会編(1979)港南の歴史、490-492p.
栄区にまだ3か所未確認木のあることに気づき、確認してきました。
その他、本日撮影の写真です。
イヌガヤ Cephalotaxus harringtonia
カヤ Torreya nucifera
イヌマキ Podocarpus macrophyllus
厄神祠:六浦南1丁目32-5
ヒサカキ Eurya japonica
メジロ Zosterops japonicus
鼻欠地蔵(境の地蔵尊)
ブタナ Hypochaeris radicata
キヅタ Hedera rhombea
テイカカズラ Trachelospermum asiaticum
ツワブキ Farfugium japonicum
サザンカ Camellia sasanqua
リュウノヒゲ Ophiopogon japonicus
アケビ Akebia quinata
スイカズラ Lonicera japonica
ボケ Chaenomeles speciosa
昇龍橋:栄区長倉町1-29
上郷大芝原道路改修記念碑 (昭和参拾弐年完工):栄区上郷町977-3
ヤブツバキ Camellia japonica
マゴイ Cyprinus carpio
誕生 BIRTH 楢原
(稲荷森)稲荷社:栄区上郷町177
向坂庚申塔・道標:磯子区上中里町299
ジンチョウゲ Daphne odora
スミレ Viola mandshurica
「イヌ」がつく植物の名前は、「本家に似ているけど役に立たない」というニュアンスで付けられていることが多い様です。ただし、「イヌ」がついていると必ず別物である訳ではありませんし、横浜市指定名木古木の呼称は(恐らく)地元での通り名を採用しているため、統一性に欠けている様です。備忘のため、名称を以下に整理しておきます。
![]() イヌマキ:No.48068 浄念寺 |
![]() ラカンマキ No.201029:赤井山正法院 |
イヌマキ(犬槇)、ラカンマキ(羅漢槇)、マキ(槇)
学名:Podocarpus macrophyllus
英名:Largeleaf podocarp
イヌマキはマキ科イヌマキ属の常緑高木で樹高20mに達します。マキ科は南半球起源と思われ、我が国に自生するのは、イヌマキ属のイヌマキとナギ属ナギの二種のみであり、標準和名がマキという名の植物は存在しません。釜利谷の赤井山正法院のラカンマキ(var. maki)はイヌマキの変種です。
「イヌマキ」に対する『マキ』がなんであるかは諸説あるようですが、「本槇」と呼ばれるのはコウヤマキ科のコウヤマキ(高野槇)であり、葉の形状は似ていて、イヌマキが赤色の偽果に対して、コウヤマキは毬果を付けます。コウヤマキは更新世以降、他の地域では絶滅したため、現在では我が国の固有種となっています。
![]() イヌマキの実 |
![]() コウヤマキの実 |
なお、横浜市が名木古木に指定している「マキ」は、これまでのところすべてイヌマキでした。
![]() カヤ No.48137:瀬戸神社 |
![]() イヌガヤ:浄林寺跡 |
カヤ(榧)
学名:Torreya nucifera
英名:Japanese torreya
イヌガヤ(犬榧)
学名:Cephalotaxus harringtonia
英名:Japanese plum yew
カヤとイヌガヤはどちらもイチイ科の常緑高木で、葉の形状はよく似ていますが、イヌガヤの方が一回り大きく柔らかいため、先端の尖っている部分を握っても痛くないとの判別法をよく見かけます。しかしながら、個人的感想としては、イヌガヤの葉でも多少痛みを感じます。カヤはイヌガヤより樹脂臭が強いので、近くに行くことが出来れば匂いでなんとなく判断できます。
カヤの実(
カヤの材は碁盤材として他の樹種の追随を許さないため、イヌガヤの方が「イヌ」となっていると思われます。我が国北部に分布するハイイヌガヤ(var. nana)はイヌガヤの変種で、果実酒など食用にされることが多いようで、雪国では生け垣などにも使われる有用樹です。一方、カヤの北方系の変種チャポガヤ(var. radicans)は、触るとチクチクするためか、あまり利用されていないようで、雪国対応の変種では『イヌ』の関係が逆転しています。
![]() イヌツゲ No.49041:久應山攝取院宝秀寺 |
ツゲ(柘植、黄楊)
学名 : Buxus microphylla var. japonica
英名:Japanese Box
イヌツゲ(犬柘植)、マメツゲ(豆柘植)
学名:Ilex crenata var. crenata
英名:Japanese holly
ツゲはツゲ科ツゲ属、イヌツゲはモチノキ科モチノキ属です。いずれも通常は灌木で庭木や垣根などに利用されていますが、刈り込みされているため、樹形の特徴がなくなっているのが普通であり、遠目で区別することは容易ではありません。
確実な識別法としては、ツゲは対生、イヌツゲは互生と樹木学の講義で学んだことを今でも記憶しています。葉の先端は、イヌツゲでは尖りますが、ツゲでは先が少しだけ窪んで(微凹頭)います。またイヌツゲの葉をよく見ると丸い鋸歯があります。 葉の比較
イヌツゲはモチノキ属なので、花は、同属のソヨゴ、クロガネモチ、タラヨウ等によく似ているのに対して、ツゲの花には花弁がありません。
ツゲの材は緻密で均一であることから、櫛、将棋の駒をはじめとする加工品への用途があったため、「ホンツゲ」の座を獲得したと思われますが、生育はイヌツゲの方が早いため、庭園木、生け垣などではイヌツゲの方がむしろ多用されています。現在公表されている横浜市指定の名木古木はすべてイヌツゲです。
マメツゲ(f. bullata or var.convexa)はイヌツゲの品種で、実生で繁殖するとイヌツゲになってしまうため、接ぎ木で増やす必要があります。
なお、「黄楊」は中国名ですが、日本のツゲとは別変種を指しており、日本のツゲは「小葉黄楊」と表記して区別されるそうです。
![]() |
![]() アカシデ:大宮公園(さいたま市大宮区高鼻町4) |
イヌシデ(犬四手)
学名:Carpinus tschonoskii
英名:Korean hornbeam
イヌシデはカバノキ科クマシデ属の落葉高木で、本邦産の近縁種としてアカシデ(赤四手 C. laxiflora)、クマシデ(熊四手 C. japonica)、サワシバ(沢柴 C. cordata)、イワシデ(岩四手 C. Turzaninovii)の4種があり、特によく似ているのはアカシデです。樹全体に赤みが強く、赤く紅葉するのがアカシデですが、両種を区別しない時には併せてソロノキと称します。ソロノキは優良な榾木
シデ(四手、椣)という名は、クマシデ属(Carpinus)の総称であり、雄花が注連縄
2021年2月の段階では、横浜市の名木古木は一本も確認できていません。(今後、訪問予定)
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【その他】これまでに撮影した「イヌ」の付く名前の植物たち
こうしてみると結構あるのに驚きます。イヌ自体に由来する犬殖栗
先週の続きで、横浜市指定の名木古木を訪ねて鶴見区を歩いてみました。
史蹟
源平五色椿 げんぺいごしきのつばき
横浜市の名木古木に指定 (昭和四十九年度第七号)
このツバキは赤と白の他に、赤白混合のピンク、しぼり(赤白が点散)、ぼかし(色がにじむ)、等の五色の花が一本の幹に咲くのが特徴で、もちろん接ぎ木ではない。
品種としては「五色椿」だが、純粋な赤白がとりわけ美しく咲き、樹齢六百年以上(高さ六メートル、枝張り六メートル、幹回り一・五メートル、の幹から三本の枝に分かれる)の長老木であることから「源平」の二字を冠した。
三月中旬より五月中旬まで(特に四月上旬が見頃)五色に咲き分けるが、年間を通して雨上がりの時、緑青をふいたような幹は雨露を含んで美しく光り輝き、最高の芸術品である。
全国唯一の誠に美しい銘木のため、本や新聞・テレビ等にも紹介されている。椿の種類では全国で一番古いものである。
宝蔵院の源平五色の椿
昭和50年3月 横浜市の名木古木に指定
昭和59年12月 かながわの名木100選に選定
樹高6m、枝張り6m、根回り1.6mで地上1mのところで、幹が三本に分岐し、胸高直径は、それぞれ0.9~1mに及ぶ。樹齢は推定600年と伝えられている。
樹の種類は五色椿(ごしきつばき)で、接ぎ木ではなく、一本の幹から[赤・白・ピンク・しぼり(赤白が点散)・ぼかし(にじんだ色)]の五色(ごしき)の花が咲き分けます。赤と白の花の色が混じりを生じない長老木であるところから「源平」の名が付けられ、花はカーネーションの様に復輪で、蕊(しべ)が花ビラの間から出ている誠に珍しい樹のため、希少価値で選定されている。開花時期は3月下旬より5月中旬ごろまで毎日咲き替わり、特に4月上旬が見ごろです。
【主な経路】
(京急鶴見駅)-寺谷-馬場-東寺尾-岸谷-潮田-(京急鶴見駅)
青面金剛合掌立像(馬場7丁目4)
右側の塔は青面金剛合掌立像を浮き彫りとしたものです。(一七六四年)
左側の尖頂角塔文字碑「庚申青面金剛合」は庚申(干支の一つでかのえ猿で)本尊は青面金剛合であります。街道沿いに置かれ塔に道標を彫りつけられたものもみかけられます。更に賽神として建立されることもあり、村の境目に建立されることもあったようです。(一八〇五年)
ふるさと再発見 寺尾奉行
寶藏院沿革碑
真言宗智山派の愛宕山寶藏院は、橘樹郡神奈川宿新義真言宗金藏院末寺である。
創建は、平安期の白山
惣鎮守愛宕社は源頼朝公時代(建久三年より正治元年)に建立され、天正十八年(一五九〇)戦火で焼失し江戸時代に再建されたが、昭和二十年に堂宇老朽のため解体した。
昭和二十年、本堂真後ろの墓地裏より板碑が数基出土したが、そりうち一枚は鎌倉時代の承元四年(一二一〇)と彫られている。
山門は一部補修されているが、鎌倉時代のもので、板戸(樅の木の一枚板)獅子の彫刻(真向きの獅子・爪の彫り方)等は
同時代の風格をよく表現していることで知られている。
左側の石段は鎌倉時代に建造されたものと伝えられている。
本堂裏山には寺尾城(戦国時代に築城)址の砦として使用された愛宕社への虎口を守るための土塁があったことが発見されている。又、境内にあった溜池は、寺尾城の「水の手」として使用されたことが昭和五十四年判明された。
過去帳による歴代住職中、最古と認められるのは、永享に二年朔日「寂」として傳燈大阿闍梨
本堂には本尊大日如来・弘法大師尊像など仏像三十八躰が安置されて居り、寺尾地区にある最古の寺であるため、相武不動尊霊場の二十一番札所「寺尾不動尊」と称し、この他玉川八十八ヶ所霊場の十二番札所にもなっている。
寺宝としては、聖観世音菩薩・薬師如来(伝鎌倉期以前)、十王尊像・十王尊掛軸・須弥壇(伝鎌倉期)、人生一生を守る十二支一大本尊、白蛇(弁才天の化身)などがある。
境内には咲き分けの椿の名木で樹齢六百年以上と伝え、市の名木古木に指定されている。
その他、足びき地藏・水子地藏・白山さま(歯の神様)・霊泉(延命水)などがあり、墓地には珍しい左文字の墓(鏡文字)がある。
國田隆稔撰文並謹書
庚申供養塔
二本木と二反田の交差路馬場境にあった庚申さまは、江戸時代中期のもので(一、六八八年)に建てられ、寺尾地区に現存する最も古い庚申供養塔である。
寺尾の水田深田で土質が悪く稲作不良から米作祈願として、青面金剛の庚申像が水田に添った辻に祭られていた。
巡拝成就供養塔
宝蔵院山門前にあったもので江戸時代中期の享保六年(一、七二一)に建てられ。寺尾地区に現存する最も古い供養塔である。
大峯山・立山・浅間山・湯殿山・月山、及び西国・坂東・秩父、等の諸国巡拝成就の供養塔
宝蔵院の板碑
宝蔵院の本堂真後ろ墓地裏台地に樹令数百年の老松あり。老朽により危険のため昭和二十年伐採し、根を掘ったところ本堂に向い地中に人骨あり。その囲りから板碑が数基出土された。この中の一枚には鎌倉時代の承元四年(一、二一〇)と彫られてある。その人骨はおそらく宝蔵院先師のものと思われ、追福供養の為板碑を添え松を植えたものと考えられる。板碑は石塔婆の一種で青石塔婆とも言われ、秩父を原産とする扁平な緑泥片岩そのまゝを使用し、上部を三角形に作り、その下に二・三条の横線を入れ、仏像または梵字、ときには花瓶を彫刻し、その下に年月日及び人名、ときには建碑の由来などを刻む一定の形式がある。
白山さま
水子地蔵尊のあたりに、霊泉より流れる天然の清水を利用して戦国時代の頃から馬が水を飲むために造られた長さ三間のため池が昭和四十一年まであって、源平五色の椿との間に、水の流れに架かる太鼓橋を渡ったところに、小高い築山あり。その頂上に當山鎮守の「白山大権現」が祀られていた。
「白山さま」と称し、江戸時代の頃から通称「歯の神様」として敬われ、多くの祈願崇敬者が訪れた。明治十九年二月、堂宇老朽化の為、宝蔵院中興第二十二世住職國田観誉代に石造りに再建された。
「白山さま」が祀られていることは、平安期の「白山
足びき地蔵尊
馬場の貯水池脇の坂で、足を怪我するもの続発し、昭和五十年、山上の草むらの中から横たわるの仏二躰が発見され、このうち一躰には、江戸時代中期の、明和四年(一七六七)と彫られており、宝蔵院過去帳に記載されておりしご縁によって宝蔵院住職はこれを「足びき地蔵尊」と命名し、当寺に移転したもので、この地蔵尊を祈願する者より、足腰の痛みが取れしという。誠に霊験(ごりやく)あらたかな地蔵尊である。
足腰を患う者、地蔵尊のご真言
おん か か かび さんまえい そわか
とお唱え下さい。
宝篋印塔
この塔は、寶藏院の本堂並びに客殿庫裡の新築再建記念と、真言宗の宗祖弘法大師さまご誕生千二百年記念として、全国の宝篋印塔を訪ね、鎌倉時代の前期・中期・後期の中で中期のものが一番洗練されており、笠の部分が優麗で非常に美しいので、広島・尾道の浄土寺にある重要文化財を元に復元して製作されたものである。
細かい丸みを帯びた部分は、すべて割り箸の先に砥石をくくり付けて、錬磨の特殊な技法によって、手作業で丹念に磨き上げ、精魂込めて造られたもので、これほどの完璧な作品は、現代我が国於ける石材技術の最高作である。
塔身には密教の金剛界四佛をあらわす梵字が蓮座上の月輪内にある。笠の四隅にある隅飾の八つの面には、八方天の梵字が配されているのは八方護持の意味である。
この塔の中には宝篋印陀羅尼の経文が銅筒の中に納められている。
昭和四十三年(一九六八)八月吉祥日 建立
霊泉(延命水)
この水は、横井戸から清水が流れ出ていて一年中涸れることがうりません。仙國時代には水の手でもあり、昔から霊泉と称されて居り、延命水とも言われていますが龍王は水の神として仏法の守護神であります。日常努力されておまいりされると、必ずやお願いごとが成就されると言われます。合掌して「南無大師遍照金剛」とお唱え下さい。
ご利益
この水を飲み、龍の頭に水をかけて祈願すれば、
◎健康で長寿
◎頭が良くなる
◎家運長久
この霊泉で水を汲んで、指定の場所でお金に水をかけて洗うと、
◎財宝が増す
◎商売繁盛
この水を指先に取り、病気の箇所に当てると、
◎霊験がある
この霊泉の水を顔につけると、
◎心身ともに美男美女になる。
(美しさとは心から湧き出るものである)
この水を持ち帰って顔につれると、
◎火災を防ぐ
◎お願い事はお墓にお供えするものですから奇麗に使いましょう。
愛宕山 寶藏院
【参考】
スダジイ Castanopsis sieboldii
ケヤキ Zelkova serrata
ヤマザクラ Cerasus jamasakura
クスノキ Cinnamomum camphora
イチョウ Ginkgo biloba
ヒイラギ Osmanthus heterophyllus
エノキ Celtis sinensis
ヤブツバキ Camellia japonica
アカガシ Quercus acuta
イヌツゲ Ilex crenata
グミ Elaeagnus sp.
タラヨウ Ilex latifolia
サルスベリ Lagerstroemia indica
タブノキ Machilus thunbergii
大阪:鶴見区寺谷
ホトケノザ Lamium amplexicaule
ノゲシ Sonchus oleraceus
(響橋)庚申塔:鶴見区東寺尾6丁目36
心願地蔵:鶴見区東寺尾6丁目33
鶴見配水池配水塔:鶴見区馬場3丁目29
ひまわり畑:鶴見区馬場3丁目18-22
白山神社(建功寺境内社)
不動尊/不動尊/日龍大神(建功寺境内)
天満宮碑(建功寺境内)
梵鐘(徳雄山建功寺)
蕗の薹(フキ) Petasites japonicus
馬頭観音:鶴見区馬場1丁目3-13
庚申堂:鶴見区馬場7丁目4
モチツツジ Rhododendron macrosepalum
(上の宮)八幡神社:鶴見区上の宮1丁目32-2
伊勢社(八幡神社境内社):右
聖徳太子廟/稲荷大明神(八幡神社境内社)
力石(八幡神社境内)
神明社:馬場6丁目17-20
愛宕山寳藏院延命寺(鶴見区馬場4丁目7-5)
巡拝成就供養塔/庚申供養塔(愛宕山寳藏院延命寺)
板碑(愛宕山寳藏院延命寺)
白山
おびんずるさん(愛宕山寳藏院延命寺)
足びき地蔵尊(愛宕山寳藏院延命寺)
宝篋印塔(愛宕山寳藏院延命寺)
延命水(愛宕山寳藏院延命寺)
観音像(仙鶴山松蔭寺)
クスノキ Cinnamomum camphora(岸谷稲荷社)
稲荷社(岸谷1丁目19)
フチベニベンケイ Crassula portulacea
岸谷庚申塔(生麦山聖無動院龍泉寺)
潮田庚申塔(聖王山文殊院大聖寺)
三界萬霊塔(聖王山文殊院大聖寺)
鶴見川夕照
循環源象-鉄-NO.16
億万年の骨の詩 寺田
何をしているの? 矢作
今日は、お好み焼き粉を買うという名目で、富岡まで出かけました。夕飯はもちろん、双子が作ってくれたお好み焼きでした。
【主な経路】(自宅)-六浦-白山道-釜利谷-能見台-富岡-(京急富岡)
(谷津関ヶ谷不動尊)遷座記念
染井
撰文 石川 武
経塚
此の墓域は通称持明院の丁塚墓地と呼ばれています。丁塚は正しくは経塚と謂、釈尊入滅後、五十六億七千万年の後に弥勒菩薩が現世に出現して民衆を済度してくださるまで仏典を長く保存し、後世に残し伝える為経文を経筒に入れ、土中に埋経してその上に塚を気づいたものであります。
この思想は平安時代から室町末期が最盛期で連綿として今日に到っております。
その功徳は追善供養の真心と極楽往生の願いをこめて信仰されてきたのであります。
南無大師遍照金剛
【参考】
ウメ Armenica mume
横浜市指定名木古木 No.95015 ケヤキ:白山神社
紫月(ルビーネックレス) Senecio Othonna capensis Syn. Crassothonna capensis
手子神社
谷津関ヶ谷不動尊
ユズリハ Daphniphyllum macropodum
バラ Rosa spp.
セイヨウヒイラギ Ilex aquifolium
RONDO 1990 TAKASHI NAKANO:富岡西ふれあいの辻公園
タイワンリス Callosciurus erythraeus thaiwanensis
経塚:金沢区富岡東5丁目10
谷戸坂地蔵尊
円海山(京急富岡プラットホームより)
今日は鶴見区の名木古木を尋ねました。確認できたのは16本でした。
横浜市の名木古木 石塔 神社等 ひまわり
八丁畷の由来と無縁塚
東海道は、川崎宿の京都側の出入り口(京口土居・現在の小川町付近)から八丁(約870メートル)にわたり、畷といって街道が田畑の中をまっすぐに伸びており、市場町(現在の横浜市)との境界に至ります。この付近を八丁畷と呼ぶようになりました。
このあたりでは、江戸時代から多くの人骨が発見され、戦後になっても道路工事などでたびたび掘り出され、その数は十数体にも及びました。これらの人骨は、鑑定により江戸時代ごめの特徴を備えていることがわかりました。
江戸時代の記録によると、川崎宿は震災や大火・洪水・飢饉・疫病などの災害にたびたび襲われ、多くの人々が命を落としています。おそらく、災害で亡くなった身元不明の人々を、川崎宿のはずれの松や欅の並木の下にまとめて埋葬したのではないでしょうか。
不幸にして亡くなった人々の霊を供養するため、地元の方々と川崎市は昭和九年、ここに慰霊塔を建てました。この場所は無縁塚と呼ばれ、地元の方々により供養が続けられています。
平成二十八年三月
川崎市教育委員会
熊野神社略記
弘仁年中紀州熊野宮御神霊を勧請す
旧市場村の熊野耕地通称八本松の所に鎮座、其後天保年中道上耕地に遷座(現在元宮)す。明治五年東海道線敷設の為現在地に遷座。
御祭神略記
国常立尊
天神七代の中第一代に座して天地別れし時成りませる神にて国の底都知
伊邪奈岐命
天神七代の中の神にして二柱の神は天津神の神勅に依り国土を修理固成し給いて夫婦和合商工繁盛家内安全の基を立て給い人々を守り給ふ神也。
境内神社 八幡神社 稲荷神社 神明社
五社大神 大鳥神社
大祭日 毎年八月第一土旺、日旺
神事と行事 市場神代神楽 市場囃子
熊野神社氏子会
(矢向)日枝神社:鶴見区矢向4丁目16-8
記主山然阿院良忠寺
山本煉瓦工場供養碑(記主山然阿院良忠寺)
山本煉瓦工場供養碑
明治から昭和十五年頃まで、矢向一丁目の鶴見川沿い、今の矢向中学校南側に煉瓦(レンガ)工場が有りました。川沿いの土を掘って大量の赤煉瓦が焼かれ帆掛け船を利用して東京(品川)横浜方面(高島、元町)へ積み出されました。工場では男性と共に女性や未成年の子供達も働きました。横浜や東京の赤煉瓦で造られた建物も、ここ矢向の地で焼かれた煉瓦が多く使われ、その陰にはこうした多くの人々の努力が有ったのです。大正九年に建立されたこの慰霊碑には明治四十年から大正九年の間に亡くなった男性十一名、女性三名、男児四名、女児八名、胎児一名の戒名が刻まれています。今回、慰霊碑の移築に伴い、当時焼かれた煉瓦を一部用いて再建し、亡くなられた人々の慰霊と致します。
平成十五年七月吉日
見えた見えたよ 生麦沖な丸に七の字 帆が見えた
あれが山本煉瓦船
丸に七の字 帆掛け船 船頭 石井七五郎
丸に七の字 帆掛け船 天にとどけと 碑を建てる
昭和七年頃 親子三人 煉瓦船で暮らしました
移築再建 願主 石井元吉
照光山常倫寺:鶴見区駒岡3-5-1
運動不足解消のため少しだけ歩いてみました。
【主な経路】杉田~中原~栗木~坪呑~釜利谷~富岡
1金沢道と向坂庚申塔 【磯子の史話より転記】
栗木の根岸線下の新道四つ角の杉田よりに、旧道の四つ角があります。旧金沢街道は、この付近が住宅造成され、根岸線ができて様替りしましたが、四つ角のすぐ南側、高梨家右側に南東にはいる道があります。約五〇mで左折し、次に右カーブして人家の間をぬって行くと、浜中グランドの南辺の道に出ます。小坂を登ると草地の中でT字路に突当り右折すると山路にかかります。切通しにかかるといかにも古道らしい風情です。下りかかった時に左手を見ると、左の支尾根にはいる山道がみえます。杉田台のうら山尾根を伝って坪呑に下り杉田へ行く古道で、鎌倉五山の僧たちが東漸寺へ往来した道です。
切通しの金沢道を下ると、そまはずれの右側に庚申塔と道標など三基の石塔があります。
ひとつは、浮彫の青面金剛像で、日・月・六臂の青面金剛・鬼・とり・三猿などがそろっています。享保元年(一七一六)一一月四日下に寄進者八名の名があります。碑の両面に道案内として、左側にこれより左新町道、右側にこれより右杉田道とあります。
二つめは、青面金剛と文字で書かれ、寛政一三辛酉天二月彼岸、中里念仏講中と刻まれています。もう一つは道標で、正面に、左新まち道、右に杉田道とあり、これも中里念仏講中とあります。後者の二碑は、石といい古さといい全く同じものです。同時に造立されたものでしょう。
左の新町道は、今は廃道になっていて、やぶにおおわれています。はいってみると古道の面影があり、崩れた所の先に切通しがあります。山腹をぬって新川まで五〇〇mぐらいです。
金沢道は山腹をぬって南に続いています。樹林の中を歩く風情はいいものです。下の低地に新道が出来るまでは、この道が中里・氷取沢への大切な街道で国道四五号線でした。大正初年に国道一六号線ができてから、この道は村道に転落し、下に市道ができてからは人通りも少なくなって、今では歴史の道、よい散策の道となっています。
古道の面影をなつかしみながら行くと、やがて人家が現われて、ここは字向坂となります。左へ杉田の小名台への道をわけています。
【参考文献】
磯子区制50周年記念事業委員会「磯子の史話」出版部会 編(1978)磯子の史話、762p .
【参考】
杉田教会
向坂庚申塔・道標(磯子区上中里)
一杯水(いっぺい水):磯子区杉田9丁目1
ヒメオドリコソウ Lamium purpureum
岩船地蔵尊:磯子区上中里町
京急富岡駅下人道トンネル
曲っ坂
円海山(京急富岡駅ホームより)
白梅 Armenica mume
スイカズラ Lonicera japonica
緊急事態宣言を受けてテレワーク率が増えた結果、慢性的な運動不足です。今日は買い置きが切れてしまった乾燥豆腐を買い足しに杉田まで、人混みを避けた経路で歩いてみました。帰りは京急本線利用です。
【主な経路】
(自宅)~浜見台~鷹取山~六浦~朝比奈~常林寺跡~朝比奈北市民の森~釜利谷~能見台~氷取沢~上中里~中原~(杉田駅)
泉蔵社縁起
建久二年(西暦一九九二年)征夷大将軍となった源頼朝は、鎌倉の山崎にあった泉蔵院の僧 真諦知覚法印に治国安民の祈祷をさせ、紀州熊野三所権現の御分霊が流れ着いた中原のこの山上に熊野権現社を祀り、山裾に寺を開創するように命じた。
知覚法印は同年五月六日に着工し、十一月十五日に完成させた。権現社落慶の日、頼朝は梶原を奉幣使として当社に派遣し、山裾の寺に「紀州山桐谷寺」の次号を与え、知覚法印を別当に命じた。
ニ世栄源法院の折、梵鐘を造立、三世浄奉法印の頃(推定)鎌倉の兵火を避けて山崎泉蔵院を引き払い当地に移り山号を「大霊山泉蔵院」に改めた。五世祐賢法印が正応二年(一二八九年)に社記を書き、二十六世善祐法印がこの社記を書写した。二十八世祐仙法印の折、二間に二間半の観音堂が創建されたが、当時本堂の規模は五間半に五間であった。
泉蔵院は約七百年らわたり熊野三所権現社の別当として国家安泰・万民和楽の祈願を続けて来たが、明治初年の神仏分離令により、熊野三社権現社は社名を熊野神社と改め、泉蔵院は廃寺となった。
昭和六十三年(一九八八年)熊野神社御社殿新築落成の嘉き年に当たり、かつて熊野三所権現社に祀られていた大神宮・貴布祢・八幡・牛頭天王・船玉の諸神と泉蔵院に祀られていた不動様・衿迦羅童子・制多迦童子・観音様・お釈迦様・地蔵様・大黒天様・神変菩薩・四天王の諸神をお祀りし社名を「泉蔵社」とした。毎年三月初旬に泉蔵社祭を斎行している。
三六代宮司 杉原博昭
今日は昨年から引き続きで神奈川区の名木古木を巡ってみました。
名木古木マップ 神奈川区東南部の名木古木 石塔 神社
【主な経路】
(横浜駅)-三ツ沢-羽沢-菅田-鳥山-(新横浜)
豊顕寺
三ッ沢公園に続く市民の森です。花と木が多いお寺の石段は、静かな古都の風情を漂わせ、桜の名所としても有名です。樹齢600年を超える、市指定名木・古木のイチョウの木があります。
豊顕寺
当寺は、法照山と号す法華宗陣門龍総本山本成寺末の寺院です。
三河国多米
享保
境内には、鷲津(静岡県)の本興寺から根分けした藤を記念しての碑が藤棚の下にあり、また、江戸から保土ケ谷宿に来宿し、宿内の人々に歌学を教授した山平伴鹿の歌碑があります。多米家歴代の墓は、境内左側にあります。
横浜市教育委員会文化財課
財団法人横浜国際観光協会
平成5年3月
土地改良記念碑(神奈川区菅田町2408)
事業の状況
設置認可 昭和四十二年十一月一日
解散認可 昭和五十三年三月九日
改良面積 五ヘクタール
橋梁 新菅田橋外六基
道路工 一二二六米
水路工 一二七〇米
総工費 二八二〇万圓
【参考】
横浜道分岐点
日本ホーリネス教団横浜教会
横浜市戦没者慰霊碑(三ッ沢公園)
石塔群(庚申、地蔵):神奈川区羽沢町907
双体道祖神:神奈川区羽沢町907
不明の社:神奈川区羽沢町776
堅牢地神塔:
史蹟硯松:神奈川区羽沢町993
羽沢富士塚:神奈川区羽沢町917
馬頭観音(羽沢富士塚)
庚申祠:神奈川区菅田町2000
道祖神:神奈川区菅田町2000
稲荷社:神奈川区菅田町1944
稲荷社:神奈川区菅田町2311
土地改良記念碑(神奈川区菅田町2408)
新菅田橋跡:神奈川区菅田町2250
八幡橋跡:神奈川区菅田町2249
八幡宮:神奈川区菅田町2535
道祖神:港北区鳥山町371
庚申塔群:港北区鳥山町281
双体道祖神:港北区篠原町1262
TPHO
鷹取山夕照