植物」カテゴリーアーカイブ

逗子山の根の地神塔、など

 山の根の石塔群の中に地神塔があるのにはだいぶ前から気づいていたのですが、地神塔だけ撮影した写真がなかったので、マップ用に撮影してきました。
地神、道祖神マップ (作成中) 地神(地天)  三浦半島の道祖神と地神
緑区、旭区、保土ケ谷区 瀬谷区、大和市 神奈川区、西区、保土ケ谷区 相模原市、町田市、青葉区、旭区 逗子市 横須賀市浦郷周辺


山の根石塔群:山の根3丁目5-20

 一番左が地神塔で、隣は馬頭観音、中央の2基は恐らく地蔵尊、右の二つは庚申塔でした。地神塔の刻印は安政七申(1860年)二月と読めました。


(沼間)五霊神社:沼間3丁目10-34

稲荷社(五霊神社境内社)
イチョウ Ginkgo biloba
イヌマキ Podocarpus macrophyllus


沼間石塔群:沼間1丁目19-25
 道沿いは庚申塔が多いのですが、裏側は馬頭観音が多いようです。


馬頭観音・庚申塔:桜山4丁目15
 左は馬頭観音です。


桜山道祖神:池子2丁目1-5
 石祠の祭神は不明です。

相模原市、町田市、青葉区、旭区の地神塔など

 今日はあまり出かけたことのなかった横浜市北部を歩いてみました。このあたりは、地神塔、道祖神、庚申塔が混在していますが、同所に集められているときには、地神塔が中央に置かれていることが多いような印象です。
地神、道祖神マップ (作成中) 地神(地天)  三浦半島の道祖神と地神
緑区、旭区、保土ケ谷区 瀬谷区、大和市 神奈川区、西区、保土ケ谷区 相模原市、町田市、青葉区、旭区 逗子市 横須賀市浦郷周辺
【主な経路】
(相模大野駅)-上鶴間本町-高ヶ坂-成瀬-奈良町-恩田町-田奈-長津田みなみ台-霧が丘-若葉台-上川井町-(十日市場駅)


地神塔:谷口中村公園(相模原市南区上鶴間本町4丁目6)

     地神墖移転之記
此の地神塔は文政五年八月青柳寺十二世日冲上人相刕上鶴
間村字中村三六一九番地東南の地高さ六十糎の塚上に建立
それ講中数十軒の崇敬の的であったが太平洋戰争終戦以后
急激な社会狀勢の変化に伴ひ專業農家減少し現在では二十
五軒となった
偶々相模大野駅周辺区画整理事業の爲公園の一角である
当所に移転の止むなきに至ったのである
 維時昭和五十三年戊午三月吉日   中村講中
             方運山廿六㔺師心院日翁

【注】文政五年:1822年、日翁(八幡城太郎1912-1985)は、方運山青柳寺の住職だった方で、俳人としても活躍したそうです。
青柳寺に眠る文人たち、URL:http://www.seiryuji.or.jp/publics/index/24/, Accessed: 2023-01-29.


道祖神:相模原市南区上鶴間本町4丁目26
中央の文字碑には、弘化五戊申(1848)歳正月十四日の刻印があります。右側は双体神像ですが、左の二基が道祖神であるかどうかは不明です。


道祖神と庚申塔:町田市成瀬8丁目1
左側の道祖神は、文久二戌(1862)年正月と読めました。


地神塔(石塔群):町田市成瀬7丁目1-33
地神塔を中央に、左側は馬頭観音、右の三基は地蔵の様です。地神塔の銘には、維時龍舎文政戊子(1828年)霜月とありました。


地神塔:青葉区奈良町833
 いかにも新しそうなこの碑の銘には、昭和五十五(1980)年九月吉日再建とありました。昭和末期にもこの地区で地神講が存在していた証と言えます。


井戸久保の地神塔:青葉区恩田町2172-3


中恩田の地神塔:青葉区恩田町44
 摩滅が進んでいるのですが、天■六乙未(1835)八月吉日と読めました。GoogleMapによれば、すぐ近くにある筈の道祖神は見落としていて未確認です。可能性としては、地神塔の右側の石碑がそうなのかもしれません。


石塔坂の道祖神(?)兼道標:青葉区田奈町6-2

 正面に供養塔とありますが、これは道祖神というより観音像に見えます。取り違えている可能性もありますので、青葉区関係の文献も含めて要調査です。文化五戊辰歳(1808)四月二十三日は、19世紀初頭は思えないほどはっきりと読めました。


五神明地神塔:旭区上川井町2248

 地神塔は、文字碑が多く神像を刻した塔はあまり多くありません。さらに、徳島県を中心に農業に関わる五柱の神名を刻んだ五角形の地神塔も知られており、徳島型、五角柱型、また儀式に用いたという意味で醮儀型と呼ばれます。上川井の地神塔は神奈川県では数の少ない五角柱型でした。
正面:天照大神(あまてらすおおみかみ)
左前:大己貴神(おおあなむちのかみ)
左後:少彦名神(すくなひこなのかみ)
右後:埴安姫神(はにやすひめのかみ)
右前:倉稲魂神(うかのみたまのかみ)


  大貫谷戸水路橋
橋構造 ●延長414m(鉄鋼水路306m)
    ●高さ23m
水路構造●深さ2.7m 巾2.2m
 この水路橋は相模湖にためた水を西谷浄水場に運ぶための導水路の一部です。このような構造の、長い水路橋は全国的にも珍しく貴重なものとなっています。
 導水路には約3.7kmの距離を約13時間かけて水が流れています。このうち川井接合井から鶴ヶ峰接合井までの間の長さ約7kmの区間は、100m進むと6cm下がる傾きで造られているため、水は自然に流れていきます。
※接合井(せつごうい):導水路の分岐点や合流点で、一時的に水をためる施設
          横浜市水道局川井浄水場



【参考】
 相模原市中央図書館
 ブラジルヤシ Butia capitata
 マンホール(汚水)の蓋
 稲荷社:相模原市南区上鶴間本町5丁目16-19
 恩田川
 成瀬杉山神社:町田市成瀬4-13-16
 稲荷堂(2于):町田市成瀬4丁目6-15
 住吉神社:青葉区奈良町833- ムクロジ Sapindus mukorossi 横浜市指定名木古木 No.59018:薬師堂(青葉区恩田町2169)
 石塔群::薬師堂(青葉区恩田町2169)
 オナガ Cyanopica cyanus
 大貫谷戸水路橋

浦郷の道祖神

 神奈川県の道祖神悉皆調査結果によれば、1973年に横須賀市で確認された道祖神は僅か9基でした(藤井,1981)が、そのうち3基は旧浦郷村エリアでの確認でした。今日はその3基を含む4基について確認してきました。旧浦郷村、および旧田浦町エリアの道祖神はこの4基のみと思われます。なお、このエリアでの地神塔は現在確認できませんし、私の知る限り文献にも残されていない様です。
(自宅)-浦谷山法福寺-金剛山正禅寺-太田坂の道六神-吾妻社-(自宅)
 三浦半島の道祖神と地神  地神、道祖神マップ


浦谷山法福寺:追浜本町1丁目19
 神奈川県の調査以降に設置されたと思われる双体神像です。


金剛山正禅寺:浦郷町4丁目5
 庚申塔の傍らに鎮座しています。


大田坂(おったざか)の道六神:田浦町2丁目
 かつての浦賀道沿いに祭祀されています。一時期他所に移転されて寂しがっていたので、元位置に戻したという逸話が伝えられています。


吾妻社:長浦町5丁目15-1
 吾妻社は浦郷八景の吾妻晴嵐で知られる社で、かつては箱崎半島に鎮座していたのですか、米軍による接収により移転を余儀なくされたという歴史があります。道祖神がどのような経緯で現位置にあるかは定かではありません。



【参考】
 浦谷山法福寺:追浜本町1丁目19
 金剛山正禅寺:浦郷町4丁目5
 大田坂(おったざか)の道六神:田浦町2丁目
 吾妻社:長浦町5丁目15-1
 馬頭観音:田浦町3丁目96
 庚申塔:田浦町3丁目92
 田浦一丁目公園(のの字坂)
 馬頭観音堂:田浦町3丁目96
 庚申堂:田浦町3丁目92
 庚申堂:長浦町5丁目10
 寒咲花菜(かんざきはなな) Brassica sp.
 ナンテン Nandina domestica
 田浦第一公園:のの字坂
 キルタンサス Cyrtanthus mackenii
 ジャノヒゲ Ophiopogon japonicus
 ニホンスイセン Narcissus tazetta var. chinensis
【文献】
藤井慶治(1981)横須賀市の道祖神、in 神奈川県の道祖神調査報告書(神奈川県教育庁文化財保護課編)、p.73-84.

初春のフラワーセンター

 一番寒い時期とは言え、正月も半ばを過ぎ、だんだんと春めいてきましたので、今日は大船フラワーセンターを尋ねました。ヒマラヤザクラの開花はこの冬も見逃してしまいました。


【ウサギ関連の植物】

 葉ボタンのウサギ
 月兎耳(つきとじ) Kalanchoe tomentosa “タルマ月兎耳”
 ウサギゴケ Utricularia sandersonii
 バニーカクタス Opuntia microdasys v. albispina
 ピンクラビットビオラ Viola x Wittrockiana ‘Flemishlapin’


【ビオラの品種】

 ビオラ Viola x Wittrockiana
  バニーイヤーズ ‘Bunny ears’
  ももかシリーズおかめ ‘Okame’
  ファンシーブルーラビット ‘Fancy Blue Rabit’
  プティ・シャトン モダンタイムズ ‘Modern Times’
  プティ・シャトン ローズブラン ‘Rose Blanche’
  恋みやび
  ファンシーレッドラビット ‘Fancy Red Rabit’
  わらくシリーズ ストロベリー ‘Waraku Strawberry’
  虹色すみれシリーズ スイートラブ ‘Sweet Love’
  プティ・シャトン アクアリップル ‘Aqua Ripple’
  ミミ・ラパン ‘Mimilapin’


【冬の赤い実】

 一両:アリドオシ Damnacanthus indicus (アカネ科)
 十両:ヤブコウジ Ardisia japonica (サクラソウ科)
 百両:カラタチバナ Ardisia crispa (サクラソウ科)
 千両:センリョウ Sarcandra glabra (センリョウ科)
 万両:マンリョウ Ardisia crenata (サクラソウ科)


【その他】

 ヒマラヤザクラ Cerasus cerasoides
 アオノリュウゼツラン Agave americana
 ドンベア・ワリッキー Dombeya wallichii
 ドンベア・ティリアケア Dombeya tiliacea
 ウナヅキヒメフヨウ Malvaviscus arboreus var. mexicanus
 カエンカズラ Pyrostegia venusta
 フリワケサンゴバナ Diflugossa colorata
 春の七草
 大船観音

戸塚区の地神塔など

 戸塚区は横浜市の中でも地神塔の沢山残されている地域です。この地区では双体道祖神も分布しており、名瀬町の経王山妙法寺前には、双体道祖神と賢牢地神供養塔が隣り合って祀られていました。
【主な経路】(下永谷駅)-日限地蔵尊-舞岡八幡宮-街山八幡社-上矢部-経王山妙法寺-(東戸塚)
 三浦半島の道祖神と地神 (堅牢)地神塔マップ (作成中) 地神(地天)
緑区、旭区、保土ケ谷区(2022-12-29) 瀬谷区、大和市(2023-01-02) 神奈川区、西区、保土ケ谷区(2023-01-09) 逗子市(2023-01-15)


日限地蔵尊:八木山福徳院(港南区日限山1丁目67-30)


道祖神(?):港南区日限山1丁目67-8


道祖神(天保十二丑(1841)年正月吉日)、庚申塔:戸塚区舞岡町3113


堅牢地神(明治十一戊寅(1878)九月吉祥日)、庚申塔:戸塚区舞岡町2613


庚申塔:舞岡町1417


庚申塔:舞岡町1221


双体道祖神:舞岡町970


庚申塔・出羽三山供養塔:舞岡町


堅牢地神(元治第二星宿乙丑(1865)三月造建):舞岡八幡宮(舞岡町946)
蔵王社、山王社、白山社、第六天社(舞岡八幡宮境内)


双体道祖神:天龍山圓福寺(舞岡町336)


しゃもじ神社:戸塚区上矢部町2701


街山八幡社(つじやまはちまんしゃ):矢部町1003
石塔群:街山八幡社
堅牢地祇(嘉永二己酉(1849)年二月):街山八幡社境内
堅牢地祇:街山八幡社境内
本覚院不動尊:街山八幡社境内


道祖神:戸塚区上矢部町2342
石塔群:戸塚区上矢部町2342
篠塚農道寛政記念碑:戸塚区上矢部町2342


松尾神社:戸塚区上矢部町421
 地神社(左)、疫神社(中)、疱瘡神(右):松尾神社内相殿
 蚕霊神碑:松尾神社境内
 横浜市指定名木古木:松尾神社(戸塚区上矢部町421)
  イチョウ Ginkgo biloba No.202018, No.202019, No.202020
  ケヤキ Zelkova serrata No.202021


経王山妙法寺:戸塚区名瀬町772-4
双体道祖神と堅牢地神塔:経王山妙法寺


  道祖神(どうそじん)堅牢地神(けんろうちじん)
 このたび、東戸塚名瀬下土地区画整理事業にともない名瀬町旧一〇八三番地から当時境内へ遷祀いたしました。
 道祖神(左)は、村の境や道の辻に坐して悪霊の入るのを威力をもって防ぎ、病苦や不幸に悩む人びとを守ってくれる神様です。
 堅牢地神(右)は、仏様の教えが弘められるところにおられ、信仰する人、正しい行いをすすめる人を守り、よこしまを戒める大地の神様です。
 これらの神様は、私たちの祖先のときからこの土地に奉祀され尊崇をあつめて、地域の安泰と、掌を合わす浄心の人びとを守護してきたのです。
 願くば、この町と、ここに住む人びとの上に冥加あらせたまえ
南無妙法蓮華経
     昭和五十七年六月吉日
          妙法寺四十六世兼是日諦 識す


「ひまわり」
 港南区の花「ひまわり」をテーマとしました。「ひまわり」は港南区制10周年の昭和54年に区民によって区の花として選ばれました。
 真夏の太陽に向かってたくましく伸びる「ひまわり」のように明るいまちと人と人とのあたたかい交流を表現しています。


日限地蔵尊由来
慶應元年七月二十四日當時鎌倉郡永谷字八木現横濱市南區下永谷町ノ丘陵ニ建立サレン日本三體ノ一日限地蔵ノ御尊像ハ現戸主房太郎ノ祖父飯島勘次郎翁ノ創建ニ係ル由緒深キ地蔵尊デアル
勘次郎翁ハ至極健康ニシテ農ニ生計ヲ樹テシモ晩年ニ至リ持病ノシャクガ起リ病床ニ呻吟スル事数年ニ及ベリ或年伊豆三島長岡寺隠ニ荘誉ニ人代別當棲心庵ノ和尚ガ勘次郎宅ニ杖ヲ引キ伊豆三島ニ祠ラル日限地蔵尊ヲ信
仰セヨ然ラパ病魔立處ニ退散シ難疾モ快癒セシト巖カナル御告ゲガアリタリ日頃信仰深キ翁ハ直チニ清紙ニ日限地蔵尊トシタヽメ三島ノ方向ニ安置シ日夜禊斉ノ信仰ニ心魂ヲ打込ミシガコノ甲斐アルニ不思議ヤ霊現モアラタカニ硫石難澁ヲ極メシ病モ薄紙ヲ剥グカノ様ニ快方ニ向ヒ忽チニシテ全快セリコレコソ御佛ノ篤キ加護ト翁ハ感泣スルトコロヲ知ラズ事後病ニ悩ム人々ヲ救済セント發心シ旅装モモドカシク永谷ノ地ヲ出立戸塚宿ヲ經テ老杉古松ニ假寝ノ夢ヲ結ビケリ東海道ヲ西ニ下リ名所古蹟ニ或ハ天下ノ岒トシテ名髙キ翠巒渓谷ノ難所箱根八里モ一気ニ越ヘ数日ニシテ三島ノ宿ニ到着斉民ノ志ヲ延ベ御地蔵尊分與方ヲ懇願遂ニ御分霊十體ヲ押戴キ翁ハ再ビ陸路デ御尊像ハ伊豆三島船ニ途中恙ガナク相模灘ヲ乗切リ歌ニ名髙キ屏風ヶ浦ノ森町ニ御寄着更ニ馬ニテ日野路ヲ越ヘ八木ノ地ニ御迎ヘ申セシモノナリ當地境ヒハ遠く富嶽ノ悠久ナルヲ眺メ杉松森々トシテ四囲ヲカコミ梅櫻楓樹頗ル多ク風色四時ニ愛デタリ佛護ニ接セントスル老若男女マタクヒスヲ接シテ参詣絶エル事ナク商家軒ヲツラネテ客ヲ呼ビ大イニ殷賑ヲ極メリ
翁ハ村内カラ五人ノ世話人飯島興石衛門飯島鹿造西木嘉平並木鉄五郎秋元文左右衛門ヲ選ビ堂宇ノ建立ヲ図ルト共ニ自ラ堂主トナリテ御守リニ當タレリ
其後一時荒廢ニ期センガ現戸主房太郎翁ガ夢枕ノ御告ゲニテ夫妻共ニ協力再ビ復活ヲ図リ堂宇ヲ修復シ日本三體ノ一トシテ名聲ヲ傳スルエ至レリ房太郎翁ハ齢旣ニ八十ヲ越ヘシモイマナホ健全ニシテ壮者ヲシノギ日夜信仰ニ余リ全霊ヲ捧ゲ苦界ニ難澁スル人々ノ爲或ヒハ護國ノ英霊ノ冥福ヲ祈リツヾケ精進ヲシツヽアリマタ諸国カラ効験アラタカナ護符ヲ受ケントス善男善女数知レズカクテ霊験ノ加護ハイマヤ全國ニ及ベリ


江戸方見付跡
 江戸時代に、戸塚の宿で町並みを形成し、二十町十九間を宿内とし、その両端に道を挟んで見付を築き、これを宿場の入口の標識とした。貴賓の送迎はこれから行はれ、大名行列もこれより隊伍を整えたものである。


旧東海道
 見付とは、宿場の出入り口のことです。ここは戸塚宿の江戸側の出入り口です。旧東海道の宿場に設けられた見付は、宿場を見渡しやすいような施設となっていることが多いようでする参勤交代の大名らを、宿役人がここで出迎えました。


篠塚農道寛政記念碑:戸塚区上矢部町2342
爾来此ノ地面積約三十丁歩ニシテ古ユリ此レニ居ヲ構エシ土
着ノ人者数ウルニ足ル村落ナルニ時・推移今日ニ及ビテ村道ノ紆余
曲折狭隘ナルハ人車ノ交通困難ノミナラズ大都市近郊地域トシテ発
展著シク阻害サル地元有志次代ヲ先見道路現況ヲ憂ウ地元民此処ニ
起チテ農道ノ拡巾整備ヲ決シ未來ヲ画ス此処ニ横浜市ノ指導助成ヲ
得全長千三百米巾員四・五乃至八米ノ道路ハ昭和参拾七年以來五年
ノ才月ヲ要シ昭和四拾弐年完工ス此ノ間関係官民ノ物心両面ニ亘ル
援助功績ニ敬意ヲ表シ此レガ将來利用者及ビ土地発展ニ便セバ計画
者ノ趣意ヲ得ン
              昭和四拾弐年十月
           上矢部町農道事業施工組合建之


日蓮宗宗門史跡
  名瀬妙法寺由来
当山は、「名瀬妙法寺」と通称し。開山は弁阿闍梨日昭上人、開基檀家は。風間信濃守信昭公です。
日昭上人は宋祖日蓮上人の最初の弟子としてつとに知られています。師、日蓮上人が、法華経弘道のため数々の法難に遭う中で、蔭で支え後顧の憂いなくつとめられました。そして、日蓮上人御入滅後四十余年長生きされ、教団を見守り続けた功績は、今日の日蓮宗信仰の礎となっています。元享三年(西暦一三二三)百三歳で亡くなられました。徳治元年(西暦一三〇六)日蓮上人御入滅後二十五年、かねて帰依していた日昭上人を請じ、信昭公屋敷地に一宇を建立したのが妙法寺の始まりです。
 信昭公は、越後国(新潟県)の有力な豪族で鎌倉勤番の折、鎌倉街道『中の道』が通じた名瀬に屋敷を構え幕府に出仕していたのです。信昭公の屋敷跡は『殿畑』とよび伝え、寺より南方五十メートル先の道路沿いに碑が建っております。信昭公は、日昭上人の遺命により領国へも教えを広め、後に日昭門流として大きく発展してゆきました。
右のように由緒により、平成九年十月、日蓮宗宗門史跡に指定されました。
寺宝
一、宗祖日蓮上人像(室町時代造・横浜市指定文化財)
一、板曼荼羅ご本尊(宗祖開山上人授与伝法本尊謹刻)



【参考】
 ひまわり:下永谷駅構内
 ニホンスイセン Narcissus tazetta
 ひまわり薬局:戸塚区吉田町894-1
 江戸方見付跡碑
 新製作家協会々員 髙𣘺 米
 第8回日展出品菊華賞 道
 しゃもじ神社:戸塚区上矢部町2701
 ロウバイ Chimonanthus praecox
 寒咲花菜(かんざきはなな) Brassica sp.
 エリカ・ウィンターファイアー Erica oatesii cv. Winter Fire
 マンリョウ Ardisia crenata
 ウメ Armenica mume
 紙垂(不明の神):戸塚区上矢部町2168
 松尾神社(戸塚区上矢部町421)
 横浜市指定名木古木:松尾神社(戸塚区上矢部町421)
  イチョウ Ginkgo biloba No.202018, No.202019, No.202020
  ケヤキ Zelkova serrata No.202021
 地神社(左)、疫神社(中)、疱瘡神(右):松尾神社内相殿
 蚕霊神碑:松尾神社境内

逗子市の地神、道祖神など

 三浦半島での地神塔の分布は、逗子、葉山、横須賀北部辺りが境界域となっていると思われます。このエリアはこれまで何度も通りかかっているのですが、今日は念のため逗子で確認してきました。
 三浦半島の道祖神と地神 (堅牢)地神塔マップ (作成中) 地神(地天)
緑区、旭区、保土ケ谷区(2022-12-29) 瀬谷区、大和市(2023-01-02) 神奈川区、西区、保土ケ谷区(2023-01-09) 戸塚区(2023-01-21)


桜山道祖神:逗子市池子2丁目1-5
 社屋内に祀られているようですが、施錠されているので未確認です。隣接して設置されている石塔群のうち一基は、明治42年の建立で『道祖大神』と『猿田彦命』が連名となっているので、道祖神とも庚申塔、あるいは両方を兼ねているとも取れる碑です。


地蔵山石塔群:逗子市桜山5丁目1
 多くは、庚申塔と馬頭観音ですが、一番手前は堅牢地神塔で、安政六未(1859)四月吉日と読めます。また右側には『金光明最勝王経』とありますので、間違いなく地天信仰がこの地にあった証です。この塔は、三浦半島で最大の地神塔ではないかと思われます。


石塔群:亀岡八幡宮(逗子市逗子5丁目2)
境内に集められている石塔群の一番左が堅牢地神塔で、天保三年壬辰(1832)年二月吉日と読めます。


 路傍に青面金剛を祀って、「見ざる」「聞かざる」「言わざる」の三猿を刻んだ庚申塔がある塚を庚申塚といいます。
 昔は鳥居の外側の路傍にありましたが、昭和二十年代末期に行われた道路拡張工事でここに移されました。
 中国の道教に由来する禁忌で、庚申の夜に眠ると人身中の三尸(さんし)の虫が罪を上帝に告げるとも、命を縮めるともいわれ、仏家では帝釈天青面金剛を、神道では猿田彦を祀って一晩中起きている「庚申待」という風習があり、平安時代に伝わり江戸時代に盛行しました。
 左から二・三番目が庚申塔で、小さい方が天保三年(一八三二)建立の笠型塔で、一面六臂の青面金剛が合掌して立ち、下部中央に前向きの「聞かざる」、両側に横向きの「言わざる」と「見ざる」が彫られています。
 大きい笠型塔は寛文十一年(一六七一)の建立です。寛文年間に建てられた市内の庚申塔七基中で笠型塔はここだけ、他は舟型塔です。
 一面六臂の青面金剛像が逆蓮華座に乗っており、三猿は塔の三面に各一体ずつ彫られ、正面が「聞かざる」、右側が「見ざる」で、左面が「言わざる」です。
 鎌倉で青面金剛像が彫られた最古の庚申塔は、坂の下御霊社にある延宝元年(一六七三)なので、寛文十一年(一六七一)建立の逗子の方が、鎌倉より二年早く笠型塔を拵えていたのです。
 左端の堅牢地神塔は大地をつかさどる地天(地の神)をお祀りして天保三年(一八三二)二月の建立です。
 右端の馬頭観音塔は馬の保護神として、江戸時代に広く信仰されました。


【逗子市小坪の道祖神】(2018年撮影)
 2018年に逗子八景の小坪歸帆を確認するために立ち寄った際に、たまたま双体道祖神も確認していました。
  小坪で社を散策 part1 part2

 小坪の道祖神はいずれも双体神像を刻している5基で、そのうち佛乗院の1基は最近のものと思われますが、他の4基は海沿いの漁師町旧4地区それぞれの鎮守社にありました。農村では結界を守るための境界域に設置されることが普通である道祖神ですが、各地区が接近して配置されているため、それぞれの地区の鎮守社に設置されているのだと思われます。
 これらの地区は、1232年に和賀江港が開かれて以降、伊勢から移り住んだ漁民によって鎌倉の魚座を賑わした(石井,1993)と言われています。伊勢は、道祖神と同一視されるこのとある猿田彦命を主神として祀っている猿田彦神社の地ですから、移住の際に道祖神信仰が齎された思われます。


 その他の本日撮影の写真です。まだ、オニシバリの蕾は固いようでした。

【参考】
 ニホンスイセン Narcissus tazetta
 ウチワタケ Microporus affinis
 マルバウツギ Deutzia scabra
 オニシバリ Daphne pseudomezereum
 サルトリイバラ Smilax china
 マサキ Euonymus japonicus
 鷹取山山頂
 アオキ Aucuba japonica
 ヤブツバキ Camellia japonica
 マダケ Phyllostachys bambusoides
 馬頭観音、地蔵尊、五輪塔:池子4丁目
 地蔵尊:池子神明社(逗子市池子2丁目10)
 疱瘡神、馬頭観音、庚申塔:池子神明社(逗子市池子2丁目10)
 庚申塔:池子神明社(逗子市池子2丁目10)
 石塔群:青龍山東昌寺(池子2丁目8-33)
 河津桜(かわづざくら)Ceasus x kanzakura ‘Kawazu-zakura’
 『肉の杉山』閉店
 亀井地蔵尊:逗子5丁目4-33
 横浜市指定名木古木 No.48137 瀬戸神社のカヤ Torreya nucifera
 タチツボスミレ Viola grypoceras


          令和4年8月
         (有)杉山牛肉店
 8月末で閉店のお知らせ!!!
永らくお引き立てを賜りありがとうございました。
 日頃、当店に格別のご高配を賜り有難うございます
お陰様で75年間逗子で営業させて頂きましたが、8月一杯で閉店させていただくことになりました。突然のお知らせでご迷惑をお掛けしますこと、重々承知していますがお許しいただけますお願い申し上げます!
長い間お引き立てを頂きましてありがとうございます!
心より感謝申し上げます。


 亀井地蔵尊の由来
田越川原は大昔には死骸の埋葬地でした。中世は処刑場となり、六代御前や三浦胤義の子供達も、此所で首を斬られました。吾妻鏡の嘉禄元年九月八日の条には、北條泰時三浦義村が弁僧正の弟子達を供養のため、八万四千基の石塔を建てた旨が記されています。
 今、立っている此の場所は大墓(おおはか)といって長い間の共同墓地でした。かつて、写経石や土師器の破片等が出土しています。
 此所に在った墓石は延命寺や妙光寺ほか近くの寺に移されました。閻魔堂がありましたが、中にあった閻魔は延命寺に移され今も祀られています。亀井地蔵尊は此所に尊く葬られています。
 多くの霊を供養するために建立されました。謹んで合掌し奉ります。
  昭和五十九年四月八日奉修開眼供養
         文       内田武雄
         謹書延命寺住職 神田宣圓


【文献】
石井清司(1993)小坪の漁労集落としての歴史、p3-9、in 逗子市文化財調査報告第15集小坪の漁労具、逗子市教育委員会.
逗子教育委員会(1978)文化財散歩-ふるさと・逗子、73p.

瀬谷区、大和市の地神(地天)

 この度の主たる目的は、瀬谷区と大和市の地神塔を尋ねることでした。特に、全通院勢至堂にある地神塔は、天明3年(1783)造立で横浜市最古の地天像とのことでしたので、ここを最終地にして6か所を巡るコース設定し、GoogleMapでは未掲載の2ヶ所も併せて8か所を確認できました。
 勢至堂に至る階段脇に設置された石塔群では、中央に地神の角柱文字塔を置き、向かって左に神像が配置されています。地天像は摩耗が激しくて細部は定かではありませんでしたが、梅原(1985)によれば女神像だそうで、よく見かける庚申塔の青面金剛像より、柔らかな象容でした。上和田の佐波神社にも地神の像容塔(寛政三年:1791)が1基あったのですが、なんとなく似ている印象ですので、勢至堂の像から影響を受けているのかも知れません。佐波神社の像も新しいものではなさそうですから、あるいは同じ石工による作である可能性もありそうです。
 ちなみに、メディア展開ではメジャーな地神テラリア(外部サイトへリンク)は地神の原型とは異なっているようです。
(堅牢)地神塔マップ (作成中) 逗子市 緑区、旭区、保土ケ谷区(2022-12-29) 瀬谷区、大和市(2023-01-02) 神奈川区、西区、保土ケ谷区(2023-01-09) 戸塚区(2023-01-21)


地神塔(天保6未(1835)年):瀬谷区相沢3丁目16-2


地神塔:日枝社(瀬谷区本郷1丁目18-9)


地神塔:中屋敷地蔵尊(瀬谷区中屋敷1丁目33-46)


地神塔(明治15(1882)年9月吉日):大和市深見台3丁目5


地神塔三叉路:瀬谷区瀬谷6丁目10-1


地神塔(明治45(1912)年4月吉日):瀬谷区橋戸3丁目


地神塔:(上和田)佐馬神社(上和田1167-1):寛政三(1791)

 武相国境に当たるこの地域は、源良朝を祭神とするサバ神社が分布することで知られる地域で、境内に地神塔が祀られているサバ神社もあります。
 武相国境を歩く-石塔群
 武相国境を歩く-サバ神社巡り part1
 武相国境を歩く-サバ神社巡り part2


地神塔:全通院勢至堂(下瀬谷1丁目29-10):天明三(1783)


【文献】
梅原達治(1985)埼玉県児玉町内の社日塔、札幌大学教養部紀要、27、101-120、URL: https://sapporo-u.repo.nii.ac.jp/?action=repository_uri&item_id=5199&file_id=18&file_no=1、Accessed: 2022-12-30.
高橋晋一(2004)地神塔と三神塔、徳島地域文化研究 (2), 1-11, Accessed: 2023-01-01.
【参考】地神≪テラリア≫、『ソードアート・オンライン』より

 以下、本日撮影のその他の写真です。


  瀬谷村役場跡(長天寺)
 長天寺は臨済宗建長寺派に属し、室町時代の応永元年(1394年)2月15日宝林薫大和尚禅師によって開山、開基は平本六郎兵衛であると伝えられています。
 明治22年(1989年)5月27日の市町村制の公布に基づいて、瀬谷村、二ツ橋村、宮沢村が合併、瀬谷村となり、初めての村役場をこの長天寺の客殿に置きました。この客殿は、大正5年(1916年)に新しい役場が建設されるまで使用され、3村が合併された際の初代村長は守屋平輔でした。
  横穴古墳跡
 明治39年(1906年)3月、長天寺の北側に隣接したところで当地の平本彌太郎が農作業中に人骨が3体・直刀及び鍔3点・金環2点・琥珀の棗玉3個・鉄轡1個を発掘しました。出土品から飛鳥時代。白鳳時代(604年~708年)頃の相当高貴な人の墳墓と推定されていましたが、のち、東京国立博物館に収蔵されました。
  平成10年3月(平成30年3月貼替)  瀬谷区役所


  川口製絲株式會社跡
 瀬谷区(旧鎌倉郡瀬谷村)は、相模原台地上にあって桑の栽培に適した土地で、かつて養蚕業が栄えていました。明治中期から昭和初期にかけて付近に、9つの製紙工場が立ち並び、製糸業が盛んでした。中でも、明治35年(1902年)に創業した「本郷館製絲場」は、周辺の製糸工場で最も長く稼働し、大正10年に川口製絲株式會社と名前を改めた後、昭和34年(1959年)頃まで製造を続け、製糸の品質は国内のトップクラスで、製品の全てをアメリカへ輸出していました。昭和6年頃の最盛期には従業員がマナーや教養を勉強する学校もありました。このように製糸工場は、地域の人たちが働き、地域の原料を使って糸を作り、企業が繁盛し、地域の活性化にも寄与していました。
 現在も、ここ川口邸には、当時の製糸工場の正門が残されています。
※敷地・建物への立ち入りは固くお断りします。
   平成28年1月     瀬谷区役所


  瀬谷銀行跡
 瀬谷村の農家では養蚕が盛んに行われており、明治20年代後半から製糸場が続々と設立されました。
 それを背景に、明治40年(1907)6月、瀬谷村の村役を務めていた小島政五郎が中心となり、瀬谷銀行が開業しました。本店を小島政五郎の自宅に置き、その後30年にわたり地域金融事業の中心となり、地域の発展に寄与しました。
 小島家は代々政五郎を名乗り、江戸中期から瀬谷村の村役を務め、明治から昭和の初期まで村行政に功績を残しました。
   平成10年3月(令和2年3月改訂)     瀬谷区役所


(慈光山善昌寺縁起)
 慈光山善昌寺は大本山鎌倉光明寺の末寺にて、遥か室町時代天文二年開山覚蓮建社本誉単冏上人の起立にかかる。
 一旦退破をへ継いで弘治年間甲斐武田氏の支族岩崎丹後が当地に土着し開基したと伝えられる。江戸時代中葉、檀那拾八軒境内及寺有地壱町七反余歩という記録が残されている。明治七年十月火災に罹り、本堂、庫裡は烏有に帰するが幸い本尊阿弥陀如来及光明寺より下賜された雨乞本尊は焼失を免れ臨機応変に支配下の上瀬谷村薬師堂を移築して仮本堂とした。下りて昭和八年に改修の槌音を聞くが、積年の雨露風雪による荒廃し如何ともしがたく、今般の造営を迎えるに至った。
 まず檀信徒総会の席上、本堂、客殿、庫裡、山門等の建築及境内の改造を行うことが議決され資金は寺有地の処分金及檀信徒の浄財を以って当てることとした。昭和五十五年四月起工。翌五十六年十一月竣工、時を移さず落慶大法要が挙行された。挙行された。その間住職、役員、檀信徒一同こぞって一意専心寺院の復興に協力し本事業の完成をみるに至った。茲に落慶を記念しその次第を碑に勒して永世に伝える。
     昭和六十年仏歓喜日
       浄土宗慈光山善昌寺


  鎌倉古道の河津桜・ミカイドウ・カルミヤ
 鎌倉幕府が1192年に開かれて以来、鎌倉に通じる多くの道路がつくられました。この鎌倉古道も相模と武蔵、さらには関東北西部とを結ぶ主要な道路でした。瀬谷区の歴史さんぽコースになっているこの古道は、徳善寺-大門第六天-日枝社-瀬谷神明社-横浜市名木古木「ケヤキ」-中屋敷地蔵尊-瀬谷銀行跡-善昌寺-北向地蔵尊-明光寺-牢場坂-若宮八幡宮が散策コースとして多くの市民に親しまれています。
 瀬谷区のまちづくり区民の会の有志は、境川とこの由緒ある古道沿いに花木を植えて、住んでいる人にも訪れる人にも、心の休まる環境をつくることをめざして「ヨコハマ市民まち普請事業」コンテストに応募しました。その入選によって、交付された助成金を基にして、この古道沿いに、河津桜・ミカイドウ・カルミヤを植樹しました。
     平成21年3月
     竹村町内会/愛護会
     中屋敷町内会/愛護会
     本郷地区自治会/愛護会
     瀬谷区まち普請事業プロジェクト


市指定重要文化財(有第四号)
深見神社社号標)
     指定年月日 昭和四十七年二月二十五日
      形状 尖頭角柱型
      高さ 一四六cm 幅三一cm 奥行二五cm
 この社号標は、寛政三(一七九一)年に建立された石碑です。深見村の領主であった旗本坂本重治が造立したと伝えられています。正面には「相模国十三座之内深見神社」と刻まれ、深見神社が延喜式内社であることがわかります。
 延喜式内社とは、延長五(九二七)年に完成した延喜式の神名帳に列記された神社のことで、相模国にし寒川神社など全部で十三座ありました。このことから深見神社は平安時代にはすでに存在していたことがわかります。
         大和市教育委員会


   深見神社:大和市深見3367


  深見神社
 「深見」という地名は「倭名類聚鈔(わみょうるいじゅしょう)」(931~937)に相模国高座郡深見郷と記されており、市内の地名が初めて文献に登場したものです。しかし、この時の深見の範囲は現在地を含めてかにり広い範囲を総称していたもののようです。
 深見神社は鹿島社の別称がありますが、言い伝えによれば、領主であった坂本氏が茨城県鹿島神宮の祭神を勧請したためといいます。市内に所在している神社の中では唯一の「延喜式」神名帳(927)に掲載された延喜式内社となっています。延喜式内社は全国で3132社あるが、この制度の目的は天皇家の安泰と国の隆盛・五穀豊穣を祈願するというものであり、当時の国の中枢である天皇家と直接結びつくものでありました。村の鎮守という一面と地方を代表するものという一面り両者を持っていたといえます。なお、境内には大和市指定重要文化財である寛政三年に建立された「深見神社社号標」と天然記念物であるハルニレがあります。
         大和市教育委員会


   御由緒
 深見神社(旧社格郷社)
   御祭神   闇龗神(くらおかみのかみ)
         武甕槌神(たけみかづちのかみ)
         建御名方神(たけみなかたのかみ)
   例祭日   九月十五日
 我国の神社総覧とでもいう記録で最も古いのは延喜五年(九二七)に奏進された「延喜式」神名帳である。これに記載されている神社を延喜式内社と呼びならわし古社であることを意味し当神社も延喜式内社で相模国に十三座ある内の一座である。
 創建年代と御祭神は「総国風土記」によれば「相模国深見社雄略天皇二十二年三月(約一千五百年前)に祭るところ闇龗神なり」と記されている。
 神社縁起によれば「武甕槌神東国鎮撫のため常陸鹿島に在られしとき船師を率いてここに進軍され伊弉諾神(いざなぎのかみ)の御子の倉稲魂神(うかのみたまのかみ)と闇龗神の二神をして深海を治めさせられた。闇龗神(雨神)は美田を拓き土人を撫して郷を開かれた」とある。即ち深見の名の起こった所以である。
 後世徳川時代になると深見は旗本坂本家の知行地となり坂本家の崇敬する鹿島神宮(武甕槌神)から分霊を受けて従来から祀られていた闇龗神は境内にある御倉稲荷神社(おくらいなりじんじゃ)に合祀された。
 以来深見神社の祭神は武甕槌神(武運長久)となった。
 平成二十四年三月に現社殿再建七十年を節目として、創建時の御祭神の闇龗神を本殿に合祀した。
明治九年 火災により社殿工作物など悉く焼失
明治四十二年 末社の諏訪神社(建御名方神)合祀
昭和十七年三月 現在の社殿再建


瀬谷山寳藏寺:瀬谷区瀬谷5丁目36-14
  (宗派)高野山真言宗 (本尊)大聖不動明王
治歴2年(1066)秀恵比丘尼が不動庵を開基されたのがはじまりであり、これより後、応永3年(1396)空元法印により古義真言宗感応院の末寺として開山されたと伝聞されているが、空元法印以前の歴代に付いては不詳である。
 慶安2年(1649)徳川幕府(3代将軍家光公)より、領地1丁2反9畝、境内6反、寺領8石3斗、の御朱印を賜る。(御朱印籠等は現存す)爾来、菊の御紋章を許される。当山本堂は当初、墓地に隣接していたが三度び開催焼失した後、現在地に移り、今日の本堂は天保15年(1844)の建造である。
 境内には天満宮(菅原道真公奉安)があり、学問の神として知られ、殊に進学時期には学生の参拝か多く見られる。
 弁財天を奉安したお堂(昭和58年創建による横浜瀬谷八福神の内)が新たに建造された。弁財天は八福神の中では唯一の女神であり、知恵財福の御利益があり、芸道技術の神として崇敬されている。
 水子地蔵尊(石仏)のご守護をうけて、亡き子を思う親の願いを託された可愛いわらべ地蔵が安置されて居り、毎年3月24日(地蔵の日)にし水子地蔵供養会が修行され宗旨等にこだわることなく多数の参詣者がある。
 就業大師像(唐金)も建立されている。弘法大師(空海)は真言宗の開祖であり、仏教の(顕教)に対して、秘密に説かれた深遠な教えを(密教)又は(秘密仏教)といい、これが真言宗であり、仏の真実の言葉、即ち(真言)を口に唱え、手に印を結び、心を寂静の境地に住まわせることによって、この生き身のままで仏になり得る、と説かれた教義を(宗名)としたものである。


猿王山西福寺:瀬谷区橋戸3丁目21-2
  真言宗 豊山派西福寺
 西福寺は天文3年(1534年)の創建と伝えられ、天和元年(1681年)に放流開山したといわれる。ご本尊は不動明王。極楽浄土があるとされる西を正面として、境内の地形が扇状に広がっていることから、西福寺と名付けられた。境内には通称「千年シイ」(樹齢800年以上)の横浜市の名木古木に指定された大霊木が現存。
  横浜市指定瀬谷八福神の布袋尊
 布袋様(ほていさま)は福耳、ほてい腹、破顔大笑の福福しい姿で、愛情と知恵のたくさんはいった布袋を持つ。生活の知恵袋、愛のつまった宝袋を誰もが皆おのおのに具えている、笑っておおらかに生きよと説く。
ご利益 開運・安産
ご真言 オン マイタレイヤ ソワカ


【注】『oṃ(オン) maitreya(マイタレイヤ) svāhā(ソワカ)』は、弥勒菩薩の真言、当山の本尊は不動明王なので、何故この真言が書かれているのかは不明です。


   左馬社(さばしゃ)と梵鐘
 その昔、境川流域の村々では、疫病が流行すると境川の東西に点在する神社をまわり、厄除けをする民俗信仰が盛んでした。(七サバ参り)
 当左馬社は、「七サバ神社」と呼ばれるうちの一つであり、祭神は佐馬頭(さまのかみ)源義知朝です。
 隣接の真言宗西福寺(さいふくじ)が、この佐馬社の別当職であったので、当時の神仏混淆の姿が今日に残り、神社の境内にある吊鐘は区内唯一のもので、厄除け、虫除けに鐘をついて祈願したとのことです。
 梵鐘は江戸時代の文久元年(1861年)に鋳造されましたが、太平洋戦争の際供出されたため、昭和32年(1957年)氏子の協力によって新たに現在の鐘がつくられました。
  平成10年3月  瀬谷区役所


  横浜市名木古木指定 宗川寺(そうせんじ)の夫婦銀杏(北新26番地13)
 宗川寺は、寛永2年(1625年)北山本門寺第12世日賢上人が開山し、開基は瀬谷の住人で篤い信仰の心のあった石川宗川であり、その名から宗川寺と名づけられました。
 山門脇の2本の銀杏は、横浜市名木古木の指定を受けた夫婦銀杏で、昔から多くの方が安産・育児を祈願するために参詣に訪れてています。
  中原往還と瀬谷問屋場(といやば)
 中原往還(中原街道)は、小田原北条氏が支配していた頃の道を、徳川家康が平塚(中原)に御殿を建て、そこへ通う道として整備した江戸柴口から瀬谷を経て平塚御殿に至る振動です。
 瀬谷問屋場は、江戸と平塚(中原)間5駅の中宿で、徳川家康の江戸開府により、駿河国山宮西谷の住人石川彌次右衛門重久(虎之助)が問屋場の運営を託され、江戸時代270年間にわたり、中原往還の道筋の人馬諸貨物の運送、継送の役割を果たしたところです。(これより東方80m付近がその跡だと言われています。)
   昭和54年3月(平成30年11月改訂)     瀬谷区役所


   左馬神社
一、御祭神 左馬頭義朝
一、鎮座地 大和市上和田一一六八番地
一、例祭日 九月二十四日
   由緒
宝暦十四年三月桃園天皇徳川九代将軍家重の代、名主渡辺平左衛門、小川清右衛門この地に宮を建立、左馬頭源義朝の霊を勧請し村民の精神道場となるや漸次庶民崇敬の的となり、文化三年四月三日上和田信法寺十四世住職憧与上人、氏子の賛同を得て五穀豊饒の祈願をなしたるや、其の御神徳の偉大さ武家・一般庶民に深き感銘を与う。
以来五穀豊饒はもとより家内安全の守護神として広く世に伝わり崇敬者多し。
尚境内社として天照皇大神、神武天皇、須佐之男命、三神を奉斎し国土安穏氏子崇拝者安泰(疫病・痘癒・厄除)守護を念ずる参詣者今尚多し。
    境内三社殿
  御祭神 天照皇大神(中央)
      神武天皇(向かって右側)
      須佐之男命(向かって左側)


下瀬谷文教場跡(勢至堂)と大藤
 明治22年(1889年)の市町村制の実施により瀬谷村、二ツ橋村、宮沢村が合併、一村となりました。この合併により瀬谷小学校の通学区が広くなったため、低学年児童の通学の便を考慮して、明治23年(1890年)11月に分教場をこの全通院勢至堂境内に設けました。この分教場は昭和18年(1943年)の学区改正によって廃校になるまで、50年にわたり数多くの児童が通学しました。
 また、この境内には「横浜市の名木古木」に指定されている藤の大樹があり、その花の咲く頃は誠にみごとなものです。
 全通院勢至堂は曹洞宗瀬谷山徳善寺別院として、勢至菩薩を本尊として祀っています。
 相模国深見村の中丸佐源太が、一夜霊夢に導かれ鹿島神社の旧跡から勢至菩薩の像を発掘し、全国を巡礼し喜捨を受け、徳善寺に納めました。その後、この全通院阿弥陀堂に遷座したと伝えられます。屋根の改修時に発見された棟札には江戸時代の寛政9年(1797年)に現在のお堂が建立されたと書かれていました。
 地元では、「お勢至様(おせっさま)」「勢至堂(せしどう)」とも呼ばれ親しまれています。12年に1回、午年の8月23日に開帳されます。
   平成10年3月          瀬谷区役所


【参考】
 瀬谷村役場跡(長天寺):相沢4丁目4-1
 道祖神:瀬谷区相沢3丁目9
 稲荷社:瀬谷区本郷2丁目19-1
 川口製絲株式會社跡:瀬谷区本郷1丁目9-5
 ネリネ・ウンドゥラータ(ヒメヒガンバナ) Nerine undulata
 コサギ Egretta garzetta
 中屋敷地蔵尊:瀬谷区中屋敷1丁目33-46
 瀬谷銀行跡:瀬谷区中屋敷1丁目20-14
 北向地蔵尊:瀬谷区竹村町
 慈光山善昌寺:瀬谷区竹村町1-14
 六地蔵と双体道祖神:瀬谷山徳善寺(本郷3丁目36-6)
 双体道祖神(左):瀬谷山徳善寺
 双体道祖神(中央):瀬谷山徳善寺
 双体道祖神(右):瀬谷山徳善寺
 深見神社:大和市深見3367
 深見神社神号標
 馬頭観音:瀬谷山寳藏寺
 畜霊供養塚:瀬谷山寳藏寺
 楽寿観音第五番:瀬谷山寳藏寺
 天満宮:瀬谷山寳藏寺境内
 布袋尊:猿王山西福寺(瀬谷区橋戸3丁目21-2)
 佐馬社梵鐘:瀬谷区橋戸3丁目20-1
 稲荷社:大和市上和田578
 ヒヨドリジョウゴ Solanum lyratum
 左馬神社:大和市上和田1168
 大和教会:大和市上和田1081-3
 瀬谷山徳善寺別院 全通院勢至堂:下瀬谷1丁目29-10
 地蔵堂:全通院勢至堂境内

瀬谷区、大和市の巨樹など

 横浜市の北西部は武蔵野の面影が残る地域です。今日は瀬谷区と隣接の大和市で巨樹巨木を尋ねました。深見神社のハルニレは、以前ズーラシアの帰りに立ち寄ったことがありました。
 横浜市指定名木古木マップ  かながわの名木100選


瀬谷日枝神社:瀬谷区本郷1丁目18-9

【かながわの名木100選】 昭和59年12月選定
日枝神社のケヤキ
 和名:ケヤキ(ニレ科)
 枝ぶりは「逆さほうき状」で、いかにもケヤキらしい樹形のすばらしい巨木である。横浜市の名木古木に指定されている。
 樹高 35メートル 胸高周囲 5.4メートル
 樹齢 約300年(推定)
 ケヤキは、本州から九州に分布する落葉高木で、枝を広げた姿は雄大であり、日陰木として公園、街路などに植えられる。樹高50メートル、胸高周囲15メートル、樹齢約1900年に達するのもあると言われている。


  ケヤキ(ニレ科)
 樹齢約三〇〇年 目通り周五・二〇m
 樹高四〇・〇m
 天正十九年(一五九一年)の検地帳見聞録や昔からの言い伝えによれば、今から約四百年前、小田原北条氏の陣屋が神社の東方一丁(注)のところにありました。御馬廻り役だった久米玄蕃之助は上瀬谷の城山外堀に馬屋敷を設置しましたがその小姓役松浪内蔵が、日枝神社に牛頭天皇(スサノオノミコト)を祀っていました。ところが、渡御のたびに夏の流行病や大げんかがあるので、元亀元年(一五七〇年)頃氏子が相談した末、今の拝殿と大ケヤキの間に埋めてしまったといわれています。現在でも正月の〆縄を納めたり、参拝したりする旧留が残っているとか。
  昭和五四年三月  横浜市緑政局
【注】1丁 = 1町 ≈ 109.09m
横浜市文化財天然記念物


慈光山善昌寺:瀬谷区竹村町1-14
【横浜市指定名木古木】
 イチョウ No.49585
 シダレザクラ No.201509
 タブノキ No.201001


【横浜市指定名木古木】
ケヤキ No.49583 (個人所有)


瀬谷山徳善寺:本郷3丁目36-6
【横浜市指定名木古木】
 タラヨウ No.48236

葉桜としづまる法界に多羅葉の
咲き散るひそけさと思ひみるべく 正一

 
葉桜としづまる法界に多羅葉の
咲き散るひそけさと思ひみるべく 正一

【注】能澤正一は、19990年に第39回横浜文化賞を芸術部門で受賞しているようです。


【歌碑裏面】
能澤正一 宮沢町九五六番
 相武アララギ主宰
 横浜文化賞 平成二年受賞
 平成九年三月吉日
 徳善廿五卋 正悳 建之
 協賛 仙田治男 宮沢町


深見神社:大和市深見3367

【かながわの名木100選】 昭和59年12月選定
深見神社のハルニレ
 和名:ハルニレ(ニレ科)
 幹はまっすぐに高く伸び、県内でも屈指のキルニレの巨木である。当神社の御神木で、樹種が分からなかったので「なんじゃもんじゃの木」と呼ばれて親しまれてきた。大和市の天然記念物に指定されいる。
 樹高 30メートル  胸高周囲 4.0メートル
 樹齢 約400年(推定)
 ハルニレは、北海道から九州の夏緑林帯に分布する落葉高木である。樹高45メートル、胸高周囲8メートル、樹齢約600年に達するものもあると言われている。


(大和)市して天然記念物(第二号)
   ハルニレ
     指定年月日 昭和四十七年二月二十五日
     樹種    落葉高木(ニレ科)
     形状    樹高 三〇m
     胸高周囲  四m
     樹齢    約五〇〇年
 ハルニレは夏緑樹林帯(ブナ帯)の木で、北国の山地に多くみられます。県内では丹沢山地の一〇〇〇m以上の地にみられますが、深みのような低地では珍しいことです。このように珍しい木で、何というの名の木かわからなかったので、「なんじゃもんじゃ」と呼ばれるようになったと伝えられています。
 四~五月、葉に先だって褐紫色の小さな花を葉の脇に束状に七~十五個程つけます。六月には扁平な翼を持った果実が熟して落ちまする葉の縁には鋸歯(のこぎりば)状で表面は脈がへこみザラついています。
     平成九年三月 大和市教育委員会


親縁山一応院佛導寺:大和市深見3361
 ヒマラヤスギ:無冠の孤立木ですが、景観木として今後注目されそうな予感です。


猿王山西福寺:橋戸3丁目21-2
【横浜市指定名木古木】
 スダジイ No.60021


白東山宗川寺:瀬谷区北新26-13
 宗川寺の夫婦銀杏 No.48233(向かって左)、No.48234(向かって右)

  横浜市名木古木指定 宗川寺(そうせんじ)の夫婦銀杏(北新26番地13)
 宗川寺は、寛永2年(1625年)北山本門寺第12世日賢上人が開山し、開基は瀬谷の住人で篤い信仰の心のあった石川宗川であり、その名から宗川寺と名づけられました。
 山門脇の2本の銀杏は、横浜市名木古木の指定を受けた夫婦銀杏で、昔から多くの方が安産・育児を祈願するために参詣に訪れてています。
   昭和54年3月(平成30年11月改訂)     瀬谷区役所


【参考】
 ケヤキ Zelkova serrata
 シダレザクラ Cerasus spachiana
 タブノキ Machilus thunbergii
 タラヨウ Ilex latifolia
 ハルニレ Ulmus davidiana
 ヒマラヤスギ Cedrus deodara
 スダジイ Castanopsis sieboldii
 イチョウ Ginkgo biloba

緑区、旭区、保土ケ谷区の地神(地天)

 姿を刻印した石塔(具像塔)が珍しい地天(堅牢地神)ですが、緑区には女神の姿を刻した地神塔があると聴き、確認しに行ってきました。この地区には地神塔がいくつかありますので、JR中山駅から京急井土ヶ谷駅にかけて訪ね歩きました。
【主な経路】
(中山駅)-神山-鴨居-上菅田-西谷-鶴ヶ峰-仏向町-権太坂-永田-(井土ヶ谷駅)
 (堅牢)地神塔マップ (作成中)  三浦半島の道祖神と地神 緑区、旭区、保土ケ谷区(2022-12-29) 瀬谷区、大和市(2023-01-02) 神奈川区、西区、保土ケ谷区(2023-01-09) 戸塚区(2023-01-21) 逗子市(2023-01-15)




横浜市指定有形文化財(石造建造物)
 女神像地神塔(じじんとう)
          指定年月日 平成八年十一月五日
     所在地 緑区鴨居六丁目二一番
     員数  一基
     法量  碑高 五九・〇cm 像高四八・〇cm
     時代  江戸時代 享和三年(一八〇三)
 地神は、仏教の地天(じてん)が神格化して農作の神となった民間信仰で、講結衆(こうけつしゅう)による地神塔の造立が行われました、地震信仰は、一八世紀末頃におこって一九世紀に普及し、明治年代末年にまで及んでいます。
 横浜には多数の地神塔が遺っていて、地神信仰の盛んであったことが知られています。
 地神塔には、「堅牢(けんろう)地神」「地神塔」などの文字を刻んだだけのものが大部分で、地神の像容を彫刻したものは多くありません。また、神像でも武神の姿の男神像はありますが、女神像は稀で、この女神像地神塔は、稀少な例のひとつです。
  (刻印) 正面 「地神(右書)」
      右面 「享和三年亥八月吉日」
      左面 「大下石工」
          横浜市教育委員会


 ごはん塚碑
鎌倉初期の武将畠山重忠は元久二年六月北条義時勢の攻めに会い武藏国二俣川に於て討死逃れ來りし残党も此の地で惨殺された
村人達はその霊を慰めるべく五ヶ所に塚を建て懇ろに弔いごはん塚と呼んで花を手向けた第二次世界大戦中耕地不足の爲畑と化しその後団地造成等の変遷をたどり塚四基は姿を消したゞ一基この地に祭祀するのみ
      蓮性寺


 歴史の道
元町橋(もとまちばし)
 保土ケ谷区郷土史(昭和一三年刊)によれば、明治時代の東海道線鉄道工事以前の今井川はここで街道を横切っていました。
 橋は江戸時代の「東海道分間延絵図」にも描かれています。また、かつての字名は、ここから東側を「元保土ケ谷」、西側を「元保土ケ谷橋(むこう)」となっていました。


【参考】
地神塔(文化十三丙子(1816)年):緑区上山2丁目2-6
地蔵堂:緑区白山2丁目53-19
鴨居稲荷神社:緑区鴨居6丁目30-1
女神像地神塔:緑区鴨居6丁目21
ごはん塚:緑区鴨居7丁目32
庚申塚:保土ケ谷区上菅田町1587
稲荷社:保土ケ谷区上菅田町1585
竹山高区配水槽
キク Chrysanthemum × morifolium
笹山商店街
上菅田八幡神社:保土ケ谷区上菅田町727
狸像:保土ケ谷区上菅田町279
二十六夜塔(左)、歳ノ神(中央)、地神塔(右):保土ケ谷区上菅田町285-9
庚申塔(左)・堅牢地神塔(右):西谷町3丁目21
不動尊:保土ケ谷区西谷町4丁目7
庚申塔:保土ケ谷区西谷町4丁目10
道祖神:川島町73-1
庚申塔(2基):川島町73-1
西川島町 堅牢地神:旭区鶴ケ峰2丁目77
双体道祖神:旭区鶴ケ峰2丁目57-20
仏向杉山社:保土ケ谷区仏向町553-1
カラスウリ Trichosanthes cucumeroides
桜樹千本植栽の碑:保土ケ谷公園
保土ケ谷球場
アオノリュウゼツラン Agave americana
神奈川坂
庚申塔(左)、堅牢地神塔(右):保土ケ谷権太坂1丁目2-2
旧元町橋跡:元町自治会館
帝釈天堂(保土ケ谷町3丁目)
堅牢地神表具(掛軸):帝釈天堂(保土ケ谷町3丁目)
横浜市指定名木古木 No.48075 ケヤキZelkova serrata:外川神社


【文献】
石川博司(1998)地神信仰雑記、URL:http://koktok.web.fc2.com/isikawa/isikawaCD/dijin.htm#%E5%9C%B0%E7%A5%9E%E5%A1%94%E3%81%AE%E5%85%A8%E5%9B%BD%E5%88%86%E5%B8%83、Accessed: 2022-12-30.
梅原達治(1985)埼玉県児玉町内の社日塔、札幌大学教養部紀要、27、101-120、URL: https://sapporo-u.repo.nii.ac.jp/?action=repository_uri&item_id=5199&file_id=18&file_no=1、Accessed: 2022-12-30.
梅原達治(1987)地神信仰の地域的変異について、札幌大学教養部紀要、30、69-87、URL: https://core.ac.uk/download/pdf/230296308.pdf、Accessed: 2022-12-30.
泉区小史編集委員会(1996)地神塔と地神信仰、いずみいまむかし、URL: https://www.city.yokohama.lg.jp/izumi/shokai/rekishi/ayumi/imamukashi/2-shoshi/denen/10-jisijisi.html、Accessed: 2022-12-30.

冬の鷹取-六浦-朝比奈

 年の瀬の近所を歩いてみました。


【参考】
 イソギク Chrysanthemum pacificum
 シチヘンゲ Lantana camara
 コゴメウツギ Stephanandra incisa
 マルバウツギ Deutzia scabra
 オニドコロ Dioscorea tokoro
 カマツカ Pourthiaea villosa
 ガマズミ Viburnum dilatatum
 マユミ Euonymus hamiltonianus
 ヤマブキ Kerria japonica
 ヤマコウバシ Lindera glauca
 鷹取山頂上付近
 キヅタ Hedera rhombea
 ビワ Eriobotrya japonica
 東京湾方面
 みなとみらい方面
 富津方面
 アセビ Pieris japonica
 ネズミモチ Ligustrum japonicum
 マンリョウ Ardisia crenata
 ヒメオドリコソウ Lamium purpureum
 ヤツデ Fatsia japonica
 シャリンバイ Rhaphiolepis indica var. umbellata
 ドウダンツツジ Enkianthus perulatus
 イヌビワ Ficus erecta
 ネリネ・ウンドゥラータ(ヒメヒガンバナ) Nerine undulata
 寒椿 Camellia x hiemalis
 センリョウ Sarcandra glabra
 ヒマラヤユキノシタ Bergenia stracheyi
 クロガネモチ Ilex rotunda
 アオツヅラフジ Cocculus trilobus
 フイリマサキ Euonymus japonicus f. aureovariegatus